風そよぐ部屋

ウォーキングと映画の無味感想ノート

千歳船橋・下北沢・代々木八幡・西新宿5丁目駅を歩く

2010年12月29日 | ウォーキング
12月27日、寒いという天気予報ではあったが、ぽつんと離れていたり、見落としていた小田急線沿線のいくつかの外国大使館を訪れた。
日射しがあったせいか、寒くはなかった。


千歳船橋
まず、新宿から小田急線で千歳船橋に向かった。

タンザニア大使館
 
久成院                                 宇山稲荷神社
 
実相寺 本堂                            不動堂・閻魔堂
  
弁財天堂                                     淡島堂
  
千歳船橋駅まで戻り、電車で下北沢駅まで行った。
下北沢

森巌寺                                 アンゴラ大使館
  
                                     真ん中後ろの高く白い建物は大使館ではなく教会です。
下北沢駅まで戻り、電車で代々木八幡駅に行った。
代々木八幡

ラトビア大使館
 
ヨルダン大使館
 
代々木八幡駅に戻り、反対側の線路沿いを歩き、 大日寺
  
たくさんの提灯には般若心経、一つの提灯に一文字書かれています。[再訪]
ブルガリア大使館                             裏門
 
ブラジル大使館
 
青山にあるブラジル大使館が現在のもので、代々木のこちらはおそらく古い大使館ではないかと思うがどうであろう。
青山のブラジル大使館はこちら                   代々木八幡神社
 

再び代々木八幡駅まで戻り、新宿駅に。
初めは京王線の初台に向かおうとしたが、都営地下鉄大江戸線で西新宿5丁目駅に向かうことにした。
都営地下鉄大江戸線を利用するのは初めて。大江戸線はリニアモーターカーで多の地下鉄車両と比べてうんと幅が狭い。
羽田空港のモノレールと同じくらいで、とても狭く感じる。
ソウルの地下鉄は日本の地下鉄と比べると幅広、それと比べると大人と子供の違いという感じである。
大江戸線の他の駅は知らないが、新宿駅はすごく地下深い所にある。
普通の地下鉄の駅のエスカレーターよりも少し深いエレベーターで降りると、二つ目のエレベーターがあった。

これは二つ目のエレベータ。おいおいどこまで降りていくんだよとだんだん恐怖が募って来た。
万一、火災や地震や事故が起きた時ここはどうなるのだろう。
地上への道はごくわずかで、暗闇の中人々が殺到したエレベータは停電で止まり、その長い階段を這いつくばって上るのだろう。
人々が慌てずに行動できるとはとうてい思えない。
緊急の避難経路の標示はあるのだろうが特に目には入らなかった。
一つ目の階を脱してもまだ地上ではないところか、まだ長いエスカレーターがあり、コンコースは更に人々で混雑し、
そこから更に地上への階段がまだあって、しかもそれは決して広くはないのだ。
人は、当然事故や災害が起きるとは思わないで日々生活している。
私は、なるべく大江戸線は使いたくないなと思う。
後発の大江戸線は既存の地下鉄の更に下を走らなければ成らないためにより深くなったのだろう。
かつて警視庁・国会・市ヶ谷自衛隊を地下で結ぶ地下鉄有楽町線はとても深く、それは防空壕だと言われた。
その後できた新御茶ノ水駅のエレベーターの長さに驚いたが、大江戸線新宿駅はそれらとの比ではないし、
ソウルの地下鉄も防空壕になるためとても深いが、ここはもっと深い。
また、大江戸線は他の私鉄と相互乗り入れし、更に都営地下鉄新宿線への道も連なっているのでとてもわかりづらい。
上下線を間違えると、反対の線路に戻るのも一苦労だ。[私は間違えた。]
私は、これが言葉に通じない外国であったらと思うと、この駅・メトロを利用するのは至難の業と思った。
日本に観光できている外人にとってもすこぶる難しいだろう。


大江戸線・西新宿五丁目駅/西新宿

ベリーズ大使館
 
私は、恥ずかしながらベリーズという国を全く知らなかった。
ベリーズ国とは、中央アメリカ北東部・ユカタン半島の付け根の部分にある英連邦王国の一国で、北にメキシコ、西にグアテマラ、
南東にホンジュラスがあり、「カリブ海の宝石」と呼ばれている国だという。

大江戸線・西新宿五丁目の駅を降りて路地に入ると、そこは先ほどまでのきらびやかな新宿駅の地下街とは別天地の装いであった。
区画整理がまだ行われていない狭い路地が入り組んで、家々が密集している。
ここから200メートル離れると、広大な新宿中央公園・高層ビルが林立する新宿駅周辺とはとても思えない。
新宿中央公園一帯は、かつて角筈(つのはず)と呼ばれ、そこには東京都の淀橋浄水場、熊野神社(今もある)などがあった。
そして十二社(じゅうにそう)温泉があった。茶色のビルあたりだと思う。
 
私は35年ほど前、短い期間ではあるが十二社温泉の少し背後あたりに住んでいたことがある。
アパートではなく、二間ある古い民家で、私は4.5畳の一間、もう少し広い部屋に別の男性が住み、大家は別に住んでいた。
風呂はなく、トイレ・台所は共用で、汲み取りのトイレであった。
近くに来たので懐かしく思い少しぶらついたのだが、民家の跡は当然なく、それがどこにあったかもわからなかった。
十二社温泉の名残もなかった。
私の記憶はとても曖昧で、銭湯がどこにあったのか、どこで買い物したのかなどの記憶も皆無であった。
古そうな和菓子屋があったので、戸を開けて入って聞くと、昨年3月廃業したと親切に教えてくれた。
淀橋浄水場は約50年ほど前から徐々に縮小され、新宿副都心として再開発され、東京駅・有楽町駅間にあった都庁がここに移転された。
そして、角筈、淀橋と言った古い地名は西新宿と変わり、廃止された浄水場跡の茫洋とした不思議な風景も無くなった。
私は、新宿駅まで歩いたが、当時の風景は全く覚えていないが、その雰囲気は全く残っていないと思う。
確か京王プラザホテルは出来ていたと思う。
こんな高層ビルで地震で倒れないのかと思ったし、それ以上にそのデザインは当時とても珍しくきらびやかであった。
西口地下街も当時はとてもおしゃれで、そこから地上に出るといわゆる「ションベン横町」があってよく食事したものである。
また、南口はまだほとんど開発されてなく、目の前の甲州街道は夜になると暗かった。
        

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