風そよぐ部屋

ウォーキングと映画の無味感想ノート

第100回ピースボート船旅④/モーリシャス(ポートルイス)編

2019年04月12日 | 第100回ピースボート南半球クルーズ

グラン・バッサン[モーリシャスのヒンドゥー教徒の聖なる湖]

6日 日曜

GETグループと担任・Robbieに決まりました。
シンガポールから新たな乗船者があったので、ディナーにグラスワインが付きました。深夜、1時間の戻りの時差調整
7日 月
グループGETが始まりました。8:50~9:50 
GETウエルカムパーティ。20:15~22:30、子供じみたゲームは辟易です。
8日 火
今日は日の出と日の入りを楽しめました。その他特別なことはなし。 深夜1時間戻し
 
9日 水
体は正直で6時前に便意で目が覚めました。ジムで上半身のウエイトトレーニングをしているところに、
ハウスキーパー等を束ねる幹部が来たので、劣悪なジムの環境の改善を怒りを込めて訴えました。
ジムは家庭用エアコンが1台あるだけなので、気温は30度以上、入り口のドアを開けるほうが涼しいのですが、
手を挟む危険性があるのでダメだと言います。ロープなどで固定すればその危険も防げるのにです。数分後に
メンテナンスの職員が来てチェックしていましたが、何の改善にもなりませんでした。
14:50~15:50TarGET説明会
10日 木
特別なことはない。 14:00~14:40プライベートGET 
ジムのエアコンをなにやら修理していたが効き目無し、甲板を狭間事務局長が歩いていたのでジムのエアコンについて
苦情を言うと、「レセプションに言ってくれ」だと、「私の事務所はいつもオープンしているので何かあったら言って欲しい」と
先日胸を張って豪語していたのに。相変わらず口先だけでした。
夕飯は、ストレッチ&気功の台湾人先生・揚文斌さん夫妻と日本に留学したことのある日本語ぺらぺらの台湾人青年・
陳皆助さんと一緒でした。とても楽しい人々で楽しい夕食でした。日本語、台湾語、英語そして陳さんは通訳でした。
彼は、この船に乗っている台湾人で一番若い男性だそうです。
11日 金
午前9:30時、海賊対策の訓練、サイレンが鳴ったら、自室に戻り、ドアに鍵を掛け、窓のカーテンを閉めるだけ。
今日も夕焼けは雲でみられませんでした。
12日 土
運動会のためほとんどの行事なし。私はオープニングだけ見て帰りました。今日は特別に暑かったです。

この暑さの中運動会とは信じられません。熱中症の人が出なかったのが全く不思議です。
午後は少し読書とプールに入って体を冷やしました。海水プールでした。船がかなり揺れるので水に浸かっている
だけでも体が左右に揺れます。夜、運動会打ち上げのイベントがありましたが、私は参加しませんでした。
夜、飲み水をもらいに行くと4人の女性がゲームをしていました。
 
マレーシアのゲームだそうで、麻雀とトランプゲームの一種が混合したようなゲームでした。深夜1時間の時差調整。
13日 日
11:30~12:00腹筋100回の筋トレを試しました。虹が見えました。

14日 月 成人の日 成人の日の特別なイベントは特にありませんでした。
10:10~11:10ポ゚ートエリザベス発OT(オーバーランドツアー)準備会、11:10~12:10ケープタウン発OT準備会、
15:00からパスポート受け取り、日の入りは雲で見られませんでした。
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1月15日 モーリシャス
 


ポートルイス港
 
7時ポートルイス入港、7:45入国対面審査、至極形式的で簡単、しかし1000名ともなると大変な時間がかかります。
8:30ツアー集合、9時出発、
9:30シャトー・レ・ゾビ、フランス人の屋敷跡
 
超豪華というわけではありませんが、やはり広く、彼らの収奪ぶりが窺えます。
ラム酒試飲、もちろん私は飲みませんでした。
 


グラン・バッサン、ヒンドゥー教徒の聖なる湖と言われます。ガンジス川の水を少し運んで来たそうです。
湖に向かってお供え物を捧げたり、足を水につけて体を清めたりするそうです。寺院があり、中には入ることが出来ます。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
近くのレストランで食事、ちょっと豪華でした。お酒は飲みませんでした。バスでポートルイスに戻りました。

関帝廟=チャイニーズ・パゴダ 南半球・モーリシャスで一番古いパゴダだそうです。
 
 
 
 
 
 
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アプラヴァシ・ガード、世界遺産

アプラヴァシとは労働者、ガードは門という意味で、苦役・重労働を余儀なくされた移民労働者が劣悪な環境で
生活した居住区、保存状態が余り良くないですが、その一部が博物館となっています。アメリカの奴隷達が解放
宣言によって、本国に大量に帰国したため、それを埋めるように、インド、ミャンマー、バングラディシュ人達が
大量に移ってきたそうです。ほとんど奴隷扱いだった過酷な環境に涙し、同時にこうして富を得た人々と国々に
怒りを覚えました。
 
 
 
  
  
 
 
                         かつて移民労働者たちが上陸しただろう港
 
以上の施設は、観光資源としてのボリュームが余りないので、計画時間よりだいぶ早く観光が終わってしまいました。
ショッピングセンターで1時間以上も時間をつぶすという無策でした。これなら、グラン・バッサンでシヴァの巨像などに
十分立ち寄ることができるのですが、多くの人はこのショッピングが何より好きなようで…。
ポートルイス港
 
 
 
私は、クルー達へのお土産にフルーツを買いたく、スーパーマーケットの場所を聞いたのですが、たどり着けず、
小スーパーでオレンジ1kgとリンゴ6箇、133.64モーリシャスルピー(約430円、カード支払い)と安かったです。
18:00モーリシャス出港。
 
 
スタッフがビール販売

モーリシャス共和国、日本人にはなじみがないですが、イギリス連邦加盟国、イギリスはここを植民地にしてインド洋に
にらみを効かしていたわけです。また、インド洋中央のディエゴガルシア島もイギリスが宗主国ですが、現在は島全体が
アメリカに貸与されており、アメリカ軍最大の軍事要衝です。湾岸戦争やアフガニスタン攻撃、イラク戦争の際に、爆撃機などが
ここから出撃しました。イギリス、アメリカ、フランスはジブラルタル、沖縄、グアム、プエルトリコ、フランス領ポリネシアなど
世界の各所に軍事的拠点を置いています。      【終わり】



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