温かくなると言うので、出かけた。品川宿を歩いた。
京急・立会川駅で下車して歩き出した。
品川駅の広告。 これは昨年末の品川駅の広告
品川駅が新しくなったのはつい最近、新幹線開通に伴ってからだろうか。それまでの品川駅は暗く、汚く、不便であった。
特に東海道線に通じる地下通路は、いつも悪臭が漂っていた。
現在、すっかり明るく、通路も広く、乗り換えもだいぶ分かり易くなってきた。
大福生寺 大井町聖天堂 護摩堂
来福寺
阿波藍商人墓標群(藍は徳島藩の名産だった) 寶篋印塔 玉川74番札所
泊舩寺
海晏寺
海雲寺
三門 平蔵地蔵
鐘楼 本堂 品川千躰三宝荒神(台所=防火の神)を祀っている
品川寺
銅造地蔵(江戸六地蔵) 三門 庚申塔
本堂
ジュネーブ平和通り[ジュネーヴ市は品川寺の梵鐘を通じて品川区と友好都市提携を結び、「平和通り」の標識を贈ったと言う。]
極楽寺 諏訪神社
真了寺 天妙国寺
長徳寺 常行寺
心海寺 本覚寺
本栄寺
蓮長寺 願行寺
妙蓮寺
時宗海蔵寺 首塚群
本光寺
清光寺 大龍寺(珍しい黄檗宗のお寺)
天龍禅寺 禅宗清光院
区立子供の森公園 荏原郡区役所跡(区立子供の森公園)
官営品川硝子製作所跡(東海寺の境内に作られた) 春雨寺(マンションになっている)
春雨寺は左、東海寺大山墓地は右の狭い路地を100m程行くとある。
東海寺大山墓地
東海寺大山墓地の入り口・沢庵和尚の碑 沢庵和尚の墓
服部南郭(江戸時代中期の儒者、荻生徂徠の高弟)の墓 賀茂真淵の墓(鳥居が立っている)
私のイメージとしては、国学者・賀茂真淵と禅宗とはあわなかったのだが、賀茂真淵は死して後やはり神となっていた。
沢庵和尚・賀茂真淵の二人の墓は、石を積み重ねたもので禅寺らしいなと思った。
この大山墓地は、東海寺からかなり離れ、小さな看板があるが見落としやすく、少しで寂れた感じがした。
目の前の下をJR東海道本線などが走る。
東海善寺 庫裡と左はタワーコート北品川
タワーコート北品川の敷地は昔は東海善寺の境内であったようで、大山墓地までだいぶ広い。現在の敷地は狭い。
近くに銭湯が、上は高層マンション 品川宿交流館 品川橋
荏原神社 品川図書館/六行会ホール隣接
六行会とは、南品川宿の地主達が宿場の公的仕事が忙しいので凶年や不慮の災害時に備え基金の積立てを始めた組織という。
本照寺
品川神社
鳥居に水難を避ける龍の彫刻が。昔はこの辺りは海岸で水難が多かったのだろう。
本殿 浅間神社
阿那稲荷神社/一粒万倍の泉[銭洗い弁天のように金を洗うと増えるという信仰らしい] 包丁塚など
浅間神社からの眺望=第一京浜・京急線・品川埠頭方面
虚空蔵尊 養願寺
一心寺 正徳寺
法善寺(品川小学校発祥の地) 流民叢塚碑(江戸時代、飢饉や水難で死んだ人を供養した)
時宗善福寺 本堂
問答河岸碑[家光と沢庵和尚が禅問答したと言う碑]
八つ山橋[品川駅方向] 八つ山橋から横浜方向のJR線路
JR線路の右は第一京浜、左に京急の線路、その左が旧東海道、そして海岸。埋められたため現在の海岸ははるか先。
ここはすっかり現代風なのだが、ここで品川宿が終わり江戸=東京に入るという不思議感じがするところである。
しばらく行くと京急線高架下はラーメン店などが多数の食堂が軒を連ねている。
私は、品川宿が好きだ。旧東海道は今も地元の商店街でとても賑わっている。
黄檗宗、時宗、禅宗など大きな寺はないが色んな宗派のお寺がある。小さな稲荷も多くあった。
小さな店舗がシャッターを下ろすことなく、明るい。人々の通りも多い。住みやすい街なんだろうなと思う。
京急の駅はいずれも小さく、高架にしがみついているかの様だ。新馬場駅など知らない人は通り過ぎて仕舞いそう。
ウオーターフロントはすっかり高層ビル街になって、下町品川の雰囲気とはだいぶ異なる。
まだそちらに行ったことはない。
家を出る時、膝の調子が良くなかったので、ゆっくり歩いたのが良かったのだろう。
北品川駅から帰る予定だったが品川駅まで歩いてしまった。11時頃から午後4時過ぎまでぶらぶらしていたことになる。
帰りの電車ではぐっすり寝込んでしまった。気温が高く、ワイシャツの上に薄いウインドブレーカーであった。
京急・立会川駅で下車して歩き出した。
品川駅の広告。 これは昨年末の品川駅の広告
品川駅が新しくなったのはつい最近、新幹線開通に伴ってからだろうか。それまでの品川駅は暗く、汚く、不便であった。
特に東海道線に通じる地下通路は、いつも悪臭が漂っていた。
現在、すっかり明るく、通路も広く、乗り換えもだいぶ分かり易くなってきた。
大福生寺 大井町聖天堂 護摩堂
来福寺
阿波藍商人墓標群(藍は徳島藩の名産だった) 寶篋印塔 玉川74番札所
泊舩寺
海晏寺
海雲寺
三門 平蔵地蔵
鐘楼 本堂 品川千躰三宝荒神(台所=防火の神)を祀っている
品川寺
銅造地蔵(江戸六地蔵) 三門 庚申塔
本堂
ジュネーブ平和通り[ジュネーヴ市は品川寺の梵鐘を通じて品川区と友好都市提携を結び、「平和通り」の標識を贈ったと言う。]
極楽寺 諏訪神社
真了寺 天妙国寺
長徳寺 常行寺
心海寺 本覚寺
本栄寺
蓮長寺 願行寺
妙蓮寺
時宗海蔵寺 首塚群
本光寺
清光寺 大龍寺(珍しい黄檗宗のお寺)
天龍禅寺 禅宗清光院
区立子供の森公園 荏原郡区役所跡(区立子供の森公園)
官営品川硝子製作所跡(東海寺の境内に作られた) 春雨寺(マンションになっている)
春雨寺は左、東海寺大山墓地は右の狭い路地を100m程行くとある。
東海寺大山墓地
東海寺大山墓地の入り口・沢庵和尚の碑 沢庵和尚の墓
服部南郭(江戸時代中期の儒者、荻生徂徠の高弟)の墓 賀茂真淵の墓(鳥居が立っている)
私のイメージとしては、国学者・賀茂真淵と禅宗とはあわなかったのだが、賀茂真淵は死して後やはり神となっていた。
沢庵和尚・賀茂真淵の二人の墓は、石を積み重ねたもので禅寺らしいなと思った。
この大山墓地は、東海寺からかなり離れ、小さな看板があるが見落としやすく、少しで寂れた感じがした。
目の前の下をJR東海道本線などが走る。
東海善寺 庫裡と左はタワーコート北品川
タワーコート北品川の敷地は昔は東海善寺の境内であったようで、大山墓地までだいぶ広い。現在の敷地は狭い。
近くに銭湯が、上は高層マンション 品川宿交流館 品川橋
荏原神社 品川図書館/六行会ホール隣接
六行会とは、南品川宿の地主達が宿場の公的仕事が忙しいので凶年や不慮の災害時に備え基金の積立てを始めた組織という。
本照寺
品川神社
鳥居に水難を避ける龍の彫刻が。昔はこの辺りは海岸で水難が多かったのだろう。
本殿 浅間神社
阿那稲荷神社/一粒万倍の泉[銭洗い弁天のように金を洗うと増えるという信仰らしい] 包丁塚など
浅間神社からの眺望=第一京浜・京急線・品川埠頭方面
虚空蔵尊 養願寺
一心寺 正徳寺
法善寺(品川小学校発祥の地) 流民叢塚碑(江戸時代、飢饉や水難で死んだ人を供養した)
時宗善福寺 本堂
問答河岸碑[家光と沢庵和尚が禅問答したと言う碑]
八つ山橋[品川駅方向] 八つ山橋から横浜方向のJR線路
JR線路の右は第一京浜、左に京急の線路、その左が旧東海道、そして海岸。埋められたため現在の海岸ははるか先。
ここはすっかり現代風なのだが、ここで品川宿が終わり江戸=東京に入るという不思議感じがするところである。
しばらく行くと京急線高架下はラーメン店などが多数の食堂が軒を連ねている。
私は、品川宿が好きだ。旧東海道は今も地元の商店街でとても賑わっている。
黄檗宗、時宗、禅宗など大きな寺はないが色んな宗派のお寺がある。小さな稲荷も多くあった。
小さな店舗がシャッターを下ろすことなく、明るい。人々の通りも多い。住みやすい街なんだろうなと思う。
京急の駅はいずれも小さく、高架にしがみついているかの様だ。新馬場駅など知らない人は通り過ぎて仕舞いそう。
ウオーターフロントはすっかり高層ビル街になって、下町品川の雰囲気とはだいぶ異なる。
まだそちらに行ったことはない。
家を出る時、膝の調子が良くなかったので、ゆっくり歩いたのが良かったのだろう。
北品川駅から帰る予定だったが品川駅まで歩いてしまった。11時頃から午後4時過ぎまでぶらぶらしていたことになる。
帰りの電車ではぐっすり寝込んでしまった。気温が高く、ワイシャツの上に薄いウインドブレーカーであった。