風そよぐ部屋

ウォーキングと映画の無味感想ノート

スペインの旅、ロンダ・ヌエバ橋

2011年05月21日 | 海外旅行
今日は、午前中はロンダでまだ見ていないスポットを見て回った。
昼ご飯をホテルで食べ、昼寝を少しして、午後は渓谷の下まで降りて、
ヌエバ橋・ロンダを下から見た。
かなりの汗をかいたが、木陰にはいるとひんやりするので休み休みであった。
結構いい写真が撮れたと思う。




インターネットも通じ、やれやれ・気分すっきりと夕食を取った。
ワイン、グラスワインを2、3杯飲むとボトルより高くなるので、ボトルを頼んだ[8.5ユーロ]。
半分ほど飲んで帰ろうとすると、隣の席のオランダ人、飲まないならくれヨ、と言う。
おもしろいものである。

スペインの旅、グラナダからロンダへ

2011年05月21日 | 海外旅行
5月20日、午前中グラナダの市内を散策。
これまで行かなかったところに川が流れていた。

13:45グラナダ発、特急電車でロンダへ。16:15時間通りロンダに着く。
ホテルまでは徒歩10分ほどのようだが、タクシーを使った。
ポロホテルのレセプッションに、日本人女性がいた。
驚いたような、ホッとしたような。
荷物を整理して、散策に出た。
闘牛場[今は博物館]

ヌエバ橋

インターネットがつながらず、苦労しました。
5月21日になって、日本人スタッフに聞くと入り口ラウンジなら大丈夫でしょうというので、トライしできました。

スペインの旅、マラガ

2011年05月18日 | 海外旅行
マラガに行った。
マラガは、グラナダの南西・80キロほどにあるフェニキア人によって築かれた海岸の町である。
マラガ行きのバスは、グラナダのセントラルから西にバスで20分ほどのバスターミナルから出る。
バスは1時間おきに出ていて、私は11時発のバスのチケットを昨日買ったのだが、失敗であった。
自動車専用道路[料金は必要ないが、制限速度100キロなので高速道路なのだろう]で2時間するとマラガに着く。
これほど時間がかかるのは、停留所に止まるためで、その時一度一般道に出るから。
マラガ市はとても大きな町で、私の計画通り歩くと帰りの16時発のバスにとても間に合いそうもないのだ。
マラガのバスターミナルから、市中心部まではかなり距離があるので、思い切ってタクシーで、
最初の目的地、ヒブラルファロ城に行った[8ユーロ]。そこからの眺望。

中央の円形は闘牛場。

きれいな景色を見ながら、用意していったサンドイッチや飲み物で昼食。
城はかなりの坂の上にあるが、ここからは下りとなるので、歩いた。
15分ほど下ると市の中心部に出る。
ローマ遺跡の残るアルカサバ。

この後、ピカソ美術館に行こうと思ったのだが場所が全く分からず、3人に聞いてやっとたどり着いた。
当初の予定では、中に入り、またピカソの生家や人形の家博物館なども訪れる予定だったのだが、
時間が全くないのであきらめ、大急ぎでカテドラルに行った。


10時発のバス、帰りは17時のバスにした方が良かったかもしれない。
途中何度か、雨が降られたが、テレビの天気予報が雨模様だったのでカサを持って出たので正解であった。
帰りのバスは、2ユーロほど高い、いわば特急バス、ゆったりシートで、水とビスケットのおまけが付いてきた。

スペインの旅、アルハンブラ宮殿

2011年05月17日 | 海外旅行
今日は、アルハンブラ宮殿だけを観光した。
【全体像は、入場してしまうと見ることはできない。】
昨日全体像を移したサン・ニコラス展望台が見えた。


ハイシーズン時のアルハンブラ宮殿チケットは、当日では買えないこともある、
と言うので、インターネットで予約しておいた。
おもしろいシステムで、申し込み時にすでに代金は支払われているのだが、
当日、ATMみたいな機械にクレジットカードを入れると、チケットが出てくる、と言うもの。
予約金1ユーロが必要だが、申し込んでおいた方が良い。
ナスレ朝宮殿は、申し込み時に入場時間を指定する。その時間以外は入れない。
混んでいるときは、時間になっても待たされる。
一定の人数しか入れない、と言う方針のようだ。
私は9時半入場にした。だがもうかなり並んでいた。


 


宮殿とは言うが、ほとんど要塞である。
遺跡は残っているが、イスタンブールのトプカプ宮殿のような宝物殿はない。
レコンキスタ運動・スペインのイサベル女王が全て略奪したのだろう。
以降、スペインは大航海時代、帝国主義国家として略奪しまくる。

スペインの旅、グラナダ市内

2011年05月16日 | 海外旅行
グラナダ市内を散策した。
まず、バスでアルハンブラ宮殿が一望できる高台=サン・ニコラス展望台に行った。

グラナダの町

そこから、坂を下って市内に向かった。
ヘロニモ修道院


グラナダの中心街は思ったより狭いようだった。
旅の疲れも出て来たので、昼食はサンドイッチを買ってホテルで食べ、その後30分ほど昼寝をし、
アルハンブラ宮殿の下見に出かけた。
バスとチケットの購入方法などを確認し、宮殿を下った。
今度のホテルはバスタブがあるので、早めにホテルに戻り、ズボンなどを洗濯をした。

さて、バルセロナ・グラナダの気候。
朝晩は、とても涼しい。Tシャツの上に、ワイシャツそしてカーデガンが必要、
日中の日射しは、かなり強いのだが、木陰に入るとひんやりするほど。
汗をかくという感じはしない。
だから、羽織るものを持つので荷物が多くなる。

スペインの旅、バルセロナからグラナダへ

2011年05月15日 | 海外旅行
バルセロナ・サンツ駅発グラナダ行きは、朝8時発と寝台の二本しかない。
私は、8時発の電車に乗った。到着はなんと19時半の予定である。
一両に6人しか乗っていなかった。
大きな岐路駅で、列車を次々と切り離し、それぞれの目的地に別れていくのである。
切り離しには、20~30分かかるので、時間がかかるのである。
最終的に、グラナダに向かう列車は1両になっていた。






車窓からは、家、車、林などはほとんど見られない。
オリーブ、ブドウ、牧草、時々畑が延々と続く風景であった。
グラナダ駅近くになってスコールのような雨が降ったが、すぐやんだ。
30分遅れでグラナダ駅に着いた。
駅と中心地は離れているので、タクシーで行った。
今度のホテルは、バスタブ・テレビ・金庫・冷蔵庫が付いている。

スペインの旅、バルセロナ7日目・モンジェイク地区

2011年05月14日 | 海外旅行
今日は、早くもバルセロナ7日目、最終日になった。
モンジェイク地区は、バルセロナ市内と港が一望できる小高い丘の上にあり、
昔は、モンジェイク城が港に睨みを利かせていた。
フニクラとロープウェイで上ることができる。
 
1929年のバルセロナ万国博とオリンピックで一帯が開発された。
その際のテーマパーク"スペイン村"は期待はずれだった。
いろいろな施設が建ち並ぶが、スペイン語表示で地図がよく分からなかった。
カタルーニャ美術館が壮大にそびえ立つ。[入らなかった]

明日は、グラナダへの移動日。朝8時の電車なので早めにホテルに戻った。
このホテルで知り合った、アメリカ人の若い夫婦とロビーでビールを飲みながら少しお話した。

スペインの旅、グルメウォーキングツアー/市内観光

2011年05月13日 | 海外旅行
午前中、バルセロナの中心・カタルーニャ広場周辺のグルメスポットを歩いて巡るツアーに参加した。
サン・ジュセップ市場のイベリコ豚の生ハム屋

そのほか、お菓子屋、珈琲豆屋など12のお店を歩いて巡った。
話好きのガイド(英語)で2時間の予定なのに、30分近くもオーバーした。

その後は、サン・パウロ病院、モヌメンタル闘牛場、グエル別邸、サンタ・テレサ学院などを巡った。
モヌメンタル闘牛場

サンタ・テレサ学院

途中、サンツ駅で下車し、二日後グラナダへの列車乗り場を確かめた。
サンツ駅は、とても大きい上に、イタリアやフランスの鉄道の駅とは全く構造が違っていた。
これまでのヨーロッパの駅は、自由にプラットホームに入れる構造なのだが、サンツ駅は改札口が日本のようにあった。


スペインの旅、モンセラット・シッチェス

2011年05月12日 | 海外旅行
本日も、現地ツアー"聖地モンセラットとシッチェス1日観光"に参加した。
モンセラットはカタルーニャのキリスト教の聖地と言われる。
奇岩地帯にある。トルコのカッパドキアほどの広さ・規模・特異性はない。

バジリカ[すごい混みようで身動きできないほど、仕方なくすぐ退出しました]

「フニクラ」(ケーブルカー)の乗って、更に少し上まで上りました。
また、登山鉄道にも乗りました。

シッチェスは、海岸のリゾート地。

小さな町で、特別の観光スポットがあるわけではない。

スペインの旅、ジローナ・フィゲラス

2011年05月11日 | 海外旅行
今日は、地元ツアー“ジローナとフィゲラス一日観光”に参加した。
ジローナは、古くから交通の要衝にあり、小さな町だが様々な文化が混在している。
オニャー川とキャシードル(大聖堂)

折しも、この一週間フラワーフェスティバルが行われていて、大変な混雑であった。

フィゲラスは、ダリの町[生誕し、終焉した]である。
ダリ美術館

ダリ美術館はおもしろく、楽しい。
写真撮影自由もいい。
展示説明も小さくて読めないので、無いに等しいもいい。
昨夜ホテル従業員の青年と話をしたら、彼がこの地で生まれ、育ったと聞いたので、市内も少し散策した。
ホテルに戻ると、レセプションに彼がいて、少し話をした。

スペインの旅、バルセロナ2日、ガウディ

2011年05月09日 | 海外旅行
5月9日、スペイン2日目はガウディの建築物を訪れました。
グエル公園、ガウディ博物館、カサ・ビセンス、カサ・ミラ、カサ・バトリョ、カサ・カルベ、サグラダ・ファミリアなどを訪れました。
サグラダ・ファミリア

サグラダ・ファミリアでのエレベーターは、2時半入場時に、4時の予約でした。
4時にエレベーター前に行きましたが、エレベーターに乗れたのは45分後でした。
ピースボートで訪れたときは、内部は工事中でほとんど見るべきものがありませんでしたが、
今回は、かなり仕上がっていてとてもきれいでした。

また、時間もたっぷりあったので、ゆっくり見ることができました。
特に、敷地外の公園にも行って、全景を楽しむことができました。

スペインの旅、バルセロナ1日目

2011年05月08日 | 海外旅行
無事スペインに着きました。
5月8日0時30分羽田発の予定が、エンターテイメント関係の故障ということで、
出発は、2時10分頃になった。
パリに着いたのは、8日の朝7時、パリ発の飛行機は7時40分、大急ぎの乗り継ぎで何とか間に合った。
その詳しい様子は、後日にゆっくりします。
後は順調、スムースにホテルに到着し、早速観光しました。

これは、カテドラル前の広場で、カタルーニャのダンスを踊る人々。
写真のメモをなくしてしまい、整理が大変になりそうです。
インターネットの事情はまずまずですので、簡単なブログを出したいです。
食事もBARでゆっくりたっぷりいただきました。
ホテルに冷蔵庫がないのが唯一困ったことです。
シエスタを取ったのですが眠くなりましたので、本日はここまで。
【時間ハ、現地時間】

スペインを旅してきます。

2011年05月06日 | 海外旅行
5月8日から1ヶ月間、スペインに行って来ます。
5月8日、深夜0時35分羽田を出発し、6:20パリ;シャルルドゴール国際空港着、7:40パリ出発、
 5月8日 9:20バルセロナ;バルセロナ空港着、
6月6日、11:05バルセロナ出発、13:20アムステルダム;スキポール空港着、14:55アムステルダム出発、
 6月7日、8:55成田国際空港着 の予定です。

日程。
現地でいくつかのツアーに参加しますが、後は地下鉄利用の歩きがおもな個人オリジナルツアーです。


スペイン国内の移動は鉄道とバス、市内はメトロと歩きです。
今回、ちょっとアニマックですが、スペインとフランスの国境にあるアンドラ公国も訪れます。
広さは金沢市と同じ位、人口は7万人、関税のない小さな観光立国の国で、
政治体制は、帝政以前の古代ローマの共和制とよく似ていると言われます。
バルセロナから、バスで片道3時間、滞在約3時間、つまりただ行くだけ、ですが。
ピースボートでは、バルセロナとカナリア諸島に行きましたが、それぞれ半日だけの滞在でした。
今回は、ロンダ・コルドバ・セビーリャ・トレドなどの地方都市も訪れ、のんびり旅をしたいです。
ピースボートでは、ジブラルタル海峡を海から通りましたが、今回は陸からジブラルタル海峡を見る予定です。
ジブラルタルは、現代でもイギリスの海外領土で、イギリスが領有しているのです。
他方、アフリカ・モロッコの先端のセウタは、スペインの飛地領でスペインが領有しているのです。
中世・大航海時代・帝国主義時代から、今日に至るまで「先進国・大国」がずぅーっとここを領有し、引き継いでいるなんて、
不思議を通り越して私には"変"というか"異常"としか思えません。
ジブラルタル海峡の一番狭い所は、アフリカとはわずか14kmしか離れてなく、晴れるとモロッコが見えるそうです。
そんなわけで、細かく言うと3ヵ国を訪れることになります。

スペインは、古代ローマ・キリスト教・イスラームの三つの文化が類いまれに解け合っていると言われています。
イスラームのオスマントルコは難攻不落と言われた東ローマ帝国の首都コンスタンチノープルを陥落させ、
スペインを支配下に置き、古代ローマと匹敵する帝国を築きました。
彼らは、都の名をイスタンブールに変えはしたが、キリスト教文明を破壊することなく、それらを融合・温存させ、
こうしてスペインには三つの文化、そしてアジアとヨーロッパが融合したトルコの文化も残されたと言われます。
また、バルセロナを中心としたカタルーニャ地方は自分たちの独自の言語・カタルーニャ語と文化を持ち、
誇り高い自主・独立心の強い地域で、長年の戦いの末、今日ではカタルーニャ自治州を勝ち取っています。
ピカソやダリもこうしたカタルーニャの歴史の血・精神を引いていると言われます。
ヒトラーが台頭した同時期、スペインではフランコファシズムの嵐が吹き荒れました。
カタルーニャを中心としたスペイン人民線戦線は激しく抵抗しましたが、欧米列強はそれが容共だと支援しませんでした。
ヒトラーに支援されたフランコに人民戦線は破れ、以降スペインは、冷戦下、複雑な歴史を歩むことを余儀なくされました。
とまれ、私には相棒のロシナンテはいないのですから、ドンキホーテのように風に抗うことなく、スペインの風をたっぷり吸って来たいです。

パソコンは持って行きます。簡単なブログを発信したいのですが、おそらくその余裕はないと思います。 では。

France/パリ・ボーヌ・リヨンを旅した

2009年09月30日 | 海外旅行
9月16日から9月29日まで、France/パリ・ボーヌ・リヨンを旅した。
おもしろくもあり、つらくもあり、複雑な旅でした。
とりあえずの一方、を送ります。

9月16日、10:30に成田を出発し、ホーチミンに一泊した。


9月18早朝パリのシャルル・ドゴール空港に着き、パリ市内観光、


9月19日、電車でブロワ城に


9月20日、電車とバスでモンサンミッシェルへ、


9月21日、一日ルーブル博物館を見る


9月22日午前パリ市内観光、

午後、電車でブルゴーニュ地方へ、

9月23日ブルゴーニュ地方観光


9月24日電車でリヨンへ、
9月24日午後~9月26日リヨン観光

リヨン市では地下鉄のストライキが行われていて疲れましたが、思わぬ経験でした。


9月27日昼パリ発~9月28日早朝ホーチミン着、午前ホーチミン市観光、

9月28日深夜ホーチミン空港発、
9月29日朝7時半成田着

写真を600枚以上撮り、観光も沢山したのでブログ制作は多くの時間が必要ですし、
10月4日に、白馬で『聴覚障害者ための塩の道紀行』が行われ、それに参加するので、
10月3日には家を出、その後永平寺に寄るので帰宅は10月6日になる予定です。
フランス紀行のブログはそれからの作成になるのでだいぶ遅くなります。

ホテルは一泊20ユーロ[3000円]位の安宿なのだが、施設はピンからキリまででした。
失敗もたくさんしました。
『こうご期待』、と言いたい所なのが、むずかしいです。