風そよぐ部屋

ウォーキングと映画の無味感想ノート

本庄七福神を歩く

2007年02月24日 | ウォーキング
本庄七福神・2007/2/22

遠出をした。
本庄市を訪れるのは始めて。
歩いた範囲は高崎線北側の狭い範囲だけだが、落ち着いた町だった。
車は走っているのだが、人通りはほとんど見あたらない。
住宅市街地で、農地は郊外になるようだ。





丸数字は本庄七福神、でもここは、七ではなく九。

①大正院[弁財天]


八坂神社


城下神社
城山稲荷神社・本庄城跡

樹齢400年、根回り13.3mの立派なケヤキ。写真右の『本庄かるた』が史跡には必ずあった。

②円心寺[福禄寿]


愛宕神社

ここにも立派なケヤキが、右は民家。

③開善寺[布袋尊]


諸井家住宅跡地


小笠掃夫太夫信嶺公夫婦の墓

後ろの寺は、開善寺。

西広寺

寺坂橋

埼玉で一番古い橋と言われる。
下に流れる川は水の浄化ための工夫がされているようだった。流れはきれいだった。

若泉公園
阿夫利神社


普寛霊場

阿夫利神社の隣、地図には載っていなかったが、寄進された灯籠や塀などに刻印された記名が赤色のペンキで埋められ、その数もとても多く派手な印象がする。

市立歴史民俗資料館

旧本庄警察署と言う、古く狭い木造の二階建て建物、古墳や埴輪・石器・土器等が展示されていてこの地が古い地なのだなと感じた。
隣は、消防署と慈恩寺。

④慈恩寺[弁財天・50cm位で小さい]


⑤安養院[毘沙門天]


⑥仏母寺[弁財天]

とても広い境内、左は仏母寺、中は住職宅、右は高尾神社、左前方にかわいい弁財天

⑦金鑚神社[カナササ][恵比寿尊]

とても大きな神社、恵比寿尊本殿の裏手にあり長い竹の釣り竿。

旧本庄商業銀行=現在はロイヤル菓子店・レストラン

逆光のため写真は裏から撮った。

⑧泉林寺[寿老人] 


⑨城立寺[大黒尊天]


三面交通りの標識

いわれがレリーフされてあるのだが長すぎるのでメモせず。

歩いたのは、本庄市全体ではなく高崎線の北側のほんの一部だけ、古い街のようだ。
これまでの経験から言うと、落ち着いた町というのは、みな昔城があり、城主・有力者が寺社・墓を立てた、そんな歴史が残されているように感じる。
秀吉の北条攻めの時、本庄城は落城したようだが。
寺社はいずれも古く、大きい。
学校の校庭があまりにも広いので驚いた。
七福神の案内板も親切に立っていた。
だが、ウィークデーの日中とはいえ人はほとんど歩いていない、
シャッターの降りた商店が多く、またかつては商店であったと思われるような家がたくさんあった。
古い街のようなのだが、古家・蔵・土塀などは見あたらなかった。
『ほんじょうかるた』も史跡にあり、楽しめる。
七福神巡りだけならかなり短時間でできそうだ。
暖かく、静かで、のんびりのウォーキングであった。

しかしその後、『ナイト ミュージアム』の試写会(シティバンクモバイル主催)[新宿厚生年金ホール]にも行った。
お世辞にも面白いとは言えない、B級であった。
エンタテイメント映画ならそれに徹する方がよい、
この場合、ストーリーは非論理的奇想天外でよい。


下谷七福神~

2007年02月17日 | ウォーキング
下谷七福神/2007/2/17南千住~三河島を歩く



小塚原回向院/常磐線・南千住駅前

江戸幕府初期この一帯はお仕置き場・小塚原と呼ばれ、220余年の間に20余万人もの人々が埋葬されたと言われる。
松下村塾を主宰し、多くの人材を育てた吉田松陰(左・黒い墓石)・橋本左内(右・堂内)らも葬られている。

明治8(1771)年には、蘭学者杉田玄白や中川淳庵、前野良沢などが小塚原で腑分けし、後に「解体新書」の翻訳のきっかけとなった。本堂の入口右手に「観臓記念碑」が展示されている。


浄閑寺[投込寺]
江戸・安政大地震で多くの遊女が死に、この寺に投げ込まれ、葬られたという。
「生まれては苦界、死しては浄閑寺」と謳われたという。


梅林寺
近くに行くとかすかに梅香がし境内には梅の花が咲いていた、が門は閉じられていた。


①寿永寺[布袋尊]


②飛不動・正宝院[恵比寿神]


吉原神社[浅草七福神・弁財天]


鷲[おおとり]神社=浅草酉の市発祥


長國寺[通称・酉ノ寺]鷲神社に隣接=浅草酉の市発祥

境内に正岡子規・樋口一葉の碑[子規の碑は他にもいろいろなところにあった]


西徳寺~17代中村勘三郎の墓


大音寺 
正燈寺

朝日弁財天


正覚寺

小野照崎神社


④法昌寺[毘沙門天]


正洞院

⑤英信寺[大黒天]


⑥真源寺[入谷鬼子母神]=福禄寿

鬼子母神(きしもじんまたはきしぼじん)の謂われ=仏教諸神の一で、元は鬼神・般闍迦の妻で、500人(一説には千人または1万人)の子の母でありながら、常に他人の子を捕えて食べてしまうため、釈迦は彼女が最も愛していた末子・愛好を隠して子を失う母親の苦しみを悟らせ、仏教に帰依させた。以後、仏法の護法神となり、子供と安産の守り神となった。鬼の漢字のノを取って示す場合もある。

静蓮寺[真源寺に隣接]
長松寺
法精寺


三峰神~小さな神社
要伝寺

⑦元三島神社[寿老人]~JR鶯谷駅脇に立っている。

裏に回ってみると

と、とても珍しい構造になっている。
神社は石段を登った上にあり、下は定食屋などの商店なのである。
あたり一帯は、鶯谷と言えばその代名詞で、有名なラブホテル街。
車も通れないような細く曲がり入り組んだ路地に実にたくさんの、それもきれいなホテルが続く。

円光寺
永稱寺
千手院
西蔵院[根岸小学校発祥の地]


ここから更に、常磐線三河島駅まで歩くことにした。
南千住から鶯谷までは、通称国際通り・昭和通りの大通りが走る古い街で、
神社はそうではないが、寺院がたくさん隣立し、浅草の名残りが少しする。
鶯谷根岸を過ぎ、東日暮里にはいると寺社はほとんど無くなり、
狭い路地が多くなり、零細工場と住宅が入り組む。

西念寺

御行の松不動尊[おぎょう]~錦絵に根岸の松として描かれたそうで、その幹。
現在は三代目の松が植えられている。



東京朝鮮一級中学校校庭で学生が民族楽器の演奏の練習をしていた。

~常磐線ガードをくぐると、ハングルで書かれた看板の店や「韓国」がつけられた店が多くなる。

 ウォーキングには少し寒い天候であったが、歩き出すと寒さは感じなかった。
コートは脱がなかったが。
今日歩いた所もそんなに広い範囲ではないだろう。
でも、街の雰囲気はいろいろ変わる。
鶯谷駅反対側は谷中の墓地で、高台で街の雰囲気もだいぶ違うのだろうな。
今日歩いた所は、道が狭く入り組み、地図を見ても、探すのに苦労した。
また大きな公園が少なく食事・トイレにも困った。
だが、それ以上に腹が立ったのは公園で鎖を外して犬を遊ばせている集団であった。
犬が嫌いな人間は人ではないかのように我が物顔で犬を遊ばせているのだ。
困ったものだ。








クジラの島の少女

2007年02月12日 | 映画
クジラの島の少女/2007.2.12
/東京国立博物館特別展・マーオリ―楽園の神々―クジラの島の少女上映会


2003年ニュージランド[102分] トロントト映画祭観客賞、サンダンス映画祭ワールドシネマ部門観客賞他
映画としてはB級の出来、ストーリーが単純過ぎる、また海や空の美しさも映像化していない。
マオリの人々の歴史やその伝統も良く描けてはいない。
期待してだけに残念。
劇場で上映された時見られなかったのでこの映画のために行った。
平成館講堂は約400席と大きく、観客は250人ほどであった。

本館・東洋館を見学してきた。
混んでいなかった。
館内はフラッシュを使わなければ「一部」を除いては撮影できる。
一部とは、展示品所有が博物館以外のもので、一時的に借りているようだ。
館内はかなり暗いが試しに撮ってみた。
フラッシュなしでもかなりきれいに撮れた。
特別展を見なければ、入場料は600円。


中国国宝展・上野散策

2007年02月06日 | ウォーキング
中国国家博物館名品展/2007.2.5/平成館


東京国立博物館入り口



朝日新聞の招待に当選して見学に行った。
中国の名品のごくごく一部[61件]に過ぎないが古い物も良いものだ。
月曜なので上野一帯の美術館・博物館は休みで招待客だけなので人が少なくゆったり見ることが出来た。
東京国立博物館はこれまでも何回か来たことがあるが、本館・平成館・表敬館・東洋館・法隆寺館ととても広いので、欲張ると疲れてしまうので、一、二館がいい。
平成館では『マーリオ楽園の神々』特別展が同時開催されていて時間的にもちょうど良かった。

以下写真は、博物館からの無断転載。
彩陶罐 (さいとうかん)新石器時代/前3100~前2800年頃

鉞 (えつ)商時代・前13~前11世紀/いけにえや罪人などの首を叩き切るための道具

説唱俑 (せっしょうよう)後漢時代・2世紀


・本館・平成館・表敬館・東洋館・法隆寺館、国立科学博物館の写真も撮ったのだが残念ながら失敗。

穏やかな気候なので上野公園内を散歩した。

東京都美術館・オルセー美術館展開催中

上野動物園入り口

お化け灯籠

薬師如来堂/左に大仏パゴダ

穴稲荷[五條天神社内]

時の鐘

時忘れじの塔/海老名華葉子さんが関東大震災・東京大空襲の惨事を忘れないために建立。

寛永寺・清水観音堂

菅公詠梅碑

天海僧正毛髪塔

彰義隊の墓

西郷隆盛銅像

上野鈴本演芸場

アメ横


梅は満開であった。
動物園の前は誰もいなかった。
公園内美術館などが休館なのに多くの人が昼下がりの散歩を楽しんでいた。
ホームレスは目に付くが、多いのか少ないのか。テントなどは見あたらなかった。
アメ横は平日なのにとても賑わっていた。
上野界隈は、いろんな街が点・混在している。
谷中墓地、上野公園、アメ横、東大周辺、合羽橋、少し行くと浅草。
じっくり探索したら何日かかるだろう。
上野公園内には、東照宮、五條天神社などの史跡や美術館・東京芸術大学・東大・不忍池などがあるが時間の都合で以前訪れた所は行かなかった。
のんびり散歩した。

東海七福神を歩く

2007年02月03日 | ウォーキング
東海七福神めぐり・宿場町・品川=旧東海道 2007/2/3
京浜急行・新馬場駅下車
○数字は東海七福神を示す


①品川神社(大黒天)手前通りは第一京浜


左に隣接して浅間神社。さらにその左に清徳寺

第一京浜・京急線を横切って海側に、正徳寺

②養願寺(布袋尊)

/一粒万倍の泉


水かけ河童


③一心寺(寿老人)


法禅寺(品川小学校発祥の地)


鯨塚・利田神社
[江戸時代品川沖に迷い込んだ鯨の骨が埋められた塚・後ろの三角の碑]

利田神社は鯨塚の右側。気が付かず通り過ごしてしまった。

④荏原神社(えびす)


=旧東海道は一方通行の道・でも両側にかなり広い歩道スペースがある=
進行方向(南)に向かって50m~100mほどの所を京急線、そのすぐ右を片道4~5車線の第一京浜、その右200mの所をJR京浜東北線が走る。

旧東海道をしばし離れ、第一京浜添いの本光寺清光寺
妙蓮寺

手前の通りは第一京浜、その手前に本光寺・清光寺が隣接(大きい)がある。写真右の白いフェンスは京急線(高架)。

もう一度、海側(旧東海道)にもどって、
蓮長寺本栄寺心海寺
本覚寺

教会のよう。
常行寺天妙国寺諏訪神社
【新馬場駅から青物横丁駅の間は500m位と思われるが、旧東海道に沿って、また第一京浜を越えた高台にもたくさんの寺社が隣接する】

⑤品川寺[ほんせんじ](毘沙門天)
銅造地蔵菩薩[1708年江戸六地蔵の一つ、高さ2.75m]


海雲寺千躰荒神
鮫洲八幡神社[たくさんの神社]
その中の一つ厳島神社

本物の厳島神社に似せて周りを水路で囲っていた。箱庭みたいであった。
嶺雲禅寺仲町稲荷神社

⑥天祖諏訪神社(福禄寿)



海運稲荷神社[とても小さく見逃し通り過ぎてしまった]
浜川神社[碑のみで、そこはマンションの入り口、碑を読んでいたら不審者用にかライトが点灯した]

鈴ケ森刑場跡


大経寺

手前植え込みは鈴ケ森刑場跡、右奧が大経寺

=旧東海道はここまで、高速の高架が走りその下は大通り、しばらく先の大森海岸駅手前から第一京浜が、京急線を横切って海側になる=

旧東海道は、
新馬場から青物横丁は古い下町という感じで、寺社も商店も人通りもある、
青物横丁を過ぎると通りの雰囲気が少しずつ変わり、
鮫洲に入ると寺社も商店も少なく、また閉じていて、人通りも少なくなる。
第一京浜は片道4~5車線で、信号・歩道は少なく、両側は高層ビル。

海側・進行方向左に“しながわ区民公園”。

しながわ区民公園内を歩く。
広くはないが静かできれい。
南端はしながわ水族館、ショーをしていたのか歓声があがった。
出口が見つからずもどる。
第一京浜を挟んで京急線大森海岸駅。

さらに少し南下すると、
⑦磐井神社(弁財天)

・弁財天


南下はここまで、大森海岸駅までもどり、京急線のガードをくぐり、京浜東北線をくぐると、
大森貝塚遺跡庭園

・貝塚跡


池上通りをしばらく北上すると、
鹿島神社

子ども達が、立派な能堂で神楽の練習をしていた。

池上通りを南下、京浜東北線・大森駅に向かう。その手前に
大森不動尊・円能寺・日枝神社


京浜東北線・大森駅乗車し、帰路に付いた。

久し振りにウォーキングを楽しんだ。
梅は満開であった。
今日歩いたのは、南北4km、東西0.5kmの狭い範囲。
狭い範囲だが、町の雰囲気は色々でどんどん変わる、
海までは一㌔もないし、運河や川もある。
寺社もたくさんあった、高層マンション反対の看板があった。
平和島競艇場や、大井競馬場、しながわ水族館なども。
気温は高かったが、冷たい風が弱く吹き、寒くもなく暑くもなく、コートは脱がなかった。
品川は旧東海道・一番目の宿場町で、幕末時代の良く知られた懐かしい地名がある。
商店街ではあったが一通りは多くはなかった。
一度五反田からゼームス坂から今日歩いたとなり当たり・運河沿いを歩いた事があった。

品川で京急線に乗り換えたがその時切符を取り忘れた。
新馬場駅で、駅員に「切符を取り忘れた、下車は新馬場だが、切符は間違って立会川まで買った」と言ったら「今日はいいです」。
年寄りで少しぼけてると思ったのかも。
ここで嫌みを言われたら、今日の歩きは楽しい物にならなかったろう。
やさしい京急の駅員さんありがとう、若い人でした。
JRから京急への乗り換えは面倒、スイーカを使っていると切符を取り忘れることがあるのは、あり得るのかもしれない。
スイーカには品川でいくら支払ったのかという記録は残っているのだろうか。

節分の準備なのか、多くの神社に子ども達が集まって、賑わっていた。
楽しいウォーキングであった。