風そよぐ部屋

ウォーキングと映画の無味感想ノート

6/14御徒町~上野のほんの一部を歩く

2006年06月14日 | ウォーキング
御徒町駅~上野駅のほんの一部を歩く
東西1.5キロ、南北400メートル弱ほどの狭い範囲、
でも、地図に載っていない寺があったり、
場所が分からなかったり、
路地を回っている内に方向が分からなくなって道に迷ったり、
結局4時間弱歩いた。
写真は全部載せられないので多く割愛した。
この密度は、川越どころではない。

JR御徒町駅前アメ横の真ん真ん中にあり、
ぜひ訪れたいと思っていた、電車からも見える摩和支天山徳大寺からスタート。
摩和支天山徳大寺

アメ横は、相変わらずの人出で、面白い店も多いのだが、パスし、

太郎稲荷神社


観蔵院・覚音寺・最尊寺・願信寺・本行寺~隣り合っていて、
墓地は共同墓地のように一カ所に集まっている、
このような寺群・墓地は初めて見た。
本行寺


称念寺


龍福院[浮世絵師・小林清親の墓があった]


孫三[ぞう]稲荷神社


正覚寺
東国寺[マンションの中にあるよう、とても不思議、ドアを開けて入る度胸はなかった]
皆応寺

祝言寺

鐘楼[高い、上に登って鐘を突くのでなく、地上で上から垂れた長いひもを引くと鐘が鳴るようになっているようだ]


延命院


誓教院

葛飾北斎の墓


善慶寺


正福寺
成就院
→菊屋橋交差点を経て、

宗圓寺

その境内に

この右の仏像三体は笑みを浮かべていた。

永見寺


威光院


伊勢ヶ部屋[清国]があった


西光院

龍宝寺・鯉寺・鯉塚


不動院


常福寺
玉宗寺


本法寺・はなし塚

昭和16年落語の一部が時局ふさわしくないと演じるのが禁じられたそうだ、
その時の落語の台本が供養・収められたそうだ、
塀には落語家など芸能人や芸能と関係ある企業などの名が連なっていた。



仙蔵寺


金龍寺
高尾山浅草分霊院

桃林寺

今日見た寺で一番大きいがその外観もとても特徴的だ。

宗吾殿

江戸時代、直訴して処刑された佐倉惣五郎を供養する堂

黒船神社


三島神社


光明寺
等覚寺
栄蔵寺
願壽寺
妙経寺
長遠寺
唯年寺
成就院

下谷神社


→JR上野駅

この他に訪れたが記し忘れたり、見落としたものも少なくないはずだ。
軒を連ねて寺があり、路地を曲がるとまた寺という感じ。
とても大きい寺はない、本堂も住職宅もモダンでユニークで立派な建物のものが多い。
荒れている寺もなく、手入れも行き届いているのだが、
門が閉じられている寺も多い、また、個人宅の様で入ってゆっくりしづらい雰囲気もある、
とてもたくさんの寺があるのだが、墓地は広くはなく、檀家が多いとも思えないのだが寺も家もとても立派な作りで、はて、この財源は?と要らぬ疑問を感じた。

上野駅からの浅草通りはまさに仏壇屋通りで延々と仏壇屋が軒を連ね、
合羽橋通りでは、今度は厨房品関係の店が延々と続く、
今日は、浅草通り南側~隅田川までの狭い範囲だけ、
浅草通り北側の寺の密度はもっとすごい。
上野~鶯谷~浅草地域内にはどれ位の寺があるのだろうか?
全てを見るなんてことは大変だができるだけ見てみたい。
一方、神社はほとんど無かった。
それにつけても上野・浅草はユニークで面白い街だ。
【写真と寺とが一致していないかもしれない、また、寺の名前も間違っているかもしれない】
[梅雨の隙間の曇り空であったが、蒸し暑かった、寺の近辺に人はいないが、人通りは多いし、路地には活気があった。おにぎりを食べるような場所・公園もないので蕎麦屋で食事した]

白馬散策

2006年06月04日 | ろう文化・白馬聴覚障害者のための里山紀行
6月1日~4日と白馬に行って来た。
白馬村のNPO法人里山塾が“塩の道古道を歩く”を企画したのだが、参加者が少なく中止となった。
「思いたったが吉日」と出かけることにした。
桜井さんが白馬村村議に当選したニュースを聞いて、
手話サークルで早速、桜井さんのアルペン山荘に行って、泊まった。
その翌年、妻と日帰りで八方尾根トレッキング。
『聴覚障害者のための塩の道紀行』に二回参加し、今度は5回目の白馬であった。
こんなにリピートするのは珍しい。
白馬は、高い山々が身近に取り囲んで迫っているのだが、圧迫感はなく、ゆったり覆い包んでいるという感じがする。

6月1日、白馬村に向かう
新宿高速バス、9時出発、乗客はたったの四人、渋滞無く予定の10分前の13時20分に白馬八方駅着。
桜井さんの“アルペン山荘”まで約5キロを歩くことにした。
日射しは強いのだが、時折吹く風は冷たいほど、心地よい汗を流しながら、
白馬大橋[松川にかかる]から白馬連峰[写真では雪のため白いので写っていない]を見る。


途中、「倉下の湯」があり、
岩岳方面のトンネルを抜けると、「岩岳の湯」がある。


岩岳宿を抜けると、切久保集落の目印・火の見櫓が目に入る。
切久保庚申塚

写真を右に回ると


その目と鼻の先に、霧降宮切久保諏訪神社[産土神社]がある。

その本殿


そこから、アルペン山荘まではすぐだ。
アルペン山荘

その右にもう一つ建物がある。

夕方、桜井清枝さんと近くのせせらぎに“クレソン”=オランダガラシを摘みに行く。

クレソンは、ほんのりしたからさ・苦みがあり、とてもおいしくたくさんいただいた。
フキやワラビや名前を聞いたが忘れたたくさんの手づみの山草をいただいた。
この夜は、桜井克士郎さんとたくさんお話しした。
克士郎さんは、私より10才ほど先輩で、山口県出身で東京の大学を出て、いろんなことを経験し、海外旅行もたくさんし、料理の勉強をし、清枝さんと知り合って、最初は白樺湖でペンション業を始めたそうだ。
清枝さんとのなり染めのことなども聞いた。
清枝さんは漫画も好きで、壁一面天井まで本棚があってそこに漫画がぎっしり、貸本屋ができそうなほどで、千冊以上もあるのではないだろうか。
[ほとんどは息子さんの所有だそうだが]
“じみへん”のことを知っていて、それも「なかなか面白い」なんて女性はあまりいない、それだけで楽しい。
“わたしんち”も好きという。
もちろん漫画以外にもたくさんの本が積まれている。
また、壁には、お友達の描いた絵や、ろう者のアーチストから送られた年賀状などがたくさん飾られている。
それに克士郎さんが海外旅行[アジアやアフリカや中米が多いそうだ]で手に入れられた民芸品などがたくさん陳列されている。
清枝さんは昔、デザイン会社に勤務していたこともあったそうで、ご夫婦とも絵が大変好きなのだが、私は興味が無くこの点では話が弾まなかった。

6月2日黒部ダム
JR大糸線白馬駅から信濃大町駅へ。
信濃大町駅


バスで、扇沢駅へ。

看板の後ろは残雪。

扇沢からトンネルの中を通る“関電トンネルトロリーバス”で黒部ダム駅へ。
トロリーバスは日本ではこの黒部ダムにだけだそうだ。
扇沢駅での展望、真ん中の低いところが白馬山。


その途中、ダム貯水側

黒部ダム底

ダム上

画面奧側は、歩いてきた方向で黒部ダム駅方向。

ここから歩いて黒部湖駅に向かい、
ここからトンネルの中を通る“黒部ケーブルカー”で黒部平に行く。


“立山ロープウェイ”で大観峰へ。

大観峰からの眺めはあまりよくない。
時間があれば立山トンネルを抜けて室堂に行くとかなりの絶景が楽しめるらしいが、時間がないので Uターンした。
黒部ダムでは中国人が多いのには驚かされた。
若い人が多いが、年配者も子どももいる。
昼ご飯は〈おやき〉にした。

電車で白馬駅の一つ先信濃森上駅に向かう。
無人駅。

アルペン山荘までのんびり歩くことにした。
約3キロ位か。

途中、新田に神社・伝行山堂があった。


その脇に急な階段、

息を切らして登ると崩れそうな古い祠があった。

この地は塩の道の荷継場で尾花道とも言われ、白馬村の新田であったようだ。
大雨が降ると鉄砲水に襲われ大変だったらしい、とは克士郎さんの談。
克士郎さんの話を伺って、祠が小高い丘の上にあるのは、水に浸からないためかな、
なんて思った。
丘を降りると、そこから白馬駅方向が美しく望めた。


この夜は、桜井さんの隣人[といっても三百メートルは離れているか]の高杉さんご夫婦も見えて、五人でお酒をたくさん飲み、たくさん話した。
高杉さんのご主人は大学出の大工さん、奥さんは美術科専攻の画家で要約筆記者でもある。
ご主人は大阪、奥さんは愛知出身。

6月3日白馬村内を散策
桜井さんご夫婦に、車で、白馬村内を案内してもらった。
飯盛神社


長谷寺[ちょうこくじ]・飯盛地区・とても古く大きい。

杉の大木を撮したのだが失敗した。

曹洞宗・貞麟寺[神城地区]

禅寺で、とても落ち着いている。
本堂は、新しくつくられ、ヨガの教室やイベントや催しものなどに無料で貸し出されているそうだ。
参道。

境内、枝垂柳[周囲5m、高さ16m、推定樹齢400年、桜の寿命は長くはなく、400年は珍しい、と清枝さんが教えてくれた]。

写真後ろ姿は桜井清枝さん。
桜井さんご夫婦はここに墓地を購入済みのようだ。

さのさか・朝海湿原

花の季節にはもう少し日数が必要とのことで、咲いている花はほんの少しだった。
湿原中央を通り過ぎると木陰でとても涼しい。
狭い湿原で30分位で一周して戻る。

神城の上田さんの所に寄る[昨年、塩の道紀行で泊まったところ]。
上田さんは、今年は[紙マルチ農法][かるがも農法]に挑戦するのだと、明日来るかるがもの家を一生懸命に造っていた。
上田さんの家『ラ・花梨館』

花梨館の前からの眺望

上田さんの紙マルチ農法の田圃・写真は桜井清枝さん


この後、おそばを食べる。
後の予定はないので私だけビールを飲み、アルペン山荘にもどり昼寝した。
この夜は、清枝さんとたくさんお話しした。
清枝さんは旭川出身でその後、千葉に引っ越しし、千葉県内の聾学校に転校したそうだ。
私も桜井さんもそんなに高齢では無いが、
しかし、明日死んでしまうかもしれない、だから「今を大事にしたい」、
といっても、わき目もふらずにという気負いを持たないで、
くよくよしないで生きたいね、
と言うようなことに共感して、
手話やろう者のことなどについてお話しし、とても楽しかった。

6月4日
白馬八方駅9時の高速バスで帰京した。
八方からはたった二人の乗客だったが次々に乗り、12、3人になったろうか。
渋滞は全くなく予定より10分早く、13時20分に新宿に着いた。

のんびりと楽しい旅であった。
同時に、私の手話の関わりについて、重い問題を投げかけられた旅でもあった。
今年9月16日には、『聴覚障害者の塩の道紀行』が計画されている。
参加したい、と思っている。

では、最後に桜井さんのご紹介。