7月29日反原発国会包囲のデモが行われました。
まず、3時半から日比谷公園の中幸門内で集会が行われました。
公園を借りないで行われる集会はかなり珍しいです。
日比谷公園は木陰がたくさんあるのでとても良いでのですが、蚊の襲撃には参りました。
一時間ほど集会が行われ、東電に向けてデモが行われました。
私は、デモには参加しないで、ゆっくり国会に向けて歩いたのですが、国会正門前の公園は夕方5時で閉められていました。
また、国会に面する歩道道路は立ち入り禁止でした。その前の車道路は通れるのですから変な話です。
思い切って、国会正門前の道路とその左右の国会公園を開放した方が交通規制もはるかに楽なのに、です。
私は、始め国会正面前に陣取ったのですが混んでいて嫌やになり、
またトイレを借りに社民党本部に行ったのですが閉まっていたので、その近くの国会図書館前に移動しました。
社民党本部は、かつて社会党時代、60年安保運動の大基地でしたが、今はすっかり老朽化し、
東北大地震以後耐震性上の問題が生じ、一部を除いて使われなくなったそうですっかり寂れていました。
仕方なく、地下鉄永田町駅のトイレを借りました(この駅のトイレは駅構内の外にあります)。
国会や議員会館にもトイレがあるのですから、求めれば拒めないはずですが、面倒なので止めました。
トイレの問題はやはりとても深刻で重大です。
国会正面前ではキャンドルが配られ、スピーチ等も行われたようですが、図書館前にはその声は届きませんでした。
永田町交差点では、国会正面・国会後ろ側は大勢の人が集まっているので立ち入れ出来なくなったと警察がアナウンスしていました。
私は、充分水分を飲んだのですが、それでも足りなくなったのでしょう、痛風の予感がしたので、
あちこち出歩いて写真を撮ることをあきらめ、また面白くなくなったので8時前に帰ることにしました。
国会図書館前 永田町交差点
さて、こちらは昼間の日比谷公園 西幸門前交差点の右翼
私は、右翼についてはよく知りませんが、この日は様変わりしているように感じました。
右翼というと、濃紺の街宣車で、「馬鹿野郎」等の下品な言葉を絶叫しているのですがこの日は、演説者が若い女性でソフトでした。
普通の話し言葉で、原発エネルギー等については見直さなくてはならないし、一緒に話し合いたい、自然エネルギーも使うべきだ、
特に海底のメタンハイグレードを使えば日本のエネルギーはほぼ解決するはずだ、などと訴えていました。
しかし、尖閣諸島問題では一挙にトーンがエスカレートして、反中国になっていました。
右翼と言われる政治グループも、変化してきているのかなぁと思いました。
ヨーロッパなら、木陰いっぱいの国会前公園あたりにたくさんのテント村が出来ているだろうな、とか
警察も、国会正面前道路(テレビドラマ"相棒"のロケにしばしば使われています)は、車を通行止めにしてしまうだろうな、など
と夢想していました。
デモの様子もとても変わりました。
これまでデモは、主催者が事前に公安委員会に申請し、認められたとおりに集会・デモ行進が行われると言うことでした。
ところが、最近は、建前は、人々が自由に集まって勝手に歩道を歩く、立ち止まる、と言うのです。
もちろん実際は違います。事前に時間や場所が呼びかけられているのですから。
しかし、10年位前なら、警察はそうしたスタイルも決して認めませんでした。
旗やプラカードを持って歩くことは違法なデモだと言い、また歩道に立ち止まることは決して許しませんでした。
おそらく昔なら、いわゆる「過激派」が"突入・占拠"したかも知れないから、と言ったのです。
7.29の国会正面前の新聞報道写真を見る限り、そこは事実上占拠されています。
この倍の人々が来れば、人々は車道に繰り出さざるを得ず、すると警察はもはや規制できません。
話は、大きく変わりますが、問題は『トイレ』です。
国民が、国会内のトイレを使わせてと要求した時、それは拒めないと思うのです。 【終わり】
まず、3時半から日比谷公園の中幸門内で集会が行われました。
公園を借りないで行われる集会はかなり珍しいです。
日比谷公園は木陰がたくさんあるのでとても良いでのですが、蚊の襲撃には参りました。
一時間ほど集会が行われ、東電に向けてデモが行われました。
私は、デモには参加しないで、ゆっくり国会に向けて歩いたのですが、国会正門前の公園は夕方5時で閉められていました。
また、国会に面する歩道道路は立ち入り禁止でした。その前の車道路は通れるのですから変な話です。
思い切って、国会正門前の道路とその左右の国会公園を開放した方が交通規制もはるかに楽なのに、です。
私は、始め国会正面前に陣取ったのですが混んでいて嫌やになり、
またトイレを借りに社民党本部に行ったのですが閉まっていたので、その近くの国会図書館前に移動しました。
社民党本部は、かつて社会党時代、60年安保運動の大基地でしたが、今はすっかり老朽化し、
東北大地震以後耐震性上の問題が生じ、一部を除いて使われなくなったそうですっかり寂れていました。
仕方なく、地下鉄永田町駅のトイレを借りました(この駅のトイレは駅構内の外にあります)。
国会や議員会館にもトイレがあるのですから、求めれば拒めないはずですが、面倒なので止めました。
トイレの問題はやはりとても深刻で重大です。
国会正面前ではキャンドルが配られ、スピーチ等も行われたようですが、図書館前にはその声は届きませんでした。
永田町交差点では、国会正面・国会後ろ側は大勢の人が集まっているので立ち入れ出来なくなったと警察がアナウンスしていました。
私は、充分水分を飲んだのですが、それでも足りなくなったのでしょう、痛風の予感がしたので、
あちこち出歩いて写真を撮ることをあきらめ、また面白くなくなったので8時前に帰ることにしました。
国会図書館前 永田町交差点
さて、こちらは昼間の日比谷公園 西幸門前交差点の右翼
私は、右翼についてはよく知りませんが、この日は様変わりしているように感じました。
右翼というと、濃紺の街宣車で、「馬鹿野郎」等の下品な言葉を絶叫しているのですがこの日は、演説者が若い女性でソフトでした。
普通の話し言葉で、原発エネルギー等については見直さなくてはならないし、一緒に話し合いたい、自然エネルギーも使うべきだ、
特に海底のメタンハイグレードを使えば日本のエネルギーはほぼ解決するはずだ、などと訴えていました。
しかし、尖閣諸島問題では一挙にトーンがエスカレートして、反中国になっていました。
右翼と言われる政治グループも、変化してきているのかなぁと思いました。
ヨーロッパなら、木陰いっぱいの国会前公園あたりにたくさんのテント村が出来ているだろうな、とか
警察も、国会正面前道路(テレビドラマ"相棒"のロケにしばしば使われています)は、車を通行止めにしてしまうだろうな、など
と夢想していました。
デモの様子もとても変わりました。
これまでデモは、主催者が事前に公安委員会に申請し、認められたとおりに集会・デモ行進が行われると言うことでした。
ところが、最近は、建前は、人々が自由に集まって勝手に歩道を歩く、立ち止まる、と言うのです。
もちろん実際は違います。事前に時間や場所が呼びかけられているのですから。
しかし、10年位前なら、警察はそうしたスタイルも決して認めませんでした。
旗やプラカードを持って歩くことは違法なデモだと言い、また歩道に立ち止まることは決して許しませんでした。
おそらく昔なら、いわゆる「過激派」が"突入・占拠"したかも知れないから、と言ったのです。
7.29の国会正面前の新聞報道写真を見る限り、そこは事実上占拠されています。
この倍の人々が来れば、人々は車道に繰り出さざるを得ず、すると警察はもはや規制できません。
話は、大きく変わりますが、問題は『トイレ』です。
国民が、国会内のトイレを使わせてと要求した時、それは拒めないと思うのです。 【終わり】