風そよぐ部屋

ウォーキングと映画の無味感想ノート

映画4題=嗚呼満蒙開拓団・精神・その木戸を通って・美代子阿佐ヶ谷気分

2009年11月30日 | 映画
11月29日は寒く、30日は雨で池袋文芸座に行った。
『気になる日本映画達2009上半期ベストセレクション』の宣伝文句に惹かれて。

11月29日
嗚呼満蒙開拓団・精神の二本はドキュメントで特別に映画館で見た方が良いという作品でもない。


嗚呼満蒙開拓団
旧満蒙の"方正"と言う所に中国の省政府によって満蒙で倒れた日本人のための墓が作られた。
日本に帰国した人々がその地を訪れ、墓参し、昔日を語る。
中国残留孤児達の今日の姿をこれまでとはかなり異色の視点で捉えている。
この問題に出会う度に中国人と中国のふところの広さを痛感し、心和む。
もちろん全ての中国人と中国がそうではないのが尋常ではあるのだが。

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映画『精神』は、精神病患者と彼らを取りまく人々のドキュメントであって、
その病にならないためのハウツーもの・その病の治癒のハウツーものでもない。
彼ら個々の語りが少し長すぎる嫌いはあるが、声高にお説教したり啓蒙しようとしないで、
淡々と彼らと彼らを取り巻く人々の生活を淡々と描いているのが何より良い。
とにかくこの"淡々"がとてもいい。
"精神の病"、特に鬱と統合失調症は今日、誰もがなり得る病であり、我々が密かに強く恐れている病である。
私はかつて読んだ、北海道浦河市の「べてるの家」の本を思い出した。
「べてるの家」の取り組み、理念と精神は素晴らしい。
その本は『べてるの家の「非」援助論』といい、無条件でお薦めである。
ベテルの家のHPは、ベテルの家

この二つのドキュメント映画は、とにかく深刻でなく淡々が良かった。


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11月30日

その木戸を通って

「海外の映画祭で賞賛された」との宣伝文句と市川崑監督に惹かれたのだが、
記憶喪失の女・浅野が結婚間近の中井の所を訪れ、中井達に請われ、そこに居付き、
中井は出世が約束される婚約を破棄し、記憶喪失の彼女と結婚してしまうなんとも陳腐なストーリー、
その上、能面顔の浅野ゆう子の演技がまことにたくそで興ざめで、文句なしに駄作である。
でも、中井貴一の喜劇っぽさ、フランキー堺、井川比佐志、岸田今日子は良いな~。
映画の中でサックスが流れる、この音楽あわないなと感じた。

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美代子阿佐ヶ谷気分

昨日『精神』を見たので、主人公の漫画家・阿部慎一が創作に行き詰まり、心が壊れて行くのが深刻であった。
"ガロ"とはずいぶん懐かしい名前だが、その時代はもう30~40年も前の時代だろう。
それは、漫画界でもかなり特殊というか、ユニーク・マイナーで刺激的な作家・作品も多かった。
白土三平の"カムイ伝"などが有名だ。
その世界は、当時確かにベトナム反戦や色々な社会運動と国際的に連係していたのだが、
漫画界の主流=大衆的ではなかった。
阿部の漫画を私は知らないが、この映画を見る限り、"かぐや姫"の「神田川」や「同棲時代」の世界より真剣ではあるが、
それらとはそれほど大きくは変わっていないし、より優れているとは思えなかった。
セックス描写が過激でなく、動きがないのが何より良かった。
妻の美代子が彼を見捨てなかったのがおもしろく、私にはよかった。

二日で4本の映画はちょっときつかった。特に後の2本は退屈だったので、疲れた。

東急大井町線~豪徳寺を歩く

2009年11月29日 | ウォーキング
今日[11月28日]は、東急世田谷線沿線を歩いた。
東急世田谷線は、三軒茶屋と下高井戸を結ぶローカル線で、ほとんど路面電車の感じだ。
車両はカラフルな2両、約6kmを20分140円、なっなんと5分間隔で走り、利用者は多い。



私は、太子堂が円泉寺にあるとは知らなかった。
三軒茶屋駅から歩き出したのだが、わからないので何人かの人に聞いたのだが、知らないのか、
うまく教えられないのなかなか答えが曖昧で、どうしても行き着けなかった。
そしてやっとの事で最初に行きついたのが竹園山最勝寺教楽院=目青不動であった。
実は、東急世田谷線の三軒茶屋駅と東急田園都市線の三軒茶屋駅は実はかなり離れていて迷ってしまったのだ。
竹園山最勝寺教楽院=目青不動

ここ[教楽院]は太子堂ではないのではといぶかりながら駅に向かう途中、庭の手入れをしている年配の人がいたので、
「太子堂に行きたいのですがどこですか?」と聞くと、この人がやっと的確に教えてくれた。
だが、道順は簡単では無くかなり遠いので途中までの道順・目印のゴリラビルを教えてくれた。
その付近で改めて道を聞き、やっとの事でたどり着いた。
ゴリラビル        円泉寺・本堂                         子育て地蔵                 
   
太子堂        太子像  入り口近くに『林芙美子旧宅』(=この路地の奥の長屋に住んでいた)の案内があったのだがわからなかった。

三軒茶屋駅に戻り、松陰神社駅まで電車で行く。

松陰神社


山口の松陰神社にある松下村塾のレプリカ

一つ一つの部屋は狭く建物も狭い。この中で明治の英雄達が育ったのかと思うと感慨が深い。

吉田松陰は魅力的英雄の一人だが、祀られているとは知らなかった。
松陰神社の本家とも言える山口県の松陰神社のHPはこちらから。山口県の松陰神社

ここからしばらく電車に乗らず歩いた。
勝国寺

薬師堂                      


世田谷城址公園[1590年、豊臣秀吉の小田原攻めで敗北、廃城となった]


大谿山豪徳寺
 
仏殿

本堂

納骨堂              三重の塔            梵鐘      
   
招福観音殿[本尊はなんと招き猫、これはどうしてもやり過ぎです。]


広大な井伊家の墓[直弼の墓は工事中]
 

世田谷八幡宮                            奉納相撲が行われ土俵と観客席が
 

宮の坂駅まで戻り、電車で下高井戸まで行く。
駅前は車が通れない狭い路地で市場のような商店街だった。
そこを抜けると一般道の甲州街道、その上を高速道路が走っていて、街を遮断しているようだった。
甲州街道を横断すると、玉川上水永泉寺緑地、だが現在永泉寺という寺は残ってなく、地名だけが残っている。
その玉川上水永泉寺緑地[この右側が甲州街道・高速道路]


龍泉寺[曹洞宗]                          北向地蔵と六地蔵
 
天災戦災者供養塔       干支地蔵尊菩薩
 

永昌寺                                玉石薬師
 

本應寺[フリーマーケットを開いていた]               法照寺
    

永福栖岸寺


浄見寺                        善照寺   
   

託法寺                               真教寺
   

当初の予定では、京王線下りに乗って蘆花恒春円、安穏寺まで足を伸ばす予定であったが、
それにはあと一時間ほどかかるし、3時を過ぎたので下高井戸駅まで戻り、そのまま京王線で新宿に出、帰宅した。

豪徳寺はお薦めです。
座って仏像に静かに対座するのはとても良いもので、心が落ち着きます。
でも、日本の多くの寺院では建物内は開放されていないので、仏像を見ることは出来ません。
ガラス越しに覗くことができるお寺がありますが、その多くでは厨子の扉が閉じられ、仏像を見ることが出来ません。
がっくり、残念です。

松陰神社が東京にあることを私は知りませんでした。
吉田松陰は幕末、ふっと歴史に登場し、ふっと消えていきました。
その肖像画からは、松陰はアメリカの船に密航を企てたとは思えない弱々しさで、
彼のどこにそんな過激な激情があったのかは想像できません。
彼にはろう者の弟がいたことも歴史のエピソードです。
でも、どんなに英雄で魅力的人間であっても、死した後神となるのは私にはやはり違和感があります。
日本では死んだ兵士も神として靖国では祀られています。
菅原道真も、乃木希典も、吉田松陰もその死後、神となりました。
多くの歴史上の有名な人の墓には鳥居があって神となっています。
不思議と言えば不思議な文化です。
ですが、私は好きなではありません。
生存中も差別があり、死して後も差別があるなんてやはりおかしい。

松陰神社で昼食を取っている時、三人の外人が来たので英語で話しかけた。
「この神社は明治時代の英雄の神社です。彼は教育者でした。
その学校からは多くの英雄が育ちました。
日本ではこのように英雄は死んだ後、神となって慕われています。
神道は仏教とは別です。不思議でしょうがそれも日本の文化の一つです。」などと話した。
相手が喜ばなくても、伝わらなくてもいいのです。
私の英語の勉強なのですから。

大井町線~九品仏・浄真寺辺りを歩く

2009年11月28日 | ウォーキング
東急大井町線(大井町と溝の口を結ぶ)~九品仏・浄真寺辺りを歩く 11/27

JR大井町駅から東急大井町線に乗り、下神明駅で下車した。
神明天祖神社                           交番脇に地蔵堂が


戸越公園正門・薬医門[旧細川藩下屋敷]

戸越公園駅まで歩き、荏原駅まで電車で行く。
法蓮寺                               恵比寿神社


旗岡八幡神社[源頼信が平忠常の乱を平定するためにこの地に陣を引いたという]旗の台の地名の由来

絵馬を飾ってある建物 猿駒止めの絵馬は社務所に。宮司が二階まで案内してくれリーフレットなどをくれた。

荏原駅まで戻り、九品仏駅まで電車で行く。

九品仏唯念仏浄真寺[三つのお堂に三体ずつ計9体の阿弥陀如来像が安置されている]


焔魔堂                                                  脱[或いは奪う]衣ばばあ

開山堂

仁王門=紫雲楼[楼上に阿弥陀如来と菩薩が安置されている]、この先は彼岸=浄土と言う。

鐘楼                      その脇に奥沢城址跡の碑が

三仏堂[向かって左から、下品[ぼん]・上品・中品の三つのお堂があり、それぞれに三体の阿弥陀如来像=計9体の仏]
下品

上品

中品

左から、下品、上品、奥に中品

開山廟                              阿育王[あしょかおう]

本堂                                 釈迦牟尼如来像

仏足石                  本堂を脇から

九品仏駅まで戻り、電車で等々力駅へ。

満願寺                                一言地蔵堂     金剛菩薩像 


玉川神社                              クスノキ[名木百選]       薬師如来瑠璃光院


薬王院金剛寺                         霊仏北向薬師如来堂


自性山覚願寺                          境内で幼稚園を経営


上野毛自然公園[覚願寺の後ろ]


九品仏唯念仏浄真寺は落ち着いて、見応えがあった。
紅葉も美しかった。
せっかくの九品仏なのに、遠くからのガラス越しでしか見られないのは至極残念である。
警備上の事があるのだろうが、開放してほしいものだ。

落語で有名な目黒のサンマも江戸時代は田舎であった。
東京はいつ頃から下町・山手の差別化がはじまったのだろう。
東京の公共鉄道網は今なお進化していて、乗ったことがない路線が沢山ある。
日本に始めてきた外国人はこの交通網をどのように利用しているのだろう。
だが、日本の鉄道の駅はどんなに小さな駅でも綺麗な公共トイレが整っている。
また、表示についても英語ではほとんどなされ、中国語・ハングルもかなり見かける。

東京の京急や東急など私鉄各線は埼玉県とは違う感じがし、華やいだ雰囲気がどこかある。
街・路地は狭くすごくごみごみし、消防車が通れない路地も沢山あるのだがるのだが。
同時に、手入れが行き届いた庭を持つ広い住宅も目に付く。
街を歩く人々の普段着の服装も少しこぎれいに感じる。
だが、どこか気取っていてよそよそしさも感じる。
自由が丘や田園調布など今は華やいだ人気のエレア・ゾーンだが、
昔は下町でまさに畑も結構あった田園地帯であったのだが。
人は果たして、どんなことを基準に住む地域を選んでいるのだろうかなどと考えた。
生まれ育ったとか、世間の評価とか、親戚・知人がいるとか、自然が残っているとか、
通勤・通学や交通の便がよいとか、色んな事が関係している。
住宅費などもだいぶ違うし、子どもの教育環境にも違いがあるようだが。

東京は広い。

鎌倉・鶴岡八幡宮、藤沢・遊行寺

2009年11月26日 | ウォーキング
「大本山光明寺と浄土教美術ー法然上人八百年大御忌記念」(11月29日まで)が
鎌倉国宝館で行われてるというので出かけたのだが、休館であった。[11/24]
鶴岡八幡宮と遊行寺(藤沢)を参拝した。
遊行寺は前から生きたいと思っていた寺ではあったが、地図や事前の準備なしに出かけた。



鶴岡八幡宮
太鼓橋[昔は渡れました]            白幡神社

若宮[下宮]                         大銀杏             舞殿                  


本宮


丸山稲荷                      宝物殿[200]


祖霊社                              流鏑馬馬場         旗上弁財天社

鶴岡八幡宮参道


鶴岡八幡宮は大変な人混みであった。
真っ先に、「大本山光明寺と浄土教美術ー法然上人八百年大御忌記念」が行われている
鎌倉国宝館に向かったのだが、閉館であった。
気を取り直して、八幡宮を参拝した。
八幡宮境内はかなり広いが、参拝する箇所はそんなに多くはなく小一時間で終わった。
近所に寺社は沢山あるが準備してきていないので、遊行寺に行くことにした。

JR線では、東京近郊から鎌倉・江ノ島間には、
ホリデー・パスとトクトク切符周遊タイプの二種類の格安チケットがある。
東京郊外例えば埼玉からなどからならホリデー・パス[休日のみ]がお得であり、
江ノ電を使う場合は、トクトク切符[周遊券タイプ]がお得である。
小田急線の場合にも同様のチケットがある。
今回私は鎌倉だけだったので通常切符で出かけたのだが、
急きょ藤沢まで行くことになったのでトクトクの方がお得であった。
藤沢へは、鎌倉から一度大船[東京方向]に行って、東海道線で二駅ほど下る。
藤沢駅には、観光案内所がありそこで「藤沢で有名なお寺に行きたい」というとそれだけで遊行寺の地図をくれた。

遊行寺までは歩いて15分ほどだった。

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遊行寺 [ゆぎょうじ]
遊行寺は、時宗の総本山で"藤澤山無量光院清浄光寺"というのが本来の名で、
藤澤山という山号が藤沢という町の名になった。

時宗はあまりなじみがないかもしれないが、一遍上人が開いた宗派であって
「南無阿弥陀仏決定往生六十万人」と刷り込まれたお札を総ての人々に配ることに腐心された。
一遍上人は、寺院を建立することなく多くの人々に念仏をすすめて歩いた。

【時宗について】~フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」より
浄土教では阿弥陀仏(阿彌陀佛)を信仰する。
また、浄土宗では信心の表われとして念仏を唱える努力を重視し、
念仏を唱えれば唱えるほど極楽浄土への往生も可能になると説いた。
浄土真宗では信心のみを重視し、信じるだけで往生は約束される、念仏は行である、と説いた。
それに対して、時宗は、阿弥陀仏への信・不信は問わず、念仏さえ唱えれば往生できると説いた。
仏の本願力は絶対であるがゆえに、それが信じない者にまで及ぶという解釈である。
時衆とはもとは一日を6分割して念仏する中国の仏教の宗派の人々を言い、
この遊行寺で使われるようになったという。




1 総門  いろは坂                   いたわりの朝太郎の墓[いろは坂をしばらく上ると左にある]
  
2 は無し

3 真徳治
 

4 真浄寺 
 

5 大銀杏[銀杏の右下に車が映っていて大きさがわかる]と本堂


6 一遍聖人像         7 本堂
 

8 地蔵                           9 小栗堂・長生院
 

10 小栗判官公墓所                    名馬鬼鹿の墓    照手姫の墓 

厄除地蔵尊


11 稲猫供養塔                       12 歴代上人廟所
 

13 納骨堂                     14 宇賀神[神社の背後弁財天]
 

15 銅鐘                           16 中雀門
 

17 御香方                           18 宝物館
 

19 敵味方供養塔    畜生供養塔
 

沢山の観光客であふれる鶴岡八幡宮と人気のほとんどいない遊行寺とは、とても対照的であった。
私は、穏やかで静かな遊行寺がとても気に入った。
だが、本堂に入れないのは残念であった。
また、宝物館がウイークデーは開放されないのも残念であった。
境内等の手入れが十分行き届いていないところもあるやに感じた。
小栗判官や赤城の山の朝太郎の墓などもある。
広い境内には古い地蔵や墓などが随所にある。
お薦めのお寺である。

映画・ゆずり葉

2009年11月25日 | 映画
全日本ろうあ連盟創立60周年記念映画『ゆずり葉』を見た[11/22]。
SPEEDの今井絵理子が準主役[主役のろう者の妻役]で出演している。


私の正直な感想、佳作とは言えない。

ろう者への「理解・啓発・手話の普及」を目的とする啓蒙映画とエンターテイメントの映画にはギャップがある。
ろう者運動の歴史や手話通訳の問題などをどうしても説明的に説明してしまうのである。
エンターテイメントの映画としてはそれは目的ではない。
限られた時間の中でその両者を無理なく溶け込ませるのは容易ではないだろう。
結果として、説明も中途半端になってしまう。

映画は、過去と現在を織り交ぜて進む。
過去は“セピア色”で描いているのだが、その映像・色が全く綺麗ではない。
その上、その行き来が多すぎて、ストーリー展開が途切れてしまう。

「ろう者が脚本を書き、監督を行い、映像をつくる」というだけで価値があるとされる時代ではもはや無い。

身重の早苗が倒れた時、雪の降る夜一人でリヤカーで彼女を病院へ運ぶのはリアリティがあるだろうか。
40年前と言うから手話通訳制度もなかったし、ファックスも確かになかった。
だが、敬一と早苗は手話サークルに通い、ろう運動の先進者であった。
彼らは決して孤立した人間ではなく、彼らを見守り助け合う友人たちがいたはずである。
敬一は、妻・早苗と子どもが死んだ時、彼らの死を見届けなかった。
映画では、生まれたばかりの赤子の産声はろう者の敬一には聞こえないと思った早苗の父親が、
敬一を殴り、追い払い、赤子は死んだことにして、その赤子を育てる。
早苗の親が「全ての責任は敬一にある、敬一には子を育てることは出来ない」と子を取り上げることはあり得るし、
そのストーリーの選択も可能であったと私は思う。
世俗的だが、入籍していたかや、葬式の問題もあったと思うのだが映画は触れない。
敬一はろうあ運動に積極的に関わっていたし彼の仲間はそうしたことに思いをはせなかったのであろうか。
赤子は実は死んでいなかった、その赤子は五朗だと観客がわかった時、
早苗の聞こえる両親の取った行いに理不尽さ・非道さを感じる。
その事実を知った五朗は果たして祖父母を許すことが出来るであろうか。
死んだはずであった子どもは実は生きていて、五朗であり、敬一と五朗は実の親子であったとは、
あまりに不自然なというより安易なストーリーに私は感じた。
“ゆずる”は実の親子間だけでなくともつづられて行く、その方が良かったのではないだろうか。




敬一と早苗は映画を一緒に見に行く。早苗は映画を見ながら横で手話通訳をする。
このシーンはとても不自然である。
暗い映画館でスクリーンを見ている隣同士の二人が、手話を見、理解出来るのであろうか?
ろう者の敬一が音を立ててせんべいを食べながらる映画を見るシーンがある。
早苗と敬一が出会うきっかけとなる大事なシーンである。
だが、ろう者だからと言ってこれは仕方ないこと、当然な事なのであろうか。

ストーリー・エピソードが気になり始めると、次々と小さな事も気になるものである。
例えば、敬一の部屋のセットは新婚当初も老いた時も貧弱で生活臭がない。
五朗がプロポーズする時、身重の彼女をぬらしながら雨の中でする必要はない。
結婚を決意した五朗は「これからはきちんとした仕事に就く」と彼女に告げる。
俳優への情熱はなくなったのか、俳優はきちんとした仕事ではないのか。
公園らしきところでロケするシーンで、聞こえる人が無神経にロケを邪魔したり、
聞こえる人が「おまえらうるさいんだよ」と文句を言ったり、
本番撮影でフィルムが入っていなかったり、そのことで殴り合いの喧嘩をしたり、
そのほか何かあるとすぐ殴り合いの喧嘩になるのも違和感があった、等々である。

またこのエピソードも入れたい、このカットも入れたいとの思いは、
十分わかるのだが、短い時間であれもこれもはやはり無理がある。

この映画には、音楽がほとんど使われなかった。
私は、このことがかなり気になった。
かといって全く使わないと言うのでもない、使っているのである。
三回ほど使っていたのではないだろうか。
「呼び鈴の音」などと音を字幕で説明しているのだから音には神経が行っているはずである。
私は映画において音・音楽が果たす役割はとても大きいと思う。
映画では、言葉ではなく、音や音楽で感情を表したり説明することは良くあることだ。
音・音楽のないろう者にとって、そうした場面ではどのように感じるのだろうか。
重低音を感じるろう者はいるようである。劇場での多方向からの音の臨場感はどう伝わるのだろうか。
私が映画を映画館で見るのは、画面が大きいだけではなく、音響・音楽の偉大さもあるからだ。
音と音楽をどのように使おう、あるいは使わないと話し合ったのだろうか。
そもそも音や音楽を全く使わない方法もあり得るとは思う。
ろう者の日常の生活のように。
その場合、音と音楽に大きく依存している聞者にも見てもらう映画を作るためには、
音と音楽をどのように取り入れるのであろうか。
それともそういうことは考えなかったのであろうか。
私は、映画を見ながらそんなことも考えた。

俳優の演技が上手いとは私には思えなかった。
手話については、私は全くの素人だが、手話表現ががとても豊かであるとは思えなかった。
例えば、手話はろう者同士の会話の時とろう者と聞者の会話の時とでは、同じではない。
スピード・単語・表現の差異・違いがあると私は思う。
それらは十分に展開されていたのだが、私の手話力では私が気がつかなかっただけなのかもしれない。

いずれにしても色んな事を考えた映画であった。
言い過ぎ、誤謬があるかもしれないが思い切って公表する。

今回の上映が映画館ではなく、小画面・音響不十分の会場で行われた、という事情があったとしても
私はこの映画にB級上の評価を与えることは出来ない。
「理解・啓発・手話の普及」を無視し、徹底してエンターテイメントに徹するのが良かったのではないだろうか。
行く手には、名作「名もなく貧しく美しく」、その続編「父と子」が待ち受けている。

祐天寺・五百羅漢寺・大円寺石仏群そして山手七福神

2009年11月24日 | ウォーキング
小春日和に誘われて祐天寺駅から目黒辺りを歩いた。11月23日。


青の旗印は山手七福神

浄桂院


祐天寺 [本堂は工事中]
阿弥陀堂                                         累[かさね]塚[鶴屋南北の芝居で有名な累一族の怨霊を鎮める]

仁王門                         子守地蔵尊        海難供養塔・碑


永隆寺                              大島神社
  

大聖院                              切支丹灯籠


蟠龍寺      阿弥陀堂  

岩窟弁財天

弁天堂


海福寺 [黄檗宗=禅宗のお寺、隠元が開き中国風の禅宗]
四脚門[親柱と前後四本の柱]

文化四年永代橋崩落横死者供養塔     隠元禅師の銘が入った鐘 武田信玄屋形にあったという九層の塔


五百羅漢寺                                           松雲羅漢[開祖像=参道入り口にある] 
   
本堂                                                           
【引用】 羅漢堂

包魂の碑                            徳川吉宗御腰かけ石        

入館料300円。入り口、建物はかなりユニーク。五百羅漢は一見の価値がある。

瀧泉寺
仁王門                               水掛不動明王                             

本堂

銅造大日如来座像[本堂後ろにある] 護衛不動尊          延命地蔵尊

銅造役行者倚像   地蔵堂                            精霊堂

観音堂                 

本坊[=阿弥陀堂]

本居長世の碑[作詞家=十五夜お月さん]           勢至堂

北一輝碑       前不動堂                       独鈷の滝

恵比寿神            意志[石]不動           愛染不動明王

目黒寄生虫館          青木昆陽墓


大円寺石仏群                         子安地蔵

全景[石仏は左]                         本堂

とろけ地蔵                      釈迦堂


薬師如来                        庚申塔

阿弥陀堂                          身代わり地蔵

七福神大黒天

行人坂表示と勢至菩薩石像


妙円寺                        七福神[寿老人・福禄寿]


瑞聖寺[七福神・布袋尊]=黄檗宗のお寺である
本殿=大雄宝殿[とても大きい建物である]

  

覚林寺[清正公] 本堂               清正公堂

山門                                  
        


古寿老稲荷          浄土宗光台院 
  

都会を歩いた。目黒近辺は初めて歩いた。急ではないが坂が多い。
落ち着いた雰囲気がある。下町と高級が雑居している。
目黒不動尊=瀧泉寺、五百羅漢寺の羅漢、大円寺石仏群の石仏はとても見応えがある。
沢山写真を撮ったが、残念ながらスペースの都合でいくつかを割愛した。

黄檗宗は隠元が開いた禅宗の一つで他のお寺と違った雰囲気を持っている。中国色が強いように感じる。
黄檗宗の本山は、京都宇治の萬福寺。昨年私はその萬福寺を訪れた。
京都仏教会企画・京都非公開文化財特別拝観 その一 2008/3/9~10
京都仏教会企画・京都非公開文化財特別拝観 その二 2008/3/9~10 私のブログがあります。




古代ローマ帝国の遺産展

2009年11月20日 | 学習
古代ローマ帝国の遺産展 11/20・国立西洋美術館に行ってきた。


チラシ


アウグストゥス像[右下はアウグストゥスの忠臣アグリッパの胸像]

                                                 アレッツオのミネレウア ソンマ・ヴェスヴィアーナ                                      
庭園の風景[南壁]                         庭園の風景[東壁]


金の装飾品

【特別展は写真撮影が禁止されているので、国立西洋美術館からの転用である。】

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以下は、国立西洋美術館常設展[撮影OKである]
ロダン青銅時代    マネ/ブリイ氏の肖像    ルノアール/アルジェリア風のパリの女達


ルノアール/帽子の女          ピサロ/立ち話               モネ/睡蓮


ピカソ/横たわる乙女                     ミロ/絵画                     モネ/舟遊び


ロダン/地獄の門         ロダン/カレーの市民                    ロダン/考える人

西洋美術館


上野駅公園口はすごい混雑であった。女性高齢者が圧倒的に多い。
西洋美術館に来たのはずいぶんと久しぶりだ。
西洋美術館は混んではいなかった。しかし少なくはない人が来ていた。
ローマはやはり偉大であった。
2000年以上前のものとは思えない精密さ、綺麗さ、美しさだった。
ローマは水道も完備していた。今回初めて水道管、コックなどを見た。現在のものと全く同じだった。
だが、ローマの時は鉛も使われていたので健康には良くなかったという。
フレスコ画は劣化しないのであろうか、鮮やかな色であった。
アウグストゥスはすこぶる美男子であった。
多神教のローマの世界から西洋美術館のキリスト教の世界に行くと、その違いに驚く。
キリスト教の時代は何とも単調で皆同じようで色あせて見える。
ローマは生き生きとしている。

博物館・美術館はリーフレットをもっと充実するべきだ。
置かれているのは無機質な展示品のリストのみ。
順路の地図に沿って作品名とその簡単な説明があればどんなに良いだろう。
決してそんなにお金はかからないはずなのに。
入場料は1500円、それで常設展も見ることが出来る。
常設展だけだと420円。      

映画三題・ゼロの焦点、笑う警官、カムイ外伝

2009年11月20日 | 映画
映画三題。
秋になって寒くなったり、雨の時映画を見た。

ゼロの焦点

広末涼子は演技も台詞も下手であった。
この映画では、広末演じる主人公の独白=ナレーションが多いだけに残念であった。
もう一人の主人公中谷美紀だが、途中で表情が急変する。
それは化粧と照明の影響が大なのだが、過剰すぎるなと思って見ていた。
もう一人の主人公は、薄幸の女が代名詞となっている木村多江でやはり薄幸であり、驚きがなかった。
私は実は、木村多江はコメディが似合うし、うまいと思っているのだが。
つまり、良くも悪くもこの三人が映画の出来を左右するだけにここいらの事情は残念という他ない。
そしてもう一人の主人公で、広松演じる禎子の夫の人物像が何とも情けないというか影が薄いのだ。
また、中谷の夫の描き方はもっと乱暴と言うか単純でステロタイプ。
私は松本の原作を読んだことはないのでそこいら当たりの事情はわからないのだが、
主な登場人物の人間像が何とも薄っぺら過ぎるのが気になった。
私としてはそれだけ期待が大きかったと言うことなのだが。
それぞれの人々が戦争直後の社会の中でどのようにもがき苦しみ、犯罪に走らざるを得なかったのかは伝わらなかった。
人生経験もそれほど豊かでない禎子が簡単に謎を解いてしまうのは無理がある。
まっ、いいか。
旧作も是非みたいものだ。
松本清張のタイトルは凄い。点と線、ゼロの焦点、わるいやつら、けものみち、砂の器など。
焦点はわかるのだが、ゼロはどんな意味があるのだろう?

笑う警官

タイトルからは、コメディなのかなと思っていたが、B級のアメリカ映画の刑事物のぱくりだけの駄作であった。
角川春樹が久しぶりに作り、世界に通じるなどと豪語し、追うのも警官追われるのも警官とうたい、
裏金作りの警察の悪を暴く社会派映画と宣伝されていたので胡散臭くは思っていたのではあるが、
やはりそうであった。
冒頭と終わりにもの悲しいサックスが流れ、もうまるでかつての二流のアメリカ映画そのものの世界。
続くローマ字によるキャスト紹介にはあきれ、この映画の出来の予想が付いてしまった。
角川春樹が台湾マフィアの親分役で登場し、挙げ句の果てに日本刀を振り回し、
テーブルをひっくり返すシーンはアキレさを通り越してもうがっくりであった。
最後に主人公がライフルで狙撃されるのだが死なずに軽傷で幕切れ。
警官トップは何事もなかったとあざ笑う=これが言いたかったの?
完全にB級の下の映画であった。

カムイ外伝

白土三平原作・崔洋一監督というのでほんの少しは期待した。
崔洋一監督は、ビートたけし主演の『血と骨』で在日朝鮮人の貧困・苦しみと祖国へのあこがれと挫折、
そしてそのどうしようもなさを暴力として描いた。
崔洋一監督なので少しは期待したが、やはり白土作品の実写映画化は難しいなと思った。
この種の映画に合理性とかリアリティとかは関係ないし求めない。
小気味よいストーリー展開やどんでん返しやアクションや特撮などが持ち味なのだから。
もちろん不条理としか言えない絶対的である封建的身分制度を背景に描く白土作品を動く映像で、
しかも短時間で描くのはもちろんたやすいことではないが、残念ながら失敗作であった。
抜忍スガルとその夫の漁師が暮らす漁村の生活は映画の中だるみ、
たしかにこれらのシーンは、これら平和的な日常がすべて破壊される前景で大事だとは思うのだが、
あまりに退屈で居眠りしそうになってしまった。
突然、伊藤英明率いる“渡り衆”が登場した時、その嘘っぽさは頂点に達してしまった。
彼らが平和な漁村を破壊するのかと思っていたらそうではなく、
彼らは抜忍集団で凶暴なサメを殺してくれる善意の人であった。
だが、頭領の伊藤英明だけが抜忍の追跡者であった。
どんでん返しはこれだけであった。
活劇シーンは、中国映画のHEROなどの方が奇想天外さと迫力があるが、
カムイの方はそれに比べてシンプルでかえって良く、優越は付けがたいかな。
CGや特撮はどんどん進歩している。
B級はB級なりの楽しみ方がある、のである。

いずれにしても、映画は事前におもしろいか、つまらないかはわからない。
いわば、ギャンブルである。シニア料金1000円で2時間だから良しとするか。
劇場とビデオ・DVDの違いは、画面の大きさもあるが音響の差が大きい。

久喜市~甘棠院などを歩く

2009年11月16日 | ウォーキング
一週間の小春日和の後、寒い日が数日続いた。久喜市の一部を歩いた。
11月15日、七五三であったが、それらの人には会わなかった。前倒しで行うようである。
久喜は、大宮から東北本線で20分ちょっとである。
大宮から二つ目の東大宮を過ぎると車窓は田園で田んぼが多い。
駅と駅の間がとても開いている。
久喜は東北本線と東武伊勢崎線が合流し、大きな駅・市である。
駅前から菖蒲仲橋行きのバスで橋場という所まで行き、そこから歩くことにした。




清鏡寺                               


桂性寺                                永代供養墓[35万円とか]



太芳寺                             
   

光明院                         薬師堂 


千勝神社            キウイがなっていた[右はキウイの木の全体]


東明寺[浄土宗のお寺で法然上人の像が]


清福寺                             ペット供養塔

おもしろい椅子が                   歓喜院
     

久喜町千勝神社                          その本殿


甘棠[かんとう]院 [足利政氏の居宅跡でその墓もあるが公開されていない]、第一の門・第二の門=臨済宗

以下は、非公開


光明寺

薬師堂(光明寺境内の外にある)        御嶽神社(薬師堂の前にある)


天王院[曹洞宗]

八雲神社[天王院境内]


遍照院


板碑(石造りの卒塔婆)市内最古といわれる。
 

ここから久喜駅まではじきである。
駅前で開店イベントの客寄せが。


バス停・橋場を降りた時は、ここから駅まではずいぶん遠いと思ったがそんなではなかった。
バス網が発達しているわけではない。自家用車なしの生活は大変かもしれない。
今日通った道の多くは県道であった。日曜のせいなのかはわからないがその交通量はすごい。

今日初めて、キウイフルーツが木になっているのを見た。
ブドウ棚のような様子であった。
南国の果物と思っていたが、埼玉で育っているとは知らなかった。
歩いていると、柿・蜜柑類がとても多い。
だが、販売用に育てているのではなく、庭木の一つとしてのようである。
そして、収穫して食用にされているとは思えない。
渋柿なのであろうか、また蜜柑は甘くなく食用にならないのだろうか。
穏やかな小春日和であった。

宮代町/杉戸町を歩く

2009年11月12日 | ウォーキング
宮代町/杉戸町を歩く 11/10

宮代町/杉戸町は、東武伊勢崎線の春日部・東武動物公園に近くである。
大宮から東武野田線柏行き、春日部で東武伊勢崎線に乗り換え四つ目の和戸駅で下車して歩いた。


宝光寺 [曹洞宗]                         おぶさり地蔵



大聖院                            鷲宮神社


真蔵院                                                



旧日光街道に面していた。仁王像が残っているのは珍しいと言う。

長福寺[曹洞宗]
 

妙本寺




金剛寺 曹洞宗
 
本堂の前の会談に座って昼食を取っていると住職が出てきた。芝居の脚本を書くそうである。
京都の禅宗の多くは権力と結びついたが、曹洞宗は権力と結びつかなかった、と言う。

この集落を後にして、東武動物公園駅方向に歩く。
身代[このしろ]神社  小さな神社だが、同じ文様の庚申塚がたくさん集められていた。

用中寺                                            浅間神社

この辺りは利根川の支流・古利根川の堤防脇で、この他には厳島神社など小さな神社や祠が沢山あった。

宝性院                                                   馬頭観音     七福神[毘沙門天]

不動堂                              庚申塔                 昭和22年カスリン台風の被害の表示


愛宕神社

大天狗神


神明神社               東福寺



近津神社[不審火で焼失し再建された]


来迎院                                七福神[恵比寿]

十三仏                               聖観世音菩薩

右から、虚空菩薩、大日如来、阿門如来、阿弥陀如来、勢至菩薩、観音菩薩、薬師如来、
弥勒菩薩、地蔵菩薩、普賢菩薩、文殊菩薩、釈迦如来、不動明王

この一週間、小春日和の中、埼玉県の郊外・農村を歩いた。
農村と言っても一面田畑ではなく、住宅地はどんどん進行している。
野菜、果物、花のある風景は落ち着く。
街中で一万歩を歩くのはそう簡単ではない。
市民公園などのウォーキングコースを何周も歩くのは好きでないし、
同じ道を毎日歩くのは退屈だし単調過ぎる。
事前に地図を調べ、地図を片手に歩くのは結構楽しいものである。
写真を撮ってまとめるのはそれほど楽しい作業とは言えないが。
私は普段は睡眠が浅い方なのだが、一日10キロほど歩くと良く眠られるようだ。

墓・霊園を分譲している寺や広告を多く目にした。何か特別な事情があるのだろうか。
また、無住職で寂れた寺もちらほらあった。曹洞宗のお寺が目に付いた。

桶川/泉福寺、上尾/東榮寺、他

2009年11月10日 | ウォーキング
桶川/泉福寺、上尾/東榮寺、長久寺、妙厳寺を歩いた。 11/9


JR高崎線桶川駅から市内循環バスで、いずみの学園前へ。[100円]
桶川/東叡山泉福寺 [東の比叡山の由縁]           石の仁王像

山門にある雨乞いの龍                      阿弥陀仏座像   

本堂

寺の境内の前に地蔵群が                             荒川の向こう側に、ホンダ・エアポート

松原八幡神社                   樋詰氷川神社

熊野神社古墳                  広い道路が突然ガードレールで狭く[これは大型車の進入=ゴミの搬入を防ぐためか]

泉福寺から東榮寺までは、農道のような道を歩いた。
途中、薬師堂という地名があったので探したがわからなかった。
聞く人にもなかなか巡り会わない。

上尾/東榮寺                          漆塗りの仁王像、表情もユニーク

本堂                               講堂

祈りと誓願の鐘                          誕生仏

わらべ六地蔵尊                        涅槃像

                    野鳥図鑑

東榮寺は、曹洞宗のお寺である。写経教室・座禅会などを開いたりしている。
モニュメントも多く、木々についても細かく説明している。ここで昼食を取った。

ここからJR高崎線北上尾駅まで約1時間歩いた。
電車で大宮に戻り、埼玉ニューシャトル[新幹線の見返りで作られた]で、沼南へ。

長久寺                             氷川神社


妙厳寺
旧山門                                新山門

本堂

仏殿                                  ニューシャトル


大宮に戻り、京浜東北線で帰宅した。
埼玉ニューシャトルの大宮の次は「大成」だったが、「鉄道博物館」駅に変わっていた。
旧大宮操車場跡地に出来た鉄道博物館、人気が高いという。
私は行ったことがない。
今日も暑い一日であった。だが木陰に入るとひんやりしとても快適だ。
田舎道は、歩きには良いのだが、目印が無いので迷いがちだ。
訪ねようにも人の姿が見あたらない。
ホンダエアポートは知らなかった。小さな飛行機だが結構うるさい。

川口市~安行[密蔵院・金剛寺・慈林寺]/元郷[実相寺・光音寺]を歩く

2009年11月08日 | ウォーキング
川口市~安行[密蔵院・金剛寺・慈林寺]/元郷[実相寺・光音寺]を歩く 11/7


西川口東口から東川口南口行きバス[1時間2本]で安行支所に行く。

密蔵院
引用
                                                        納めの不動尊

山門                                  四国88ケ所お砂踏み参道

銭洗い弁財天尊                 水掛け地蔵尊


竹の小径           花錦の小径                        ふれ愛布袋尊      

追悼の鐘      大黒堂                      鐘楼

不動堂

茶室                         茶筅供養塔

16羅漢像                     平将門供養塚  板碑壟

みかえり地蔵尊[本堂の後ろ室内のある、肉眼では綺麗に見えるのだが]

阿弥陀三尊像                       大日如来像             村社九重神社

御嶽山 そこからの眺望

密蔵院、境内はそれほど広大ではない。あちこちに色々なモニュメント(失礼)があり、散策は楽しい。

金剛寺                                経塚[経文を地中に埋めその上に塚を立てた]



金剛寺はお灸のお寺としても有名である。
境内でゆっくり昼食を取り、うたた寝をしていたらお灸待ちの客のおしゃべりで目を覚まされた。
ここは曹洞宗の禅寺なのに。周囲は林で、野鳥のさえずりは子守歌である。

宝巌院慈林寺                           仁王像は江戸時代の作という、修復されているので新しく見える

風神・雷神像                      本堂

薬師堂


川口駅前のモニュメント         安行でのスナップ

次のバスの時刻まで時間があったのでしばらく歩くと、鳩ヶ谷市の中心となり多くのバスがあり、西川口に向かった。
電車で川口に行き、そこからバスで実相寺に行った。


実相寺

                                  鐘の中程の四方に四天王像、株に十二支像が描かれている鐘は珍しいそうだ


光音寺

領家稲荷神社


川口駅まではバスで戻った。
ちょっと疲れていたが、そこから家まで歩いて帰った。
この日も暑い一日であった。
バスもおもしろい。
バスを使う場合、1時間に1本など本数が少ないので事前の調査が必要なのだが、
どの路線を使うのかや、時刻表を調べるのはそれほど簡単ではない。
最近のバスは赤信号で止まっている間、エンジンを切るバス会社もある。
都バスや埼玉の朝日バスなどである。
私はこれが省エネなのかはわからないが、運転手さんは大変だなと思う。
料金の支払いも、パスモやスイカでもOK。どのようシステムで出来るのだろうか。

安行の密蔵院、岩槻の慈恩寺など今日では市街地から離れているのだが、大きな寺である。
昔も農村ではあったろうがもっと賑わっていたのではないだろうか。

岩槻=慈恩寺・法華寺

2009年11月07日 | ウォーキング
11月6日、岩槻郊外を散策した。


大宮から東武野田線[柏行き]、岩槻下車。越谷行きのバスに乗り、上飯塚から歩く。
[バスの本数はかなりあった]


飯塚神社


法華寺


久伊豆神社                         福厳寺


妙円寺                           普慶寺


常福寺

                                              道祖神
          

西光院

境内で昼食をゆっくり取り、バスで岩槻駅まで行く。[このバスは1時間に2本]
岩槻駅から、電車に乗り二つ目の豊春駅で降り、歩いて慈恩寺に向かう。

慈恩寺




慈恩寺の境内はかなり広い。往時は伽藍等もたくさんあったようだが、今日は残っていない。
本堂は開放され自由に参拝できる。これはやはりとても良いことである。
境内では菊の展覧会が行われていた。芋煮会も行われようで地域に密着していると感じた。


玄奘三蔵霊骨塔


この場所は、慈恩寺境内ではなく、曲がりくねった農道を500m位歩いた所にある。
日中戦争時、日本軍がこの遺跡を発掘し当時の南京政府に寄贈したという。

この日も気温が高く、シャツ一枚でも暑かった。
岩槻は、雛人形や五月人形で有名だが、岩槻城の城下町であった。
2005年にさいたま市に編入となった。
2008年2月に私は岩槻市内を散策した。その時の模様は、岩槻市を参照してください。
今日散策した所は、だいぶ宅地化進んでいるようではあるが農村地域である。
小さな寺が点在しているのを見るとかなり人口が多かったのではないかなと思われた。


柴又帝釈天・題経寺を歩く

2009年11月06日 | ウォーキング
11月2日、曇り空で寒かったが出かけた
題経寺の最寄りの駅は京成金町線の柴又駅である。
京成金町線は京成高砂と金町を結ぶ2.5kmで、その間にある駅は柴又駅だけである。
つまり京成金町線はほぼ柴又駅=題経寺のためだけにある鉄道と言っても過言ではない、ユニークな鉄道である。

改札口を出ると広場があって、その中央で寅さんの銅像が迎えてくれる。  おりつ地蔵尊[寅さん銅像の目の前]
                         
この銅像は、記念撮影だけでなく、あたかも仏像のように人々になでられている。
そこから参道はすぐである。         二天門

境内は広い。 右から釈迦堂、本堂(祖師堂)、帝釈堂、その手前側に大鐘楼


本堂(祖師堂)                               帝釈堂

本堂・帝釈堂の内部は靴を脱いで入ることができる。
又、帝釈堂の土台部にある彫刻と客殿は400円の拝観料が必要。
帝釈堂




鐘楼                   浄行菩薩       からくり人形のように踊る獅子舞のあみだくじ販売機


邃渓園(ずいけいえん)=客殿とその庭園

入り口                                   横山大観の群猿遊戯図下絵    



万福寺                                   寅さん博物館


真勝院                             密教の五智如来石像(左から、阿閦[あしゅく]、宝生、大日、阿弥陀、不空、成就)


宝生院                            浅間山噴火の供養塔[1783年、川に多くの溺死者が流れてきたという]


医王院


山本亭[大正末期から昭和初期に建築された和洋折衷の珍しい建物、築山、瀧のある日本庭園がある]


入館料は100円で、建物内と庭を見ることが出来るのだが、雨が降って来た。
傘を持ってこなかったので、残念ながら入らずに急いで帰った。
庭を通って題経寺に抜けることが出来る。
目の前は寅さん博物館で、近くに矢切の渡しがあるがこれらも行かなかった。
又、柴又駅近くに柴又八幡神社と柴又七福神の一つ良観寺があるのだがここも寄らなかった。
題経寺・医王寺・万福寺・真勝寺・宝生院も柴又七福神で、もう一つの観蔵寺は少し離れている。

柴又帝釈天の参拝者は少なからずいた。
帝釈堂に入らない人も多いようだが、彫刻は一見の価値がある。
昔、高砂に学生時代の友人が下宿していて何度か行ったのだが、全く覚えていなかった。

蕨宿場祭り・屋台の色々

2009年11月04日 | ウォーキング
11月3日蕨市旧中山道で宿場祭りが行われた。
寒い朝であった。バザーの他色々なイベントも行われたが、今回は屋台だけにした。


チョコレートバナナ                                          スーパーボール釣り

佃煮                                               鮎の塩焼き



タイのラーメン              タピオカジュース



焼き栗

                        トルコのケバブ

焼串                       飴細工

くじ                      おやき



将棋                               輪投げ

水笛

佃煮                      じゃがバター 


この他にもいくつかあった。
焼きそばなどはあまりにありふれていて撮り忘れた。
何軒も出ている屋台もたくさんあった。
色々な種類があるものだ。
射撃は、子ども300円で弾4つ、倒れただけでは景品はもらえない。
棚から落とさなければならないのだ。
次々子どもが挑戦する、倒れるのだが落ちず、私はしばらく見ていたのだが、
景品をもらった子どもは皆無であった。
弾を多くするか、距離を遠くして倒れたらもらえるようにした方がいい。
値段は200~500円で決して安くはない。
バザーなど市民団体ので店が少なく、商売人の屋台がこれまでより増えた用に感じた。
バザーが少なくなったのは、色んなところで開かれるので提供する品物が少なくなったのか、
また、100円ショップなどの普及の影響か、などと思った。