渡良瀬[足尾鉱毒事件田中正造記念館]・館林[その二]を歩く
2008/4/27
田中正造記念館は東武佐野線・渡瀬駅前にある。
佐野線は群馬県館林始発、栃木県佐野市の葛生を結ぶ、一時間一本。
帰りの電車の時間を調べていたら、駅員が時刻表をくれた。
記念館の場所を聞いたら、道路まで出てきてくれて親切に教えてくれた。
平屋の小さな建物=12坪、かつて隣接する保育園の倉庫で、その後学童保育室として、
さらに、その後市から供与されたそうである。
運営は、NPO法人 足尾鉱毒事件田中正造記念館。
ビデオを見ることもできる。
約30年間鮭の放流を行ってきた、その鮭がやっと戻ってきたと、
牧野さんがうれしそうにお話ししてくれた。
田中正造の墓がある雲龍寺までは2.5kmある。
記念館で自転車を貸してくれる。
一帯は、田んぼである。風が気持ちよく吹いている。
雲龍寺
雲龍寺は、禅宗・曹洞宗のお寺である、
田中正造の遺品は、小石と憲法と聖書だったという。
その遺骨は名残の地・六つに分骨されているという。
それほど人々の信奉をいただいていたということか。
門をくぐってすぐ左に、足尾鉱毒事件の碑がある。
その奧に田中正造の墓がある。
背後は渡良瀬川の堤防。
雲龍寺の本堂、法要が行われていた。
本堂右に鐘がある[1900年川俣事件~東京に訴えに行く=押し出の時、この鐘が合図に打たれたという]
渡良瀬川[雲龍寺は右側]
雲龍寺近くの椿田稲荷神社
自転車は気持ち良かった、帰りはもう暑かった。
電車で 館 林 へ。
覚応寺
応声寺
館林城鐘
江戸時代に時を知らせた鐘・応声寺隣接
観性寺
千眼寺
稲荷神社
常光寺
琴平神社
円教寺[法要を行っていた]
法高寺
法輪寺
熊野神社
長島神社
神社の形としては珍しい形状、高床式様をくぐって本殿があった。
この前面には新しい拝殿が造られていた。
境内はかなり広いが、建物は小さい。
この参道沿いに、剣道の達人と言われた堀口清の胸像がある武道場があった。
法泉寺
愛宕神社
青石地蔵板碑[板状の石に刻まれた地蔵]
かなり古いもでガラスで保護されている、写真ではわかりにくい。
館林駅前ロータリーの狸のモニュメント
館林は古い城下町、渡瀬は豊かな渡良瀬川沿いの豊かな田んぼ・農村。
それが足尾銅山(古河財閥)で荒廃する、公害の原点と言われる。
坑道の柱のために、一帯の森林は刈られ、
銅精錬の廃ガスで木々は枯れてはげ山となり、
はげ山は大雨が降ると鉄砲水・土砂崩れを起こし、
鉱毒が平地に流れ込み田畑は荒し、人々の健康を壊した。
鉱毒を沈殿させるための巨大なため池を作るため、住民を強制退去させた。
貴族院議員・田中正造は公害反対の運動に取り組む。
30年くらい前、田中正造の半生を描いた三國連太郎主演の『襤褸(らんる=ぼろの意)の旗』という映画があった。
今回歩いた館林は、繁華街ではない住宅街、
連休中の日曜だが、歩いている人はほとんどいなかった。
寺も社もいずれも大きいものはなかった。特に社は、社務所のない小さかった。
地図をよく見たら、渡瀬駅と長島神社とはそんなに遠い距離ではなかった。
帰りは歩いた方が良かったかもしれない。
2008/4/27
田中正造記念館は東武佐野線・渡瀬駅前にある。
佐野線は群馬県館林始発、栃木県佐野市の葛生を結ぶ、一時間一本。
帰りの電車の時間を調べていたら、駅員が時刻表をくれた。
記念館の場所を聞いたら、道路まで出てきてくれて親切に教えてくれた。
平屋の小さな建物=12坪、かつて隣接する保育園の倉庫で、その後学童保育室として、
さらに、その後市から供与されたそうである。
運営は、NPO法人 足尾鉱毒事件田中正造記念館。
ビデオを見ることもできる。
約30年間鮭の放流を行ってきた、その鮭がやっと戻ってきたと、
牧野さんがうれしそうにお話ししてくれた。
田中正造の墓がある雲龍寺までは2.5kmある。
記念館で自転車を貸してくれる。
一帯は、田んぼである。風が気持ちよく吹いている。
雲龍寺
雲龍寺は、禅宗・曹洞宗のお寺である、
田中正造の遺品は、小石と憲法と聖書だったという。
その遺骨は名残の地・六つに分骨されているという。
それほど人々の信奉をいただいていたということか。
門をくぐってすぐ左に、足尾鉱毒事件の碑がある。
その奧に田中正造の墓がある。
背後は渡良瀬川の堤防。
雲龍寺の本堂、法要が行われていた。
本堂右に鐘がある[1900年川俣事件~東京に訴えに行く=押し出の時、この鐘が合図に打たれたという]
渡良瀬川[雲龍寺は右側]
雲龍寺近くの椿田稲荷神社
自転車は気持ち良かった、帰りはもう暑かった。
電車で 館 林 へ。
覚応寺
応声寺
館林城鐘
江戸時代に時を知らせた鐘・応声寺隣接
観性寺
千眼寺
稲荷神社
常光寺
琴平神社
円教寺[法要を行っていた]
法高寺
法輪寺
熊野神社
長島神社
神社の形としては珍しい形状、高床式様をくぐって本殿があった。
この前面には新しい拝殿が造られていた。
境内はかなり広いが、建物は小さい。
この参道沿いに、剣道の達人と言われた堀口清の胸像がある武道場があった。
法泉寺
愛宕神社
青石地蔵板碑[板状の石に刻まれた地蔵]
かなり古いもでガラスで保護されている、写真ではわかりにくい。
館林駅前ロータリーの狸のモニュメント
館林は古い城下町、渡瀬は豊かな渡良瀬川沿いの豊かな田んぼ・農村。
それが足尾銅山(古河財閥)で荒廃する、公害の原点と言われる。
坑道の柱のために、一帯の森林は刈られ、
銅精錬の廃ガスで木々は枯れてはげ山となり、
はげ山は大雨が降ると鉄砲水・土砂崩れを起こし、
鉱毒が平地に流れ込み田畑は荒し、人々の健康を壊した。
鉱毒を沈殿させるための巨大なため池を作るため、住民を強制退去させた。
貴族院議員・田中正造は公害反対の運動に取り組む。
30年くらい前、田中正造の半生を描いた三國連太郎主演の『襤褸(らんる=ぼろの意)の旗』という映画があった。
今回歩いた館林は、繁華街ではない住宅街、
連休中の日曜だが、歩いている人はほとんどいなかった。
寺も社もいずれも大きいものはなかった。特に社は、社務所のない小さかった。
地図をよく見たら、渡瀬駅と長島神社とはそんなに遠い距離ではなかった。
帰りは歩いた方が良かったかもしれない。