風そよぐ部屋

ウォーキングと映画の無味感想ノート

イタリア[ヴェネツィア、フィレンツェ、ナポリ、ローマ 21日間の旅]~ヴェネツィア1 

2010年11月08日 | イタリアの旅
 9/28~10/22の間、妻と二人でイタリア[ヴェネツィア(ドロミテ)、フィレンツェ(ピサ・シエナ)、ナポリ(カプリ、ポンペイ、アマルフィ)、ローマ(エトルリア)]へ行って来ました。
9/28、18:30成田発香港経由でローマに向かった。
香港着、22:10、香港[日本との時差1時間]発9/29 0:25、ローマ[香港との時差6時間]着、9/29 7:25。


香港までの機内食                 香港空港内はきれいで禁煙 香港からの機内食{もう一食あった}
  

ベネツィア
9月29日空港から電車の空港駅までは歩いて10分程、レオナルドエキスプレスでローマテルミニ駅へ。
 


10時45分テルミニ駅発、ベネチアメストレ駅14:21着。ローマ駅でサンドイッチを買って車内で食べた。
私たちは、通算4日間{ローマ→ヴェネツィア、ヴェネツィア→フィレンツェ、フィレンツェ→ナポリ、ナポリ→ローマ間}の
電車パスと特急指定席券を日本で買っていた。
電車パスは、乗り始めの時に駅で使用開始のスタンプを押してもらい、乗車日毎にその日付を自分で記入しなければならないのだが、
私はスタンプを押してもらうのをすっかり忘れていた。
ホームに乗る電車の車掌がいたのでこの電車かと聞いたとき、スタンプが押していないと50ユーロの罰金だという。
慌てて駅の窓口に向かったのだが、長蛇の列で列車の出発にはとうてい間に合わない。
駅のインフォメーション事務所があったので発車まで5分しかないと泣きついて、やっとスタンプを押してもらい、
駆け足で戻りやっとの事で間に合ったのだが、も一人の車掌はそんな事情なら私が押して上げたのに、である。
発車に間に合って、安心してスーツケースをに持つ置き場に置き、荷物を網棚に上げているそのスキに私は財布から現金を盗まれていたのであった。

TRIESTE ホテル[5泊朝食付き二人5.05万円]はメストレ駅の目の前(100メートル)にあった。
 
 
冷蔵庫に鍵、その他洗面所・クローゼットにも鍵が付いていました。

ホテルチェックイン後、ベネチア・メストレ駅からベネチア・サンタルチア駅までは電車で15分。1ユーロ。
サンタルチア駅は大きく、階段を下りると広場になっていてその先は大きい運河で、ゴンドラやボートが大混雑であった。
 

サンポーロ地区を歩いた。
  
 
                         サン・スタエ教会
 
イタリアには各地に、ローマ時代からの水飲み場・噴水がある。垂れ流しのものも多い。
 

この日は、スリにあったりで動揺し、写真のメモ取りなどを忘れてしまった。
 
 
 
 
 
 
サンタルチア駅前の運河沿いのBar[バール=軽食・喫茶店]で夕食
  


9月30日
サン・マルコ広場地区=ヴェネチアの中心・サンマルコ広場周辺を歩いた。

ヴァポレット[水上バス=ボート]でヴァラレッソへ。
 

サンマルコ小広場[ドゥカーレ宮殿]          鐘楼[高さ100m8ユーロ]
 
サンマルコ小広場[マルチャーナ図書館]        横からのサンマルコ寺院
 
サンマルコ寺院
    
正面上部


鐘楼からの眺望
サンピエトロ寺院
 
       
 
 
サンピエトロ広場
 

ナポレオンの翼壁                 オルセオロ運河[ゴンドラ乗り場]  
 
コッレール博物館入り口
 

時計台                      溜息の橋[ドゥカ-レ宮殿と牢獄結ぶ橋]
   

スキアヴォーニ河岸                 昼食(サン・マルコ小広場のBar)
 

サン・マルコ寺院からの眺望[寺院内は撮影出来ない]
サン・マルコ広場                 サン・マルコ小広場
 
サン・マルコ寺院ないの階段         寺院前が浸水
 
午前中、サン・マルコ寺院は入場者の長蛇の列であった。私たちは入場をあきらめたのだが、昼過ぎは並べずに入れ、展望台まで行けた。
小さいリュックを背負っていた妻はリュックを預けろと言うのだが、何処に預けるのか全くらちがあかないので入らなかった。
私はサン・マルコ寺院関係に一日使うと思っていたのだが、時間が余ったので近くを歩いた。

ザッカリア教会                  ピエタ教会
 
ヴェネツィアは、車で行くことは出来、ローマ広場周辺の駐車場に駐車することは出来るが、
島内を車は走ることは出来ない。
  
 
アルセナーレ[造船所]               海洋博史物館
 
 
     
 
サンタ・マリア・グロリオーサ・フライーリ教会
 
 
ヴェネチァの雨戸は緑色で統一されている      ヴァポレットの運転手
 
本土とベネツィア島を結ぶ橋
 
ベネツィア大学                   夕飯[イカ墨スパゲッティ]
 

10月1日
この日は、ドロミテ山塊への一日ツアーを日本で予約していた[一人115ユーロ(12770円)]。

ドロミテ山塊とは、ベネツィアの北部・アルプスの山麓広大な一帯で、石灰質の岩石(ドロマイトと言う)からなり、独特の風景を形作っている。
アルプスの一般的トレッキングエリアでもあり、所々雪渓が残り、それほど高くはない山々が盆地を取り囲む様に囲んでいる。
実は、このツアーは前日までに催行されるかを電話で問い合わすことになっているのだが、言葉は英語である。
本土のヴェネツィア・メストレ駅と島内ヴェネツィア・サンタルチア駅は約4km離れていて、その間は海の浅瀬・ラグーナ(潟)である。

島内のホテルは高い上に、島内の道路は狭く入り組んでいるので重い荷物を持っての移動は大変なので私たちはホテルは本土を選んだ。
本土は島内と比べると人も少なく、スーパーもすぐ近くにあり結果的にはとても良かった。
鉄道と道路は橋と船で結ばれている。
鉄道運賃は1ユーロで10分おきに出ていて15~20分かかるが、事前に切符をまとめ買いし、使うときに打刻すればよく、問題ない。
集合場所のローマ広場の事前確認に前日に行ったのだが、このローマ広場は本土と島を結ぶ道路の唯一の出入り口で
バスの発着場・駐車場からなる広い広場なのである。
ツアー会社での電話では、左サイド・反対側というのだが、私の英語力ではそれ以上はよくわからなかった。
ただ車が一時駐車出来るスペースは限られていたので見当は付いたのだが。
でも、心配で30分以上も前に着いてそれらしき車を探した。
ウロウロしているとツアーに参加するマレーシア人が同じように待っていて妻に話しかけて来、一安心した。
その後カナダ人4人のグループがウロウロして合流した。
その他にも8人の参加者がいて、計16人が8人ずつ2台のミニバンに分乗して出かけた。
ガイドは英語でだが、集合場所・集合時間さえ聞き取れれば大丈夫だと思った。
そのことを私が二度三度確認するので、カナダ人がゆっくりと英語で教えてくれた。
 
 
トイレ休憩のBarでエスプレッソ(0.8ユーロ~4ユーロ=都市・場所により、またテーブル席に座ると高くなる)
 
 
            
 
 
昼食[ツアーには付いてなかった]
 
  
  
ミズリーナ湖、湖畔を約40分歩いた。
 
 
 
夕飯は、ちょっと贅沢に。近くの大きなホテルのレストランで。ツナのグリル、サラダ、スパゲッティ、ワイン

私は、日本から折り畳式の携帯箸を持って行きそれを使うと、隣のテーブルに座っていた4人組の老人たちが話しかけてきた。
「それは箸か」と。彼らは南米のウルグアイ人でしばらく楽しくおしゃべりした。

ヴェネツィア・メストレ駅の自動販売機、チケット(チケットは何種類かある、これは60分券で夜9時~12時は使えない)、打刻機
   
こちらはチケットの窓口売り場

イタリア[ヴェネツィア、フィレンツェ、ナポリ、ローマ 21日間の旅]~ヴェネツィア2

2010年11月08日 | イタリアの旅
10月2日
ホテルの朝食(他にスーパーで買ってきたバナナ、牛乳)


電車でヴェネツィア・メストレからヴェネツィア・サンタルチアへ、ボートでザッテレ乗り場。
ゴンドラ造船所
 
 
アカデミア橋


アカデミア美術館                        パオロ・ヴェロネーゼ『レヴィ家饗宴』
 
ティントレット『奴隷を救うサン・マルコ』                  パオロ・ヴェネツィアーノ「多翼祭壇画」                  
 
 
ピエトロ・ロンキ「薬局」                          ジェンティーr・ベッリーニ「サン・マルコ広場の祝祭行列」
 
ヴェットーレ・カルパッチョ「ブルターニュの宮廷に来たイングランド大使」  エーンティーレ・ベッリーニ「サン・ロレンツォ橋から運河に落ちた聖遺物の奇跡」
 
カルパッチョ「ウルスラの夢」            ヴェロネーゼ「聖カテリーナの結婚」    ティントレット「サン・マルコの遺骸の運搬」
  
ティツィアーノ「ピエタ」                  ジョバンニ・ベッリーニ「玉座の歳暮と諸聖人」
 
 
ペギー・グッゲンハイム美術館
 
 
サンタ・マリア・デッラ・サルーテ教会
    
サント・ステファーノ教会                             フェニーチ劇場
  
 
 
                                                          ココンタリーニ・デル・ボーヴォロ階段
  
リアルト橋
 
                                     サン・ジョコモ・リアルト教会
 
リアルト橋界隈
 
ドイツ人商会(現ヴェネツィア中央郵便局) 
 
サン・オヴァンニ・クリソストーモ教会                            コッレオーニ騎馬像
 
サン・マルコ小広場の聖テオドロスと有翼の獅子像                                 サン・マルコ寺院脇の美術館
   

夜は、「ゴンドラとシーフードディンー」のナイトツアー(二人・190ユーロ=211054円)申し込んでいた。オルセオロ運河より約35分のゴンドラ
  
運河から入るレストランもあった。            ディナーは、食欲がまさり、これ以外の写真を撮り忘れてしまった。
 
私たちの他に若い男女のカップル二組の計6人で食事を楽しんだ。時計を見ると8時をちょっと過ぎていて、挨拶もそこそこに別れた。
私たちは帰りのボートのチケットを買い忘れていた。ボート乗り場に行くとチケット売り場のおばさんはシャッターを閉めていた。
あっちと自動販売機を指さしていた。買い方がわからずウロウロしていると「お金が足りないんだよ」と後ろから文句を言いわれた。

10月3日
ヴェネツィア最後の日は予備日としていた。のんびりと島巡りをした。
ヴァポレット12時間券を買い、長距離の船が出ているフォンド・ノーヴァへ。
乗り場の下を覗いてみると小さな魚が泳いでいた。
 
ムラーノ島、ブラーノ島から船を乗り換えてトルチェッロ島へ行った。

ヴァポレットのチケットは
・1回券 - 2.00ユーロ・60分有効券 - 6.50ユーロ
・12時間有効-16ユーロ  ・24時間有効-18ユーロ ・36時間有効-23ユーロ
・48時間有効-28ユーロ - ・72時間有効-33ユーロ と、色々あって、

                                    チケットを右の機械に付けると打刻される
  
海には、「船の道路」とも言える航路が作られていて、速度制限の標識や交差点などもあった。
 
次の2枚は、船を乗り換えたブラーノ島の写真と思う。
 

トルチェッロ島 
この島は、ヴェネツィア発祥の地の一つと言われ、7~10世紀に栄えたが、マラリアの蔓延で一時放棄されたという。
船着き場に                                
 
手摺りのない橋・悪魔の橋と名が付いている           サンタ・フォスカ教会
 
サンタ・マリア・アッスンタ教会[後ろは工事中の鐘楼]、ヴェネツィア最古の教会   鳩よけの装置か
 
エストゥリオ博物館
   

昼食にレストランに入ったのだが、他に客も入っておらず価格も高いので、広場の売店でサンドイッチを買うと、
トーストしてくれた。公園で広場の様な所のベンチでのんびり食べた、

ブラーノ島(漁師の島で、霧の中からでも自分の家が見分けられる様に鮮やか、レースの特産でもある)
 
 
 
ヴェネツィアで初めて船の自動改札機をこの島で見た。  長距離の船にはトイレもある。
 

ヴェネツァ本島に戻り、橋の上の物売り
 
Barでワインを飲みながら休憩していると花嫁を乗せたボートが
 

ホテルの窓から駅前の駐車場(左が駅、奥は線路) ヴェネツィア・ミストレのスーパー
  
これでヴェネツィアともお別れ。
ヴェネツィア本島の道は狭く、入り組み、運河で行き止まり、小さな橋がたくさん。
『地球を歩き方』の地図は概ね正確ですが、細かい路地を一本一本確かめ確かめでは疲れますし、おもしろさに欠けます。
だいたいの方向があっていれば良し、として迷った方が楽しいかも。皆地図を片手にウロウロしています。
地元の人と思われる人にも道を聞かない方が良いです。教える方だって上手く教えるのは難しいですし、お互い英語が上手くないのですから。
小さな島ですから30分も自分の居場所がわからないなんてことはないです。
運河で行き止まったら戻ればいいし、少し大きな道路に出れば、通りの名が記されていますし、大きな運河に出ればだいたいの方向がわかります。
宿を島では無く、ミストレにしたのは正解だったと思います。
電車の切符はまとめ買いしておけば良いです。私たちは2枚余りました。
冒頭スリにあって、大ショックでしたが後は楽しく過ごすことが出来ました。

イタリア[ヴェネツィア、フィレンツェ、ナポリ、ローマ 21日間の旅]~フィレンツェ1

2010年11月08日 | イタリアの旅
フィレンツェ

10月4日
10:39ミストレ発、12:30フィレンツェ着。           フィレンツェ・サンタ・マリア・ノヴェッラ駅
 
電車の中で、隣に座った女性二人が話しかけてきた。私はお礼に、川・山・日なのどの漢字を教えるとても喜んでくれた。

宿はHote Goldni[二人で5日間で6.2万円]。
  
  
駅からも近く、モーツアルトも滞在したことのあるというホテルです。
建物の三階あたりに看板があるのでここだとわかったのですが、入り口がわかりませんでした。
写真の様に入り口は小さなドア、ホテルのレセプションは日本で言う2階、現地では1階なのです。
0階部分と4階部分は会社の事務所やアパートが入っています。
エレベーターもドアを手で開けるクラシックなものでした。バスタブも付き文句なしのホテルでした。
ホテルに着いて、すぐウッフィツィ美術館の予約を電話試みたのですが、どうも上手くつながらず、でした。
そこでホテルのレセプションに予約して欲しいと頼むと快くしてくれました。
6日にピサへのツアーを予約してその確認の電話をしたのですが、明日午前中にもう一度電話をして欲しいという返事でした。
外出して戻ると、「朝6:45にホテルに向かいに行く」との伝言がホテルに入っていて一安心でした。

ホテルチェックイン後、雨が少し降っていたが、早速出かけた。
サンタ・マリア・ノヴェッラ広場                       サンタ・マリア・ノヴェッラ教会
 
フィレンツェ駅前広場                         サンタ・マリア・ノヴェッラ教会裏側
 
ウニタ・イタリア広場                                サン・ロレンツォ教会
 
ラウレンツィアーナ図書館                           メディチ家礼拝堂
 
                                    サン・ガエターノ教会
 
ストロッツィ宮                        
 
フィレンツェの街はだいたいこんな感じです。
    
 
車道も歩道もは狭く、黒い石畳です。雨に濡れると石畳はその黒さを増して光り味わい深いです。
朝、清掃車が来て道路のゴミを掃除して行くのできれいです。だが、犬の糞があちこちに落ちています。
この面でのマナーはほとんどないようです。また、喫煙者も多く、彼らの多くは吸い殻をポイ捨てです。
 
中世邸宅博物館                                中央郵便局
 
新市場のロッジア                                サンティ・アポストリ教会
 
サンタ・トリニタ教会                          トリニータ橋
    
カライア橋                                ヴェッキオ橋
 
オーニッサンティ教会
 
ホテル近く小さなスーパー
 
プラート門
 
アルノ川の堰                                セント・フィディアノ教会
 
夕飯(ボンゴレスパゲッティとグリル野菜とワイン)
 

 10月5日
この日は、ヴェッキオ宮のあるチェントロ地区を歩いた。ウッフィツィ美術館だけは後日にした。
ヴァザーリの回廊[ピッティ宮とヴェッキオ宮を街中に出ることなく通じる回廊で、途中にヴェッキオ橋もある]
 
                                    これは前にも紹介したヴァザーリの回廊とヴェッキオ橋
 
サント・ステファーノ教会                                ウッフィツィ美術館
 
科学史博物館                                
  
ホーン美術館                              アルノ川の向こうにミケランジェロ広場(高台)が見える       ポストマン
  

国立図書館                                 同付属美術館
  
サンタ・クローチェ教会                            サンタ・クローチェ広場
  

ヴェッキオ宮
  
  
 
                                     壁の隠し戸棚はトイレ(学芸員に聴いた)
 
ヴェッキオ宮の中庭・中央に「イルカを抱くキューピッド」
  
ヴェッキオ宮(裏側)                                                              ミケランジェロの「ダヴィデ」
  
ウッフィツイ美術館とヴェッキオ宮の間には、ランツィのロッジオ
  
    
シニョリーナ広場[ヴェッキオ宮、ウフィツィ美術館、ランツィのロジアなどが面している]のネプチューンの噴水


昼食                                    Barの花壇の下に鍵が付いていた
 
バルジェッロ国立博物館
 
   
  
  
ヴァディア・フィオレンティーナ教会      同鐘楼            ダンテの家
                                   オルサンミケーレ教会
  
レプッブリカ広場
 

ドゥオーモ
洗礼堂、その右はジョットの鐘楼                    ドゥオーモ     
  
堂脇から、奥のドームはクーポラ
 
     
  
                                              ドゥオーモ付属美術館      
  
                                                     【続く】

イタリア[ヴェネツィア、フィレンツェ、ナポリ、ローマ 21日間の旅]~フィレンツェ2

2010年11月08日 | イタリアの旅
サン・ミケーレヴィスドミニ教会
  
サンタ・マリア・デリ・アンジェッリ礼拝堂                     中学校
 
ヌオーヴァ病院                           フィッレンツェ都市博物館
 
                        ペルゴラ劇場
  
ユダヤ人教会                                サンタ・マリア・マッダレーナ教会
 
レプッブリカ広場
  
市場
   

この夜は、「フィレンツェ・夜景レストランツアー」(二人・170ユーロ・18883円)を申し込んでいた。我々二人だけであった。
トスカーナ地方の家庭料理、前菜は生ハムなど、うどんのようなスパゲッティ、ビーフステーキ、デザート、そしてワイン。
  
  
レストランの入り口          トイレの紙タオル入れ
 
ガイドは、イタリア人の30代の女性、大学で4年間日本語を学び、日本には3ヶ月間行った事があるだけだと言うが、
完璧な日本語と日本文化について深い造詣を持ち、なお我々日本人観光客からも学ぼうという素敵な女性であった。
携帯の待ち受け画面は最近生まれたばかりの赤ちゃんの写真、今日はご主人が子守だそうだ。
日本に興味を持ったきっかけは、子どもの頃母親と日本を旅したことだったと言う。
食事も美味しく、素晴らしいガイドで大満足のツアーであった。
食事後ミケランジェロ広場に行きフィレンツェの夜景を楽しんだ。
 
帰りの車のに乗り込もうとしている所に、一人の日本人女性が。彼女、違う別のツアーの添乗員だと言う。
この現場でガイドとバスとドッキングする予定なのだが相手と場所がわからず、我々がそのツアー客と思って来たらしい。
私たちのガイドは、相手のガイドの名前を聞いたり場所を聞いたり親切に対応していた。バスは100m程先にあった。
世の中、色々あるものです。


10月6日
今日は、申し込んでいた「世界遺産・ピサの斜塔、サン・ジミニャーノとシエナ&モンテリッジョーニ日帰り観光ツアー」(英語)[320ユーロ_=35545円]に行った。
フィレンツェに着いたとき旅行会社に催行確認の電話を入れると後刻、「朝8:20ホテルに迎えに行く」とホテルに伝言があった。
ホテルの朝食は準備が出来ていないので、6時過ぎに起床し、昨夜スーパーで買ったパン・牛乳・ヨーグルト・バナナの朝食を済ませ、
10分前の8:10にホテルの前に出るとちょうど車が着いた。
レップブリカ広場で2人をピックアップし、前から乗って来た女性2人、計6人(ニューヨークとフロリダのアメリカ人4人と私たち)のツアーであった。
車は9人乗りのミニバンで、座席はゆったりしていて快適であった。

約一時間でシエナに着いた。2時間の自由時間であった。ガイドは英語だが、集合時間と場所だけわかれば後は何とかなる。
カンポ広場

ガイアの泉                                プッブリコ宮(市庁舎)
 
市立美術館
   
一番古い銀行跡(再建された)=集合場所
 
                                      トイレに入ったBar
 
     
サン・ドメニコ教会
 
  
  
                                                           ドゥオーモ付属美術館(左端
  
ドゥオーモ                                  
 
  
  
サンタ・マリア・スカラ救済院                           国立絵画館
 
県庁                                   洗礼堂(ドゥオーモの後ろ側)
  

モンテリッジョーニ[丘の上の城塞都市]14の塔
 
 
 
                                    集合場所の駐車場にきれいな無料トイレがあった
 

田舎の農園で、キャンティ・ランチワインの試飲とミニワイン教室
 
 
  
 

サン・ジミニャーノ[城塞都市]
  
  
        
 

サン・ジミニャーノの入り口                     かわいい女性がいたので写真良い?と聞くと
  
 
ピサに着いたのは5時過ぎであった。18時45分まで自由

                                    左の写真では芝生の中に入っていたのだが、突然警官が来て芝生から出なさい。
  
ドゥオーモ
   
ドゥオーモ広場(左は洗礼堂)                    カンポサント(納骨堂)
 
シノピエ美術館                            城壁
 
お土産屋さんで
   
ドゥオーモ付属美術館                             ローマ時代の浴場跡
 
すっかり夕方になったピサ
  
  18:30出発、ホテル着20時。長いツアーであったが楽しかった。
英語ガイドであった。ワインのミニ教室も英語で詳しいことはわからなかったが何とかなるものである。
購入を勧められるが、よくわからないと言うことでパス。

イタリア[ヴェネツィア、フィレンツェ、ナポリ、ローマ 21日間の旅]~フィレンツェ3

2010年11月08日 | イタリアの旅
10月7日
今日は、早朝から、ウッフィツィ美術館に行った。
フィレンツェに着いてすぐ電話で予約を試みたのだが、うまく通じないのでホテルのレセプションに頼んで電話をしてもらった。
 
予約料は4ユーロ必要なのだが、当日チケットを買うのが大変なので予約をした方がいい。予約をすると、入場時間と名前と予約番号が告げられる。
予約した人専用チケット売り場は3番窓口でそこに並び、予約番号と名前を告げるとチケットが買える。右は予約チケット売り場
  
次に1番窓口に並んで入場を待つのである。予約をしているとここで余り時間がかかることなくチケットを購入できる。
我々の予約時間は8時45分だったが、8時20分くらいに着いたのだがチケットが買え、8:35頃入場できた。
   
早い時間であったので入場もスムーズで鑑賞も混んでなくゆっくりであった。我々が出たときは当日チケット売り場は早くも長蛇の行列であった。
全部を見るのはとても疲れるので有名なものだけをピックアップして見た。[ウッフィツィ美術館内は撮影出来ない]
バッザーリの回廊も現在は開放されていない。2時間ほどで出て、バールでゆっくり休憩した。
ビッティ宮の中に入った。         車いす用のエレベーター     トイレはきれいだったが男子便器には便座がない。
  
その後、妻に聞くと便座のない女性便器も多かったという。
ヴァザーリの回廊                             ヴェッキオ橋の上
 
ヴェッキオ橋の上からトリニータ橋を臨む
  
サンタ・フェリチタ教会                           グイッチャルディーニ通り
 

ピッティ宮
 
ピッティ宮内のラティーナ美術館には入らずボーボリ庭園とベルヴェデーレ要塞に入った。
円形劇場
 
                                                 豊饒の像     ネプチューンの噴水
   
豊饒の像の前からの眺望
   
  
ボーボリ庭園内のトイレはきれいでした。    ベルヴェデーレ要塞
  
ブオンタレンティのグロッタ
 
                                                バッカスの噴水
   
ここまでが、ボーボリ庭園とベルヴェデーレ要塞

サン・フェリーチェ教会     近くのレストランで昼食、チキンのグリルとサラダとポークのグリル、初めてビールを飲んだ。
 
                                     ピザを焼く釜
 

      
その後、翌日に行く予定のダビンチ村への行き方を確かめに駅に行った。
駅前に、レンタサイクルがあった                  駅 チケット売り場 自動販売機
     
 
妻はホテルに戻り、その後、私は一人でサン・ロレンツォ地区を歩いた。
バッソ要塞城壁
 
フォリーニョの最後の晩餐教会
 
中央市場
 
サンマルコ広場                                サン・マルコ教会・美術館
 
スカルツォの回廊入り口                           大学
 
アカデミア美術館                           サンティッシマ・アンヌンツィアータ教会
  
捨て子養育院美術館
 
ユダヤ人教会                                サン・ミケーレ・ヴィスドミニ教会
 
  
夕食時、私が箸を使って食べていると隣の席の小学生くらいの子供二人が珍しそうに私たちを見た。
私たちは日本人でこれは箸です。こんな小さなごま粒もつかめるのですよと見せてやると子どもたちは驚いていた。
母親は不思議なアジア人・日本人ににっこりほほえみを返してくれた。こんな一時のふれあいも楽しいものです。
  

大きな美術館、博物館ではチケット売り場と入り口が異なることが多い。
まずチケット売り場で並んでチケットを購入し、続いて入場口で並んで入場する。
これは、一理あることもあります。それは、入場する場所が複数あることもあるのです。
ウッフィツィ美術館やピッティ美術館はそれらが50~100メートルも離れているから知らないと混乱する。
特にウッフィツィ美術館などは当日売りのチケット売り場と入場口はさらに別にあってこちらは長蛇の列がなかなか動かない。
両者ともセキュリティ検査を受け、水は持ち込めない。また、リュックは入り口で預けさせられる所も多い。

トイレ事情
町中に無料の公衆トイレはほとんど皆無である。鉄道の駅にも無料のトイレはなく、0.8~2ユーロ。
入り口に職員がいると小銭に変えてくれるかおつりをくれるのだが、無人で機械式の場合は小銭が無いと入れない。
町の各地に喫茶店とファストフード店を合わせたようなBAR(バール)があり、そこで水かカフェを頼むと、トイレに入る権利があるという感じ。
実際には無料で利用することもできるようだが、それはマナーに反するようだ。私は何も頼まず1ユーロをカウンターにおいて使用したこともある。
一口ほどのコーヒーをカウンターで飲むと1~2ユーロ、テーブルに座ると~4ユーロの店もある。
美術館・博物館内にはトイレはあるが、その数は少なく不便な場所にあることが多く、また混んでいる。
機械式の所は小銭がないと入れないし、両替機もないところもある。また有人の所は両替してくれるところもある。
だが、どのトイレも決してきれいではない。男子便器の多くは便座がない。妻に聞くと女性用もそうらしい。


10月8日
この日は、ダ・ヴィンチ生誕の地=ヴィンチを電車とバスでで訪れることにした。
9時半にフィレンツェ・サンタ・マリア・ノヴェイラ駅に着いたのだが、チケット売り場は大変な混雑だった。
自動販売機で買うことにしたのだが、スイカの様な専用のカードがないと買えない機械であったり、私のカードが拒否されたり、
現金の機械がうまく作動したのだが、英語モードでは最後のOKが出ず、切符がなかなかうまく買えなかった。
そのときたまたま、機械のメンテナンスに着た職員がイタリア語モードでうまく買ってくれた。(3.1ユーロ)
10:10発のシエナ行きに乗り、エンポリ駅に10:39に着いた。
エンポリはシエナとピサとの分岐点の駅で多くの列車が止まるがそれほど大きい駅ではない。  エンポリ駅前広場
 
                        ヴェネツィア駅ではデモ隊が電車で来た。       シエナに行くきれいな電車。
  
バスのチケットは何とか買えた(2.1ユーロ)のだが、バスがどこから出るのか何分発なのかわからない。英語がよく通じないのだ。
ダイヤ表をくれたのだが予定時刻になってもバスが来ない。バスが遅れているようだった。
バス停で待っていると他の人から“ヴィンチ行きはここか?”と聞かれた。そのときやっと英語のできる職員が出て着て、もうすぐと教えてくれた。
20分ほどで終点のヴィンチについた。予想以上に大きな町であった。
町の一番高いところに城と教会があり、そこにレオナルド博物館があった。
博物館は、二つの分館に分かれていた。
ダ・ヴィンチのメモの基づいて機械や動力の仕組みなどが模型で展示され、とてもおもしろいのだが写真は許されていない。入棺料は二館で6ユーロ。
  
  
 
  
  
                                     井戸                 お土産屋の看板
  

ここから北に3キロのところにダ・ヴィンチの生家があるというのだが、オリーブ畑の山道で行かなかった。
その道の入り口の家の女性に聞くと、手話の“歩く”で、その道をてくてく歩くのだと教えてくれた。    この左右の柱、上り下りする
  
城・博物館を下ったところに広場があり、その近くのBARでサンドイッチとジュースの昼食を取った。
  
バスはどんどん到着するのだがヴィンチで終わり、エンポリ駅に行くバスは昼食後1時間後、のんびりと待ったが少し風が冷たかった。
ヴィンチ村と博物館おもしろかったです。博物館では、時々妻の解説を聞き、ダ・ヴィンチさん毎日こんなこと考えていて楽しかったことでしょう。

フィレンツェに戻り、レストランで夕食を取っていると、外で音楽が聞こえた。
外に出てみると何のパレードかはわからなかったが、昔の衣装を着た男性たちが行進していた。
   
                  毛生え薬の宣伝か(ヨーロッパでははげを気にしないというが薬の広告が)
    
                                                            【フィレンツェ終わり】

イタリア[ヴェネツィア、フィレンツェ、ナポリ、ローマ 21日間の旅]~ナポリ1

2010年11月08日 | イタリアの旅
10/9
ナポリ

10:10フィレンツェ発、5分遅れの表示が示されるが、何番線かの表示は10時を過ぎてからだった。
昼食は、前日買っておいたパン・バナナ・ジュースを車内で取った。ナポリ着13:10。
フィレンツェ駅の待合室                      ユーロスターの座席のテーブル、ブラインドは電動式・コンセントが


ナポリ中央駅、とても大きな駅だ。地下の駅はナポリ・ピアッツァ・ガリバルディ駅と言う。

これは、ローマの駅の地図だが、ベネツィアの二つの駅・フィレンツェ駅・ナポリ駅・ローマ駅も同様の構造であった。
これらの駅は列車が通過・通り抜ける構造ではなく、終着駅のような構造になっていて、線路が扇状に何本にも広がっている。
たくさんのホームの線路が出口で2、3、4本位にまとまるわけだから、電車の出入りにはとても不便な様に思われる。
電車が遅れたりすると何番線に電車を入れるかの調節には当然手間がかかる。
こうして、目的の電車が何番線に入るかわかるのが発車10分前となってしまうことも多々。
また、ユーロスターの特急やローマ空港とローマ駅を結ぶレオナルドエクスプレスなどは後から出来た路線のためか、
後になって継ぎ足しの様に作られたのだろう、400mも先なんてことになってしまうこともある、と言う次第。
駅を出るとバスターミナルを持つ広大なガルバルディ広場だが、駅の雰囲気はベニスやフィレンツェとは全く異なる。
まず、道路にはゴミくずが散乱し、人通りはとても多く、土産品や安物の日用品を売る屋台が続く。

その多くがアフリカ系黒人で、歩く人も黒人が多く、ここはアフリカに近く、イタリアの南部に来たんだなと思う。

ホテル・デ・ラ・ヴィレはすぐわかった(5泊二人で3.8万円、安いが決して悪くはなかった)。
  
部屋に入ってすぐ、明後日のツアーの確認電話をツアー会社にかけたのだが、土曜で日本語窓口は閉まっていて英語対応であった。
3時にもう一度かけろという、3時にかけ直すと催行されるという返事であった。
その後、国立考古学博物館に行くことにした。
駅のチケット売り場で90分券(1.1ユーロ)を10枚買った。これだって一苦労である。
今日買って明日も乗れるかとか、ガイドブックでは地下鉄・バス・トラムとも乗れる共通券なのかを聞かなければならないのだから。
博物館には地下鉄の駅からが近いので地下鉄に乗ろうとするのだが、その乗り場がわからない。
Mのマークに従って進み、地下に降りるとそこはまるで電車のホーム。
地下鉄というのでパリやソウルなどの車体とホームをイメージしていたのだが違っていた。
地下の駅名は、ナポリ・ピアッツァ・ガリバルディ駅というを知ったのは後だったし、そこは地下鉄と通常の電車路線との共用であった。

CAVOUR駅から国立考古学博物館はすぐだった。8ユーロだったがとても見応えがあった。
        
       
    
        
   
    
      
 
これは地下鉄の車両                                夕方のナポリ中央駅前
  
夕食のレストランを探し歩いたが、適当なレストランは見あたらなかった。
ビッフェスタイルの店があり入り、魚とハンバーグを注文し、サラダを注文しようとしたら、小ハエがたくさんたまっているのでやめた。
違う店で、加熱してもらう魚とハンバーグ、サラダををテイクアウトし(16ユーロ位)、スーパーでワインを買った。
ボトル1ユーロ以下のものもたくさんあったが、4ユーロのものを買い、ホテルでワインオープナーを借りホテルの部屋で夕飯を取った。

10/10
ナポリは、鉄道の駅のある地域が中心ではなく、港の周辺の旧市街地の方が中心地で、港の周辺を中心地のを観光することにした。
バスで行くのだが、バスターミナルはガリバルディ広場にあり、港に行くバス停は、R2番でホテルの目の前だった。
チケット売り場で一回券を10枚買って、バスに乗り込みと、15分ほどでムニチーピオ広場に着いたのだが、
目指すヌオーヴァ城への行き方がよくわからなかった。実は今日は日曜日で休館、入り口が閉じていたのだ。
海の方に下っていくとヌオーヴァ城にたどり着いたのだが、入り口ではなく、さらに下っていくと、フェリー乗り場に着いた。
ヌオーヴァ城の写真だけ撮って、王宮に入ろうと思うのだがその入り口もさっぱりわからなかった。
この先が実は入り口だったのだが、この日は日曜日で休館だった。
  
 
城壁に沿って進むと城壁の端まで行ってしまったのだが入り口はなかった。するとそこにエレベーターがひっそりあった。
 
エレベーターを降りると広い広場・プレシート広場であった。
 
 
眼前にはサン・フランチェスコ・ディ・ポオラ聖堂が雄大にあり、広場をその反対側が王宮の入り口であった。
この日、広場は市民マラソンのゴールになっていて、舞台が出来、イベントのテントが立ち、屋台なども出て大変な賑わいだった。
6ユーロ払って、やっとで王宮に入ることが出来た。ゆったり落ち着いた王宮であった。
  
  
  
  
 
                                中庭
 

その後、“ナポリ名物”=サンタ・ルチアの絶景、ナポリ湾の向こうにベスビオス山が臨めた。(写真は略)
 
そこから海岸線を南に下ると江ノ島のように突き出た、卵城。 入り口
 
城の上の出ると、ナポリ湾が一望でき、サンタルチアからの景色よりも絶景であった。(写真は略)卵城を出るとちょうどお昼、レストランで食事をした。
 
シーフードサラダとエビとイカのフリッターを頼んだ。9ユーロのビンワインも頼んででゆっくり豪華な食事を楽しんだ。
帰り際、ボーイがナポリはどうだと聞いてきた。今日の食事はとても満足した、と答えると、明日も来てくれと言う。
「明日はカプリ島に行く」と答えると、帰りに寄ってくれと生牡蠣を御馳走してくれそうになったのだが、
私は生牡蠣が苦手なので断り、もう一度来たいと答えた。
ゆっくりプレシート広場まで歩いて戻り、サン・フランチェスコ・ディ・パオラ聖堂
 
ウンベルト1世のガッレリア
 
 
そこからケーブルカー乗り場まではすぐそこなので、ケーブルカーに乗って、サン・テルモ城に行くことにした。
  
ケーブルカーといってもはじめの二駅まではトンネルであった。駅から城まではかなりの距離であった。
道すがら思った。この一帯はちょっぴり山の手の住宅地のようで通りはきれいであった。
サン・テルモ城入場料は4ユーロであった。城の中にはエレベータがあって、展望台に出るとまことに絶景であった。
      
      
 
 
城の中には、美術館があって若手芸術家の作品を展示していた。
  
    
                                      国立サン・マルティーノ美術館(旧修道院)
  
  
地下鉄の駅がわからずうろうろしていると、中年の女性が話しかけてきた。
「ケーブルカーで行って地下鉄に乗り換えなければならない、その駅までは私も行くので、案内します」、と言ってくれた。
彼女はポーランド・ブタペストの出身で、2年前からナポリでブレスレットやネックレスの製造販売の仕事をしているという。
京都はどんな町か、東京はどうかなど質問してきた。
私は、「ハンガリーには行ったことありませんが、ブタペストは東欧のウィーンと言われるほど歴史的伝統的できれいな町と聞いています。
またワイダ映画監督も有名ですし、ワルシャワ労働歌も素敵な歌ですね」、などとワインが入っていたので舌も滑らかであった。
地下鉄の駅前がゴミであふれていた。彼女は、それを指さしすまなそうな顔をしたが、
「町にはいいところも悪いところもありますよ。でもみんな素敵ですよ」と私が言うと、にっこり微笑んだ。

ナポリ駅まで無事戻り、妻はホテルに帰り、私はもう少し町を歩くことにした。
サン・ピエトロ・アダラム教会                                        サンティッシマ・アンヌツィアータ教会
  
ホテルからすぐ近くのカプアーノ城
  
ドゥオーモ
   
  
ジロラミーニ教会                          サン・ロレンツォ・マッジョーレ教会     サン・パオロ・マジョーレ教会
  
 
夕飯は、質素に近くのセルフサービス店でお好み焼き風ジャガイモとマカロニ・鶏肉の煮物、ピザ・トマトとワイン。

イタリア[ヴェネツィア、フィレンツェ、ナポリ、ローマ 21日間の旅]~ナポリ2

2010年11月08日 | イタリアの旅
10月11日
朝7時、目が覚め窓を開けると大雨であった。
この日は、「青の洞窟/カプリ島観光」(二人216ユーロ=23993円)のツアーを申し込んでいた。
ホテルの窓ガラスは二重ガラスで、雨戸もあリ、窓の上に小屋根はなく、また建物の屋根までも遠いので雨音は全くしなかった。
青の洞窟はちょっとした天候や潮の関係で入ることができないことがよくあるらしい。
フェリーの運航ができないときはツアーは催行されず、料金が返されるが、
このぐらいの雨ならフェリーは運航しカプリ島には行くけれども、青の洞窟はいけないだろうなと思って少し早めにホテルを出た。
集合場は、モロ・ベヴェレッロ港なので昨日とは違うバス路線に乗った。月曜の朝、しかも雨のせいなのかバスは満員であった。
スリに気を遣いながら、停留所に着く度に乗り過ごしまいと"Beverello"と書いた紙を見ていると、
何人もの乗客が3っつめだとか次だとか親切に声をかけて教えてくれた。

【バスや電車の切符について】
日本では、前払い・後払いの違いがあるがバスの中で切符を買うことが出来る。また、運転手のチェックをを受けるので無賃乗車は不可能だ。
ところがイタリアでは、バスや電車の中で切符を買うことは出来ない。
アマルフィでは、大きいバッグを荷物入れに入れ、発車間際のバスに飛び乗った若い女の子は切符を持っていないので降ろされた。
切符は、事前に、"Tabacchi=タバッキ"(煙草や新聞を売るスタンド)や駅で買っておかなくてはならない。
電車の場合は、日本の様に改札口はない。ホームへの出入りは自由である。
ホームにある打刻機に切符を入れて時刻を打刻する。バスは車内に打刻機がある。
ほとんどの乗客は、定期券を持っているのか、打刻しない。私にはほとんどの人が無賃乗車のように見えた。
電車では、ごくたまに車内で検札が行われるが、ほとんど行われない。バスでは全く行われない。
私には、観光客・旅行客だけが律儀に長蛇の行列に並んで切符を買い、打刻するように感じる。
ベネツィアのヴァポレット(ボート)、ナポリの地下鉄も同じシステムであった。
ローマの地下鉄だけがホームの出入り口に機械式の改札機があった。
私には真実はわからないが、イタリアでのこの不公平観・不公正観は許し難かった。
もっとも、この朝だけは満員で打刻出来なかった。

一時間も早く着いてしまったが、Barでトイレ代込みのカプチーノを4ユーロ払って時刻を待った。
ローマからバスで来るグループとここで合流することになっているのだが、定刻の10:30分になっても、その影は見えない。
10:40に携帯でツアー会社に電話するとローマは発っているが遅れているようだと言う。

10:50、やっと日本人ガイドと合流。日本人は全部で4人。11:15フェリーに乗り、12:00カプリ島に到着した。
  
ガイドから、船は前後左右に揺れるので下の階の後方が良いとアドバイスを受けたので、酔い止めを飲んで静かにしていた。
ジェットコースターの様な揺れに、外人の若者と子どもは初めは歓声を上げていたが、10分も経たずに静かになり、口に袋を当てていた。
12:30にケーブルカーに乗って山の上の方に行った。
 
雨のため、小舟は出ないので青の洞窟には行くことができないので、そこらを散歩するしかない。
カプリ島は長さ6km、幅3kmの小さい島で港のあるカプリ地区と山の手のアンカプリ地区に分かれているという。
人口は2万弱だが多いときは観光客であふれて30万人にもなるらしい。
シーズンは4~9月で、10月になるとぼつぼつと店じまいをする店も出始めている。
            
ピァツァ広場
 
市役所
  
病院だった跡地に5つ星以上の高級ホテルQvisisana(健康になる=病院)       香水屋
 
サン・ジャコモ修道院
 
香水屋                                                                線内は現在のバス道(左)と古道(右)
  
古い地層が出ている                                マーメイド岩
  
クルップ通り
 
ファラリオーニ岩                                ゴミ箱
 
二時過ぎになって、レストランで食事s
   
                                            革のサンダル造りの職人(オーダーでも50ユーロ位とのこと)
   
リゾットorパスタ・ムニエル・ポークorエビイカのフライ・デザートのアイスクリーム、グラスワイン3ユーロ
3:50に集合し、フェリーでナポリに帰る。
青の洞窟には、港から30人乗り程のボート(15ユーロ)、更に小舟に乗って入るらしい(11.5ユーロだが10ユーロものチップを要求するが2ユーロ位でいいらしい。)
私たちは、あいにくの天候で青の洞窟に入ることはできなかったのは残念だが、入れないことも多いらしい。
カプリ島とナポリの海の雰囲気を味わうことができのはよかったとは思う。
遅くボリュームたっぷりの昼だったので、夕食はスーパーで、パン・トマト・チーズ・ハム・バナナ・リンゴ・ココアと安いワインを買ってホテルで食べた。
ナポリ港                                  前日に撮ったナポリの下町の様子
    

10月12日
朝食、質素だったが、このホテルのトーストは自分で焼き、大好評であった。スーパーで牛乳・ヨーグルト・バナナなども買って来て食べた。
 
ヌォーヴァ城

今日はポンペイへのツアーだが、集合時間まで時間があったので、日曜日休館で入ることのできなかったヌォーヴァ城を見学した。
5ユーロ。二階テラスからのサンタルチアの眺望はきれいであった。
入り口[今日は空いていた]
  
  
                                                                          地下遺跡
  
  
          地下鉄工事を始めたら地下から遺跡が出てきた。工事から20年経つが地下鉄の目途は経たないと言う。
  

ツアーの集合時間は10:45だったがローマからのツアー客(日本人4人、外人20人位)とガイド着いたのは11時であった。
ナポリ市内の名所のいくつかをバスで巡った。
オペラ劇場                                 ツアー待ち合わせ場所のBar
  
卵城が見えるところでバスが止まって写真撮影。トイレに行きたいとガイドに言うと反対側がナポリ大学商学部、トイレを借りた。
 
きれいなトイレであった。イタリアではトイレを「レストルーム」と言っても全く通じない、トイレ・トイレットである。
ナポリとはネアポリス=新しいポリスという意味らしい。

ツアーには付き物のカメオ製造店の見学。カメオとは堅いものを削る技術という意味で、貝の表面を削って彫刻する飾り物。
  
    

ポンペイまでは30分ほどであった。レストランで食事。
生ハム・チーズ・ボイルなすの前菜、パスタ・ポーク、サラダ、アイスクリームでビールを飲んだ。5.5ユーロ。
  
  
約1時間かけてゆっくりの食事であった。
食事をしたレストラン                                ポンペイの街の教会
 

ポンペイ遺跡 は3時から5時までの2時間であった。
 
赤線は我々が歩いた所。ポンペイ遺跡はまだ全体の3分の位しか発掘されていない、私たちが2時間かけて見たのはその4分の1位と言う。
ポンペイは、ボスビオス火山の二日間の噴火で9メートルの火山灰に埋もれ、その後町は放棄されたが17世紀になって水道工事で偶然に発掘された。
火山灰に覆い尽くされたおかげで、多くの遺跡が原型をとどめて地中に保存された、というわけだ。
とりわけ、生き埋めになった人体が、その後肉の部分がなくなったため空洞として残り、そこに石膏を流して当時の遺体の状態を再現することが出来た。
入り口
  
メインストリート                                オデオン=小劇場
 
オデオンは現在も劇場ととして使われている。昔の楽屋    古い壁=漆喰とその上の塗装とアーチ型屋根
  
円形競技場                              柱状の物は日除けのテントを支えるもの
 
遠くに今日のボスビオス山

車道(当時の馬車の轍の幅は1.5メートルでその部分がすり減っている)

横断歩道(馬車が通ることができるようになっている)      馬の手綱を止めるところ    二階からの配水管
  
Bar                                    天窓(明かり取りと雨水を取る)   雨水を貯める所
  
洗濯屋の3槽になった洗い場                     鉛の水道管
 
                                     オリーブを圧搾してオイルを絞る道具  
 
共同水飲み場は通りの各所にある。洗濯屋の水道管の様に個人宅まで水道管を引くと有料になった。
古代ローマでは、無料の公共浴場ときれいな水のおかげで衛生的であったため疫病ははやらなかった。
たが、水道管は融点が低く加工しやすい鉛が使われたため、鉛害はローマ人の健康を害したと言われている。
神棚[ローマは多神教で多くはギリシャの神々を輸入した]
 
男性のシンボルが記されてい洗濯屋の染み抜きのための尿をためる道具る  Bar(穴の中に熱湯の入った壺を置き湯煎した)
 
カルロスという人が選挙に出るに当たっての選挙用看板      再建された別荘地
 
原形をとどめている2階家                      歩道につけられた日差しよけ屋根
 
遺体
 
泥ボーよけの為に上に突起物を置いた塀             バルコニー(再建)
 
ポンペイの遺跡発掘のきっかけとなった水路の跡         ギムナジウム(運動場)=未開放
 
ギムナジウム(運動場)の中                    円形競技場
 
                                            【容量を越えたので、以降は次ページに続く】

イタリア[ヴェネツィア、フィレンツェ、ナポリ、ローマ 21日間の旅]~ナポリ3・ローマ1

2010年11月08日 | イタリアの旅
 ポンペイ遺跡の続き
円形競技場への入り口           座席に名前が記されているのは、元老院議員の指定席
 

                                    ライオンとグラジエーターなどをつないだ輪
 
アリーナとは砂のこと、流された血を吸い込み滑りにくくしたという
水道管                   遺跡内にトイレは少ないがあります   パン焼き釜
   
水道橋跡                                ゲート付近の遺跡
 

夕食は「地球を歩こう」に載っていたピザ屋=Da Micheleに行った。
モンジャールという一般的なピザがこの大きさで一人前4ユーロ、ワインはなく、ビール2ユーロ。二人で一人前を食べきれず残した。
 
ピザ屋に行く道すがら。
 

10月13日

予備日としての今日は、アマルフィに行くことにした。朝起きたら、雨が降っていたが、すぐやんで快晴になった。
駅に着いたのは9時半頃だろうか、サレルノまでの往復の切符を買って時刻を聞いたら、11:18。
少し時間があるので街を散歩した。海岸近くのサンタ・マリア・デル・カルミネ教会に行くと、ミサをやっていた。
  
  
  
傘やジャンパーなどを持って出かけたのだが、汗が出るほど暖かかったので一度ホテルに戻り、それらをおいて駅に向かった。
だが、これは結果的には大失敗となった。
サルレノ行きはFS線なのだが地下鉄のホーム発であった。時刻表と二人の駅員にそれを確かめて無事出発したのであった。
電車の右側に座るとナポリ湾・ナポリ・ベスビオス山がきれいであった。往復3.4ユーロ、12:40にサレルノ(右の写真)に着いた。
 
サレルノ駅と駅前広場
 
アマルフィまでの往復の切符を私が買っている間に妻が駅のトイレ(0.8ユーロ)に行っている間にバスが来て、出てしまった。
その時、若い女性が大きなバッグパックをバスの荷物置き場にしまい、バスに乗り込んだ。運転手がチケットの提示を求めたらしい。
チケットを買ってなかった彼女は乗車を認められなかった。(チケットは6.2ユーロ)
チケット売り場の女性は親切で、帰りのアマルフィからのバスの時間を聞くとダイヤ表をくれた。
私たちは、仕方なく駅のBarでサンドイッチをあわただしく買って食べ、バス停の先頭に並んだ。
13:30発のバスの最前列に座りほっとしたが、30分程過ぎると雲行きが怪しくなり、1時間もすると雷が鳴り始め猛烈な雨となった。
それでもバスの車窓の風景は十分堪能できた。
アマルフィには14:45に着いたのだが、私は傘と合羽をホテルに置いてきてしまったので、散策することもできず、
Barに入ってカプチーノ(3ユーロ)を頼まざるを得なかった。
   

相変わらず雷が鳴っているので、次のバス15:15で戻ることにした。アマルフィの滞在はわずか30分であった。
だがここで実に不快な出来事を経験した。
外人の老人夫婦が駆け足でバス亭に向かっているのに、若い運転手はそれを無視して出発したのであった。
夫はあと3メートル、妻はその後5メートル先であった。彼らの雨に濡れた落胆の顔が悲しげであった。

その後同様なことが違うバス停でもあったし、アッピア街道では我々も経験するのである。
そのくせ、バスの運転者、後ろから自家用車が来ると、止まって道を譲って先に行かせるのだ。
私は、思わず若い運転手に怒ろうかと思ったのだが、とっさの言葉が出なかった。
他の乗客も知らん顔、これはとうてい優しい社会とは言えない。
16:20、サレルノに着いたと運転手が言うが駅ではなく海岸であった。このバスはここが終点で、そこから駅までは5分ほどであった。
妻の小さい傘にぬれながら一緒に入って駅に着いたときは、電車は発車していたのであった。
一番頭に来るのは、車内検札だ。
すべての人に検札をするのならいいのだが、地元の人はパスを持っているのかはわからないが、フリーパスで乗下車するのを認めているのに、
大きな荷物を持った旅行者・観光者には乗車するときにチケットの提示を求め、持ってないと乗車させないのである。
ソレルノから乗った電車もそうであった。
私たちだけに切符の改札を求め、しかも念入りに日付と時間をチェックするのに、イタリア人には検札を全くしないのである。
私は、この公正でないイタリア社会的風習・慣習は容認できない。
観光立国であるイタリアは旅行者・外国人には優しくする、でなければならない。
私はだんだんイタリアが嫌いになりそうだ。
フランスは違う。かつて、フランスは外国人に無愛想だと言われたが、最近は外国人、特に観光客には優しくをモットーとしているという。
昨年、私が旅した時、駅の窓口で英語で聞くと、英語のわからない職員は英語のわかる職員をわざわざ呼んでくれて対応してくれた。
地下鉄で切符の買い方がわからずウロウロしていると後ろで並んでいる人が操作を教えてくれたし、
街角で、地図を片手に迷っていると、「どうしました」をフランス人は声をかけてくれた。
イタリアには、そうなれない事情もあることも少しわかる。
というのは、駅のチケットの自動販売機。
操作が、わからず困っている時、親切に教えてくれる人がいる。と同時に、"隙あらばだまそう"と虎視眈々の人もいるのである。
例えば、「切符を持っているが使わなくなったので譲る」と言う詐欺、イタリアでは時刻を打刻してもその切符は回収されない。
つまり、使用済みの切符を渡し、お金をだまし取る手口や高額紙幣が使えない等と言って釣り銭などをごまかしす手口などもあるという。
こういう人と間違われたくないということかもしれない。
私には、後述するつもりだがここにはイタリア・イタリア社会にはもっと違った社会的風土があるように思う。

昼食が軽かったので、夕飯は近くのホテルのレストランで少し豪華に。
ミックスサラダ・シーフードリゾット・スズキのボイル・白ワインで40ユーロであった。
スズキのボイルはでっかい皿に小さなスズキが載っていてボーイがさばいて分けてくれた。魚は外人には珍しいらしく皆見ていた。
   
以上、ナポリ観光の終わり。


10月14日 
ナポリ発9:50~ローマ着11:00。

ホテルはすぐわかった。ローマ・テルミニ駅から徒歩5分。
 
 
冷蔵庫がなく、風呂場足ふきマット・フェイスタオル・バスタブがない、仕方ないか。
このホテル、国内外の高校生の研修旅行によく使われる様で、夜遅く学生の声がした。
駅構内に二つのスーパーがあり、毎日のように使った。
ホテルに着いて、バチカン博物館の予約を電話でしたのだが通じなかった。仕方なく、ホテルの受付に人に頼んだ。
彼女は、バチカン博物館ではなく、現地ツアー会社に電話をし、「60ユーロで英語ガイドだがいいか」、と聞く。
66ユーロで日本語ガイドのツアーもあるが、英語ガイドの方が良いと思って予約した。
ホテルのチェックインは13時なので荷物を預けて歩き出した。
アッシジへのツアーは希望者が私たちだけなので催行されないことになった。

ホテルの近くのサンタ・プラッセーデ教会        サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂
  
  
  
                                                         サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂の後陣です
   

ローマ国立博物館・アッシモ宮(8ユーロ)
  
 
  
  
  
   
   

共和国広場=ナイアディの噴水
 
サンタ・マリア・デッリ・アンジェリ教会[ミケランジェロが設計した]
  
    
   
  

ローマ国立博物館・ディオクレティアヌス浴場跡
 
その入り口まで行ったのだが入り口だと気づかず通り過ぎ約10分かかって一周してしまった。
同じ場所で入る人に聞くとそこであった。学芸員達の研修会が開かれていた。マッシモ宮と共通券。
  
 
 
  
 
 
ローマ・テルミニ駅
  

ホテルでチェックインし、妻はホテルで休憩、私一人で歩いた。
サンタ・プデンツィアーナ教会                         バンビン・ゲス教会
  
オペラ座                                   三越
  
    
サンタ・スザンナ教会                            サン・ベルナルド広場(モーゼの噴水)
 
サンタ・マリア・デッラ・ヴィットリア教会
 
陸軍省                                   9月20日通り
 
四つの噴水(交差点の四つの角に噴水がある)
   
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イタリア[ヴェネツィア、フィレンツェ、ナポリ、ローマ 21日間の旅]~ローマ2

2010年11月08日 | イタリアの旅
バルベリーニ宮(国立古典絵画館)
 
トリトーネの噴水(バルベリーニ広場)    サン・カルロ・アッレ・クアットロ・フォンターネ教会       内務省  
  
テルミニ駅構内でなにやらパフォーマンスが
 
夕飯 リゾット、グリルド・シーバス、野菜サラダ、ワイン(750cc)=40ユーロ
  

10月15日
地下鉄B線でテルミニ駅からカヴール駅へ。

S.ピエトロ・イン・ヴィンコリ教会                        トラヤヌスのマーケット
 
ヴェスパシアヌスのフォロ・アウグストゥスのフォロ
 
カエサル像(後ろはフォロ・ロマーノ)                                  フォロ・ロマーノ     
  
ヴィトリオ・エマヌエーレ2世記念堂
 
  
博物館が併設されているが入らなかった。ガードマンにトイレを頼むと、快く貸してくれた。機械式で確か0.8ユーロだった。
ヴェネツィア宮殿=同博物館(ゴッホ展)                      
   
フォロ・トライアーノ
  
トライヤヌスの記念柱
  
   
ヴェネツィア広場                                   ジェス教会
 
ドーリア・パンフィーリ美術館
  
ローマ銀行
 
トレヴィの泉
  
                                                          マルクル・アウレリウスの記念柱
  
キージ宮                                   モンテチトーリオ宮(下院)
 
この日辺りはビップが通るためか激しい交通規制が引かれていた。           昼食 
  
ガーリックバジルのスパゲティとビール(27ユーロ)、このスパゲティ、オリーブオールだらけ、ガーリック・塩胡椒の味もせず、まずかった。
スペイン広場=舟の噴水
 
スペイン広場の上から                       教会脇でミサンガを売っていた外人、断ると日本語で「ビンボー」
 
アウグストゥス帝の廟
 
  
ゲーテ博物館             双子教会[サンタ・マリア・デイ・ミラコーリ教会とサンタ・マリア・イン・モンテサント教会]
   
ポポロ広場=オベリスク                                            サンタ・マリア・デル・ポロ教会
  
ポポロ門裏                                 ポポロ門表
 
妻はここでホテルに帰り、私はもう少し歩いた。

ナポレオン1世広場とそこからの景色
 
  、
地下鉄B線フラミニオ駅からヴィットリオ・エマヌエーレ駅へ、駅を出るとヴィットリオ・エマヌエーレ2世広場が。
国立東洋博物館
  
                     S.アントニオ教会
 
ここから、ホテルまでは歩いて帰った。
夕飯、野菜スープ、シーフードリゾット、チキンペッパー(美味しかった)
  

この夜は、ローマの夜景をバスで楽しむツアーに参加した(94ユーロ=10440円)。
トレビの泉は下車した
 
ナヴォーナ広場も下車した(後日再訪)
 
サンタンジェロ城はバスの中から見た。


10月16日
本日は、この旅行のメインイベントとも言えるフォロ・ロマーノ(12ユーロ)である。
日本語どころかイタリア語・英語のマップ・リーフレットすらないのは残念と言うより、古代ローマの精神=寛容のなさだ。
[引用]
   


入り口をくぐってすぐの所(画面左が入り口)            フルウィアトアエミリアのバシリカ

ガイウスとルキウスの柱廊

おそらく新店舗跡
 
エプティミウス・セウェルスの凱旋門                    民会場 
 
クリア・ユリア(元老院議場跡) その中
    
                           折しも中国の始皇帝の兵馬俑が展示されていた
   
 
フォカウ帝の記念柱                             カストルとポルックスの神殿
 
酒庫
 
セウェルスの凱旋門                              サトゥルノの神殿
 
コンコルディア神殿                              
 
十二助言神の柱廊
 
                                     バシリカ・ユリア
           
双子神の神殿
 
神君ユリウス神殿跡(多分)
  
ヴェスタ神殿
 
レギア                                   アントニウスとファウスティーナの神殿
 
ウェスタ巫女の家                             大神祇官公邸
 
ローマ建国以前の墓地                           通称ロムルスの神殿
   
  
                                                            【容量を越えたので次ページに続く】 

イタリア[ヴェネツィア、フィレンツェ、ナポリ、ローマ 21日間の旅]~ローマ3

2010年11月08日 | イタリアの旅
 【フォロ・ロマーノ続き】
アクセンティウスとオンスタンティヌスのバシリカ
 
今は教会、博物館併設
 
ウェヌスとローマの神殿(博物館の後ろ、右はティトゥスの凱旋門)

展望台から、フォロ・ロマーノを
 
コロッセオも見える
  

ティトゥスの凱旋門
 
ここを真すぐ行くと出口(入ることはできない)
地下鉄コロッセオ駅近くのBarで昼食(サンドイッチとカプチーノ20ユーロ、テーブルに座るとチャージ料一人2ユーロ)

コロッセオ(フォロ・ロマーノと共通券、コロッセオだけのチケットを購入する人は長い列だった)
            
 
 
 
 


フォロ・ロマーノは、古代ローマ発祥の地、事前に案内図などを調べたが適当な物はネットでは見つからなかった。
日本語の地図・リーフレットがあれば申し分ないが、英語のそれもなく、イタリア語だけの不親切な看板だけがあるだけであった。
コロッセオとフォロ・ロマーノとパラティーノの丘は共通券(12ユーロ)で2日間有効と聞いていたので、午前中のフォロ・ロマーノでたっぷり疲れたので、
パラティーノの丘は明日にし、午後はコロッセオだけを見て、妻はホテルに帰り、私はもう少し歩くことにした。

ドムス・アウレア[公園]                              トラヤヌス帝の浴場
 
サン・クレメンテ教会                             サンティ・クァットロ・コロナーティ教会
 
サンティ・クァットロ・コロナーティ教会の中             何かの博物館
   
クラウディオの神殿跡(ネロ庭園)=非公開・外観のみ
 
サン・ジョバンニ・エ・パオロ教会                       サン・グレゴリオ・マーニョ教会 
 
 
チルコ・マッシモ(=工事中、モレッタの塔)                国連食糧農業機構前のデモ隊
 
浴場競技場                                カラカラ浴場外観(入らなかった)
 
サンティ・ネレオ・アキッレオ教会                      サン・シスト・ヴェッキオ教会
  
サン・マリア・イン・ドムニカ教会                   サン・ステファノ・ロトンド教会
 
サン・ステファノ・ロトンド教会の中
  
 
                                     ラテラーノ洗礼堂
 
ラテラーノ広場・オベリスク                        ラテラーノ宮
 
サン・ジョヴァンニ・イン・ラテラーノ大聖堂 この辺りで、小雨が降ってきた。
  
  
スカラ・サンタ(聖なる階段がある建物か)   デモの解散地のようであった。
 
デモは、イタリア大統領の政治に反対する左翼系のデモのようで、周辺の幹線道路は完全に通行が止められ、付近は大渋滞であった。
日本だと車道の一車線だけがデモ行進に許可されるのだが、イタリアでは4車線ほどの広い道路全てが車両がデモ隊に開放され、
まことにおおらかで開放的であった。
地下鉄A線サン・ジョヴァンニ駅~テルミニ駅(地下鉄は1ユーロ)。
ホテルで妻と合流し、夕食=野菜スープ、貝のリゾット、シーバスを煮たもの、ワイン500cc、40ユーロ。
  

10月17日
昨日見ることが出来なかったパラティーノの丘 に行った。
            
フォロ・ロマーノから見たパラティーノの丘
 
昨日求めたチケットをフォロ・ロマーノ入り口の機械に入れると、拒否された。係員が来て言うには、これは昨日の切符で入れないと言う。
私は、二日間有効と聞いていたし、フォロ・ロマーノは広くとても疲れたので、昨日はコロッセオだけを見学し、パラティーノの丘は今日に延ばした、
と一生懸命に訴えると、相方の女性職員と相談して入れてくれた。フォロ・ロマーノを横切り、ファルネジアーニ庭園を突っ切り、
パラティーノ考古学博物館へと急いだ。
  
 
 
ドムス・アウグスターナ
 
スタディオ
 
ドムス・セヴァエリアーナ
 
ドムス・アウグスターナ・下のペリスティリウム          楕円の噴水がある泉水堂ニンフェウム
 
ドムス・フラウィアのペリスティリウム                アウグストゥスの妻リヴァイアの家
 
アウグストゥスの家
 
 
                                     ファルネジアーニの庭園
 

カンピドーリオ広場(ミケランジェロの作った空間)          カピトリーニ美術館
  
ローマ市庁舎
  

サンタ・マリア・イン・コスメディン教会(真実の口)
  
アンセルモ教会                                                 マルタ騎士団長の館
           サンタレッシオ教会                          サンタ・サビーナ聖堂            隣のサヴェッロ公園、教会で結婚式を挙げた夫婦
  
サヴェッロ公園からテヴェレ川
         
スプリチオ橋                              パラティーノ橋
 
壊れた橋[パラティーノ橋の上から]                    テヴェレ川に浮かぶティベリーナ島とバルトロメオ教会
 
シナゴーグ                                シナゴーグ正面
  
マルケス劇場遺跡
  
 
オッタヴィアの列柱
   
 
ファルネーゼ宮(仏大使館)
 
S.M.デッロラツィオーネ・エ・モルテ教会
 
S.E.オレッフィチ教会
  
 
エマヌエーレ2世橋                                サンタンジェロ橋
 
サンタンジェロ城
 

サンタンジェロ城展望台より [サンピエトロ寺院]
     
バチカン博物館
  
サンタンジェロ城とバチカンを結ぶ城壁と通路
 
最上階=テラスの像
  

最高裁判所
 
アドリアーの劇場
 


地下鉄A線レパント駅まで歩き、テルミニ駅へ
夕飯、野菜スープ、肉入りパスタミートソース、ローストチキン、ピーマン炒め、レッドワイン(500cc) 30ユーロ
  

イタリア[ヴェネツィア、フィレンツェ、ナポリ、ローマ 21日間の旅]~ローマ4

2010年11月08日 | イタリアの旅
 10月18日
朝食風景
 
かなり質素な食事なので、スーパーでバナナやりんごやヨーグルトなども買って来た。
この日は、パンテオンに行くことにした。
地下鉄テルミニ駅からカヴェール駅に行き、フォロ・ロマーノ入り口まで少し歩き、そこからバスに乗るという計画だ。
タバッキでバスチケットあらかじめ買い、バス停で待っている女性に『Per Pantheon?』と書いたメモを見せると、
87番だが、終点から少し歩かなければならない、私もそのバスに乗るので付いてきて、と言う。彼女は次の駅で降りてしまったが、
終点でバスの運転手に聞くと、「その角を曲がって右に行け」とジェスチャーえ教えてくれた。

パンテオン
 
                                     これは後ろから
 
出来た時は、漆喰が塗られその上に塗装され、きれいだったろう。   フォルリ作「受胎告知」    エマヌエーレ2世の墓
  
聖母子像
  
ラファエッロの墓             ロレンツェットの彫刻石の聖母                ウンベルト1世の墓
  
画家同信会の碑文                          天窓                    天窓の真下の床
  

ナヴォーナ広場                           サンタ・ニェーゼ・イン・アゴーネ教会
 
 ムーア人の噴水                           ローマ時代のオベリスクと4大河の噴水
 
 

ここからバスに乗って、地下鉄の駅のレパント駅に行く予定だったのだが、レバント駅のバス停とわからず乗り過ごしてしまった。
 
バスで戻ることにし、タバコ屋でバスのチケットを買ったら、妻から「70分以内は何度でも乗ることができるようよ」。
レパント駅からテルミニ駅に戻り、アッピア街道を巡るアルケオバスの乗り場を探すが、見あたらないので切符売り場で聞くと、
切符はバスの中で買えるが、運行するのは8:30~10:00、15:00~の間だけだと言う。
私の「地球を歩き方」は2005年版、妻が「地球を歩き方・10年版」を調べたらその通りであった。情報は新しくなければならない。
ホテルの戻って気を取り直して調べ直し、地下鉄で行くことにした。
近くのBARでサンドイッチとカプチーノの昼食(15ユーロ)を取り、地下鉄サン・ジョバンニ駅に向かった。
とても大きい駅で、218番のバス停がどこか全くわからなかった。タバッキで聞くと親切に教えてくれた。
218番のバスでサン・カッリストのカタコンベ駅まで行き、そこから一つ手前の駅まで歩いて戻る計画だった。
だが、これらのバス停はアルケオスバスのバス停で、路線バスのバス停とはどうも違うようで、乗客に聞くと、違うと言う。
次の駅で降りて戻ろうと私が先に降りたのだが、妻は出入り口が混んでいて降りられないのにバスは出発してしまった。
アマルフィのバスの運転手といい、イタリアのバスの運転手といい、私はどうも虫が好かない。
私はそのバス停で妻を待ち、しばらく後、無事合流したのだが、雨も降ってきた。
バスで数駅戻り、途中で降りてドミネ・クォ・ヴァディス駅まで旧アッピア街道を歩き、次のバスで地下鉄サン・ジョバンニ駅に戻った。
結局、アッピア街道巡りはさんざんで、マイル標や石畳や水道橋などは全くを見ることはできなかった。
少しはアッピア街道らしさをと写真を撮った。
  
  
 
サン・ジョバンニ駅近くのサン・ジョヴァンニ・イン・ラテラーノ大聖堂   こちらは裏側
 
    
 
ラテラーノ広場のオベリスク
  
ラテラーノ礼拝堂
 
サン・ジョヴァンニ付近の城壁
 
地下鉄でテルミニ駅に戻った。妻はここでホテルに戻り、私は地下鉄を乗り換えて、チルコ・マッシモ駅まで行き、カラカラ浴場に向かった。
入り口に来ると、"月曜日は13時まで"とあった。
夕食、野菜スープ、マカロニ、シタビラメのグリル、季節の野菜(よくわからない野菜・カリフラワー・ニンジンの茹でたもの)、白ワイン、35ユーロ。
  

10月19日
今日は、一日バチカン 見学の日。

ホテルにチェックインした日にバチカン美術館ツアーの予約をホテルにしてもらった。
現地ローマのグリーンラインツアー社の日本語ガイドのツアーもあるが、私たちはホテルの斡旋した英語ガイドを選んだ。
一人60ユーロ(バチカン美術館入館料は15ユーロ)と高めだが、個人の入場はなかなか面倒だと聞いていたからだ。
まずバチカンはテルミニ駅からかなり離れ、地下鉄で6つ目の駅からもかなりの距離がある。
チケット売り場を探すのも簡単ではない。
だが、ツアーも簡単ではない。6:45ホテル前で待ち合わせであったのでそれ以前に朝食を済ませて待機していると、
6:40に私たちのドアをノックの音が聞こえた。私たちが一番で、辺りはまだ真っ暗であった。
次のピックアップ先までは徒歩、あちこちホテルを回ってツアー客を集めていく。7時頃ツアー会社オフィス前に着き、7:30頃出発した。
8時前にバチカンに着き、音声ガイドのイアホンなどが配られ、全く並ぶことなくすんなり入場した。
私たちが博物館を出た昼過ぎには、当日券を求める人々の長蛇の列が2、300mはあっただろうか。
 
博物館に入る門                博物館の入り口
 
相当高齢のガイドの中庭でのオリエンテーションがすごく長く、寒い早朝で体がすっかりすっかり冷えてしまった。
 
大燭台のギャラリー
  
 
タペストリーのギャラリー
  
 
私には興味のないタペストリーのギャラリー・地図のギャラリーを延々と説明し、システィーナ礼拝堂に入ってしまった。
私たちはこのままツアーに参加するより、ツアーを離脱し初めから見ることにした。
そこから入り口まで戻るのは、一方通行などもあり、かなり難航したのだがどうやら入り口にたどり着いた。
エジプト館などをを早足で見た。
 
  
ラオコーンのあるピオ・クレメンティーノ美術館                  キアラモンティ美術館
  
  
                                   期待していたアウグトゥス帝像のある新回廊は工事中で入れなかった
  
更に、引き返し、エトルスク美術館・ギリシャ彫刻の間・壺のコレクションはパスし、大燭台のギャラリー、タペストリーのギャラリー、
地図のギャラリーを再度通って、ピウス5世の居室、ソビエスキ王の間を早足で見た。

ラファエッロの間
 
 
 
 
明暗法の間は閉鎖、ニコリーナ礼拝堂はパスし、ポルジアの居室・現代宗教美術館等は早足で見、
再度システィーナ礼拝堂(ここだけ撮影禁止)に入った。 ミケランジェロの最後の審判[引用]
 

キリスト教美術館・図書館の回廊は早足で見、アルドブランディーニの間、システィノの間はパスした。
 
バチカン内のレストランでサンドイッチとカプチーノの早めの昼食。
そこから絵画館へ行こうと思ったのだが、行き方がわからず一階から入るのかと思って、螺旋階段を下りると、出口であった。
  
エレベータボーイに聞くと、彼は「エレベータで4階に戻り、階段を上り右です」ととても素敵であった。
「グラッチェ」というと、「ユー・アー・ウエルカム」と言ってくれた。こう言ってくれるのはイタリアでは、かなり珍しいことです。
   
                                               手話でガイドしていました。
 
これは、バチカン郵便局               バチカン内のトイレはきれいであった
    
絵画館を見て、グレゴリア美術館・ピウス9世美術館・民俗学博物館・馬車博物館をパスし、出口に来ると、
先ほどのエレベーター青年、「一度出ると再入場できません」と丁寧に教えてくれた。

その後サン・ピエトロ寺院を見学した。クーポラと宝物館は入らなかった。
サン・ピエトロ広場
     
   
回廊
    
 
聖なる扉           フィラレーテ作ブロンズの扉 コンスタンティヌス帝の騎馬像  中に入るとミケランジェロのピエタ
 
秘蹟の礼拝堂             聖ペテロの像         セイロンジーノの像      ベルニーニ作ブロンズの天蓋
   
地下遺跡入り口                           聖エレナ像           ベルニーニ作聖ペテロの椅子
  
聖ヴェロニカ像         ベルニーニ作アレクサンドロス7世の墓      天井
   
サン・ピエトロ広場とオベリスク                     地下鉄オッタヴィアーノ駅で 
 
これでヴァチカン見学を終え、徒歩で地下鉄オッタヴィアーノ駅へ、テルミニ駅、ホテルに戻りった。【容量を越えたので次ページに続く】


イタリア[ヴェネツィア、フィレンツェ、ナポリ、ローマ 21日間の旅]~ローマ5

2010年11月08日 | イタリアの旅
帰りの飛行機の座席を予約するため、ホテルのインターネットを借りようと思ったが故障していて使用できなかった。
ホテルの隣のインターネットショップに入り、アクセスを試みた。1時間1.5ユーロと安いのだが、日本語モードが入っていないのでとても困った。
飛行機のチケットのインターネット予約は出発の48時間前できると言うのだが、時差の関係なのかこの日は予約できなかった。
ホテルに戻りガイドブックを見ると、アッピア街道のバスは4時半まである、というので急いでバスターミナルに行ったのだが、
「今日はもう終わった。明日来て下さい。」と言われた。アッピア街道は、私たちにはすっかり"鬼門"のようだ。
妻はホテルに戻り、私は一人で地下鉄でカストロ・プレトーリ駅に行き、ピア門の写真だけを撮って帰ってきた。
ピア門[ミケランジェロ最後の作品]                その後ろは、歩兵部隊歴史博物館になっている
  
歩兵部隊歴史博物館前のモニュメント、この右側は運輸省    城壁
  
カストロ・プレトーリ駅近くに立派な英国大使館の建物があったのでカメラ向けたら、銃を持った兵士が来て「ダメ」。

夕食は、日本語メニューのあるサンティと言うレストランに入った。
お米のスープ、豚肉とジャガイモの煮物、なすのチーズ焼き、野菜サラダと鱈のグリルと赤ワインのボトルを頼んだ。
今までのレストランの中で一番私たちの舌に合う味であった。特に豚肉とジャガイモの煮物はとてもおいしかった(40ユーロ)。
外人はこれくらいは一人で食べてしまう人が多いようだが、「最近は、イタリア人も太り過ぎと健康を考えて、だいぶ小食なり、
シェアして食べるのも普通になって来た」とは、フィレンツェでのイタリア人ガイドのお話であった。
 
 
おもしろい日本語メニューであった。
  

10月20日
イタリア最後の日は、いわば予備日、エトルリア=タルクィニアに行くことにした。
   

エトルリアについてはよく知らない人もいると思うが、塩野七生さんの"ローマ人の物語"にも良く出てくる。
古代ローマ以前に栄え、高い文明を持ち、水道橋などの土木技術や芸術や知識などをローマ人に伝えたと言われる。
10:09テルミニ発ピサ行き電車でタルクィニア駅に向かう。
途中海と田園風景の見えるきれいな風景だった。
タルクィニア駅に着くと駅と旧市街地を結ぶ、電車と連結するシャトルバスが待っていてそれに乗る(60セント)。
 
団地内などを通り10分後に旧市街地・タルクィニアの町に着いた。  門を入った広場
 
城壁の門の所にインフォメーションがあり、帰りのバスと電車の時刻を訪ねると時刻表と地図をくれた。とても親切であった。
Barでサンドイッチとカプチーノを取り、国立タルクィニア博物館(ヴィテッレス宮)[7ユーロ]に入る。
 
左奥の機械は、どこのBarにもある、コーヒーメーカー。
国立タルクィニア博物館(ヴィテッレス宮)[7ユーロ]         
 
中庭                                   展望室から、彼方に駅と海が見えます
 
エトルリア芸術の頂点と言われる"有翼の2頭の馬の浮き彫り"、内部の写真を撮ることはできない[写真は引用]。 右は民家の玄関先から。
    
受付の女性も親切で、共通券で入れる次の博物館[ネクロポリ]への道も教えてくれ、そこに向かった。
城壁の門
 
サン・フランチェスコ教会
  
ネクロポリがわからずウロウロしていると、住宅の2階の窓から女性が声をかけ教えてくれた。
 
ここは、お墓群である。
 
お墓は、開放されおり、階段を下りると、スイッチがあり、押すと点灯する。鮮やかな色彩であった。
 
 
 
 
広大な敷地の中に墓が点在し、のんびり過ごした。

バス停まで戻り、妻はBarで休憩。バスの時間がかなりあったので、私は一人で市内を散策した。
  
                                     Annunziata教会
 
San Salvatore教会                             San Giacomo教会
 
                                     Castello門
 
Margherita Duomo

 
妻とBarで合流し、15:50のバスで駅に着いたのまではよかったのだが、タルクィニア駅は無人駅だった。
切符の自動販売機があるのだが、使い方が全くわからない。人影もなく途方に暮れていると、ホームに30代位の青年がいた。
私は、彼に切符が買えないので買ってもらえないかと頼んだ。彼は怪訝な顔をしていた。おそらく彼はのお金を恵んでくれと思ったのだろう。
私が手に20ユーロ札を持っているの見て、事態を察した様で、自動販売機を操作して切符を買ってくれた。
しかし、切符代は12.6ユーロで、20ユーロ札を入れたのに、おつりが出ないのだ。
どうやら機械の中におつりがなかった様だ。彼もそれを十分に説明できないし、我々も事態がよくつかめないでいた。
切符らしき物が3枚が出ていて、よく見ると一枚はどうも切符ではなくようで、そこには7.6ユーロと書いてあった。  ホームと発車を知らせるベル、初めて見ました。
  
彼は、機械にはおつりがないので、大きい駅に行って払い戻す、と説明していたのだ。我々も彼もホッとしたのであった。
おそらくこれを"地獄で仏"と言うのだ、と思った。
この町は、私たちが訪れたイタリアの町で通りが一番きれいで、通りにゴミはほとんど落ちていなかった。
また、出会う人出会う人がとても親切で、私は少し嫌いになりかけていたイタリアであったが、持ちこたえたのであった。
観光客があふれていない地方のイタリアの人達の日常は、おそらくこのようなのだろうと、私たちは思った。
ローマ駅でおつりの払い戻しと明日の空港までの切符を買うために、35分も窓口に並んだのであった。
たった7.6ユーロの払い戻しなのだが、駅職員はパソコンを打ち、書類を2枚作成・印刷し、ホッチキスで留め、封筒に入れるのであった。

夕食は、昨夜と同じレストランで、野菜スープ、シーフードリゾット、サラダ、豚肉とジャガイモの煮物、イカの天ぷら、750ccの赤ワイン、40ユーロ。
     
隣の席がオランダ人夫婦で、彼らから話しかけて、また写真も撮ろうと言ってくれた。楽しいご夫婦であった。
オランダがワークシェアリングなどで成功していること、柔道のアントン・ヘーシンクのことなどを私が話すと、
彼らはヘーシンクが2ヶ月前に死に、昨日はオランダの選手が柔道でチャンピオンになったこと、
今は、リタイアして、1週間イタリアを旅していること、などを話した。
日本からイタリアへは何時間がかかるかなどを聞いてきた。
私は、江戸時代、日本とオランダは友好的だったことを話したが、日本についてはよく知らなかった。
それはもっともなことで、ヨーロッパからすれば、日本は遙か彼方の異境の地なのだから。
イタリアの最後の日に、イタリアの人々の優しさに触れ、オランダ人と初めて話し、食事が出来てとても良かった。

10月21日
日本への帰国である。チェックイン・出国審査はきわめて簡単で、パスポートに出国の判子すら押さない。
香港の空港は、乗り継ぎだけだったのに検査が慎重で、鞄の中から手荷物を全て出させて調べていました。
キャセイ航空は48時間前にインターネットで座席予約=チェックインができるのだが、時間がなくそれはできなかった。
だが、良い具合に通路側の席を頼むことが出来、香港からの席も最後尾から3列目の通路側で最高でした。 機内食はもう1食あった。
 
10/21、12:40ローマ発、10/22、6:50香港着[時差7時間]。 10/22、9:30香港発、10/22、14:55成田着[1時間]。
直行便の最短は12時間位からあるようですが、乗り継ぎだと一日がかりだと言えそうです。
まだ、体力的にエコノミーでも大丈夫のようですが、それもいつまででしょうか。
エコノミーの座席は本当に狭いです。外人は、かなりデリカシーがないのか、寝てる時平気で体をぶつけて来る人が多い。
私は、行く前にスポーツジムで覚えたヨガ系ストレッチ体操を飛行機の座席で時々しました。歩き回るのが一番良いのですが。
長時間ですので、全て寝るより、体操したり、音楽を聴いたりが良いようです。
ヨガ系ストレッチ体操は、毎朝食後30分以上しました。これはとても生活のリズムと体には良かったと思っています。
時差は、往きの時は便通だけが問題で、夜中でした。帰国してから、睡眠のリズムが戻るのに1週間以上かかりました。
日本から、ウイスキーを持って行きましたが、飲んだのは寝酒程度で、半分ほど余りました。

ヨーロッパは昼からお酒を飲むのも問題ない様なので、酒好きの私にはとても良かったです。
ビールを飲んだのは2回だけ、後はワインでしたが、私はワインについてはよく知りません。
750ccのボトルで、7~10ユーロ位の、店独自の安いワイン"ハウスワイン"があり、それを頼めば安心です。
スーパでは、水の値段程度の安いワインがたくさん。今回の失敗は、ワインオープナーを持って行かなかったことです。
それが必要ない紙パック入りワインは、いかにも貧弱でした。

水道水は硬水と言われますが飲んでも大丈夫の様でしたが、私たちはスーパーで買いました。1.5~2リットルル0.6~1ユーロです。
ただ、ガス入りノンガスの二種類あって、ガス入りは私にはまずくてとうてい飲めませんでした。
その見分けが大変で店員に何度も聞きました。それでも2回も間違えて買ってしまい、捨てました。

小さい新しいパソコンを買って持って行ったのですが、私のミスなのでしょう無線ランが上手く行かずインターネットなどは出来ませんでした。
でも、ネットをしない方が結果的には時間に余裕が出来、良かったかもしれないと思っています。
撮影場所などの簡単なメモをワープロでしました。

今回の旅では、時々夫婦で別行動もとったので携帯電話は必要でした。料金もけっして高くありません。
ただ、ソフトバンクからの"パケットし放題に注意"のメールが1日3度、しかも夜もあって、それはまるで「スパム」でした。
日本では、電車の中ではほとんどの人が携帯を見ていますが、イタリアでは辺り構わず大きな声で電話しています。
でもそれはほんのわずかです。

天候と気象
雨は何度か降られました。特にアマルフィは嵐でした。
フィレンツェでは、よく雨に降られましたが、早朝に降って日中は止み、快晴のことが多かったです。
気温は、朝晩は少し涼しく、カーデガンかウインドブレーカーが必要でした。日中は、上着は要らないがTシャツとワイシャツ。
日射しはちょっと強いので、帽子は必要です。
とまれ、簡単に脱いだり・羽織ったり出来る服装が良いだろう。
だが、外人は両極端で、コート・セーター・ブーツの人もいれば、Tシャツ一枚の人もいます。
寝る時は、ナポリまでは毛布一枚、ローマでは毛布2枚でした。

食事にはほとんど困らず、日本食を食べたいとは全く思いませんでした。
スパゲッティやリゾットはイタリアでは前菜の様な第一皿ですが、私たちは二人で一人前としました。
私は日本では、ピザは食べませんが、イタリアのピザのボリュームの大きさには度肝を抜かれました。
私たちは、サラダはオリーブオイルも塩胡椒もドレッシングも不要で、そのままで良いです。バルサミコ酢は甘酢で独特でした。
ボイルドベジタブルの概念はどうもないようで、ベジタブルスープが野菜の煮物という感じで、豊富でした。
メニューは、初めはわからず苦労しましたが、慌てずに「グリルド・チキンとかフィッシュ?」と聞くと親切に教えてくれました。
チキンは美味しかったですが、ポークはパサパサでボリュームもなく美味しくなかったです。
シンプルな焼き魚だけは私は、食べたくなりました。
日本から、煎餅を持って行ったが食べなかった。
ドロミーティのツアーの時、カナダ人の一人がカナダのバッジを記念にとくれたので、"柿の種"を上げたら、美味しいと食べた。
昼食は、ほとんどサンドイッチでした。色々種類があり、トーストしてくれるBarもあり美味しいです。
デザートはほとんど食べず、スーパーで買ったりんごやオレンジなどをホテルで食べました。
食事の時、私たちはお金を払って水を飲むのは何故か抵抗があるのか注文しないのですが、外人は頼んでいました。
私は、食べ物については、断然トルコの方が豊富で美味しいと思いました。私には、イタリアは大雑把な感じでした。

全く個人的なことなのだが、私の好きな作家・佐野洋子さんの訃報が、11月6日新聞報道された。
"100万回生きたねこ"の絵本作家だが、私は彼女のエッセイが好きであった。
闘病中とは報じられていたが、72歳であった。
私とわずか9歳しか違わない。さて、残された私の月日はどの位なのだろう。

今回の旅行費用やその他のイタリアの感想などは次号【蛇足・点睛】と言うことにしましょう。


イタリア[ヴェネツィア、フィレンツェ、ナポリ、ローマ 21日間の旅]~感想

2010年11月08日 | イタリアの旅
最後に、イタリアの雑感である。

イタリアに出かける前に、"SPQR"のことを紹介しました。
ラテン語"Senatus Populusque Romanus"(元老院とローマの市民)の略称で、あらゆる地域で公共物に刻まれたと言います。
それは現代のローマ市内を走るバスやタクシー、マンホールの蓋にも入れられていると言います。
初め少し探したのだが、とても多いので、途中からは写真を撮るのをやめた。
  
  
  

ローマ・フィウミチーノ空港からローマ・テルミニ駅まで、私たちはレオナルドエクスプレスを使った。
日本の京成電車のスカイライナーのようなもので、全線一等なのだが指定席ではない。
テルミニ駅でヴェネツァ往きの急行に乗るのだが、私は日本で買った電車パスにスタンプを押してもらうのを忘れていた。
電車パスは乗り始めの時に駅で使用開始のスタンプを押してもらい、乗車日毎にその日付を自分で記入しなければならないのだ。
私は、ホームに乗る電車の車掌がいたのでこの電車かと聞くと、スタンプが押していないと50ユーロの罰金だという。
慌てて駅の窓口に向かったのだが、長蛇の列で列車の出発にはとうてい間に合わない。
駅のインフォメーション事務所があったので発車まで5分しかないと泣きついて、やっとスタンプを押してもらい、
やっとの事で乗車したら、もう一人の車掌はそんな事情なら私が押して上げたのに、である。
間に合い一安心してスーツケースを荷物置き場に置き、座席を探している時、「荷物を網棚に上げた方が良い」と言う女がいた。
妻は、どことなくおかしいと思ったらしいのだが、私が荷物を網棚に上げているわずかなスキに彼女は私の財布から現金だけを盗んだのであった。
私の財布は二つに折り曲げてボタンで止めるタイプのもので、鎖でズボンのバンドに止めていたので、財布ごと盗むことは出来なかったのだ。
一番の失敗は、財布をズボンのポケットに入れて置いたことであった。
入国早々スリにあったのは大ショックたったが、パスポートやキャッシュカードを盗まれた訳ではないので、高い授業料と思うことにした。
その後は、トイレに入るのに1~2ユーロを使ったり、有料トイレに入るのもたいした金額ではないと抵抗はなくなった。
また、地下鉄やバスなどの乗り違えや乗り過ごしも気楽に思えたし、また疲れた時は気楽にBarに入って休憩すればいいと思えるようになった。
ただ、イタリアの警察・公共サービスのいい加減さというのは気になった。
というのはスリなどは彼らの目からすればすぐわかるのだから、巡回・取り締まりは決して難しいことではないと思うから。
男女ペアの警察官は人通りの多い駅構内をただ歩いているだけという感じであった。

私はまた、鉄道のチケット購入のシステムはまことに非効率的だと思う。
  
というのは、自動販売機はあるのだが、それがキャッシュカード専用機であったり、スイカのようなカード専用機であったり、
また故障している機械も多く、私たちにはとてもわかりづらく、使いにくかった。
もっとも日本の自販機が外人に使いやすくはないことも同様ではあるが。
従って、多くの外国人旅行客は窓口を使うのだが、この窓口への職員の配置がとても少なく、いつも長蛇の列であった。
これらのことは所詮外国人だけの問題であって、地元イタリア人とは無関係と言うことで放置されているのだとさえ思える。
幹線駅のホームは熊手状になっている。     地下鉄のホームはとても深い(浅いと遺跡にぶつかるからだろうか)
  
つまり、駅は通過点ではなく、始発・終点駅のような構造になっている。
電車は、終点駅に着いて、Uターンして再出発するのである。
このためポイント・線路が混んで、発車10~15分前になってやっと列車が何番線に入るのかがわかるのは、このためだと思われる。
20以上のプラットホームが横一列に並んでいるので、駅の幅はものすごい長さになってしまう。
日本の車内放送は携帯電話の使用禁止や駆け足乗車をしないでなど極端にうるさいが、ヨーロッパ圏ではユーロスターを除いて、
次の停車駅がどこかの放送・掲示などは皆無でわからないのが一番困った。
プラットホームには駅名だけが表示され、次の駅名が表示されていないので、乗り過ごすまいと気が気ではない。
バスも地下鉄も同様である。こうした事情は、イタリアだけではないようだが。
交通料金はきわめて驚くほど安い。
ローマの地下鉄の駅だけが日本のような械式的改札機で、他は改札機はない。

乗る直前に打刻機に切符を入れて出発時間を打刻するのだが、車内での検札は特急のユーロスター以外はほとんどない。
ローマ空港とローマ・テルミニ駅を結ぶレオナルドダビンチエクスプレスは、全て一等車(14ユーロ)だが検札はない。
もちろん、ほとんどの旅行者だけがきまじめに、律儀に行列し、チケットを買い求め、打刻する。

私は、イタリアのサービスの悪さが極めて気になった。おつりや切符などは放り投げて渡す感じである。
特に、公務員というか公共サービスに携わる人々の不公正・恣意主義・不平等が気になった。
車内検札は一見して外国人・観光客とわかる人だけに行うのである。
検札をするなら、全ての人に平等に等しく行うべきである。
私は、特にアマルフィのバス運転手の理不尽さは許し難い。
豪雨が降っている中、高齢者の観光客がバスに向かって走って来ているのに、わずか2メートル前で発車したのであった。
アッピア街道では、妻がバスの出口が混んでいて出られないでいるのに発車してしまったのである。
そのくせ、顔見知りの乗客が乗ってくるとにこやかに挨拶し、後ろから来る自家用車には道を譲るのである。
私は、こうした風土は決して個人主義の社会だからとか、それは個人の責任だというのではない精神的風土があるようにを感じた。
それは偉大な古代ローマの遺産にあぐらをかいて、それに安住する安易さでは無いかと思った。
観光客に無愛想でサービスがどんなに悪かろうが、イタリアには世界中から観光客が集まり、多額のお金を落とす。
自分たちの努力がなくとも、観光収入があぶく銭のように入ってくるということに彼らは満足しきっているのではないだろうか。

私は、フランスのことを考えている。
かつて、フランスは尊大で、イタリア以上に外国人に無愛想だと言われた。
最近は外国人、特に観光客には優しくをモットーとしていると聞く。
昨年、私が旅した時経験したことだが、駅の窓口で英語で聞くと、英語のわからない職員は英語のわかる職員をわざわざ呼んで対応してくれた。
地下鉄労働者がストをやっていたリヨンでは、私が地下鉄の代替え輸送のバスチケットの購入や乗り方がわからず困って、
職員に尋ねると、英語の出来ない彼は英語のわかる職員を呼んでくれたのである。
その彼は、バスのチケットを買ってさえくれた。
バスがなかなか来ないので私はバスを諦め、タクシー乗り場に並んだのだが、行き先を告げると乗車拒否をされ、乗れなかった。
すると彼が寄ってきて、「10ユーロ位でと言えばいい」とアドバイスしてくれ、私たちはタクシーに乗ることが出来た。
また、イタリアでは多くの美術館・博物館にパンフレットさえ用意されていない。
他方、フランスのルーブル博物館では「日本語のパンフレット」が用意されていた。
フランスでは、地下鉄で切符の買い方がわからずウロウロしていると後ろに並んでいる人が操作を教えてくれ、
街角で、地図を片手に迷っていると、「どうしました」と声をかけてくれた。
イタリアには、そう「出来ない事情もある」ことも少しはわかるような気がするのだが。
例えば、駅のチケットの自動販売機。
操作が、わからず困っている時、親切に教えてくれる人も当然いるが、同時に、"隙あらばだまそう"と虎視眈々の人もいるのである。
「切符を持っているが使わなくなったので譲る」と言って、使用済み切符を渡して金をだまし取るのだ。
イタリアでは打刻してもその切符は回収されないので、使用済み切符を渡され、お金をだまし取られるというわけだ。
私も実際、レオナルドエキスプレスの切符を買おうとしている時にそう声をかけられた。
高額紙幣は使えない等と言って、入れた紙幣をかすめ取ったり、釣り銭などをごまかしす手口などもあるという。
観光客に親切にすると、この種の怪しい人と間違われることを恐れて、イタリア人の多くは親切にしないのかもしれない。

もう一つは、戦後イタリアに深く関わる社会的風土が関係しているのかもしれないと思う。
1960年代後半のイタリアは、ベトナムと同様、世界の希望の星であった。
グラムシ、トリアッチというイタリア共産党指導者が築いた新しい社会主義の運動は、ソビエトや中国とは異なる新たな希望を与えていた。
イタリアでは、先進国では暴力的革命を経ないでも選挙・議会を通して多数派を形成し、社会構造を変革し、
社会主義を実現できるかもしれないという道を切り開き、社会主義は目の前、と思われていた。
その後、ベルリンの壁の崩壊・ソビエトの崩壊によってイタリアの政治・社会は大きく変わり、
左翼の力は急速に衰え、その路線も、イタリア共産党も無くなってしまった。
私は、現在のイタリアの人々は、古代ローマとグラムシらの築いた歴史的遺産・既得権に安住し、それを食いつぶしている、のではと思ってしまった。
もちろん色んな事情が、重なっているのだろうが、イタリアは観光立国の国だと思う。
そうだとするなら、もっと観光客を大事する方が絶対良いに決まっている。
・スリ対策
・鉄道など交通機関における検札の公正、自販機・窓口の充実、行き先・次の駅・列車の止まる位置等の表示や放送
・博物館のトイレ、リーフレットと案内板・説明板の充実
・レストランの英語メニューの充実
これらでイタリアの印象はグンと良くなって、リピーターも増えること疑いなし、と私は思う。
大好きなイタリアだけに私はそう願う。

もちろん、個々に接するイタリア人には素敵な人は沢山いる。
特に、バチカン博物館で会ったエレベータ係の人、エトルリアの駅で切符を買ってくれた男性、フィレンツェ・ナポリのホテルの男性は最高でした。
フィレンツェのイタリア女性ガイドも素敵でした。
とりわけ地方に行くほど、そこで出会ったイタリア人はどの人も人なつっこく、とても親切でした。
イタリア最後の訪問地・エトルリアでは、インフォメーション職員・博物館職員・バスの運転手いずれの人もとても親切でした。
博物館がわからずうろうろしていると、民家の2階の窓から女性が声をかけ、まっすぐ行って右とジェスチャーで教えてくれました。
ローマのホテルの受付の女性は、私が「ローマでまたお会いしましょう」と言うと、「また来ますか?」。
「トレビの泉でコインを投げ入れましたから」と言うと涙ぐんでいました。

私たちが訪れたイタリアの都市=ヴェネツィア・フィレンツェ・ナポリ・ローマは、いずれも大きい都市ではありませんでした。
ヴェネツィアはヴァポレット(=舟)は使わざるを得ませんが後は歩き、フィレンツェはバスが利用できればいいが歩き、
ナポリは港に行くにはバスが必要ですが、やはり歩き、ローマはさすがに少し広く地下鉄を使いますが、やはり基本は歩きです。
しかし、道路は石畳なので足腰には良くなく、犬の糞があちこちに落ちているので、上を見たり足元を見たり左右を見たり、キョロキョロです。
 

交通信号・横断歩道はあるが、人々はそれらを完全に無視して、赤信号・道路を渡り、横断する。
ほとんどの車は、クラクションも鳴らさず止まる。
道路は石畳でスピードは出せないし、渋滞しているので多くはスピードは出ていないので危険は感じない。
だが、私は人が先に渡るのを見てから横断する様には試みた。

"物乞い"の多さも私は気になりました。身体障害者も多いのですが、一見健康そのものの人も沢山います。
困るのは杖を持った老婆で、立ち止まっていたりすると、杖で足をつついての物乞いです。
電車・メトロでは、座席や窓枠に名刺を置いていって、後ほどそれを回収する時お金を要求します。
少し不謹慎ですが、一日中同じ姿勢で物乞いする姿はまるでヨガ修行僧のようです。
おもしろいのは、地下鉄の自動販売機の前の人で、まごついている人がいるとあれこれアドバイスして謝礼をもらおうという人です。
物乞いの彼らは、物乞いで生活できている、と言うことだと私は思います。
つまり、彼らは政府の援助や日本の生活保護などは不要で、人々の「喜捨」で生活出来ているのではないかと思うのです。
そう思うと、こうした風景は不思議に思えます。
私には、イタリアの国民は他人には無関心にみえるのですが、意外に社会には潤いがあるのかもしれないとさえ思うのです。
恵みを与えているのは観光客より彼らイタリア市民のようで、お互い話したり、煙草も要求。
こう思うと、スリ達も同様なのではと思いました。つまり一部裕福な外人観光客が犠牲になれば良いだけの話なのですから。
スリ達もおそらくイタリア人には手を出さないのだと思います。
彼らを取り締まったり、社会保障するより、放置・容認しておく方が遙かに社会的費用も安く、社会も安定する、とさえ感じます。
かつては集団で取り囲んでスルとか脅迫もあったようですが、現在はそうした暴力的なものは少なくなって来ているそうです。

車椅子へのサービスは空港だけです。石畳の上を車椅子で移動するのはかなりの困難です。
駅のプラットホームには一部点字ブロックがありましたが、街中は皆無でした。
エスカレーター・エレベーターもほとんどありませんでした。
バリアフリーは日本よりはるかに遅れていると思います。

洗濯
コインランドリーもある様であったが、数も少なく場所も良くわからなかったので使わなかった。
ワイシャツなどは3、4日着、速乾性の下着は毎日自分たちで洗い、困ることは無かった。
私たちは服装についてはとても質素で、荷物もそれほど多くはなかった。

言葉の問題
イタリアでは、英語がわかる人もいればそうでない人もいます。多くは片言です。私もそうですので、かえって都合が良いものです。
私は、バスや電車に乗る時は、駅名などをメモにしておきました。
例えば、"Per Termini?"(テルミニに行きますか)とか、"Qual eil pullma ~?"(このバスは~に行きますか?)、
"Station No?"、等と書いたメモを見せるのです。
バスの番号などは、聞き取れないので"No ?"と見せて、数字を書いてもらうのです。
地図を教えるのは、相手も難しいし聞き取れないので、"Mussei?"と見せ、手で→↑と指さしし、だいたいの方角を聞きました。

トイレ事情
町中・通りには無料トイレはありません。モンテリジョーニの駐車場だけにきれいな無料トイレがありました。
鉄道・地下鉄の駅にも無料トイレはなく、有料です。長距離電車やフェリーにはトイレはありますがきれいでなく、水が出ないこともあります。
大きい駅には、有料のトイレ(0.8~1.2ユーロ)がありますが、数も少なくきれいではありません。
ですが、Barやレストランにトイレがあるので、問題はありません。エスプレッソを頼めば(1~2ユーロ)、トイレを使えます。
多くはきれいではなく、混んでいます。特に男性便器には便座がありません。
博物館や美術館にトイレはありますが概ね数が少なく、わかりにくい所にあり、余りきれいではなく混んでいます。
バチカンのトイレはきれいでした。
   

救急車には良く遭遇しました。
   

これは楽しい落書き                                                 これは立ち続けてお金をもらう人
   

Barは街のあちこちにあって、人々が気軽に立ち寄る。ワイン・カプチーノ・軽食(と言うが、これが一人前)
  

イタリアにはあちこちに、広場と水飲み場と噴水が
       

駐車場がないので路上駐車、ここに居住しているとの証書(左)があればOKとか。  ベンツのスマートはわずかなスペース=例えばバイク置き場にも
                                                 駐車出来(違法らしいですが)、人気でした。
  

清掃車もたくさん見ました。
  
そして
  

お金の話 (二人分、円)。
飛行機代:232,000(HIS)~飛行機代は実に色々で、直前だともっと安くなるようです。私は半年も先に求めました。
・ホテル代:232,900
ヴェネツィア50,500、
フィレンツェ 58,400、
ナポリ 38,000、
ローマ 86,000(ローマのみ地球の歩き方、他は楽天トラベル)
・現地ツアー代(バチカンは含まず):152,000(Alan1.net)
・電車[Rail Europe]:49,400
4日間パス(乗車券代) 33,400、
特急券 @2,500×4=10,000、
手数料 6,000(@1,500×2、郵送料@,1500×2)
・現金:約185,000(盗まれたお金を引き、カードも含む。私たちは土産はほとんど買いませんでした。)
・保険料:12,300 
計: 約863,600 と言った所か。
現代はインターネットの時代。飛行機・ホテル・電車・現地ツアー等の予約は、全て日本で、日本語のサイトで出来るのです。
決して難しいことではありません。
オールパッケージツアーの旅行も良いですし、個人のオリジナル旅行もまた良いものです。

最後に私の今回のお気に入り
サン・ジミニャーノの町で        アヴェンティーノの丘の教会で結婚式を上げた夫婦が散歩していました。
   【終わり】

イタリアを旅してきます

2010年09月27日 | イタリアの旅
しばらく妻とイタリアに旅して来ます。9月28日出発し、10月22日に帰ってきます。
9月28日成田を発ち、香港で乗り継ぎ、9/29早朝ローマ空港に着き、
ベネチアへ。~10月3日。
フィレンツェ、10/4~10/8。
ナポリ、10/9~10/13。
ローマ、10/14~10/20。10月22日午後成田に帰ってくる予定です。
四都市間は電車で移動し、ホテルは、二人で一泊朝食付き・6000円の安宿です。
現地のツアーにいくつか参加し、後は全て自由な旅です。



古代ローマは、私の憧れで、イタリアを旅したいとずっと思って来ました。
その思いを強くしたのは、塩野七生さんの『ローマ人の物語』です。
古代ローマについては、諸説ありますが、紀元前7~8世紀頃から紀元4世紀頃でしょうか。
その後、ローマは東西に分裂しますがその時代を含める人もいますが、華やかな時は紀元前1世紀~紀元2世紀でしょうか。
アジア・中国では始皇帝の秦の時代、日本は吉野ヶ里遺跡時代で、ローマではキリストとキリスト教が誕生します。
古代ローマは、ギリシャと同じように多神教です。
私は、多神教の世界は多様的・相対的な気がします。仏教も多神教です。
多神教の神々は実にユニークで、「人間的」で浮気したり・喧嘩したり、ローマには人間の夫婦喧嘩を仲裁する神もいるそうです。
その考え方は、日本の八百万の神々と似ています。
天照大神が隠れた時、女神達がストリップする天の岩戸神話なんて傑作ですよね。
これに似た神話は世界各地にあるようです。
とまれ、唯一絶対がない、それを信じないというのは穏やかな気が私はします。

古代ローマは実にユニークな社会でした。
ユニークと言いましたが、極めてまっとうな社会であったと私は思っています。
帝政ローマの礎を築いたのはユリウス・カエサルですが、彼は志半ばで暗殺されます。
その後を次いだのはアウグストゥスですが、彼はカエサルの実子ではなく、養子でした。
カエサルにはクレオパトラとの間に男子がいましたが、カエサルは若い時からアウグストゥスを養子にして教育したのでした。
アウグストゥスが帝政を作り初代皇帝になったのはカエサルの子であったからではなく彼の実力によってでした。
アウグストゥスは帝政の基礎を築き盤石なものとしました。
英語のJuly(7月)はユリウス・カエサルから、August(8月)はアウグストゥスから付けられたそうです。
カエサル像[ルーブル博物館] アウグストゥス胸像[アテネ国立歴史博物館]
 
ローマの皇帝は世襲ではなく、議会のような元老院で選ばれました。
世の多くの王政・帝政はただ血筋だけによる世襲で、跡目争いなどで腐敗しました。
ローマの皇帝は終身制ですが、信頼・支持を失った時は暗殺されました。
ローマもその後、何人かの皇帝が子に世襲させ、腐敗・暴政となりました。
ヨーロッパ中世の王は、キリスト教によって戴冠されるという壮大な儀式=虚構を必要としました。
王とは言うが、もともと正統性などないのですから、神・宗教の権威によって権力の権威を偽造する以外に方法はなかったわけです。
このことは宗教と権力の癒着をうみ、それは必ず両者の腐敗をもたらしました。

ローマはもちろん他国を侵略しますが、侵略された地域が恭順を示せば、虐殺や奴隷にしないで、地元の神=宗教も是認しました。
もちろん奴隷もたくさんいました。
だが、奴隷は一定の条件をクリアすれば解放奴隷となり、市民権を得ることが出来、皇帝にまでなった者もいます。
ローマ圏に入った地域では、本国と同様の税制がしかれ、円形劇場や公衆浴場と水道と街道などが整備されました。
街道は、直線でした。道は舗装され、並木道や里程標や宿場町も整備されました。
それは侵略を防ぐことより、侵略された時はローマ軍が瞬時に進軍できる道路だったのです。
ヨーロッパの都市の多くは城壁で囲まれていますが、ローマは防衛のための閉ざされた城壁は造りませんでした。
また、軍隊は常備軍・徴兵制ではなく、市民の志願兵でした。
“パックス・ロマーノ”(ローマによる平和)のほうが、各都市にとっては自力で防衛するよりはるかに安全で、経済的でした
無料の公衆浴場と水道は市民の衛生と健康のためであり、広場には今なお公共の井戸=水飲み場や噴水が設置され、円形劇場は市民の娯楽場でした。

イギリスのチャーチル首相は、「カエサルの来英でイギリスは文明国になった」と演説したそうです。
ヨーロッパ各地の今日の大都市の多くは、ローマが造った都市でした。
フランスのリヨン、ドイツのケルン、スペインのバルセロナなどみなそうです。
今日ではプロバンス地方とは「しゃれた街」ですが、もともとの意味は『ローマの属州』だそうです。
今日のフランス料理などもオリジナルはローマでした。
ただ、美食家となったローマ人は満腹になると吐きだして、また食べたと言います。

ローマにまつわることわざもたくさんあります。
すべての道はローマへ通じる。 All roads lead to Rome.
ローマは一日してならず。 Rome wasn't built in a day.
ローマにいるときは、ローマ人のするようにせよ。 When in Rome, do as the Romans do.
ナポリを見てから死ね。 See Naples and then die.
賽は投げられた。
ルビコン川を渡る。
舗装道路は最強の武器。
ブルータスお前もか。

これはことわざではないですが、「人間は、自分が見たいと思う現実しか見ない」は、カエサルの言葉です。
西洋では、結婚式の後、新郎が新婦を抱えて家に入る風習があるそうですが、これも源はローマだそうです。
ローマの建国をしたのは次男三男の独身男性集団だったそうで、近隣の村を襲っては花嫁を略奪した、と言うのです。

とまれ、「人類は今、2000年前のローマより豊かになっているのか」、が私の“思い”なのです。
もちろんイタリアへの旅でこの思いへの解答があるわけはないのですが、“ローマの豊かさ”を味わって来たいと思っています。

これはかなりマニアックなのですが、古代ローマから続くローマの紋章をいくつか撮ってきたいと思っています。
それは"SPQR"のことで、ラテン語"Senatus Populusque Romanus"(元老院とローマの市民)の略称で、あらゆる地域で公共物に刻まれたと言います。
それは現代のローマ市内を走るバスやタクシー、マンホールの蓋にも入れられていると言います。
 

今回の旅のために、小さいノートパソコンを買ったのですが、ホテルのラン事情はわかりませんし、
ブログを作成する余裕はないと思いますので、私のこのブログの更新はしばらくありません。

【参考】
私のブログに、
古代ローマの遺産展
ポンペイ展・横浜美術館 があります。