風そよぐ部屋

ウォーキングと映画の無味感想ノート

前橋を歩きました。

2012年06月29日 | ウォーキング
6月25日、初夏だというのに、肌寒い位でしたので久し振りにウォーキングに出かけ、前橋市内の一部を歩きました。

前橋駅前の地図を見ると、かなり広い道路が碁盤目状に通っていることが分かります。
群馬県は、軍需産業が栄えていたため、第二次大戦終戦間際に米軍の大空襲を受けて大被害を受けたそうです。
また、前橋藩は江戸幕府の老中などを出していましたが、利根川の氾濫で城が流されるななどして、一時廃藩になっていたそうです。
城下町でありながら、歴史的建物などや大寺院が少ないのはそのような歴史のせいで、古都とは感じません。高崎も同様でした。
さて、群馬県はさすがに遠いです。大宮・前橋間は在来線だと高崎線・両毛線を乗り継いで1時間半程かかります。
9時過ぎに家を出て、前橋に着いたのは11時20分、16時04分前橋発の電車で帰りました。
帰りの電車は学生で大混雑でした。最近の学生は、けっこう静かでおとなしいです。携帯やスマホやゲームなどお金もかかりそうで、親は大変ですね。
前橋駅                                 駅前の飲み屋の宣伝
 
上毛倉庫
 
永寿寺(日蓮宗、越前松平藩祈祷指南処)                                  
 
松竹院(曹洞宗)                            正幸寺(浄土宗)
 
正幸寺境内                              勝軍地蔵堂
   
養行寺(法華宗)                                                                鬼子母神堂
  
隆興寺(曹洞宗)                            豊川稲荷
 
東福寺(浄土真宗)
 
イエス・キリスト教教会                        大泉寺(浄土真宗)
 
世界真光文明教団                          前橋グレイス教会
 
是字寺龍海院(曹洞宗)
 
  
 
良寛像と十一面観音                         前橋藩主酒井家の墓
 
初代藩主の墓                            二代藩主の墓
 
長昌寺は工事中でした。
清光寺                                長壁神社
 
群馬県庁
 
前橋カトリック教会
  
虎姫観音堂                     利根川                                前橋城跡の碑
  
東照宮                                 厩橋護国神社
 
前橋公園                                グリーンドーム前橋
 
臨江閣(明治に造られた近代和風の木造建築・迎賓館として使われた)[建物内は休館ですが、庭園は入れます。無料]
 
  
源英寺(曹洞宗)                            稲荷神社
 
橋林寺(曹洞宗)
  
 
過日の雨を集めたのか、すごい水量の広瀬川          広瀬川美術館
 
大蓮寺(浄土真宗)の前の通りは門前町・商店街になっています。
 
弁財天堂
 
妙安寺(浄土真宗)                          熊野神社
 
前橋文学館(萩原朔太郎記念館)                              敷地内にあるポストに投函するとこの消印が押されるそうです。
  
駅から続く欅並木                          駅前に温泉があります。(600円だそうです) 
  
前橋は、以前から訪れたいと思っていた地です。もう少し古都を想像していたのですが違っていました。
戦争の傷跡が残っていない=区画整理されたかなり人工的街の感じですが、所々に大きな寺があり、楽しめました。
群馬県庁は、さしずめ現代の群馬県城と言った感じで、市民を抑圧的に見下ろしていました。
私が歩いたのはほんの一部でしたが、どこを歩いても水の流れる音が軽やかでした。
幅1メートルほどの水路があちこちで勢いよく流れ、注ぎ込まれる広瀬川・利根川の水量も豊富でした。
前橋藩城が利根川の氾濫で流され、治水できずに廃藩になったとは知りませんでした。
県庁脇に自民党県本部の豪華な建物が建っています。首相を多く輩出した保守王国も少しずつ地殻変動が起きているようではありますが。
6月下旬だというのに、立ち止まると肌寒い位の気温でした。日は全く射さず、曇り空でしたが、久し振りの楽しいウォーキングでした。
月曜日のため、いくつかの施設は閉館でした。街の人通りは少なく、ほとんど歩いている人と会いませんでした。           【終わり】

イスタンブール・サフランボル・アンカラ・ミラノの旅1/考古学博物館

2012年06月27日 | トルコとイタリアの街歩き
5月5日、日本を発って、イスタンブールに向かい、6月2日ミラノを発って。3日10時過ぎに帰国しました。
一人でイスタンブール・サフランボル・アンカラ・ミラノの街などを歩いて来ました。
現地から、簡単なブログを書いてきましたが、写真を2400枚以上撮りましたので、少し詳しく記して行きます。
旅行中簡単なメモを残しましたが、ほとんどは記憶に頼りますので、大きな誤りがあるかと思います。

 

日程は、次の通り。

10日間、イスタンブールの街をのんびり歩き、近郊の町を二、三訪れる予定でしたが、訪れたことが出来たのはエディルネの町だけでした。
次に、サフランの香りがすると言われる世界遺産の街・サフランボルの街を訪れました。
トルコの首都アンカラを4日間歩きました。
最後に、イタリア・ミラノに12日間滞在します。
"最後の晩餐"とブレア美術館を見て、ミラノの街を歩いてきます。
時々、電車で近郊の町、ベルガモ・ブレージャー・ヴィジェーヴァノ・ローディ・クレモナを訪れました。
カッパドキアやパムッカレなどは一度訪れたことがあるので今回ははずしました。

トルコ航空を使いました。
成田を30分遅れの12時10分に立ち、予定より10分早い、17時30分に、イスタンブールの空港に着きました。
飛行機の座席は、幸運にも往復とも非常口の所でした。おまけに隣は空席でした。
この席は、思い切り足を伸ばすことが出来ますし、座ったまま前屈も出来るほどゆったりしています。
機内食は2回出ました。
  
それから、荷物が出てくるのに1時間かかりました。
空港には、ホテルから迎えの車が来ることになっているので安心でした。
これは、おそらくホテル共同で運送業者に委託して、コースに分かれて各ホテルまで送るのだと思います。
私が最後になったのですが、ドライバーはここからは歩いた方が早い、私が案内すると言います。
最初は、一瞬怪しみましたが、道路工事や一方通行で大渋滞でしたので、了承しました。
ドライバーは、車を道路に二重駐車して、私のスーツケースを汗をかきかき運んでくれました。
ホテルに着いたのは20時を回っていました。
でも、まだ明るいし、ホテルは繁華街にあるので人通りもたくさんあるので、両替えと簡単なおかずを買いに出かけました。
Maywood Hotelとホテル前の通り(1泊70ユーロ・約7700円
  
 
バスタブも付き、湯沸かしポットと紅茶のティバッグがありました。
インターネットも無料で、部屋で使い放題でした。

5月6日、イスタンブール二日目
ホテルの朝食は、文句がつけようのない豊かな物でした。
 
 
そして私が選んだもの。

食材が本当に豊かです。欲張って、食べ過ぎないようにしないと。
ナイフを借りて、リンゴやキューィも頂きました。
また、リンゴ、オレンジ、バナナ、干しイチジクなどを頂いて帰り、おやつに頂きました。
朝食後、ホテルの周辺を歩きました。
トラムヴァイのスィルケジ駅[駅は、簡単な透明のフェンスで囲まれていて、改札口にカードなどをタッチして入ります。]
 
スィルケジは、旧市街地の中心地で、トルコ国鉄のスィルケジ駅も隣にあり、
 
 
いくつかの埠頭があるフェリーの拠点のエムノニュ駅もスィルケジ駅から300m程です。

ホテルから、スィルケジ駅までは200m程で、ホテルの立地条件もとても良いです。
市内バスターミナルでイスタンブール・カルトという日本のスイカみたいなプリペイドカードを買いました。

イスタンブールを離れる時には解約してプリペイドは戻ってきました。
スィルケジ駅の隣にあるジャーミィ
 
ホテル前の通り、左に50m程行くとホテルです。


さて、ここでイスタンブールの交通について少し記しておきましょう。

トラムヴァイ、地下鉄、フェリーが重要です。バスもたくさん走っていますが旅行者には難しいです。
トラムヴァイは路面電車ですが、鉄道の車両を三台ほど連結させた大規模なものです。
新市街地と旧市街地を結ぶピンクのカバタシュ線が中でも重要で、走る時、チンチンならぬカンカンと鐘を鳴らして走ります。
早朝から深夜までまで5分間隔程で走っていて料金は確か1.75TL。
私は何度もチャージしました。
新市街地には地下鉄が走っています。
フェリーも市民には必需で行く先によっていくつかの埠頭があって、概ね20分に1本ほど運行されているようです。
イスタンブールカードでフェリー、トラムヴァイ、バスなどが乗れます。
東西に長く延びる黄緑色のラインは、メトロブスです。
大型バスを2台ほど連結させて、高速道路の専用軌道を高速で走ります。
私は、ボスポラス大橋を渡り、郊外の景色を見るのに良いのではないか、一度乗ったのですが、大変な混みようで、
景色はあまり楽しめませんでした。
それから、どうしても触れておかなければならないのは、長距離バスの発着場=オトガルについてです。
ヨーロッパではオトガル=バスターミナルが市内中心にはなく、かなりの郊外にあることです。
イスタンブールでは、ヨーロッパとを結ぶオトガルが西のエセンレル・オトガル、
アジアとを結ぶ東のハレム・ガラジュの二つがあります。
ハレム・ガラジュには、エミノニュからフェリーで行きます。
ターミナルの規模は、とてつもなく大きく、エセンレル・オトガルなどは200程のバス発着場があります。
その他、いろいろな大衆的公共交通手段があります。
独特なのが、セルヴィスです。
バスのターミナルオトガルは町の中心から離れていることが多いのです。
そこでオトガルまで運ぶバス会社の無料バスのことで、その発着は町の中心にあります。
もう一つ独特なのが、ドルムシュ。
これは町中を走るバスで、満席にならないと発車しないハイエース型のミニバスです。残念ながら私は乗ることが出来ませんでした。

その後、ボスポラス海峡クルーズの埠頭と時刻などを調べ、
ガラダ橋を見て、一度ホテルに戻り、身支度を整えて、出発しました。橋の上ではたくさんの釣り人です。
橋の下は、レストランやお店になっています。この上をトラムヴァイが走っています。
 
ガラタ橋通路とトイレ
  
向こう側が、新市街地で高い塔が、ガラタ塔です。

一度ホテルに戻り、その後午前中は、トプカプ宮殿周辺を歩きました。
日曜日で、観光客と地元の人でものすごい混雑でした。
なんと、朝からビールを飲んでいました。      トラムヴァイと国立考古学博物館近くの通り
  

一番最初に国立考古学博物館を訪れました。確か10TL。
以前来た時も見たのですが、その時は気温も高く、時間が無く大急ぎでしたので、今回はゆっくり見ました。
入り口
 
  
古代東方博物館・装飾タイル博物館が同じ敷地内にあります。内部の写真は上に一つにまとめて入れました。
古代東方博物館                           装飾タイル博物館
 
左が国立考古学博物館、右が装飾タイル博物館       アレキサンダー大王の立像は展示されていませんでした(前回の私のブログから)
 
以前来た時は、中庭にカフェがありましたが、今回はありませんでした。

トプカプ宮殿入り口                          トプカプ宮殿前
 
トプカプ宮殿チケットを求める人々                 トプカプ宮殿・皇帝の門
   
                   アフメット3世の墓
  
アヤ・イリニ教会                           アヤソフィア博物館
 
トプカプ宮殿の壁                           アヤソフィアへの門(ここは閉鎖されています)アヤソフィアの尖塔  
       
アフェルアー神学校(現在は喫茶店等)                  
 
 
地下宮殿出口                            ゼイネプ・スルタン・ジャーミィ
 

昼食は、ウズガラ・キョフテ(ミートボールやサラダやライスなど19TL、ゆっくりいただき、ホテルに戻って、1時間ほど昼寝をしました。
 

午後も同じくスルタンアフメット地区を歩きました。
ツーリスト・ポリス                           地下宮殿入り口
 
MILLION(紀元前6Cの道路標識)、フィルズアー・ジャーミィ、
  
ドイツの泉             スルタン・アフメット1世廟
   
                  スカーフを貸し出すジャーミィもあります
  
ヒッポドローム(古代ローマ時代の戦車競技場)とテオドシウス1世のオベリスク    蛇の柱   切石積みのオベリクス
    
トルコ・イスラーム美術博物館(10TL)(ヒッポドロームに面してあります)
  
ブルーモスク
 
   
クルル・メフメット・パシャ・ジャーミィ
 
 
キュチュック・アヤソフィア・ジャーミィ
  
モザイク博物館(工事中)などを見ました。            この先がアラスタバザール
  
街の風景
   

午後は、行きも帰りも、トラムヴァイ(路面電車)を使いました。
日本語で話しかけてくる客引きは、本当に多いです。
ふと、相づちを打つとそのしつこいこと、断ると「貧乏人」と捨てぜりふを言う人もいました。
でも、ふつうの市民はとても親切です。
『地球の歩き方』の字はとても小さいのですが、〇〇を指さすと、メガネを出したり、目を細めて教えてくれます。
夕飯(ナスと牛肉を串に刺して焼いたもの、18TL)
【1TL=トルコリラは約50円】                                【イスタンブール二日目・5月6日終わり】

イスタンブール・サフランボル・アンカラ・ミラノの旅2/ボスポラスクルーズ

2012年06月27日 | トルコとイタリアの街歩き
イスタンブール三日目・5月7日
今日は、10:35エミノニュ埠頭発の『ボスポラスクルーズ』船に乗りました。帰りは、アナドル・カヴァウ発15:00。
(地図上帰港する港の位置は正確ではありません)
クルーズとは言いますが、現地ツアーではなく、ボスポラス海峡を北上して、いくつかの埠頭をジグザグに訪れ、
黒海近くのアナドル・カヴァウまで約1時間45分ほどかけて行く定期観光船です。
往復25TL(トルコリラ)=約1300円ほどです。
ちなみにボスポラス海峡クルーズは、いろろいコースがありますがい約80~130ユーロほどだそうです。
混むというので、10時半発ですが、9時過ぎに切符を並ばずに買うことが出来ました。
ベンチでしばらく休んで船着き場に戻ると、狭い船着き場は人であふれていました。
欧米人は、とかくアジア人を馬鹿にしますが、彼らのマナーも恐るべき低さです。
この行列で10人、20人前に行こうが関係ないのに、隙あらばと前にどんどん潜り込んでいきます。
人混みの中で、煙草を吹かすは、大声の携帯、大騒ぎ、おまけにキスやお尻を撫でたりですから。

エミノニュには、路線ごとに埠頭が複数あって、ひっきりなしに着くフェリーから大勢の通勤客が降りてきます。
 
エミノニュ埠頭からボスポラス大橋
 
 
イスタンブール現代美術館                    ドルマバフチェ宮殿
 
ボスポラス大橋
 
 
 
ルメリ・ヒサル                             メフメット大橋
 
 
アナドル・カヴァウは小さな港町ですが、黒海の入り口にある要衝で軍事施設もあるようです。
  
 

港から、15度から20度のすごく急な坂道を20分ほど汗をかきかき、休憩しながら登ると、
山の上に昔の砦があり、今はその名残が少し残っています。
小鳥のさえずりが絶え間ない緑の木々の木陰に入ると急にひんやりして、Yシャツを着ました。
ここから、黒海とボスポラス海峡を臨むことができます。
黒海
 
                                    砦跡とボスポラス海峡
 
 
 
 

ここの名物はなんと言っても"サバサンド"(5TL)です。 
フライパンで焼いた三枚に下ろした日本風の鯖の文化干しにオニオン、レタス、トマト、大きな辛いシシトウに
レモン汁をかけ、フランス風パンに挟んだサンドイッチです。
サバサンドは日本語訳ではなく、現地でもそう言われています。イスタンブールのあちこちで売っています。
港で、5TL(250円)のサバサンドを買い、砦跡の木陰で食べました。
 
フランスパンと鯖、ミスマッチのようですが、しょっぱすぎず、美味しかったです。
ホテルの朝食でもらったリンゴとオレンジもいただきました。
しかし、あとはこれと言った観光スポットは無いので砦跡の山を下り、港付近の喫茶店で、エスプレッソを頼むと、
ナント10TL、高すぎると抗議しましたが、ダメでした。
トルコで唯一ぼられた経験です。どこにでも不埒な人はいます。
帰りの船は、3時出航です。夏季は、一日二往復ですが大人気で、ほぼ満員だそうです。
帰りのガラタ橋、橋ぎりぎりにフェリーが通ります。
 
クルーズ船                             エミノニュ埠頭すぐ陸にあるイェニ・ジャーミィ
 
だいぶ日射しが強く、日に焼けちょっと疲れました。
でも、エミノニュ埠頭から町を少しのんびりと散策しながらホテルに帰りました。
途中でビールを買い、シシカバブをテイクアウトし、ホテルでゆっくりいただきした。18TL、ビール4.25TL
               【5月7日終わり】

イスタンブール・サフランボル・アンカラ・ミラノの旅3/ヴァレンス水道橋・カーリエ博物館

2012年06月27日 | トルコとイタリアの街歩き
5月8日、イスタンブール4日目となりました。
今日は、イスタンブール西部のアクサライ地区のローマ時代の名残のヴァレンス水道橋と、
同じくローマのテオドシウス皇帝が作った城壁をメインに観光しました。


トラムヴァイでアクサライ駅に出、
ラーレリ・ジャーミィ
 
スルタン3世廟        
 
ヴァーリデ・スルタン・ジャーミィ                   ケマルパシャ・ジャーミィ
 
シェフザーデバシュ・ジャーミィ
 
イスタンブール市庁舎                         ブルマル・メスジット・ジャーミィ
 
                                          
ローマはやはり偉大でした。
ヴァレンス水道橋
 
  
レシャット・ヌーリー劇場                           消防博物館
 
町の様子
 
 
ゼイレック・ジャーミィ                           ファーティフ・ジャーミィ
 
ファーティフ廟                           ムスタファ・エフェンディ・ジャーミィ  ギュル・ジャーミィ
   
  

アヤ・ニコラ・ギリシャ正教会 
   
コンスタンティノープル世界総主教座(聖ゲオルギオス大聖堂)
      
奥の建物は、かつてコンスタンティノープル世界総主教座の付属の建物だったが今は高校
    
髭を生やした老けた若い人が、扉の後ろに手を回して鍵を開けて入ったので私も真似て入ったのですがどうも様子がおかしいので、
彼に、「教会ではないのですか?」と聞くと、「高校です」の返事でした。
   
 
スルタン・セリム・ジャーミィ
  
このジャーミィの前のスナックでランチ5TL
  
  

カーリエ博物館、モザイクがきれいに残っています。15TL
 
 
  
 
  
  
 

ローマのテオドシウス皇帝が作った城壁、これも圧巻でした。
 
 
 
 

ミフリマー・スルタン・ジャーミィ
    
治安が良くないとガイドブックにはありますが、日中なら全く問題ありません。
私は、住民に何度も道を聞きましたが、とても親切に教えてくれました。
地球の歩き方の地図は縮尺が大きくて、道がとても分かりづらかったです。
この日はけっこう気温が高く、アップダウンもあり、たくさん道に迷って、とてもたくさん歩きました。
さて、これはおそらくメトロのアクサライ駅だと思うのですが、
 
メトロのトプカプ駅→アクサライ駅でトラムヴァイのユスフパシャ駅に乗り換え、
早めにホテルに戻り、ビールを飲んで遅い昼寝を少しし、夕食のサバサンドをテイクアゥイ(こちらではこう言います)。このジャーミィも?
 
さて、ここで【モスクとジャーミィ」について】。
ジャーミィはトルコ語で大きい礼拝所、つまり英語のモスクとほぼ同じ意味。
アラビア語のマスジッドで「跪拝(きはい)する所の意味」がスペイン語メスキータとなり、英語のモスクとなったそうです。
例えば、ブルーモスクと一般的に言われていますが、本来は"スルタン・アフメット・ジャーミィ"、
目の前にあるアヤソファイアがピンク色なのに対して、ブルーモスクの建物内はブルーを基調としたタイルで覆われているため、
欧米人からそのように言われ初めたそうです。
私が、ジャーミィの場所を聞くと、度々私は、「あなたはモスリムか?」と聞かれました。
「私は、ブッティストです」と、答えると、にっこり笑って教えてくれました。               【5月8日終わり】

イスタンブール・サフランボル・アンカラ・ミラノの旅4/ガラタ塔・タクシム

2012年06月27日 | トルコとイタリアの街歩き
5月9日、イスタンブール五日目
昨日は、強い日射しの中たくさん歩き、足の指が少し痛むので、今日は、あまり歩かないで、イスタンブールを外還的に走るメトロブス
(バスの車体に似ていて専用レーン・専用軌道を走る)に乗って景色を眺めようと思っていたのですが、
天気予報を見ると最高気温19度、曇りなので、急遽予定を変更して、新市街地の中心地区を歩くことにしました。
午前中は、長袖Tシャツ・長袖カッターシャツでも涼しいので、ウインドブレーカーを着ました。
今日は、新市街地の中心・ガラタ塔、タクシムを歩きました。

トラムヴァイ・スィルケジ駅からカラキョイ駅まで行き、ヨーロッパで最も古いと言われるケーブルカーみたいな地下鉄=テュネルに乗ります。
駅はとても分かりづらいです。かなりの上り坂を登り、わずか3分でテュネルの駅に着きます。
カラキョイのテュネル駅入り口、3TL
 
終点のテュネル駅                         イスタンブールカード券売機(チャージ出来る)     中国人達でしょうか。
  
目の前にノスタルジック・トラムヴァイの駅があります。チンチン電車です。3TL、イスタンブールカードでは買えません。
チケットは、あらかじめチケットを買っておかないと乗せてくれません。こんな人混みの中を走ります。
  
緩やかな上り坂を10分ほど行くと、終点の新市街地の中心・タクシム広場に着きます。
 
この周辺には、外国の領事館がいくつかあります。
フランス領事館                            アヤ・トリアダ教会
 
タクシム緊急病院                           フィールズアー・ジャーミィ   チュウクルジュマ・ジャーミィ
  
  
トムトム・カプタン・ジャーミィ                    オランダ領事館
 
イタリア領事館一帯                        エクアドル領事館
     
ガラクサイ高校
 
魚市場                                      
  
レストラン/チチェッキ・パサジュ
 
私は、魚市場の安い食堂でイワシのフライを食べました。9TL。
  下は濃いトルコ珈琲を作っている写真
   
サンアントニオ教会
                ペラ博物館                              オランダ領事館
 
ロシア領事館                            スウェーデン領事館
 
すごい広告です。       この辺り、風景を思い出しました。3年前家族でトルコに来て泊まったホテル(グランドハリック)でした。
 
近くの広場では何かのイベントが行われていました。     スヴァ・シャロームシナゴーグ                  通りの先にガラタ塔が見えます。
  

ガラタ塔 エレベーターで登ります、確か12TL
 
ガラタ塔内レストラン                         塔からの眺望
 
 
ガラタ橋                                リュステム・パシャ・ジャーミィ
 
 

ガラダ・メヴラーナ博物館 [歌って踊るメヴラーナ教団の修行場と公演場所です。現在、公演は中断しているそうです。]5TL
 
笛(ネイ)や太鼓(クデュム)等が展示されています。
 
旋回舞踏のステージ
 
奥の扉は、ガラダ・メヴラーナ博物館の入り口。左の建物は廟になっていました。             
 
入り口幅1.5m程のバール、右はジュース屋            同じく入り口幅1.5m程の鍵屋(右半分はドアの裏側)
 
オクチュ・ムーサ・ジャーミィか カモンドの階段
  
オスマンル銀行博物館か                      アラブジャーミィ
 
ベレケット・イブラヒムパシャ・ジャーミィ              ユダヤ博物館(10TL、写真はダメ)
  
ユダヤ人博物館中扉      パンフから
     
夕飯は、マスとサラダをテイクアウトし、ホテルで食べました。17TL      カラキョイのトラムヴァイ駅
    【5月9日終わり】

イスタンブール・サフランボル・アンカラ・ミラノの旅5/メトロブス・グランドバザール周辺

2012年06月27日 | トルコとイタリアの街歩き
5月10日、イスタンブール六日目
天気予報は、正午頃小雨が降り、気温も18度位とのでした。
ちょっと疲れも出てきたので、午前中はイスタンブール郊外を走るメトロブスに乗ることにしました。
メトロブスとは、大型バスを2台連結した車両で、高速道路の専用道路を高速で走る公共交通機関です。

地図の黄緑色の路線です。
アジア側のソユトリュチェジメからアタチュルク空港近くを結んでいます。
私は、バスは、すいていて景色の良い郊外を快適に堪能できると勝手な期待をしていたのですが、全くの予想はずれでした。
ボスポラス大橋を渡るのですが、自分が乗っているのですから、その写真は当然撮れません。
でも、こんな写真を取ることが出来ました。黄色い線で囲ったのがボスポラス大橋です。
 
右車線は大渋滞ですが同方向の左の車線は、メトロブス専用なので空いています。
この路線は、イスタンブール郊外を半環状に走る高速道路で、中央分離帯の二車線がメトロブスの専用斜線です。
確か、片道3~4車線あったと思うのですが、慢性的渋滞のようです。
メトロブスもひっきりなしに来るのですが、座るなんてとんでもない、大混雑でした。
私は、乗り継ぎの良い所から乗り始めることにしました。
トラムヴァイでスィルケジからジェヴィズリバーまで行き、そこからメトロブスに乗りました。
メジディエキョイまでが[34番線]で、そこでソユトリュチェシメ行きの[34Z番線]に乗り換えるのでした。
乗り継ぎの中間点駅=メジディエキョイ駅

乗り換えは、同じ構内なので追加料金とはならず、45分ほど乗っても、前線1.95TLでした。
折り返したソユトリュチェシメ駅です。
 
大渋滞の一般車線を尻目に、ものすごいスピードで疾走するので怖いかったです。
景色に特別の絶景はありませんでした。
帰りは、メディエキョイで降りて、地下鉄に乗り換え、昨日歩いたタクスィムを通り、メトロのシシャーネ駅に出ました。
乗り継ぎは少し歩きましたが、親切な案内掲示板があって迷わず乗り継ぐことが出来ました。
カラキョイまで歩き、トラムヴァイでスィルケジまで戻り、チキンサンドイッチを買って、ホテルで食べ、1時間半ほど休憩しました。
この午前中の行動は、一軒無駄なようですが、この交通システムはかなり有効だな、との発見など結構面白かったです。
メトロや電車路線を作るよりはるかに安く出来るはずですし、すっかりイスタンブール市民の足になっているなと、感じました。

その後、グランドバザール周辺を歩きました。
書道博物館                                イスタンブール大学正門
 

バイェズィド・ジャーミィ
 
 
図書館                                 古本街
 
バザール内と車が入ることのできない周辺はこうした「運び屋」さん達が。 バザールにある21の門の一つ
 

バザール内にあるHocaPiriジャーミィ               
 
YahyaKeml博物館                             水パイプの喫茶店
 

Kucasinanrasa [廟]                             
  
 
  
地図上にバイェズィド塔という何の塔かよく分からないのですが、目立つが、高い塔があります。
あちこち探したのですが、巨大な壁が覆っていて、どうにも入り口が分からりません。
近くのお店の人にきくと、英語の話せないその親父さん、息子を呼んでくれました。
息子さんは、イスタンブール大学構内にり、大学正門でパスポートを見せて頼めば入れてくれるはずだ、と言うのです。
ガードマンは、はじめだめだと言ったのですが、写真だけ撮らせてと頼むと「5分間だけ」と、認めてくれました。
私の執念と、優しいお父さんと親切な息子さんと、何より太っ腹なガードマンの偶然によって、バイェズィド塔を見ることが出来ました。
イスタンブール大学本部                       バイェズィド塔         シュレイマニエ・ジャーミィ
  
カンタルジュラルジャーミィ                                                  この写真、良いでしょう。お気に入りです。
   
同じく地図に、トルコ・イスラーム博物館があるのですが、どうしても分かりません。
通ったちょっと老けた青年に聞きました。彼も分かりませんでした。
彼は、近くの屋台のおじさん、学校のガードマンにも聞いてくれましたが、分かりませんでした。
彼はすまなそうに、「私は日本が大好きです」と言い、私は「トルコが大好きです」と言って分かれました。
バイェズィド塔を教えてくれた青年の優しさの他にもう一人今日はすてきな青年に会いました。
グランドバザールやエジプシャンバザールは、魅力たっぷりですが後日ゆっくり回ろうと思い、
その後、エミノニュ方向=ガラダ橋方向{海側}に下って歩きました。
カンタルジュラル・ジャーミィ   アヒー・チェレビー・ジャーミィ     リュステム・パシャ・ジャーミィ
   
リュステム・パシャ・ジャーミィ中
  
エジプシャンバザール
 
バザールとイエニ・ジャーミィの周辺はかなり広大で、大混雑です。
イエニ・ジャーミィ
    HaticeTurhanSultan廟               Hidayetジャーミィ               PTT(郵便局)  
  

夕食は、ホテル近くに気に入ったロカタン(お酒のない大衆食堂)で、
ビーフ入りなす、チキンとポテトのサライとハーフサラダをテイク・アウェイして、ホテルで食べました。
美味しかったです。このロカタンの青年が気に入って二日連日でした。
22.5TLでしたが、20にまけてくれました。
他の店員も覚えてくれていて、握手したり、「明日もね」(多分)と声をかけてくれました。
           【5月10日終わり】

イスタンブール・サフランボル・アンカラ・ミラノの旅6/エディネル

2012年06月27日 | トルコとイタリアの街歩き
5月11日、イスタンブール六日目となりました。
今日は、ギリシャ・ブルガリア国境の町・ローマのハドリアヌス皇帝が築いた町、エディネルを訪れ、ほんの少し歩きました。


ヨーロッパの都市の多くは、郊外に向かいバスターミナルは市の中心からかなり離れた所にあることが多いです。
トルコでは、その郊外・遠距離バスターミナルを"オトガル"と言い、イスタンブールではそのオトガルが特に地下鉄の駅の名になっています。
スィルケジからトラムバヴァイで約30分のユスフバシャでメトロに乗って15分の所にオトガルがあります。
エディネル行きのバス停はなんと、115番、バス停がそれほどたくさんある巨大なターミナルです。

この反対側に同じ様な建物がもう一棟あります。
ですから、バス停を聞かれた方も細かいバス停の番号までは分からないので、あっち・こっちとしか言いようがないですよね。
大切なのは、バス会社の名前です。バス会社の事務所なら教える方も比較的簡単ですから。
また、同じ所に行くバス会社が複数あり、発車の時間によってどのバス会社にするか選ばなくてはなりません。
私は、何人かに聞いて初めてそのことが分かりました。発車時間が迫っているのでちょっと慌てました。
そこからエディネルまでは220キロ・高速道路で3時間の長距離でした。25TL、乗車前にチケットを買わないと乗れません。
乗車してしばらくして、手を消毒薬できれいにするサービスの後、飲み物[ジュースや水やチャイ]と小さなお菓子が配られました。
各座席には、飛行機の中のようなビデオが着いています。
 
途中一回トイレ休憩がありました。
でも、日本のように何分後までなどと言う細かい指示はありません。
途中の景色は特別の絶景ではなく、穏やかな農地が続いています。
 

次の写真は、エディネルのオトガルだと思うのですが。メトロとありますが、地下鉄ではなく、大手のバス会社です。
 
オトガルから市の中心までは、満席になって出発する乗り合いバス=ドルムシュで30分以上。あちこち遠回りするからです。2TL。
運転手が、どこまで行くのかと聞いいてくれましたので、地図で市の中心の中心を指し示すと、着いたとき知らせてくれました。
時はすでに12時半、市の中心という割にはすごく田舎町で、バス停の前に小さな喫茶店しかありません。
サンドイッチはあるかと聞くと、サラミソーセージとチーズを挟んでトーストしてくれました。チャイも頼み、3TLだったか。
トルコでは、サンドイッチを上から圧縮してトーストして、薄くすることが多いです。
ジャポン、ジャポンと皆に紹介していました。地図で近くの教会を指し示すと、英語のできる客を呼んできてくれました。
私が、いくつかのジャーミィの場所を聞いたので、モスリムかと聞くのでブッティストと答えました。
彼は、わざわざ通りまで出て、教えてくれました。
古い町の名残で、巨大できれいなジャーミィ(=モスク)がたくさんあります。
セリミエ・ジャーミィ
  
セリミエ・ワタフ博物館 無料ですが、入る時、国籍を聞かれました。
  
   
   
  
トルコ・イスラーム美術博物館は閉鎖されています。
考古学博物館 セリミエ・ジャーミィの外にあります。入りませんでした。
  
                                     別角度からのセリミエ・ジャーミィ
 
セリミエ・アラスタ市場                         市役所
 
ミマール・スィナンの像                        この町は、箒作りでも有名だそうで
 
昼のサンドイッチが小さく、お腹がすいたのでチキンケバブサンド(1.75TL)を食べました。
エスキ・ジャーミィ
  

ソクルル・ハマム(トルコ式お風呂)、ミマール・スィナンが設計したと言われています。

ユチュ・シェレフェリ・ジャーミィ(左のミナーレがロウソクのようにねじれています。)
 
ちょうどお祈りの時間で、ちょっと失礼でしたが撮影させていただきました。
この人達がナザーン(お祈りの合図)を合唱します。左端の人がメインでした。私は、とても感動しました。
 
  
 
トルコ相撲(=ギュレシ、体にオイルを塗ります)の像
 

イスタンブールのオトガル行きの3時のバスの乗れるようにあわただしく戻りました。これは確かエディルネのオトガル

2時55分に着いたのですが、満員のため乗れず、次の3時30分発となり、アイスクリーム(1.5TL)を食べて、ウトウトしました。
チケット売り場では、パスポートの提示が求められ、チケットには名前と座席指定されていました。
イスタンブール・オトガルに着いたのは7時10分でした。そこからスィルケジまではもうマスターしているので安心でした。
遅い夕食をいつものロカタンで買い、ホテルでビールで食べました。
ハーフサイズサラダ、ズッキーニの上にほうれん草とマッシュドポテトの乗せた物をオーブンで焼いた物、
巨大なナスの上に挽肉を乗せて焼いた物の三品、約20TLでした。美味しかったです。
ビールは、近くのなじみになったマーケットで、少し高くて、500cc3.75TL。
      【5月11日終わり】

イスタンブール・サフランボル・アンカラ・ミラノの旅7/ドルマバフチェ宮殿

2012年06月27日 | トルコとイタリアの街歩き
5月12日、イスタンブール七日目
今日は新市街地にあるドルマバフチェ宮殿を訪れました。

トラムヴァイ1の始発・終点駅・カバタシュ駅で降りて、海岸沿いを15分ほど歩いたところにあります。

その手前に、大きくきれいなBezinialmValideSuitanジャーミィがあります。
  

ドルマバフチェ宮殿
入り口
  
10時に着いたのですが、たいした行列ではないのにチケットを買うのに15分もかかりました。
チケット売り場の窓口は一つだけで、全く急がないのです。
ここは、歴史的建物ですが、現在も現役の迎賓館で、その一部が開放されているのです。
それだけ警備は厳重でオフィシャルガイドと一緒でなければ入場できません。
そのツアーは、1時間ごとに催されるので、急いでチケットを売る必要がないのです。
トルコ語ガイドが10時30分、英語ガイドが10時40分でした。[透明のオーバーシューズを履きます。]
 
 
全景は大きすぎて入りません。過日の、ボスポラス海峡クルーズより
  
内部は写真撮影できません。パンフレットより

30分ほどでツアーは終わりました。
その後、ハレムを見るのですが、英語ガイドツアーは11:55、しばらく時間があったので庭園内を散策しました。
時計博物館(閉館)
    
クリスタル博物館(閉館)
  
ハレム                                           宮殿内のトイレ、今ではちょっと珍しくなって来たトルコ式でした。
    
治世ゲート                               同表側から
 
海側からの入り口

40TL(ハレム入場料を含む)高額のチケット料金にしては写真はダメ、しかもだいぶ待たされますので、かなりの割高感と不満が残りました。

この後、少し北上し、ベシクタシュ周辺を歩きました。しかし、路地が入り組み、地図も分かりづらくだいぶ迷いました。
イノニュ・スタジアム
 
何かの博物館                              海事博物館
 
スィナンパシャ・ジャーミィ
 
アサリエ・ジャーミィ           裁判所
 
バルパロス・ハイレッティンパシャ廟           写真を撮れと通りがかりの少年
  
カバタシュ埠頭に戻ると、アジア側にある乙女の塔が、遠くに見えました。

地図が分かりづらく、あちこち歩き回って、3時を過ぎになってしまいました。だいぶ疲れたので、ホテルに戻り、昼寝を少ししました。
夕飯は、顔なじみになったロカンタで、ビーフのケバブ、チキンのトマト煮、ハーフサラダをテイクアウトしました。
23TLを20にまけてくれました。
  
ビーフのケバブはいい塩加減で美味しかったです。このケバブの底には、薄く焼いたパンと薄塩味のピラフが付いています。
薄く焼いたパンは4分の一でいいと言うとトマトを入れてくれました。フリーで付いてくるパンはいらないと言いました。
一般的なロカンタ、「何にしようか眺めている」ト、いろいろ説明してくれます。「今日のお薦め」、がお薦めです。
さて、右の男性、この店のボーイですが、写真を撮れ、とのことでした。                  【5月12日終わり】

イスタンブール・サフランボル・アンカラ・ミラノの旅8/アヤソフィア・軍事博物館

2012年06月27日 | トルコとイタリアの街歩き
5月13日、イスタンブール八日朝一番でアヤソフィア博物館に行きました。

久し振りに朝食の写真を撮りました。


ホテルからゆっくり歩き、8時45分頃着くと30人ほどが入場を待っていました。25TL。
アヤソフィア博物館

アヤソフィア博物館の南にあるアフメット3世の泉      アヤソフィアの壁                  入り口の前の堀
  
さて、珠玉としか言いようのない美しいモザイクの数々をご紹介しましょう。
  
「聖母マリアの手形」と言われ、親指を穴に入れて回すと幸福になると言われています。全く待つことなく撮影できました。
アジア系の父子のシャッターを押してあげたので、私のも撮ってやると言われ、この旅で、唯一私の写真を撮りました。
でも、これは私のでありません。

アヤソフィアはいわばトルコの歴史を体現しているような建物と言えそうです。
元々は、ギリシャ正教の大本山でした。
その後、1453年オスマントルコ軍がコンスタンティノープルを陥落させ、イスラム寺院となりました。
イスラームは破壊するより、再利用の方が安上がりだし、有効だと考えたのでしょう。
イスラームは偶像崇拝を禁止します。
元々、ユダヤ教もキリスト教も偶像崇拝を禁止していたのですが、
キリスト教は、その大衆普及のためにキリスト像やマリア像、様々なエピソードの絵解絵画をどんどん作りました。
イスラームは、キリスト教のそうした偶像を破壊しないで、漆喰で塗りつぶしただけでした。
そのイスラームの偉大さの一つの現れが今こうして私たちの前に現れています。
20世紀になって、壁の中に当初の色鮮やかさを奇跡的に残してるたくさんのモザイク画が発見されました。
現代トルコの建国の父・初代大統領アタチュルクさんは偉い人で、ここを博物館として一般公開することにしたのです。
しかも、写真撮影だってOKです。
   
  
  
 
 
さて、入り口を入って左に二階に行く階段があります。これまでが序盤に過ぎないかのようなモザイクがあります。
 
  
 
 
 
  
これは、上の写真の右下にある、予想画です。        こうすると絵の大きさがわかります。
 
 
 
おそらく壁にもっとたくさんの絵があったのでしょう。
   
これは、破壊されて新たに描かれたものでしょう。
  
これは、売り物です。                        廊下にあるものです。
  
 
これは、出口の上にあります。
 
出口にある水飲み場               泉・手足を洗う所
  
アヤソフィアの中で、イスラムの書道=カリグラフィ展が行われていました。
書道と言うより、絵画・アートという感じです。

たっぷり1時間半見学しました。外に出ると、混み始めていました。
 

その後、地下宮殿に行きました。10TL。
元々は、地下の巨大な貯水池で、縦140m、横70m、高さ8mの広大なものです。
この施設は、入り口(左)と出口(右)が全く別の所にあるのもおもしろいです。
 
 
宮殿の奥にメデューサの首が二体あります。
  
この出口には、巧みな日本語で話しかける人がいますが、無視した方が良いようです。
その後、ブルーモスクに行きました。ブルーモスク、アヤソフィアは300メートルほど離れているのですが、どちらも美しいです。
 
一階の部分は、体を清める所です。
 
しかし、モスク内に入る人が長蛇の列を作っていたので、この見学は明日にしようと思いました。こちらはアヤソフィア
 
ぶらぶらホテルまで歩いて戻ることにしました。
イラン総領事館                              イスタンブール高校
  
ホジャ・カスム・ギュナニ・ジャーミィ               リュステム・パシャ進学校
  
ジャーミィ                                 イスタンブール県庁
 

途中でサバサンドを買って、ホテルで食べ、しばらく休憩しました。
さてどうしようとガイドブックを紐解くと、音楽隊のコンサートが3時からあるとのことなので軍事博物館に行くことにしました。
軍事博物館
トラムヴァイT1号線の始発駅・カバタシュへ、そこからタクスィムまではフィニクラで一駅、
タクシィムから地下鉄2号線で一つ目・オスマンベイ駅から歩いて5分の所にあります。
フィニクラとは、イタリアの歌でも有名な「フニクラ、フィニクラ」、ケーブルカーです。
 
 
  
博物館の展示もとても豊富ですが、音楽隊コンサートは素敵を通り越して素晴らしいの一言です。
 
 
 
  
 
モーツアルトのトルコ行進曲は、軽快なメロディですが、
独特な笛と太鼓のトルコ軍行進曲はどこか哀愁を帯びていて、勇猛です。
皆さんもお耳にしたことがあると思いますが、お聞きになりたい時は、次のピンクのトルコ軍行進をクリックするとYouTubeで聞くことができます。
トルコ軍行進曲
入場料は4TL、カメラ持ち込み代が8TLですが、60TLを出してもいいのではないでしょうか。
イスタンブールの観光名所はたくさんありますが、この音楽隊コンサートはその一、二にあげてもいいと私は思います。
10万を超えるオスマントルコ軍は、難攻不落・鉄壁のコンスタンチノープルを攻め落とすとき、
この楽隊の独特のメロディに導かれて進軍したと言います。
守る側は、絨毯のようなトルコ軍の映像と、耳には勇猛な音楽に、戦慄を覚えたに違いありません。
私も、鳥肌が立つほどの鮮烈さでした。

キリスト教徒側は、コンスタンチノープルは海側からの攻撃には難攻不落で、金角湾を鎖で封鎖し、船が入れないようにしていました。
何と、オスマントルコ軍は、オイルを塗った丸太をトロッコにして船の山越えをして、
金角湾の鎖の背後に侵入し、そこから艦砲射撃をしたそうです。
カルタゴ・ハンニバルのアルプス越え、マケドニアのアレキサンダー大王、ローマのカエサルと軍事的天才は、
我々が想像を絶する思わぬことをするものです。
私は、この軍事博物館に行こうとは全く思っていませんでした。
ブルーモスクが日曜で混んでいてキャンセルして、どうしようかなと、ふと思い立ったのでした。
どうしてガイドブックなどで大きく取り上げないのかなぁ、と不思議です。
午後3時からという限られた時間ですが、カメラなしなら4TL(200円)でこの感激が味わえるのに、です。

来た道順を逆に戻り、エミノニュのバスターミナルでイスタンブール・カルト(日本のスイカ)を解約(デポジットを払い戻し)し、
エジプシャン・バザールを覗いた後、歩いてホテルに戻りました。香辛料とスイーツの市場です。
 
 
    
イスタンブールも残すところ後一日、明日は一日グランドバザールをうろちょろする予定です。         【5月13日終わり】



イスタンブール・サフランボル・アンカラ・ミラノの旅9/グランドバザール他

2012年06月27日 | トルコとイタリアの街歩き
5月14日、イスタンブールも十日目、イスタンブール最終日となりました。
朝一番に、ブルーモスクに歩いて行きました。

ブルーモスク、アヤソフィアとも本当に美しいです。
この二つのモスクの間は3~400メートルほどでしょうか。
アヤソフィアは月曜日は閉館、昨日の混雑が嘘のように閑散としていました。
 
ブルーモスクは、外側が薄い水灰色で、中はブルーのモザイク模様のタイルがたくさんあります。

キリスト教のカテドラル(大聖堂、イタリアではドゥオーモ)や大仏教寺院はかなり、きらびかしさがあります。
所が、イスラームの礼拝場、英語ではモスク、トルコ語ではジャーミィは、それらとはちょっと趣を変えていると思います。
それは、イスラームが偶像崇拝を厳しく排除していることと無関係ではないと私には感じられます。
私には分からないのですが、おそらく神をたたえる文字や独特の幾何学模様で覆われております。
床は、絨毯が敷き詰められ、ステンドガラスで明かりを採っているジャーミィもあります。
多くのジャーミィは、靴を脱いで入ります。入り口に靴箱があるところ、中に靴箱があるところ、
大きなジャーミィでは間違えないように靴をポリ袋に入れるところもあります。
肩を見せている服を着ているに対しては、スカーフを入り口に用意しているジャーミィもあります。
多くのジャーミィには沐浴場とトイレがあり、多くのモスリムは沐浴して礼拝場に入ります。
 
トイレは、有料[0.5~1リラ(25円から50円)]ですが、町中たくさんジャーミィがあるので何よりです。
ジャーミィ・イスラームは厳しいイメージを持ちやすいですが、   別のジャーミィでの礼拝中ですが、
 
行儀良くしなさいと言うより、自然にこの雰囲気に慣れ親しんでいくのでしょう。
イスラームは、寛容でお祈りの時間・場でも写真を撮っても何とも言われません。
小さいもジャーミィでは、どこから来たのか・モスリムかと度々聞かれました。
私が、日本から、ブッディストと答えるとにっこりしてくれます。
  
 
 
その後、ブルーモスクの少し南側を少し歩きました。
カドゥルガ文化センター
  
ベフラーム・チャウシュ・ジャーミィ(スピーカーでしょうか) アルメニア教会
  
教会でしたが名前は?でした
 
シリア教会                                                    間口1m程の鍵屋
   

グランドバザールは、私は、前回は面白かったのですが今回は、全く面白くありませんでした。

前回はツアーでした。集合時間に間に合わず迷子状態になり大失敗でした。
その時は、カメラで門を撮して行ったのですが、門の番号が小さ過ぎて、市場の人に見せても分かりませんでした。
今回は門の番号が書かれた地図を用意しました。
バザールには門が21あり、それぞれに番号があり、門には必ずガードマンがいます。
迷ったら、とにかく出口に行て、門の番号を確認すればいいのです。結果、決して複雑ではありませんでした。
    
入り口には、必ずガードマンがいるので、困ったら聞くこともできますし、トイレも有料ですが、いくつかあります。
私がバザールが興ざめだと言ったのは、お店を覗くと店員がさっと寄って来て、日本語で話しかけたり、とにかくしつこいのです。
貴金属、バッグ、仕立て、雑貨、衣類などが通りごとに軒を連ねます。           オールドバザール

傾いたキオスク                           分かりづらいですがファッション小物   鏡屋
    
壁で囲まれたグランドバザールの周辺は日常品の大市場。おそらくイスタンブール市民はこちらを利用するのではないでしょうか。
とにかくここから、海岸までのエジプシャンバザールまで混然とした市場が続くのです。
靴屋                モデルガン屋(と思う)       ボタン屋            革製品の鋲屋
   
両替屋                                                         葉っぱに食材を巻く小道具の実演販売
   
焼き栗屋台                     トウモロコシ屋台
  

ロカンタに入って、ランチを食べて、ホテルに歩いて戻り、少し昼寝をしました。
ランチ後、フェリーでアジア側のカドゥキョイの町に行き、少し歩きました。
真ん中は、フェリーやトラムヴァイの一回のチケット(2TL)、お金ではありません。[20分位かかります。]
  
この紳士、フェリーの中で突然話し始めました。何かと思ったら「日本のチャッカマンみたいなライター」の行商でした。演説後、すぐ売れてました。
カドゥキョイのフェリー駅                     カドゥキョイ埠頭の中心街・チャルシュ駅(トラムヴァイ)
 
オスマン・アー・ジャーミィ                       
  
右上の丸い看板がトラムヴァイの駅の標                                              靴の型を保つ道具も売っていました。

映画館街
 
カドゥキョイの文化センター                                     町中に突如現れる遺跡
  
アヤトリアダ教会                           果物か野菜の皮をむいています。
 
何屋さんだったか座って入るのは本物ではなく写真です。  骨董屋の入り口の左は落書き、でした。
  
サルタン・ムスターファ・ジャーミィ
  
エウスフェミア教会                          アルメニア教会
 
ケトフダ・ジャーミィ
 
                                   靴屋街(一軒の店でなく通り抜けられます) ハイダルパシャ・ジャーミィ
    
表現は難しいのですが、ヨーロッパ側とはちょっと雰囲気が違うように感じました。

帰りのフェリーからの景色です。分かりづらいですが、左から、ブルーモスク・アヤソフィア・トプカプ宮殿です。

ガラタ橋とガラタ塔                          イェニ・ジャーミィ
  
この日は、最高気温が20度、風が冷たく、ステテコとベストを着ました。
いつものロカンタに行くと、全店員が出てきて握手。今日が最後だというと、またまた握手。
一人は、両頬を順番にを寄せ合う地中海式挨拶、髭の男が二人抱き合ってでした。私は、初めての経験でした
イスタンブールも最終日、明日はフェリーでハレム埠頭に行き、そこからバスでサフランボルに向かいます。    【5月14日終わり】

イスタンブール・サフランボル・アンカラ・ミラノの旅10/サフランボル1

2012年06月27日 | トルコとイタリアの街歩き
5月15日、サフランボル一日目
イスタンブールに別れを告げ、世界遺産の町・サフランボルを訪れました。

実は、昨夜、目覚ましをセットする段になって、明るいうちにサフランボルに着いた方が良いだろう、
ハレム・ガラジュ(アジア側の長距離バスターミナル)発9時のバスに乗ることにしました。
すると、エミノミュ8時発のフェリーにならなければなりません。
ホテルから埠頭までは500m程ですが、重いスーツケースを引っ張ってなので7時半にはホテルを出なければなりません。
ホテルの朝食は7時からなので間に合いません。そこで急いで朝食用のサンドイッチと牛乳とジュースとヨーグルトを買いに出かけたのでした。
朝5時半に目が覚めてしまったので、昨夜買った朝食を取り、7時20分にホテルを出ました。
すると、7時30分のフェリーに間に合ってしまったのでした。フェリー代は2TL。
左にブルーモスク、中がアヤソフィア、右がトプカプ宮殿
 
トプカプ宮殿

15分ほどで、ハレム・ガラジュに着きました。          バス会社オフィス
 
サフランボルまで行くバスは三社ありましたが、9時発はサフカル・サフラン社でバス代は35TLでした。
チケットには、9時出発・9:45出発とあるので、職員に聞くのですが、英語はわからないのでよくわかりませんでした。
でも、英語が分かっても理解は難しかったですね。
後でわかったことですが、バスの出発ターミナルにここを出発するのが9時で、そこからのバスの出発が9:45ということでした。
9時に乗れと言われたのは、ワゴン車で私一人、これでサフランボルまで行くのも悪くないなと思っていると、
バスの駐車場らしき所につき降りろと言われ、更にそこに止まっているバスに乗れと言われました。
そして重いスーツケースをトランクではなく車内に持ち込め、というのです。バス車内は、ゴミだらけでした。
しばらくして、他からきたバスに乗れと言われました。そう、これが本来のバスだったのでした。
トルコのバス事情を学習したつもりでしたが、予想外の出来事にすっかり狼狽したのでした。
途中何カ所かの大きな市(イズミットやアダパザルなど)のバスターミナルに止まり、客を拾っていきました。
12時近くになって、大きなサービスエリアに止まりました。
ピーマンにミンチと野菜を詰めたものとピラフで13TL、ちょっと高かったランチを慌ただしく食べました。
ランチを食べたサービスエリア         
 
バスの中の様子              前のおばさんはお昼過ぎ、コーランを小声で朗読していました
 
サフランボルのオトガルに着いたのは、15時15分でした。
そこからサフランボルの中心地・クロンキョイまで無料のバス(セルヴィス)送ってくれました。
セルヴィスの運転手にサフランボルの旧市街地の中心地=チャルシュを示すと、バス会社のオフィスまで運んでくれました。
オフィスの職員は、そこまでは2kmほどあるというので、私がタクシーの乗り場はどこかと聞くと、
タクシーを呼んでくれました。タクシーは14TLでした。
サフランボルの町は三つの地区、高台の住宅地・ドルムンシュが到着するクランキョイ・伝統家屋の中心地チャルシュに分かれているそうです。
パストンジュホテルは、ペンションという名が示すようにサフランボルらしい民宿風の建物でした。1泊約3100円。
   
   

 ここまで来るのでかなり大変だったので、こんな片田舎でどうなるのだろうかとちょっと心細くなったのですが、
完璧な日本語を話す息子がいて安心しました。
バスタブはありませんが、シャワー・トイレ付きはペンションでは珍しいそうです。冷蔵庫は付いていません。
部屋には、靴を脱いで入ります。床や階段も木製で、歩くとギシギシ音がします。
ドアの鍵の調子が悪いと言うと、ヤスリでこすっていました。
まず、インファーメーションセンターに行き、地図をもらいました。この職員も完璧な日本語でした。     インフォの前は警察
 
インフォの前は小さな広場になっていて、日本の東屋風の建物、その脇に
 
サフランボルの旧市街地は狭い地域で、3時間もすれば、一周できそうでです。
小一時間、中心地を散策しました。
こぢんまりした土産屋が軒を連ねています。
店をのぞいても全く声をかけられないのでのんびりのぞくことが出来ます。
 
マーケット
  
このマーケットは、この一帯のかつての古い町並みを残しているそうです。
 

これは大衆浴場、ジンジー・ハマム                   ジャーミィ
    
ジャーミィの入り口にはこんな張り紙が
  

ペンションの前の細く急な路地を登り切ると、フドゥルック・ヒルという丘があり、旧市街を一望できます。
 
 
かつてケルヴァンサライ(隊商の宿泊所)だった、現ホテルとレストラン(無料で見学できます)
 
  
[メモをなくしてしまい、ジャーミィやここの建物の名前が分かりません]
サフランボル歴史博物館                      時計台
 
また、丘の上には、世界遺産登録の碑が                               墓廟
  
サフランボルの伝統的民家
  
      
5時半を過ぎたので、ロカンタに入ると、日本語のメニュウがありました。
   
レンズ豆のスープとハンバーグを食べました。
ビールがありますかと聞くと、買ってきてくれました。[左のコーヒーカップがビールです。]
お茶=チャイを頼むと、これも出前でした。14TLでした。店の片隅で、家族が何か作業をしています。
何かの葉っぱに香辛料みたいなものを巻いています。写真に撮れとい言われました。
 
ロカンタではビールは売らないのがルールで、チャイは別の業者、つまりそれぞれが棲み分けをしているのでしょうか。
顔見知りの人が来ると握手して挨拶するのですが、その後、つまようじをたくさん失敬して行ったり、
また、お菓子屋に入った人は、お店のお菓子を一つつまんで出て行ったり、とても和やかな感じがしました。
まだ明るいので、もう少し歩きました。
木工品のお土産屋、箱を修理していました。  手縫いをしていました。      ガラス工芸の実演販売
   
ホテルの戻ると、ちょっと前に1年3ヶ月の兵役を終えたばかりの息子のアリさんが楽器を弾いて歌っていました。右はおじいさん。
                   【5月15日終わり】

イスタンブール・サフランボル・アンカラ・ミラノの旅11/サフランボル2

2012年06月27日 | トルコとイタリアの街歩き
5月16日、サフランボル二日目

5月16日、今日はスフランボル郊外を巡るホテルのツアーに参加しました。
参朝食は8時から、普通のいわゆるコンチネンタルブレックファーストでした。

民間のツアーは13時半からで、40TLですが、3人以上集まらないと行われません。その時は、タクシとなりーツアー90TL。
ペンションの個人ツアーは100TLとかなり高めですが、9時からなのでこちらを申し込みました。
はじめに、サフランボルの人々の多くがここの出身者という古村・ヨルック村に行きました。
とても過疎で多くの家が手入れされていないようで、多くの人が住んでいる気配が感じられませんでした。
ヨルック村は古村で、ソフランボルの多くはこの村の出身だそうです。
 
一番最初に、博物館になっている個人の家にいって、そこで鍵を借りて昔の共同洗濯場に行きました。
今は全く使われていませんが、とても広く大きく、昔の生活が感じられておもしろかったです。
 
博物館は今も現役の住宅で、館守は元気がよくおしゃべり好きなおばあさんでした。
冗談が好きで、僕と一緒に日本に行っても良いとか、穴のあいた靴下を見せたりしてくれました。
家の最上階に、見晴らしの良い小さな部屋があってそこでお茶を飲みました。
 
 
昔のお風呂とトイレです。中にお湯を沸かす装置がありました。
  
石鏡と言われる鏡もおもしろく、指先を鏡につけても指先と鏡の間に隙間が出来て映し出されるのでした。
   
その後、キャニオンに行きました。
 
カッパドキアのような迫力はありませんが、今では小さな川が年月をかけて作り上げた渓谷です。
 
この井戸は、今でも飲むことが出来ると言われ、飲みましたが想像したより冷たくはありませんでした。  
ローマが作り、オスマントルコ時代に改築されたと言うインジェカヤ水道橋に行きました。
  
川底に行く途中には、犬あり、馬ありでした。   馬の上空では、展望台の工事中で、梁の上を人が行き来していました。
    
   
川底に降りる門(1.5TL)              水道橋の上を歩くことが出来ます。もちろん私も歩きました。
 
幅は、1.5メートルほど。手すりもなく、もちろん自己責任で歩くのですが、日本では全く考えられないことです。
 
ブラク・メンジリス洞窟(ブラク村を流れるメンジリス川の鍾乳洞)
展示は、まだ発展途上という感じです。全体で6kmもあるそうですが、開放されているのは400メートルで迫力不足です。
1.75TL。来訪者が来ると、入り口の頑丈な鍵を開け、電灯を点けてくれます。
   
このツアーの各地は、かなり離れたところにあるので、ツアーかタクシーを頼むほかありません。
ぜひ見なければならないと言うほどの絶景では無いかもしれませんが、水道橋と共同洗濯場はやはり一見したいです。
12時半にペンションに戻って、ペンションのお母さんの手作りランチをいただきました。
小さい餃子のようなマンティ(ヨーグルトとトマトソースをお好みで)、サラダ、ポテトとビーフの煮込み(14TL)
 

ペンションでしばらく休憩して、散歩に出かけた。
これは、今はホテル・レストランとなっているケルヴァンサライ(隊商の宿泊所)、中を見学でき、3階に上ることが来ます。
  
テレビでしょうか、撮影が行われていました。(後述の谷底から帰ってから) 
 
歴史博物館
   
     
  
 
外に出ると、若い女性が模型の展示物を制作していました。 博物館隣の時計台   博物館後ろの昔の刑務所跡(今レストラン)
  

私は、博物館のお城のつづら折りになっている崖のような坂を谷の底まで降り、渓谷の橋を渡り、対岸に渡ることにしました。
     
  
住民、特に学生がこの渓谷を横断し、急な坂道を上り下りしていました。対岸は、かなり大きな町で、
おそらくクランキョイ(バス会社などがある)ではないかと思います。確かスーパーや、現代的集合住宅などもありました。
高校などもこちらにあって、学生は歩いて通学するのではないでしょうか。
路が狭く、バスなどはとうてい通ることはできません。車は少し遠回りでも舗装された道路を使うのでしょう。
帰り道、私は、何度も休憩しながら、でも古村の風景を楽しみながら、フウフウしながら戻りました。
歴史的建物(今は、ペンションとして使われています)
 

夕飯は、サラダとイチリ(ミンチをパン生地で包んで揚げたもの)  お店の片隅で、そのイチリを作っていました。
 
ペンションに帰ると、お婆さんとお母さんが、具をブドウの葉っぱ包むヤブラック・ドルマス(確か)を作っていました。

サフランボルの町は、スペインのクエンカにどことなく似た感じを持っていました。
クエンカの方がはるかに規模が大きくダイナミックですが。
サフランボルの旧市街は、古い町並みを共同して保存に取り組んでいるようです。
町中、お店の薬草と香料の香りが漂っています。お店を覗いても全く声をかけられず、とても穏やかな時が流れています。
ただ、ここへのアクセスは簡単ではありませんし、ツアーに参加しないと郊外の観光は難しいのが難点です。
明日は、アンカラ。
イスタンブールのロカンタのボーイさんに、サフランボルでも、アンカラは一日か二日でよいと言われました。
でも、まぁ、ゆっくり町を歩くとしましょう。                                  【5月15日終わり】

イスタンブール・サフランボル・アンカラ・ミラノの旅12/アンカラ1

2012年06月27日 | トルコとイタリアの街歩き
5月17日、サフランボルからトルコの首都・アンカラへ移動しました。 


ペンションからタクシーでバス乗り場に行く駅まで行きました。(12TL)
そこからバスの発着場まで、バス会社の車で行き、10:45。
そこから、バスのターミナル・オトガルにバス会社の車で向かい、バスの出発は11時でした(バス代は25TL)。
車内で、クラッカー、水、二回のお茶のサービスがありました。飲み物は希望すればいくらでももうことが出来ます。
途中、いくつかの駅に止まり、12時30分近くにサービスエリアに入りましたので、薄いパン(ラフマジュン)を買いました(2TL)
サフランボルのオトガル

1時15分頃みるみる空が暗くなり、インドシナ半島のスコール以上のすごい雨が10分ほど続きました。
この雨は、私がこれまで初めて経験した猛烈な雨でした。風呂桶をひっくりかすような雨でした。

ワイパーなど全く効果なしでした。それでもバスはほんの少しだけスピードを落として進むのでした。
10分もすると嘘のように晴れ空となりました。
アンカラのオトガルはアシュティ(A.S.T.I.)に着きました。このオトガルは、アンカライト路線という地下鉄と直結していてとても便利です。
アンカライト乗り場へ行く途中で、『アンカライトトメトロと市営バスの共通回数券』を売る呼び声がしたので、立ち寄ったのですが、英語が通じません。
すると後ろのお客が英語で通訳してくれ、10回券を無事買うことができました。
彼は、どこから来たのか、どこに行くのかと聞くので、駅名を書いたメモを見せると、一緒に行こう、付いてこい言ってくれました。
私は、クズライという駅でメトロという名の地下鉄の路線に乗り換え、
二つ目のとても長い駅・アタチュルク・キュルテル・メルケズィ(アタチュルク記念会館駅とでも言うのでしょうか)で降ります。
そのまま乗って行くの先ほどの男性は、私に、クズライ駅だ、乗り換えだ、と言い、私は彼に御礼を言って分かれました。
メトロ駅のホームに向かうと電車が待っていました。
私は、乗り込んで降りる駅名を書いたメモを入り口にいた男声に見せると、彼は頷き、駅に着くと教えてくれました。
この乗り換えは、一枚の切符で良いです。

私の泊まるホテルはANGORA Hotelはメトロの駅を地上に出ると、目に入りったので安心しました。4泊180ユーロ。
 
  
私は、チェックイン後、部屋をチェックしたのですが、四つ星などと威張っている立派なホテルなのに、バスタブの栓がないのです。
今回、私は辞書を持って行かなかったので、バスタブの栓を何というのかは分かりませんでしたが、
イラストに描いてレセプションに行って説明すると、メンテナンスを送るというのです。しばらくするとメンテナンスが来ました。
彼はシャワーのお湯が出ないと思ったらしいのですが、栓がないと説明すると、うんうんと頷いて帰っていきました。
栓を持ってくると思って待ったのですが、しかし、20分経っても音沙汰がないので、再度レセプションに行き、再度説明しました。
しばらくして上司らしき人が来て言うには、トルコではバスタブは使わない、栓は無い、と言うのでした。
私の英語力では、これ以上の説明・抗議は無理なのであきらめたのでした。
しかし、やはり文化や言葉の問題ではなく、ホテル側のサービス精神の希薄さがやはり問題だと思います。
いやはや、栓のないバスタブとは、宝の持ち腐れです。
このホテルのもう一つの問題点は、壁が極端に薄いのか隣の部屋の音が響くのです。深夜の騒音には、本当に困りました。
私は、足で栓をして洗濯とシャワーを済ませ、夕食の店を探しながら、ホテルの近くを散策しました。
すると、ホテルの近くは、バスタブやシンクタンクなどを扱う店が多いのでした。
ある大きなお店には行って入って、図を書いて説明すると栓だけは売っていないと言うのです。
そして、プラスティックでできたパイプを持ってきてセットだと言うのです。
恐る恐る値段を聞くと4TLなのでちょっと高いかなと思いましたが買いました。
これも文化の違いなのでしょうか。それとも私の英語力の問題なのでしょうか。
ホテルに戻って、レセプションに栓を見せると笑うだけでした。よほど変人に見えたのでしょうね。
実は、このホテル、実ははかなりいい加減なホテルでした。
インターネットの使い方を聞くと、セキュリティもパスワードも必要ないと言うので試みました。
私が何度試みてもつながらないので、パスワードが必要のようですというと、やっとセキュリティとパスワードを教えてくれました。
夕食は、ハーフサラダとチキンのケバブにしました。
こちらは水をあわせて11TLでした。計算違いかなと思うほどやすかったですが美味しかったです。

ケバブの下に、ピザの生地を焼いたようなラフマジュンとトマトの後ろにピラフが少し乗っています。
つくづくビールやワインを飲みたいなと思いました。でも、ビールやワインのある高いレストランの食事をしようとは思いません。
帰りにビールを買って、ホテルで飲みましたが、お腹がきつくなると残念ながらビールは全く美味しくなかったです。
途中にスーパーがあったので、ヨーグルトとデザートのオレンジを一個買いました。
果物は量り売りでした。レジの人がどうすると店員に聞くと、彼はリンゴで目方を量ってレジに届けてくれました。
アンカラの初日は、重大ではないが、ちょっとしたアクシデントというか生活習慣の違いにどぎまぎし、
それ以上に、人なつっこいトルコ人の優しさにもたくさんふれ、私は不思議な暖かい気持ちでした。
アタチュルクの像のある広場で、写真を撮っていると、掃除の人はにっこり笑ってくれました。
  
これはスーパーではなく市場の風景
  
  
通りで目があった青年もメルハバ(今日は)と声をかけてくれました。
夕飯を食べたロカンタの店員も言葉が通じなかったのですが、面倒がらずにあれこれ教えてくれましたし、
スーパーの店員はオレンジ一個にも優しく対応してくれました、といった楽しさでした。
このホテル、問題はありますが、ロケーションはとても良いです。
市の中心地・ウルス駅までは歩いても6分ほど、スーパーやロカンタも近くにあり、空港行きのバスの駅もすぐ近く、
冷蔵庫もあり、ビュッフェ式朝食も豊富で、バスタブの栓も整ったので、壁の薄さを除けば、快適でした。    【5月17日終わり】

イスタンブール・サフランボル・アンカラ・ミラノの旅13/アンカラ2

2012年06月27日 | トルコとイタリアの街歩き
5月18日、アンカラ二日目は、トルコ建国の父・アタチュルクさんの廟に行きました。
アタチュルクさんは、現代トルコの建国の父で、至る所でアタチュルクさんの名が冠せられた施設があります。
その中でアタチュルク廟は、おそらく最大だと思います。ホテルから歩いていけるところです。

さて、朝食                  ハワシュの駅。=「ハワシュ」とは、空港に行くバスの発着駅。
                        9時ちょうどにホテルを出て、歩いて10分ほどの所にありました。
 
ビュッフェスタイルで、イスタンブールのホテルよりちょっと落ちますが、申し分ありませんでした
アンカラ・アレナ(競技場)         韓国パークとたしか看板があったと思います。トルコと韓国の友好の公園でしょう。  アンカラ大学新校舎
  
トルコ空軍博物館                     国鉄アンカラ駅


アタチュルク廟
入り口で、セキュリティチェックを受けますが、ガイドブックには手荷物は預けるとありますが、必要はありませんでした。
しかし、この入り口から、アタチュルク廟までは歩いて10分ほどかかります。
 

  
道は更に続くのですが、衛兵はお互い話したり、記念撮影に応じたり、和やかでした。
  
とにかく広いのです
 
  
 
   
衛兵の交代式がありましたが、衛兵が進む方向のほんのわずか先を整理するだけで大げさな規制はしていませんでした。
 
アタチュルク廟から市内を臨めます。
 
マルテペ・ジャーミィ
  
クズライ駅まで歩き、ウルス駅に出ました。ウルス駅近くにゲンチリッキ公園があります。 インフォメーション
 
そこから歩いてホテルに戻り、ホテルでチキンサンドイッチを食べ、30分ほどの昼寝をしました。
午後3時頃から、メトロで再びクズライ駅に出て、歩きました。
コジャテペ・ジャーミィは、大きくきれいでした。
  
このジャーミィの下は、商店街になっています。突然雨が降り始めたので、ジャーミィの中でしばらく雨宿りしました。
クズライは、こうした跨線橋があちこちにありました。トルコでは珍しいです。通りは、大混雑です。
 
しかし、この跨線橋の利用者は少ないです。
トルコは車優先の社会です。大きな交差点の信号は、自動車の時は120秒以上、横断歩道は20~30秒です。
この時間は、信号が変わったらすぐ渡らないと途中で信号が変わってしまう時間です。
その上、横断歩道の数は驚くほど少ないのです。車も歩行者も信号はあくまで安心の目安でしかなく、
双方ほとんど無視です。車は赤信号の時はさすがに止まりますが。右折・左折の時歩行者がいても突っ込んでくる感じです。
ですから、人々は、信号のない道路を車を縫うように横断するのです。
おそらく小さい子や年寄りや身体に障害のある人は横断はかなり命がけ、一人では渡れないでしょう。
でも、慣れると、コツが分かり危険をそれほど感じませんでしたが、
道路を歩く時、ヨーロッパでは犬の糞、トルコでは車に注意、と言った所でしょうか。
ヒッタイトの鹿の像                       メトロのスヒイェ駅近くのアプディ・イペックチ公園で
   
アンカラ大学旧校舎                         ちょっと変わったジャーミィ
 
さてこれは、訪れたいと思っている民俗学博物館を探していると、行き当たった建物、文化施設でしょうか?
 

クズライ駅の構内には、ジャーミィとの矢印が有り、行って見ると本物のジャーミィがあり、驚かされました。

ホテルまで歩きました。戻ったのは6時過ぎでした。シャワーと洗濯をして、夕飯に出かけました。
ビーフのケバブ、右はデザートのアイスクリーム、16TL
  
この日は、ペットボトルにウイスキーの水割りを持って行く、ロカンタで飲みながら食べました。
日本から持参したウイスキーも残りわずかになり、酒屋で500mlほどのジョニ赤の値段を聞いたら約50TLでした。【5月18日終わり】

イスタンブール・サフランボル・アンカラ・ミラノの旅14/アンカラ3

2012年06月27日 | トルコとイタリアの街歩き
5月19日、アンカラ三日目

メトロでクズライ駅に行き、民俗学博物館を見学しました。併設する絵画館込みで5TL。
私は昨日、民俗学博物館を探したので場所は知っていたのですが、違う建物を見ながら地図を見ていると、
通りかかった人が、「アドレスは?」と聞くので、民俗学博物館に行きたいと言うと、
案内するから付いて来いと言います。私のは遠回りで、彼の道順は正しい道順でした。
彼は、わざわざ遠回りして私を案内してくれたのでした。
民俗学博物館
 
  
絵画館 民俗学博物館と絵画館は50メートルほど離れて並んで建っています。
   
私は、トルコのアーティストは全く知りませんが、絵画館の展示は豊富でした。学生がたくさん来ていました。
高台にあるので、市内がよく見えます。                                アタテュルク廟も見えました。
  
道路の侵入禁止の鋲                                       緊急病院
  
ハチムサジャーミィ 
 
タシデン・サルタンジャーミィ 
 
カラカベィジャーミィ
 
クルスンルジャーミィ                             オペラハウス
  

ホテルに戻りランチと休憩の後、イベントが行われていたアタチェルク像前広場に。
 
  
 
独立戦争記念館(旧国会議事堂)、この日はアタチュルキ記念日のため3TLのチケット代は無料
  
旧迎賓館(現在は民間ホテル)                  この日は、こうした垂れ幕が至る所に               アタテュルク広場
  
ユリアヌスの柱           ローマ浴場跡(3TL) 入り口

  
 
 
 
訪れる人も少なく、すっかり痛んでいました。この周辺は、自転車屋さん街でした。
ハミディ・ジャーミィ                                           一階は床屋さんでした
 
ハジュ・バイラム・ジャーミィ
  
アウグストゥス神殿跡
 
 
アウグストゥス神殿跡とハジュ・バイラム・ジャーミィは隣接しています。
ローマ初代皇帝のアウグストゥスはこの地まで来たのでしょうか。
かなりの高台です。周囲には古代ローマ時代の遺跡らしきものがたくさん残っているようでした。ローマ浴場跡も近くです。
広大な敷地は、古代ローマとイスラームと現代トルコの三つが同時に存在し、アンカラ城や市内の各地が一望できます。
今日では、すっかり公園の雰囲気で、国民の祝日で多くの市民で賑わっていました。
この二つの前の広場                         花壇の花は持ち帰って良いようで。
 
アウグストゥス神殿跡からのアンカラ城と周囲の町
 
 
アヒツラ・ジャーミィ     食料品市場 新聞屋さん(下のドアが入り口です)
    
スイーツ                       香辛料や干し果物                        チーズ
  
クッキィー
  
夕飯(ビーフのケバブ、16TL)
                              【5月19日終わり】