風そよぐ部屋

ウォーキングと映画の無味感想ノート

第79回ピースボートまとめ・現地発、上

2013年05月26日 | 79回ピースボート・現地発
現地から発信したブログを上下一つにまとめました。  

4月1日午後1時、横浜港を出港しました。

東シナ海は、天候が良くなく、二日目を除いて、曇りと雨でした。
夜中、音はしませんでしたが稲妻が光りました。
波が大きく、少し船酔いしましたが、酔い止めとお酒を飲んで、寝ました。
船酔いと言っても、ちょっと気分が良くないだけで食事はいただけました。
4月6日初めての寄港地・香港に入港しました。
バスで、市内巡りをしましたが、私には香港はただの巨大ショッピングモールだけのようで興味はわきませんでした。

その後、バスと飛行機で中国の張家界・武陵源を観光しています。

ホテルは5つ星の豪華なホテルなのですが、インターネット事情も、ホテルのサービスも良くありません。
室内にランケーブルはあるのですが、昨日までは、アクセスできませんでした。
今朝、ダメ元と試みるとなぜかアクセス出来ましたが、私の使うサイトの多くはアクセス出来ませんし、
速度も遅いです。とりあえずの、第一報を送ります。
 
張家界・武陵源は、中国中央の広大なカルスト台地です。
3D映画『アバター』の背景になった所です。
とても広いので、地図で描くのは難しいです。
明日は、湖をボートで少し遊覧し、アジア一と言われる鍾乳洞を散策します。
これだけのブログ作成に20分以上かかり、だいぶ疲れました。
ピースボート上でのWEB事情も決して良くないし、お金も100分4000円ですので、
ブログ作成の気力も希薄です。                      

4月8、9日 張家界・武陵源を引き続いて散策しました。
宝峰湖

小舟で20分ほど、遊覧します。
途中2箇所、少数民族の小舟が泊まっていて、歌を歌ってくれます。
アジア最大の鍾乳洞・黄龍洞

洞窟内2kmほどを小舟で通ります。広さは広大ですが、ライトアップはベトナムの鍾乳洞には負け、
見所の説明版サービスなどは、秋吉台より遙かに遅れていて、案内板は名称だけです。

10日中国を離れて、シンガポールに向かいました。
張家界が日本になじみが無いのは、第一はアクセスの問題では無いでしょうか。
7時半に張家界のホテルを発って、シンガポールに着いたのは24時でした。
おそらく飛行機便が少ないのでしょう。
張家界空港から


11日
シンガポール市内をバスで2時間ほど観光して、午後4時頃帰船し、夜8時頃再び下船し後ンガポール市内に1泊し、
翌日からスリランカ・シーギリヤなどを巡る5泊のオーバーランドツアーに出発します。
シンガポール市内のホテルからのWEBアクセスはパスワードなどをもらいフリーで、通信事情も良いです。
ただ、私の腹の調子がちょっとよくないです。中華料理と疲れのせいでしょう。朝食は抜きました。          
時間の余裕が無いのでエッセンスのみ。
10日午後、シンガポールをほんの少し観光しました。
中国・張家界はちょうど良い気温でしたが、シンガポールは30度を超えて暑いです。
シンガポールの新しいシンボル・ホテルとショッピングモールです。
こんな建物にどんな価値があるんだろうかとはなはだ疑問です。
56階の展望台に上れます。

シンガポール中華街の仏教寺院、けばけばしいですが、やはりこの風景は落ち着きます。

シンガポール・中華街の公団住宅の風景。

窓の外に洗濯物が遠慮がちに干されていて、こんな町並みが私は好きです。
午後4時過ぎ、船に戻り、荷物の整理をして、早めの夕食をワインを飲みながらいただきました。
午後8時に、再度下船しました。
次のオーバーランドツアー・スリランカに向かいます。
シンガポールのホテルに1泊し、明日早朝、空路スリランカに向かいます。
そのホテルは、昨日と同じホテルで、苦笑しました。
この間、細々した面白い色々な出来事がたくさんありましたが、今は記す余裕がありません。
明日は、何と早朝6:50ホテル出発です。                           

4月12日、シンガポールからオーバーランドツアーでスリランカに入りました。
昨夜、シンガポールのホテルに泊まり、今日は一日飛行機とバスでの移動日です。
夕方、シーギリア近くのホテルに入りました。
無線LANの状態は良好ではありません。
シンガポールから空路コロンボに入った瞬間、「アジア」という感じがしました。
張家界やシンガポールももちろんアジアですが、私にはどこかよそよそしさを感じました。
目に飛び込むスリランカは決して裕福とは言えないのですが、非常なる"豊かさ"を感じます。
椰子の林の中で牛が草をはんでいます。何とも穏やかです。

それは、木々の緑の豊富さもありますし、道路沿いにバナナやパイナップルやパパイヤが実っているだけではありません。
人々がとても豊かなほほえみを浮かべているのです。お気に入りの一枚が撮れました。

私たちの通るバスを、興味深げに見て、視線が合うとにっこりほほえんで手を振ってくれます。
言葉は交わしませんが、これは私にとって、旅をしていての一番の喜びです。
太陰暦を使っているスリランカは、明日が大晦日、明後日が元旦だそうです。
街は新年の準備で賑わっているそうです。これは新年を祝う花火を売るお店です。

これだけのブログを作成するのに多くの時間を費やしました。
無線LANは突然シャットダウンするし、停電も二回ありました。
でも、スリランカの印象は良く書きたいことは多くあるのですが、そんな事情なのでここで止めます。
写真はいずれも移動中のバスの中からです。                     

4月13日、スリランカ3日目は、ポロンナルワ(シンハラ王朝の首都)を観光しました。

日中30度を超えるので、なるべく涼しい時間に観光するので、ホテルの出発は何と7:40です。
ホテルから遠くにシーギリヤが見えました。明日訪れます。

太陰暦も使うスリランカでは今日が大晦日、明日はお正月だそうです。
途中の村で、大晦日・新年のイベントが行われていました。

ポロンナルワの王宮跡

この地に、スリランカの地で初めて釈迦の犬歯が祀られたそうです。
その後、王朝が変わるごとに、仏歯もその地に移動されて祀られたそうです。
仏舎利

大きいだけでなく、とても美しいです。
三大仏(一つの岩山に三つの大仏が彫られてています。)
涅槃像とその左の釈迦像はとても穏やかな表情です。
 
スリランカに仏教が伝わったとき、スリランカの人々の生活は豊かで穏やかだったと私は想像しました。
釈迦の表情がとても穏やかで優しいからです。私も心穏やかになりました。
スリランカでは、仏殿に入るときは、帽子を脱ぎ、靴を脱いでお参りします。
仏像の写真を撮ることは許されていますが、仏像と一緒に写真を撮ることは出来ません。
スリランカでは、野生のクジャクやオオトカゲが目の前にいます。
 
今日の一番のお気に入り。

ブログ作成中、もの凄い雷・夕立です。三度も停電しました。       

4月14日(日)、今日は、スリランカの新年です。
朝、何時頃でしょうか、お祝いの花火の音がかしこから聞こえました
スリランカのお正月の特別の料理の一つは、ココナツミルクで炊いたご飯と、たくさんのスイーツのようです。
しかし、レストランや公共の所では、お酒は供されません。
"郷に入れば郷に従え"、仕方ないことです。ホテルの部屋のミニバーで我慢しましょう。
ホテルの朝食のスイーツ、真ん中にある白いが四角の物がココナツミルクライスです。

スリランカの最大の観光目玉のシーギリヤロック(一枚岩に作られた砦・城)、これを登ります。

 
途中の壁に、色鮮やかなフレスコが描かれています。フラッシュを使わなければ写真が撮れます。何とも太っ腹です。
壁画の女性は、豊満で美人ですが、現代のスリランカの女性は負けじに本当に美しいです。

汗びっしょりになって、約千段の階段を上り切ると、ご褒美に360度パノラマを楽しむことが出来ます。
周囲は、森です。

混み合わないと、鉄製の急階段は往復25分ほどです。
今日も、お気に入りの一枚が撮れました。
お正月を家族で遊び、楽しんでいます。小さい水入り風船を投げ合っています。
バスの私たちに降りて一緒に楽しもうと手招きしてくれましたが、バスは止まりませんでした。

このホテルのWEB事情はとても良く、ビールを飲みながらスムーズにブログ作成が出来ました。
コロンボから今日のホテルのあるキャンディ市までの移動中、道の両側は林や森でなおかつ民家も絶えることがありません。
とにかく豊富な緑がずぅーっと続きますが、民家が絶えることもありません。

4月15日、今日はコロンボの前の首都・キャンディ市を観光しました。
キャンディ市には、仏歯寺を除いて特別な観光スポットはありません。
仏歯寺

仏歯寺の本尊・仏陀の歯を納めた仏舎利 一日3回、30分ずつしか開放されない上に、日曜日の新年で大変な混みようです。

ガイドのロハンさんは、遠慮して道を譲っていたら、写真を撮れるポイントにはとうていたどり着けない、
無礼でも人をかき分け・押しのけて前進してくださいというアドバイスでした。
コロニアル様式の建物、クィーンズホテル

1時間ほど自由時間があり、私は一人で街をほんの少し歩きました。
お正月休みのせいでしょうか、たくさんの家族連れで街はとても賑わっていました。
通りは人々はきれいではありませんが、決して汚くはありません。
通りすがりの人と目が合うと、にっこり微笑んでくれます。
物売りはいますが、決してしつこくはありませんし、ガイドからスリに注意してとと一度も言われませんでした。
もちろん、狭い路地には入りませんでしたが。
お正月用の花火売り

昼過ぎ、ホテルに戻って2時間のシエスタがありました。この昼からアルコールが解禁となり、昼食時にビールを飲みました。
暑く疲れたのでしょう、少し酔っ払ったので、シエスタはとても助かりました。30分ほど昼寝をしました。
その後、4時半から、キャンディアンダンスショウを見ました。
 
松明を体に付けたり、舌の上に乗せたり、そして最後は真っ赤に燃えた炭火の上を裸足で歩くパォーマンスは、すごい迫力でした。

今日のお気に入りの一枚。

夜、レストランの食事から部屋に帰るとWEBがやっと通じ、急いでブログを作成しました。
でも、やはり通信事情は良くないです。
明日は、バスでコロンボに戻り、車窓からコロンボ市内を見学して、午後3時頃船に戻る予定です。
コロンボの次の寄港地は、エジプトのポートサイド、インド洋・紅海のかなり長い航海です。
船上では、WEB事情は良くないので、一度くらいはブログ更新をする予定ですが、しばらくはお休みになると思います。
時間が前後しますが、パリに来て、WEB事情が少し良くなったので、スリランカ以降の簡単ブログを作成しました。

4月25日、サウジアラビアのジェッタに急に寄港することになりました。
サウジアラビア政府がピースボートの活動に賛同して、寄港を認め、政府主催で歓迎会が開かれました。
その事情は私たちには全くわかりませんが、パスポートへの記載もビザも関係なく、
いわば、非公式の上陸と言うことのようで、サウジアラビアに入国したことは公的には全く記録されません。
私は、個人的にはここで私愛用の帽子を無くしてしまったことの方がショックでした。
 

4月28日、スエズ運河を航行しました。スエズ運河の巾は広いです。

スエズ運河に唯一架かるエジプト・日本友好の橋

ポートサイトの町の風景(カメラの設定ミスでモノクロです)。

当初、ポートサイト入港は深夜の予定だったので、地図を用意していませんでした。
港の前が市街で、以外と小さい町で、治安も安定しているようでした。
一人で1時間ほど町を歩きました。

翌、4月30日はアレキサンドリアへのツアーでした。
アレキサンドリアは、カエサルやクレオパトラ、アントニウス、そしてアレクサンドロス大王や大活躍した町で、
ぜひ訪れたかった町です。
でも、ポートサイトから3時間もかかるので、市内を自由に歩く時間は皆無で、
アレキサンドリアの生の感じを味わうことは出来ませんでした。
ボンペイの柱遺跡

そして思わぬ出来事が起こるものです。
ポートサイドまで後1時間ちょっとというところで、観光警察がストップを書けました。
エジプトでは観光客の安全と観光の能率のため観光警察が警備し、交通規制します。
2キロほど先でデモが行われているので、パーキングエリアで待機となりました。
砂漠の中の夕日でした。

3時間後に出発し、無事帰船しました。
船のレストランは私達のために開いてくれていました。従業員は笑顔で暖かく迎えてくれました。
私は、少し不謹慎ですが、このハプニングを十分楽しみました。

前回の続きです。
5月2日、ギリシャ・アテネの港、ピレウスに寄港しました。
ピレウスは懐かしいです。5年前のピースボートの時、船が故障し、ピレウスで数日停泊し、アテネの町を堪能しました。
その時新アクロポリス博物館は、まだ未完成でエキジビションで一部が公開されているだけでした。
そこで、今回はツアーを申し込まず、ここだけに絞って訪れました。
入場料が5ユーロと低いのが気になっていましたが、その予想通り迫力不足でした。
ガラスの廊下の下に遺跡が横たわっています。

窓越しのアクロポリスの丘はきれいでした。

アドリアノス門の門越しにアクロポリス神殿が見えます。

シンタグマ広場まで歩き、地下鉄で船に戻りました。
日中熱かったので、ランチのハヤシライスをおかずに冷えたビールをいただきました。
このショウトトリップも十分楽しみました。
私が、自由行動をすると言うことを聞いた数人が、地下鉄を体験したいと言うので同行することにしました。
間違わないように倍の神経を使いました。
ところが、彼らと別れた後、私のメトロの行き先を間違えてしましました。

お久しぶりです。今パリです。
ピースボート船上では、インターネット料金が高いのでブログ更新しませんでした。
5月4日、ナポリでピースボートを一時離脱し、個人旅行でパリにいます。
ナポリサンタルチアとベスビオス山

ナポリのガッレリア

4日はミラノで1泊しました。
5日、電車でチューリッヒ経由でパリに入りました。
アルプスの山

今日は遅いのでこれにて終わり。
明日はセーヌ川クルーズとレンタ自転車を楽しむ予定です。

5月6日(月)
予期せぬ、思いも寄らぬ出来事は起きるものです。
今朝方、朝2時半頃、けたたましい非常警報が鳴動しました。
私は、私が何かとんでもない事故を起こしたのでは無いかと動揺したのですが、
ドアを開けると、どうもそうで無いことがわかり、少し冷静になりました。
部屋に戻り、パスポートと帽子と上着をリュックに詰めて、一階に降りました。
不安気な20人ほどが着の身着のままでした。若い女性は、靴下でした。
5分ほどして、音が止みましたが何の説明も無いのが、ヨーロッパの安宿なのでしょうか。
泊まり客も、説明を求める訳でも無く、黙って部屋に戻るのでした。
すっかり眠りを妨げられたので、催眠剤のトラベルミンを飲んで眠りにつきました。
朝食は、典型的なコンチネンタルブレックファストでした。
堅いフランスパンとクロワッサンとコーヒーとオレンジジュースだけでした。
9時過ぎにホテルを出たのですが、とても涼しいので、ホテルに戻りステテコをはき、
ウインドブレーカーを着込み、リュックに傘と雨具を入れて再出発しました。
セーヌ川クルーズは10:15からでした。料金は13.50ユーロ。
この頃雨が降り始めました。
「五月雨を あつめてはやし セーヌ川」でした。セーヌ川クルーズの出発点の一つ、バトー・ムーシュ乗り場

エッフェル塔と自由の女神像のこの映像は、クルーズならではです。

クルーズは、1時間10分ほどでした。ノートルダム寺院には行かなかったのがちょっと残念でした。
当初の予定では、この後、レンタ自転車でパリを観光する予定でしたが、本格的雨なので止めました。
一度、メトロでホテルに戻りランチを食べました。食べ終わると雨が止んでいました。
でも、まだどんよりした空なので、自転車は止め、ホテルからバスティーユ方面に歩くことにしました。
バスティーユ広場「7月革命記念柱」

そこからレピュブリック広場に向かって歩きました。
サン・マルタン運河の閘門

歩いてホテルに戻りました。たっぷり3時間半ほど歩きました。
途中、スーパーがあったので、夕飯を買い、5時頃ホテルに戻りました。 
このはさんへ】
コメントありがとうございます。
ピースボートのキャビンや船内施設などの写真の用意はしているのですが、
船上では、インターネット利用料金が100分4000円ほどかかりますし、衛星を使うそうなので通信事情も良くないそうで、
私はまだ船ではWEBを使用しておらず、あなたのご要望にまだ応えらていません。ごめんなさい。
ツアー離脱は、かなりの冒険です。
個人旅行なら、帰りの飛行機の時間に遅れてもお金を出して新たに航空券を購入すれば良いだけですが、
クルーズの場合は、届け出た寄港地での再乗船に遅れたら、その連絡や次の寄港地への切符の手配などとても大変です。
旅に、失敗や予定外・予想外の出来事は付きものですが、ナポリからパリへの移動も実はハラハラ物でした。
ミラノからパリへは、チューリッヒ経由でした。
切符購入の時点では、その乗り継ぎ時間間隔は5分しかないのですが、問題ないと思っていました。
ところが、ミラノで5分遅れで出発、更に途中5分遅れとなりました。
日本なら、特急が遅れたら、それに接続する特急も時間を遅らせてくれますが、
外国ではそんなサービスは無いと思います。
検札の時、車掌にその旨伝えると、遅れたら電話すると言うのです。
でも、やはり心配でもう一度言いに行きました。
事情はわかりませんが、チューリッヒには10分の遅れを取り戻し定刻に着きました。
おそらく車掌の連絡で、運転手が都合したのだと思います。
でも、乗り継ぎは5分、しかもヨーロッパでは何番線かは前もってわかりません。
大急ぎで、電光掲示板でホームを確認し、駆け足で発車分前に大汗をかいて乗車できました。
前回のローマでは、ぎりぎり間に合って乗車して安心した瞬間、スリに財布から現金だけ盗まれました。
ですから、今回は少しも気を抜かず、でした。
その他、今朝ズボンの財布を覗くと、クレジットカードが無くなっていました。
ホテルのクローゼットにズボンをつるした時、財布の口が開いていてクレジットカードが抜け落ちてしまったようです。
時真夜中の非常警報装置の鳴動もあり、ハラハラどきどき、ハニングの連続です。
でも、実害はなかったので、楽しい思い出の一つです。
気を抜かず、見知らぬ土地の町歩きを楽しみましょう。

5月7日(火)
今日は、待望のレンタル自転車=velib'に乗りました。
   
左の機械で、レンタバイクを借りる登録をします。事前に調べて置いたのですが、うまく行きませんでした。
150ユーロの保証金が必要です。また、ICチップ入りのカードで無いと利用できません。
次に、チケットの購入です。一日券、一週間券などがあります。
一日券を買うと、右のチケットが出てきます。このチケットの裏にナンバーが記載されていて、
その番号と、チケット購入の際決めた暗証番号を入力すると自転車を借りることが出来ます。
30分以内に返せば、無料です。これを何回でも繰り返せば安く利用できますが、私は面倒なので戻さず、3時間乗りました。
コンコルド広場・オリベスク               凱旋門                  エッフェル塔
  
自転車は、安く快適ですが、パリの幹線道路は道幅が広く、また右側通行ですし、
様々な交通ルールがありますし、日本のように安易に歩道を走ることは出来ません。
写真を紹介した所は、いずれもとても広いところで、駐輪場はありませんし、velib'プールもありません。
従って、写真を撮るのがとても難しいかったです。
エッフェル塔からセーヌ川沿いをノートルダムの方向に下りました。
どこか外国の要人がフランスを訪れているようで交通規制が行われ、大回りしました。
昼過ぎになったので、自転車をプールに戻し、ホテル戻ろうとしたのですが、道を間違えてしまいました。
やっとの事でホテルに戻り、部屋でランチを食べ、1時間ほど昼寝をしました。
午後も、自転車は一日券なので借りることが出来るのですが、ちょっと面倒なので、地下鉄とウォーキングにしました。
一番に、シテ島のステンドガラスが美しいサント・シャペル教会を訪れました。チケット購入に長蛇の列でした。
教会の全景は、工事中で撮れません。チケット8.50ユーロは高すぎです。

ノートルダム大聖堂

更に、サン・ルイ島に渡り、パリ市庁舎などを見ました。
サン・ジャック島

5時半を過ぎ、疲れてきたので地下鉄を乗り継いでホテルに戻りました。
途中で、鳥肉のローストやサンドイッチを買い、スーパーでワインやサラダや果物を買い、ホテルで食べました。
天気予報では午後からは雨でしたが、雨は降りませんでした。午前中はやはり少し寒かったです。
4時過ぎから暑くなりました。       

5月8日(水) 今日一日、ベルサイユ宮殿を見学しました。
朝9時前にホテルを出ました。メトロを乗り継いで、サン・ミッシェル駅までは順調でしたが、
そこから、RER(JRみたいなもの)に乗り換えるとき、失敗しました。
乗客に、ベルサイユ行きかと聞くと、そうだというので乗ったのですが、セーヌ川の上を越えて行ったのでおかしいと思いました。
RERは、電車ですがセーヌ川沿いは地下を走っていて、途中で地上に出ます。
ベルサイユは、セーヌ川沿いの方向ですので、セーヌ川を越えると、行き先が違います。
そう、先ほどの男は間違っていたのです。次の駅で降りて、引き返し、今度はベルサイユ行きの電車に正しく乗り込みました。
電車の本数が少なく、30分はロスしたでしょう。ベルサイユ行き電車は2階建て、5シートですが満員でした。
駅からベルサイユ宮殿までは、歩いて7分ほど。すでに長蛇の列でした。
30分ほどしてやっと、入り口にたどり着きました。でもそこはセキュリティチェックで、チケット売り場ではありませんでした。
ヨーロッパでは、チケット売り場と入り口が全く別なところが多いのです。
チケット売り場に戻って、チケットを買って、再び行列かヨと、がっくりしていると、何か小さな紙切れをくれました。
チケットを購入した後、並ばずにここに来れば、入れるという紙のようです。
言葉が通じなかったり、事情がわからないと再び並ぶことになるでしょう。フランスの粋な計らいは感謝です。
11時過ぎ、やっと入場することが出来ました。
ナポレオンの戴冠式の絵

大運河

ワンディチケット(25ユーロ)を買いました。ガーデン、マリー・アントワネット離宮全てに入ることが出来ます。
アントワネットの小トリアノンのテレジアの肖像

大トリアノンなどを見て、再びベルサイユ宮殿に戻ると、噴水に作動していました。

でも、ここまで約5時間、2万歩ほど歩き、だいぶ疲れたので、帰ることにしました。
この日は、ランチにサンドイッチを作ってきましたし、お八つにバナナも準備万端で、途中何度か休憩したのですが。
天気は、不順で時々夕立のようにざぁーと降ったり、日差しが強く暑くなったり、めまぐるしく変わります。
傘を差したり、ヤッケを着たり、脱いだり忙しいこと。
トイレは少なく小さいですが、数カ所あります。
帰りの電車は、すいていました。
明日は、デジョンに行く予定です。パリ・リヨン駅までメトロで行き切符を購入しました。
デジョンは、パリから、フランスの新幹線・TGVで2時間ほどで、予約が必要だからです。
自動券売機もあるようですが、よくわからないので、カウンターで買うことにしたのですが、
整理券が必要です。当日券、後日券と整理券の発券マシンは別々です。
職員はいるのですが、指さすだけ、何とも不親切です。
私の番まで待っている間に、同じく待っている人にデジョンのタイムテーブルを聞くと、そこにはありませんでした。
すると彼はわざわざどこかに行って、それを持って来てくれました。
一般のフランス人は時には優しいです。
やっと暫くして私の番号が電光掲示板に出て、カウンターに行きました。
行きは、2等が無く1等で86ユーロでしたが、購入しました。
やっと切符が購入できて帰路につき、スーパーで夕食を買ってホテルに戻りました。
今日だいぶ歩き疲れたので、明日の出発はゆっくりです。
その分デジョンの滞在時間はわずか4時間ほどですが。   

5月9日(木)、今日は、パリから南西に、フランスが誇る新幹線・TGVで約1.5時間のデジョンを訪れました。
地下鉄バスチューユの駅です。この駅では、日本語で「足下にご注意ください」とアナウンスされます。
地下鉄なのに地上駅で、運河の上にあります。

行きは、2等が取れず1等86ユーロ、帰りは2等50ユーロでした。
パリ・リヨン駅10:23発とゆっくりなので、明日のルーアン行きの切符を出発前に買いました。
デジョンは、小さな町ですが、歴史のある町のようです。
パリの中心街の通りはきれいでは無いですが、パリ郊外の町の通りは、ゴミが落ちて無くとてもきれいです。
それでも犬の糞と煙草の吸い殻は相変わらずですが。
町のシンボル・ノートルダム教会  壁に幸せのシンボルフクロウが これは名所を案内する路上のフクロウマーク
  
王宮

サン・ベニーニュ大聖堂

大聖堂敷地内に考古学博物館があります。国籍が聞かれるだけで、無料の上撮影も出来、展示物も豊かで、大感激です。
 
駅の反対側に、モーゼの井戸があると、"地球の歩き方"にあるので行きました。
その本には650mとありますが、1kmはあるのでは無いでしょうか。
途中、道がわからないので、自転車に乗った女性に聞きました。彼女は親切に教えてくれました。
教えられた通りに歩いて暫くして、再び彼女に会いました。私が手を振ると、近道はこちらと自転車を降りて案内してくれました。
この井戸は、現在は病院の敷地内にあるそうで、彼女は、入り口のガードマンに説明してくれました。
ガードマンが言うには、今日は休みと言うことでした。
私は、昨日・今日と歩いて足にマメが出来ていてかなり疲れていたのですが、このご親切なご婦人と出会えてとても嬉しかったです。
こうした出会いは、何物にも代えがたい旅の喜びです。
フランスは、子育て支援が豊かだそうです。
町には子ども連れの家族が多いです。
特に目に付くのは、3、4人と子どもの数が多いことです。
そして、男性が子どもの世話をとてもしています。
この風景は、フランスをとても優しく、魅力的にしています。  

5月10日(金)、パリの北西、電車で2時間、ジャンヌ・ダルクが処刑された町で有名なルーアンを歩きました。
この路線は、座席指定では無いのでとても気楽です。
パリには、パリ駅と言う名の駅はありません。北西に向かうパリ・サン・ラザール駅、東に向かうパリ・ガールド・リヨン駅、
南に向かうモンパルナス駅、北に向かう北駅・東駅などがあります。
頭のパリは省略されたり、逆に、後半が省略され、パリ行きなどと表示されることもあります。
9:37パリ・サン・ラザール駅を出発、ルーアン右岸駅に着いたのは、11:49でした。
ローカル線と言っても馬鹿には出来ません。車両はきれいで、座席もゆったりです。 ルーアン駅
 
フランス、スペイン、イタリアの郊外の町は、こぢんまりしていてとてもきれいです。
ルーアンも小さな町のようですが、静かで落ち着いてきれいでした。
でも、小雨が降り、とても寒いです。私は、半袖Tシャツ、長袖Tシャツ、カッターシャツ、ヤッケ、ウインドブレーカー、
足は、ステテコ、ズボン、レインコートズボンという異様さです。
教会は12時から2時間閉鎖されているので、教会以外の観光スポットを訪れ、セーヌ川のほとりでサンドイッチを食べて時間をつぶしました。
ジャンヌ・ダルクの塔
 
ユニークな形のジャンヌ・ダルク教会                ジャンヌ・ダルクの処刑地跡
 
ノートルダム聖堂

サン・マクルー教会の中庭は、味わいがありました。この町は、ノルマンディ独特の木骨組の家並みが多く残っています。

こんな楽しい落書きも。

15:59発、パリ着17:40でした。
電車も空いていて、うとうとしながら、帰路に着きました。     

5月11日(土)、いよいよパリ最終日、モンマルトル、ルーブル周辺、アンヴァリッドを歩きました。
地下鉄、ラマルク・コーランクール駅を降りると「スリにご注意下さい」と日本語のアナウンスが流れました。
ここモンマルトルは、スリ・置き引き・ミサンガの押し売りで有名です。
今回、ミサンガ押し売りの数はだいぶ少なくなったようです。
観光客の不評のため、警官がパトロールを強化したからと思いました。
モンマルトルの象徴・サクレ・クール聖堂
 
サクレ・クール聖堂からパリの町を。
 
ルーブル博物館のピラミッド(チケット売り場と入り口、今回は入りませんでした。) パレ・ロワイアル中庭
 
アンヴァリッド、軍事博物館[サン・ルイ教会と共通入場券、9.50ユーロ、軍事博物館は先を急いだので見ませんでした。]
 
サン・ルイ教会                            ナポレオンの妻ジョセフィーヌの棺 
 
エッフェル塔、土曜の夕方、観光客・家族連れで大混雑でした。夜はもっともっとの大混雑でしょう。
 
午前中、モンマルトルとルーブル周辺の一部を見て、一度ホテルに戻りました。
ピースボートツアーを一時離脱した場合、「ピースボートの船がルアーブルに予定通り着くか、どの港に着くか」を、
船舶代理店に事前に電話して確認する必要があるからです。
携帯電話で、何とか通じ、確認できました。
ホテルの部屋でランチを食べ、少し昼寝をして、再び出かけました。
やっと地下鉄になれたと思ったのに、午後一番出かけたルーブル近くのサン・ジェルマン・ローセロウ公園の駅、ポン・ヌフ駅は、
路線を大間違えて乗ってしまい、あちこち右往左往して、1時間もかかってしまいました。
パリは、足の指にマメが出来るほど歩きました。地下鉄の回数券も2回(20枚)も買いました。
フランス新幹線TGV、フランス国鉄RERを乗って、郊外の三つの町も訪れました。
レンタ自転車も体験しましたし、セーヌ川クルーズなど予定していたほとんどのことを楽しむことが出来ました。
少し失敗したのは、宿の選定でした。部屋に冷蔵庫が無かったこと、シャワールームが狭かったこと、
洗面台が狭くて洗濯に苦労したこと、が残念なことでした。
道を聞くと皆さん親切に教えてくれます。
地図を片手にうろうろしていると、「お困りですか」と無言で話しかけてくる人も多いです。
教えてもらって、「日本から来ました」と告げると、お互いおぼつかない英語でにっこりです。
メトロや電車や通りで、スリなどの怖い目には全く会いませんでした。
メトロの車内は暗く、ホームも階段も薄暗いです。
日本は明かる過ぎますが、その中間当たりが良いと思うのですが。
それ以上に問題なのは、通路のアンモニア臭です。
これは公共トイレがないことと自分のもの以外は汚してもかまわないと言う考えが根にあるのでないでしょうか。
トイレに入りたくなったときは、BARやカフェを使えば良いです。
私は、「トイレ使って良いですか」といって、50セントほど置くと、OKでした。
かえって高そうなレストランの方が、受け取らないで、「どうぞ」が多かったです。
パリには、ものもらいとストリートミュージシャンが多いです。
ストリートミュージシャンの多くは、メトロの通路とメトロ内です。
私は、勝手に演奏して、しかもそんなにうまく無いのに、チップを要求するなんて、とおかしいと思うのですが、
観光客ではないと思われる人が結構チップしているのはとても不思議でした。
決して少なくない数の彼らが生活出来る環境がパリにはあるのでしょう。
これについては、後日私見を述べましょう。
パリジャンは、日本では一般的におしゃれと言われますが、そんなことは全くありません。
駅でも、通りでも煙草をぷかぷか、しかもポイ捨て、食べ歩きは普通、電車内でも大声で電話ですし、
狭い車内で足を組み、その足が人や荷物に触れようがお構いなしです。
特に服装については、全く野暮ったいです。
マフラーを首に巻いて気取っているだけで、よれよれのカジュアルという感じです。
今日メトロで、ダークのロングコートに紫の襟巻きとシャツと黒のソフト帽をかぶった初老の男性が乗ってきましたが、
なぜか場違いな感じでした。
これは、彼らの公共性と個人についての考え方が異なること因ると思いますが、これは後日じっくり私見を述べましょう。
でも、私は、彼らの道徳性や倫理観やマナー観はどう見ても、やはりおかしいと思わずにはいられません。
パリは、快晴の日はなく、小雨であったり、曇天であったり、ヤッケと傘は常時携帯でした。
WEBが使えると、天気予報も見ることが出来るのでやはり便利です。
気温はおそらく20度を超すことは少なく、午後一時晴れたときだけ、暑く感じただけです。
5月の連休、日本人観光客はもっと多いと思ったのですが、意外に少なかったです。    【第79回ピースボートまとめ・現地発、中に続く】

第79回ピースボートまとめ・現地発、中

2013年05月26日 | 79回ピースボート・現地発
5月16日(木) ストックホルム(スウェーデン)
私はいつもカーテンを開けたまま寝ているのですが、今朝は4時過ぎピンク色の朝焼けでした。
ストックホルム入港まではまだ2時間以上もあるのでベッドでうとうとしました。
フランスのルアーブルを過ぎてから、洋上は強く、冷たい風が吹き、時々雨、まるで真冬のようでした。
一変して、ストックホルムは、暖かく穏やかでした。
2週間前まで雪が残っていたのですが、一挙に草花が芽吹き、木々が緑を取り戻したそうです。
人々はこの春の到来を一日千秋の思いで待っているそうです。
寒さよりどんよりした暗さが堪え、イヤだそうです。
人々は争うようにして陽を求め、外へ出るそうです。
私は、ツアーを申し込みましたが、自由行動の方が良かったというのは後の祭りでした。
9:30、ストックホルム郊外・世界遺産のドロットニングホルム宮殿にバスで向かいました。
庭園(ミニヴェルサイユ宮殿の庭園という感じでしょうか)
 
黒海に面するフィエルガタン展望台、旧市街地などを一望できます。

ガムラスタン旧市街地を散策しました。
大聖堂(4ユーロでした)
王宮
 
ノーベル博物館
 
ヴァーサ号博物館(17世紀、処女航海で沈没した船。1961年に引き上げられ展示されています。)

ツアーでは仕方ないことですが、この博物館に1時間半以上も費やしました。
おいおいもっとましな知恵は無いのかよ、って感じでした。

ガイドは高齢社会がもたらす福祉国家の「金属疲労」を簡明に紹介してくれました(これについては帰国後に書きましょう)。
特に、地方の過疎と人口の減少、移民の増加に伴う小犯罪の増加、
その両者に関わる都市へへの人口の集中と住宅・仕事不足はかなり深刻のようです。
フランス・イタリア、スペインと比べると町の通りは、段違いにきれいです。
ゴミはほとんど落ちていません。動物の落とし物はありますが少ないです。
でも私は、なぜかパリやローマやマドリッドの猥雑さの方が親近感を覚え好きです。
ストックホルムの旧市街地は広くは無いので、特別に郊外の観光地に行かないのなら、
2泊もすればゆっくり町歩きを楽しめるかもしれません。

【番外編】
一時下船して行っていた小旅行も終わり、ピースボートに合流します。
船内は、WEBの高い料金と通信事情が良くないので、ここでピースボートの船内を少し紹介しましょう。
キャビンのベッドルームは約3メートル弱の四角形で、概ね日本のビジネスホテルのツインより少し広いくらいでしょう。
この広さの中に、窓付き・窓なし、ツイン、ダブル、2段ベッド2組(4忍部屋)があるようです。

シャワールームは結構広いです。洗面台。       タンスとクローゼット
 
4階のメインレストラン        8階のリドデッキレストラン
  
最上階デッキ 他
  
レセプション                              5階キャビン廊下
 
売店                                  バー・カサブランカ
 
イベント・ダンスや映画や説明会などが行われます。確か3つほどあります。
 
中央プール                              ジム(とても狭く設備は貧弱です)
 
8階オープンスペース(ソファが沢山置かれています)には食事のメニューや海外情報やニュースが掲示されます。供用パソコン(有料)
 
また、8階中央には、ピースボート事務局やかなり広いオープンスペースと畳もあります。その他麻雀・囲碁・将棋など。
さて、大まかな一日のタイムスケジュール
6:30~7:00 モーニング・コーヒー
7:00~朝食、4階メインレストラン=和食、9階リドレストラン=洋食(ともにバッフェスタイル)
11:30~4・9階とも同じメニュー(バッフェスタイル)
15:00~15:30アフタヌーンティ
17:30~メインレストラン早番夕食(セットメニュー)、リドレストランは別メニューのバッフェスタイル
19:30~メインレストラン遅番夕食(セットメニュー)
   セットメニューだけで足りない人は、リドレストランとの両方を取ることが出来ます。
以上は、全て無料です。
また、缶ビールやドリンクの自動販売機もあり、それほど高くはありません。
飲み水やお湯氷はバーやレストランでもらうことが出来ます。
公的な行事(参加した方が良い)は、不定期に行われる進路説明会と寄港地・ツアー説明会があります。
その他、個人の全く自由な参加の色々なイベント・行事も行われています。
ラジオ体操とか、ダンス講習会、また水先案内人と言われる講師の講演や映画会などです。
キャビンには、テレビがあり、その日放映のビデオ映画を見ることが出来ます。
また、個人が自主的に開いている卓球や碁の集いなどが随時行われています。
その他、有料の英語・スペイン語講座、無料の英語・スペイン語講座があります。
もちろん、いずれも参加・不参加は全くの自由です。4
毎日、夜8時に、船内新聞が発行されます。これには、翌日の全てのタイムテーブルが載っています。
洗濯は、コインランドリーはなく、ホテルランドリーサービスに似ています。
料金は、大きな袋に入るだけ上限は確か50アイテムまでで7ドルです。
シャワー室で自分で洗濯する人も多いようですが、たらいとは難しいが、少し大きめのバケツが便利です。
私は、基本はランドリーサービスを利用していますが、時々自分でも洗います。
私は、100円ショップで、洗濯板と400円ほどのバケツを買って来ました。これは便利です。
物干し綱より、洗濯ばさみがぶら下がっている洗濯物干しが良いようです。
ウォーキング出来る甲板は9階・10階ですが、いずれもその長さは長くはありません。
1周200メートルは無いでしょう。船上での一番大事なのは、運動特にウォーキングと思って私はせっせと歩いています。

5月18日サンクトペテルブルグ(ロシア)
ペテルブルグでは、何かしらのツアーに参加しないで、個人で自由に外出することは、ピースボートでは許されませんでした。
その理由の説明は全くありませんでした。
9時過ぎ、ツアー[エルミタージュ美術館とサンクトペテルブルグ]に出発しました。
223人がバス6台に分乗し、車内はほぼ満席です。
サンクトペテルブルグは、人工的都市だそうだ。
ロシア・ピョウトル大帝は、湿地だったこの地にヨーロッパに負けない都市を築くことにしたそうです。
ちょうどベネチアのように、土台に太い杭を沢山埋めて地盤を作ったそうです。
イサク聖堂

イサク教会はロシア教会でしたが、ロシア革命後、博物館に転用されたそうです。
ロシア正教会では、入り口は西側に向けられ、祭壇は反対側の東に設置されるのがルールだそうです。
聖人を祀る教会では、真ん中の右側一番目はキリストのイコン、その右側は祀る聖人のイコンと決まっているそうです。
この教会の聖人はイサクでそのイコン画には、この教会の絵が描かれた絵を持っています。
直径2mもあろうかという巨大な大理石の柱は、重さ約100トンで一枚岩だそうです。
この巨大な柱を立てるには、たったの43分しか、かからなかったそうです。
エルミタージュ美術館は12:45~15:15とたっぷりでした。

ガイドのナターシャさんは、東洋学部の大学を卒業してほぼ完璧な日本語の上、
エルミタージュを心から愛しているのが良くわかる素敵で美人のガイドでした。
ダ・ヴィンチとラファエロの部屋には幸運なことに、ほとんど人がいませんでした。
こんなことは本当に珍しいことだそうです。
 
マチス、セザンヌ、ゴーギャンなどの多くの作品が収蔵・展示され、圧巻です。

それにしても権力者とは恐ろしいものです。
大衆から収奪したお金で、人類の至宝を買いあさるのですから。
美術館は立派ですが、ルーブルも大英博物館もそしてエルミタージュも結局の所は、権力者のエゴ丸出しの感じです。
ランチは、スピルガノフの料理を発明したスピルガノフ家の見える有名なホテルのレストランでした。
でも、気取っているだけで料理は決しておいしくはありませんでした。
その上、グラスビールが8ユーロ、ワイングラスが10ユーロ、それを頼む客もいるのですから驚きとしか言いようがありませんが。
地の上の救世主教会
 
アレクサンドル王が暗殺された地に建てられた教会で、教会内じゅうモザイクのイコンで埋め尽くされています。
その後、外国旅行客相手の土産店に45分もです。
私はすぐ抜け出し付近を歩いたのですが、この周辺は面白いことはありませんでした。
ペテルブルグは、ロシア革命発端の地、レーニンらが立てこもって指令を発したスモリヌイ女学院や、
懐かしい名前が沢山残っているのですが、それらはほとんど歴史のくずかごに捨てられ、
専制君主のピョートル大帝が大評価されているのですから何をか言わんや、の気分でした。
私は、かつて人々の希望であったロシア革命がかくも地に落ちた歴史の意味を考えざるを得ませんでした。
今日のペテルブルグは、きれいでしたが、建物や道路がやたら大きくおおざっぱ過ぎるように感じました。
私が垣間見たロシア、ペテルブルグはこの国のごくごくの一部でしか無いので、軽々な感想は危険ですが。

5月19日、ヘルシンキ(フィンランド)
ツアーを申し込んでいたのですが、キャンセルして自由行動としました。
当初の案内では、港から市の中心までは約4キロなので、タクシー利用を考えていたのですが、
港を出たところがフェリーの発着ターミナルで、トラムがありました。
自動販売機だと2.2ユーロ、車内販売だと2.8ユーロでした。
国立博物館(シニア6か8ユーロでした)

国立博物館は、昔は教会だったように思えます。
塔に十字架が無いので何の建物かと思いまた、もっと遠いと思っていたので、通行人に聞くと「あれです」と言う返事でした。
テンペリアウキオ教会
 
海の乙女像

ウスペンスキー寺院(入れませんでした)
ヘルシンキ大聖堂 

だいぶ疲れたので、3時頃には帰りました。
この日の反省は、自由行動の場合は、一度船に戻って、船のランチを取り、昼寝をして再び出かける方が、
疲れが取れ、結局多くの時間を歩くことが出来る、ということでした。
日曜で、カフェやレストランも休みが多く、どうしようも無くマクドナルドに入りました。
レシートのナンバーを入力するとトイレに入れるのでした。

5月20日、タリン(エストニア)
のっぽのヘルマン 

旧市庁舎
 
一度船に戻り、船のランチを食べ、昼寝を1時間ほどして、2時半頃再び出かけました。
キリスト変容教会

この教会は目立たない教会でしたが、中はとてもきれいでした。
修道女の塔(1.2ユーロ) 急な螺旋階段を昇って、城壁の上を少し歩くことが出来ます。
 
大ギルドの会館、エストニア歴史博物館

脇の通路には、年代譜のプレートがありました。
「氷河期の終わり」から始まり、確かエストニア独立400年記念(未来)のプレートで終わっていました。
カタリーナの通路 このエリア一帯は昔ドミニコ修道院の敷地だったようです。

沢山歩いたのですが、昼寝をしたせいでしょうか、疲れはあまり感じませんでした。
港のスーパーマーケットでリンゴを買って、クルーへのお土産にしたのですが、しなびていて新鮮ではありませんでした。
6時半頃船に戻りました。   

5月22日(水) リガ(ラトビア)
7時着岸しました。
ダウガヴァ川の川幅は広く深いようで、大型客船がかなり陸地まで入ることができるます。
リガ港は、ダウガヴァ川の河口をかなり入った所にあるようで、目の前が旧市街地です。
9時過ぎに船を下りて歩き出しました。
午前中は、ピルセタス運河を渡ったエリアを歩くことにしました。
ユーゲントシュティール建築群(アールヌーヴォ地区)

救世主生誕大聖堂

自由記念碑

船に戻って、ランチを食べ、小1時間ほど昼寝をして再び出かけました。
中央市場でバナナを買いました。5ユーロ札を出すと、山ほどのバナナでした。
半分だけもらい、おつりを現地通貨でもらいました。
聖ペテロ教会
 
火薬塔・ラトビア軍事博物館
 
リガ大聖堂

船に帰ったのは6時過ぎでした。
歩数計は、一日で3万5千歩を超えていました。
カードは使えるのですが、ユーロコイン通貨は使えません。
そこで困るのは、トイレです。ホテルを使いました。大きいホテルほど、使いやすいです。

5月24日(金) コペンハーゲン(デンマーク)
午前中は、国立美術館(無料)などを見ました。
明日は早朝からオーバーランドツアーなので、写真の整理と日記を作成する時間がありませんでしたので、以下曖昧です。
国立美術館                               ピカソとモジリアニ
  
ムンクの作品があると言うことですがわかりませんでした。
昼前に船に戻り、ランチを頂き、昼寝をして、1時半過ぎに再度出発しました。
国立オペラ座

古い漁師町(名前を忘れました)
 
Believe It or Not!博物館 とても面白い美術館でした。(12ユーロ) 「失礼」と言ったら、人形でした。
 
時間が無かったので、ゆっくり遊べませんでした。
近くにチボリ公園(遊園地)がありますが、入りませんでした。
忘れました。

人魚姫の像とアンデルセン像
 
コペンハーゲンは自転車の町です。いろんな形の自転車があります。
自転車専用道路がたくさんあり、車並みのもの凄いスピードです。市内各所に駐輪場があります。
鉄道駅前の駐輪場

すっかり時間がかかり、国立博物館などは入ることが出来ませんでした。
3万歩以上歩きました。
国会議事堂でトイレを借りました。二つ返事で入れてくれましたが、日本なら貸してくれないだろうな。

5月25日(日) オスロ(ノルウェー)
10:20コペンハーゲン発飛行機~オスロ11:30着。
空港で、トイレチップ用10ドルをクローネに両替しました。
ほんのわずかでしたが。
その他はクレジットカードが使えます。
オスロ市内をバスで王宮やオスロ市庁舎などを観光しました。
王宮

市内にある、一人の彫刻家の作品が多数陳列されているフログ公園を散策しました。 怒りん坊像
  
ノルウェーでは日本の成年式のような堅信式の行事を行なうそうです。
15歳になると大人扱いされるということで、民族衣装を着て、市庁舎や教会でお祝いして、
その後家族、親戚でお祝いし合うそうです。

5時前にホテルに着き、1時間ほど自由散策しました。
オペラハウス(屋根の上を歩けるそうです。)

オスロ市庁舎

オスロ大聖堂

ノルウェーでは水道水(軟水)を飲むことが出来るのですが、空のペットボトルを持ってくるのを忘れたので、
セブンイレブンで買いました。日本円で約500円ほどでした。物価は驚くほど高いです。
久しぶりにホテルの泊まったので、早速、あらかじめ作成してきたブログの更新とメールをチェックしました。
サーバーが良いのか、WEB通信速度は速いです。
メールは不要な物が多く、削除に手間取りました。
明日も、早朝から列車で、フロム駅に行き、「フィヨルド列車」に乗るので、夜10時には寝ました。

5月26日(日) フロム郊外(ノルウェー)
8:05オスロ発の列車でミュールダールに向かいました。約5時間です。
 
ミュールダール駅で、フィヨルド列車に乗り換えてフロムに向かいました。

両方とも座席指定ですが、一定の人数の団体ツアーでは車両一台が割り当てられます。
フィヨルド列車は広軌列車で一列2×3の5座席のゆったり車両でした。
絶景ポイントに来ると列車は、停車し写真を撮らせてくれます。
ここでは、5分間停車し、車両から降りることができます。 岩のあちこちに「妖精」が現れます。
 
なかなか見所の多い列車でした。
フロム駅には2時過ぎに着き、3時にホテルに入ることが出来ました。
 
フロム駅は、標高2mです。つまり、ここはフィヨルドの"海"なのです。
こんな大きな船が、フィヨルドの海を通って、こんな「山奥」に来ることが出来るのです。
とても不思議な光景です。
ホテルは、フロム駅の目の前で、20分ほど周辺の写真を撮って、バスタブにつかりました。
フロム駅です。ホテルの私の部屋からの写真です。
 
明日は、フェリーで「フィヨルド遊覧」です。その後、バスでベルゲンに向かい、ベルゲン市内を観光します。
夕方、ベルゲンで船に合流します。
船からは、ブログの更新は出来ません。次のオーバーランドはベネズエラのカナイマ国立公園です。
おそらくここではWEB事情は良くないので、やはりブログ更新は出来ないと思います。
出来るとすれば、おそらく6月15日のパナマ市と思うのですが、わかりません。
期待しないでお待ちくださいね。では。

5月30日(木)ベルファスト(北アイルランド)
ベルファスト着岸は、11時過ぎでした。
私は、「奇景の世界遺産、ジャイアンツ・コーズウェイ」を訪れるツアーに参加しました。
出発は午後2時過ぎでした。
途中「ブッシュミルズ・ウィスキー蒸留所」に、トイレ休憩と称するショッピングのために立ち寄りました。
出かける前は、ワイシャツでも暑かったのですが、コーズウェイに近づくにつれ、
曇り空になり、風も強くなってきました。
コーズウェイに着いたときは寒いくらいでした。
私は、オーバーズボンをはき、ウインドブレーカーの上にレインコートを着、手袋、マフラーという異様さでした。
私は、行きはシャトルバスを使い、普通コース+ほんの一部難コースを歩いたのですが、
1時間以上かかり、帰りは急ぎ足となり汗をかきました。
 
ダンスール城
 
ガリバーの作者、スイフトは北アイルランドの出身、ガリバーの顔に似ているとか。

結論的には、奇景ですが、このためだけでは、北アイルランドにはわざわざ来ないと言う程度です。

6月11日(火) ラグアイラ市内観光
ラグアイラ野町の風景、貧しい感じです。

「ベネズエラの美術と文化に触れる」ツアーに参加しました。
8:45バスでカラカス市内に向かいました。
1時間ほど走った、カラカス市まであとわずかな所エンジンがストップ。
1時間後代車が到着しました。
国立美術館 お世辞にも立派とは言えませんでした。
ピカソの絵が2点ありましたが、収蔵品が少なく30分ほどで見終わってしまいます。
 
歩いて、現代美術館 国立美術館よりだいぶ立派でした。
ピカソ作品が2点、その他ミロとシャガールの作品がそれぞれ一点ずつありました。
ミロの作品

圧巻は、ピカソ室でした。神話を題材にした一連の作品集です。

いずれも小作品でモノクロで習作のような作品集です。
その数はとても多いです。ピカソファンには垂涎でしょうか。
13:50の遅いランチでした。
コンビーフのような牛肉と塩味の小豆の煮物とライスという典型的な中南米のランチでした。
米ドルが使えるのでグラスビールを飲みました。
世界無形文化遺産「ディアブロ・ダンサンテ(悪魔の踊り子たち)」[テレサ・カレーニョ劇場]を見ました。
私達のために特別に設けられたショーだそうで、30分ほどでした。

バスで船に戻りました。
夜は、ベネズエラ政府と地元の州政府主催の歓迎イベントが行われました。
シャトルバスで10分ほどの所ですが、バスの本数が少なくまた道路が混んでいて、行くのに1時間以上かかりました。
私は翌日オーバーランドツアーがあるので30分ほどで引き上げました。

6月12日(水) ラグアイラ「カナイマ国立公園観光4日間」
9:30バスでカラカス空港へ 
カラカス空港からプエルトオルダス空港へ 
12:00発の予定が1時間30分以上遅れて出発となりました。
カナイマ空港までは約1時間 途中大湿地・湖沼地帯を越えて行きます。

テーブルマウンテンが近づく頃になると、大雨となり、エンジェルフォールもテーブルマウンテンも見ることは出来ませんでした。
カナイマ空港からトラックに座席を付けた車でロッジに向かいました。
ロッジに着いたのは、4時を過ぎていました。
昼食はロッジですることになっているのでおなかはぺこぺこでした。
慌ただしいランチを食べて、サポ滝観光に向かいました。
水着に着替え、上半身は裸、ビニールのレインコートを羽織りました。
レインコートは雨や滝から濡れるのを避けるためでは無く寒さ対策です。
サポ滝まではボートで行くのですが、途中にいくつかの滝があるのですが、雨のため写真は全く撮れませんでした。
雨季のため、サポ滝に水量はすごい勢いでした。

カメラをぬらさないように注意したのですが、途中でレンズの窓が開かなくなり、手で開けました。
帰る頃にはすっかり暗くなっていました。

6月13日(木) 二日目
今日は、このオーバーランドのメインイベント・エンジェルフォールが見える地点まで、
ジャングルを片道2時間半以上歩く大変な強行軍です。
ホテル出発がなんと朝の5時です。
4:20分にドアをたたく音がしてモーニングコールでした。
クラッカーとコーヒーでおなかを少し満たし、5時にロッジを出ました。
天気は、雨。
私は、昨日と同様、下は水泳パンツ・上はTシャツとヤッケとビニールカッパ、足下は紐付きサンダルにしました。

ジープでボート乗り場に、小一時間ほどボートでオルキデア島に行きました。
そこで、チーズとハムのサンドイッチとミカン、ジュースとコーヒーの朝食を取りました。
再び30分ほどボートに乗って、30分ほど歩きました。川が浅瀬で急流になるのでボートでは無理なのです。
そこから更に1時間ほどボートに乗って、いよいよジャングルトレッキングです。
天気はいぜんと大雨です。ここはジャングル、トイレは無いので野外のトイレを使いました。
ジャングルトレッキングはかなりハードでした。
下は、木の根っこが蔓延んだり、水たまりだったり、滑りやすい岩だったり、でした。
約1時間ほど歩くと今度はかなりの急勾配が30分続きました。
目の前にエンジェルフォールが飛び込んできました。
 
約1キロを下った水はまさに雨状態で降り注ぎます。
天候の雨と重なり風もあるので、写真をゆっくり撮るゆとりはありませんし、
岩場の先は絶壁です。
おそらくこの場には5分ほどしかいなかったのでは無いでしょうか。
しかし、たったこの5分間のために私たちは大変な苦労と努力をしたのでした。
帰り道は、下りでしたのでとても楽でした。
私は、外聞を捨て、滑らないように四つん這いになって降りました。
ベースキャンプに戻るときれいなエンジェルフォールが私たちを迎えてくれました。
雄大でした。「来て良かった」は正直な気持ちです。
時間は2時を過ぎていたのでは無いでしょうか。
ここで遅いランチを頂きました。
胡椒と塩が効いたチキンはおいしかったです。
ロッジに戻ったのは6時半を過ぎていたのでは無いでしょうか。
雨が降っているので、時間などをゆっくりメモするゆとりはありませんでした。
夕食は19時半で、たっぷり高いワインを頂きました。
部屋に戻り、更にウイスキーを少し飲んで寝ました。

6月14日(金) 今日は、パナマシティへの移動日です。
天気は晴れ、しかしこの先想像を絶する事態が起きることを私たちは誰も思いもしませんでした。
7時のモーニングコールでゆっくり起床し、朝食もゆっくりたっぷり頂きました。
9時にロッジを出発し、カナイマ空港に向かいました。
小型機とセスナに分乗してエンジェルフォールへの遊覧飛行があったのですが、
小型機からは、滝が近すぎて水しぶきしか見えませんでした。
プエルトオルダス空港に12時過ぎに着き、ボックスのランチを食べましたが、おいしくはありませんでした。
プエルトオルダス14:00発の予定ですが、いっこうにゲートや搭乗時間の案内が無いまま、
どんどん時間だけが過ぎていくのでした。
飛行機に搭乗したのは、18:20でした。
しかし、エアコンの音が全くせず、機内はすごい暑さで、いやな予感がしました。
20:00代替機に乗り換えました。
カラカス空港からパナマシティ行きの飛行機の予定時間、18:11分を遙かに過ぎています。
今日中にパナマシティに行くのは不可能です。
20:40無事プエルトオルダス空港を飛び立ち、カラカス空港に着いたのは21:40でした。
ベネズエラのカラカス市内に泊まることになりました。
サンチャゴホテルという名の三つ星ホテルでした。
ルームサービスの夕食が12時過ぎに配られました。
塩胡椒の効いたチキンで持参したウイスキーを飲んで寝ました。

6月15日(土)
5:20分、激しいドアのノックのモーニングコールで目が覚めました。
6:10にホテルを出発し、カラカス空港には7時前に着きました。
パナマ行きは11:30なのですから、4時間半以上も前です。
無事全員のチケットと搭乗手続きが終わり、遅い朝食を空港レストランで取りました。
マメと牛肉の煮込みとパンと卵というベネズエラのローカル料理でした。
10時過ぎにゲートに集合しました。
皆、また少しは遅れるだろうと思っていたようですが、
10時40分頃搭乗開始とのアナウンスがあり、私は慌てて散歩を切り上げ引き返しました。
なんと出発予定の5分前に飛行機は離陸したのでした。
順調なフライトでパナマシティ空港に着いたのは13:20分でした。
14時空港を出発して、高速道路料金所入り口でバスがエンストしました。
5分後にエンジンは直り快適に出発したのでした。
レストランでランチを食べ、カスコ・アンティグオを歩いて散策しました。
17:40コロンを出発し、帰船下のは18時を少し回っていました。
旅には、アクシデントや失敗はつきものですが、今回の経験は私の旅の中で一番の"サプライズ"でしょう。
個人の旅行では、こうしたアクシデントのクリアはとても難しいですが、
ツアーでしたので、私はこのアクシデントを十分に興奮しながら楽しみました。
帰国して、もっと詳しく追記しましょう。         

6月15日(土) カナイマ国立公園ツアーの続きとパナマ運河航行です。
5:20分、激しいドアのノックのモーニングコールで目が覚めました。
6:10にホテルを出発し、カラカス空港には7時前に着きました。
マメと牛肉の煮込みとパンと卵というベネズエラのローカル料理でした。
なんと出発予定の5分前の11:25に飛行機は離陸したのでした。
順調なフライトでパナマシティ空港に着いたのは13:20分でした。
14時空港を出発して、高速道路料金所入り口でバスがエンストしました。
5分後にエンジンは直り快適に出発したのでした。
レストランでランチ ビール小瓶が4.5ドルと安い上、何かトラブルがあっても船には簡単に変えることが出来る安心感のため2本飲みました。
カスコ・アンティグオを歩いて散策しました。
17:40コロンを出発し、帰船下のは18時を少し回っていました。

6月16日はパナマ運河の航行です。
パナマ運河は、閘門式と言われる階段式運河です。
一つの閘門を通過するのに小一時間かかります。
また、パナマ運河はワンウエィです。午前午後で進路が変わるので、
運河航行は待機時間などを含めると1日かかり、料金もとても高いそうです。
 

大西洋のクリストバルから太平洋のパナマシティまでは、バスでは1時間半ほどです。
この距離を、一日かけてゆっくり通るのは面白いのですが、
この日の気温は、以上とも言える暑さでした。 

6月19日(水) グァテマラ・ティカル
1泊2日のツアー"マヤ最大の遺跡・ティカル"に参加しました。
アクシデントは、いろいろあるもので、今回もビックリスタートでした。
9時半の飛行機の予定でしたが、機体が整備不良のため、一度船に戻り船でランチを食べ、
12:45に再スタートとなりました。
ティカル遺跡の観光は時間的に足りないので、明日の予定と入れ替えとなり、
今日は、フロレンス島の観光と変更になりました。
飛行場は、軍事空港とのこと、落下傘部隊の訓練の卒業テストだったとか、
記念撮影に来てくれました。
 
しかし、フロレンス島はティカルへの入り口の町ということだけで、
とても狭く、観光スポットも皆無なので15分も歩くと観光終了でした。
フロレンス島の街

ホテルへは遠回りをしたよう湖畔を走り、17時頃到着しました。
ホテルののロケーションはとても良いらしいのですが、私はネットへのアクセスがあるので、
ホテル周辺の散策はしないで、メールのチェックとブログの更新にいそしみました。
ネットは、一日10ドルでしたが、速度は速く全く問題ないのですが、
電源プラグが私のとは合わないので限られた時間しか出来ません。
私は、船でブログの準備をして来たので、この間のベルファスト・カナイマ・パナマの
簡単なブログをブログ更新しました。
明後日テオキワカンへのオーバーランドツアーを予定しているので、
おそらくそこで最後のブログの更新が出来ると思いますが、さてどうなるでしょうか。 

6月20日(木) フローレス島からティカル遺跡
ホテル出発は、なんと7:30。
8:45からティカル遺跡巡りが始まりました。
ジャングルと言うので、私は、サンダルからスニーカーに履き替えたのですが、道は広くぬかるんでもいないので、サンダルのほうが良かったと思いました。
遺跡全体は、24km四方あるそうで、その中心の4km四方が発掘されただけで、
その全体像・全貌は以前明らかになっていないようです。
マチュピチュやアンコールワットも長い間土に生まれていました。
覆っていた土が払われ、元の姿がだんだん明らかにされて来ました。
マヤ文明はインカ文明と混同されやすいですが、同一ではありません。
マヤ文明は、紀元前数世紀から紀元7世紀頃まで、メキシコ・グアテマラの熱帯ジャングルの中に作られた都市・神殿国家連合のようです。
彼らが、どこからやって来て、この地を捨ててどこに向かったは今も定説は無いようです。
一号神殿

セントラルアクロポリス

4号神殿

4号神殿の上から全体を見る

12:30入り口に戻りランチ 13:30バス出発 15:00飛行場着
この空港も同じく軍用飛行場なのですが、フローレス飛行場より大きいせいか、職員も多いようで、X線のセキュリティチェックの機械は無いようなので、人の手で鞄を一つ一つ開けてチェックし、多くの時間がかかりました。
結局、飛行機が出発したのは、15:55でした。
飛行機は30数人乗りでした。驚いたことにアテンダントが二人が飲み物とスナック菓子をくばりました。
フローレス空港に着いたのは1時間後でした。
そして最後のハプニング、手荷物にならない危険物は添乗員が集めた預けたのですが、その
荷物が飛行機に乗っていなかったのでした。
添乗員も、旅行代理店職員も大汗でした。
約15分後、もう一機の飛行機が到着し、その飛行に荷物が乗っていたのでした。
その頃、私ののどはかなり痛んで来たので、港周辺のお土産屋には寄らず、帰船し、
シャワーを浴び、少し休んで食事を取りました。
のどが渇いたので、ハヤシライスをおかずに缶ビールを2杯飲みました。

6月22日(土) アカプルコ(メキシコ)
メキシコは日本の面積の5倍以上の広さを持つ大国で、アメリカ合衆国のテキサス州などもかつてはメキシコに属していました。
アカプルコは、メキシコの真ん中より少し南の太平洋側にある港で、リゾート地しても有名です。
アカプルコには、正午に着きました。
かつては、プレスリーの歌のようにアカプルコはアメリカ合衆国の大リゾート地でしたが、
今日は、その価値がだいぶ落ちているようです。
それでも街はとても派手で賑わっていました。

私は、『テオティワカン遺跡』の2泊3日のオーバーランドツアーに参加しました。
一日目は、移動日です。船を1時に出て、バスでメキシコシティ空港に向かいました。
これは、飛行機から撮ったメキシコ市の一部です。
 
アカプルコ16:27発、メキシコシティ着は17:48、シェラトン・マリア・イザベル・ホテルに19時にチェックインしました。
このホテルの連泊ですのでとても楽です。
シェラトンとは名ばかりで、建物は古く、設備も一流とは言えません。
ただ部屋は広いです。
その上、ネット使用料は24時間20ドルです。
食事もバッフェで、特別なことはありませんでした。
おまけに、喉の次は鼻炎です。原因はわかりません。
明日一日、メキシコ市内観光とテオキワカン観光が控えているので今日は早めに休みます。

6月22日(土) アカプルコ(メキシコ)
メキシコは日本の面積の5倍以上の広さを持つ大国で、アメリカ合衆国のテキサス州などもかつてはメキシコに属していました。
アカプルコは、メキシコの真ん中より少し南の太平洋側にある港で、リゾート地しても有名です。
アカプルコには、正午に着きました。
かつては、プレスリーの歌のようにアカプルコはアメリカ合衆国の大リゾート地でしたが、
今日は、その価値がだいぶ落ちているようです。
それでも街はとても派手で賑わっていました。

私は、『テオティワカン遺跡』の2泊3日のオーバーランドツアーに参加しました。
一日目は、移動日です。船を1時に出て、バスでメキシコシティ空港に向かいました。
これは、飛行機から撮ったメキシコ市の一部です。
 
アカプルコ16:27発、メキシコシティ着は17:48、シェラトン・マリア・イザベル・ホテルに19時にチェックインしました。
このホテルの連泊ですのでとても楽です。
シェラトンとは名ばかりで、建物は古く、設備も一流とは言えません。
ただ部屋は広いです。
その上、ネット使用料は24時間20ドルです。
食事もバッフェで、特別なことはありませんでした。
おまけに、喉の次は鼻炎です。原因はわかりません。
明日一日、メキシコ市内観光とテオキワカン観光が控えているので今日は早めに休みます。【第79回ピースボートまとめ・現地発、下に続く】   

第79回ピースボートまとめ・現地発、下

2013年05月26日 | 79回ピースボート・現地発
6月19日(水) グァテマラ・ティカル
1泊2日のツアー"マヤ最大の遺跡・ティカル"に参加しました。
アクシデントは、いろいろあるもので、今回もビックリスタートでした。
9時半の飛行機の予定でしたが、機体が整備不良のため、一度船に戻り船でランチを食べ、
12:45に再スタートとなりました。
ティカル遺跡の観光は時間的に足りないので、明日の予定と入れ替えとなり、
今日は、フロレンス島の観光と変更になりました。
飛行場は、軍事空港とのこと、落下傘部隊の訓練の卒業テストだったとか、
記念撮影に来てくれました。
 
しかし、フロレンス島はティカルへの入り口の町ということだけで、
とても狭く、観光スポットも皆無なので15分も歩くと観光終了でした。
フロレンス島の街

ホテルへは遠回りをしたよう湖畔を走り、17時頃到着しました。
ホテルののロケーションはとても良いらしいのですが、私はネットへのアクセスがあるので、
ホテル周辺の散策はしないで、メールのチェックとブログの更新にいそしみました。
ネットは、一日10ドルでしたが、速度は速く全く問題ないのですが、
電源プラグが私のとは合わないので限られた時間しか出来ません。
私は、船でブログの準備をして来たので、この間のベルファスト・カナイマ・パナマの
簡単なブログをブログ更新しました。
明後日テオキワカンへのオーバーランドツアーを予定しているので、
おそらくそこで最後のブログの更新が出来ると思いますが、さてどうなるでしょうか。 

6月20日(木) フローレス島からティカル遺跡
ホテル出発は、なんと7:30。
8:45からティカル遺跡巡りが始まりました。
ジャングルと言うので、私は、サンダルからスニーカーに履き替えたのですが、道は広くぬかるんでもいないので、サンダルのほうが良かったと思いました。
遺跡全体は、24km四方あるそうで、その中心の4km四方が発掘されただけで、
その全体像・全貌は以前明らかになっていないようです。
マチュピチュやアンコールワットも長い間土に生まれていました。
覆っていた土が払われ、元の姿がだんだん明らかにされて来ました。
マヤ文明はインカ文明と混同されやすいですが、同一ではありません。
マヤ文明は、紀元前数世紀から紀元7世紀頃まで、メキシコ・グアテマラの熱帯ジャングルの中に作られた都市・神殿国家連合のようです。
彼らが、どこからやって来て、この地を捨ててどこに向かったは今も定説は無いようです。
一号神殿

セントラルアクロポリス

4号神殿

4号神殿の上から全体を見る

12:30入り口に戻りランチ 13:30バス出発 15:00飛行場着
この空港も同じく軍用飛行場なのですが、フローレス飛行場より大きいせいか、職員も多いようで、X線のセキュリティチェックの機械は無いようなので、人の手で鞄を一つ一つ開けてチェックし、多くの時間がかかりました。
結局、飛行機が出発したのは、15:55でした。
飛行機は30数人乗りでした。驚いたことにアテンダントが二人が飲み物とスナック菓子をくばりました。
フローレス空港に着いたのは1時間後でした。
そして最後のハプニング、手荷物にならない危険物は添乗員が集めた預けたのですが、その
荷物が飛行機に乗っていなかったのでした。
添乗員も、旅行代理店職員も大汗でした。
約15分後、もう一機の飛行機が到着し、その飛行に荷物が乗っていたのでした。
その頃、私ののどはかなり痛んで来たので、港周辺のお土産屋には寄らず、帰船し、
シャワーを浴び、少し休んで食事を取りました。
のどが渇いたので、ハヤシライスをおかずに缶ビールを2杯飲みました。

6月22日(土) アカプルコ(メキシコ)
メキシコは日本の面積の5倍以上の広さを持つ大国で、アメリカ合衆国のテキサス州などもかつてはメキシコに属していました。
アカプルコは、メキシコの真ん中より少し南の太平洋側にある港で、リゾート地しても有名です。
アカプルコには、正午に着きました。
かつては、プレスリーの歌のようにアカプルコはアメリカ合衆国の大リゾート地でしたが、
今日は、その価値がだいぶ落ちているようです。
それでも街はとても派手で賑わっていました。

私は、『テオティワカン遺跡』の2泊3日のオーバーランドツアーに参加しました。
一日目は、移動日です。船を1時に出て、バスでメキシコシティ空港に向かいました。
これは、飛行機から撮ったメキシコ市の一部です。
 
アカプルコ16:27発、メキシコシティ着は17:48、シェラトン・マリア・イザベル・ホテルに19時にチェックインしました。
このホテルの連泊ですのでとても楽です。
シェラトンとは名ばかりで、建物は古く、設備も一流とは言えません。
ただ部屋は広いです。
その上、ネット使用料は24時間20ドルです。
食事もバッフェで、特別なことはありませんでした。
おまけに、喉の次は鼻炎です。原因はわかりません。
明日一日、メキシコ市内観光とテオキワカン観光が控えているので今日は早めに休みます。

6月22日(土) アカプルコ(メキシコ)
メキシコは日本の面積の5倍以上の広さを持つ大国で、アメリカ合衆国のテキサス州などもかつてはメキシコに属していました。
アカプルコは、メキシコの真ん中より少し南の太平洋側にある港で、リゾート地しても有名です。
アカプルコには、正午に着きました。
かつては、プレスリーの歌のようにアカプルコはアメリカ合衆国の大リゾート地でしたが、
今日は、その価値がだいぶ落ちているようです。
それでも街はとても派手で賑わっていました。

私は、『テオティワカン遺跡』の2泊3日のオーバーランドツアーに参加しました。
一日目は、移動日です。船を1時に出て、バスでメキシコシティ空港に向かいました。
これは、飛行機から撮ったメキシコ市の一部です。
 
アカプルコ16:27発、メキシコシティ着は17:48、シェラトン・マリア・イザベル・ホテルに19時にチェックインしました。
このホテルの連泊ですのでとても楽です。
シェラトンとは名ばかりで、建物は古く、設備も一流とは言えません。
ただ部屋は広いです。
その上、ネット使用料は24時間20ドルです。
食事もバッフェで、特別なことはありませんでした。
おまけに、喉の次は鼻炎です。原因はわかりません。
明日一日、メキシコ市内観光とテオキワカン観光が控えているので今日は早めに休みます。   【現地発まとめ終わり】