風そよぐ部屋

ウォーキングと映画の無味感想ノート

ニュージーランドの旅。総集編・再びオークランドへ

2018年01月05日 | 2017ニュージーランド旅行

オークランド港・ドックライン・トラム
12月21日 
昨夜から雨で、今朝も寒く夜中に目が覚め、ヒーターを付けました。
前日私が早朝ホテルを発つと電話で告げていたので、ホテルのレセプションに、女性のスタッフが早朝出勤
してくれていました。無事、会計ができました。空港へのシャトルバスのピックアップ場所はホテル前、
7:10、ダニーデン空港へのシャトルバスが迎えに来ました。値段は忘れましたが20$ほどだったと思います。
国内線ですから出発の30分前にチェックインすれば良いのに、10時発のフライトに7:10の迎えです。
疑問が解けました。ダニーデンは大都市ではありません、シャトルバスを利用する人が少ないのです。
私の前に二人乗っていて、私が最後、三人の乗客でした。初老の女性運転手でした。
結構な距離でした。でも8時15分頃着いてしまいました。
ダニーデン空港                   空港内に寿司屋がありました。ドンブリ物でしたが。
  
10時発ですから、たっぷり時間があり、退屈でした。チェックインは、日本語で機械でできます。
年寄りの私がオタオタしていると職員が来て、さっさと手伝ってくれ、あっという間に終わりました。
手荷物検査は、一応しますが、実に簡単で、飲み物もオーケーです。
オークランド空港から市内へはスカイバスが便利です。18$でした。
事情は分かりませんが、途中で別のシャトルバスに乗り換え、えらく時間がかかりました。
ホテルは、前と同じ、スカイタワーの真ん前のスカイタワーチャーマーアパートメンとですが、これらのホテルを
斡旋する「マイホテル」の事務所が、移転していてわかりません。
更に、鍵の受け取りは、この事務所ではなく、別の場所の貸しロッカーの中にあります。
この貸しロッカーの場所も、良くわかりません。
ロッカーのあるWellsley St.Westは決して小さい通りではないのですが、みな親切に教えてくれるものの、
皆、正しくないのです。単純に、何々ストリートのペケぺケですから、わかってしまえば実に簡単です。
住所は、通りの名前の後に家の番号です。ビルの名前ではないのです。
坂の多い通りを重いスーツケースを押しながら1時間ほどうろうろして、コンビニの店主に聞くと、
彼はにっことして、知ってると言ってスーツケースを運んでくれ、「ここ」つまり隣でした。
やっとのことでカギを手に入れ、部屋に入りました。このホテルでは、鍵の入手は、事務所やレセプションを
介さない仕組みです。前回は、事務所で鍵を受け取ったので、貸しロッカーを使わなかったのです。
寒いダニーデンから暖かいオークランドに来て汗をかき、その上場所がわからず冷や汗もかき、どっと疲れた、
お腹も空いたので、近くの中華のレストランで中国の熱い海鮮ヌードルを食べました。
このホテルは、洗濯機と乾燥機があるのでセットして、スーパーに買い出しに行き、帰ってきて、ネットを申し込み、
あれこれ検索しました。(ここは有料、ネットで提供会社に申し込む必要があります。)
オークランドに1泊するのは、乗り継ぎだけが目的です。そのまま、その日の深夜の便で帰国することも可能と
思ったのは、NZに来てからで、日本ではそのことは全く思いも付きませんでした。
しかし、結果的には、やはり一日のんびり出来て良かったと思いました。
そのおかげで、在日NZ人のポールと会うことが出来るかもしれない機会もできました。
彼は、前日日本を発ち、午後にオークランドに着く予定です。
明日のチェックアウトは10:30ですから、その後、荷物を預かってもらうためにオフィス事務所を地図検索し、
探しに行きました。今度は比較的簡単にわかりました。ポールと会う時間と場所をメールで打ち合わせしてる内に、
夕方になってしまいました。もう一度スーパーに行ってお土産を買いました。
こうして、不可思議な一日が終わりました。 でも、街は眠りません。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
12月22日、ニュージーランド最終日
荷物をホテルのオフィスに預け、時々小雨が舞う港を散歩しました。
ヴァイアダクト・ハーバー 海の民NZ人は、多くの人がマリンスポーツを楽しみ、ヨットを持っているとか。
 
 
ウィンヤード・クローシング ヨットが通る時橋が跳ね上がる可動橋
  
                         コンテナは自由に置けるのでしょうか、またその値段は?
  
ウィンヤード・クオーター 雨模様でまだ朝なので客はほとんどいません。 
 
その後ろのビル、ユニークで遠くから目立つ壁です。
 
PALMAN                     War Memoriale Baccon 戦争を記念して作られた街灯
 
ニュージーランド海洋博物館(入りませんでした。)
 
船の形をしたプリンセス桟橋            クイーンズ桟橋
  
昔のブリトマート駅舎
 
コインランドリーは初めて見ました。
 

--------------------------------------------------
港から、オークランド大学に向かったのですが、道に迷いここに迷い込んでしまいました。
エメリー・プレイス保護区というところのようです。マオリの聖地の一つのようです。
 
 
オークランド大学時計台  オークランド大学も広大です。どこまでがキャンパスか市街地かわかりません。
 
アルベルト公園で昼食をとり、休憩しているとキリスト教の勧誘を受け、困りました。
私は、ブッティストだと言うのに、折伏を試み、唯一の創造者神を認めろというのですから。
 

ニュージーランドに帰省中の在日ニュージーランド人のポールとは会えませんでした。二人は、200mほどまで
近づいていたのに、私はもう少し時間が遅いと思って、携帯のメールに気付くのが遅れたからです。
スカイタワーのインターシティのバス停で実に印象的出来事を体験しました。
一人の、中近東系の青年が血相を変えて、待合室に飛び込んできました。真っ先に私に助けを求めてきました。
しかし、私の語学力では、とうてい対処出来ないので断りました。いろんな人に助けを求めましたが、皆断りました。
一人だけ、彼の要請に応えました。どうもトラブルがあって、英語で電話を頼む、と言うことのようでした。
私の目の前で行われたのですが、私にはその話の内容は全くわかりませんでした。
2台の携帯電話を使って、ああだこうだ、でした。話がついたのは30分もたってからでしょうか。
その男性は、買い物に行っていた中学生くらいの息子を迎えに来ていたようでした。
別れ際、私と目が合うと、彼は「やれやれ」と言う顔でにっこりしてくれました。
ニュージーランド人の優しさを象徴する出来事に私には思えました。
------------------------------------------------
空港へのスカイバスはなかなか来ませんでした。その上、シャトルバスで出発点に運び、そこから正規のバスに
乗り換えます。バスは満員で、しかも道路はかなり渋滞していました。時間がない人は定めし焦ったことでしょう。
オークランド国際空港のチェックインも自動で、簡単で日本語で出来ます。
しかし、その後の出国手続きの窓口は二つだけ、ものすごい長蛇の列でした。
一方、ニュージーランドのパスポートを持っている人は、機械化されている窓口が10個位あり、
すごく早く簡単、スピーディです。指紋認証ではなく顔写真の認証だけでした。
7時45分頃には終わりました。搭乗時刻は10時20分ですからまだ2時間もあります。
余ったニュージーランドドルを日本円に両替すると、17000円、11NZ$が余りました。
11NZ$で小腹を満たすには、日本のきつねうどんがぴったりでした。
NZ航空では、1000円で非常口席が指定できます。座席が少し広いこと、トイレが近いので
この席を希望しました。出発はだいぶ遅れました。
現地時間深夜12時、日本時間では夜8時なので体内時計的にはとても良い時間です。
9時半ころ夕食が出ました。私はきつねうどんを食べたので、ウイスキーと赤ワインを寝酒程度にもらって、
11時頃寝ました。熟睡はできませんでしたが、かなり寝ることができました。
機内が少し寒かったのでブランケットをもう一枚要求したのですが、ありませんでした。
明け方、4時半頃電灯がつき、朝食となりました。私は少しだけ食べました。
こうして1ヶ月にわたる私のニュージーランドの旅は終わりました。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~-------------------------
さて、今回の旅の費用です。
今回私は、1100NZ$(96400円)ほどの現金を用意しました。使ったのは、約8万円と言うことです。
NZでは、ほとんどのところでカードが使えます。現金が必要なのは、バスだけくらいかもしれません。
私は、前半ちょっと過ぎまではほとんどカードを使い、途中から現金を使いました。
今回の旅行費用を大雑把でも計算しようと思ったのですが、バス代の資料が残っていません。
私は、今回10回ほど長距離バスを利用しました。
また、カード支払いの明細もまだ届いていませんので、現時点で計算するのは困難です。
見積もり段階では、ホテル代は約33万円、飛行機代は、日本~NZ間が96400+スカイコーチ代8万円、
+NZ国内便が約37000円計約21万円、現地ツアー代が約52000円、保険が約1万円というところです。
================================================
今回の旅に出る前は、持病の痛風も座骨神経痛などを案じていましたが、異常はありませんでした。
15kmほど歩いても筋肉痛・腰痛等もありませんでしたので、少し安堵しました。
長期の外国個人オリジナル旅行は、これが最後になるかもしれないと思っていたのですが、この分では
今しばらくは、無理をしなければ大丈夫ではないかというのが、一番の収穫でした。
次に、私が今回の旅で一番強く感じたのは、ニュージーランド人の優しさでした。
それは日本人の「おもてなし」とは違うもっと心からでる優しさと感じました。
日本の「おもてなし」は、いかにもマニュアルティックで、外形的で商売的な感じを私は感じます。
それに比べ、NZ人の優しさは心からの親切心と感じました。
おそらくそれは、日本とZNの時の流れの違いのように思うのです。
日本の場合は、時間通りきちっとしなければの度合いが強す過ぎるので、余裕がないのです。
おそらくそれは、日本社会では、効率が何よりも優先されているからではないでしょううか。
NZの場合は、例えば、バスの本数は一日1本とか2本と、少ないです。
待機している時間にも余裕があり、バスから降りて観光客に教える余裕が十分あります。
高齢者が重い荷物を持ってバスに乗ろうとすると、ドライバーは席を立って荷物を運ぶのです。
乗客は、降りる時ドライバーに「ありがとう」とほとんどの人が声をかけます。
スーパーのレジも、NZでは、何十人もが文句を言わずに行列を作って待っています。
日本では3人でも並べば「遅い」と怒るのですから、それは信じられない感動的光景でした。
スーパーで、量り売りでトマト1個、ハム100gから、買えるのです。
レジで、私の会計処理がもたついても、キャッシャーも次の客も平然としています。
私も、数々のNZ人にたくさん助けられました。一番は、私がホテルの部屋のカギを忘れたとき、
全く無関係の人がホテルに連絡の電話をかけてくれたことです。
私のバスのチケットがキャンセルされていて、私がバスに乗り遅れた時、私が助けを求めた別のバスの
運転手は、そのバスの運転手に電話し、次のトイレ休憩の所で私が乗れるように手配してくれました。
「英語は上手くありません」と言うとニコっとして、聞き取れるようにゆっくり話してくれます。
しかし、以上のことは、実は現象的であって、本質的根本的には違うところにその訳がありそうです。
マオリ文化は、ハカが有名ですが、それに劣らず彫刻が素晴らしいです。
マオリの人々の、自分たちの歴史、アイデンティティのこの上ない大切な思い、からと私は思います。
イギリス帝国主義はそれらの略奪を試みたと思います。しかし、マオリの人々はそれを許さなかった。
また、他民族とその歴史・文化に尊敬を持たないアメリカ人が来なかったことも幸いでした。
マオリの人々は、マオリ戦争と言われるイギリス王国の侵略と略奪に果敢に抵抗、戦いました。
1840年のワイタンギ条約の評価は分かれるところですが、この条約によって、両者は一先ずの和平を
見ますが、二枚舌のイギリスは、英語の条文を自分たちに都合よく解釈、利用して彼らの権利を軽んじ、
蹂躙しました。また、マオリの人々を取り巻く環境は決して良いものではありませんでした。
言語、就職、土地所有、都市と農村などを巡りマオリの人々は、粘り強い戦いを行ってきました。
私は、旅に出るに当たり、
【ニュージーランドは、世界で初めて女性参政権(1893年)を認めました。
先住民で少数民族(15%)のマオリ語を公用語にしています。
また、同様に手話も公用語です(ちなみに韓国もそうです)。
以上三点でだけでもニュージーランドは世界の尊敬を受けるに値する国と私は思います。】
と、書きました。人口比15%ながら、マオリの人々はマオリ語の公用語を勝ち取りました。
私は、マオリの人々のこうしたアイデンティティの希求と創造、イギリスとの抵抗、戦いの歴史こそが、
ニュージーランド社会の優しさ、少数者や弱者と言われる人々の権利の擁護に結実したのだと確信します。
≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡
ニュージーランドも車社会です。
駐車場は、たくさんあります。路上では、メーターがあって有料のところが多いです。
また、家の前などは、おそらく駐車許可証が発行されて、路上駐車が多いです。
大都市では、信号がほとんどの交差点にあり、時間が短いので、車はスピードを出せません。
信号が黄色に変わると、急ブレーキをかけてでも止まります。
人々は、赤信号でも車が来ないと半数が無視して渡ります。
横断歩道はめったにありませんが、道に迷ってうろうろしているのに、止まります。
ちょっと危険なのは、左折車です。信号に関係なく、左折できるからです。
しかし、郊外では信号はなく、一般道でも、50km、80km、なんと100kmのところもあります。
高速道路もありますが、無料なので料金所はなく、渋滞は皆無です。
自転車は、少数派です。でも、変速ギヤ数が多くすごいスピードで疾走する自転車もいます。
スケボーは、子どもも大人も乗っています。傑作はモーターつきのスケボー、それで坂を上るのです。
ヘルメットは皆かぶっています。私が、歩いていて自転車のライダーをいいなぁと見ていると、
にっこりする人が多いです。おそらく、自転車も歩行もエコなんだという意識ではないでしょうか。
ただ、自転車専用道路は、日本から比べればはるかに多いですが、ヨーロッパと比べるとはるかに少ないです。
バスは、公共交通機関の主役です。鉄道を作っても、乗客数が少ないので採算は取れないでしょうから。
バスの中の改札はなく、乗車する時運転手に名前を告げると、運転手がスマホで名前を確認します。
荷物がないからとこのチェックインをしないで乗ると怒られます。
荷物を終点の方から順に乗せるので、並んでいても関係ありません。
運転手は、おおむね年配者が多いです。旅行者の荷物は多く重いのでその積み卸しは重労働です。
もう完全にリタイアしていると思える女性が「新人研修」の見習いをしていました。
長時間のバス移動もトイレ休憩、ランチ休憩、写真スポットなどかなり頻繁に止まるので心配はありません。
バスの中で飲食は出来ません。
大都市市内は、複雑に路線が走っていて、旅行者には難しいです。
混みあっているバスを私は経験しませんでした。日本の鉄道やバスの満員さを見たら目を回すのではないでしょうか。
バス料金で面白かったのは、カードと現金では料金が違うことでした。
また、カードなのに、乗車する時一々行き先を告げて、レシート=チケットをもらうのです。
--------------------------------------------------
ホテルはロケーションが良いところを選んだので少し高かったが、電子レンジ、冷蔵庫、食器類
があったのがとても良かったです。スーパーで総菜や少し食材を買えば良いからです。
歯ブラシ、ひげそりはありません。
大きいホテル以外は、レセプションは常時開いていません。何かトラブルがあった時は不便でしょう。
ウォシュレットがないのが一番不便でした。シャワーで洗うのは面倒で不便でした。
公衆トイレは、かなりありました。大きなバスターミナルにも無料のトイレがありました。
また、大型スーパーも便利でした。ミニコンビニは使いませんでした。
さて、旅の時PCはいつも持って行きますが、今回はスマホかタブレットが欲しいと思いました。
日本でも持っていないので、外国でだけ持っても上手くは使えないと思いますが、地図検索、
翻訳、バスなどの時刻表検索は便利で必要と思いました。
テレビは、時間も無く面白くないので見ませんでした。NHKの海外放送はありませんでした。
日本食ブームは、かなり広がっていました。寿司屋、日本食堂はどの街にもかなりありました。
外国人も箸を使うのを楽しんでいるようでした。
私は、海外で寿司やラーメンを食べたいとは思いませんが、値段は決して高くはありませんでした。
最後に、今年は、日本の地方を少し歩き、お寺を巡りたいと思っています。  【ニュージーランドの旅終わり】

ニュージーランドの旅。総集編・モエラキ・ボルダー、ダニーデン/ボルドウィン・ストリート

2018年01月05日 | 2017ニュージーランド旅行

モエラキ・ボルダー

ボルドウィン・ストリート

12月20日
ダニーデンへのバスのピックアップは8:15。ホテルの朝食は、質素なので前日スーパーでサンドイッチや
果物やサラダ材料買ってきて作り、朝食を静かに済ませ、外に出るとやはり寒いです。
股引をはき、長袖Tシャツにレインコートを着ました。
12人乗りの小さな車で、後ろに荷物を載せるコンテナ車を牽引します。
あちこち回ってピックアップし、また宅配の様に荷物も預かり運ぶようです。片道30$往復50$でした。
総勢10人でした。インターシティのバスは、昼と夜の2本しかありません。
このバスは、大きな病院のあるダニーデンに午前中に行きたい人などが利用するようでした。
観光客は、私だけで、途中のモエラキ・ボルダーで降り、見たのも私だけでした。
時間もたった5分です。いわばトイレ休憩です。ボルダーとは、丸い石という意味らしいです。
オアマルに1泊したのは、たただこの海岸の不思議な岩を見るためです。
 
 
 
ボールをひっくり返したように丸い岩です。何十とあるわけではありません。成長過程の小さいものもありました。
インターシティのバスは、ここでトイレ休憩するのでしょうか。そうなら、オアマルに泊まらなくても良いかも
しれませんが、それはわかりません。この景色を見るためだけに、オアマルに泊まる価値があるかの判断は、
人様々かもしれません。私は良かったと思っています。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
ここから、ダニーデン
このバスは、なんと、わたしの泊まるホテルの前で降ろしてくれました。10:30過ぎでした。
ホテルは、まさにモーテルで、レセプションは留守でしたが、先日のメールで鍵がドアにかかっているので入って、
荷物を置いて良いとありました。でも、部屋は広く、設備は申し分ありません。
 
 
昼ご飯は用意してきましたが、夕飯と明日の朝食の食材を市の中心のスーパーにまず買いに行きました。
そして、部屋でお昼を食べて、真っ先にダニーデンの目的である、ボルドウィン・ストリートに向かいました。
途中の風景
 
 
ボルドウィン・ストリート この坂、ギネスブックに登録されている世界でもっともきつい坂道と言われています。
私は、テレビでこの坂の存在を知って、是非行きたいと思ったのです。
市の中心のオクタゴンと言う所のバススタンド2からバスが出るとのことですが、どこにもこのスタンド2なる表示は
ありません。バスが止まっていたので運転手に聞くと、そこはスタンド3でした。運転手は、わざわざバスから降りて
右に行って曲がった後ろだと教えてくれました。
#8のバスでNormanby行きでした。運転手に、ボールドウィンストリートに来たら教えてと頼んだのに彼は忘れて
しまいました。しばらく行って終点でした。私は通りの名前が見えたのでOKと言って歩いて戻りました。3.4$でした。
 
 
私も一枚撮ってもらいました。
 
長さは、確かに100m程ですが、きつかったです。階段の所は不思議とつらくないです。
どうってことのないただの坂ですが、話の種としておもしろいものです。
上からの景色
 
一番上にベンチがあります。その脇に、一番速く上った人の名前などが記されていました。この上にも家があります。
 
坂の上に、住宅があります。さて、高い方が高級なのでしょうか、おそらくそうでしょうね。移動は車でしょうか?
 
走っている人もいました。もっとも登りではなく、下りでしたが…。
 
息が出来ないほど辛くはないけど、こうした馬鹿げたことを共有すると、人と人の距離はとても近くなり、
興奮気に「面白いね」とか「最も急だ」、「クレイジー」などとにっこりしながら言葉を交わし合うのも面白いです。
帰りは、バスの運転手にオタゴ大学近くで降ろしてと頼んだのに彼も忘れて知らせてくれませんでした。
オクタゴンまで行って、戻りました。
ノックス教会
 
 
オタゴ博物館 無料です。ここもマオリコーナーの彫刻が素敵でした。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
外には、モエラキ・ボルダーの岩がありました。

-------------------------------------------------
オタゴ大学のキャンパスも広く、校舎はいくつにも分かれているので、そのうちの一つです。
 
ダニーデン駅 昔はやはりずいぶんと栄えたようです。
 
                          裁判所は工事中でした。
 
HMオールドPRISONとありました。現在は商業施設のようです。   オタゴ入植者博物館
 
オタゴ入植者博物館正面から ここも無料です。
 
 
 
                         全面人物の肖像写真です。
 
 
ファースト教会は工事中でした。            市の中心・オクタゴン
 
ダニーデン市立美術館 ここも無料です。
 
 
 
 
 
伊藤若冲の作品がありました。

私は、うれしくなって、警備中のスタッフに、彼は今日本でも大人気です、などとお話ししました。
オクタゴン広場のRobert Lord像           市議会議事堂
 
セントポール大聖堂
 
                         セントポール大聖堂の鐘
 
未来劇場とありました。               この急な坂の先遠くに、オタゴ男子高校校舎
 
カジノ                      ニュージーランドの有名なチョコレート会社            
 
 
 
この他にもダニーデンの街には、魅力的な壁画がいくつかありました。ダニーデン駅舎2階にあるスポーツの殿堂
スポーツ・ホール・オブ・フェームは忘れて行けませんでした。
ホテルに戻ってもレセプションに人はいません。私は、マネージャーに明日早いと電話を掛けました。
後で行くという返事でしたがとうとうこの日は来ませんでした。
ダニーデンは、ボルドウィンの坂だけでなく、望外におもしろかったです。
ちなみに、ダニーデンの名の由来は、スコットランドからの移民が開いた街で、「ダン・エデン」(エデンの城)だ
そうです。また、オタゴ大学は、NZで最初に設立された大学で、今でも若者が多いそうです。 
明日は、飛行機でオークランドです。             【12月20日終わり】

ニュージーランドの旅。総集編・オアマル

2018年01月04日 | 2017ニュージーランド旅行

オアマルの町並み
12月19日  
7:45発のバスで、オアマルに向かいました。
オアマルとダニーデン訪問は、ちょっとマニアックです。
オアマルとダニーデンの間に、海岸にある奇岩のモエラキ・ボルダーとダニーデンの世界一急な坂=
ボルドウィン・ストリートに行き、歩くのが私の興味だからです。
バスに乗る時、荷物がないからとチェックインしないで乗ってしまうと怒られます。
チェックインが日本式改札に当たります。チケットを見せる必要はありません。名前だけでOKです。
オアマルのアクセントが、ルーにあるので私の発音をドライバイーは聞き取れませんでした。
私は、かなり後から乗ったのですが、やはりドライバーの後ろの席が空いていました。85%ほどの乗車率で、
最後は100%になり、私の隣はかなりの年配の女性が座りました。ダニーデンの先に住んでいて、
息子のところに行って帰りだと言います。私が、英語はよくわからないというと、時々大きい川だとか、
ニュージーランドの特有の木だとか、オアマルではランチ休憩があるなどガイドをするのでした。
途中のティマルの町のトイレ            長距離バス停は、旧鉄道駅の近くでした。
 
 
今は、一部が中華レストランになっていました。
オアマル11:45予定通り着きました。予想していたより大きい町でした。
港が整備された19世紀後半、冷凍技術とこの地の特産品・良質な石灰岩で繁栄したそうです。
特に、良質な石灰岩の運搬のため、鉄道が作られたそうです。冷たい強い海風が吹き、時々雨です。
ホテルは、歩いて10分くらいでしたが、すぐわかりました。これが私の泊まるホテル、見事な歴史建造物です。

でも、入口の扉はしまったまま、隣の店で聞くと、案内してくれました。脇に看板もないドアがありました。
ホテル経営が本業ではなく、一階はバー・カフェで、普通のホテルのレセプションがありませんでした。
私は、荷物を預けたいと言うと、良いですよと言います。
寒いのでレインコートを出そうとすると、チェックインは1:00だけど部屋に荷物を入れていいと言います。
部屋は、3.5畳ほどでとても狭いです。ベッドと小さい引き出しがあるだけです。トイレ、シャワー、台所、
食堂は供用です。朝食は無料だそうです。
 
 
廊下です。奥が私の部屋です。
ホテル前の通り、昔は倉庫街だったようです。

すごいオブジェのスチームパンクビル(レストラン)    横から見たところ
  
セント・ルークス英国国教会
 
旧郵便局(時計台)         オタゴ博物館、ここも無料ですが、展示室はすごく狭く展示物もわずかです。
   
オタゴ地区裁判所(閉鎖中です。)            オペラハウス
 
コミュティハウス                 アートギャラリー、無料ですが、狭く作品数も少ないです。
 
 
  
                         普通の会社のオフィスでした。
 
現在の郵便局                  図書館
 
  
セント・パトリック教会
 
 
日本の寿司屋                   リサイクルショップ
 
ホテルに戻ってチェックインしました。かつての倉庫街、かつて列車の車庫や操車場だったのでしょう。
 
今は、子どものスペース・遊び場になっています。
 
 
パブリック・ガーデンに行きました。         日光の神橋を真似た橋だそうです。
 
ここは、少し高台にあります。オアマルは海の町です。

iSITE
 
以外に広いと冒頭に書きましたが、実際に歩くと狭いです。急な坂の上は、新市街地で高級地なのでしょう。
オアマルは、ペンギンのコロニーで有名だそうですが、ペンギンがコロニーに帰るのは夕方、その頃から始まる
ツアーが人気だそうです。私は興味がないのでパスです。
オアマルに歴史的建造物があるのは、ここの特産品・「オアマルストーン」という石灰岩が建材として優れ、
この産出が一大産業へ発展したからだそうです。
ホテルは、歩くと床がきしみ音のする古い建物で、部屋は3.5畳にベッドだけ、バス・トイレ、キッチン・食堂も
共用でしたが、昔の宿とはこんな感じだったのだろうと楽しみました。バスローブがありました。
一階バーとホテルのオーナーの女性ボスも女性スタッフも親切でした。明日、朝早いというと、わざわざ
入り口のドアまで来て、ドアを締めて、郵便ポストから鍵を入れ落としてくれ、と実演してくれました。
-----------------------------------------------
次の問題は、明日のホテルからのメールで、カード決済が拒否されていると言うのです。
予約しているのは明日なのですから、おかしい話です。その旨、早速メールしたのですが、返信はありません。
おそらく先方の勘違いか、チェックイン時間や部屋番号のお知らせのメールではないかと思います。
ダニーデンは、予想していたよりは大きく、しかも坂の街で、到着バス停とホテルまではどうも1.5kmほどありそう、
坂の町なので、タクシーかなと思いました。問題は、その翌日は、ダニーデン空港からオークランド空港へ戻ります。
ダニーデン空港は、市内から距離があり、タクシーでは高すぎます。シャトルバスがあるらしいのですが、
大都市の普通の空港シャトルバスではなく、申し込みが必要らしいのです。予約していなかったので、試みました。
このネットでの申し込みにも時間と労力が必要とされました。
飛行機は10時発なのですが、ホテル近くのピックアップ場所の時間は何と7:10と指定されました。
明日は、モエラキ・ボルダーを経由して、ダニーデンです。【12月19日終わり】


ニュージーランドの旅。総集編・クライストチャーチ/クエイク・シティ、フェリミー歴史公園、アート・ギャラリー

2018年01月04日 | 2017ニュージーランド旅行

クエイク・シティ
12月18日
午前中、フェリミード歴史公園に行きました。

クライストチャーチセントラルから南西に約10kmほど行ったところにあります。

この公園は、エイボン川の広大な三角州に広がる40haに及ぶ広大なフェリミード公園の一角にあります。
天気予報は、前日の真夏から、気温17度、小雨がぱらつくかも、でした。冷たい風が吹いて、時々パラパラしました。
しかし私は、特別厚着はしないで、長袖Tシャツと靴下を履いてサンダルでした。
「地球の歩き方」のここへのアクセスは説明は、不正確で分かりづらいです。
公園入口近くに行くバスは直通がなく、本数が少ないのです。セントラルステーションから#80のバスで
Eastgate Shopping Mallに行き、そこで#525に乗り換えなければなりません。
バス代は乗り換えても一区域料金の4$です。
#80も#535も本数が少ないので、PラインバスでEastgete Shopping Mallに行き、そこから歩いたほうが
はるかにわかりやすいです。公園入口まで15分、歴史公園まで更に10分ほど歩きますが。
Eastgate、Ferrymeadの名が付くバス停は複数あるので、運転手としても教えづらいと思います。
それでも、ドライバーはみな親切で丁寧です。バスを降りて、#535のバスまで案内してくれました。
この地は、1863年にニュージーランドで初めて公営鉄道の線路が敷かれた歴史的地だそうです。
 
 
 
19~20世紀前半の街並みを再現しています。
普通の博物館では古いものを部分部分で見ますが、ここは実物の街を見、歩いている感じです。
鉄道車両や、古い自動車なども展示されて、乗り物ファンにはたまらない魅力だと思います。
とてもユニークな歴史公園なのにほとんど知られていないのは、アクセスが非常に悪いからでしょう。
私は、鉄道マニアではありませんが、十分に楽しみました。
第一日曜日には、実際に走る蒸気機関車に乗ることができるそうです。
私は、11時頃着いたのですが、客は私一人で、ちょっと不気味でした。入場料は10$でした。
入り口                       教会
 
                          山小屋
 
 
トイレ
 
学校                        印刷所
 
留置場 うめき声がします。
 
床屋                        パン屋
 
映画館                       雑貨屋
 
郵便局
 
 
消防署                       ホール
 

 
ガレージ                       鍛冶屋
 
Butter Chure
 
  
 
コロニアル小屋                   遊び場
 
Tram Barm                     半鐘
 
植物園
 
駅                        
 
Rural History
 
 
 
 
お弁当を作って行ったのでゆっくり食べました。こんな面白い施設なのに人気が無くちょっと残念です。
帰りは、ショッピングモールバス停まで歩いて、セントラル直通のPラインで帰りました。
ハグレー公園手前にあった聖ミカエル教会・スクールは地震で無くなっていました。
エイボン川のボート小屋               バンティングと呼ばれる舟遊び
 
 
この校舎もカンタベリー大学です。
 
  
iSITE                        一部ギャラリーになっています。 
 
クライストチャーチ・アート・ギャラリー

2017年新装オープンしたそうです。無料です。豪華で、広くきれいですが、作品数は多くはありません。
 
 
 
 
 

 
                         水中でのハカのパフォーマンス映像
 
本棚の本は写真です。
 
 
 
-------------------------------------------------
 
                       クライスト単科大学、は地震の被害が少なかったようです。 
 


 
 
 
  構内は、自由に見学できます。
Quake City Exhibition、シニアは16$でした。    右は、リニューアルされる前のものと思います。
  
展示品は多くはありませんが、破壊された施設や断層の写真など興味深い写真がありました。
 
 
 
 
                          クライストチャーチ大聖堂のものです。
 
 
ジョン・レノンこのタイトルの歌があります。
 
 
 
 
 
私が、一番気に入った写真です。  立ちすくんで、涙を浮かべる人々がたくさんいました。
 
ビデオの上映などもあります。クライストチャーチの最後に、ここを訪れることができました。
クライストチャーチの復興は、まだ道半ば、町中で工事が行われていました。
日本なら、壊れた跡地に新たな施設を作りますが、NZは広いためでしょう、とりあえず仮設の施設を作り、
本格的施設は、別のところに作っているように感じました。
傷んだ建物の壁にたくさんの絵やイラストが描かれ、街角にはいろんなモニュメントが作られていました。
 
最後に、クライストチャート大聖堂とカードボード大聖堂を再掲してクライストチャーチを終えましょう。



明日は、早朝からダニーデンに移動です。            【12月18日終わり】

ニュージーランドの旅。総集編・クライストチャーチ/カンタベリー博物館、ボタニック・ガーデン

2018年01月03日 | 2017ニュージーランド旅行

カンタベリー博物館 
12月17日
ホテルを出る時、昼寝をしたいのでハウスキーピングを早めにして欲しいと言うと、日曜は休みと言うことでした。
午前中は、市センターの南側を歩きました。
カトリックキャセイドルは壊れ、立ち入り禁止です。   正面から
 
かつての写真です。                 併設するカトリックハウス
 
地震の爪痕
 
 
 
地震で崩壊した後、更地となり手つかずになっているところ
 
スケートボードパークで遊ぶ人々
  
 
図書館                      Boxed Quater(コンテナ風ショップ)
 
公園のトイレです。                 時計塔
 
路上図書館
 
墓地
 
消防署
 
民家(歴史的建造物)
   
おそらく地震前のファミリーグランド公園(昨日の児童公園)
  
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  
日本食ファストフード店で、お弁当を買おうとしましたが、早くも売り切れでした。
仕方なく、唐揚げ焼きそばを買いました。ホテルに戻って昼食の後、初めて昼寝をしました。
クイーンズタウンやマウントクックは、夏とは思えないほどで、うすら寒い感じです。
テカポもそうでしたが、クライストチャーチは、日本の初夏のよう、天気予報では29度でした。
日差しが強いので、長袖です。涼しくかなり強い風が時々吹くので、汗だくと言う感じではありません。
昼寝はいいものです。小一時間寝て、午後2時ホテルをすっきりしてを出たのに、方向を間違え15分もうろうろしました。
エイボン川 橋の先が追憶の門です。市の中心を蛇行して流れる岸辺はこんな感じです。
 
カンタベリー大学 中に自由に入れます。多くの歴史的建物が被害を免れたようです。  


 
中庭に建つモニュメント               講堂でしょうか、グレイトホール 
  
 
それでも、工事中のカンタベリー大学校舎 あちこちで、補強工事、修理が行われていました。
 
-------------------------------------------------
カンタベリー博物館 無料です。
 
マオリコーナーはため息が出る美しさです。写真は、ほんの一部です。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
………………………………………………………………………………………………………………………………………
偉大な50人の写真家のコーナーも素晴らしかったのですが、写真は撮りませんでした。
  
アジアコーナーは貧弱です。日本関係は、仏像と焼き物と浮世絵と侍の像でした。
 
 
  
                         ゴミで出来た作品もおもしろいです。
 
-------------------------------------------------
ハグレー公園 ボタニックガーデン

カンタベリー博物館、カンタベリー大学に隣接する広大な公園で、165ha、日比谷公園の15倍の大きさだそうです。
 
 
このポンプを回すと噴水が出、人の顔が回ります。
 
ヨガをする男性                   着ぐるみの人
 
この大きい球は何なのでしょう?          アジサイでしょうか?
 
棒を持って踊る人々
 
ここからニュージーランドガーデン
 
 
  
 
 
                         飛び込み台のようなモニュメント(NZガーデンを出ました。)
 
温室もありましたが、写真は撮りませんでした。
こんなエキシビションも
  
地震復興事業として各国から送られた街灯 中国、シドニー、日本も贈った様です。
 
シドニーから贈られたもの             これはレストランの広告
 
英国国教会(閉まっていました。)           時計塔
  
カジノ                      この建物は?です。
 
お店の広告
 
 
かつてここでイベントが行われたようです。 
  
ここでもかつてイベントが行われたようです。     この建物も?です。
 
メソジスト教会は全壊したようです。         地方裁判所 
 
Quake City Exhibition(今日は遅くなり、疲れてきたので入りませんでした。)  シェアサイクルもあるようです。
 
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
街を歩いていて、壁に書かれた絵は、心が和みます。   私が泊まったホテルの壁
 
 
 
 
 
 
  
【12月17日終わり】

ニュージーランドの旅。総集編・再度クライストチャーチへ/テカポ湖、そしてクライストチャーチ市内

2018年01月03日 | 2017ニュージーランド旅行

善き羊飼いの教会、(1935年)

12月16日 
朝6時頃目が覚めました。外を見ると朝焼けでした。
 
クライストチャーチのバスは12:50です。
テカポの町は、狭く観光スポットも無いので、時間をつぶすのも一苦労です。9:30にチェックアウトし、アース&
スカイ社のオフィスに向かいました。1.2kmほどですが、途中砂利道なので結構大変です。スーツケースをショルダー
出来るヒモを持って来て正解でした。アース&スカイ社のオフィスがバスまで荷物を預かってくれました。
町の様子 iCITE
 
サーモン丼は有名です。               消防署
 
                         バウンダリー犬の像
 
開拓時代、牧場の柵はまだ作る暇が無く、境界線(バウンダリー)を守った犬たちの活躍に感謝して1968年
この像が造られたそうです。
遠くにマウント・ジョン天文台が見えました。
 
 
ルピナスの花も旬を過ぎたようです。
 
 
かつての橋脚跡                      
 
最新式のトイレでした。昨夜遅かったので、無理をしないで湖畔の木陰でのんびりしました。

12時半にアース&スカイ社で荷物を受け取りバスでクライストチャーチに向かいました。ほぼ満席でした。
途中、数カ所で休憩しました。
 

--------------------------------------------------
クライストチャーチの到着バス停は、バスセンターではなく、市センターからちょっと離れた所で、少し
あわてましたが、クライストチャーチと一度来ているし、大聖堂を聞けば大丈夫なので安心でした。
私は、すぐ聞き、迷わずホテルに着きました。
前の部屋より良いです。荷物を置いて、夕飯の買い物と散歩程度に出かけました。窓から外を見ると、
 
 
壁画を撮りました。
 
 
 
 
 
再建された児童公園、とても工夫された素敵な公園でした。
  
 
 
 
子どもの遊園地・ファミリープレイグラウンドはとても良くできています。地面は、転んでも痛くなくけがしないように
工夫された緩衝剤の床でした。噴水も自動ではなく、ポンプを自分たちで回します。
 
 
左:クライストチャーチギャラリー、右:The Piano Center for Music and the Arts      市議会
 
  
地震で傷ついてそのままの建物、補強工事で持ちこたえている建物、完全に壊れ更地となり、リストラクチャー
の工事が行われるなど、様々な風景です。
 
 
【12月16日終わり】
                      

ニュージーランドの旅。総集編・マウントクック/レッド・ターンズ・トラック、テカポ湖・星空ツアー

2018年01月02日 | 2017ニュージーランド旅行

12月15日 目を覚ますと、マウントクックが朝焼けでした。   ハーミテージホテルの標高
 
しばらくすると、雲に覆われました。
チェックアウトは10時ですので、8時からゆっくりたっぷり朝食を食べました。
チェックアウトの延長は、1時間20$なので止めました。
9時半にチェックアウトしました。ドアの前に荷物を出しておけば、バスまで運んでくれるとのことですが、
そうすると出発前に荷物の詰め替えが出来ないので、レセプションに預けることにしました。
チェックインするとき丁寧に対応してくれた、フィジー出身Seokula さんでしたので、とても助かりました。
ホテルに隣接する『サー・エドモンド・ヒラリー・アルパイン・センター』を少し覗こうかと思ったのですが、
なんと有料で20$もするので止めました。
テカポ湖行きのバスは、14:30ですから、それまでは時間をつぶす必要があります。
午前中は、レッド・ターンズ・トラックに行くことにしました。往復2時間ですが、ガイドブックによると、
行きはかなりきつい上りの連続というので少し、躊躇したのですが、トライすることにしました。
クック山を背にして、反対側に歩きます。
VisterCenter これは立派で、ミニミニ博物館でした。しばらく見学し出かけました。
 
 
 
 
 
トラックの入り口、10:15でした。しばらく平坦な道を行くと、小川にかかる橋です。
 
橋を渡ると、急斜面と階段の道になりました。途中疲れ、振り返ると
 
しばらく行って振り返ると、眼下にクック村が一望できました。

ゆっくりした足取りです。ちょっと歩いてすぐ休憩を繰り返しながら、上りました。
 
曇りで、少し冷たく強い風が吹いています。今日は、手袋を持ってきました。体は熱く汗が出てきたので
一枚脱ぎ、一枚脱ぎでしたが、手は冷たいから。正解でした、でした。
ずいぶんと休み休みゆっくり上ったのですが10:45には着きました。
頂上の先に、赤い小さな池があります。このトラックの由来で、ターンとは小さな池の意味らしいです。
水の色が赤いのではなく、赤い植物が茂っているためです。


  
         右は、クック山にもあった案内板です。板に書かれた名前に合わせると、その先がその場所です。 
 
脇に小さい池もありました。
 
11:00には、そこを後にして、降りました。
上ったのは、真ん中の山のようです。
 
このトラックで出会ったのは15人ほどでした。きつい登り坂と階段に二の足を踏むのはわかります。
11:35に下に着きました。まだ、時間がたっぷりあるのでガバナーズ・ブッシュ・ウォークに入りました。
 
まさにブッシュで、所々に植物を紹介するプレートが置かれていました。
 
行きは緩やかな上り、帰りは緩やかな下りでした。ずっと日陰です。もっとも陽は差していませんが。
ここも45分の予定と書かれていますが、ゆっくり歩いたのに30分で終わりました。
12:15にはホテルに戻り、食堂で昼食を取りました。
アルパインセンターは、なんと20$、止めました。これは、エドモンド・ヒラリーさんが泣きます。

預けていた荷物を引き取り、パソコン作業をロビーでしました。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
14:25発のバスでテカポに向かいました。バスは混んではいましたが、満席ではありませんでした。
クイーンズタウン発マウントクック・テカポ経由クライストチャーチは確か一日1本です。
時折、小雨がぱらついてくる最悪さです。今晩は、星空ツアーを予約しているからです。
日本語を話す添乗員が乗っていました。
ドライバーが英語で観光案内をし、日本語音声ガイダンスが付きます。私は、短時間ですので借りませんでした。
途中の景色は、これまでとはちょっと違って大草原と言う感じですが、写真はバスの中からはうまく撮れませんでした。
15:40テカポ着 バス停前に、スーパーがあり、その前にアース&スカイのオフィスがあります。
星空ツアーは、天候問題等があるので催行するか、ツアー開始時間は何時からなど事前にオフィスに立ち寄って、
直接確認することが求められています。
このままでは星は見えませんので、マウント・ジョン天文台を訪れ、スライドショウなどを見ることになりそうです。
ピックアップ時間は、夜の9:50ホテルレセプション前となりました。
申し込み時は、ピックアップ場所がオフィス前でしたので良かったです。
ところが、今晩泊まるホテルは、ロッジ風で、車使用者が使うモーテルで、バス停からかなり離れているのでした。
その間1kmほどで、急坂を上った所にレセプションがあります。
私が、車でないのに驚いた表情でした。私が安上がりで健康にも良いというと笑っていました。
ロッジはそこからさらに徒歩5分の所、私は一番入り口でしたが重いスーツケースを引っ張ってかなり大変でした。
オークランド、クイーンズタウンも急坂でした。
 
 
 
ワンルームの一戸建てです。結構広く、大きなダブルベッドと2段ベッドがあり、四人で使えば割安でしょう。
冷蔵庫、電子レンジ、食器などがそろっています。
キャンピングカーで来た人は、ロッジを使わず、供用のシャワー、トイレやキッチンを使えます。
大型スーパーがバス停にあるので、食材を買い、キャンピングカーで寝るスタイルも人気があるようです。
キャンプする人は、シャワーは10分2ドル、Wifiは1週間で2$です。
ニュージーランドは水道水を飲むことができるのでとてもいいです。
ホテルには、電気ポットや電子レンジがあるので温かい飲み物も不自由しません。
かなり人気で、にぎわっています。
部屋からの景色は素敵です。晴れていれば、部屋の中から満天の星を楽しめそうです。

スーパーで、夜の総菜と明日の朝食を買ってきました。早めの夕食をいただきました。
宣告までの雨模様が嘘のように晴れ、夕日もきれいでした。
 
 
テカポの町は、とても小さい町で、人口も450人ほど、しかしそのうち50人が日本人だそうです。
テカポは、晴天率が高く、「ダークスカイ・レザーブ(星空保護区)」に指定され、星空の世界遺産登録を目指しているそうです。
外灯も、出来るだけ押さえ、しかも下を向いています。テカポの天気はめまぐるしく変わるそうです。
人気が高まるにつれて、ホテルや観光施設の建築ラッシュも増し、環境と経済の矛盾が進行しているようです。
特に、自動車の夜間通行は大きな問題になって来つつあるようです。
--------------------------------------------------
星空ツアー
テカポ在住日本人の小澤さんが作った「アース&スカイ」社が行うツアーです。150$と少し高いです。
夜9:50ピックアップ、まだ明るいです。この時、また少し雨が降っていました。その後3ヶ所のホテル回って、
総勢20名弱の皆日本人でした。一度オフィスに戻り、しばらく待機し、山頂の天文台からの電話を待ちます。
山頂は雲が多いが晴れ間があるので催行が決まりました。
希望者には、分厚いダウンのコートが貸与され、足下を照らす赤いランプが手渡されました。これはお土産です。
大型バスで、山頂に向かいます。天文台に近づくと、車のヘッドランプも消されました。
山頂に着くと、雲間が見る見る晴れ、50%ほどになり、少しずつ星々が見えて来ました。
その後、どんどん晴れ間が広がり70%程になったのではないでしょうか。
レザー光線を使って、星座などの説明が行われました。
偽南十字星や、真の南十字星やオリオン星座などくっきりと見えました。
色々星座の説明が行われたのですが、私は星座名には興味がないので全く覚えていません。
天体望遠鏡でいくつかの星座を見せてもらいましたが、私には余り興味が湧きませんでした。
中程で、ホットココアが出されました。天の川やマゼラン星雲なども見えました。
最後に、天文台に入りました。

私は、再三写真撮影をしましたが、ほとんど使い物にならないので廃棄しました。
最後に記念撮影が行われました。15秒か30秒ほど身動きしません。帰国後、無料でダウンロードできます。

ホテルに帰ったのは12時半頃だったと思います。また小雨でした。寒さは余り感じませんでした。
遅いので、シャワーはしないでウイスキーを少し寝酒に飲んで休みました。
私がこれまで星空で一番感動したのは、ピースボートで訪れた、ベネズエラのギアナ高地でした。
まさに満点の星とはよく言ったもので、天の川がカラーの川でした。
今回の、星空ツアーは、残念ながらそれにははるかに及びませんでしたが、昼、そして出発時には
小雨がパラついていたのですから、良し、です。 明日は、クライストチャーチへ移動です。 【12月15日終わり】

ニュージーランドの旅。総集編・マウントクック/フッカー・バレー・トラック

2018年01月02日 | 2017ニュージーランド旅行

12月14日
「待てば海路の日よりあり」と言います、今朝は早朝から晴れでした。
今日はフッカー・バレー・トラックのウォーキングを楽しみます。
一番ポピュラーで人気がある厳しくなく、特に良いのは、進む先にマウントクックがいつも見えることです。
朝の風景
 
 
7時に朝食をゆっくりたっぷりいただき、8時半にホテルを出ました。

マウントクックに向かって、細い1本の道がつながっています。
KeaPointoとの岐路 ホテルから20分、右に行くとフッカー・バレーです。 振り返るとホテルが見えます。
 
駐車場、シェルター(トイレ、キャンプ用の炊事場などがあります。)
 
ここまでは舗装されている道路もありますが、小道が整備され、このキャンプ駐車場に合流します。
Freda's Rock(1910年女性で初めてこのルートを開拓し写真を撮りました。) AlpineMemorial(ケルン)
 
                           Mueller Lake 9:25
 
第一の吊り橋(LowerHobs)


 
第二の吊り橋(Blulf) 9:50
 
 
途中に簡易緊急トイレが二つありました。       案内板(動かすと山の名前がわかります。)
 
第三の吊り橋(upper)10:25

ここから、最後の点までは徒歩5分です。10:30に到着




 
 
こんな小さい時から山に親しんでいるんです。   10:50出発
行きは、手袋が欲しくなるほど冷たい風でした。少し寒かったです。
遠くに見えるのは、ミューラー湖でしょうか。

                         吊り橋の下の私の陰
 
 
振り返ると

キャンプ駐車場に帰り着いたとき、12時頃でした。日差しがじりじり、今日は傘を差しました。大正解でした。
ところが、ここで私は、ミスをしました。
 
KeaPointに行くつもりが、が、Sealy Tarms Track の方に行ってしまったのです。
後15分、そこでランチにしようと思ったのですが、一向に着きません。すごい坂と階段になりました。
ここで道を間違えたと気づき少し行ったところで、ランチを食べ戻りました。
年寄りの爺さんが傘を差してサンドイッチを食べているので、不思議がって声を掛けてくれました。
後で調べたら、このコースは最も険しいコースでした。でも、赤ん坊をおんぶした若い夫婦も二組いました。
気を取り直して、15分のKeaPointへ向かいました。
湖を前に、セフトン山の氷河とマウントクックが見える絶景ポイントでした。
 

時々、氷河が崩れる音がしました。ベンチで隣に座っている初老の夫婦は英語ではありませんでした。
すいませんが、ドイツですかと聞くとそうでした。少しお話ししました。

すれ違った人と、マウントクックが、「人の顔に見えるね」と言い合いました。

ホテルに戻って、洗濯でもしようと思ったのに清掃が終わっていません。
ロビーで写真をパソコンに取り込み編集していたら、眠ってしまい、編集がボツになってしまいました。
4時になったので部屋に戻ったのですがまだ清掃が終わっていませんでした。
夕焼けのマウントクックでした。



マウントクックとつきあった一日でした。明日午前中はここで、その後、バスでテカポに向かいます。
【12月14日終わり】                                    

ニュージーランドの旅。総集編・マウントクックへ移動/マウントクック

2018年01月01日 | 2017ニュージーランド旅行

12月12日
クイーンズタウンからマウントクックへ移動。今日は大変な一日でした。
クイーンズタウンの長距離バス発着ターミナルには、7:10に着きました。
しかし、予約していた7:30発のバスが来ません。 来るバス来るバスに予約券を見せたのですが、違うというのです。
何かの事情で遅れているのだろうと思っていました。とうとう7:30を過ぎたので待機しているドライバーに
聞いて見ると、バスはもう出発したというのです。
私は、彼に、乗り遅れたのでバス会社に電話してくれますかと聞くと、彼は親切にも電話してくれました。
すると、何と私の予約はキャンセルされているというのです。
何か方法を教えてくださいと彼に頼むと、電話してくれ、次のトイレ休憩のところで合流できるかもしれないと、
言うのです。そして発車直前のクライストチャー行きのドライバーに乗せていってくれと頼んでくれました。
このバス、たまたま席が2つ空いていたので乗ることが出来ましたが、満席ならタクシーを使うしかありません。
30分後、見事に合流できました。このバスは、席が三席空いていたので乗ることが出来ました。
インターシティの系列のGreatSightsと言うバス会社で、日本人の添乗員が乗っていました。
彼女が言うには、私の名前は載っていないし、これ以降の私の予約は全てキャンセルされていると、言います。
私は、4月頃からホテルやバスを予約していて、いずれもキャンセルしたことはありません。
途中から、二人乗ったので、残っていた一つの座席だけです。ラッキーと言うほかありません。
私は、余裕も出来て、その添乗員さんにマウントクックを背景に写真を撮ってもらいました。

マウントクックへは12:15着予定でしたが、着いたのは1時でした。
マウントクックは、Hermitageという豪華ホテルに3泊します。
1泊2万円以上もする上に、朝食はバッフェ式で30$、インターネットは1日5$、しかも、ADSL並みの遅さなのです。
近くに、スーパーなどなく、食事はすべてこの高い施設を利用しなければなりません。
チェックインは直ぐ出来ました。  ホテルに隣接するサー・エドモンド・ヒラリー・アウパイン・センター     
 
ヒラリーさんの銅像
 
私は、部屋にも入らず、ホテル内のアクティビティディスクの所にまず向かいました。
キャンセルされているバスの予約をしなければなりません。そこには、日本人スタッフがいました。
私は、事情を話し、私のバスの予約がキャンセルされているかを電話で問い合わせてほしいと頼みました。
彼女は、連絡を取ってくれました。なんと、残りの3枚の予約はキャンセルされていませんでした。
大安堵して、ホテルのレセプションに戻り、朝食や夕食の予約などをしました。
 
 
部屋は、広く、テラスもあり、バスタブもありました。冷蔵庫はありますが、電子レンジや洗濯機はありません。
私は、持参したサンドイッチなどで昼食を取り、PCでメールの確認や送信などをした後、
ホテル周辺を少し散策しました。明日以降時間があるので、すぐ部屋に戻り、日記やブログを作成しました。
なぜ私のバスの予約がキャンセルされたか、調査はしませんでした。
眼前の景色は、雄大です。
 
【12月12日終わり】

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~



12月13日
今日は、朝から強くはないが本格的な冷たい雨、しかも気温は12℃ほどです。
こんな感じです。
 
午後から、氷河見物のクルーズツアーを申し込んでいました。午前中は近くを散策するつもりでしたが、雨なので
ホテル内でのんびりすることにしました。朝食は、30$バッフェ形式です。
メニューには、海苔巻きなどもありましたが、実際はなく、おかゆや白米、味噌汁と納豆があるのには驚きました。
味付けは、塩気が強く、ソーセージなども独特のハーブの癖のある味でした。
野菜サラダの種類は、少なくがっかりしました。レタス、キャベツ、オニオン、キャロット、ブロッコリー、セロリなど
お決まりのものがありませんでした。
日本人が3分の一の感じで、中国人が少しいて、非アジア人は少なく感じました。
Wifi事情は全く悪いです。ホテル滞在者が少なくなった時だけ、何とか普通の半分くらいの速度で作動しますが、
使用者が多いと思われる時間は、ADSL以下でしかも時々切断してしまう状況です。
このHerimitage ホテルは豪華で有名ですが、室内設備も古く、あちこち痛みが生じています。
部屋の照明が暗いのが昔のホテルであることを示しています。
………………………………………………………………………………………………………………………………………
防寒と防雨の重装備をしてツアー集合場所のホテル内のアクティビティディスクに向かいました。
今日予定していた『氷河ボートクルーズ』は中止と告げられ、残念やら、反面ほっとするやらでした。
午後になって雨は小振りになりましたが、いつ豹変するか分かりませんから、中止は妥当でしょう。
部屋に帰って、装備を解いて、明日の天気予報を調べると、晴れ時々曇り、明日の計画をたてました。
今日は一日中ホテルの中かと、あきらめかけた、3時頃、急に完全な晴れ間になりました。
思い切って外に出て、明日のフッカーバレーへの道の入り口を探しました。
15分ほど歩きました。雄大な裾野の中を一本の狭い筋が山に向かっていました。
先ほどあれほど降っていたのに、道はぬかるんでいませんでした。
途中で、気温が高くなり暑くなったので、ホテルに戻り、売店で明日の昼用のサンドイッチを買いました。
市街地では5$のが7$でした。この程度なら許せます。
薄着に着替えて、今度はホテル周辺を歩きました。
Chaletsロッジ            子ウサギが死んでいました。 雨で体温が奪われたのでしょう。
 
ハーミテッジホテル裏側              アルペインロッジ
 
ガソリンスタンド                 そしてなんとスポーツジムもありました。
 
スポーツジム
 
プライベート地域、マウントクックレッジ (地域住民の集落)
 
Public Shelter
 
Motels Lodge
 
 
そして小さいながらも小学校もありました。メインと遊具のある校舎
 
  
この頃、サザンアルプスのシルバーホーン山山頂の雲がすべてなくなりきれいな頂上群を見せてくれました。
 
野兎が私の足音に驚いて逃げ回ります。
 
バスの中で、道路上にはねられて死んでいるウサギを沢山見ました。ウサギは、直進のみでバック出来ないようです。
10分後、天候は急転、あっという間に曇りだし、すごい雨が降り出しました。
私は、雨具を用意してこなかったのですが、ホテルに戻りかけていたので、少し濡れるだけでホテルに駆け込むことが
出来ました。みるみる気温が下がりました。
あぁ、遭難する時ってきっとこんな感じなんだろうなと、山の怖さを感じました。
ホテルの窓から外を見ると、 でした。
………………………………………………………………………………………………………………………………………
明日早朝から往復5時間のフッカーバレートラックをした後、今日中止となった午後1時40分集合の氷河ボートクルーズ
ができるかもしれませ。しかし、トラックで道を間違えるなど、何があるか分かりません。
ここは無理をせず、申し込みはしないで、このツアーはあきらめることにしました。
3000mを越える19のピークと多くの氷河によって形成されるサザンアルプスは、年間4000mm、年150日の降水日数
だそうです。マウント・クックの頂を見ることは難しいと言われているそうです。
10年前、私がニュージーランドを訪れた時も12月のクリスマス頃でした。私はヘリコプターで氷河を空から見、
氷河に降り立つツアーを申し込んでいたのですが、やはり悪天候で中止でした。
明日晴れて、雄大なマウント・クックに抱かれてトラックできるだけでヨシです。
この夜、私はレストランで、ステーキだけの1品でしたが、高い食事を奮発して予約していました。
ところが、席について45分後にやっと料理が運ばれてきました。
私が、不機嫌な顔をしていると、日本語を話せるスタッフが来て、「デザートをサービスします。」です。
私は、もうあきれて「結構です」と断りました。肉はおいしかったですが、怒っていたので全体はまずかったです。
--------------------------------------------------
[ちょっと休憩]
一人旅?」と、怪訝顔で時々言われます。やはり、一人旅はかなりの変人と思われています。
おそらく、一緒に行ってくれる人がいないとか、わがままだからと思われているからでしょう。
私は「日蓮宗徒」ではありませんが「同行二人」の言葉はなんと安らかでしょう。
一人旅は、当然良い面もありますし、悪い面もあります。
今回の旅で、私がした失敗やミスは人と一緒ならしなくて済んだものかもしれません。
しかし、負け惜しみで言うとそういう失敗やミスだって旅の一面さと敢えて言うこともできます。
日本ではしないだろう失敗を海外ではたくさんあります。
一番は、交通です。電車に乗り遅れるとか、反対方向に行ってしまったりとかは日本でもしますが、
日本ではその対処は何とかなります。でも、外国ではそうはいきません。
日本には、交番と言う便利で親切なインフォメーションもありますし、日本のコンビニほど安くて
便利で親切なお店は外国にはありません。外国にもコンビニはありますが、日本のように総菜から
お酒まで売っていて、ほとんど町中にあり、しかも最近はトイレまであり、困ったときは店員に聞くと
親切に教えてくれるというのは、おそらくお店と言う範疇を超えて、ある種の有用な社会システムに
なっていると言えると私は思っています。
また、時間通りの日本の近距離、長距離の交通システムも素晴らしいものです。
日本でも、市バスを乗りこなすのは簡単ではないですが、ほとんどの日本の公共交通機関では、
行き先、今どこを走っていて、次はどこに止まるかなどの情報がうるさい程提供されます。が、
外国ではそれらがほとんどない場合が多いので、とても神経を使います。
今回、私は、パソコンは持参しましたが、スマホやタブレットはそもそも持っておりません。
私には、パソコンは必需品ですが、街中で使うことはできません。
今回ほど、タブレットやスマホの必要性を感じたことはありません。
位置情報と連動した地図検索、バスの路線や発着時間、停留所位置などの路線検索、そして翻訳機能は
ぜひ欲しかったです。
時間があって、ホテルで事前に調べるゆとりがあればいいのですが、街中で「困ったときはスマホ頼み」
かもしれません。
私が、道に迷って人に聞くとき、地元の人でも、以前は「知らない、わからない」が多かったです。
地元の人でも、小さなホテルや地元の人が気にかけない教会など知らないのが当然ですから。
それが今回は、住所と名前がわかればスマホで検索して教えてくれるのです。
スマホを持っていれば、自分で検索して迷うことは少ないかもしれませんが、そうすると
現地の人と話す機会はますます少なくなります。道に迷って人に聞いたり、バスに乗ったり、
チケットを自分で買ったりなど、ささやかでも現地の人と言葉を交わすのは、やはりヨシとしたいです。
英語について
通常、ニュージーランド人の会話はすごく早く、私にはほとんど聞き取れません。
私は英語がうまく話せません、と一言断ると、にっこりして非常にゆっくり話してくれます。
パードンも2、3回までなら大丈夫です。そして最後に「あなたの英語は良いですよ。」と言ってくれます。【12月13日おわり】




ニュージーランドの旅。総集編・クイーンズタウン/キウイ&バードライフ・パーク

2017年12月31日 | 2017ニュージーランド旅行

キウイ&バードライフ・パーク
12月11日 
クイーンズタウンは4泊しましたが、2~3泊で良かったかもしれません。
少し時間が余ったので、午前中は、市内バスに乗ることにしました。 現在、4路線があります。
空港からセンターを通るメインバスは1時間に4本走っています。他の路線はほぼ1時間に1本です。
バスカードは、発行料が5$かかりますが、カードを使ってバスに乗ると2$、現金は5$です。
この仕組みは、他の市でも同様でした。
距離性ですが、ほとんど2$で済むようです。おもしろいのは、乗るときカードをタッチするのですが、
その時、行き先をドライバーに告げ、料金が決まる仕組みです。降りるときに自動で精算されるのでは無いのです。
ほとんどの範囲が2$ですので不正することは無いようです。
また、30分以内なら乗り替えても、チケットを買う必要な無く、そのまま乗れます。
センターとフランクトンがハブ、つまりターミナルで、そこが乗り換え駅となります。
私は、バスは乗らないだろうと思っていたのでアロータウンに行った時、カードを買いませんでしたが、
今日乗ることになったので買うことにしました。バスの中で買うことが出来ます。
私は、他の路線に乗り換えるためフランクトンでバスを降りました。すると、ドライバーが違うと言います。
乗る時、私は、ドライバーにフランクトンで降りて#3に乗ると告げたのですが、ドライバーは、外人の私が行くのは
空港だと思ったようでした。おかしいなと思いながらもそのバスに乗ると、着いたのは空港でした。
ドライバーはばつが悪そうでしたが、親切心でのこと、私は気にしないでと言って、歩いてフランクトン駅に戻りました。
距離は、500m程でしたから。
バス停に戻ると、#3のバス行ってしまっていました。次に来るバスはかなり先なので、行き先を#4に変えてバスを
待ったのですが、時間が来てもバスが来ません。今度は、私が反対側のバス停で待っていたのでした。
仕方なく、もう一度#3に変えました。少し早めでしたが、バス停でお昼にしました。
#3の終点は、Kelvin Heights と言うところでした。
 
途中にあった市の病院                バス停の水飲み
 
10分後の折り返しのバスで、フランクトンに戻りました。このとき30分以内でしたが、ドライバーは2$を要求しました。
もう一度、#4にチャレンジしました。今度のバスは、指導者が付いた新任ドライバーの研修中の様でした。
新任ドライバーと言ってもどう見てもリタイアした女性にしか見えませんでした。
行き先は、Jacks Pointと言うところで、湖の近くにゴルフ場でした。
しかし、私は家並みが普通ではないように見えたので、ドライバーに聞くと、「高価な所」と言います。
どうも、市内の喧噪を離れたセカンドハウスのような感じでした。終点はゴルフ場でした。
 
 
 
帰りのバスは、30分以内だから無料でした。普通なら、こんな馬鹿げたことはしないでしょうが、結構楽しみました。
もう一路線ある#1はやめにして、センターに戻りました。 左は消防署     ロープウエイ
 
絶滅危惧種のキウイや傷ついた鳥たちを保護、育成を目的とする施設「キーウィ&バードライフ・パーク
に行きました。
 
 
Noeleen Wilson さん家族が、元、車のゴミ捨て場であった所を買い取りこの施設を作ったそうです。

入場料は、49$、無料の日本語オーデオガイダンスがあります。午後2時からキウイの餌付けだと言います。
カメラのフィルム現像暗室よりもっと暗い部屋でした。5分ほどたっても、私の目はその暗さに慣れませんでした。
スタッフが何カ所に餌をまくと、キウイが登場しました。結構大きく、すばしっこく走っていました。 
 
 
 
 
 
 
マオリコーナー
 
 
 
決して広く、たくさんの鳥たちが紹介されてはいませんが、なかなか工夫され、環境に配慮した施設です。
その後、しばらく繁華街をうろつき、スーパーで夕飯を買って帰りました。
ゴンドラ(乗りませんでした。)            カジノ
 
ザ・モールと言われるメインストリート        市内バス乗り場広場、金鉱などのモニュメント
 
お墓                        William Gilbert Pees 像
 
寿司屋はどこにもあります。
 明日は、早朝、マウントクックへ移動【12月11日終わり】

ニュージーランドの旅。総集編・クイーンズタウン/アロータウン

2017年12月31日 | 2017ニュージーランド旅行

アロータウン

ワカティプ湖
12月10日  
昨日は、ツアーで遅くなったので床についたのは12時でした。今朝は、7時に目が覚めました。
夜中、少し寒く目が覚めました。真夏というのに20度以下ですので驚きです。
今日は、計画していなかった、アロータウンを訪れることにしました。
クイーンズタウンから20kmほどの所にある小さな町で、1862年に金が発見され、栄えたそうです。
私の持っている「地球の歩き方」ニュージーランド編は2016~2017年なのですが、
バスの本数も少なく、路線も曖昧でした。ネットで調べるとクイーンズタウンのバスは「Orbus」と言って、
4路線はあって、各路線ともかなりの本数が出ているようでした。
アロータウンに行くバスは1時間に1本出ているので行くことにしました。
11:18のバスで出かけました。その前にスーパーに行って、サンドイッチなどを買いに行ったのですが、
涼しさを通り越して寒いほどでした。
天気予報では、午前中の気温はお天気雨がぽつぽつする15~16度でしたので、股引をはき、ワイシャツの上に
薄手のカーディガン、その上にレインコートを着込みました。
山の真ん中にぽつんとその町はありました。30分、バス代は5ドルでした。(ガイドブックでは15$とありました。)
回りは、森では無く、枯れたブッシュのようなはげ山でした。
 
町の広場では、日曜市場とちょっとしたイベントのようなものが行われていました。
 
私は、公園でお昼を食べたのですが、ベンチとテーブルの数が少ないので、孫と娘とおばあさんの3人の家族と一緒でした。
おばあさんは、日本の太巻きを食べていました。
車の屋台で売っていました。寿司を初め日本食は好きだと話し、私の日本の食について少し話しました。
町の中を少し歩きましたが、古い家屋を保存しているのではなく、それらしく作っているだけです。
郵便局と私書箱
 
 
 
レイクス・ディストリクト博物館は、小さな博物館ですが、とても保存良く展示されていました。10$でした。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
  
博物館で、Tribal Warriorsの展示会が行われていました。
 
 
外国の観光客ではなく、地元の人々が日曜日にマイカーで観光に来ている感じでした。駐車場、路上は車で一杯でした。
 
写真を撮って良いか尋ねました。OKでした。
 1:05分のバスで市内に戻りました。
……………………………………………………………………………………………………………………………………
ワカティプ湖は、ものすごい冷たい強風でした。結婚写真を撮っているカップルは、大変でした。
  
クイーンズタウンガーデンを散策しました。
 
綱渡りの練習をしている人や、フリスビーを楽しむ人、地元の人は結構お金を掛けずにユニークに遊んでいるようでした。
 
 
 
 
TSSアーンスロー号のクルーズ船、このクルーズ船は結構人気のようです。
 
 
  
とにかく巨木です。
  
 
教会が二つありました。
 
この日は、早めにホテルに戻り、洗濯をしました。
この町には、カジノもあるようですが、私は興味がありません。 【12月10日終わり】

ニュージーランドの旅。総集編・クイーンズタウンへ移動/ミルフォードクルーズ

2017年12月30日 | 2017ニュージーランド旅行

ミルフォードクルーズ

ワナカ湖
12月8日
フランツジョセフ発8:00のバスでクイーンズタウンに向かいました。クイーンズタウン着は16:30です。
少し肌寒い、どんよりした曇りでした。私は長袖ティシャツと長袖ワイシャツの上に薄いウインドブレーカーにしましたが、
それでも肌寒く感じました。
8時間半のバスの旅というと長時間過ぎて大変と思われと思いますが、ほぼ1時間から1時間半毎に撮影ポイントに来て、
休憩したり、30分ほどの休憩と30分のランチ休憩があるので想像ほどでは無いと思います。
フランツジョセフでバスを待っている時、昨日グレイマウスから同じバス来た男性から「日本人ですか?」と聞かれました。
リタイアして6年ほどと言うから私より幾分若いかもしれません、川崎市に住む男性でした。
とても穏やかな人で、余計なことはしゃべらず、英語は私より出来ますが、ぺらぺらというわけではなく、
休憩の時は集合時間をドライバーに確かめたりするのは私とよく似ていますし、ランチも前日にスーパーでピザを
買ってきていて食べたりしていました。一緒にお昼をいただきました。お弁当持参の人も結構います。
最初の休憩場所は、「Salmon farm」というサケを養殖し、食事を提供するレストランとドライブインを兼ねたようなところでした。
回りには、店など無く森の一軒家でした。9時45分について30分の休憩でした。
 
 
壊れたトイレ

次は、Knights Pointと言う海が見える観光ポイントでした。(10:45)
 
 
バージンフォレスト・原生林とも言われるHast地区に入って、雨が少し降りました。サザンアルプスの峠です
12:00にトイレ休憩がありました。この場所で、運転手の交代がありました。クイーンズタウンから来たバスの運転手と
フランツジョセフから来たバスの運転手がこの場所で交代、Uターンするのです。

12:45にMakauraと言うところで30分のランチ休憩がありました。
 
その後、Lake Haivea
 
Lake Wanaka
 
などで休憩、撮影休憩がありました。 交通事故は初めて見ました。   ワイン畑の送風機
 
 
4:40頃クイーンズタウンに着きました。想像していたよりはるかに小さい町なのに珍しく交通信号がありました。
おそらくそれは住民のためというより、観光客が多いためではないかと思います。急な坂が多い町です。
バス終点からホテルまではわずかな距離ですが、ホテルは、ものすごい坂の上あり、スーツケースを引いて
上るのには一度休憩したほどです。
大型スーパーもセンターにあり、早速食材を買いに行きました。
ホテルの部屋は広く、ミニキッチン電子レンジと冷蔵庫があるのですが、テーブルと椅子がありません。
外に、喫煙用の椅子があったのでテーブルように借りました。
洗濯機はありませんでした。白ワインを買ったのですが、甘くておいしくありませんでした。
 
 
【12月8日終わり】


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
12月9日 今日は、ミルフォードクルーズ現地ツアーです。
ピックアップ場所は、8:50、ホテルから2分のスタンレー通りバス停でした。
いくつかのバス停で客をピックアップし、ツアーがスタートしたのは9時頃で、満席でした。
アロー湖で、トイレ休憩
 
そのほか各所で撮影タイムとトイレタイムそしてランチタイムがありました。
 
 
 
 
11時頃、南アルプスに入り始めると、ものすごい雨でした。
 
外人は、傘を差しません。フード付きコートを着るのですが、ずぶぬれでした。傘を差していたのは私だけでした。


 
 
 
ミルフォードサウンドに着いたのは、なんと15時ちょっと前、さっそくクルーズの開始です。
大きな船ではありませんが、他のツアーグループを含めて、100人ほど乗る小さな船でした。
 
 
船は大きく揺れ、特に2階船室は大揺れ、船酔いしそうでしたので、1階船室に行き、撮影の時だけ後ろデッキに行きました。
ボーウェン・フォール

スターリンフォール

フェアリフォール

特にスターリンフォールではクルーズ船が滝近くまで近づくのでまさにスコールの中にいるようです。
レインコート無しにはずぶぬれです。
私はカメラが濡れないようこのポイントが終わってから後方で写真を撮りました。
 
  
 
海中展望台
 
14:30、1時間30分のクルーズでした。滝の付近は、水しぶきが強風にあおられ、私たちはずぶぬれです。これがウリです。
若い人々は、ずぶ濡れになった後、着替えていました。
晴れていれば、定めし良い写真が撮れるのでしょうが、この雨が雄大な滝の景色を作ります。
ミルフォードサウンドは雨の町だそうです。
タスマン海からの湿った偏西風が、サザンアルプスにぶつかって膨大な雨と雪をもたらします。
この雨が、ニュージーランド特有の原生林とシダ類やコケ類、そしてが数え切れない名前のないたくさんの滝、
そしてと氷河を生み出します。
クイーンズタウンの町に近づくと先ほどまでの雨は嘘のように晴れました。
 
 
夕日の写真は、夜9時の写真です。日の入りは、なんと9:30です。

私はここまでは、順調でしたが、ホテルに着いて、驚きました。レセプションが閉まっていたからです。
小さなホテルでは、24時間営業ではなく、特にニュージーランドでは、そのようなホテルが多いことは分かっていたのに、
出かける時、たまたまセプションに人がおらず、鍵をカウンターに置いてきてしまったのです。
ツアー先で、鍵を紛失したら一大事と思ったからです。
このままでは、野宿か、泊まれるホテルを探すしかありません。近くに警察があるので行くと閉まっていました。
私は、最悪、24時間あいている店があるのでそこで一夜明かせば良いとは腹をくくり、ホテルのレセプションの扉に
書かれていた電話番号に電話をかけようとしたのですが、携帯は部屋において来ていました。
公衆電話を掛けようとしましたが、現金ではかけられない機械で、途方に暮れました。
私は、思い切って24時間開いているお店に飛び込んで、事情を話しました。
初め、彼は単に場所を聞くのだろ思ったのでしょうが、私の説明に半信半疑でしたが、彼の携帯で電話を掛けてくれました。
店の番号から、職員の携帯に転送されたのでしょうか、職員の携帯につながりました。
彼女は、静岡出身の若い日本人女性で、すぐホテルまで来てくれました。「鍵は持っていて下さい」と諭されました。
実は、昨年ドイツに行ったとき、私は出かける日にちを間違える大失態を犯したのですが、それ以来の大失敗でした。
昨夜、実は、旅も中日を過ぎて、疲れも出ている、注意力が散漫になっているから注意しなければと思っていたところでした。
こうして、私は無事、野宿をしないで、ホテルで休むことができたのでした。
ショックは大きくなかなか寝付かれませんでした。
この大失態、恥は書かない方が良いかとも迷いましたが、思い切って書きました。【12月9日終わり】

ニュージーランドの旅。総集編・フランツジョセフ氷河

2017年12月30日 | 2017ニュージーランド旅行

フランツジョセフ氷河
12月7日  
予想外の出来事は起きるものです。
昨夜深夜の3時ごろ、火災報知器が鳴動しました。 思わず、よもや私の部屋ではないだろうなと思いました。
万一そのような場合、英語で、詳しい弁明や法的措置などできないからからです。
翌朝、煙草の喫煙だと言われましたが、私はどうもホテルの設備にトラブルがあったのではないかと思ってます。
と言うのは、その後何度も設備の復旧をかけたのですが、そのたびに鳴動していたからです。
私は、2013年パリでも同じように真夜中に火災報知器が鳴動し、たたき起こされた経験があります。
ものすごい音です。二回とも実際の火事ではありませんでしたが。
朝6時ごろ目覚めましたが、ここは8時からの朝食付きなので、7時過ぎまでまた寝ました。
朝食は予想していた通り、パン、コーヒー、ミルク、オレンジ、ヨーグルトとシリアルの超簡単メニューでした。
せめてあとハムとゆで卵がついていればいいのですが…。それでも、ゆっくり食べて、9時にホテルを出ました。
今日は、フランツジョセフ氷河を見に行きます。ツアーではありません。個人で歩きです。
カトリック教会
 
セントジョーンズ英国国教会

道路にこの表示があると、橋は1車線になります。車道の他に人の通る橋がありました。かなり揺れました。
 
 
橋の下は溶けた氷河が濁流となってWaihok川が流れています。
国道6号線はこんな感じ、 30分ほど歩くと、木陰のウォークになります。
 
 
そこからさらに30分ほど歩くと駐車場に着きます。シャトルバスは往復12.5$、私はゆっくり歩きました。
 
案内では、1時間とありますが、私は1時間10分かかりました。トイレは、この先はありません。
しばらく歩くとSentinel Rock Walkへの分かれ道があります。往復20分と言うので行きました。
かなりきつい上り坂でした。見晴らし台があります。
 
戻って、木陰を10分ほど歩くと、はるか彼方にフランツジョセフ氷河が見えました。
 
この先は、河原の砂利道。歩きづらさ以上にきついのは日差しの強さと暑さです。日傘を持ってくるべきでした。
 
 

途中、幾筋かの滝があります。2008年の氷河の先端がはるかに後退しているそうです。
 
 


 
 
私も一枚撮ってもらいました。

歩いて来られる最先端です。

案内では、行って帰ってくるまで1時間半とありますが、私は2時間以上かかったと思います。
帰りは、下り坂ですが、日が上から照らすので、木陰が行きよりだいぶ少なく感じました。
駐車場に戻ったのは12:30過ぎだと思います。
木陰の多い、違うトレイルに入ってお昼を食べました。
帰りの一本橋で
 
ホテル近くに往復10分のテラス・ウォークがあるので疲れていましたが挑戦しました。
 
急な坂道を上りきると沢道になっていて、ここから先はダメとありました。
2時過ぎにホテルに戻りました。
10数年前、私はフォックス氷河とフランツジョセフ氷河に来たのですが、記憶が曖昧で区別が付付きませんでした。
結果論ですが、どうも、フォックス氷河のほうが、氷河に近づけ、また氷河が山肌を削った跡が残っていたようです。
フランツジョセフ氷河は、氷河が削った独特のU字谷と荒々しい山肌が少ないです。
今日の歩数計は2万4千を数えていました。
シャワーで汗を流した後、乾燥なしの洗濯機3$で、砂利道で汚れたズボンなどを洗濯機にかけました。乾くでしょう。
その後、スーパーで夕飯と明日の朝食と昼の食材を買いに行き、のんびりしました。
明日は、クイーンズタウンへの移動日です。 【12月7日終わり】
………………………………………………………………………………………………………………………………………
蛇足的に、物価などについて
相対的に物価は高い気がします。ミルクもチーズヨーグルトなどの乳製品、ハムなどの肉製品も安くはなく、
日本の1.2~1.6倍の感じがしました。
野菜は余り買いませんでしたが、果物も日本より少し高い感じがしました。リンゴは、小粒でおいしかったです。
キウイも決して安くはありませんが、日本のと比べると比較にならないほど甘かったです。
果物の種類は日本と比べて段違いに多いですし、種類も多く一つから量り売りで変えます。
サクランボが季節のようでしたが高いので買いませんでした。
日本のコンビニで売っているようなサンドイッチは5$、ミネラルウォーターは、750mlサイズが多く3$、
しかし、ニュージーランドは水道水が飲めるので私は、水はほとんど買いませんでした。
ワインは値段がピンからキリまであり、その種類が半端でない多さでした。私は11~12$のを買いました。
中には、甘すぎて私には合わないので半分以上捨ててしまったものもありましたが。
ニュージーランドでは、○○.99のように99が付く価格が多いのがおもしろかったです。
公共交通費は、高いか安いかはわかりませんが、大都市では、スイカのようなカードを使うと現金より安いのが
おもしろいシステムでした。
日本的な便利で安いコンビニはありませんが、スナックやお菓子、飲み物のNZ的コンビニはかなりあります。
オークランドに、日本のダイソーがありましたが、3$でした。
不動産屋を少し見ましたが、住宅は高いように感じました。
緯度は高いので日の入りはとても遅いです。9時頃まで真昼並みの明るさです。
高くない普通のホテルは、石鹸、シャンプー、コンデショナーがありますが、歯ブラシ・レザーは皆無でした。
エアコンはないです。、扇風機があるホテルがいくつかありましたが、すべてのホテルにパネル式ヒーター、
そしてベッドには電子毛布が敷いてありました。冬は、よっぽど寒いのでしょう。
バスタブはありません。高いホテルはわかりませんが…。

ニュージーランドの旅。総集編・グレイマス

2017年12月29日 | 2017ニュージーランド旅行

12月6日
私は、明日、フランツジョセフにバスで向かうのですが、グレイマウス13:30発です。
何でこんなに時間かというと、クライストチャーチ発の列車のグレイマウス着が12:45だからです。
この列車に合わせているんです。多くの人は、グレイマウスに泊まらず、そのままバス乗り変えるのです。
私は、日本で旅程を考える時その事情がよくわからず、こ躊躇無く、こに泊まることにしました。
結果は、良かったと思っています。グレイマウスでゆっくりでしたからです。
ホテルのチェックアウト時間は11時なのでそれまで、ゆっくり町歩きを楽しみました。
午前中は、地図の赤線部分を歩くことにしました。

グレイマウス博物館(開館前で入りませんでした。)
 
 
写真ではわかりづらいですが、前方は広大な干潟です。洪水に備えた施設の役割を果たしていると感じました。
グレイマウス飛行場、頻繁に小型飛行機が飛び立っていました。
 
鉄道の踏切、警報機はありますが、遮断機はありません。自動車も一時停止しません。グレイマウスバプチスト教会
 
制限速度は、郊外100km、市街80km、市内50km、中央分離帯はありません。 
 
カトリック教会
  
消防署                      公共トイレ
 
DIXON公園
 
ユニッティ教会                  英国国教会
 
モンティース醸造所
 
地方議会                      NZ銀行アートギャラリィ
 
レジェンドシアター                 河口の先にタスマン海が
 
とにかく11時までに帰ら無ければならないので大急ぎでした。10:45頃戻りました。
ホテルをチェックアウトし、荷物を2時間預かってもらうことにしました。
このホテルは、ホテル業が専門ではなく、バーやロット、ゲームやビリヤードなどちょっとした遊技場がメインのようです。
若い中国系の青年は、言葉遣いも丁寧に快く預かってくれました。グレイ川河口に行くか迷いました。
冒頭の地図の茶色の部分の先です。直線距離では遠い距離ではないのですが、港の関連施設がありとても遠いのです。
橋はありません。迷ったのですが、2時間あるので行くことにしました。
私は、冬の日本海のような、タスマン海の荒波と枯れ木が打ち寄せる海岸は見る価値があると思ったから。
港のクレーンは今でも現役なのでしょうか? 
 
荒海の中サーフィンをしている人がいました。強く冷たい風が吹く中、彼を見ながら、お昼を食べました。
 
先端はブレークタウンという様です。
 
ゴールドラッシュ時代、多くの中国人が来たようです。 ポストマンのようです。思わずシャッターを切りました。
 
12:45頃ホテルに戻りました。お店の一角で荷物整理までさせてもらいました。
バスは、13:30発ですが、20分前に集まって、簡単なチェックイン(Eチケットではなく名前を告げます。)
このバスでは、フランツジョセフのホテルの名前を聞かれました。ホテルの前で止まってくれました。
バスが2台来ました。一つは北、ネルソン行き、一つは南、フォックス氷河行きでした。
ドライバーの後ろの席が空いていたのでそこにしました。満席ではなく65%位ではなかったでしょうか。
次の写真は、私の、お気に入りの場面・写真です。
ニュージーランドでは、2車線の道路でも、橋は1車線になることが多いのです。
交通量も多くはないので、1車線で十分と言うことなのでしょうか。信号があるわけではありません。
橋が近づくと徐行し、相手がいれば、手前で待つのです。
 
違う橋
 
最初に止まった、Hokitikaは30分止まりました。時間調整の意味もあるのではないでしょうか。
この町は、ヒスイ(グリーンストーン、マオリ語でポウナム)の産地と加工の町としても有名だそうです。
 
新聞社もありました。                この町のシンボルと言える時計台
 
横になって漕ぐ自転車や草刈り自動車が走っていたりすると、バスは徐行します。
後者の時は、完全に見通しの良くなるまで追い越さず徐行しました。日本では考えられない、大らかさです。
 
モンテローザホテルは最後のバスストップでした。私のホテル他にもホテルがあり、多くの乗客が降りました。
 
 
このホテルは、2泊で220$と結構高めです。施設は微妙です。Wifiは無料ですが、時々遮断されました。
朝食付きですが、かなり素食でした。部屋には冷蔵庫はありますが、洗濯機や調理施設はありません。
広い共用のキッチンと大型冷蔵庫があり、自炊は可能です。3$の全自動洗濯機があり、利用しました。
小さな町です。端から端まで15分位でしょうか。ホテルやレストランが多く、氷河やトレッキングの入り口です。
すぐ近くにスーパーが2軒ありますが、町中の巨大スーパーでは無いので惣菜などは少ないです。  【12月6日終わり】

ニュージーランドの旅。総集編・トランツ・アルパイン鉄道でグレイマウスへ

2017年12月29日 | 2017ニュージーランド旅行

12月5日
今日は、トランツ・アルパイン鉄道で西海岸のクライストチャーチから西海岸のグレイマウスに行きます。
2008年にもこの鉄道に乗りました。その時は、逆コースでした。
ニュージーランドでとても有名な観光鉄道です。料金も片道195$と結構高いです。
クライストチャートを朝8:15発、4時間半から5時間、清掃後グレイマウス発14:05の一日往復1本しかありません。
私は、前日にタクシーを7:30に予約していたのですが、なんと15分も早く迎えに来ました。
タクシーの運転手は日本が好きだと、空港までずっとお話でした。
15分ほどで着いたと思います。22$でした。
鉄道も20分前のチェックインが必要で、チケットが発行され、座席が指定されます。
クライストチャーチ・トランツアルパイン鉄道駅
 
オープンデッキ車両
 
時間が早かったので並ばずに済みました。私より早く来ていた人も大勢いました。
大きな荷物は、最後尾の車両に行先ごとに整理されて乗せられます。グレイマウスは、かつて金が採れたことで栄えた街です。
私が以前の車両はもっと汚かったと思います。新しい車両はまるで日本の特急列車なみの快適さでした。 荷物車
 
60~70%の乗車率ではないでしょうか。一人客の私は、隣の席が空いているのでとても楽でした。
途中、乗降する客がいる場合、その駅で止まります。
写真スポットに近づくと、列車のスピードが落とされます。
機関車の後ろにオープンデッキの車両が1両あります。私はサザンアルプス地帯に入ってから行ったのですが、
ものすごい混みようで、先にいる人は割り込みは許さないぞと邪魔しています。
しばらく待ってやっと空いたスペースに潜り込みました。
ただ、この車両トンネルに入るとディーゼル機関車ですから臭いと埃がすごいです。冬は猛烈な寒さだそうです。
いくつか鉄橋を通るのですが、乗っている列車からはその場面の撮影は難しいでのす。
途中までの景色は、単調です。
 
 
 
オープンデッキから
 
 
これは、蜂蜜採取の箱でしょうか。
 
 
ごくたまに、家が見えます。
 
 
やっと空いてきたオープンデッキ     アーサースパス(峠)駅で乗客は一時下車したので空っぽです。  
 
三分の二あたりを過ぎて、アーサースパス(峠)駅に到着します。  
 
ここで降りる人がかなりいるので、預けた荷物などを下ろし渡すためにかなりの時間停車します。
ここから、トレッキングに出て、帰りの電車に乗ったり、本格的山歩きをする人もいるそうです。
かつて来た時のこの駅のトイレはこんな、今はきれいになり時代の変化を感じました。
ここを過ぎると車窓の景色はだいぶ単調になります。 乗降客がいる駅だけ、停車します。
 
車です
 
この電車に、若いろう者の団体が乗っていました。私は、思い切って話しかけました。はじめは、筆談でしたが、挨拶や、良い、
ありがとうなどを教え合いました。彼らは、アーサースパス駅で降りましたが、ほんの少しの交流でしたが、私にとって
良い、おもしろい貴重な経験でした。
途中いくつかの駅で停車し、グレイマウス駅に到着したのは、予定の12:45をはるかに過ぎて、1時20分頃でした。
グレイマウスの駅
 
 
グレイマウスは、かつて金鉱の町
 
今日の宿、レイルウエイ・ホテル・グレイマウスは、駅から徒歩2分ので、一階はバーなどです。
 
1泊4000円で、共同のトイレ、シャワーです。でも共同の冷蔵庫や電子レンジ、ポット、食器類は完備されています。
 
Wifiは無料で簡単にアクセスできました。泊まり客は、私一人でした。
チェックイン後、しばらく休憩して散歩しました。気温も高く、日差しはじりじりします。  トイレ
 
ボードスケート場がありました。           裁判所
 
グレイマウスの町は小さき町ですが、女性センターや     職業訓練・斡旋場などもありました。
 
グレイマウススターと言う印刷機械を持つ新聞社などもありました。

グレイ川の河口がタスマン海に注ぎ、マオリの人々は「広い河口」と意味の「Mawhera」と呼び、要塞を設けて住み着いた
そうです。グレイ川は巨大で何度も反乱を繰り返してきたそうですが1988年、大規模な洪水に見舞われ、その後大堤防が
築かれたそうです。堤防は、現在はトレイルとして利用されています。また、いくつかのモニュメントもつくられています。
 
 
  
また、堤防上は、サイクルロードなどにもなっていました。
 
駅の近くに、これまた巨大スーパー、カウントダウンがあり、夕食とワインを買って来ました。
明日の朝食は、冷蔵庫が部屋にないのでまた買いに行きます。
市の入り口に、巨大な褶曲がありました。
  
【12月5日終わり】