風そよぐ部屋

ウォーキングと映画の無味感想ノート

2006年7月読書ノート

2006年07月17日 | 読書ノート
1.ローマ人の物語13「最後の努力」

/塩野七生著

〈第一部〉ディオクレティアヌスの時代(294~305)
・帝国
エンパイアーの語源~インペリウム=支配する、統治する、命令する、を意味する動詞から生まれる。政体(共和制・帝政)のは関係なく、自分たち以外の国や民族まで支配下に置く覇権国家であれば「帝国」である。
ディオクレティアヌスの統治期間(20年)蛮族の侵入は無かった。
蛮族の方にはローマ化する気もなくなったし、ローマもローマ的でなくなった。
[以前は敗者は敗北の後は喜んでローマ化を喜んだ]
ローマ帝国は「元首政」から「絶対君主制」への第一歩を踏み出した。
 皇帝は「市民中の第一人者」から「支配する者」となり、一般人からは皇帝は仰ぎ見る存在となった。~それまで私邸の召使いが使う言葉であった「御主人様」は、市民が皇帝に対して使う言葉になった。市民中の第一人者は支配者に、市民は臣下に変わった。皇帝の服装は宝石をちりばめたものに変わった。

・権力とは、それを持つ者を堕落させるが、持たない者も堕落させる。

四頭政は官僚的ヒエラルキーを生んだ
 東方―正帝ディオクレティアヌス(首都ニコメディア)―副帝ガレリウス(首都シルミウム)
 西方―――正帝マクシミアヌス(首都ミラノ)――――――――副帝コンスタンティヌス(首都トリアー)
地方組織は、管轄区・県となりその官僚の任命権も皇帝が握った。

・税制も変わった
アウグストゥス時代は、国家は税収の範囲内でしか手がけなかった。
ディオクレティアヌス時代になると、国家に必要な経費が課税された。
・ほとんど全ての職業に世襲制が布かれた。

【増田総括。ディオクレティアヌスは、それまでの軍人割拠を統一し蛮族侵入を防いだが、古代ローマのローマらしさのほとんどがなくなり、中世の絶対君主制を準備した。】

〈第二部〉コンスタンティヌス時代(306~337)
兵站=ローマでは兵站はars=英語ではartつまり技(わざ)、すなわち人間がなすべき全てのことを意味したが、以降兵站はロジスティクス=輸送が使われる。
・コンスタンティヌスは元老院議員を富裕度に応じて四段階に分けた。
・コンスタンティヌスは新しき首都[ビザンティウム]、新しき政体、新しき宗教による、新生ローマ帝国を実現しようとした。
・元老院の始まり~数多くの部族の連合体であった王政時代のローマで300人にもなった部族長達を集め王への助言機関として設置された[紀元753年]。
 紀元509年に共和制に移行。
・「金本位制」を導入~金貨で給料をもらう国家公務員はますます富裕化した=銀・銀貨の価値は低下  

〈第三部〉コンスタンティヌスとキリスト教
・ミラノ勅令312年=キリスト教を宗教の一つとして公認した。
「各人は自信が良しとする宗教を信じそれに伴う祭儀に参加する完全な自由を認められる。キリスト教徒に認められたこの宗教の完全な自由は他の神を信仰する人々にも同等に認められる。
~それまで弾圧時に没収された教会の資産は返済された、同時に没収財産を競売で手に入れて所有していた者に国家による補償をした。
・宗教を大義名分に使えなければ争いは人間同士のことになり単なる利害の衝突に過ぎなくなる。ゆえに争うことが損と分かるや自然に収まる。宗教を旗印にすると問題は常に複雑化する。
・一神教では教祖の言行が最重要の教理になる、その教理は解釈し意味を説き明かす人を通すことによって一般の信者とつながってくる。
 教理の存在しない多神教では専業の祭司や聖職者階級は必要としない、一神教ではこの種の人々の存在が不可欠になる。
=教会資産の必要性の一つは聖職者達を養い維持することにある。第二は恵まれない人々への慈善事業のためである。つまり、資産は教会活動で重要克不可欠な要素である。
・コンスタンティヌスは皇帝の私有財産=つまり帝国最大の地主になっていて本来は国家財産をキリスト教会に寄付した。
・さらに聖職者階級の独立・公務免除=[あらゆる公務に就かない権利]を強力に支援した。~没落していた中産階級は教会に引き寄せられていった{キリスト教会の聖職者の独身が義務づけられたのは中世には行ってから}
ニケーア公会議[325年]アリウス派とアタナシウス派N教理論争を調停。~神とその子イエスは同位か・同位でないか、つまり〈三位一体〉説=神とその子と生霊は一体であり同位であるという説と十字架上で死んだイエスは神ではありえない、とする論争。イエスは死んだが三日後に復活したのだから神になった。
~多神教であったローマでは祭司はいたが聖職者[神の意志を人間に伝えるのを仕事にする人]はなかった。          

なぜコンスタンティヌスはキリスト教信仰に熱心だったのか?
キリスト教徒の数は5%で決して多数派ではなく少数派であった。
塩野の答えは、【支配の道具】である。
ローマの皇帝の任期は終身であった、皇帝のリコールは肉体の抹殺しかなかった、三世紀リコールが次々と起こり政局は不安定となった。
権力者に権力行使を託すのが人間であればリコールも人間である、この権利が人間でなく他の別の存在であったらどうであろうか、多神教ではそれは無理だが一神教ではそれは可能だ。
「各人は上に立つ者に従わなければならない、神意外には権威を認めないが現実の世界に存在する諸々の権威も神の啓示があったからこそ権威になっているのだ、だからそれに従うことは結局はこれら現世の権威の上に君臨する、至高の神に従うことになるのだ」[パウロ]
=現実世界の統治・支配の権利を君主に与えるのは人間ではなく神である、とするアイデアの有効性。
~神意を伝えるのはキリスト教では聖職者であり、上級の聖職者・司教である。
司教を見方にする方策とは?
・教会資産の保証とその増やすこと~教会の建設・資産の寄贈・聖職者の公務と納税の免除・独身者への法律上の不離の改称・司法権を司教に認めた.

「コンスタンティヌスは、現世ではキリスト教の教えでは大罪でもやらざるを得ない以上、キリスト教徒になるための洗礼をあのような行為はやろうにもやれない時にまで先延ばししたのである」