風そよぐ部屋

ウォーキングと映画の無味感想ノート

川越街道・板橋を歩く

2009年05月30日 | ウォーキング
川越街道・板橋~上板橋宿を歩く 2009/5/29

クラブツーリズム『川越街道を歩く・第一回』に参加した。次回以降は参加しない。
雨であった。個人でなら止めるのだが、お金は支払い済みだし歩けないほどではなかったので参加した。

川越街道は、川越藩が江戸に行く時への道で、40kmほどであった。
川越藩は江戸に近く、幕府の重要拠点であるために重臣が赴任しそのため参勤交代がなかったといわれ、
通常参勤交代の時大名が泊まる本陣などの宿施設がなかったことなどから宿場街としての大きな発展が無く、
一部の商店街に名残は残っているようが、中山道などのようには残っていないという。
今年の三月に中山道板橋宿を歩いた。その時の私のブログは【中山道板橋宿】をクリック。


近藤勇らの墓
近藤は板場処刑場で処刑され、永岡(長倉が本名)新八がこの地に墓を作った。


東光寺                                   庚申塔
  
  六生地蔵                              宇喜多秀家供養塔
    

子安神社                              胸突地蔵という珍しい名前の地蔵


大山福地蔵[左・中]                                 お身洗地蔵[右端]


轡神社[家康が腰掛けて休んだと伝えられる]                豊敬神社


見張り小屋の名残[古民家]                       下頭橋[宿入口]、六蔵祠


長命寺[中は入らず前を通っただけ]           天祖神社


安養院
  本堂                              庫裡[大名屋敷跡建物]
  
  多宝塔
  
  四国御砂踏霊場[四国48霊場を飛び石で作り巡る]          鐘楼
  

おせど山茂呂遺跡[日本に旧跡時代が合ったことを立証する先土器が見つかった]、栗山遺跡


家を出る時小雨であったが、カッパのズボンで出かけた。板橋駅に着いた時は、大雨であった。
大山駅近くのレストラン・オオタニでの昼食[白身魚のフライ定食]が付いた。
ツアー代金は3800円。
この『街道を歩く』はその目的が主に“歩く”ことにあるようで、
寺社の前には行くが中に入らないこともあるし、中に入ってもゆっくり写真を撮ったりする余裕もないこともある。
左側歩行、道路いっぱいに広がって歩いたり、ガイドの説明を聞くのは普通だし、かけ足さえもする。
旅の楽しみ方は、いろいろ、である。

阿修羅展に行って来た

2009年05月30日 | ウォーキング
阿修羅展 2009/5/29

【この写真以外は、他から引用】

上野国立博物館で行われている、『阿修羅展/興福寺創建1300年記念』を見に行って来た。
5月連休後に、入場者が50万人を超えたという。
何時間も待ち、しかもよく見られないのだからと見学をためらっていた、
しかし、この先再び見ることが出来ないかもしれないとも迷っていた。
入場者が多いため開館時間が延長され、また金曜日の夜は比較的すいているというので、
私は、この日の昼間、雨の川越街道を歩いたのだが、行くことにした。
【5月29日(金)~6月7日(日)の開館は、9:30~20:00となった(入館は閉館の30分前まで)。
19:30までに並べばどんなに遅くなっても入館でき、30分間は見ることが出来る、という。
チケット[1500円]は、国立博物館のHPからオンラインで申し込み、プリントアウトして手に入れることが出来る。】
このチケットで、本館・東洋館・平成館・法隆寺宝物館の平常展も見ることが出来るのだが、今回は時間が無いのでパス。

私は、昨年の7月、興福寺に行って阿修羅像は見てきた。
その時は、ガラス越しであったし、側面・背面を見ることは出来なかった。
今回は一周して見ることが出来るし、また四天王や他の仏像も間近に見られるので、混雑を覚悟していった。
私は19時20分に到着し、10分待ちで入場した。
長い傘を持っては入館出来ない。鍵付き傘立ての多さにびっくりするやら感心するやら。
阿修羅像前はすごい人だったので、一回目はほとんど素通りであった。。
他の展示場も混んではいるがそれほどではなかったので、こちらをまずゆっくり見た。
三度目、閉館間際に行って見ると、比較的すき始め、近くでゆっくり見ることが出来た。
エジプト考古学博物館のツタンカーメン展示室の混雑はもっとすごかった。
二昔前のJRのラッシュ電車ほどだった。
その時も30分後、再び行った時はゆっくり見ることが出来たのだが。



迦楼羅像(かるらぞう)   沙羯羅像(さからぞう)=頭に蛇をいだく     釈迦如来像頭部


仏教の世界は不思議である。
いやそれは不正確だ。
現代人にとって不思議なので、釈迦がインドで生まれた時代を考えれば、決して不思議ではない。
どの地域をとっても、昔、神は一つではなかった。
他民族を飲み込んだ人々は、そこの神々をも飲み込んでいった。
その多くは、神話という形で伝承されている。
それまでは他の民の神々は邪悪であり、それを自分たちの神々に恭順させ、融合していった。
観音はその姿形を様々に変えて我々の前に現れると言われ、千手観音、十一面観音、馬頭観音とその姿は異形でさえある。
この阿修羅像も、体・顔は人間ではあるが顔・手が三つもある異形である。
エジプトの神・ホルス神は、両眼が月と太陽である天空の神で、ハヤブサあるいはハヤブサ頭を持つ人物の姿であらわされた、という。
ギリシャやローマの神々も実に多様であって、ローマには夫婦喧嘩をなだめる神すらあった。

阿修羅はかつては仏の守り手であった帝釈天とずっと戦ってきた仏の敵・戦いの象徴であった。
向田邦子の「阿修羅のごとく」のように、あるいは修羅場と使われるように、穏やかさとは逆のイメージでふつう使われる。
だが、興福寺のこの阿修羅像は、そうしたイメージとは違って、
眉をひそめてはいるがそれは困惑顔ではなく、どこか憂い顔で、神々や仏や観音の普通のイメージとは異なる、と言われる。
モナリザのほほえみも謎を秘めていると言われる。
複雑な表情の方が人々の想像心や共感心を刺激するのかもしれない。
インターネットで荒々しい表情の阿修羅像を探したが見あたらなかった。
修行に苦しむ仏陀や迫害されるキリストの痛々しい・苦しいイメージはよく見かけるが、そうした表情とは異なる。
また、仏像の多くはふくよかな体つきをしている。
特に、大衆仏教では仏・仏像は極楽浄土の象徴・希望でもあるから、ふくよかな体をし笑みをたたえる。
この阿修羅像は153cmと小さくとても貧弱な体で、眉をひそめてはいる、が眉間にしわを寄せてはいない。
憂いのようでもあるが、悲しみ、困惑などではなく、どこか遠くを見据えているようである。
そうした簡単ではない複雑な表情がかえって現代の人々には癒しを与えているのかもしれない。

釈迦や仏だけが信仰の対象ではなく、それらを守護するものも人々は信仰する。
日本では、古代から八百万神[やおよろずのかみ]信仰があった。
古代仏教はそうした神々を仏の帰依者・守護者へと取り込んできたのだろう。
権力者は仏教を利用・癒着した。土着の豪族達は土着の神や精霊を信仰したいた。
私のきわめて乱暴な見解は、権力=仏教、土着豪族=土着神社である。
権力者が地方豪族を平定する過程は、仏教が土着宗教を統合する過程でもある、と言う簡単な図式である。
奈良仏教は、平安・鎌倉とは違ったそうしたまだ古い仏教の香りが私にはする。
中世・戦国の世となると仏教は一挙に大衆化していく。

小さな発見をした。
合掌する阿修羅の手は、手のひらの一番下は合わさっているが手の平・指先はくっついていなかった。
また、その手は体の真ん中ではなく向かって少し右にずれていた。

興福寺の他の仏像等の写真を見たい時は、次をクリック 興福寺

今回の特別展では、主に以下が展示された。
【八部衆】
仏教を守護する「天」、もとはインドの神で仏教に取り入れられてその守護神となった。
阿修羅・迦楼羅[かるら]・緊那羅[きんなら:一角を生やす]などで、奈良時代に盛んに作られた。
【十大弟子】
釈迦に随った十人の高弟、今回現存する興福寺のそれが展示された。
また、薬王・薬上菩薩立像、四天王立像が展示された。

東京国立博物館内では一般的には写真撮影が許可されている。
博物館が所有していない特別展や個人が所有するもの等の撮影は出来ない。



霧降高原・日光への遠足

2009年05月22日 | 国内旅行
霧降高原・日光への遠足 2009/5/21


妻と二人で、霧降高原・日光へ遠足に行った。
久しぶりの日光であった。
子どもがまだ小さかった頃、戦場ヶ原・華厳の滝などを旅した。
大宮→春日部10:05[東武線・スペーシア特急]→東武日光11:20、2250円ほど。
バスで霧降高原へ、乗客は3人。ニッコウキスゲはまだで、ツツジがちらほら咲いていた。

レストハウスで、そばとおにぎりとビールを食べ、少し上り始めた。木陰は風がひんやりするが、
外は日射しが強く、少し登っても景色はそんなに良くならないので、引き返した。
当初の計画では、霧降高原だけで帰る予定だったが、時間が余ったので、東照宮に行くことにした。



さて、日光山は、天台宗の輪王寺、徳川家康を祀った東照宮、男体山を始めとする二荒山神社の三つから成っている。
家康は江戸城の鬼門に当たるこの地を重視し、三代将軍家光が今日の東照宮を造った。
その後世界文化遺産となった。
日本人は少なく、外国人観光客が目立った。

輪王寺【りんのうじ】
黒門

宝物殿【左】                    逍遙園入口【右】と内部

三仏殿と三尊[右から、千手観音・阿弥陀如来・馬頭観音]【引用】

相輪藷N【そうりんとう】                    鐘楼

護摩堂                      護法天堂


東照宮[家康の霊廟と同時に神となった家康を祀る神社でもある]

入口                           石鳥居

五重塔

仁王門

神厩舎                      三猿

御水舎                      輪蔵【経堂】

陽明門全景、右が鐘楼、左は鼓楼

陽明門

廻灯籠と                      一本灯籠

神楽殿                           祈祷殿

これより奥宮と眠り猫【別途入場料必要、今回はパスした】

唐門、その背後が拝殿・本殿と続く

神輿舎

本地堂とその内部・天上の鳴龍【引用】


二荒山神社
東照宮から二荒山神社に至る参道

楼門                          境内全景

拝殿                         常行堂【神門を出て大猷院廟に向かう途中にある】

神門                          縁結びの樹


大猷院廟[家光廟]                 

仁王門                         

二天門

持国天と広目天             門の裏面は“風神・雷神”像

夜叉門その背面

鼓楼と鐘楼【右】

唐門                      金閣殿本殿

皇嘉門[家光廟に行く門]

参道、右は二荒山神社・左は常行堂・真ん中が大猷院・手前が西参道出口


日光山参拝はよらない予定だった、慌ただしかった。
拝観料[¥1300]が必要なことはかまわないが、奥院・眠猫は共通券では入れない、
内部は写真撮影が一切禁止、修行僧は説明で合掌を強制していた。
合掌するかしないかは個人の信仰・考えなのだから「よろしければ手を合わせて下さい」くらいが良い。

バスは英語韓国語中国語の案内があったが、日光山ではチケットを買っても案内リーフレットもくれなかったし、
境内には日本語の案内・掲示さえ少なくわかりにくかった。

日光は江戸の鬼門にあたり、そのために作られたと言われるが、実際はほとんど真北である。
陰陽道の信仰・思想は日本では今日ではあまり一般的では無いようだが実際はどうなのだろうか、
風水の考えは、中国・香港・シンガポールではまだまだ根強く残っているようだ。
日本でも町中に小さな神社を祀る風習はまだ残っているし、トイレ・風呂場の方向云々を言う人もいる。
家康は死んで神となり、仏教・山岳信仰・陰陽道が渾然一体となっているのはおもしろくもあり、不思議でもある。
左甚五郎の有名な三猿の彫刻が飾られているのは神厩舎である。
猿は邪気を払う力があり、江戸時代は特に厩舎を守るとされ、信仰されたようだ。
マサルに通じる猿はだじゃれだが、江戸時代、馬は大事であり馬頭観音信仰もこれによるのだろう。

家光にとって東照宮建設は諸大名に巨大な普請代を負担させながら同時に彼らに恭順を強いる一石三鳥の策ではあった。
いずれにしろ、ここは権力者がその権力を誇示・発揮して作ったもので、
大衆的信仰の対象・聖地というのではない。
おそらく江戸時代は、物見遊山の観光地だったのだろうと思う。
急な坂道・階段がたくさんある。
将軍達は、果たして歩いたのだろうか、輿だったのだろうか。

近いうちに一人でのんびり来てみたいと思う。
慌ただしく写真を撮ったので説明が間違っているかもしれれない。
帰りは、駅弁をつまみに缶ウイスキーを飲みながら帰った。
先のピースボートの旅で愛用コンパクトデジカメラに水をかぶらせてしまった。
調子が悪くだましだまし使って来たのだが旅先で全壊は困るので思い切って新しいのを買った。
パナソニック=LUMIX-DMC-FX500の新機種で、広角のある機種では一番安い17800円だった。
ISO100~1600選択出来ること、25ミリの広角レンズ、シャッタースピードを調節できることが魅力である。
一番の不満はバッテリーだ。充電リチウム電池の持ちが少ないのが困る。
前のはアルカリ乾電池で便利であった。
“MENU/SET”ボタンも使いにくい。
一長一短ではある。

このブログを以下に投稿した。
霧降高原

松尾寺と海の奈良・小浜の古刹を巡る/その1

2009年05月13日 | 国内旅行
松尾寺と海の奈良・小浜の古刹を巡る 2009/5/10・11
クラブ・ツーリズムの『歴史街道・77年ぶり松尾寺秘仏特別開扉と海の奈良・小浜の古刹群拝観』と言う長い名のツアーに参加した。



一日目 5月10日[日]
東京発8:33の新幹線、新大阪11:30着。バスで舞鶴市の円隆寺に向かった。

円隆寺
総門

本堂

「丹後の大仏」と言われる本尊の阿弥陀如来【他から引用】
多宝塔                    鐘楼

観音堂【左】と聖徳太子堂【右】                  大師堂

護摩堂                    鎮守堂
                   
朝代神社とその本殿


成相寺【なりあいじ】
本堂

本堂内部と本尊【聖観世音菩薩】              右はお前立ち【転用】

一願一言地蔵                    観音堂

つかずの鐘                   地蔵群

熊野権現社                   真向かいの龍【左甚五郎作と言われる、本堂内】

五重塔

パノラマ展望台からの天橋立、             ホテルの部屋から若狭湾【右】


5時半頃、宿の宮津ロイヤルホテルに着いた。
綺麗な景色にあるが周囲には店等は一切ない、このツアーでは珍しく夕食付きであった。

二日目/5月11日[月]
朝食は、ビュッフェ形式、軽く取った。慌ただしい朝8時の出発だった。

金剛院
本堂に至る参道【金剛院は紅葉寺とも言われる】と     階段

この途中に樹齢千年と言われる茅の樹、  階段の下右手に三重の塔

階段を上りきると、手前から弁財天・本堂・雲山閣

本堂

雲山閣と                    弁財天

鐘楼と                弘法の滝【とても小さい】        そして水かけ地蔵

宝物殿                       本尊の阿弥陀如来座像

多聞天立像と            増長天立像

快慶作、執金剛立像と        深沙大将立像


松尾寺[まつのおじ]
山門                    大師堂

本堂                    77年振りに開扉された秘仏・本尊の馬頭観音菩薩

本堂脇[赤線囲い]に馬の像がある。本尊が馬頭観音の由来からだろうか。
経堂                    位牌堂

宝物殿                       国宝・普賢菩薩画像【転載】

トイレ【烏蒭渋摩(うすしま)明王殿とあった。それは便所の守護仏とのこと、中には賽銭箱も】

鐘楼                   青葉山神社【職員に神社の名を聞いたが知らなかった】


残念ながら、容量が少し足りないので次ページに続く

松尾寺と海の奈良・小浜の古刹を巡る/その2

2009年05月13日 | 国内旅行
羽賀寺
本堂                    

本尊・十一面観世音菩薩【パンフより】             鐘楼【無料で撞かせてくれる】


多田寺【本尊 木造薬師如来立像は、日本三大薬師如来のひとつで、特に眼病に御利益があるといわれている】
山門    山門の多聞天と広目天

参道           鐘楼【鐘を撞くとお金の御利益があると言い無料で撞かせてくれる】

本堂                

本堂内部と                   大師堂       

延寿観音                   神変大菩薩堂

以下撮影できなかったので、他からの転載
本尊・薬師如来          日光十一面観音          阿弥陀座像三尊


明通寺
本堂【国宝】                    

本尊・薬師如来像[転載]            降三世明王[転載]     深沙大将[転載]

三重の塔【国宝】 右はその中の三尊像【転載】

客殿                    不動明王【客殿内】


琵琶湖・湖北、湖東を通って、米原へ。
米原18:54発新幹線、東京21:10着。
約一年前の東北の旅で一緒になったさいたま市の平山さんと一緒になった。
ホテルの夕飯、新幹線での弁当、隣席でお酒を飲みながらお話しした。

北京都・舞鶴・小浜など初めて訪れた。
篠山、賤ヶ岳、浅井など戦国・織田時代所縁の地名が各所に残り何か懐かしい感じがした。
私は、この一帯は広く平坦な豊かな農村地帯と思っていたが、稲作地帯ではあるが平地は狭く、丘陵・森林地帯である。
今回回った寺は、真言宗の寺が多かったのだが、大日如来を祀っているところは無く、
観音・阿弥陀如来・薬師如来が多かったように思う。
どんな時代的社会的背景がこうした事情をもたらしたのだろうか。
禅宗の永平寺・総持寺はこの地からそう遠くはない。
真言・密教は平安藤原時代、禅宗は鎌倉以降室町時代になってからと思う。
戦国大名・武将の間に禅が入って行くが、秀吉のキンキラ茶室に見られるようにわび・さびなどは無関係の世界だった。
また、戦国・中世になると仏教の大衆化が進み浄土真宗が急速に広まった。
京都に近い地勢的関係が強いだろうことは想像できるが、よく分からない。

現在、善光寺、近畿古刹など各地で多くの秘仏の開帳が行われている。
そもそも、仏像は民衆に開放・信仰されてこそと思うのだが、どうして非公開・秘仏とするのだろうか。
私は、そこには権力の宗教の私物化、宗教の権力への癒着・迎合と大衆蔑視があると思う。
権力は宗教を支配利用し、また寺は権力者・裕福者におもねり、彼らから多額の布施を取り安定する一方、
民衆には本尊等を隠すことによって権威主義や大衆蔑視があったと思う。

真言密教、禅宗は修行僧にかなり厳しい修行・戒律があるという。
浄土真宗は念仏を唱えるだけで救われるなど民衆救済思想があると思う。
今日では、多くの寺では本堂は鍵がかけられて入ることはできないし、本尊・仏像を見ることはほとんど出来ない。
おかしなことだ。
また、仏像の写真撮影など恐れ多い、不信仰・無礼だと許されていないことが多い。
だとするなら、テレビ・寺の宣伝物もだめなはずである。
どうしてテレビ局には特別の許可を与えるのであろうか。
光や熱が文化財・芸術材を痛めつける、との理由なら、宝物殿や空調対策をほどこすのがよい。
HPの写真の引用・転載は認めない、版権云々は、まことに狭量である。
かつて女人禁制であった高野山ですら、その禁を変えた。
私は、何ら制限するべきではない、どんどん開放するべきだと思う。
今回公開された秘仏で外から撮影したものや他のHPのものを添付した。
また、仏像に出会ったら、合掌やお辞儀をしなさいと説教する寺もある。
これもおかしな話である。
例えば、我々がモスクや教会に行って宗教的行動をとれと言われるのと同じだ。
もちろん、モスクに入る時、肌を露出しない、靴を脱ぐ、は当然だ。

ユダヤ教・キリスト教・イスラム教は本来偶像を禁止する。
だが、キリスト教などはその教えをとっくに捨て、大衆に分かる宗教となり、キリスト像などが氾濫している。
また、仏教徒同じようにマリア信仰や聖人信仰も盛んである。
アッラーやムハンマドの偶像は許されないイスラム教でも現世の宗教指導者の写真などはOKである。
絶対神のいない仏教はとてもユニークだ。
釈迦だけでなくあまたの仏・菩薩・羅漢=人間=聖人もまた信仰の対象である。
また、日本では神仏が渾然一体・混合し、自然信仰・精霊信仰とも結びついている。
寺や神社にはお守りや朱印状などあまたのグッズやお土産がある。
今回の旅では、こんなことを考えた。
ツアーでは、バスガイドのしゃべり過ぎとおかしな日本語にはヘキヘキだったが、それ以外は問題なく良かった。

大本山總持寺を参拝する/マオリショウ『ナー・ハウ・エ・ファー』を見る

2009年05月04日 | ウォーキング
大本山總持寺を参拝する 2009/5/3


1)松関、2)三門、3)三松閣、4)香積台[受付]、5)慈峰閣、6)待鳳館、7)紫雲臺、8)倚松庵、9)侍局【跳龍室】、
10)大祖堂、11)御霊殿、12)仏殿、13)放光堂、14)鐘鼓楼、15)衆寮、16)大僧堂、17)寶物殿、18)玉兔門、19)中雀門、
20)金鶏門、21)百間廊下、22)向唐門、23)駐車場、24)梅壽庵、25)穴熊稲荷、26)大梵鐘、27)三寶殿


5月3日、実は行きたいところが三つあった。
よしもと浅草花月の無料チケットが当たった、横浜上大岡のデパートでマオリショーが開かれる、そして憲法集会、の三つであった。
浅草よしもとは妻に譲り、私はニュージーランド・マオリショーに出かけた。
私の通う英会話スクールの先生がそのショーに出演するから。
上大岡の手前に鶴見があり、そこに總持寺があり、マオリショーの前に總持寺に寄った。

4月、輪島を旅行した時、總持寺祖院を参拝した。
祖院は明治31年火災で伽藍の多くを消失し、その後、神奈川県の鶴見に移転することとなった。
私は、鶴見の總持寺も是非参拝したいと思っていた。
總持寺のホームページを検索すると、修行僧によるガイド案内があるという[400円]。
11時からの回に参加で、忙しく出発した。家からは電車で約1時間。
案内された順番は上記案内図番号とは逆であったが、以下、概ね番号順に記す。

参道


門の手前に地蔵群があった。


1.門[名前が付いていないようだ]と、               右は、門を入ったところにある三松関


2.三門[残念ながら工事中なので、HPからの引用]


三門をくぐり抜けるとロータリーになっていて、鳥海山の銘石、    その前に、国鉄事故の慰霊碑


24.梅寿庵、                              その左隣に地蔵群
 

25.穴熊稲荷                             26.大梵鐘[赤線囲み内に掃除している修行僧が映っている]
 

27.三宝殿[總持寺の守護神三宝荒神を祀る]、近くにはやたら大きい碑が立つ
 

3.三松閣[巨大な檀信徒研修道場]                  4.香積台[総受付=いわば社務所]
 
   香積台の入口に巨大なすりこぎとしゃもじ、右は大黒天[木造]
   

21.百間廊下                              20.鐘鶏門
 

19.中雀門                               22.向唐門
 

18.玉兔門


15.衆寮[一般参禅者のための座禅道場]              その内部の観音像
 
  
16.大僧堂[座禅堂・修行道場]                   その内部[中へは入れない]
 

14.鐘鼓楼[二階部分、修行僧に時を告げる]


13.放光堂[位牌堂]と                        その内部[右端の金色は檀家の位牌である]


12.仏殿、                               その内部[七堂伽藍の中心、お釈迦様・迦葉尊者・阿難尊者を祀る]

仏殿から大祖殿に至る地下廊下の広間            右は、仏殿脇の観音像


11.御霊殿[ここは入れない、外から撮影] 


10.大祖堂


9.侍局[跳龍室:大本山住職の住まい、             とその客間・達磨大師の肖像]



8.倚松庵[いしょうあん=茶室入れないところにありHPから引用]


7.紫雲台[禅師が想見される建物]、   

  紫雲台の庭と、                            ふすま絵[狩野派が描いたと言われる]
  

6.松鳳館[元徳川家書院を移築した]


大伽藍を一周して香積台に戻って来た。約1時間15分ほどであった。参加者は約20名。個人の場合予約は不要。
大伽藍は、すべて廊下、地下廊下などでつながっている。
途中、廊下をぞうきん掛けする修行僧にあった。


私は建物を外から撮影できなかったので、外からもう一度一回りした。

17.宝物殿、                                入口には、仁王像が

[収蔵資料は約1万点、常時展示されているのは約50点、ちょっと物足りなかった。入館料は300円]
   以下、HPより引用[一部]。
  

宝物殿の前に、雲水[=修行僧]群像が


境内は約10万坪あり、後楽園ドーム球場の広さの約7倍ほどという。
境内への入場は、無料。建物内の諸堂拝観は、修行僧の案内があり、400円。
このように巨大な建物がどうして必要なのか、と言う疑問はある。
しかし、大法要などで、一同が経を唱える音と映像はすこぶる大迫力であるに違いない。
明治時、能登半島の人里離れた総持寺が火災で多くの伽藍が消失し、多くの人が訪れることの出来るこの地に総本山を移した。
宝物殿は狭く、少ししか展示されていない、期待はずれであった。
伽藍内・放物殿にも仏像は少ない。
参拝者は少なかったが、家族連れがのんびり気楽に散歩し、ほほえましい。
鶴見女子短期大学、鶴見歯科大学が関係していることは全く知らなかった。
立ち入り出来ない場所以外は、写真撮影もOKで太っ腹であった。
ホームページでの座禅体験会・精進料理を食べる会などへの情報アクセスがわかりにくい。
横浜市鶴見区のここは大都心とは言えない、下町ではあるが、大都会の一角である。
その都会の真ん中に広大な總持寺がある。
能登の總持寺は田舎、鶴見の總持寺は都会、という感じがする。
京都の黄檗宗の萬福寺もゆったりした禅寺であった。
金閣寺は、臨済宗の禅寺である。
永平寺・總持寺は曹洞宗の修行道場である。
永平寺も行きたいと思っている。

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マオリショウ『ナー・ハウ・エ・ファー』 京急デパート上大岡店


總持寺参拝は、1時間半位を予定していたのだが2時間45分ほどもかかってしまった。
当初は、弘明寺[ぐみょうじ]は寄る時間が無かった。
鶴見駅前でラーメンをあわただしく食べ、京急デパート上大岡店に着いたのは、14時25分、
マオリショーが始まる5分前だった。いっぱいの観客で、私は人混みの後ろであった。    右の写真は引用
 
わずか30分の短いショーであったが、とても迫力があった。
オールブラックスの“ウォークライ”を見ているようであった。言葉が分かればもっと楽しい。
手を刻みに揺らすのは、波それとも風?
目を見開き、舌を出すのは、相手への威嚇、歌舞伎や芝居の見得と似ていると思った。
パフォーマンスを終えて退く時、軽く後ろ太ももをたたくのは、おもしろかった。
登場した人は、男女とも背が高く立派な体格だった。マオリの人々はみなそうなのであろうか。
在日マオリの人達のHP="Nga Hau E Wha"=「四つの風」は、“NgaF Hau E Wha”=「四つの風」をクリック。
忙しい一日となった。

このブログを以下に投稿した。曹洞宗大本山 總持寺祖院