第63回ピースボート・地球一周の船旅14
アテネ・考古学博物館/ギリシャ番外編② [10/30~11/6]
10/31
この日は
国立考古学博物館一本に絞った。
昨日国立歴史博物館に行ったが14時閉門で間に合わなかったので午前十時に出て、地下鉄で行った。
期待に違わず見応えがあった。
ポセイドン像
アウグスト像
階段の壁画
入場料は、7ユーロであった。
だが、一階が像、二階が壺で、その他の歴史物が無いのが不思議な気がした。
東京の国立博物館のイメージではいけないようだ。
一つだけ除いて跡はすべて写真撮影・模写OKであった。
かなり広く一階を見終わると1時を過ぎていた。
館内の食堂は高かったがお腹がすいたのでサンドイッチとコーヒーを食べた。7ユーロだった。
2階の壺はあまり興味がないので早足で見た。
無料のパンフ・日本語ガイドブックはない、順路の指示もなく不親切である。
各部屋には職員が必ずいるが、制服は着ていない。
制服はどうも軍人と警察だけで、交通機関職員も博物館職員も私服で、勤務中に私語・携帯は普通であった。
近くのアレース(軍神)公園に行った。
軍神と言う名に引かれたのだが、期待はずれであった。
どうも近代に入ってからの軍人達の公園で銅像がたくさん建っているだけであった。
疲れたので木陰のベンチで休憩して地下鉄で帰った。
11/1
この日は観光しないで、電車で田舎の風景を楽しむのもいいと思って出かけた。
地下鉄ピレウス駅の隣が国鉄ピレウスの駅であった。
時刻表や路線図はとてもわかりにくい。
時刻表は7時台以降はXX:00で表示されている。
日中は一時間に一本で同時刻なことが電車の乗ってしばらくしてからわかった。
駅名やどのくらい遠いのかもわからないので、適当な駅を示したら0.8ユーロであった。
そこを乗り越して後で精算できるかと聞いたつもりだが、通じたかわからないがOKだと言うので乗り込んだ。
終点はKIATOと言って120キロのところで、2時間弱であった。
下車しても観光するような場所では無いようだし、
時刻表を見ると9分後の折り返しであったので、下車せずそのまま引き返した。
車窓は特別の景観ではなくありふれてはいたが、
所々ブッシュが繁る岩山・海・畑・森林・運河・住宅などで見ていて飽きなかった。
帰りはさすがにうとうとしてしたが。
国鉄と地下鉄とが交差して乗り換えられる駅(国鉄アテネ=地下鉄ラリッサ)があったので、
そこで地下鉄二号線に乗り換え、さらにアッティキで地下鉄一号線に乗り換えて帰ってきた。
ギリシャは地下鉄も電車もバスもほとんど無賃乗車が可能である。
というのは、日本などでは駅構内に入る時、出る時は改札機を通らなければならないが、
ギリシャでは改札機が全く無いのである。
刻印器(日付か?)はあるがそれは絶対使うものではなく使わなくてもよいのである。
国鉄と地下鉄の乗り換えの際も改札機はないのである。
バスもワンマンカーだが、乗降口は運転手のいるドアだけでなく複数あって、
乗降時に切符のチェックはまるでない。
つまり乗り降りの際に切符のチェックは全くされないのである。
だが、車内では時々検札があり、不正すると40倍の料金を取られるとは言う。
バス、地下鉄とも料金は距離に関係なく一律0.8ユーロだから日本円では100円というところか。
地下鉄・電車はわからなかったが、バスの乗客はほとんど無賃乗車だったような気がする。
おそらく日本の定期券などは無いのでは無かろうか。
国鉄は始発から終点まで8ユーロであった。
地下鉄は大混雑であった。
地下鉄一号線は一番古くできたそうで、車両がとても古く、ドアの開閉はすごい音と強さである。
挟まれたら怪我をしそうである。
外国では年配者・女性に優しいと言われるが、そんなことは無く、彼らに席を譲る人は皆無であった。
携帯電話などは全く自由で大声で話していた。
駅、車内の放送・掲示・案内は親切とは言えない、車内電光掲示などはない。
日本の駅構内では前後の駅名が表示されてとても便利でわかりやすいが、それはない。
何より不便なのはトイレが駅にもないことである。
小さい女の子は違法駐車の陰でおしっこをしていた。
ギリシャの街も決してきれいとは言えない。
ゴミの回収箱は設置されているが少ないし、回収が十分に行われていないようだし、
脇道にはいると平気でゴミを捨てている。
それに至る所に落書きである。
民家・店の壁、電車の外、電車の窓など至る所がスプレーされている。
ピレウスに着いたのは2時頃になってしまった。
サンドイッチ2.4ユ-ロの遅い昼食であった。
その他にギリシャの街で気が付いたことは、路上での物乞いが多いことであった。
スリ、置き引きが多く、ピースボートの何人かが被害にあっているとのことだ。
だが、こうした犯罪は実はどこでもおきていることで、
あまりにも無防備・無警戒な日本人観光客にも問題がある。
不法移民も多く、ロマといわれる人々は今も差別されているという、
見るからに貧しいと思われる人々が目に付く。
また、ギリシャ語は語気が強く、喧嘩しているように聞こえる。
女性のお尻、オッパイはすこぶる大きく、前胸は大きく開いているし、
ヒップパンツでウエスト丸出し・パンツ丸出しなどは気にしない様でこちらの方が目のやり場に困る。
11/2(日)
大阪のFさん達に案内を頼まれ、アテネ市内=ケラミコスの墓地、アソマティ教会、神殿テセイオン(ヘパストス神殿)、アゴラ博物館(アタロスの柱廊)、ローマ帝国時代のアゴラ・聖アポストリ教会・風の塔、ハドリアヌスの図書館跡、ハドリアヌス門、ゼウス神殿を再訪した。
新アクロポリス博物館は2008年2月オープン予定であったがまだ出来上がっておらず、
入り口とほんの一部だけが公開されていた。
全体が遺跡の上に立てられていて、透明な床の遙か下に遺跡がある。
とても不思議な感覚であった。
展示されているのは数点だけだった。
11/3
コリントはアテネと同様のポリス国家であった。
古い城壁も残っているというのでコリントス運河観光に出かけた。
愛知のHさんという人が同行したいというので一緒に出かけた。
この小旅行はさんざんであった。
コリントス駅はエキスプレストレインの駅で、旧コリントス駅はそこから4キロ離れた旧市街地にあった。
コリントス駅で下車した多くの乗客は駅前の停車しているバスに乗り込み旧市街地に向かった。
我々もそのバスに乗って旧市街地に向かった。
そこからコリントトス運河行きのバスは40分後だった。
聞くと4キロほどだというので待っている間に歩けば着くと思ったのが間違いであった。
コリントス運河までは徒歩で1時間45分ほどかかった。
コリントス運河の景観は素晴らしかった。
全長6km、ほぼ垂直に掘られていてその深さは70m、幅は狭く40m位であろうか。
帰りのバスはそこから出ていたのだが、停留場も時刻表もない、
切符売り場で聞くが「そこ」というだけ。バスは20分も遅れてきた。
このバスは旧市街地が終点でそこから鉄道の新駅までは別のバスで行くのだが、
すでに廃線になっている旧駅に歩いて行ってしまった。
新駅の様子もすっかり忘れてしまってそこでずっと待っていたのであった。
電車の時刻が過ぎておかしいと思って改めて間違いに気づいたのであった。
タクシーで新駅に向かい、無事帰ることができた。
いやはや大変な失敗続きの小旅行であった。
そんなわけで、コリント時代の城壁跡は訪れることができなかった。
11/4
Fさんから国立考古学博物館に行きたいと頼まれ案内した。
帰り、地下鉄ピレウス駅からタクシーに乗ろうとすると14ユーロとふっかけてきた。
おそらくメーターでは3ユーロ位だと思うがあまり近いので体の良い乗車拒否で4ユーロ位が適当なのかもしれない。
つくづく日本のタクシーの良さを知った。
往きは4ユーロで手を行ったのだが、歩いた。
ピレウス市内の教会。
夕方、代替船『モナリザ』号への荷物の搬出をした。
小分けにしたのでダンボール6個になったが、不必要な作業でもあり、
不便な生活も強いられ、怒りも覚えるがあきらめた。
荷物の搬出入を乗客に依頼するなんてのは言語道断である。
ボランティアを呼びかけるピースボートは本当にまともではないし、
喜々として手伝っている人もたくさんいて、ほとほとあきれ、驚いた。
11/5
やっと引っ越しの日である。
午前中散歩がてら買い物に出かけ、歯ブラシとサンダルとウイスキーを買った。
電気ポットの使用は船内では禁じられているので持ってこなかったが、
どうしてもほしいので探した。
10ユーロで良いのがあったがコンセントと電圧があわない。
買い物から帰ったら、キャビンの金庫が搬出されていた。
昨日回収予定であったのに回収されず、何の説明もなかったので、中に入れて外出してしまったのだ。
あわててレセプションに連絡した。昼ご飯を食べたが、味わうどころではなかった。
昼寝をしていたら電話の音で目が覚めた。2時間後に戻った。
この日に引っ越しの予定であったが、新しい船がまだ到着しないという、延期になった。
夕飯は、ちらし寿司の弁当であった。
弁当が配られたのは9時過ぎであった。
良くない情報でも早めに提供することが大事なのに、直前にしか情報提供をしない。
こうして、全てが後手後手となり、いらいらが募るのである。
11/6
新しい船・モナリザ号へ10時過ぎに引っ越しした。
モナリザ号は、前船より造られたより船で少し大き。
またキャビン状況は数段良くなった。
第一に、窓があること。
第二は、バスタブがあること。
第三は、テレビは、BBC放送になったこと[これは地中海にいるときだけだった]。
良くない点は、
ベッドが柔らかすぎること、枕が高いこと。
船尾過ぎること、右舷なのでクルージング中は北向きになること。
もっともこれまでは地下の穴蔵だったのだから、文句は言えないが。
甲板をぐるりとし一周できないこと。
スピーカーの音量が小さいこと。
13:30にピレウスを出港した。
このモナリザ号、8月までは動いていたが、以降はオフのため運行していなかった。
で、設備のメンテナンスが不十分で、水は濁っている、
食堂はビュッフェ形式が一列なので長蛇の列となること。
クルーが急遽集められたのだろう、ほとんど教育されていない、
英語を話せる人が少ないことなど。
夜9時からバーがフリーとなり、缶ビールを3本飲んだ。
とにかく船が動き、キャビン状況が良くなったので乗客の雰囲気は明るかった。
11時過ぎまで飲んだ。
アテネでの予定外の一週間はとても有意義であった。
古代アテネ遺跡・国立考古学博物館を二度も訪れることが出来、
コリントス運河にも行くことができた。
アテネは観光地ではあるが、物価、特に公共料金はも決して高くはない、
概ね治安は良いのだが、スリ集団の被害がかなりあったようだ。
英語も通じる。
オリンピック後、無駄な施設などの弊害は大きいようだ、
落書きが多かったのが残念だ。
船が変わり、以降は予定通りの進行で、予想外のラッキーはなくなった。