第63回ピースボート・地球一周の船旅4
シンガポール編
9/17
プノンペン空港から、シルク航空9:50発、シンガポール12:50着。時差があり1時間進める。
そのまま、船に合流する予定であったが、船はアクシデントでダナンに強制的に停留されていて、
我々は船に乗れず、シンガポールにしばらく滞在することになった。
パナマ船籍からマーシャル諸島船籍に変えたため、いろいろなトラブルが生じているらしい。
シンガポールのホテルロイアルにチェックイン。
ガイドの中国人系の許さんは日本語はうまいし、博識で説明は簡明・的確であった。
シンガポールはきれいで秩序ある街だが、スリ・置き引きには最新の注意を払う必要があるとのこと。
また、日本語で話しかけてくる人にも注意が必要とのこと。
そのほか、車優先の社会なので交通には十分注意が必要。
ホテルに入り、午後は自由時間であった。
ホテルは、シンガポールの北、ニュートンの近くであった。
私は昼寝の後、近くを歩き始めたが10分もしないうちに汗が噴き出して来た。
そこに寛済堂という仏寺があった。
そして交差点にあるショッピングモールに潜り込んだ。
日中歩いている人は少ない、そして多くは地下鉄のあるこのショッピングモールに吸い込まれていく。
そこは冷房が利いているからだ。
物価を調べた。
シンガポールの通貨は、シンガポールドルで、レートは日本円かける80%位の感じ、消費税は7%。
夜は繁華街の中華レストラン。
9/18
朝散歩をした。
午前中市内観光。
はじめに
サルタンモスクを訪れた。
モスクは靴を脱いで入る。
これまでモスク内の女性の映像は見たことがなかったが、女性のお祈りの場は二階であった。
そこは一般人は立ち入りできない場所である。
トイレは外にあり、同様に靴を脱いで裸足で入る。足を洗う洗い場がある。
このモスクの前が門前町になっていておみやげ屋になっている。
カンボジアへのオーバーランド=船から一時離れての特別のツアーに参加した。
それには特別の現金は必要なかった。20米ドルしか持っていなかった。
それが船の故障が生じ、船がシンガポールにはまだ来ていない。
何日間かシンガポールに滞在することになったのだ。
そこで、50ドルをツアリーダーから借りた。
コンビニに入ってお釣りをもらおうとしたら、借りたのは50米ドルであり、使えなかった。
マーライオンパーク
ここはウオーターフロントで、ここから最高裁
オペラハウス
金融街高層ビル
大観覧車[観覧車の左はF1レースのメーンスタジオ]
海、などが一望できる。
週末にはF1が行われると言うことで特設スタジオが設営されていた。
許さんによると、シンガポールでは風水の考えがと入りれられていて、
街作り、建造物が建てられているとのこと。
金融街ビルは黒川徽章、丹下健三などの設計の建物があるがやはり風水が取り入れられているという。
また、数字は8,13などが縁起のよい数字とされ、窓の形が八角形だったり、CONRADビルには13と模様が入れられている。
金融界ビルは線香のイメージだそうだ。
オペラハウスはマイクの先のイメージ。
ここにあったおみやげ屋は、貨幣は何でもOK。
米ドルを出してシンガポールドルのお釣りも可能で、円も元も使えるとのこと、
とても不思議だし、計算もとても速い。
昼はレストラン。
昼食後ホテルに戻り昼寝をして、その後『ナイトサファリ』に出かけた。
飛行機の半券を提示すると5ドル値引かれるとのこと、私のチケットは見失ったので行かない知人に借りた。
穏やかな女性の伊藤さんとしゃべりっぱなしの坂西さんと私の三人で出かけた。
タクシーを使うのでチームを作らなければならないのだ。
繁華街のレストランで個人の食事、私は湯麺様の麺(4ドル)と春巻き風(2ドル)を食べ、タクシーに乗り込む。
昨夜若い女性だけで行ったグループは30ドルもふっかけられたという。
どうやら遠回りされたらしい。
私たちは16ドルであった。
サファリはトラムという日本語ガイド付き路面バス料金も含めて27ドルであった。
チケットを買うときちょっとトラブルがあった。
チケット売りの女性、飛行機のチケットの印字がかすれてよく読めなかったらしい。
7日以上たっているので割り引きできないと相手が言っているのだが、
私は7日以上たっていないと割り引きできないと彼女が言っていると勘違いした。
私は「Within7day」という記載に気づき、、我々はおととい着いたのだと言い、
結局5ドルは割り引かれれた。
このナイトサファリなかなかよくできていて、
サイ、水牛、ハイエナ、アジアライオン、カピバラ、バク、オオアリクイ、ゾウ、トラ、カバ、ムフロン、キリン、ヒゲイノシシ、ボンゴ、インドオオカミ、
その他かなり珍しい動物がかなりの至近距離で動き回っているのを見ることができる。
これらは夜行性動物のようで、えさを食べたり動き回っていた。35分くらいであろうか。
その後、アニマルショウを見たがこれはたいしたことがないショウで、早口英語であった。
でも、少しはわかった。カワウソ、オオカミ、ハイエナ、サーバルなどの野生動物が登場。
園内各地に雨よけシェルターがあるのがシンガポールらしい。
帰りのタクシーは12ドルちょっとだった。
ガイドの許さんが言うのには、シンガポールは狭いのでタクシーはせいぜいかかっても20~25ドルだという。
9/19
朝散歩をしていたら、雨に降られた。
その後、ピースボートがシンガポールに到着し、やっと合流。
その後慌ただしかったが、
セントーサ島に渡った。
本島に停泊するクリーッパー・パシフィック号。
セントーサ島のスカイタワーから本島を臨む。
セントーサ島は船が係留されている埠頭の目の前の島だ。
ロープウェーイかモノレールで行くことができる。
私はロープウェーイを使った。
降りると回転展望台=スカイタワー
スカイタワーからセントーサ島を見る。
次に水族館
イルカショウは始まっていたが特別見たいわけでもないので入った。
移動は無料バスが走っている。
入島料は3ドル取られるが、これにはバス代が含まれている。
トータル48.8ドルほどであったが、カードが使え、助かった。
この島は、かつては砲台があり、港を監視していたようだ。
南国の海岸リゾート地で強い日差しと暑さであった。
そのほか見て回るところもあったが暑いので早々に引き上げた。
キャビンで旅行帰りの荷物の整理と翌日の計画を練る。
9/20
この日は、地下鉄で博物館に行った。
シンガポールの地下鉄は綺麗で、安く、わかりやすかった。
アジア文明博物館は川沿いのきれいな風景の中にあった。
内容は東・東南・南・西アジアの文化遺産が展示され、
仏像や様々なコーランなどもあった。全体にはそんなに大きくはない。
次にシンガポール国立博物館に行った。
この博物館はきれいで大きな建物だが内容はそれほど豊かではなかった。
食・ファション・映画・写真などのギャラリーのほかに、歴史・文化ギャラリーがある。
展示物は豊富ではないが、音声ガイダンスのシステムはよくできていた。
入り口で配っていたが有料と思って入ったら説明文が全くない。
音声ガイダンスがないと深くは理解できないので、職員に聞くと無料であった。
日本語版もあると言って取ってきて、使い方も説明してくれた。
片言の日本語が通じたのが本人にはうれしかった様だ。
私は昼過ぎまで見学した。
ほとんど人はいないし、冷房も利いていてのんびりと見学できた。
この二つとも60歳以上はシニア料金で、4ドル、5ドルであった。
地下鉄は一人で切符を買い、乗り込んだ。
シンガポールドルコインが少し余ったので、買い物をしたら、40セント足りなかった。
うろうろしていると後ろの女性が1ドル出してくれた。
私は思わずサンキュウと図々しく言ってもらってしまった。
船に帰ると、船長から出発できないと説明があった。
船籍を変えたために、船主協会などからいろいろチェックを受けているようで、
今度は予備バッテリィに不具合があり、交換しなければならないのだという。
何というお粗末さ。
この説明に拍手する人がいるのだから、ノー天気というかおバカとしか言いようがない。
9/21
桟橋が込んでいるため、朝5時半から夕方3時までは桟橋に係留できず沖で待機。
日曜なので私は休養日とし、カンボジアの旅を記録した。
昼すぐGETの先生たちとのチャットが急遽もたれた。
細かい点はわからないがだいたい何を言っているのかわかりほっとした。
シンガポールでは何度か両替をした。
レシートに手数料は書いて無いので、レートの加算されているのだと思う。
ホテル、銀行の手数料はかなり高く街角の両替商の方がやすいらしい。
方々に両替所あるので困らない。
いずれもインド人が窓口であった。
コンピュータでぱっぱっと計算しあっという間の両替である。
船内はカード決済で現金は不要なので私は円もドルもユーロも現金はわずかしか持ってきていない。
アクシデントでオーバーステイとなり現金が必要なのだが、ひたすらガマンである。
キャッシュカードのATMがあるが仕組みがわからないのでツアリーダーダーに聞いたら、
キッヤシングということで、かなりの利子が取られるので、手持ち現金が無くるまでは使わないことにした。
9/22
今日も留め置き。
冷房が低すぎ、ついに風邪を引いた。咽が痛み、咳が出、そしてついに鼻炎も出てきた。
今日は日曜日、船外に出ないで休養日、本を読んで過ごした。
今日初めて、インターネットを使った。
出発のブログを発信し、妹にメールを送った。
100分間4000円だからゆっくりはできない。
私にパソコンで文案を作りそれをコピーするのだ。
だが、写真はネットを使わないとできないので、バイト数を小さくし一、二枚にすることにした。
簡単なブログなのに20分はかかった。
咽の調子はよくない。
9/23
咽の調子はだいぶ回復したので、シンガポールの街に出かけた。
地下鉄はマスターしたつもりだったが、わからず困っていると後ろの青年が親切に教えてくれた。
チャイナタウンの仏牙寺に出かけたが、地図がよくわからないで、交差点で困っていたら、インド系の人が話しかけてきた。
ガイドの許さんの話では日本語で話しかけてくる人には注意しろ、と言われていたので、
ちょっと心配だったが、結局彼もわからず、通りかかりの人に聞いてくれた。
方向が逆であった。引き返したがそれらしいものはも当たらない。
若い三人の男女が来たので聞いてみたら、彼らもよく知らなかった。
シンガポールでは何人もの人に道などいろいろ聞いたが、いずれの人もとても親切であった。
シンガポールの英語は様々な民族が集まっているため独特の英語で、シンガシッシュとも言うそうだ。
片言の下手な私の英語でもつうじた。
実はこの地図、寺のマークが引き出し線で書かれていたので、
実際の位置とは通りが一本ずれていたのに私は気づき、ようやくたどり着いた。
仏牙寺
それは有名な寺で、チャイナタウンのほぼ真ん中にあった。
中にはいると読経中であった。
中国の寺では座布団のようなものがあって、信者はそこに膝まついてお祈りする。写真の撮影もOKである。
寺の建物は高層、真っ赤、たくさんの仏像が配されているがいずれも真新しいもので、
私にはありがたみはいまいちのかん、であった。
420キロの黄金の仏舎利があるというのだが時間外だったので見ることはできなかった。
チャイナタウンは狭い街である。
昨日は中秋の名月と言うことでにぎやかのようであったが、
この日も昼下がりであったがとても多い人手であった。
街の食べ物屋のにおいは私には強烈すぎた。
もう一つ仏寺を訪ねるつもりであったがあまりの暑さのため帰った。
乗船してから、シンガポールドルを米ドルに戻すのを忘れてしまったので、夕方両替しに出かけた。
9/24
今日からGETがやっと始まった。
男性老人二人と若い女性五人であった。
先生はJoと言い、若いイギリスの美人女性であった。
ゆっくりはなしてくれるので、70%位は聞き取れたと思う。
また、生徒のレベルもほぼ同じようでまずは一安心した。
午後2時ようやくシンガポールを出港した。
やれやれである。しかし一週間以上の遅れどのように回復するのだろう。
元宇宙飛行士の秋山豊寛さんの『鍬と宇宙船~なぜ百姓になったか~』を聞いた。
なかなか聞き応えのある話であった。
50代半ばでTBSを辞めて、農家になったという。
この決断にはやはり“死=老い”の問題があった。
いつ死んでもいいように残された人生を大切にしたいと言う思いはとても共感できる。
今日昼ご飯の時、とてもすてきな女性にあった。
昨日GETのオープンスクールであった28歳の女性で、後ろから声をかけられた。
日本で教員をやった後、海外青年協力隊でドミニカで二年間数学を教えて来たという。
ドミニカはスペインの後に寄る。
今後もこの仕事を続けたいが、親との関係もあるし、家庭も持ちたいし、悩んでいるとのこと。
この船でゆっくり考えたいと言うことであった。
これまで船内で出会った若い子の多くはちゃらちゃらしている子が多かったのでうれしかった。
シンガポールは、当初は半日の滞在予定であった。
それが船のトラブルで望外の滞在となった。
何が幸いとなるか、わからないものである。
ホテル代はジャパングレースが負担する。
シンガポールはほぼ赤道直下・熱帯である。
高温だが、湿気は意外と少なく、ビル内は冷房も効いている。
車優先の社会で、車にはステータスのわかる様々なシール=マンション・ゴルフクラブなど
がたくさん貼ってある。
横断歩道は少なく、歩行者信号の時間はとても短い。
車の合間を縫って人々は通りを横断する。
道路は綺麗で、ゴミは落ちていない。
物価は、生活必需品は安いが、贅沢品は高いという。
シンガポールの国土は狭く、淡路島島と同じくらいの広さで、
マレー系、中国系、欧米系、インド系などの他民族国家で、
リー・クアン・ユー首相が今日の住みやすい繁栄の基礎を築いたという。
ピースボートは、さながらボートピープル状態で、インドのコーチンに向かう。
約一週間のクルーズである。