風そよぐ部屋

ウォーキングと映画の無味感想ノート

弘前④/弘前のねぷたと伝統的建造物群

2015年06月28日 | 国内旅行

6月15日、弘前市最終日です。市内の散策はほとんど終わっているので、残すところは午前中早くで終わりそうです。
帰りの新幹線は14:38を購入していたのですが、午前中で散策は終わりそうなので、1本早くしたいと窓口に行くと、
13:52発に手数料無しで変更できました。「はやぶさ」は自由席はなく全席指定席なのでどうも行動が制約され、不自由です。
昨夜の青森駅はみどりの窓口は混雑していましたが、弘前駅は並ばずに出来ました。

駅構内の観光協会で電動アシスト自転車を借りて出発しました。
津軽藩ねぷた村に行きました。時間が余ったら入ることにしました。     
  
東大宣寺・日蓮宗
 
弘前市仲町伝統的建造物群保存地区に行きました。
飛騨の高山や川越などを想像していたのですが、期待は外れでした。一角全体が伝統的建造物群保存と思ったのですが、
黒い門構えの家が数軒ありましたが、わずか4個の武家住宅だけが保存されていて、他は普通の民家でした。
公開は、10時からでしたので、後刻訪れることにしました。 安穏寺・本門仏立宗(写真を撮り忘れたようです。)
神明館                                 御志羅様(お祭りがあるのか手入れ、着飾りをしていました。)
  
絵馬堂
 
八幡宮                                 拝殿
 
稲荷                                  神輿
 
本殿                    
 
熊野奥照神社
 
板碑                                  本殿(放水銃が守っています。)
 
    
弘前市仲町伝統的建造物群保存地区 に戻りました。
 
旧岩田家住宅(300石の武士の家だったそうです。)
 
 
笹森家住宅(再建されたものです。)
 
旧伊東家住宅(藩医の家)
 
旧梅田家住宅
 
   
石場家住宅はお店です。                      予想以上に早く終わったので「津軽藩ぬぷた村」に入りました。550円
 
観光客が一人でも簡単な説明と演奏があり、太鼓を叩かせてくれます。


 
 
 
  
その後10分間の津軽三味線の演奏(録画・録音禁止)がありました。 コケシ作りなどの実演もやっていました。
 
若いお嬢さんの、「変わり独楽」の実演は楽しいものでした。

喧嘩独楽、独楽の中に数個の機片があって回っている時は中にあるのですが回転が落ちてくると落ちて来る独楽、
独楽に穴が空いていて回るとぶんぶん音がする独楽、瓢箪形の独楽から小さい独楽が撥ね落ちて来る独楽、占い独楽などでした。
  
大石武流庭園  「津軽藩ぬぷた村」の入場料550円はほんと安いです。楽しめますのでお薦めです。

この日は、気温が少し高く、旅の疲れも出てきたので、弘前公園の木陰に入り早めの昼食、しばらく昼寝をしました。
弘前城の追手門の写真を撮り忘れていたので撮りに行きました。  弘前文化センター前の津軽為信像
 
早めですがホテルに帰り、預けていた荷物を引き取り、駅の喫茶店で電車を待ちました。  以下、弘前駅の「リンゴ」三点
 
                                     今回は乗りませんでしたが、弘南鉄道弘南線の駅です。
  
13:01発の電車に乗り、新青森着13:52、13:42の新幹線でした。早い時間なのに70~80%の乗車率でした。
弘前市では「NEPUTA」、青森市では「NEBUTA」、方言の違いだそうです。
諸説あるようですが、農作業に「ねむたい」はダメ、ねぶたいを防ぐ、追い払う等の意味があったとか、
青森のねぷたは横に幅広く、弘前は扇形、五所川原は縦長の特徴があるそうです。
江戸時代中期に広く行われるようになり、今日のように豪華になったのは昭和30年代以降と言われています。
私は、祭り・花見には特別な関心・興味は無いので混雑した時期に訪れるつもりはありませんが…。
弘前市は、空襲を免れた歴史的城下町でした。旧市街地は城下町特有の遠くを見渡せない食違・丁字路・鍵手です。
JR弘前駅周辺は、まさに新市街地で、ちょっと前までは田んぼでしたが、今はそれが想像できないニュータウンです。
太平洋戦争で日本はアメリカの無差別大空襲の戦争犯罪を受け、多くの歴史的町並みが破壊されました。
もっとも明治維新で神仏習合・廃仏毀釈(神仏分離令他)などによってそれ以前に多くの寺と仏像などが壊されましたが…。
江戸時代の藩の城の多くも、陸軍などに接収され、破壊されました。
弘前は、そうした悲劇が避けられた珍しいところですが、明治時代に古い寺町が新寺町に移転され新しく作られた町です。
江戸時代のもう一つの寺町・禅林街は一宗派・曹洞宗の33の寺が一つの街を作る希有なところですが、
その多くの建物も最近になって再建されたもので、「歴史」の古さは強くは感じません。
街全体としては「歴史」ではなく、『ぬぷ(PU)た・リンゴ・弘前の桜』の町でしょうか。
寺町は、観光には便利ですが、街歩きには極めて趣きと変化を欠きます。
弘前には、キリスト教教会が各所にあって変化を醸し出しています。
さて、三内丸山遺跡。
私は、静岡県の登呂遺跡、東京の大森貝塚には行ったことがありますが、古代遺跡に特別の興味はありません。
登呂遺跡も広大でしたが、こちらは稲作の弥生時代、三内丸山遺跡は採集・狩猟時代の縄文時代と言われ、時代も古いようです。
寒さが苦手な私には、青森は寒く、実り豊かな土地とはとても想像できないのですが、きっと豊かだったのでしょう。
翡翠や黒曜石なども発見されていることから、陸路、海・船を使っての各地との交流もあったのでしょう。
気温は高くなかったのですが、日差しが強く思ったより疲れました。それも、歩きではなく電動アシスト自転車だったのに、です。
弘前・青森の旅をたっぷり楽しみました。                 【弘前・青森の旅終わり】
私の、青森県の旅のブログは次です。 五所川原の旅冬の弘前ほんの少し

青森市散策/三内丸山遺跡と青森市内

2015年06月24日 | 国内旅行

6月14日、今日は弘前市から約30km程離れた青森市に出かけました。
初めは、最終日に予定していたのですが、回り切れないだろうことと帰りの新幹線の切符の手配の便利を考えて、
この日に変更しました。これは正解でした。

8:06弘前駅発、8:51青森駅着(670円)、8:58三内丸山遺跡行きバス(310円)。なんと30人以上の長蛇の列でしたが、
何とか座れました。約25分で着きました。チケット売り場を探しましたが、三内丸山遺跡はなんと無料です。
この地に古代の遺跡があることはわかっていたそうですが、1992年に新しい県営野球場を建設する事前調査を行うと、
この遺跡が大規模な集落跡なことが分かり、野球場建設を中止し、遺跡の保存を決定したです。
三内丸山遺跡は、今から約5500年前~4000年前の縄文時代の集落跡だそうです。
行きたいと思っていてこれまで行けませんでした。
井上ひさしの『吉里吉里人』とは全く関係無いのですが、これまでの日本の古代、特に邪馬台国や大和とは無縁の
響きを持つ、かなり厳しい自然環境の中に育ったこの遺跡が好きでした。
この遺跡は県と国の特別遺跡に指定されていて、その管轄は国や地方自治体だそうです。
だからといって入場料を無料にする必要はないと私は思います。
近くに運転免許センターや県立美術館があり、バスの便は1時間に1本程度あります。
新青森駅からはシャトルバスも運行しています。
三内丸山遺跡

入口
  
                                     時遊トンネルを抜けると… 雨が降って来ました。
 
南盛土                                  
 
竪穴式住居跡
 
大型縦穴住居跡
 
大人の墓跡
 
堀立柱建築物跡                            北の谷(湿地帯)
 
土杭墓                                 大型堀立柱建物
   
堀立柱建築物跡 
  
子供の墓(埋設土器)                          大型堀立柱建物跡
 
大型堀立柱建物跡の柱跡
 
大型堀立柱建物
 
順路表示が少し親切ではありません。こちらに行くと○○と案内されていると良いと思うのですが。
縄文時遊館に戻りました。                     さんまるミュージアム
 

体験工房やビジュアルコーナーなど小さい子も楽しめる様工夫されています。
また、リーフレットには、"40分~1日コース"など、時間と興味によるコースも紹介され、ガイド付き案内(無料)もあります。
予想していたより時間がかからず、10:45のバスに乗ることが出来、青森駅に戻りました。
青森駅                             ねぶたの家、ワ・ラッセ[時間があれば後ほど入る予定で散策に出ました。]
 
"ねぶたの家"前にヒストリーサークルがありました。
青森市が歩んできた37項目の歴史と主な出来事を一挙プレートにしています。
  
A-FACTORY(リンゴを加工する工房などのショップが入っているそうです。)  八甲田丸
 
青函連絡船戦災の碑                         八甲田丸+可動橋
 
青森ベイブリッジ                                                干潟を掃除する人
   
アウガ(市場や図書館などの複合施設)            病院の広告 三内丸山遺跡の土偶の街頭の小さいモニュメント
  
一念寺・浄土宗 [一時止んでいた雨が少し強くなって来ました。]
 
 
善知鳥神社
 
英語で書かれた神社の参拝の仕方
 
龍神泉                     西南戦役戦没者碑      菅江真澄歌碑(江戸時代後期、三河生まれの旅行家)
  
安定寺・浄土真宗本願寺派                    居酒屋の看板
  
常光寺・曹洞宗 奥は、仁王門                  本堂
 
地蔵堂
 
正覚寺・浄土宗
 
 
                                        蓮心寺・浄土真宗
    
  
蓮華寺・日蓮宗
 
                                   境内の稲荷神社
  
                    境内の雪除けの塀と雪かき用ブルトーザー(大きい建物にはありました。)
   
青森教会
 
光行寺・真宗本願寺派                     本堂内にピアノがあり、まるで教会のよう、こういう寺も良いですね。
 
  
本町カトリック教会                          青森県立郷土館(310円、写真は許可が必要です。)
 
良く出来た郷土館と思いました。願い出ると写真撮影出来ますが、その公開には各一々の許可が必要で、その手間を考えると
事実上は難しいでしょう。興味深い写真をたくさん撮ったのですが、そんな訳で公開は止めます。
借用した資料の撮影禁止は仕方ないですが、独自所有しているものは公開しても良いと私は思うのですが…。
ネット上で見ることは出来ますが、アクセスするまで結構面倒で、閲覧も手間がかかりました。
2時から若い学芸員の説明があり、参加しました。見所は、虎の牙、無文土器、隆線文土器、狩猟文土器、合掌土偶、
遮光器土偶、弥生時代の若い男性(推定25歳)の足跡(とても小さいです)等だそうです。簡潔で良かったです。
海岸に出ました。聖徳公園    海の記念日発祥の碑
 
青い海公園                              展望台(開放されていませんでした。)   
 
アスパム(青森県観光物産館、実に巨大です。雨なので展望台には昇りませんでした。)
 
白いテントは「ねぶた」作成作業場でした。
 
時間があったので「ねぶたの家、ワ・ラッセ」(600円)に入りました。釣り100円を忘れると職員が追いかけて届けてくれました。
 
  
 
 
 
 
 
子供たちの演技がありました。
  
これだけ写真を撮って言うのも変なのですが、法被には「市P連」とありました。
「あ~ぁ、教育活動の一環なんだ。」、港の巨大テント、市全体が"ねぶた"なんだ、もし興味が無いと、
「村八分的」に見られたり、変人扱いされるんだろうな、この究極が「非国民」なのかなぁ、などと思ったりしました。
 
15:31発の電車で弘前に戻りました。16:16弘前駅着、インターネットで予約していた新幹線の特急券を求めました。
弘前駅、青森駅ではスイカが使えません。駅員にクレームではないと断って、「どうして使えないのですか?」と聞くと、
ブスとした顔で「利用客が少ないからです。」でした。
-----------------------------------------------
青森市中心地は弘前市と比べると狭いなと感じました。
弘前市内は、JR弘前駅前の新市街と弘前城のある旧市街は感じが違います。
その主な要因は、現在の青森県の中心地は江戸時代の津軽藩=弘前だったからです。
第二次世界大戦で、青森は大空襲を受けたそうです。青森市は、北海道への入口・交通の要衝であり、
ソ連に通じる道でしたからでしょうか。
他方、弘前市は空襲を受けなかったそうです。しかし、JR弘前駅の新市街は碁盤目状に広い道路が作られています。
それはまるで空襲を受けて焼け野原となった後、再開発されたと思っていたのですが、水田地帯だったそうです。
最近になって、そこを区画整理・大規模開発して文字通り"新市街地"になったそうです。
その開発は、今も続けられています。公園や公共スペース、巨大スーパーなどがあります。
私は、お寺の人や、伝統的建造物群保存地区の人などからお話を聞いてわかったと言う次第です。【6月14日終わり、続く】

弘前市散策③、弘前公園・藤田記念庭園他

2015年06月22日 | 国内旅行
 弘前城
6月13日、今日は弘前公園をメインに散策しました。

ちょっと怪しげな天気でしたが、電動アシスト自転車で出かけました。中央食品市場(各所に小さい市場がいくつかありました。)
 
蓬莱広場(真ん中の建物は、地元の中三デパート、中にあるジュンク堂書店は青森県最大とか。)
 
百石町展示場(明治時代の旧呉服屋跡)             弘前教会(残念ながら塗装工事中でした。)
 
弘前カトリック幼稚園                         薬王院・天台宗 以下薬王院
 
薬王院本堂
 
  
  

青森銀行記念館                          安寿と厨子王と母像
 
松蔭室(養生幼稚園内、松蔭が立ち寄った家、松蔭が来ていたとは。見学は事前の申し込みが必要です。) 旧東奥義塾教師館
 
旧弘前図書館                             山車展示館
 
 
 
 
 
弘前図書館・市立郷土文学館                    ミニチュア展示場・全景
   
ミニチュア展示場内 旧弘前偕行社                弘前昇天教会
 
旧弘前郵便局                            旧弘前市役所
 
慈善館                                青森銀行記念館
 
かくは宮川デパート                         日本基督教団弘前会堂
 
菊池薬局                               角弘金物店
 
「角み」呉服店                             旧弘前市立図書館
 
旧制弘高講堂                             弘前市公会堂
 
弘前市立観光館 以下、観光館内の展示
 
弘前塗り(漆器)           最初の工程                      仕上がり
  
弘前塗りは垂涎の美しさでしたが、高価で買えませんでしので、「こぎん刺し」を買いました。
 
    津軽藩所台藩主・津軽為信像
旧第八師団長官舎(今はスターバックス)
 
ここから、弘前公園です。
市立博物館(特別展のみなので入りませんでした。)       未申櫓
 
杉の大橋                                南内門
 
未申櫓                                 大銀杏(高さ32m、回り6m、樹齢360年の偉大さでした。)
 
春陽橋                                 建設中の消防署
  
一陽橋                                 北(亀甲門)
 
弘前公園内 護国神社
 
                   祭神路板(幕末、明治維新、日清、日露、大東亜戦争で死んだ人29175名の名前が記されています。)
 
弘前城丑寅櫓                            与力番所
 
東内門                                 東門
 
桜並木
 
石橋                                  弘前城植物園(弘前城・植物園・藤田記念庭園共通券510円)
 
   
しだれヤナギ 
   
白神山地の植生
 
大石武学流庭園                           洋風庭園
 
蓮と湿地
 

春の花の季節は終わって、咲いている花々は少なかったですが、きれいでした。
植物園の外の弘前公園にはいくつかの巨木もありましたし、"桜のトンネル"は季節の時はきれいでしょうね。
公園内にはたくさんのトイレがあったように思いましたが、ベンチは少し少ないように感じました。
玉鹿石                                日本最古のソメイヨシノ
 
子の櫓跡                                武徳殿(休憩場)
 
鷹丘橋                                 本丸戌亥櫓跡(東屋)
 
本丸跡
 
弘前城工事の為の通路                      御金蔵跡
  
巨木・アイグロマツ(300年、6m)                   亀石
 
天守閣

鷹丘橋                                 館神跡
 
藤田記念庭園(明治時代の実業家の別邸)[弘前城などとの共通券で510円]     洋館
 
考古館                                 

 
コスプレ写真の撮影をしていました。
 
 
水琴窟(前を若い外人夫婦が歩いていたので水琴窟を教えてあげました。とても喜んでいました。カナダ人と言い、
「どこから来たのか」と私に聞き、埼玉からだと答えると、川越は素晴らしかった、京都、金沢、鎌倉も好きだ、
日本の古都は素敵で、好きです、と言っていました。)
 
                                                        日本キリスト教団弘前西教会
  
金持ちはやはりいるものですね。藤田記念庭園は昔の金持ちの別宅だったとか、世界の金持ち・権力者の贅は
この比ではありませんが、この富はどこから奪われたのものかと思うと「すごい」だけでは済まされませんね。
弘前城も、ルーブル・エルミタージュもそしてまだ行ったことのない大英博物館やスミソミアンも…。
弘前市立観光館前・追手門広場にある『弘前市近代建造物ミニチュア展示場』はお薦めの観光スポットです。
10分の一の縮尺で14の近代の建物が作られています。無料です。
観光館前では、観光についての「インタビューアンケート」が行われていて、応えました。
いい時間になったのでゆっくり帰りました。今日もあちこち巡りました。
雨はほんの時々ぱらつきましたが気温は高くなかったのですが、日差しが強かったので少し疲れました。
自転車はやはり良いです。一度通った所をもう一度行くのも苦ではないからです。
弘前公園はまず外周をゆっくり一周し、その後もう一度周回した感じです。
天守閣は工事中なので中に入ることができません。迂回路が作られています。
自転車は押して通ることが出来るのですが、この迂回路のため反対側出口には出られないので入口に置いていきます。
弘前城は、空襲を受けずに多くが残ったそうで、このあたりの事情は最終日に記すことにしましょう。【3日目終わり、続く】

弘前市散策②、禅林街他

2015年06月19日 | 国内旅行
 弘前昇天教会
6月12日、今日は、弘前市のかなりユニークな寺町・「禅林街」を歩きました。



朝食は、ヨーグルトと果物がないことを除けば申し分ありません。
午後から雨という天気予報でしたので早くホテルを出ました。電動アシスト自転車を借りて8:45分出発しました。
弘前を作った津軽藩の初代藩主・津軽為信は、南部藩の家臣でしたがこの地で独立したそうです。
城の鬼門に、寺町を作り、防御に当てたといわれています。
昨日訪れたのは、その寺町は各宗派が集まっていましたが、今日訪れた「禅林街」は、なんと曹洞宗だけの寺町です。
その数なんと33と言うことです。
道がわからずうろうろして松尾神社行き当たりました。     土淵川吉野町緑地・酒造会社の旧倉庫街
 
まちなか情報センター                        弘南鉄道大鰐線中央弘前駅、駅の目の前に弘前昇天教会があります。
  
天満宮                                 天満宮のしだれ桜 
 

戦国時代の城下町は、小さな要塞都市でした。川や山などの自然を利用して防壁とし、
同時に風水などから神社や仏閣などを配し、防衛線を築いたと言われています。
弘前市では、弘前八幡宮が鬼門を守り、その近くに新寺町に移った最勝院などがあり、
裏鬼門とも言われる西南、長勝寺禅林街一帯は有事の際に水を放流する南溜め池の役目もあったと言われています。
禅林街は曹洞宗一つの宗派のお寺だけで33もあり、これは本当に希有なことだと言われています。
赤門(禅林街入口の路地への門)                  子育て地蔵
    
藤先寺
 
 
  
私は、最初のお寺でびっくりしました。本堂が開放されているのです。
しかし、昨今、盗みや落書きが起きています。庫裡に一言「参拝します。」と声をかけるのが礼儀というものです。
私は、他の所では、本堂の扉が開けられているお寺以外はほとんど本堂に入ることはしないのですが、
この禅林街では、すべてのお寺に声をかけて本堂に入り、参拝させていただきました。
一般者には開放していませんと断られたのはたった一つのお寺だけでした。
月峰院
  
天津院
   
常源寺
 
恵林寺
 
盛雲院
   
正傳寺
 
  
川龍院  
 
  
正光寺
  
  
安盛寺
  
宗徳寺
  
 
恵林寺の次の永泉寺の写真がわかりません。
本堂を撮り忘れてしまったか、他の寺と入り違えたかわかりません。

黒門[長勝寺の総門]と長勝寺構                 栄螺堂
 
泉光院
 
 
  
京徳寺
 
   
海蔵寺
 
 
  
鳳松院
 
  
寶積院
 
 
照源寺(このお寺だけ本堂に入れませんでした。)
 
清安寺
 
 
寿昌院 おそらく本堂の写真は撮り忘れましたが、さりげなく置かれた小さな仏像が素敵です。
 
勝岳院
 
 
長徳寺
 
  
嶺松院
 
 
 
蘭庭院
 
 
ちょうどお昼時になったので、長勝寺境内でお弁当を食べました。
長 勝 寺[境内は無料ですが、本堂・庫裡などの参拝は300円、修行僧のガイド付きです。]
三門
  
                         銅鐘
              
庫裡                                   本堂(写真を撮り忘れたので、リーフレットから)
 
蒼龍窟堂(元岩木山の本尊共も割れる仏像が移転されています。)
 
 
千体仏                                 藩主霊廟
 
長勝寺の外に巨大な忠魂塔が立っています。
  
高徳院
 
  
寶泉院                                 
 
                                     福寿院(本堂は撮り忘れました。)
  
陽光院  
 
 
     
隣松院
 
 
 
  
万蔵院
 
 
 
梅林寺
 
 
 
  
普門院・曹洞宗(このお寺は、他と少し離れた山の中にあります。)    本堂
 
本堂内内に円空仏があります。若い住職の奥様が電灯を灯し、写真を撮っても結構ですと言ってくれました。
  
とても大きい円空仏でした。写真を撮らせてくれるところはめずらしいです。 以下三枚は本堂内
 
                                     観音堂
 
大般若経塔
 
身代わり地蔵                              閻魔
 
 
普門院は、禅林街の他のお寺と少し離れた小高い山の中にあって、他のお寺とは違った雰囲気のお寺です。
本堂は、ちょっと入り辛いのですが思い切って声をかけて参拝することを私はお薦めします。
まだ時間があったので、市内から少し離れている革秀寺に向かいました。  
革秀寺・曹洞宗                           本堂内はものすごい音のする鶯張りの廊下でした。
 
この鶯張りの廊下を歩くだけでも楽しいのですが、戸が全て締められているので中は真っ暗で、手探りで歩きました。
  
初代藩主津軽為信霊屋
 
誓願寺・浄土宗 江戸時代の山門 
 
 
 
                         山門裏にある板碑(何と書いてあるかわからないほどすり減っています。)と聖観音石像
 
龍泉寺・浄土宗
  
地蔵堂
 
専求院・浄土宗
 
地蔵堂
 
藤田記念館入口(この日は、入らず後日入りました。)          弘前市立観光館
 
今日は、たくさんのお寺を巡ってとても疲れました。
庫裡に声をかけて、本堂内に入って参拝したので、神経も使い、疲れて写真を撮り忘れたお寺もいくつかありましたし、
書き留めたメモも入り組んでしまって、どの説明かわからなくなって、写真の絵解きが間違っているかも知れません。
禅林街の多くのお寺は、新しく再建されたお寺が多かったです。
新しいお寺では、ちょっとした工夫もされていて楽しさを演出しているようでした。
いずれにしても本堂内は「凜とした」空気が漂い、心が洗われます。
いくつかのお寺では、お寺の人と言葉を交わすこともできました。
   
禅林街は魅力的でした。本堂は開放されていました。それはおそらく伝統的にそうだったというほかありません。
本堂内に位牌堂が広く立派に作られています。各個人の位牌堂は概ね横50cm、高さ70cm、奥行き40cm位でしょうか。
扉が付いており、中に位牌や写真や思い出の小物などを置くことができます。
(あるお寺では、30万円とありました。)
檀徒は、自由に本堂内に入り、自分の位牌堂を開けて参拝できるように成っています。
個人の位牌を本堂内に安置している宗派、寺はありますが、ここ弘前では多くのお寺もそうでした。
特に、禅林街の曹洞宗のお寺はそうでした。
私のような信者でない一般の観光客に対して開かれているのでは無いと思います。
本来、寺本堂の扉は開かれ、本尊は大衆を見守り、大衆は本尊を信仰したのだと思いますが…。
昨今、物騒で世知辛い世の中になっているので、本堂を開放しないことを私は仕方ないことだと思っています。
従って、観光客が参拝する時は、庫裡に一声かけて、許可を受けてから参拝するのがよいと思います。
ここは雪国ですから、多くの寺ではまず雪除けのガラス戸の玄関があり次に扉があります。
その扉の多くが自動扉になっていて、入るとセンサーで入室の合図を送るようです。
  
また、ほとんどのお寺には「津軽○○番」の観音像がありましたが、写真が多くなるので省略しました。
      
長勝寺、普門院、革秀寺は、特にお薦めです。                【二日目終わり、続く】

弘前市、青森駅前を歩きました。①、新寺町

2015年06月16日 | 国内旅行

6月11日~6月15日、青森県の弘前市と青森駅周辺を歩いて来ました。

弘前市は数年前ツアーで訪れたことがあります。一度ゆっくり歩いて見たいと思っていました。
期待に違わず楽しかったです。北日本上空に寒波が来ていて、気温は高くなかったのですが、日差しが強く、
大気が不安定で時々小雨が降りましたが、散策には全く影響がありませんでした。
6月11日、大宮発8:44の新幹線に乗り、新青森に11:49に着き、11:27の奥羽本線快速に乗ると11:59に弘前に着きました。
新幹線特急券10480円、乗車券6270円、東北新幹線は価格が高い上に、原則自由席がなく、とても利便性が悪いです。
明治時代、鉄道は色々な事情で旧市街・街道と離れて敷かれることが多くありました。
弘前市は、旧市街と新市街が直線距離で1.5km以上とかなり離れています。

6月11日のトップの写真は、最勝院にしました。  仁王門と五重塔

弘前市内のホテルも、JR弘前駅と旧市街地の弘前城公園付近とに二分されています。
JR弘前駅

私は、どちらにするか迷ったのですが、弘前駅前の『ルートイン』にしました。
観光地は、旧市街地に集中しているのですが、季節は初夏、歩くには暑すぎるし、見所も散在していると思ったので、
移動は電動アシスト自転車にしようと思ったからです。交通の便はJR弘前駅=新市街地の方が良いです。
駅構内に観光案内所があり、電動アシスト自転車を1000円(8:45~17:00)で借りることが出来ます。
旧弘前偕行社(1907年[明治40年]に旧陸軍第8師団陸軍将校の集会所・社交場)、工事中でした。
 
外国人教師館(弘前大学内)                             自動融雪装置

弘前大学正門                            こちらは別の大学、弘前学院大正門
 
外人宣教師館(弘前学院大内)                   学生食堂でヒヤシタンタン麺(430円)をいただきました。
 
弘前鉄道・大鰐線、弘前学院大前駅

御膳水(紙漉の水等にも使われたそうです。)
 
富田の清水
 
弘前市には、二つの寺町があります。
一つが、いくつかの宗派が集まった新寺町、一つが明日訪れる禅林街とも呼ばれる曹洞宗だけの寺町です。
当初、弘前城の鬼門に当たる「田町」と言うところに最勝院はあったのですが、明治時代の神仏分離令により、
現在のこの地に他の塔頭と共に移転させられたようです。

大王寺・真言宗醍醐派                         八坂神社
 
最 勝 院・真言宗智山派
  
 
この寺の文殊菩薩は古くから「卯年生まれ一代様」と信仰されてきたそうです。
  
                                                   太子堂
  
旧山門                                  旧山門への旧参道
  
六角堂                                 五重塔
 

袋宮寺・天台宗
  
報恩寺・天台宗 
 
報恩寺・身代わり地蔵堂                       円明寺・真宗大谷派
  
法立寺・日蓮宗
 
本迹院・日蓮宗                             本行寺・日蓮宗
 
受源寺・日蓮宗                             満行院・日蓮宗
 
貞昌寺・浄土宗
 
                                     貞昌寺・一文字の庭
  
徳増寺・浄土宗
 
西福寺・浄土宗                            西光寺・浄土宗
 
天徳寺・浄土宗                             正蓮寺・真宗大谷派
   
真教寺・真宗大谷派                          教應寺・真宗大谷派
 
専徳寺・真宗大谷派                          浄龍寺・真宗大谷派
 
法源寺・真宗大谷派                          遍照寺・浄土宗
 
遍照寺・地蔵堂中                           新町稲荷神社
 
 
宿泊したルートインホテル [4泊、朝食込みで25、150円]、JR弘前駅目の前です。
  
14階には大浴場があります。温泉ではありませんが、大きいお風呂はやはりのんびり出来ますし、湯をはったりする
手間がかからないのが良いです。            私の部屋は13階で目の前に弘前駅[真ん中の濃い灰色のビル]が見えます。
      
                                                【一日目終わり、続く】

映画/天才スピヴェット[The young and prodigious T.S.Spivet] 、ANNIE/アニー

2015年06月09日 | 映画

『アメリ』のジャン=ピエール・ジュネ監督の作品というので期待でした。文句なしに面白いですが、傑作とは言えません。
ストーリーに奇想天外なすれ違いが無く、ダビンチのノートを意識したこの作品に私は、「嫌み」も感じたからです。
添えられた絵や図などが、下手くそな「絵」なら良かったのにと思うのです。
フランス人の彼が、アメリカの北西部・モンタナからワシントンD.C.のスミソニアン博物館までの、
雄大なアメリカ大陸横断鉄道の風景をバックに映画を作るのですから素敵です。
ライフ・ラーセン(アメリカ)の『T.S.スピヴェット君傑作集』が原作とのことですが、私は読んでいません。
スピヴェットと言う名も変わっていますが、どうして"T.S."を使うのかと私は疑問に思っていました。
テカムセ・スパロー・スピヴェット、"S"は、スパロー、スズメのことで、
彼は台所で生まれ、その時死んだスズメの生まれ変わりと彼は思っていたのです。
弟の死と同様にその名前(謎めいた出生の訳?)にも彼は「トラウマ」様を感じているのです。
彼のことを"天才"と言いますが、彼は決して天才ではありません。
並ではない、「驚くべき=prodigious」早熟な変わり者ですが……。
世間は"天才"と言い、その言葉の俗物的「固定観念」に縛られて、彼を英雄視してしまいますが、
この映画のテーマは、そんな常識こそ「くそ食らえ」と笑い飛ばすものなのにと私は思うのです。
彼の両親も、生きた化石のようなぶっ飛んでいる「prodigiousな変人」の、ハチャメチャな常識人なのです。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

併映のこちらは、私の好きでないミュージカル。いかにも安っぽいアメリカ的人情物でした。
面白かったのは、キャメロン・ディアスが主役ではなく、汚れ役のバイプレイヤーを演じていたこと、
でも最後には善人なってしまって、残念でした。                【6月8日鑑賞】
-------以下は余談・蛇足です。------------------------
実は、5月25日、映画を見ようと地下鉄南北線で飯田橋に向かっている時、地震があり電車が止まりました。
少しきしむような音がし、揺れたので地震かなと思い、電光掲示板を見ると、即座に『急ブレーキで止まります。』と出て、
ほんのわずか後に急ブレーキで体が前方に傾いて、電車が止まりました。
そして掲示板にはすぐ『地震のため停車しました。安全確認後出発します。』と出ました。
私は、外出中しかも乗り物の中で地震にあったのは初めてです。
この日の地震はかなり大きかったのですが、電車はほとんど揺れませんでした。
地震のために自動停止したのか、運転士がブレーキをかけたのかはわかりませんが、
日本の交通機関の優れた地震・危機対応に感心しました。
多くの乗客は、落ち着いて座っていましたが、初老の女性一人が携帯電話で大声で長々としゃべり出しました。
どの位止まっていたでしょうか、長い時間ではなかったのですが上映開始時間に間に合わないので、帰りました。

しながわ水族館に行ってきました。

2015年06月08日 | ウォーキング

6月7日、蕨手話サークルと蕨市聴覚障害者協会の合同レクレーションがあり、参加しました。
行き先は、京急大森海岸駅近くの『しながわ水族館』です。
品川には、品川駅前プリンスホテルにある『エプソン品川アクアスタジアム』と『京急大森海岸駅の『しながわ水族館』、
の二つの水族館があります。
しながわ水族館へはJR大井町駅前から、無料の送迎バスも出ています。約10分、1350円。

久し振りに降りた大井町駅はかつての古く汚い田舎駅のイメージは全くなく、すっかり都心駅に変身しています。
鈴ヶ森処刑場跡もすぐ近く、第一京浜、旧東海道沿いには小さな寺や下町街も残っています。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

久し振りの水族館でした。
子どもが小さかった時、のとじま水族館、新潟マリンピア日本海、江ノ島水族館、サンシャイン水族館、鴨川シーワールド、
上野動物園水族館などいくつかの水族館に行った記憶はあるのですが、細かいことはすでに遙か彼方です。
しながわ水族館は、決して大きい水族館ではありませんが、都心に近いので訪れる人も多いとか。
昨今、水族館は展示方法なども工夫され、小さい子どもものんびり見られるので人気が出ていると聞いています。
実は、妻から孫達と水族館に行くかも知れないので見て来てと言われて家を出ました。
私たちが訪れたこの日は、日曜で混んでいて、私はいくつかのショーはパスしました。
しながわ水族館の周辺には、大井町競馬場、平和島オートレース場などもあり、
また、水族館に隣接するかなり広いしながわ区民公園箱陰も多くたくさんの人々が散策していました。
日差しは強かったのですが、気温はさほど高くなく、時折冷たい風が吹きました。
現地解散でしたが、私は付近の散策はしないで、友人と二人で大森海岸駅から電車で帰りました。 【終わり】

港が見える丘公園とマオリグループのパァフォーマンス

2015年06月03日 | ウォーキング

6月1日、私の英会話教室の先生が横浜でマオリグループのパァフォーマンスをしました。
ついでに、横浜の『港が見える丘公園』の周辺を少し散歩しました。

当日になって場所や時間がわかり、それから地図などを準備したので家を出たのは11時でした。
京浜東北根岸線の山手駅から歩くことにしました。
時間が少しかかっても乗り換えのない根岸線で行くとことにしました。と言っても蕨から1時間13分です。

山手駅は小さな駅で、目の前はもう丘です。           妙晃寺
 
  
西有寺・曹洞宗
 
 
大円寺・日蓮宗
 
東漸寺・真言宗                            円大院・日蓮宗
 
  
蓮 光 寺・真宗大谷派
   
何と素敵な案内でしょう。ヒヤッとする広い本堂内でしばらく休ませていただき、木陰で遅いお昼を食べました。
  
横浜山手キリスト教会                        弁天堂・日蓮宗
  

山手イタリア山庭園 外交官の家                  外交官の家背後から               
 
ブラフ18番館
 
山手教会
  
                                   フェリス女学院大学(ほんの一部です。)
  
山手公園内、山手テニス発祥記念
 
妙香寺参道入口           妙香寺・日蓮宗本堂
  
願西寺・真宗大谷派                         末日聖徒イエスキリスト教会
 
ベーリックホール                           猫の美術館
 
元町公園、山手80番館遺跡
 
エリスマン邸                             諏訪神社
 
ブリキのおもちゃ博物館
 
日本聖公会山手聖公会                       山手資料館(月曜で休館)
 
横浜外国人墓地

                                     横浜外国人墓地資料館(月曜で休館)
 
横浜インターナショナル・スクール(一部)              岩崎博物館
 
港の見える丘公園内、イギリス館
 
港の見える丘公園内、山手111番館                ロイストン教会
 
韓国領事館
 
港の見える丘公園内、県立神奈川近代文学館          大佛次郎記念館
 
日時計                                煉瓦井戸遺構
 
愛の母子像                              旧フランス領事館遺構とフランス山風車
 
バルタールパビリオンモニュメント(1860年代のパリ中央市場の地下の一部)  横浜マリンタワー
     
Seamen's hall                      旧横浜居留地48番館
  
神奈川芸術劇場
 
産業貿易センター                           山下公園内インド水塔
  
英会話教室の私の先生が、横浜産業貿易センターで開かれているPAQSの横浜大会でパァフォーマンスをしました。
PAQS(The Pacific Association of Quantity Surveyors)は、アジア・太平洋地域の建設コストマネジメントに携わる協会団体だそうです。
この日は、日本で開かれていた会議の最後の日でした。来年はニュージーランドで開かれるそうで、ニュージーランドの
マオリの人々のパァフォーマンスが閉会式のイベントとして行われました。

2015.6.1PAQS横浜でのパァフォーマンス1
 
2015.6.1PAQS横浜でのパァフォーマンス2

2015.6.1PAQS横浜でのパァフォーマンス3

途中、カメラのバッテリーがなくなり見苦しくなってしまいました。
このパフォーマンスをしたのは、在日マオリの人々の『Nga Hau E Wha-Japan』です。
マオリ語で、"四つの風"という意味だそうです。彼らのホームページは、『Nga Hau E Wha-Japan』 です。
-------------------------------------------------- 
場所と時間がわかったのは、この日の午前中で、それから横浜に行くことを決めたので、
ウォーキングの十分な準備は出来ませんでした。
横浜は、横須賀、鎌倉、小田原などのように海からすぐ丘陵地で市街地は狭いので、坂の町です。
電動アシスト自転車でないと生活は難しいでしょう。
太平洋戦争では、アメリカの空襲の被害を受け、たくさんの人々が亡くなったそうです。
海岸・繁華街は道も広く開発されていますが、丘陵地では、区画整理が行われていないようで、狭い路地が入り組んで居ました。
他方、豪邸や多くの有名私立学校もひしめいていて、私にはどこか気取っているような感じがし、私には生活しづらい感じがしました。
寺と洋館、旧と新が奇妙に入り交じっています。明治の文明開化時代の名残りが公園などに多く残っています。
この日は気温が高く、日差しも強かったです。だいぶ疲れたので、山下公園のベンチで少し昼寝をしました。
ピースボートが出発した横浜大さん橋は、遠目には小さく見えました。
横浜については書きたいことも多いのですが、今日はこの辺で終わりとしましょう。
私の横浜ベイエリアのウォーキングは、『横浜ベイエリアのウォーキング』
横浜はもっと歩いていると思っていたのですが、意外に少なかったです。再訪しましょう。【終わり】