風そよぐ部屋

ウォーキングと映画の無味感想ノート

映画二題/17才の肖像、ウディ・アレンの夢と犯罪

2010年08月19日 | 映画

原題:An Education
ヒロインのジェニーは16才の高校三年生、オックスフォード大入学を願う優等生。
ひょんなことから倍以上のデイヴィッドにナンパされる。
これまでの生活が非常につまらないものに思え、彼と結婚を決意する。
ところが、彼には妻子があり、現実に戻される。という単純なストーリー。
ところが、良くも悪くもイギリス映画。大人社会の本音と建て前の使い分け・乖離が何ともおかしく楽しい。
このデイヴィッド、ユダヤ人。ジェニーの親や教師達の本音はユダヤ嫌い、でも建前は人種差別反対。
デイヴィッドの仕事は、不動産屋なのだがかなりやばいこともする。
追い出したい住人の近くに黒人家族を住まわせ、「黒人は怖い"を利用して追い出しを計ったり。
彼と彼女の関係がうまくいかないのは観客にわかるのだが、どのように破局するかに興味が移るが、
それはあっけなく、余り工夫のあるエピソードでないことから明らかになってしまう。
もてあそばれたことを知ったジェニーは復学し勉学を目指す。
ジェニーは担任の女教師に助けを求める。彼女の言葉、「その言葉を待っていたのよ」にこの映画は救われる。
おそらくアメリカ映画だったらこの上なく愚作になっていただろうが、皮肉の効いたイギリス映画で見事なB級映画になった。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

原題:Cassandraa's dream{弟のテリーがドッグレースで大穴を当てた犬の名前}
原題からは映画のイメージは想像がつかない。
ウディ・アレンの映画というのでインテリ達の機関銃のような会話劇かと思ったが違った。
かなり単純なサスペンス、イアンとテリーの兄弟の物語である。
兄のイアンは切れ者、弟のイアンはギャンブル好きの平凡な男だが、負けて街金から巨額の借金をしてしまう。
二人は、成功している母の兄に借金を頼む。だが、その叔父は不正経理をしていてそのことを知る会社の同僚の殺害を計画していた。
兄弟は、その男の殺害の代償としてお金を受け取る。
だが、さすがと言おうかアレンである。
少しも飽きさせることない、でもこれはほめ過ぎかな。
一回のポーカーで1000万円以上の謝金、殺人計画が余りにずさん、おじさんの殺人の動機の脆弱さ、
などいささかストーリーには無理というか、工夫がいまいちではある。
兄弟の性格描写もかなりステレオタイプ過ぎる。
殺人の現場や、事故死など人の死体の映像がない、ベッドシーンがない、のも良い。
私は、イアンのイギリスらしい発音がとても耳に心地よかった。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
【蛇足】
我が家も、ついに 液晶テレビを買った。
半年ほど前インターネットを光ファイバーにした。
来年にはアナログテレビを見ることが出来なくなるので、アンテナの変更工事だけ先にしようとしたのだが、我が家は三階建て、
三階建ての屋根のアンテナ工事を引き受ける電気店は無かったので光ファイバーにしたのであった。
光ファイバー導入でインターネットの利便性は格段に良くなった。
その時、我が家の古いアナログテレビでもBSアナログ放送を見ることが出来る様になった。
私は、見たいテレビ番組はビデオに撮って見ることが多い。
おもしろくない時は早回したり見なければよいからである。
ところが長年愛用していたビデオデッキが半年前に壊れ、その後中古店で2000円のビデオデッキを買ったのだがそのデッキの調子が悪くなってしまったのだ。
そこで地上デジタル対応のテレビを買う事になった。
液晶テレビ、プラズマテレビ、3Dテレビとタイプも色々あったが液晶テレビが一番安かったのでそれにした。
レンタルビデオはほとんど見ないのでブルーレイの録画方式のテレビは買わなかった。
エコポイントのおかげで価格は決して高くは無かった。
エコポイント・エコ減税は税金の出血サービスによる大企業優先の以外の何ものでもない。
家電メーカー、自動車メーカーは日本の基幹産業でそれらの景気が良くなれば他の分野にも波及し日本経済の浮揚となるという理屈だ。
だがこの政策は長くは続けられないし、その期間が終われば特需が無くなり景気を下降させるのは必定だ。
するとまた耳障りの良い景気浮揚のための大衆迎合作が浮上するに違いない。
実は、先の不況は絶好のチャンスだったのだ。
大量生産・大量消費の経済成長ではなく、いわゆる福祉など非生産部門での安定的雇用をきちんと作り出す絶好の機会であったのだ。
人々の願いは、子ども手当の満額支給やばらまきではない。
きちんと仕事を持ち続け、家庭を作り、安心して老いて一生を終えることのできる、将来の心配をしない社会システムである。
それが現実的であれば、ワークシェアリングや応分の負担をすることは喜んで果たしたいのだ。
与野党の政権交代が起きようが、社会のこの基本システムには変更のない安心・安定の糸口を作る絶好の機会であった。
ところが衆参で多数派になった民主党はおごり高ぶり、多数派の暴力をほしいままにした国会運営をし、
そうした将来ビジョンを共に作ろうと国民に丁寧語らなかった。それが参院選の惨敗の最大の要因だ。
おとっと、脱線。
地デジ、BS、CS、地上アナログと大きく四つの放送システムがあり、放送局の数は数えるのもいやになるほど多い。
果たしてどれくらいの人々がその放送を見ているのだろうか。
その多くは有料放送で、我が家では有料テレビ放送は全く契約していない。
これまでの普通の地上アナログテレビ局はほぼ同様の名前を持つ地デジ放送局も持っている。
その内容は一部重複するが別物である。過渡期と言うことで仕方ないことなのだろうか。
私の驚きは、こんなに沢山の放送局が破産せず経営が成り立っていると言うことである。
私には"大いなる無駄"としか思えない。
ほとんどが民放だからスポンサーがいると言うことである。
さて、ハードディスクが内蔵されたテレビの録画はとても簡単で、同時に2番組録画でき、録画の再生もきわめて簡単である。
早送りやスローの再生も簡単できれいであった。
マジックを録画してスロー再生したらその早業が種明かし的に見ることが出来ておもしろかった。

長谷寺に行って来た

2010年08月15日 | ウォーキング
8月13日、鎌倉の長谷寺に行った。
妻の実家に行く途中、長谷の大仏だけでも見ようと思ったのだが、暴挙であった。
あまりにも暑いので、大仏までの半分も行かない途中で引き上げた。

人身事故があって、京浜東北線・東海道線とも大幅に遅れ、とても混んでいた。
私だけ東海道線の戸塚駅で降りて、横須賀線に乗り換え、鎌倉駅で江ノ電に乗った。
江ノ電はとても混んでいた。電車が着くや一組の若い夫婦の妻の方が人を押しのけ二人分の席を確保していた。
長谷駅ではたくさんの人が降りた。

収玄寺
 

長谷寺
山門
 
卍池                                   千体地蔵
 
地蔵堂
 
宝物殿入り口(100円)           観音堂
  
出世大黒堂
 
釈迦如来像と四天王像                       聖観音像          経蔵(工事中)                                            
  
阿弥陀堂
 
カキガラ稲荷               鐘楼
 
弁天窟入り口
 
見晴台からの眺望                                                                
  

オルゴール堂
 

光則寺
 
 
日朗上人(日蓮聖人の弟子、日蓮が佐渡に流された時、日朗も捕まった)入れられた土牢


ここからさらに鎌倉の大仏まで行く予定であったが、大変な暑さのため引き返した。
だが、大勢の参拝者が大仏に向かっていた。

長谷寺は長谷の観音堂とも言われ、観音像は大きくきれいでした。
また、阿弥陀堂内の阿弥陀仏像も大きくきれいでした。
長谷寺拝観料は300円、宝物殿は入場料100円で保存状態の良い仏像が安置されています。(引用)

弁天窟はトルコのカッパドキアの地下洞窟みたいで(規模は全く小さいですが)で中にたくさんの石仏がありましたが、
懐中電灯がないとよく見ることができません。
たくさんの外人が来ていました。

家を出る時は曇りで、雨が降るかもしれないと傘を持って出た。昼過ぎから猛烈に暑くなりだし、雨傘を日傘にして歩いた。
それでも余りに暑くて、途中で引き上げ、体力のなさにちょっぴり落胆でした。

麻布十番駅~表参道駅 (麻布)を歩く

2010年08月10日 | ウォーキング
8月9日、半月ぶりに散歩した。 スポーツジムが休みで、天気予報では27℃だったので。
映画にするか、散歩にするか迷ったが散歩を選んだ。やはりとても暑く汗だくになったが楽しかった。
スポーツジムのマシンも有効だが、街のウォーキングはそれでは得られない楽しみがやはりある。
その一番は、風景だ。
予想だにしなかった景色や、看板や、お寺や、おもしろい人々や様子に遭遇することがある。
また、風景は不思議でその時々の私の心情によって感じ方や興味の対象が様々に変化する。
例えば、「写真を撮ってはだめ」と言われた時、ムカっとする時もあれば、「さもあらん」の時もある。
でも、その多くは相手の出方に左右される。「警備上の問題で撮影はご遠慮願います」と言われれば仕方ないものね。
それが理由も何も言わず、高飛車にただ「だめ」って言われるとね。
また、疲れた時は木陰を探して休めばいいし、思いがけない涼しい風に出会うなど。


麻布十番駅は初めて利用したが、地下鉄南北線から7番出口に出るには十分位かかる感じであった。
7番出口は都営江戸川線の駅の出口のようで、一度南北線を出るようにエスカレーターを登り、そして連絡通路を歩き、
そして再びエスカレーターを下り、また登って出口に出るという感じであった。
麻布十番駅を出ると雨が降っていた。方向を確かめようと左右を見回すと、十番稲荷神社は出口のすぐ隣りだった。
 

シンガポール大使館                           オーストリア大使館
 

龍沢寺                                  安全寺
 
麻布区役所がここに置かれ、近代地方自治発祥の地との案内があった。      本堂等はない。

広称寺                                  光隆寺
 

本光寺                                  伝燈院麻布浄苑(本堂等はなかった)
 

長玄寺                                  リトアニア大使館
 

イラク大使館商務部                           サンマリノ大使館
 

正光院                                   専称寺(本堂等は施錠した門の中だった)
 

妙経寺                                   六本木ヒルズ森タワー
 

櫻田神社                                  ラオス大使館
 

ギリシャ大使館                            ウクライナ大使館
 

中国大使館(裏門)                            ルーマニア大使館
 
中国大使館正面でカメラを向けると「警備上の問題で写真を撮ることはできない」と警備の警察官にやんわり断られた。

繁成寺(門は閉じていて入れない)                      中南米などの多くの国の大使館が入っているビル
 
                                    コスタリカ、パナマ、ニカラグワ、ドミニカ、グァテマラ、ハイチ、ウルグアイ、
ホンジュラス、エルサルバドル、ボリビア、パナマ、エクアドル、ベネズエラ・ボリバル、イエメン、エジプト大使館商務部などが入っている。

曹洞宗永平寺別院長谷寺
 
観音堂                                  麻布大観音(とても大きい)
 
本堂                                   
 
僧堂

観音堂内に大きな扇風機があったのでしばらく涼んだ。
永平寺別院というがかなり殺風景な感じであった。 

岡本太郎記念館(入らなかった)
 

モロッコ大使館                            表参道駅前のビル


麻布は、今日では都心・高級住宅街と言われるが、元々はかなりの下町だったようだ。
車一台がやっと通ることのできるような狭く、曲がりくねった道と言うより路地が入り組んでいる。
しかも坂道がやたら多い。六本木ヒルズあたりは毛利家の広大な下屋敷だったのではないだろうか。
多くの大使館が港区にあるのは、大名の下屋敷が多くあったことと無関係ではないようである。
この地域は日本で生活していると思われる多くの外国人とすれ違う。
少し風が吹いたがやはり暑かった。
汗でびっしょりのシャツ・ズボンでお店に入ったり、電車に乗るのは私でもちょっと気後れする。

【閑話休題】
スポーツジムに行くようになって、どうして人は「運動」するのだろうと考えた。
ここには確かに哲学的問題や人間の進化とか人類の文明とかに関わる色々な問題が潜んでいるように思う。
だが、今は、今日的な運動は、そもそも人の生命的活動(生きる)とは逆のことになっているのではないかということだけを考えようと思う。
つまり、人間にとって運動は不必要と言うよりエネルギーの無駄遣いなのだから。
太古の昔は、人は他の動物から食べられないこと、生きるための食糧の確保だけがほとんど生命活動の全てであった。
[ただ一つ生殖活動は、唯一自分の生命維持とは無関係な活動であった、と言うことは興味深い。]
走ったり、石を投げたり、穴を掘ったりすることは、直ちに生きること=食と直結していた。
長い年月を経て、人は狩りや採取で確保した食糧などをその日の内に全て消費せず、明日のために保存できるようになった。
保存できるだけの生産性の向上と社会的智恵が育ったためだ。
お互いが言葉を交わしたり、歌ったり遊んだりなどそれ自身が直ちに生きることに結びつかない"余暇的"行動を取ることができるようになるにはさらなる時間が必要であった。
睡眠など以外の全ての時間を食糧確保のために費やす必要がなくなると、感情などの余裕は生まれたが、筋肉などの体力は退化して行った。
それまでは食料を求めて一日歩いて筋肉を使っても食料にありつけない日もあった。
さて、現代人は食料確保・生産のためにはほとんど筋肉を使わなくなってしまった。
それどころか、摂取しすぎた栄養を消費するためにわざわざ「運動」したり、健康のために体を酷使する「運動」をわざわざするのだから不思議だ。
ローマ人は、美食して満腹になってもまだ食べたいので、食したものをわざわざ吐き戻し、さらに食べたという。
現代では、健康のために始めた運動がいつしか"運動"そのものが目的となって全てに優先し、
運動できないことが過度の欲求不満や不安となって、心に脅迫観念を用意したり、
運動のし過ぎでかえって健康を害したりすることもある言われる。
おそらくこうした逆立ちしたことを"疎外"と言うのではないだろうか。
もはや昔に戻ることはできないのだが、かつての農耕社会においては、人は死ぬまで何らかの社会的生産労働をしていた。
かなり単純化して言うと、働けなくなることは、体を動かすことができなくなること、つまり死を意味していたのではないだろうか。
もちろんそうした時代を私は美化しているのではない。
その時代は、貧しさや飢餓があり、それは人と人の世をつらく暗くもしていたのだから。
今日では、おそらく生まれてすぐ栄養過多の人生が始まり、それは死の直前=病のベッドの上まで続く。
定職を去った時、「時が余りすぎる」と言う話もよく聞く。
私は、時が足りないほど忙しくはないし、時が余るほど退屈ではない。
余り深く物事を考えずに日々を過ごし、確実に死に向かって歩んでいるって感じだ。
「死」と言えば、古代ローマの英雄達は、死を察した時絶食して自らの死を迎えたという。
私は屁理屈を言いながらスポーツジムを楽しみ、ちょっとぐらい暑くても散歩をしているのである。