風そよぐ部屋

ウォーキングと映画の無味感想ノート

ソウル-スウォン(水原)-カンファド(江華島)、8日間の旅 1 

2010年05月24日 | 韓国の旅

5月11日~5月18日の8日間、妻と二人で旅した。ツアーでなく個人旅行であった。

5月11日・火・1日目
羽田発13時5分アシアナ航空(韓国)で出発、金浦空港には約2時間後の15:25着。
飛行機はほとんど満席。たった2時間なのに機内食が出たのは驚いた。

金属製フォーク等が良い。
入国手続きは、いとも事務的・「あっ」という間だった。
真っ先に、3万円をウォン{以下=w}に両替した。34.8万ウォン。
ソウル市内の移動はほとんど地下鉄を利用と決めていたので、カードを買おうとウロウロしていると職員が来て買い方を教え、買ってくれた。
いくら入金するか聞かれたのだが、迷っていると5000w札を取ってチャージしてくれた。
地下鉄の基本料金は900w(ウォン)[日本円に換算するには約0.08をかける、約75円]、
ソウル市内はほとんど900wで郊外に出ると少し加算される。
以後何回かチャージした。
ソウルの地下鉄は、広軌で日本より車内が広い。座席は、一部を除いてステンレス製である。
かなり以前、地下鉄の車両火災で多くの死傷者が出たためにそうなったと聞く。
写真はとてもすいているが、普通は朝晩・日中ともかなり混んでいて座席はほぼ埋まっている。
朝晩のラッシュ時にも乗ったが、ぎゅうぎゅうではなく、込んでいると次の電車を待つ人が多かった。

このカードでバスにも乗れる。日本のスイカと全く同じである。
私たち泊まるヨンビンホテルのある東大門歴史文化公園駅までは地下鉄5号線で30分ちょっとだった。
ホテル、地下鉄、貨幣事情については、後で少し、紹介する。
 
ホテルに荷物を置いて、早速出かけた。


この地図は、1日目・2日目のものである。

地下鉄で次の駅、東大門へ。
ソウル城壁の跡
 

東大門                                  これは後ろ側
 

東大門平和市場(右岸のビル)と清渓川 [平和市場は、大きなビル内の小さなお店や屋台や大きなファッションビルなど多彩である] 
 
夕食は平和市場で鶏鍋を食べた。
洗面器のような鍋に鶏が一羽入っている。店員が「はさみ」でどんどん切って、煮る。
白菜・大根のキムチは大きいまま出てきて、食べやすい大きさに自分ではさみで切る店もあった。
にんじん・ネギ・大根など少量の野菜が入っている。
鍋の回りのキムチなどは"お通し"みたいなもので、必ず出てくる。これとご飯はおかわり自由。
味付けは自分で調節できる。大量のキムチを鍋に入れる人もいた。
箸・スプーンはステンレス製、ティッシュの代わりにトイレットペーパーロールがあったりする。
エプロンもあるのだが共用。僕は自分のタオルを使った。
この店では、この料理だけってかんじであった。我々は全部を食べることは出来なかった。
韓国人はジンロ(焼酎)を飲む人が多いが、我々はビールにした。
 
 
二人で約30000w。

5月12日・水・2日目

ホテル→【歩】奨忠壇公園、M(地下鉄)332(3号線32番駅)東大入口→M331(忠武路)下車南山韓国村
→M423(忠武路)→M424(明洞)下車明洞聖堂→【歩】貨幣博物館→【歩】カンキュウ壇
→【歩】徳寿宮→【歩】清渓広場→【歩】普信閣→【歩】曹渓寺→地下鉄でホテル


朝食は、ホテル近くのお店に入った。日本語も英語も通じなかった。日本語のメニューを持って来てくれた。
ビビンバらしいのを頼んだ。一人前6000w。
近くにコンビニがあり、牛乳を買ったつもりだったが飲むヨーグルトだった。
ジュースを2パック買ったら2+1(一つおまけ)だった。ヨーグルトも買って確か2800w。


歩いて、奨忠壇公園[1895年、日本人が起こした閔妃暗殺事件の時犠牲になった人々を祀った跡]に行った。
  

ナムサンゴル韓屋(ハノン)マウル[旧王族などの屋敷を移転した公園]、無料、地下鉄で     遠くに見えるのはソウルタワー
 
 
                                      かまどと煙突
 
オンドル[床下暖房]の煙突                      ツボなどの貯蔵庫
 
井戸
 
                                      旧王族などの屋敷には中庭があった
 

隣に、仏教寺院・忠正寺があった。
 

明洞聖堂 地下鉄で                               明洞芸術劇場
  

貨幣博物館[ファペクミュンパンムルガァン]、無料
 

ソウル中央郵便局                           ソウル広場とソウル特別市庁
 

圜丘(カンキュウ)壇[ホァングダン][皇帝が行った祭祀の場]、ウエスティン朝鮮ホテル敷地内にある。
入り口がわからず、全く違うビルの受付の人に聞くとわざわざ案内してくれた。たまたま清掃のようでよく見えなかった。
 

昼食は、近くの食堂に入った。
冷やしキムチ素麺[4000w]これは辛いだけで、僕にはおいしくなかった。    右手首のない人が彫刻刀で版木を作っていた。
 

徳寿宮[トクスグン][1000w]
大漢門

光明門                                  火車
 
 鐘                                     水時計
  
中和門                                  中和殿
 
徳寿宮美術館(入らず)                          石造殿(工事中)
 
昔御堂                                  即ソ堂
 
防火施設か?                              SEJONG像
 
徳弘殿                                  咸寧殿
 
ドゥム[水を入れる甕(かめ)=火魔が水に映った自分を見て驚き逃げるという言われ]
 
中和殿など
 

普信閣[ポシンガク](鍾路と南門路が交差する角に立つ鐘楼・朝夕時を告げた)    鍾路タワー
 
喫茶店でモカコーヒーを飲んだ。おいしくなかった。4000w。

曹渓寺[チョゲサ]
 
本殿(大雄殿)
 
鐘楼
 
大雄殿壁面
 
 

夕食はホテルの近くの食堂で焼き肉(カルビ)二人前と冷麺(私はおいしくなかった)。ビールを含め3.9万w。
 

これで二日目が終わったがちょっとハードであった。        【続く】


ソウル-スウォン(水原)-カンファド(江華島)、8日間の旅 2 

2010年05月24日 | 韓国の旅
5月12日・水・3日目

M534(鍾路3街)下車、タプコル公園(3.1独立運動発祥地M329(鍾路3街)
→ M326(独立門)下車、西大門独立公園=独立門・刑務所
→ M328(安国駅)下車、北村韓屋村[プクチョンハノンマウル]
→【歩】昌徳宮[チャンドックン] →【歩】昌慶宮[チャンギョングン]
→地下鉄でホテル
  



朝食は、パン屋のサンドイッチ(4500w)とコンビニのジュースや牛乳(3200w)など。


タプコル公園(元は円覚寺の敷地であった。1919年3.1独立宣言が発せられ、独立運動発祥の地と言われる。)
 
  
国宝の十三層塔           抗日運動の12枚のレリーフ
  
そんなに広くないこの公園で妻とはぐれてしまった。携帯の練習となった。

西大門独立公園
西大門は現存しない。
独立門 [手前の石柱は、かつて晋の使節を迎えた迎恩門の跡]      3.1独立運動の碑[独立門の奥に小さく見える]
 

刑務所歴史館 [独立運動の碑を通り過ぎて左、広い西大門独立公園の一角にある]1500w  展示館は工事中であった。
 
 
懲罰箱                                運動場の写真
 
死刑場                                中は撮影出来ない
 
死刑執行後共同墓地への通路                 ハンセン病棟(右の建物)と塀
 
柳寛順さん(3.1独立運動演説をした女性)のいた監獄と陽の当たらない地下牢
 

北村韓屋村[プクチョンハノンマウル]=伝統的な居住地域
 
 
                                   "冬のソナタ"で有名になった中央高校正門[すっかり観光名所]
 

昼食は、『龍水山本店』に入った。道路を挟んで右は昌徳宮である。
 
 
                                    デザートは写真を撮り忘れた。
 
娘推薦のレストランであった。予約はしなかった。
一番安いランチセット(一人2.5万w+間接税2500w=確か)を頼んだ。(日本語は通じない)
ビールを飲みながら楽しみたかったが、この後も観光があるのでそれはあきらめた。
高級レストランの風ではあったが、値段は以外にリーズナブルであった。
店内は広く、落ち着いている。かなりの客が入っていた。

昌徳宮[チャンドックン]、3000w、15世紀初頭李王朝の離宮。世界遺産。
敦化門                                仁政門
  
仁政殿
 
ドゥム                                宣政殿
 
熙政殿                                大造殿
 
報春亭                                楽善斎
 
楽善斎一帯                             排水口                   オンドルの焚き口
  

聖徳宮後苑 [言語別のガイドツアーに参加しないと入場できない。5000w、日本語は10時半と1時半の一日2回、我々は13:30に間に合った。]
                                     喜雨亭
 
長楽門                                演慶堂
 
                                    入り口は男女別々だが内部はこのようにつながっている。
 
芙蓉池                                  不老門
 
暎花堂(入ることができる)
 
魚水門と図書館                           宙合楼
 
芙蓉池一帯全景                           桑の古木(400年)          観覧池と東屋         
  
八角亭
 
玉流川一帯                                                               井戸跡
  
このガイドツアーは途中かなり休憩をとりながらであったが、2時間は長過ぎるかな。
人影は少なく、木々が生い茂り、日陰も多い、とても静かです。

昌福宮1000w、昌徳宮に隣接する門から入ることができる。だがこの場合、表門とは逆の方向から入るので、表門に向かって進むことになる。
慈慶殿跡                               養和堂
 
通明殿                                
 
明政殿                                明政殿中
 
明政門                                弘化門
 

私たちは、引き続いて『宗廟』に入る予定であったが、15:40からの日本語ガイドツアーにタッチの差で間に合わなかった。
2007~2008年版"地球の歩き方"によれば、ガイドが必要との説明はなく、また入場料も昌慶宮と共通とあった。
が、わずか2年で、入場料金は別々となり、ガイドツアーに参加しないと入場できないようになっていた。
このガイドツアーの最後尾50m位の所を職員が付いてくる。おそらくそれはツアーと離れて勝手な行動をとってはいけないと言うことなのだろう。
土曜日のみガイドなしで、自由に入ることのできる施設もあるようである。最新の情報で確認することが大事である。

宗廟前の宗廟市民公園は、碁と将棋を楽しむ老人達でいっぱいである。
夕方来た前回は、お酒を飲んだり、歌ったり踊ったり、またデートするような年配者も多かったように思う。


早めにホテルに戻り、入浴・サウナにゆっくり入り、その後近くの食堂に出かけた。
 
店員が、冷凍の骨付き巨大カルビの固まりをはさみでジョキジョキ切って、網に乗せ、焼いてくれる。
ビビンバを一人前頼んで半分ずつ食べた。55000w。                                     【続く】

ソウル-スウォン(水原)-カンファド(江華島)、8日間の旅 3

2010年05月24日 | 韓国の旅
5月14日・金・3日目
ホテル→M725(君子)(乗換)→M729(清潭)下車、泰恩寺[ポンウンサ]
→M725(君子)(乗換)→M424(明洞)下車→【歩】ケーブルカー→ソウルタワー
→【歩】安重根戦士記念館[アンジュングンサキニョムグァン]
→M424(明洞)→M328(安国)下車、宗廟→ホテル 
【昨日、宗廟を見学できなかったので、当初の予定を変えた。 】



朝食は、ホテル近くの食堂でビビンバ(6000w)+ミルク、ヨーグルト、トマトなど。


奉恩寺に向かう途中、消防のイベント(赤線内は消防レスキュー)が行われていた。
この一帯は巨大で斬新なデザインのビル群が林立するオフィス街・新市街地のようで、その大きさ美しさにびっくりした。
 
そんな晴れやかなオフィス街の脇に、古い町並みがあり、それに隣接して、巨大な奉恩寺があった。 

奉恩寺[ポンウンサ]
真如門                                四天王
 
                                    浮屠(仏舎利塔)など
 
法王楼
 
霊山堂
 
北極宝堂                               地蔵堂
 
地蔵堂中                               大雄殿 
 
鐘楼                                 普雨堂
 
                                   鐘閣
 
弥勒殿                                奉恩禅院
 
板殿
 
弥勒大仏
 
影閣
 
海水観音像                              凝香閣[供物の線香、米、ランタン、ろうそくなどを売っている]
 
5月21日は、旧暦の釈迦の生誕日で韓国では祝日である。
大古刹であるこのお寺では、写真には写っていないが、各お堂でたくさんの信者が僧と共に礼拝・読経していた。
韓国では、室外では合掌して三回ほどお辞儀をする。室内では、座って何度も礼・お辞儀をする。
スピーカーを通して流れる経にあわせて経を読んでいるのだが、ゆったりしていて、歌を奏でているかのようで聞いていて心地よい。
日本では、南阿弥陀仏、南妙法蓮華経などのお題目、般若心経が多いのだが、ちょっと絶叫的で慌ただしいのが多いのだが、
ここでは、何のお経かは私にはわからないが、騒がしくなくまことに穏やかでゆっくり読まれていたのがよい。

初めの予定では、10:40からの宗廟のツアーに参加する予定であったが、とても間に合わないので、
予定を変更して、南山公園・ソウルタワーを先に行くことにした。
手持ちのウォンがだいぶ少なくなったので、明洞の両替商で2万円をウォンに変えた。
空港で3万円を両替した時と比べると、札束がすごく少ないのでだまされたかと一瞬思ったのだが、
実は空港の時は全て1万ウォン札だったのが、今回は5万ウォン札が4枚も入っていたのである。
これ以降も私は、1万ウォン札と千ウォン札をしばしば混同し間違えた。

ちょうどお昼になったので繁華街の明洞のコンビニでサンドイッチや牛乳やおにぎりなどを買って、公園の木陰で食べた。
その後、ロープウェイ(韓国ではケーブルカー)でソウルタワーへ。帰りは歩くので、片道6000w。
エレベーターでソウルタワー展望台へ。8000w。
 
 
 
ソウルタワー一帯のフェンスには多数の鍵が。恋人と一緒に来て一緒に鍵を取り付けるとその愛がずっと続くというおまじない。
 
 
小学生の遠足か タワー前の広場  
 

急な下り坂を歩いて降りてしばらくすると安重根記念館のはずであったが、全面的建て替え中であった。
初代韓国統監であった伊藤博文を暗殺した、朝鮮の独立運動家・安重根は、韓国では英雄である。
 
 
以下二枚の写真は、2007年訪れた時のもの。
 

宗廟1000w[ガイド料込み]。14:40分のツアーに参加した。
宗廟市民公園で                           宗廟入り口
 
                                    香大庁一帯
 
斎宮一帯                               正殿
 
送り火を焚く炉                             永寧殿
 

ホテルに戻り、サウナ風呂に入り、夕食に出た。
トッポッキ[韓国の餅]で有名な、青丘の"シンダントッポッキタウン"に歩いて出かけた。
この通りに入ると、呼び込みは日本語であった。きっと私らのようにガイドブックを見て多くの日本人が来るのだろう。
 
具なし揚げ餃子、薄い薩摩揚げ、インスタントラーメン、ゆで卵や野菜が入っている。これをかき回してしまう。
日本語がわかる女性店員が、「辛さを少なくしました」、と言った。
どうも、韓国ではクッパでもビビンバでも鍋料理もぐちゃぐちゃにかき回してしむことが多い。19000w。
この一帯は、日常の暮らしの臭いが伝わってくるような下町で、たくさんの小売店が軒を連ね、
子ども達がアイスキャンディを口にしながら走り回っていた。
ここに来る途中、ホテルの近くに小さなスーパーを発見した。

シンダントッポッキタウンの通り                 途中のスナップ[大きな円盤が行きよいよく回る絶叫マシン]
 

さて、閑話休題
【韓国の地下鉄事情】
地下鉄は安く、路線も多く便利だ。地下鉄は、9ラインある。駅には番号が付いている。
例えば422と言えば4号線の22番の駅、東大門歴史文化公園駅というわけ。
料金は、切符を単独で買う時は1000w、"T-money"の場合は、初乗り900w、遠方の時は出る時加算される。
"T-money"=ICチップ式プリペイドカード、日本のスイカと全く同じ、バスも乗れる。     券売機など
 
カードデポジットは2500w、払い戻しは町中のコンビニGS25でできるが、駅では出来ない。
私たちは、払い戻しする時間が無く、日本に持ち帰ってきた。
改札のゲートはバーで、回転させて入るのだが、これが重く、荷物を持っていると入りにくい。

韓国では席が空いて入るとほとんどの人が座る。そうなのだが、シルバーシートがあるがそれと関係なく、
自分より少しでも年配者が来るとほとんどの人がごく自然に席を譲っていた。
だが、乗車する際は、降車する人を待たずに入って座ろうとする。ここらの事情が私にはおもしろかった。
2003年地下鉄火災で200人近くの死者が出た。車両の座席がステンレス製となり、防火対策が進められた。
 
車内で携帯でしゃべる人はいるが、少ない。携帯でゲームをしている人はほとんど見ない。
日本の耳障りで執拗な車内アナウンス「携帯は云々」がないのは何より良い。
車内電光掲示板の普及はまだ十分で無く、乗り換えの時は注意が必要だ。
ホームは全て転落しない安全な壁・ドアシステムなのが良い。
韓国の地下鉄は地下防空壕を兼ねていると言う説があるほど深いが、エレベーターの普及がまだまだで、階段の上り下りは大変である。
さらに、韓国の道路は道幅がすこぶる広く大きな交差点では横断報道がなく地下通路を使う。
地下鉄の乗り換え、道路の地下通路の階段の上り下りはとても大変で疲れる。
韓国の地下鉄でおもしろいのは、車内行商=販売である。
大声で商売する。以前は災害の時のペンライトやホイッスル、最近はビニールのレインコートや歌謡曲のCDなど。
隣に座った見ず知らずの人々がと男女間でも親しげに言葉を交わすのもおもしろかった。もちろん若い人ではないが。
乗換駅に来ると特定の音楽が鳴ってアナウンスがあるのもおもしろかった。
今回鉄道は利用しなかったが、鉄道は市内では発達していない。
日本の鉄道網は素晴らしい。鉄道の最高の良いところは、ランドマーク的=可視的と言うことだ。
街を歩いていて、鉄道の駅はとても見つけやすく、自分の位置を知るのがとても分かりやすい。北の方角は?などがすぐわかりやすい。
地下鉄の場合は、そうはいかない。方角などは全く見当が付かない。出口を間違えるのはしょっちゅうだ。
乗っていて、景色が見えるのは楽しい。
景色と言えば、地下鉄の車内ですごい広告に出合った。壁におそらく液晶画面が何枚も連ねられているのだろう。
走っている入り電車の中から、その広告が見えるのである。
                                                                【続く】              

ソウル-スウォン(水原)-カンファド(江華島)、8日間の旅 4

2010年05月24日 | 韓国の旅
5月15日・土・5日目
この日は、世界遺産の水原華城(スウォンフアソン)に遠出した。

朝食(コンビニ)

ホテルのある東大門歴史運動公園駅[422]から東大門で一号線に乗り換え、141(九老)で一号線の支線に乗り換え、
P154(水原)まで行った。料金は1800wだったと思う。
水原駅

駅前の観光案内所でシティバス(10時と2時の2回のみ)を申し込んだが、タッチの差で間に合わなかった。

水原華城入り口の八達門までバスで行き、その後華城列車(=トラム)出札口まで歩くことにした。
八達門

水原市場
 
途中に教会と仏教寺院が                          蒼龍門(案内所では15分位と言われたがとても遠かった。)
   
弓の体験場                              東将軍台
  
華城列車(1500w)                            華虹門
  
長安門                                西将台
  
お昼は華城行宮近くの食堂、隣の人が食べていた薄く切った餅の入ったスープと海苔巻き(値段は忘れた、安かった)  与民閣
 

華城行宮 1500w
新豊楼                                奉寿堂
 
奉寿堂の内部                             井戸
 
雲漢閣                                その内部
 
台所                                 記録師
 
楽器                                 お餅販売
 
新豊門前広場のイベントに出る踊り子が出番を待っていた。衛兵か。
 
衣装や鎧など                             衣装体験
 

水原観光は、ガイドブックの案内も少なく、また私たちの事前の情報収集も不十分だったため、余裕がありませんでした。
もう少し狭く、歩いて回れるのかと思っていましたが、とんでもありません。城壁内だけで2km四方はあります。
来たルートと逆で帰りました。ホテルで汗を流して、地下鉄で光化門駅に行き、早めの夕食を食べました。
記念碑殿                               そしてこんなモニュメントが
 
何という料理かわかりませんでした。店の外から見た時は上に乗ってるのが中華麺に見えたのだが、もやしでした。37000w。
 
コンロの右の皿には蛸が入っている。美味しいのだが辛い、私たちは、ボールをもらいそれに水を入れ、すすいで鍋に入れた。
韓国の人は、鍋に入れずに食べている人もいた。「茹でた蛸のキムチ」なのかもしれない。
おいしかったがちょっと辛かったので、喫茶店に入った。ホットコーヒーを頼んだつもりだったが来たのは
ウインナコーヒーであった。スティックが付いてきたのだがあまり細いので気がつかずスプーンをもらった。
それに気づいたのはトレイを返却しお金を払う段になってだった。
店員も、我々もにこやかに笑って。9800w。ヨーロッパでもそうだったが嗜好品は値段が高い。

少し時間があったので清渓広場に行った。 左は李舜臣将軍像、その後ろは景福宮の光化門・その背後の山の中腹に青瓦台。
  
 
かつてソウルの中心を流れるこの川は異臭を放っていたそうだ。ソウル市は大英断し大改造を試み、成功した。
今では、夏には子ども達が水遊びできるエリアもあるほど綺麗になり、老いも若きも集い、そぞろ歩く名所だ。

シティツアーバス夜景コースは光化門を8時出発、約1時間半かけて市内を巡る。5000w。
私は、名所前で立ち止まって少しは見せてくれるのかと思って少し期待していたのだが、ただ通るだけだった。
メインはソウルタワーで20分自由時間があることだった。多くの市民が、ソウルタワーからの急な坂道を歩いて下っていた。
 
私は昼来ているので少し情報があったが、初めての人はバス駐車場から展望台までは迷ってしまうだろう。
夕食の時ビールを飲んだのが失敗であった。この20分でトイレに入り、バスへ急いだのが良くなかったのだろう、
これまでの疲れも重なってこの夜、妻の体調が少し乱れた。

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【コーヒーブレイク】
私は、三年前の2007年7月13日~15日ソウルに観光旅行に来た。
三年前は韓国のエネルギーの激しさを感じたが、どこか危うさというか急ぎ過ぎを感じた。
が、今回は、韓国の成長の早さと確かさと落ち着き・成熟さも感じた。
こんなことを言ったら傲慢ではあるが、三年前は日本に追いつき追い越せと言うがむしゃらさ、
そして対北に勝つと言う切迫感が強かった様に感じる。
だが、今日日本と肩を並べたとまではまだ言えないが大いなる自信を獲得し、北との関係では負けないという自信も大きいと思う。
それは経済的面は言うまでもないのだが、政権交替などがそれまでは頻繁に起こってきた軍事クーデターによってではなく、
平和的に行われるという政治的安定・民主主義の確立が大きいと私は思う。
5月18日はテレビで光州事件追悼番組がたくさん流れていたそうだ(妻は国立中央博物館に行かず荷物整理をした)。
こうした事情の端的な表れが、街の看板などの漢字・英語表記が激減、ほとんどなくなったことと無関係ではないと私には思えてならない。
韓国のナショナリズムの静かなる、成熟の現れだと私は感じた。
金大中さんから始まった、日本文化の受け入れも自分たちの文化の自信の現れだと思う。
だが、それらは私にとってはすこぶる不便なことでもあった。
どういうことかというと、韓国語がわからない私は、例えば食堂に入っても注文するのはとても難しいのだ。
妻は、ハングルが少し読めるのだが、その意味を十分理解し、会話ができるほどではまだない。

前回は、片言の英語で聞くと英語が返ってきたように感じたが今回はハングルが返ってきた。
 
ソウル駅                               南大門市場
そして、時代が大きく変わったと強く感じるのは、『韓流ブーム』の素晴らしさである。
諸手を挙げて全て良しとは当然言えないが、かつて日本にあった、韓国・朝鮮に対する根深く・根強い差別・蔑視・偏見、
同時に、その裏返しとも言えかねない、韓国・朝鮮に対する屈折した自虐・自信喪失の双方によく働いたと私は思うのである。
韓流ブームがそれらを全て一掃・解決したとは言えないが、特に若者や熟年女性においては極めて明朗になったのは確かだ。
それは同時に、かつての日本と韓国・朝鮮の関係を全て水に流してしまっても良のだという危うさも当然持っているのだが。
楽観はできないがこうして紆余曲折しながら、日本と韓国・朝鮮の関係は少しずつより良くなっていくのだとつくづく思った。

《タクシー・バス・道路事情》
今回、タクシーは安いので利用するつもりだったが、ほとんど利用しなかった。
韓国の道路はとても広いので、センターの2車線はバス専用レーンになっていて、バスの利便性は極めて高いと思う。
だが、ハングルがわからない私たちには何行きなのかわからないのでなかなか利用できなかった。
車は多いのだが、前回のようにいつも渋滞という感じはしなかった。
前回は乱暴な運転が気になったが、今回はそれは感じなかった。
前回は一日一回は交通事故を目撃したように感じたし、私が乗ったタクシーも衝突されたが、
今回は一度も交通事故を見なかった。
それは車のボディに現れていて、前回の時はほとんどの車が傷だらけの印象だったが、今回は傷は無く、きれいであった。
車優先の事情は相変わらずで、横断歩道でもほとんどの車は止まってくれない。
韓国の道路は広いのだが、横断歩道が少ない。広すぎて一度の青信号では渡り切れないほどである。
それは、「有事」の時は、飛行機の滑走路に出来、装甲車などが通りやすいためと言われた。
大きな交差点では横断歩道が無く、地下通路を使って横断や右折することになる。
エスカレーターは少ないので、この地下通路の階段の上り下りはとても疲れるし、地下に入ると方向がわからなってしまうこともあるので苦労した。
怖いのは、バイクが歩道を走る事だ。韓国では車は右側通行、道幅が広いので左折出来ない交差点が多い。
その時バイクは歩道・横断歩道を走って車線変更をするのだ。
韓国では荷物運搬用にバイクがまだまだ多用されている。
だが、ベトナム・カンボジア・台北のようなバイクの洪水・氾濫はない。
地下鉄・地下通路、は便利なのだが、高齢者・障害者だけでなく利用者にかなりきついのは確かだ。
高齢者は、近場の時はおそらくバスの方を多用しているのではないだろうか。

《トイレ・水事情》
ヨーロッパや多くのアジア諸国ではトイレ事情がかなり悪いが、韓国のトイレ事情は全く問題無い。
メトロの駅、通路には必ず掃除の行き届いたきれいなトイレがあり、公共の場・観光地にもきれいなトイレがほとんどあった。
ウオシュレットは全く見かけなかった。トイレットペーパーは便器に流さないのが通常のようだ。
空港                                 南山韓国村
  
タプコル公園                             国立民族博物館
 
新村・現代百貨店

飲み水の心配も全く無かった。
水道水は飲まない方が良いと言われるが、食堂では日本と同じように必ず水が無料で提供され、
駅や飛行場などでは無料のウォーターサーバーがかなり普及してた。
また、コンビニ、キオスク、通りに小さな出店が各所にあり、500mlで500~800wで簡単に手に入るので、心配は全く無用です。

これは空港にあったものですが、同じものがホテルにもありました。

《街の風景/軍事色、食事・その他》
今回、軍を感じたのはたった一回あった。
地下鉄の独立門駅を降りた時、軍関係の車両が通るというので通行規制が行われた。それ以外は全く感じなかった。
町の中で迷彩服を着た若者がいたが一人または家族と一緒であった。それは軍服というよりファッションのように見えた。
前回は、空港内は撮影禁止だといわれた。これは前回撮った写真ですが、黒シャツの二人の男性は、交差点で立哨する警察官です。

道路の靴磨き屋さん、3000w。

食事は、概ね辛いですが、自分でかなり調節できますし、それほどではありませんでした。
おもしろいのは、多くの食堂が単品的、例えば、鶏鍋屋さんはそれだけ、トッポッキ屋さんはそれだけという感じが多かったことです。
焼き肉屋では、ニンニクを網の上で直に焼く店と小さな入れ物に油を入れてそれで揚げるお店がありました。
魚はほとんど食べませんでした。旅の終わりには、煮魚や焼き魚を食べたくなりました。
マグロ食べ放題という看板の日本食の食堂みたいな店を見ましたが、入りませんでした。
飲み屋風の食堂に入った時は、鯖を焼き肉のよう焼いて食べるようでした。出された日本語のメニューには、他は蛸だけ。
店員が、「蛸は辛い」と親切に言ってくれましたのですが、その店は結局入りませんでした。
後日、鍋料理を食べた時、真っ赤な蛸が山ほど出てきました。私たちは、水ですすいで辛子入りたれを除いて鍋に入れたのですが、
味はおいしかったのですが、それでもけっこう辛かったです。コンロの右にある赤いのが蛸で、その上がすすいだ水。

市場では、魚は豊富でしたので、日常的には魚は豊富に食べられているのだと思います。

《その他》
ソウル駅前地下通路

前回、ソウル駅前にはかなりたくさんのホームレスがいたが、今回はほとんど気にならない数であった。
町の通りに「物貰い」はいたが、ヨーロッパや他のアジアの国々とは比較にならないほど少なかった。

「円とウォンのレート」は、前回は100ウォン=約13円」、現在は100ウォン=約8円。
ほとんどのお店でカードが仕えました。
若い女性のファッションも日本と同じだと思いました。
短パンにスパッツ、下着みたいなスカートの下にズボンなどは韓国もそうでした。
しかし、電車の中で化粧する人は見かけませんでした。
男女のカップルでは、女性の方が積極的に男性の手を握ったり、肩を組んだり、髪を撫でたり男性に甘えていました。
ミニスカートも多かった。少しお年を召した女性はズボンが多かった。
Tシャツ一枚の人がいれば、コートを着ている人もいた。
気候は東京よりだいぶ過ごしやすかった。朝晩は上着があった方が良い。
日射しは強いので短いと日焼けが心配で、日中は長袖Tシャツ一枚だった。
最後の日に雨が降ったのだが、折りたたみ傘が多かった。また、地下鉄では傘をビニール袋に入れている人が多かった。
おもしろかったのは、地下鉄でも食堂でも傘を床に置く人が結構いたこと。
通りにゴミはほとんど落ちていませんでした。
自転車はほとんど見かけなかった。                                    【続く】

ソウル-スウォン(水原)-カンファド(江華島)、8日間の旅 5

2010年05月24日 | 韓国の旅
5月16日・水・6日目
→M534(鍾路3街)乗換M329→M327(景福宮)、景福宮[キョンボックン][3000w]、
→【歩】国立民俗博物館[クンニプミンソッパンムルグァン
→M328(安国)下車、雲峴宮[ウニョングン][700w]
→M329=乗り換えM130(鐘路3街駅)→M133(ソウル駅)下車、【歩】南大門・南大門市場→ホテル
    

朝食は、コンビニのサンドイッチ、ミルク、ミニトマト、バナナなど。

慶福宮 3000w
地下鉄慶福宮駅から慶福宮出口への通路(左は電話)  興礼門 (第一の門光化門は工事中)      衛兵
  
勤政殿                                                           香炉
  

思政殿
 

修政殿                                康寧殿           
 

康寧殿中                               カササギ               風旗台                               
  

交泰殿の峨眉山と煙突                         慈慶殿の煙突(塀の一部となっている)
 

香遠亭                                乾清宮
 

長安堂 (これと次は中国式建物である)                玉台楼
 

神武門                                ローラースケートを履いているのは警官である。   この先は、大統領官邸=青瓦台
  

国立民俗博物館(慶福宮チケットで入れる)         この右に立つ巨大な塔
 
エントランスにあるモニュメント
  
  
 
 
 
 
 
 


以下は、野外展示物
十二支像
 
                                   文人石・武人石
  
家畜に引かせる石臼
  


国立故宮博物館 [無料] 祭器
 
 
 
 
 
楽器
 
 
水時計                                火縄銃
  
 
雲ケン宮のある地下鉄・安国駅に行き、そこで昼食をとった。「ビビンバお願いします」というと、これが出てきた。
私がかき混ぜないで食べていると、食堂のおばさんがさっと寄って来て、ぐじゃぐじゃに混ぜてくれた。
スープの具は、ワカメではなく昆布であった。
 
インサドンキル通りは、日本人好みの細々したお土産屋街、筆やツボなどの高級品もある。
子どもが遊ぶ、日本の祭りの屋台のような出店も沢山あって大変な賑わいだった。
  
 
材料は何かわからなかったが、白いうどん状のものをのばしては束ねどんどん細くし髪の毛より細いお菓子の束ができる。
男性二人と客の掛け合いがおもしろく、結構売れていた。
 
                                    子供用ルーレット、チップの数が多く必ず当たるようで良心的。  双六のような遊びみたいだ。
  

雲ケイ宮(うんけいきゅう) 大漢帝国初代皇帝の父邸宅。700w
 
                                     真ん前に天堂教中央大教会があった
 

曹渓寺前の郵政局路大通りは鍾路タワーまで歩行者天国で、釈迦生誕日の様々なイベントが行われていた。
 

ソウル駅                                南大門市場 
 

夕飯は、ちょっとさっぱりしたいものが食べたいと、パンにした。ミニスーパーで果物を買った。
その途中、パレードに遭遇した。
東大門歴史文化公園駅上の交差点(片道4車線ある)。
赤線で囲ったのはクレーンで吊した巨大なスピーカーでした。交差点は1時間30分位通行止めでした。
何人かのバイクは警官と押し問答の喧嘩をしていました。
一団の先頭にはプラカードを持った人がいたようなので、地域ごとの参加だったのかもしれません。
どこまで行くのかわかりません、楽器を奏で休み無く踊っています。
お坊さんの集団のリーダーは、ホイッスルで昔のデモの指揮者のようでした。
笛に合わせ、シンバルのような鐘を鳴らし踊っていました。つくづく沿道の韓国の人と話せたら良いなと思いました。
 
 
 
                                                                  【続く】

ソウル-スウォン(水原)-カンファド(江華島)、8日間の旅 6

2010年05月24日 | 韓国の旅
5月17日・月・7日目
今日は、江華島(カンファド)へ遠出した。
この島は、1875年、日本が島の砲台を攻撃し朝鮮侵略を開始するきっかけとなった江華島事件の舞台となった島である。
江華島は、ソウルを流れる漢江が注ぐ黄海の入り口に浮かぶ大きな島で、今日その海域は北朝鮮との軍事境界線となっている。
周辺は、大小たくさんの島々があり、天然の良港となっている。
 
新川からバスで行く。約1時間40分、バス代は1800wであった。
バスターミナルというので大きな施設かと思って行ったのだが、それらしきものはなく通り越してしまった。
「バスターミナル?」と聞いたが?の返答が返ってきた。三人目が「あそこ」と指さしてくれた。それは普通のバス停だった。
私たちは、バスは切符を買って乗るのだと思っていたのだが、通常はメトロのカードでまず乗車し(900wが引かれる)、
降車する時、読み取り機にカードをかざすと追加のバス代が引き落とされるのであった。
だが、私たちのカードにはお金が残っていなかったので、乗車できずにウロウロしていると、
後ろの乗客が英語で3600wと言ってくれ、運転手も困った我々を現金で乗車させてくれたのであった。
ゆったりバスであった。                         こちらはバス停が10以上ある江華バスターミナルで、帰りの新川行きバス。
  
江華バスターミナルは大きな立派な施設だったが、インフォメーション窓口はさび付き閉まっていた。
ガイドブックには、巡回バスが一日9本走っているというので運転手さんに英語で聞いたが通じず、バス停がわからない。
ガイドブックを指さし、やっとわかった。
バスの乗車方法はここでもカード方式であったが現金で乗せてくれた。目的地に着いた時、乗客と運転手が「ここ」とジェスチャで教えてくれた。
草芝鎮(チィジン)、江華島事件の舞台となった砲台の跡だ。700w
 
 
さて、ここでタクシーに乗る予定であったが、タクシーは無いし、しばらく待っても通らなかった。
次の巡回バスは2時間後なので、バスでターミナルに戻ることにしたのだが、どのバスかわからない。
駐車場の若者が教えてくれた。違うバスが来ると、わざわざバス停まで来てくれて、「違う」と教えてくれた。
ターミナルに着いたらもうお昼だった。 海苔巻きを二本頼んだ。隣の人が麺を食べているので私は、「それも」と頼んだ。
それは具のないインスタントラーメンであった。少し辛かった。両方でなんと4000wであった。


これからはタクシーを使うことにした。数人の運転手がたむろする乗り場でガイドブックを示し「ハウマッチ?」と聞くと、
「メーター」との返事。私が、「1万w、2万w、3万w?」とメモを書くと、「2万」に○をした。
伝燈寺(チョンドゥンサ)。古刹である。 タクシー代は、1.7万wであった。
 
 
 
 
 
 
                                   立木に仏像が彫られていた
 
 
 
                                                                         僧の履く質素な履き物
  
入り口で待ってもらっていたタクシーで、江華支石墓へ。寺は南部、石墓は北部にあるので、2.2万w。

江華支石墓(カンファジソンミョ)、紀元前1000年頃から100年頃と言われる、巨石墓。
 
  
広大な一帯が再開発整備中であった。メキシコから一人で来ている老人と写真を撮りあった。
「メキシコにはティオキワカン遺跡など重要な遺跡がありますね。」というと、「ぜひ、来て下さい」。
タクシーに帽子を忘れたので慌てて駐車場を見ると先ほどのドライバーがいたので、帽子をもらい、「待っていて」と頼んだ。
ここで、江華島観光を終わり、タクシーでターミナルに戻った。0.8万w。
島の所々で、道の左右から水のシャワーが吹き付けられる。道路に段差があり車はスピードを落とす。
埃対策なのか、それともスピードを落とさせることが目的なのかは、?。
 

新川市場              現代百貨店10階のレストランで夕食、海鮮クッパのようなもの+ビール2本で2万wちょっとだったと思う。
                  これは辛くなく海鮮のダシがきいてとてもおいしかった。ウエイトレスは英語が出来てよく説明してくれた。
 
スーパーで妻が、キムチの元を買った。日本語の説明文があった。一つ4000wを二つ。
《後半から、食事代などメモするのをすっかり忘れてしまった。帰国してから、レシートを見るのがハングルなのでわからず、後の祭りだった。》       【続く】

ソウル-スウォン(水原)-カンファド(江華島)、8日間の旅 7

2010年05月24日 | 韓国の旅
5月18日・火・8日目最終日
朝から、かなり強い雨が降っていた。日本を出る時雨だったが、韓国では初めての雨だった。
妻はホテルで荷物整理。ホテル代はすでに日本で払っている。私は妻にホテルのチェックアウトを頼み、私一人で出かけた。

国立中央博物館 入場料は無料。
国立中央博物館入り口                       ソウル市中心・ソウルタワー方向
 
8時45分に到着した。あまりの大きさにびっくりした。野外展示場・企画展示室は時間も無くあきらめた。
9時開館、あたりに私一人、入場者は私だけで職員の数の方がはるかに多かった。しばらくして遠足の子ども達が来た。
1階の考古館・歴史観、3階の寄贈館・美術館1、2階のアジア館・美術館2の順番に回った。
                                                          塑造仏
   
傘の骨             枕と足座            甕棺                    大香炉
    
馬の鎧                                  12支像
  
   
                 石製龍頭                    青磁瓦
  
  

以下の三つは1~3階吹き抜けで展示されている。
月光寺塔碑             敬天寺十層石塔      仏画(2階分の大きさだ)
   
仏教彫刻
    
    
日本の法隆寺とそっくりの半跏思惟像[国宝]
      
金属工芸                                  以下、壺はほとんど国宝である、 国宝には写真右下赤線内に示すように、
                                        展示タイトルに"国宝"とある。
        
    
     
                                                                          角杯
      
                                                          アジア館/インド
     
                                    シヴアトパールヴアティー
     
                                                            ここから2階/寄贈館
  
青銅冑(1936年ベルリンオリンピックマラソン金メダリスト・孫基禎寄贈)  乾漆釈迦如来像頭部(金子量重寄贈)
   
美術館1
   
達磨大師
  
大急ぎで回っても3時間かかった、とても疲れた。
ホテルのチェックアウトを頼んだ妻と12時に喫茶店で待ち合わせをしていたので、遅れるとメールした。妻と合流し、食事。
プルコギ風クッパ、だいぶ甘い。テーブルに白菜と大根のキムチが入った壺があり、自分で取り出し、はさみで切って食べる。18000w。
 
ホテルに戻り預けていた荷物を受け取り空港に向かった。
搭乗手続きはスムーズで早かった。行きも帰りも荷物は預けず、手荷物で機内に持ち込んだ。
16:45金浦空港発~18:45羽田空港着、たった2時間のフライトなのに機内食が出た。
機内食は、往きとほとんど同じだったが、写真は撮り忘れた。もう良いだろうと二人でビールを頼んだ。
伊豆七島がきれいに見えた。

30分ほど待つことになるのだったが、ラッシュ時なのでリムジンバスで帰ることにした。リムジンバス利用は初めてだった。
高速道路は渋滞もなく、さいたま新都心駅前まで1時間、1500円だった。

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【お寺について】
訪れた仏教寺院は三つの大きな古刹だけでした。日本のように町の中に小さなお寺は無かったように思う。
日本では、高野山や延暦寺など密教寺院は比較的色彩が華やかだが、韓国の寺院はそれ以上に色彩が鮮やかであった。
寺院の仏像は金色が多かった。博物館の仏像は鉄製が多かった。
訪れた時期が、旧暦の釈迦生誕祭の週であったためだろうか、参拝信者が多く、その参拝の様子は日本とはだいぶ違っていた。
日本では合掌だが、韓国では立っている時は長い線香を持って素早いお辞儀を何度かする、
室内では座って頭を床に付け、両手の平を上に向けるお辞儀を何度かする。
また、皆で声を合わせてお経を読んでいた。これらの様子は台北のお寺とよく似ていた。
私が心地よかったのは、韓国語のお経だった。
テレビなどでは、~スミダの語調はかなり強いのだが、日本の集団のお経がちょっとカルトっぽい熱狂さがあるのに比し、
韓国のお経は、本当に"穏やかでゆったり"、心落ち着く調べで、あたかも「子守歌」のようであった。
提灯、飾り蝋燭、米や野菜、提灯、花などがお寺の入り口の売店で売られていて、お供えしていました。
特に色とりどりのたくさんの提灯が宙につり下げられるのは日本には無い様子だった。
御布施の値段が幾らかは興味があったが、さすがの私もそれを聞くことはできませんでした。
お寺では写真撮影はどこも自由でしたが、信者のお祈りの場面は控えました。
どの博物館でもフラッシュ・三脚を使用しなければ全てOKでした。

【ヨンビンホテルについて】

"楽天トラベル"で検索・申し込みました。
不満は無く、満足でした。
私たちがヨンビンホテルに決めた一番の理由は、交通の便と値段の安さでした。夫婦で泊まって一泊5000円以下でした。
最寄りの駅=東大門歴史文化駅は地下鉄2、4、5号線が通り、ホテルまで徒歩7分。3号線の東大入口駅へも徒歩約10分ちょっとです。
5番出口を出たところで辺りを見渡すと温泉マークが付いたホテルが見えます。
ホテル近くには早朝から開いている食堂・パン屋・コンビニのGS29があり、近くにミニスーパーもありました。
部屋はツインでしたが、ダブルとシングルの2ベッドがあり、部屋も広く、バスタブがあり、シャンプー・リンス・ローション・レザーは無料でした。
冷蔵庫・衛星放送テレビ・ドライヤー、無料のミネラルウオーター2本、廊下には水とお湯のサーバーがありました。
無料のランドリーサービスがあるようでしたが、私たちは利用しなで、下着だけを手洗いしました。
インターネットはランではなく別室・有料でした。
ホテル内にサウナと日本的大浴場があり、一室一泊に付き一枚の無料入浴券(5000w)がもらえます。
日本語が出来る職員もいます。
エレベーター内は薬草の臭いがしますがこれは2、3階にある大浴場の薬湯の臭いのようでした。
私たちが滞在中に新しいエアコンを取り付けていました。
不満といえば、室内にラン、ポット、スーツケースを乗せて開く台、セキュリティボックスが無いことでした。
ホテルのある通りの入り口に古紙回収の施設がありますが、問題はありません。

【費用について】
航空券は、H.I.Sで購入しました。代金は109,040(往復二人分)でした。
もっと安い航空券もあるようですが、確実に確保するために割高でも良いと、今年1月中旬に申し込みました。
ホテル代は34,587円、両替したお金は5万円、カードは4千円ほどでした。
お土産は、妻が買った韓国のり(1.5万w)と、巾着二つ(1万w)とキムチの元二つ(1万w)だけでした。
空港で巾着を買う時、残ったウオンと不足分をカードで払いました。
羽田までの交通費を加えても、二人で合計、202000円ほどでした。
お金はあまり使いませんでしたが、決してケチケチ貧乏旅行では無かったと思っています。

【最後に】
2007年に訪れた時、そのブログの最後に、
 今回の旅で、実現できなかった残念なことが三つある。
 一つは、国立中央博物館に行けなかったこと、
 二つは、お粥・ムルネンミョン[ピョンヤンが本場の冷麺]を食べられなかったこと、
 三つは、夜景コースのシティツアーバスに乗れなかったこと、
 この三つは、いつか妻と訪れる時の楽しみに残しておこう、と書きました。そのブログは、2007年/ソウルを参照。
今回その三つとも、実現したが、ムルネンミョン[ピョンヤンが本場の冷麺]はおいしくなかった、夜景のシティツアーバス
はちょっと期待はずれでした。
国立中央博物館、景福宮に付属する国立民俗博物館と国立故宮博物館の三つを訪れることができて良かったです。
反省点は、もっとゆっくり、のんびりと街を歩き、市民に道を聞いたり、話かければ良かったなと思うことです。
                                                 【終わり】