原題:The Young Karl Marx 監督:ラウル・ペック(ハイチ出身) 2017年/フランス・ドイツ・ベルギー/118分
マルクスは、1818年5月5日生まれ、つまり今年はマルクス生誕200年、それを記念して作られた映画で、
鳴り物入りの評判でしたが、映画は凡作でした。
近代世界で最も社会的影響を与えた人物を125分で描くことがそもそも無謀です。
映画は、若きマルクスとエンゲルスが出会い、1848年革命、共産党宣言を執筆する数年に限定したのですが、
それでも全く成功していません。
その理由は、この映画の目的、意図が全くわからないからです。
共産党宣言が生まれた背景は、ヨーロッパを席巻した1848年革命です。
その革命は、フランス革命とナポレオン戦争で荒廃・混乱したヨーロッパ秩序をそれ以前の従来の
君主制・絶対王制への回帰によって安定させようとした反動的なウィーン体制を打ち砕く運動で、
ヨーロッパ各地で勃発しましたが、結果は失敗に終わりました。
その革命は、「諸国民の春」とも呼ばれました。
エンゲルスは、蜂起に武器を持って参加しますが、映画はこの肝心の人民の蜂起には触れません。
1848年当時の日本と言うと、この5年後に黒船が来た幕末の時代です。
イギリスで起きた産業革命は、多くの労働者を生み出しましたが、プロレタリアートという、
階級の概念はまだまだ希薄でした。
激動のヨーロッパは様々な社会思想と運動潮流を生み出していました。
プルードンの無政府主義が強い影響力を持つ一方、キリスト教的社会主義などまさに「百花繚乱」でした。
さて、若きユダヤ人マルクスは、頭脳明晰でした。
ボン大学在学中に貴族の娘・イエニーと結婚し、ベルリン大学に編入します。
大学卒業後、妻の父親コネでベルリン大学の哲学教授の椅子を姑息に狙いますが、ダメでした。
失意のなか、ジャーナリストとして生計を立てますが、彼には家庭経済観念がほとんど皆無だったそうです。
その後、パリに出て、若きエンゲルスに運命的に出会い、48年革命に出合います。 晩年の二人
彼は、マルクスより2歳若いのですが、マルクスよりはるかに大人で、すでに経済学に関心を持っていました。
マルクスは、貴族の娘・イェニーを妻としますが、エンゲルスはアイルランド出身の娘・エメリーと結婚します。
彼女は、エンゲルスの父親がマンチェスターで所有するの紡績工場で働く労働者でした。
イエニーはインテリ、エメリーはかなり過激なリブ的活動家だったようで、
映画の中でも「私は貧しくても自由が良い、子どもはいらない、妹はエンゲルスが好きだから、
彼女が彼の子どもを産めば良い」なんて言っていました。
女性は立派なのに、エンゲルスは「女たらし」と揶揄されるほど、またマルクスもイエニーの使用人・レンヒェンとの
間に子どもまでもうけていたそうです。
なんとイエニーは実家のメイドをそのまま連れて来ていたのです。
だいぶ脱線してしまいましたが、映画ではこの時代彼らが何と格闘したのか、が実に曖昧なのです。
48年革命こそが二人を根本的に動かしたはずです。
映画は、それをもっと具体的に映像的にも描くべきでした。
彼らの思想もまだまだ未成熟・未分化でした。
共産主義とその革命観、唯物史観と哲学、資本論に結実する経済学などいずれも確立されていません。
当時の思想状況に対する彼らの思想的格闘についても描くべきでした。
この二つを描かないのは、若き彼らの人間的魅力をもほとんど描いていないと言うことです。
映画前半、全く不要の、マルクスと妻とのベッドシーンなどを入れ、冒頭から興ざめでした。
そんな映像より、マルクスもエンゲルスも子どもを背中に乗せてお馬ごっこして機嫌を取ったそうで、
それらのシーンの方がよっぽど気が利いていると私は思います。
いずれにしても、期待した作品であったが故に、大いに落胆しました。
【岩波ホール創立50周年記念作品だそうです。】【5月28日鑑賞】
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以下、蛇足です。
私は、2016年5月、マルクスが生まれたトリーアを訪れました。
トリーアは、ケルンから南西に180kmほど、ルクセンブルクの国境の近くにあります。
古代ローマ時代の遺跡の残るドイツ最古の町とも言われているそうです。
200年前のトリーアは想像できませんが、若きマルクスが、大聖堂や黒い門(ポルタニグラ)・浴場跡等の古代ローマの遺跡を見、
散歩してしていたのかと思うと不思議な気がしました。
彼の父はユダヤ教ラビで弁護士でした。
古代ローマ人は、ケルンやトリーアなど今に至る要衝の地を発見し、建設したのはやはり偉大でした。
その時のブログはドイツの旅7/ケルン3・マルクスの生まれたトリーアを訪れる。 です。
その時のマルクスの生家の写真[転載]
蛇足ついでに、
中国政府は、トリーア市に「マルクス生誕200記念のマルクス像」を送ったそうです。
序幕から5日後放火にあったそうです。ドイツでは、マルクスの評価は分かれているそうです。 【終わり】