風そよぐ部屋

ウォーキングと映画の無味感想ノート

映画・ジュリエットからの手紙/英国王のスピーチ

2011年08月29日 | 映画

わざわざ映画館に足を運んで見るほどの映画ではないが、十分楽しみました。
イタリアのヴェローナは、シュイクスピアの『ロメオとジュリエット』の舞台となった町と言われ、
ロメオとジュリエットの屋敷跡が今も残り、世界各地からジュリエット宛に年間5000通もの手紙が届くと言われ、
ヴェローナの市民は、ジュリエットの秘書たちの名でその手紙の返事を書いているという。
ストーリーは単純。
アメリカ人の記者を目指すソフィは婚約者とヴェローナに婚前旅行に出かける。
彼女はジュリエットの屋敷の壁から50年前そこに置かれた、ロンドンに住むクレアと言う女性のロレンツォ宛の手紙を発見し、
ソフィは、クレアに『ジュリエットからの手紙』を書くことになる。
手紙をもらったクレアは孫とヴェローナを訪れ、そこでソフィアと遭遇し、三人のロレンツォ探しが始まる。
三人というのが味噌で、ソフィの婚約者はニューヨークでイタリアレストランを開店するため一人別行動をとる。
映画での彼の存在=映像はとても影が薄く、ああ、この二人の婚約は破談となるなと予感させるのだが……。
さて、イタリア人の名前は、聖人から取った名前が多いそうで、ロレンツォという名の持ち主はとても多い。
とうとう見つけられなかった三人は、空港に向かう田舎道で、農場に立ち寄ることになる。
そこに白馬ならぬ栗毛の馬に乗ってロレンツォがさっそうと登場するのでした。
このちょっぴり恥ずかし過ぎるシーンはかえって笑えるのですが、おとぎ話風にして、つまりシリアスにしなくて成功でした。
クレアは彼と結婚することになってしまうのです。
クレアを演じるのは『ジュリア』のヴァネット・レッドグレイブ、ロレンツォは実の夫フランコ・ネロです。
ヴァネットはしわくちゃですが何とも上品で美しい。
他方、ソフィの運命も大きく変わるのです。
いかにアメリカ映画といえども、イタリア人が皆英語なのはさすが興ざめです。
私は、ヴェローナには行ったことがありませんが、その町並はとても美しいし、
シエナのカンポ広場などイタリアの観光地や農村風景なども見所です。
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アカデミー賞/国際映画音楽批評家協会賞/インディペンデント・スピリット賞/英国アカデミー賞受賞などを受賞したという。
でも、私としては「それほどの作品ではない」印象。
ストーリーは単純、現在のイギリスのエリザベス女王の父親の物語。
彼は、子供の頃から吃音症で、そのことから様々なコンプレックスを持っていたが、
ちょっとインチキな言語聴覚士と出会い、その障害を乗り越えて、国民に向けて"対ヒトラー戦争"のラジオ放送を成功させる、と言うお話。
イギリス上流階級の何とも鼻持ちならない、貴族趣味とおごりは腹立たしいのだが、それもかなり喜劇チックでだんだん笑えてくる。
賭のお金を請求されて「現金は持ち合わせない主義だ」とか、「私は王だ、ファーストネームで呼ぶな」とか。
他方、側近達の王へのへつらい過ぎとおべっかなど。
だが、セットなどがいかにも貧弱で迫力が感じられないのは残念な。
吃音は、コメディなどでは「お気軽なアイテム」として"笑い"の題材によく使われる。
ウディ・アレンの機関銃のようなおしゃべりと吃音の対比もその一種だと思うのだが。
この映画は喜劇ではないのだが、ユーモア・皮肉もたくさんあってこの場面の笑いは、吃音とは無関係?、
笑って良いの?と迷うような感じが私にあったのも事実だ。
そう、吃音はそうでない人にとっては軽い笑いの題材となりうるのだが、それが吃音症の人をどれだけ傷つけているか。
その点から映画の題材として吃音症は難しいと思うのだが、よく取り上げたなとは思う。
私は、イギリスの貴族趣味は嫌いだが、イギリス英語はなんともきれいで耳に心地良い。

南越谷~東川口、浦和~北浦和を歩く

2011年08月21日 | ウォーキング
8月20日、朝7時に目が覚め、涼しかったので久し振りにウォーキングに出かけた。
天気予報では雨は午後からという、いつ雨に降られても良いように近い所で線路際を選び、
簡単な地図を用意して出かけた。
武蔵野線・南越谷から東川口まで歩いた。

武蔵野線の特徴は、駅間が長いこと。直線距離でも4kmはある。

観照院
 
  
 
 
境内に入ると、雨がちょっぴり降ってきた。でも、5分もすると止んだ。
観照院は古刹のようだ。本堂脇で、ご住職が御塔婆を書いていた。
観照院のお知らせ                               稲荷神社
 

山王日枝神社                            "くわい"の畑[かなり深い水が張ってある]
 

薬師堂                                 万蔵院
 
 
東川口駅前で珍しい"チンドン屋"がウエルコムの宣伝をしていた。カメラを向けるとポーズを取ってくれた。
電車に乗り、南浦和から浦和に行き、浦和から北浦和まで歩いた。



延命寺のムクノキ                            本太氷川神社
 
 

八雲神社
 

顕昌寺                                薬師堂                     北浦和・ふれあい通りのモニュメント
  

夏季は、屋外のウォーキングはしない、冷房の効いた午後のスポーツジム、でもやはり屋外・道路を歩く方がはるかに楽しい。
ジムでは、長くても45分ほど歩くと飽きてくる。
日本の町並、風景はどこに行ってもほとんど同じなのだが、室内のジムとは違う。
歩く時は、寺社をマーカーした地図を元に歩くのだが、それらの場所がわからないとイライラする。
別にそこに絶対行かなければならないわけではないのだから、わからなければパスすればいいのだが、
意地でも行きたくなってしまうから不思議だ。
そして、そういう時は急ぎ足になり、とても疲れもする。
最近は、インターネットの地図がとても便利だが、あまり細かすぎると何枚も用意しなければならない。
縮尺が大きすぎると路地が分からないし、その兼ね合いが難しい。
日本では、よっぽどのことが無い限り人のに道は聞かない。
尋ねると、ほとんどの人は親切に教えてくれるのだが、中には人と話すのが嫌な人もいると思うから。
この日は、観照院境内で5分ほど小雨に降られたが、後は終日雨に降られず、気温も低く、
時折吹く風は少し汗をかいた体を冷やしてくれ、心地よかった。
観照院は真言宗の古いお寺で、本堂に入って参拝してきました。
浦和の延命寺の他は小さな寺社でした。
2時間ほど歩いて、東川口駅に着いた頃少し疲れてきたがこの日はちょっと頑張って、浦和まで電車で行き、
そこから北浦和駅まで歩いた。
本太氷川神社を目途に歩いたのだが、詳しい地図を用意しなかったので、だいぶ道に迷ってしまった。
夏のジムで汗をかいて体重が少し減ってきたが、スタミナが少し落ちて来たように感じる。
10月には白馬で「聴覚障がい者のための白馬里山紀行」があり、
また、11月にはベトナムへの旅行を計画しているので、これから少しずつスタミナをつけて行きたいと思っている。

映画/多田便利軒・津軽百年食堂

2011年08月19日 | 映画

面白かった。
映画のタイトルの『まほろ駅』と言う架空の駅・町が出て来る。
どこか見たことがあるなと思うと、やはり町田駅周辺のようであった。
瑛太(多田)はまほろ町で、便利屋を営む。
仕事で出かけた多田は、郊外のバス停で、サンダル履きでいかにも貧しそうな松田(行天)とバタっと会う。
多田は、小学生の時行天の小指に大けがをさせ、そのことに後ろめたさを持っていた。
行天は、伊藤ゆかりの『あなたが噛んだ小指が痛い』を口ずさみ、多田の所に転がり込む。
行天は立ち去る時バス停のベンチの上に「包丁」を捨てて行く。
この事情は、映画の終わり頃に明かされる。
松田龍平を初めて見た。彼は、表情を変えず、台詞も独り言のように話す。
行天の実像がなかなか?なのだが、彼の台詞はとても哲学的味わいがあって(覚えてはいないが)、
映画が進むにつれて、彼の「特異な優しさ」というかナイーブさが伝わり、それがこの映画に深みを与えている。
走るシーンで松田は腕を下の方で小刻みに小さくしか振らない。
これはどう見ても運動の苦手な人の走り方だ。
それは彼の演技なのかどうか分からないのだが、演技だと良いなと思った。
松田龍平は味わいのある俳優だなと思った。
行天の元妻役は本上まなみ、彼女の映像を見るのは初めてだが、意外に背が高く、年取っていた。
彼女のスローな話し方はとても耳に良かった。
瑛太は台詞が単調で上手いとは言えない。
薬とやくざが出て来るが、極悪人でないのは良いが、薬を扱うのは良くない。
多田と行天の二人がいつも煙草を吸っているのは非常に不愉快で、悪い。
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ストーリーに特別の工夫があるわけではなく、いわゆる「ご当地もの」だけ。
青森弘前城の桜はきれいだが、それだけ。
オリエンタルラジオの藤森はへただった。
ソバが題材の映画なのに、ソバを美味しそうに食べる表情でなかったのが残念。

アメイジング・グレイスAmazing grace/Somewhere

2011年08月11日 | 映画

イギリスの奴隷貿易撤廃を巡る物語。
私は、この史実をよく知らなかったので、興味を持って見ていたのだが途中から不愉快さも覚えた。
それは、イギリス社会・文化の鼻持ちならない尊大さに不快感と怒りを覚えたから。
イギリスは、現代民主主義の基礎を気づいたなどと言われるが、それは植民地主義=他民族の侵略と略奪の上に得たものだ。
イギリス上流階級の地主と貴族は「上品」を気取るが、それは多くの人々の犠牲・搾取によって得たものだ。
この映画でも、奴隷貿易反対の根拠・理由は薄っぺらいヒューマニズムだけだった。
彼らの犠牲の上に成り立つ自分たちの「不労裕福」の反省や彼らへの謝罪や賠償などは皆無であった。
イギリス・フランス・スペイン・アメリカらはかつて侵略し搾取した人々への真の謝罪と賠償を今日なお果たしていない。

折しも、イギリスでは民衆の"暴動"が起きている。
発端は、車に乗っていた黒人男性を警官が射殺したことだ。
世界中で、人々は現在を楽しく、将来に希望を持って生活できないでいる。
他方、一部金持ちは円やドルを売ったり買ったりして儲け、先の地震では100億円もの寄付をした人もいるし、
ビル・ゲイツの資産は5.5兆円で、世界の国の中で75番目位、エチオピアや北朝鮮をはるかにしのいでいると言われる。
人々の願いは、遊んで暮らすことではない。
日々まじめに仕事し、税金を払い、食べ、寝、時々余暇を楽しみ、病気になったら医者に行き、年取って死んで行くこと。
そんなささやかな幸せを与えることが出来ない社会に人々は怒っているのだ。
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67回ヴェネチア国際映画祭金獅子賞受賞と言うが、私としては駄作以外の何物でもなかった。
ソフィア・コッポラ監督つまり父親の七光りで受賞したとしか思えないのは私のひがみか。
さて、映画のストーリーは、ハリウッドスター・ジョニーは、フェラーリを乗り回し自由気ままに生活している、
離婚した元妻と暮らす娘と短期間一緒に暮らすことになる、
彼は、自分の日常の日々が空虚な人生だと知るストーリー。
彼らには一切の生活感を感じないし、コッポラ監督はつまらないシーンをノーカットで長時間、例えば、
つまらないデリバリーストリップショウを2回も延々と流す、プールサイドで寝っ転がる二人のシーン、ただ煙草を吸うシーン、
私は、途中で退席しようと何度と思ったことか。
映画祭の"賞"ほどいい加減なものは無いとつくづく感じます。 [見たのは、8月1日]

小出裕章「いま福島原発で何が起きているか」/映画・チャイナシンドローム

2011年08月08日 | 映画
広島原爆の日の8月6日、蕨市のホール『くるる』で映画会があった。 
小出裕章「いま福島原発で何が起きているか」
小出さんは、京大原子炉研究所の先生で、御用学者ではない数少ない原子力研究者の一人。
この日は、講演会ではなく5月頃行われた小小出裕章へのインタビュー「いま福島原発で何が起きているか」(DVD)の上映。
小出さんのお話は、かなり一般的なことだったので私には少し退屈な所もありましたが、
放射能に汚染された農産物を食べて、福島の第一次産業を守る、と言うお話にはドキっとしました。
第一次産業を守るとは、汚染された農産物を政府や東電が買い取って廃棄することで成り立つそれではない。
生産者は、自分の作るものが消費者に食される期待や喜びがあってこそ生き甲斐を持って生産できるのであって、
廃棄を前提とした生産は、生産者の尊厳や矜持を奪うものであって、結局廃れれていくに違いない。
原発に依存した今日の社会を作ってきたことに年配者は一定の責任を負うのであって、福島の第一次産業を守る責任をも持つことになる。
もちろんその前提として、東電は全ての生産物の放射能値を公表し、60歳代はここまで食すことが出来る、などのガイドラインも必要だと説く。
放射線の被曝による影響は、年配になるほど逓減するのだし、多くの人が罹病する癌への特別の影響も加齢によって減っていくのだから。
汚染された作物を食べよう、という主張は新鮮味や重い問題を提起しているが、どれほどの現実味や大衆に支持されるかという疑問は残る。
だが、今日の復興を巡る論議では、人々の誇りや生き甲斐に支えられた第一次産業の存続という視点は全く欠落しているのであって、
実に新鮮で健全な視点を投げかけていることは特筆することだと私は思う。
日本の社会はこれまで、「自分だけ(国・会社・個人)儲かればよい」と言う社会であって、
他の人々の喜びや悲しみにを思いを寄せ、お互いが誇りや共感をを持って生きることが出来る社会の有り様は今後目指すものかもしれない。
私にはその具体的姿や道筋は見えてこないのだが。
第二は、子ども(学童や児童)への被爆の影響は極めて深刻と言うこと。
20ミリシーベルトは、小出さんのように原子力に関わる人の数値なのに、政府はそれを子どもの被曝量限度値にしている。
子どもの被爆をより少なくするためにも恒常的ではない、"疎開"のシステムが必要とされている、との主張も納得できる。
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原題:The China Syndrome、ジャック・レモンとジェーン・フォンダ主演の1979年制作のアメリカ映画のDVD上映。
もし、アメリカの原子力発電所がメルトダウンを起こしたとしたら、地球を突き抜けて中国まで熔けていってしまうと言うジョークから。
この映画が公開されたのは1979年3月16日、そのわずか12日後の1979年3月28日に、スリーマイル島原子力発電所の事故があった。
原発の所長ゴデルは、施設の整備不良があり、今すぐ発電所を止めないと大変なことになることに気づきくが、
彼は追い詰められ、原発の中央制御室を占拠せざるを得なくなってしまい、その場でマスコミを使って訴えようとするが、
利益優先の経営者らの策略で射殺されてしまう。
アメリカ映画としては原発のメルトダウンや大爆発を描くのは無理ではあるが、
警備員の拳銃を奪い、原発の中央制御室を占拠し、警官に射殺されるといういささかちゃちで荒っぽい結末には大失望ではある。

この映画の後、今中哲治さん(京大原子炉研究所の先生)の「低線量被ばくとは」(DVD)の上映が行われたが、
夕方から友人の送別会に参加したので見なかった。
その友人とは、木の根プール再生や原さんのお墓などを身守ってこられた人で、
彼は、この度、35年住み慣れた三里塚を離れ、お寺や古墳のたくさんある関西・奈良の方へユーターンすることになった。