風そよぐ部屋

ウォーキングと映画の無味感想ノート

ウインター・ボーン/モールス

2012年01月30日 | 映画

秀作です。
ストーリーは単純です。
17才の少女リーの父親は麻薬の売人で、保釈中です。その彼が失踪します。
彼は、罪の軽減のために組織の秘密を供述し、組織から殺されたのです。
彼の遺体が見つからないと、保釈金が没収されます。
その担保になっている家や林も失うことになります。
リーは父親を捜し始めます。
付近の住民は事の真実を知っているのですが、誰も彼女にそのことを話しません。
組織の報復を恐れていることと、組織に地域が依存しているからからかもしれません。
母親は心を病み、弟・妹とまだ幼い。
彼女のひたむきさに、それまで非協力だった父親の兄が組織からの報復の恐怖を乗り越え、彼女に協力します。
映画は、今日の社会を象徴的に映し出しています。
家族の大黒柱が、職を失ったり、病気になると、貧困となるとたちまち、家や土地を失い、家庭が崩壊していきます。
リーは、父親の遺体を何とか探しだし、家と林の没収を免れることが出来たのですが、
収入の目途はなく、事態の根本的解決はされていないのですから、彼女たちの厳しさは変わりないのですが…。
暗澹たる思いが残るのでした。
小さい弟と妹の表情がとても印象に残りました。 
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これは、バンパイアものですからホラー映画です。
私は、この種の映画はほとんど見ないのですが、今回は成り行き上、終わりまで見てしまいました。
結末はどうするのか?だけが興味でした。
バンパイアのアビーは12歳ですが、ずっと年を取らないのだそうです。
いじめられっ子のオーウェンとアビーは「仲良く」なり、いじめっ子を殺した二人は逃亡の旅に出る所で映画は終わります。
アビーの父親と思っていた男は、実は昔仲良くなった人間の若者だったわけで、
彼は、彼女のために、人を殺すのですが年を取ったため、失敗し死んでしまいます。
彼は年を取りますが、彼女は年を取りません。
つまり、これが落ち=彼女は、年取って死んで行くパートナーを次々と新しくして生きていくのでしょう。
この映画は、かなり高い評価を得たそうですが、私には「名画座」で上映する映画ではないと思うのですが。【1月23日見ました。】


サンザシの樹の下で/シャンハイ

2012年01月23日 | 映画
 
主演のチョウ・ドンコイは、高校三年生という。何とも初々しい。
はにかむ表情はとても上手かったです。
おそらく中国文化革命の時代には、このような実話は、たくさんあったに違いありません。
文化革命時、人々の運命を大きく強く支配したのは、両親の出身階級でした。
革命運動で犠牲になった家系や貧農・労働者階級の家系の出身者は、ただそれだけで優遇され、
他方、民族資本家や日本人に協力した家系の出身者は、ただそれだけで過酷な運命が待っていました。
小さな失敗は命取りで、隣人やからの密告で、収容所に送られたり、「労働改造」の処罰を受けました。
彼らは生き残りのために、人一倍紅衛兵運動に過激に参加せざるを得ず、過去の親の「罪や過失」を告発さえしました。
そして、多くの若者が全国から北京に集まり、首都北京は大混乱し、地方の経済も疲弊するなどの弊害も生じました。
毛沢東は、「貧農に学ぶ」と称して、それらの若者を農村に体よく"下方"させることによって、この事態を乗り切ろうとしました。
多くの若者は、それを信じ、またそうせざるを得ずに農村に入って行きました。
その多くは、再び都会に戻ることが出来ず、多くの悲劇を生んだと言われます。
この映画の若い主人公達は、そうした時代の中で巡り会います。
出身階級の良い地質調査隊の彼、と父親が労働収容所に送られ、教師の母親が労働改造教育を受けている娘のお話です。
ストーリーは単純で、純愛のメロドラマです。
メロドラマの定番のすれ違いが多いのですが、ゆっくりと流れる時、は良いですね。
手を握って同じベッドで夜を過ごすと妊娠すると思うなんて、カマトト過ぎるのですが、
キスすら交わさないベッドシーンでした。
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大平洋戦争・日本の真珠湾攻撃前の日・米・ドイツ・中のスパイ合戦のアクション映画。
男性スパイ達の彼女・愛人がいずれも二重スパイなのが「ミソ」のようなのだが…、映画を面白くするための作為過ぎです。
渡辺謙演じる日本軍将校、銃で至近距離から撃たれながら生き延びてしまうんです。
人間関係は複雑ではないのだが、人間関係のもつれのストリーが活劇の展開で中断し、考える間もなく進んで行く。
可もなし不可もない、凡作と言うところでしょうか。


映画/木洩れ日の家で、海洋天堂

2012年01月18日 | 映画

原題は、Pora umierac(死んだ方がまし)、ポーランド。モノクロ。
残念ながら、私は佳作とは思えませんでした。
ストーリーはシンプル。
ワルシャワ郊外の生まれ育った古い屋敷で愛犬フェラと暮らすアニェラは91歳、双眼鏡で隣人らの様子を覗うことを日課としています。
健康に不安を覚え医者に行くのだが、「服を脱いで」の一言に怒り、帰ってきてしまったり、
一人息子には同居を拒まれ、隣家からは家を売ってくれと迫られ途方に暮れています。
もう一つの隣家は、若いカップルが音楽クラブを経営しているのですが、経営が危うい。
彼女は、自分が二階に住むことを条件にそのカップルにその家を譲ることにします。
そして、穏やかに死を迎えます。
主演のダヌタ・シャフラルスカは撮影当時、実際に91歳だったそうです。
自分が生まれ育った家で、最期の時を迎えたいという思い・拘りを、私はあまり良く理解出来ません。
息子が、この家で一緒に住むこともそんなに簡単なことではありません。
でも、彼がかってにその家を処分しようとするのもいただけません。
家族関係は、物事が静かに進行している時は問題無いのですが、死やお金の問題が絡んでくると一挙にシビアになってきます。
その時、想像力・行動力はとても衰えています。
老いを受け止め、自分の死をどのように迎えるかは、私にとっても大事なことです。
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原題は、Ocean Heaven、2010年、中国・香港。
この映画も、残念ながら私には佳作とは思えませんでした。
水族館に勤める王は、妻との死別後、自閉症の息子を育てて来ました。
自分が癌に侵され、余命が少ないことを知った彼は、息子を自立させようと奮闘するのですが…。
この映画には、善人だけしか登場しません。それは、やはり変です。
現在、社会の自閉症への理解が十分でなく、その啓蒙・偏見の軽減という思いがあったとしても、
自閉症の扱いは、私にはちょっとステレオタイプ過ぎると思いました。
息子役のウェン・ジャンの演技も決して上手ではないと思いました。
中国社会で障害者が置かれている状況、福祉の現状と不十分さの一端も垣間見た感じがしました。
【映画を見たのは、12月26日です。】

映画/人生、ここにあり!、未来を生きる君たちへ

2012年01月14日 | 映画

2008年のイタリア映画。原題は、Si Pio Fare(やればできるさ!)。
1978年、イタリアでバザーリア法が公布されました。
それは、世界初の精神科病院廃絶法で、精神科病院の新設、すでにある精神科病院への新規入院、1980年末以降の再入院を禁止し、
予防・医療・福祉は原則として地域精神保健サービス機関で行うという画期的法律です。
元患者は、病院付属の「協同組合180」に所属することになりました。
熱血・労働組合員のネッロはトラブルから組合を追い出され、この協同組合の職員に異動を命じられます。
テンポ良く、喜劇で描いたことが成功でした。
そうでなければ、シリアス過ぎて、お勉強もの・お説教ものになってしまうもの。
最初は、笑って良いのか躊躇していたのですが、こらえきれずでした。
常用してきた「精神安定剤」をやめると性欲も復活するようで、皆で売春宿の行くことになるのですが、その何ともおおらかなこと。
文句なしの秀作です。
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原題は、In a better world。2010年度アカデミー最優秀・外国語映画賞を受賞した、デンマーク・スエーデン映画。
これも文句なしの秀作です。
医師のアントンは、アフリカで医師をしています。彼の妻も医師ですが、アントンの浮気で、二人は別居しています。
アフリカのその風景は、私がかつて列車の車窓から見たエリトリアの難民キャンプに似ていました。
アントンの息子・マリアンは学校でいじめられています。
母親を亡くしたばかりのクリスチャンがその学校に転校して来ます。彼は、マリアンがいじめられているのを目撃します。
クリスチャンはアントンに近づき、友達となります。
しかし、クリスチャンは「やられたらやり返す」考えで、かなり暴力的危うさを秘めています。
物語は、アントン夫婦一家とマリアンとクリスチャンのつきあいで進みます。
マリアンの弟が、港で他の子どもとちょっとしたトラブルになり、仲裁に入ったアントンは、彼の父親に、殴られました。
クリスチャンは、その復讐を企て、その父親の車を爆弾で爆発させてしまいます。
このやり過ぎの演出は、暴力の連鎖は、エスカレートし、良い結果を生まないとの例示なのかは私には理解出来ませんが、
明らかに失敗で、もっと違う方法があったはずです。
日本の題名も、そして原題もちょっといかにも大げさすぎます。"In an another world" 位の方が良いと思うのですが。
アントン夫婦はこの出来事を経て、和解しましたが、彼がアフリカで目にする民族対立・紛争と、マリアンが経験するいじめなどとを、
「暴力の連鎖」で括ってしまうことは無理があり、できないと私は思うのです。
それらの問題はかぎりなく重く、私は悲しみと憎しみを越えられるのを想像できませんし、希望を見ることも出来ないのですが。
【映画を見たのは、12月19日でした。】

蘇我~東千葉を歩く

2012年01月12日 | ウォーキング
12月17日、蘇我~東千葉間を歩きました。
蘇我駅は、東京駅からディズニーランドの最寄り駅・舞浜を通る京葉線で行きます。
快速の本数も多く、東京駅から41分ととても早いです。京葉線が出来る前は、蘇我に行くには大変な時間がかかりました。


今井神社                        福正寺
   

千葉寺
  

本堂前大銀杏                            本堂
  
納経所                                                         錫杖塔
  
観音堂                           瀧蔵神社
 

妙導寺                                阿弥陀寺(浄土真宗)
 

光徳寺(曹洞宗)                                                 千葉盲聾学校発祥の地
  

東禅寺(曹洞宗)                           伊藤左千夫の歌碑
 

千葉城
  
千葉県文化会館
 
千葉城境内でコスプレの写真会が行われていました。
 

智光院                                胤重寺(浄土宗)
  

本敬寺                                大圓時
   

千葉神社
 
千葉天神
  
   【終わり】
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千葉の病院に友人が入院しています。そのお見舞いに行ったのです。
病院に着いた時、彼は休んでいました。30分ほどして行くとちょうど目覚めました。
私は、ベトナム・カンボジア旅行をしていたので彼と会うのは実に久し振りでした。
蘇我から歩いたよと言うと、ちょっぴりうらやましそうに、「都会人は歩くけど田舎の人間は歩かないな」と言いながら、
休憩室まで点滴台を引きずって歩き、しばらく話しました。
持病の不整脈が睡眠中に起きてとてもつらいんだと漏らしました。
体力が落ちているので、年末年始は抗がん剤治療はしばらく中止とのことでした。
彼の生への意欲は、旺盛です。

宮島・萩・津和野・錦帯橋・防府天満宮初詣ツアー

2012年01月07日 | 国内旅行
2011年12月31日から2012年1月2日、"宮島・萩・津和野・錦帯橋・防府天満宮初詣ツアー"(クラブツーリズム)に行って来ました。
東北/平泉の年末・年始ツアーに行きたかったのですが、良いのがありませんでした。
西日本への三つのキャンセル待ちのツアーを申し込んでいたところ、このツアーが最初に案内されたので参加しました。
ツアー客は42名、うち男性は8名でした。
最近のバスは、トイレが付いていたり、ゆったり座席で定員はもっと少ないのが多いと思うのですが、
40名以上の乗客を乗せるバスは少なくなっているのでしょうか、古いバスでシートベルトが故障していたのには驚きました。


12月31日
2011年12月31日、東京駅を8:13分の新幹線で広島に向かいました。
集合場所の、東京駅日本橋口はクラブツーリズムの年末年始ツアー客の専用待合室のようでした。
12:17広島に着きました。佐野洋子さんの「問題があります」を半分読みました。
そして新幹線内を歩いたのですが、グリーン車が3両もあり、うち1両は喫煙車でした。
この車両に入った瞬間、ものすごい悪臭でした。JRは、喫煙者はグリーン車を利用するべきだと言わんばかりに感じました。
JRは全席禁煙車両にするべきです。
新幹線の中で、申し込んでいた駅弁を食べました。

広島駅からすぐ宮島に向かいました。
 
宮島は以前行ったことがあるのですが、船で行くなどの行き方はすっかり忘れていました。
    
鎮火祭という祭礼があるようで、お店を回って寄付金を集めていました。  大しゃもじ
 
厳島神社のガイドは、紅葉饅頭のお土産屋の店員でした。今回のツアーでは、お土産屋の店員のよるガイドが多くヘキヘキでした。

下関の火の山公園の一時間で一回転する展望台にあるレストランで「ふく会席」の夕食でした。 
宿泊は、下関東急イン、でした。
  
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2012年1月1日
朝7時から、"高さ143mの海峡ゆめタワーで初日の出鑑賞"の計画でしたが、朝目が覚めると曇っていたので私は参加しないで、
ゆっくり、お雑煮・おせち料理の朝食を頂き、その後ホテル周辺を少し散歩しました。

セントバレンタイン教会(結婚式場でもある)             下関駅
 
駅前のモニュメント                        海峡ゆめタワー
 
海峡ゆめ広場
 

秋吉台
    

秋芳洞 入場料1200円
   
ベトナムで「フォンニャ洞窟」の壮大さに驚きましたが、秋芳洞はそれより大きく、きれいでした。
世界遺産ばやりですが、秋芳洞は世界遺産の価値が充分あると思います。
フォンニャ洞窟のライトアップはただ色彩が派手だけで大雑把でしたが、
秋芳洞のそれは観光ポイントをスポットで照明し、分かり易く、音声ガイドボタンを押すと説明が流れました。
その英語バージョンがあるかは調べず、失敗でしたが、日本人向けの細かい配慮とサービスを感じました。

昼食・秋吉台の"かっぱそば"(日本ソバを焼くのだが、私には美味しくなかった)。  大理石加工場
  
入寂寿円禅師坐像堂               禅師かっぱ            模型のこおろぎ
  

ここから、萩に向かったのですが、雨脚が強くなり、かなり暗くなってきました。
萩市内散策
 
このエリアは、南北300m東西150m位のとても狭いです。
これで萩市の何が分かるというのでしょうか。ここのガイドもお土産屋の店員でした。
 
続いて松陰神社に向かったのですが、神社に向かう道路が渋滞していました。
なんと、信じられないことに、女性ツアー客の中から、「松陰神社はパスし、早く津和野に行きましょう、多数決で決めましょう。」
私には、萩に来て、松陰神社に立ち寄らないなんて信じられませんし、
旅程に入っているポイントをスポイルかどうかを多数決できめるなんて、そのわがまま・傍若無人ぶりにはあきれてしまいました。
私を含めて数人が見たいと言ったので行くことになりましたが、もし多数決で決めたら行かなかったのでしょうか。
一部女性ツアー客の非常識・非見識もありますが、ガイド・添乗員の臨機応変さの欠如・智恵の無さこそ問題です。
彼らは、彼女らの意見を、そっとやんわり受け流して、軌道修正しなければならないと思います。
このツアーで一番のイライラでした。
松陰神社
 
松陰神社拝殿前は、雨中にも関わらず大変な込みようでした。それでも15分ほど順番待ちすれば参拝できたでしょう。
正面からではなく、脇から拝殿を参拝できたので、ここで引き返すことに私は拘りありませんでした。

津和野
  
ここのガイドも、お土産屋の店員で、鯉の話をたくさんし、駄洒落ばかりでうんざりで、いい加減にしてよ、でした。
早く津和野に来たいといった人の多くは、その鯉に夢中で、私には大きな溜息でした。

宿泊は、山口駅近くの湯田温泉・ホテルニュータナカでした。写真は撮り忘れました。
ビジネスホテルではなく、大浴場とスポーツジムのある通常の大きな温泉ホテルで、食事も豪華でした。
今晩は、ここで宿泊なのでお酒を少し多めに頂きました。お酒を多く頂いていたのは女性でした。 
 
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2012年1月2日

夜、雪が降ったようです。ホテルの部屋から。   朝食、お雑煮・おせち料理も豪華でした。 8時半、瑠璃光寺に向かいました。
 

瑠璃光寺
 
瑠璃光寺高台からの眺望

瑠璃光寺の国宝・五重塔


  
国宝の五重塔はきれいでした。
前夜、降った雪が朝靄になる景色はきれいでしたが、木に積もった雪が、溶けて雨のように降るのが困りました。

防府天満宮
 

錦帯橋
   
      

以上で観光を終わり、広島駅に向かいました。
広島駅で1時間半ほど待機時間だったので、喫茶店でワインを飲みながら佐野さんの本を読み、17:24発の新幹線に乗りました。
車内で、駅弁の夕食を食べ、東京駅に着いたのは、21:30でした。
ツアー料金は89,800円、その他オプションの弁当や秋芳洞入場料など3,700円ほどかかり、計93,500円でした。

毛利家は中国地方を一時その版図に収めましたが、関ヶ原の戦いで敗れたため、今の山口県一帯となりました。
それでも幕末までに、殖産に努め、その実勢は100万石ほどだったと言われます。
長州藩がイギリス海軍軍艦に攻撃を仕掛けた下関・関門海峡はとても狭く、小さな大砲でも届きそうです。
この地が、軍事的・経済的つまり政治的に重要な地域であることは容易に窺い知ることが出来ます。
ですから、のんびり回るととても面白い歴史的場所だなと感じました。
吉田松陰の松下村塾は多くの明治維新志士とその後の政治家を生み出しましたが、松陰神社は決して大きくはありません。
私としては、吉田松陰歴史館や松陰神社宝物館を覗いて見たかったです。
長州藩は、萩に城を築いたため萩藩とも言われます。
津和野藩は山間の3万石ほどの所領の小さい藩で、萩藩には含まれません。
厳島神社は安芸藩、錦帯橋は岩国藩でした。
安芸(広島)藩は大藩で、岩国藩は毛利家の一族で関ヶ原で徳川に味方した吉川家の所領です。

町中のガイドをお土産屋の店員に頼むというのはどのような理由があるか分かりませんが、
あまりにも安易というものでは無いでしょうか。しかも、今回は確か三箇所と多過ぎでした。
バスの駐車場、待ち合わせや集合時間などのことが関係するのかもしれませんが、決して良いことではありません。
ボランティアガイドはしゃべり過ぎだし、簡潔にポイントだけ説明出来るプロのガイド、その後自由とするのが良いのですが。
年末年始の一人旅、ちょっとした不満はありましたがのんびり楽しむことが出来ました。                 【終わり】