風そよぐ部屋

ウォーキングと映画の無味感想ノート

映画=Soul Kitcen/ソウル・キッチン、Never Let Me Go/私を離さないで

2011年07月28日 | 映画

ドイツ ハンブルグの鉄道の駅跡地の場末の三流レストラン=キッチンが舞台の喜劇映画、十分楽しめました。
現在のドイツを反映して、多数の移民達が登場、当然、言葉も料理も習慣も多国籍。
主人公のジノスは、料理の腕はいまいちなのだが、「良き人」で、でも税金を滞納したりとかかなりズボラ。
恋人が中国に特派員として赴任することから、色々なドタバタが始まる。
冷たいスープ"ガスパッチョ"が出され、客が「さめているから温めてくれ」なんて、安易だけど笑えます。
町でばったり出会った昔の同級生で成り上がりのニューマン、彼が胡散臭いことはすぐ分かるのはご愛敬。
また、ジノスの兄貴は、ギャンブル好きの遊び人のチンピラで、これも見るからに軽薄で危うい、これもご愛敬。
ジノスが恋人を追って中国に行くことになり、キッチンを兄貴に托すことになるのだが、
ジノスはぎっくり腰になり、他方ジノスの兄貴はキッチンの権利を賭でニューマンにかすめ取られと、
良くあるパターンの連続もまっいいか。
キッチンでのパーティで大量の催淫薬が入ったデザートを食べた客達があちこちでご乱交となるのだが、
セックスシーンは余分だし、ニューマンが税務署の女職員とご関係を持ってしまうと
この後の映画の展開はすぐ予想できてしまう辺りで、脚本、安易すぎるよとちょっと引き気味なり、
予想通りニューマンは刑務所送りになって……。
せっかく覚醒剤ネタなどを使わずここまでかなり軽妙に進んで来たのに、ここに来て催淫薬を使って予想外の出来事が進展するのは、
喜劇では使ってはならないあまりにも安易な禁止技で残念。
最後の落ちもちょっとひねりがなさ過ぎでした。
前半でネタを使い果たし、後半は息切れって感じですかね。
キッチンを手に入れたい資本家をやっつけるネタは、色仕掛けに彼が負けて彼の奥さんにやっつけられるとか、
やり手税務署職員に脱税で逮捕されるとか、グルメ過ぎて食あたりにあってしまうとか、
もう一ひねり・二ひねりで溜飲を下げるのが欲しかったですね。
ジノスの元彼女が大女で、新しい中国人の恋人はジノスより更に小さいかったりと、かわいい女に強く格好いい男のカップル
というパターンなんてクソ食らえってのも面白い。
私は十分楽しみました。
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原作の日系イギリス人カズオ・イシグロはブッカー賞をもらった作家と言われ、
この映画もいくつかの賞を取ったようではあるが私には映画は何ともつまらなかった。
原作については知らないが、シリアスを装っているが、実は設定がいかにも安易すぎるのだ。
イギリスの名門私立寄宿舎学校かのような雰囲気で映画は始まる。
いかにも「英国式」と言わんばかりの持って回ったような思わせぶりなシーンや台詞が何とも嫌みな映画であった。
実は映画では全く説明がないのだが、この学校は金持ちが自分の将来のために自分のクローンを飼育する学校である。
人の臓器移植だけを目的にするのであれば、人間のクローンを家畜や動物として育てることに徹底すればいいのだ。
言葉や文化や社会生活などは一切教える必要はないのに、養護施設の子どものように育てられるのだ。
敷地外に出でれば、森の悪魔に殺され、食べられるという誠に子供じみた噂で育てられ、それを信じる。
この映画は、クローンを作った金持ち達やこの学校が生まれたいきさつや経営などを一切描こうとはしない。
描くことが出来ないと言った方が精確だろう。
彼らの腕には何かブレスレットのようなものが見えたので彼らは常に監視されていて、
逃亡などを企てると即座に抹殺されるのかもしれないのだが、
そういった事情も一切説明しない。
もしそれらを描いたら、ICチップを体内に埋め込み人間を管理したSF映画『未来 世紀ブラジル』そのもの、となってしまう。
そんな学校で育った三人の男女の姿を映画は、「人並みに人を愛し、悩む」まさに純粋無垢の子どものように描く。
人間的感情を一切押し殺し家畜として彼らを育てるのだが、彼らは人間的感情や理性を獲得し、更に言語さえ獲得し、
さらにこのような現実を生み出した人間と人間社会に反逆を開始するのであれば私は十分納得するのだが、
映画では、彼らには人間的反抗や自主性もないかのように従順であり、 
また、こうした事実を社会やマスコミは知っているのか知らないのか、また知っていて問題なしとしているのか?
映画はこうしたことにも一切全て「ほおかむり」で無視なのである。
人間のクローンは必要か、許されるのかと言った問題を社会的に投げかける意図を持っているのかもしれないが、
「過酷な運命を受け入れひたむきに生きようとする儚い青春の一瞬を描いたピュアな美しさを湛え奇跡の珠玉作」とは、
いかに映画の宣伝とはいえ、よくこんな嘘っぱちを書けるものです。
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一つが喜劇、もう一本がちょっとシリアスではミスマッチそのもの、それが一番の問題でした。[見たのは7/18、満員でした。]

国立西洋美術館の英博物館 古代ギリシャ展

2011年07月23日 | 学習
上野の国立西洋美術館で行われている『英博物館 古代ギリシャ展』に行ってきました。[7月23日、1500円]

                                     ロダンのカレーの市民
  
ロダンの地獄の門                エミール・アントワーヌの弓を引くヘラクレス
 

ギリシャ展 は撮影が出来ないので、西洋美術館のHPから引用です。

写真では、その大きさがわから無いのが残念です。私は、大英博物館には行ったことがありません。
ギリシャのものがどの程度あるのかは知りませんが今回の展示は壺が多く、彫刻は小さいものが多いです。
ゼウスの小像などは10センチほどです。

アフロディテ像      エロス像         クーロス小像     サテュロスから逃れようとするニンフの像      ソフォクレス肖像頭部
     

スフィンクス像                   ゼウス小像         ゼウス小像     ナックルボーンの勝負を巡って争う二人の少年の像
   

ニケ小僧                          ヘラクレス像頭部         円盤投げ             後期スペドス型女性像
   

五種競技壺                装飾品                 優勝選手の像     年老いた乳母と乳児の小像
   

壺                       コリント式兜
 
大英博物館の展示と言うことで少し期待して行ったのだが、ボリュームは無かった。
世界最大の博物館だと大英博物館は威張っているが、その多くは略奪して来たものなのだから本物は本国に返し、
レプリカを展示すべきだとつくづく思う。最近の技術は精巧なレプリカが出来るのだから。
そうすれば真の賞賛と尊敬を得ると思うのだが。
私は、2009年にアテネの考古学博物館訪れました。ギリシャ彫刻の洪水でした。
その時の私のブログはここ です。もっと写真を撮ってくるべきでした。
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以下、常設展 [常設展は、一部を除いて、ノンフラッシュで撮影出来ます]
ヴァザーリ[ゲッセマネの祈り]         グレコ[十字架のキリスト]       ルノワール[アルジェリア風のパリの女達]
  
マネ[ブラン氏の肖像]      ルノアール[帽子の女]                  彫刻展示室
  
ピカソ[男と女]            ミロ[絵画]                     ピカソ[アトリエのモデル]
  
藤田嗣治[笑う女]                  ポスター
 
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昨日、今日と夏だというのに肌寒い日でした。周辺を少し散歩しました。
国立科学博物館の庭にあるラムダ用ロケットランチャー
 
寛永寺開山堂両大師堂
 
阿弥陀堂                                  虚空像菩薩と阿弥陀
  
大賀ハス                                                    菩提樹     
  

徳川家綱霊廟勅使額門                        徳川綱吉霊廟勅使額門
 

寛永寺本堂                             虫塚
 
寛永寺の墓所・霊園は周辺に広大なのだが、寛永寺の境内はとても殺風景で本堂があるだけで、ベンチもない。
昼を過ぎて、気温が上がってきたのでここで帰ることにした。夏休みで上野公園は多くの人で賑わっていました。

国際子ども図書館前に小泉八雲の碑が
 

木の根プール開き

2011年07月19日 | ウォーキング
7月17日、三里塚・『木の根ペンション・プール開き』が行われました。
私のブログにはちょっと似合わないが紹介させていただきましょう。
以前あった木の根ペンションは、会議、学習会、交流、NGOの宿泊施設などとして利用されて来ましたが、
土地を所有者へ返還することになり、反対同盟と全国の一坪共有者で所有されている約50メートル離れた現在の地に移転されたそうです。
かつては地元の子ども達のプールとして、そして農業用貯水池としても利用されて来ましたが、最近は利用も少なくなって来たようです。
最近、地元にUターンしてきた大森武徳さんら若者が
「昔、泳いだ木の根プールでもう一度泳ぎたい」と、放置されて来た木の根プールの"再生"を始めました。
大森さんはこの地で生まれ育ちました。彼の父親は長年現地に住み、反対運動の支援活動をして来た人です。
京成成田駅から、芝山鉄道に乗り変えると一つ目の駅が東成田駅、地上に出るとそこは空港のほぼ真ん中って感じ。
東成田駅から空港第二ビル駅までは地下通路でつながれていて、徒歩10分ほどです。
ところで"木の根"の場所とは?
 
ここから南側に歩を進めると、地下道があり、そこをくぐり抜けると木の根ペンションへの入り口です。歩いて15分程です。
 
さて、その周囲は、
   
木の根という地名ですが、かつてこの一帯は農地ではなく「木の根」がはびこる林だったそうです。
開拓に入った農民達は、木の根と格闘し、肥沃な大地を生み出しました。
今その面影はなくなり、木の根という地名にその歴史が残っています。
かつてこの地にも小学校があり、「同盟休校」を行うほどの力を持った少年行動隊がありました。
また、老人行動隊は寡黙に糞尿を投げた。
青年行動隊は、失われていく風景を"壊死(えし)する風景"と呼びました。
さて、眼前の風景をどう表現すればいいのだろうか。
  
                                     大森武徳さん
 
若者のロックバンド、
 
チャンググループ「ウリト」
    
かつて三里塚農民の旗印『日本農民の名において収用を拒む』を思い起こさせるのぼり旗でした。
この踊りは、農民達の雨を求める踊りでもあるそうです。
この炎天下に演奏し、踊る彼らの力に私は胸の高鳴りを覚えました。
私はビール三杯と日射しですっかりグロッキーで、踊りには参加できず、見るだけなのでした。
夕刻から映画会があったのですが、私は参加せず帰りました。

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さて、以下は4月10日、原さんの墓参りの時撮ったものです。
 
 

映画/True Grit、Harold&Maude

2011年07月07日 | 映画

グリットとは勇気、映画のタイトルは、"真実の勇気"ってこと?
14才の少女マティの父親は、雇い人に殺され、お金を取られる。
彼女は父の敵を取るために、連邦保安官・コクバーンに賞金を出して彼を雇い、犯人を追跡するというまことに単純なストーリー。
いくら早熟だと言っても14才の少女が、やり手の男達を簡単に口で言い負かしてしまうなんて、もうまるでコメディ。
スピルバーグが制作陣の一員に名を連ねているというのが売りで、10部門でアカデミー賞ノミネートされているというが、
二昔前どころか三昔前のハリウッドの勧善懲悪の西部劇そのもの。
真の勇気の持ち主は飲んだくれ連邦保安官のことを言うらしい。
彼を演じるスタインフェルドは、実年齢は62才だが、映像ではよぼよぼの爺さんって感じ。
追う側には正義・勇気があるのだから何をやっても良いのだ、悪人はまさに虫けらのように殺してしまっていいのだと、バンバン殺される。
「真の勇者」は悪人を有無を言わさず殺しても良いし、それが「勇気・正義」って言うことなんですね。
他方、「悪人」側は、彼女を捕らえても殺さないのだ。
これは、今日のアメリカの姿そのもの。
ビンラディン殺害のためには彼の家族や子ども、そして無関係な市民まで殺して構わないし、
何をやっても良いのだという昔と今のアメリカの姿を見ているようで途中からとても気分が悪くなった。
色んな困難や障害を超人的に乗り越えて、彼らを追い詰め、銃を使わずに捕まえそして公正な裁判にかける。
そうしてこそ「真の勇気・正義」たり得るし、そうした方がエンターテイメントとしても十分楽しめるのに。
こんな映画が、アカデミー賞を取るのであろうか。
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1971年製作だから40年前の映画で、「俺たちに明日はない」などのアメリカン・ニューシネマと言われる一作だ。
これもストーリーは単純。
このポスターのハロルド少年、どう見ても小学生か中学生だが、19才。
自殺を試みるのではなく、自殺の演技・演出つまりパフォーマンスを演じることが彼の「趣味」だと言う。
死んだ夫が大金持ちだったのかその未亡人は息子に高級車のジャガーなどどんどん買い与える。
大金持ちのぼんぼんが、死を弄ぶ映像が何度も繰り返され、とても不愉快である。
一方、79才のモードは、アウシュビッツを生き延びたユダヤ人女性のようである。
ようであるというのは、数字が入れ墨された腕が一瞬スクリーンに映し出されるだけでその説明は無いからである。
彼女は、残された人生を楽しむかのようにかなり自由奔放というか、気ままに生きていて、他人の葬式に顔を出し、
その後、車などを一時拝借するなどを「趣味」にしている。
何度か葬儀場で遭遇し、ハロルドの高級車を改造した霊柩車が彼女に盗まれたことから二人が意気投合し、
二人が恋愛関係に陥り、ハロルドは彼女と結婚すると言い出す。
私は、この結末、つまりどのようにして映画を終えるのかだけが、興味となった。
80才の誕生日の二人だけのパーティの前に服毒した彼女はその日死んでしまう。
彼は、高級車を崖から落とし、バンジョーを弾くところで映画が終わる。
何とも後味の悪い映画であった。
二人が恋愛関係になるのは構わないが、ナチスのホロコーストを生き延びた彼女が何故自死したのか。
金持ちのぼんぼんが暇と金をもてあましているだけ。
極めて安易な設定なのです。
それはそれで映画としては楽しいのだから、死を弄ばず、車の排気ガスで苦しんでいる並木をどんどん山に移植したり、
暇をもてあましている金持ちの爺さんや婆さんをだましてお金をくすねたり、
セックスしか興味のない男女にちょっかいを出してセックスレスの状況を作るとか、
とにかく「不釣り合い」カップルが奇想天外トリックで権力やセックスや見栄や繕いなどをあざ笑う方がよほど楽しい。
ハロルドとモードは大金持ちから大金を詐欺取って、改造したジャガーの霊柩車で愛の逃避行=
人生の新たな旅立ちを始めるって言う終わり方の方がよっぽど洒落ているのに。
ホロコーストを生き延びたモードが死んだのに、ハロルドはノー天気にバンジョーを弾いているんだから。
モードが自死したんのは、ハロルドが結婚を申し込んだからとしか思えない。
“人生讃歌”とはとんでもない宣伝文句だ。

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久し振りに映画館に行ったのだが、駄作で落胆であった。