風そよぐ部屋

ウォーキングと映画の無味感想ノート

イタリア[ヴェネツィア、フィレンツェ、ナポリ、ローマ 21日間の旅]~ローマ4

2010年11月08日 | イタリアの旅
 10月18日
朝食風景
 
かなり質素な食事なので、スーパーでバナナやりんごやヨーグルトなども買って来た。
この日は、パンテオンに行くことにした。
地下鉄テルミニ駅からカヴェール駅に行き、フォロ・ロマーノ入り口まで少し歩き、そこからバスに乗るという計画だ。
タバッキでバスチケットあらかじめ買い、バス停で待っている女性に『Per Pantheon?』と書いたメモを見せると、
87番だが、終点から少し歩かなければならない、私もそのバスに乗るので付いてきて、と言う。彼女は次の駅で降りてしまったが、
終点でバスの運転手に聞くと、「その角を曲がって右に行け」とジェスチャーえ教えてくれた。

パンテオン
 
                                     これは後ろから
 
出来た時は、漆喰が塗られその上に塗装され、きれいだったろう。   フォルリ作「受胎告知」    エマヌエーレ2世の墓
  
聖母子像
  
ラファエッロの墓             ロレンツェットの彫刻石の聖母                ウンベルト1世の墓
  
画家同信会の碑文                          天窓                    天窓の真下の床
  

ナヴォーナ広場                           サンタ・ニェーゼ・イン・アゴーネ教会
 
 ムーア人の噴水                           ローマ時代のオベリスクと4大河の噴水
 
 

ここからバスに乗って、地下鉄の駅のレパント駅に行く予定だったのだが、レバント駅のバス停とわからず乗り過ごしてしまった。
 
バスで戻ることにし、タバコ屋でバスのチケットを買ったら、妻から「70分以内は何度でも乗ることができるようよ」。
レパント駅からテルミニ駅に戻り、アッピア街道を巡るアルケオバスの乗り場を探すが、見あたらないので切符売り場で聞くと、
切符はバスの中で買えるが、運行するのは8:30~10:00、15:00~の間だけだと言う。
私の「地球を歩き方」は2005年版、妻が「地球を歩き方・10年版」を調べたらその通りであった。情報は新しくなければならない。
ホテルの戻って気を取り直して調べ直し、地下鉄で行くことにした。
近くのBARでサンドイッチとカプチーノの昼食(15ユーロ)を取り、地下鉄サン・ジョバンニ駅に向かった。
とても大きい駅で、218番のバス停がどこか全くわからなかった。タバッキで聞くと親切に教えてくれた。
218番のバスでサン・カッリストのカタコンベ駅まで行き、そこから一つ手前の駅まで歩いて戻る計画だった。
だが、これらのバス停はアルケオスバスのバス停で、路線バスのバス停とはどうも違うようで、乗客に聞くと、違うと言う。
次の駅で降りて戻ろうと私が先に降りたのだが、妻は出入り口が混んでいて降りられないのにバスは出発してしまった。
アマルフィのバスの運転手といい、イタリアのバスの運転手といい、私はどうも虫が好かない。
私はそのバス停で妻を待ち、しばらく後、無事合流したのだが、雨も降ってきた。
バスで数駅戻り、途中で降りてドミネ・クォ・ヴァディス駅まで旧アッピア街道を歩き、次のバスで地下鉄サン・ジョバンニ駅に戻った。
結局、アッピア街道巡りはさんざんで、マイル標や石畳や水道橋などは全くを見ることはできなかった。
少しはアッピア街道らしさをと写真を撮った。
  
  
 
サン・ジョバンニ駅近くのサン・ジョヴァンニ・イン・ラテラーノ大聖堂   こちらは裏側
 
    
 
ラテラーノ広場のオベリスク
  
ラテラーノ礼拝堂
 
サン・ジョヴァンニ付近の城壁
 
地下鉄でテルミニ駅に戻った。妻はここでホテルに戻り、私は地下鉄を乗り換えて、チルコ・マッシモ駅まで行き、カラカラ浴場に向かった。
入り口に来ると、"月曜日は13時まで"とあった。
夕食、野菜スープ、マカロニ、シタビラメのグリル、季節の野菜(よくわからない野菜・カリフラワー・ニンジンの茹でたもの)、白ワイン、35ユーロ。
  

10月19日
今日は、一日バチカン 見学の日。

ホテルにチェックインした日にバチカン美術館ツアーの予約をホテルにしてもらった。
現地ローマのグリーンラインツアー社の日本語ガイドのツアーもあるが、私たちはホテルの斡旋した英語ガイドを選んだ。
一人60ユーロ(バチカン美術館入館料は15ユーロ)と高めだが、個人の入場はなかなか面倒だと聞いていたからだ。
まずバチカンはテルミニ駅からかなり離れ、地下鉄で6つ目の駅からもかなりの距離がある。
チケット売り場を探すのも簡単ではない。
だが、ツアーも簡単ではない。6:45ホテル前で待ち合わせであったのでそれ以前に朝食を済ませて待機していると、
6:40に私たちのドアをノックの音が聞こえた。私たちが一番で、辺りはまだ真っ暗であった。
次のピックアップ先までは徒歩、あちこちホテルを回ってツアー客を集めていく。7時頃ツアー会社オフィス前に着き、7:30頃出発した。
8時前にバチカンに着き、音声ガイドのイアホンなどが配られ、全く並ぶことなくすんなり入場した。
私たちが博物館を出た昼過ぎには、当日券を求める人々の長蛇の列が2、300mはあっただろうか。
 
博物館に入る門                博物館の入り口
 
相当高齢のガイドの中庭でのオリエンテーションがすごく長く、寒い早朝で体がすっかりすっかり冷えてしまった。
 
大燭台のギャラリー
  
 
タペストリーのギャラリー
  
 
私には興味のないタペストリーのギャラリー・地図のギャラリーを延々と説明し、システィーナ礼拝堂に入ってしまった。
私たちはこのままツアーに参加するより、ツアーを離脱し初めから見ることにした。
そこから入り口まで戻るのは、一方通行などもあり、かなり難航したのだがどうやら入り口にたどり着いた。
エジプト館などをを早足で見た。
 
  
ラオコーンのあるピオ・クレメンティーノ美術館                  キアラモンティ美術館
  
  
                                   期待していたアウグトゥス帝像のある新回廊は工事中で入れなかった
  
更に、引き返し、エトルスク美術館・ギリシャ彫刻の間・壺のコレクションはパスし、大燭台のギャラリー、タペストリーのギャラリー、
地図のギャラリーを再度通って、ピウス5世の居室、ソビエスキ王の間を早足で見た。

ラファエッロの間
 
 
 
 
明暗法の間は閉鎖、ニコリーナ礼拝堂はパスし、ポルジアの居室・現代宗教美術館等は早足で見、
再度システィーナ礼拝堂(ここだけ撮影禁止)に入った。 ミケランジェロの最後の審判[引用]
 

キリスト教美術館・図書館の回廊は早足で見、アルドブランディーニの間、システィノの間はパスした。
 
バチカン内のレストランでサンドイッチとカプチーノの早めの昼食。
そこから絵画館へ行こうと思ったのだが、行き方がわからず一階から入るのかと思って、螺旋階段を下りると、出口であった。
  
エレベータボーイに聞くと、彼は「エレベータで4階に戻り、階段を上り右です」ととても素敵であった。
「グラッチェ」というと、「ユー・アー・ウエルカム」と言ってくれた。こう言ってくれるのはイタリアでは、かなり珍しいことです。
   
                                               手話でガイドしていました。
 
これは、バチカン郵便局               バチカン内のトイレはきれいであった
    
絵画館を見て、グレゴリア美術館・ピウス9世美術館・民俗学博物館・馬車博物館をパスし、出口に来ると、
先ほどのエレベーター青年、「一度出ると再入場できません」と丁寧に教えてくれた。

その後サン・ピエトロ寺院を見学した。クーポラと宝物館は入らなかった。
サン・ピエトロ広場
     
   
回廊
    
 
聖なる扉           フィラレーテ作ブロンズの扉 コンスタンティヌス帝の騎馬像  中に入るとミケランジェロのピエタ
 
秘蹟の礼拝堂             聖ペテロの像         セイロンジーノの像      ベルニーニ作ブロンズの天蓋
   
地下遺跡入り口                           聖エレナ像           ベルニーニ作聖ペテロの椅子
  
聖ヴェロニカ像         ベルニーニ作アレクサンドロス7世の墓      天井
   
サン・ピエトロ広場とオベリスク                     地下鉄オッタヴィアーノ駅で 
 
これでヴァチカン見学を終え、徒歩で地下鉄オッタヴィアーノ駅へ、テルミニ駅、ホテルに戻りった。【容量を越えたので次ページに続く】


イタリア[ヴェネツィア、フィレンツェ、ナポリ、ローマ 21日間の旅]~ローマ5

2010年11月08日 | イタリアの旅
帰りの飛行機の座席を予約するため、ホテルのインターネットを借りようと思ったが故障していて使用できなかった。
ホテルの隣のインターネットショップに入り、アクセスを試みた。1時間1.5ユーロと安いのだが、日本語モードが入っていないのでとても困った。
飛行機のチケットのインターネット予約は出発の48時間前できると言うのだが、時差の関係なのかこの日は予約できなかった。
ホテルに戻りガイドブックを見ると、アッピア街道のバスは4時半まである、というので急いでバスターミナルに行ったのだが、
「今日はもう終わった。明日来て下さい。」と言われた。アッピア街道は、私たちにはすっかり"鬼門"のようだ。
妻はホテルに戻り、私は一人で地下鉄でカストロ・プレトーリ駅に行き、ピア門の写真だけを撮って帰ってきた。
ピア門[ミケランジェロ最後の作品]                その後ろは、歩兵部隊歴史博物館になっている
  
歩兵部隊歴史博物館前のモニュメント、この右側は運輸省    城壁
  
カストロ・プレトーリ駅近くに立派な英国大使館の建物があったのでカメラ向けたら、銃を持った兵士が来て「ダメ」。

夕食は、日本語メニューのあるサンティと言うレストランに入った。
お米のスープ、豚肉とジャガイモの煮物、なすのチーズ焼き、野菜サラダと鱈のグリルと赤ワインのボトルを頼んだ。
今までのレストランの中で一番私たちの舌に合う味であった。特に豚肉とジャガイモの煮物はとてもおいしかった(40ユーロ)。
外人はこれくらいは一人で食べてしまう人が多いようだが、「最近は、イタリア人も太り過ぎと健康を考えて、だいぶ小食なり、
シェアして食べるのも普通になって来た」とは、フィレンツェでのイタリア人ガイドのお話であった。
 
 
おもしろい日本語メニューであった。
  

10月20日
イタリア最後の日は、いわば予備日、エトルリア=タルクィニアに行くことにした。
   

エトルリアについてはよく知らない人もいると思うが、塩野七生さんの"ローマ人の物語"にも良く出てくる。
古代ローマ以前に栄え、高い文明を持ち、水道橋などの土木技術や芸術や知識などをローマ人に伝えたと言われる。
10:09テルミニ発ピサ行き電車でタルクィニア駅に向かう。
途中海と田園風景の見えるきれいな風景だった。
タルクィニア駅に着くと駅と旧市街地を結ぶ、電車と連結するシャトルバスが待っていてそれに乗る(60セント)。
 
団地内などを通り10分後に旧市街地・タルクィニアの町に着いた。  門を入った広場
 
城壁の門の所にインフォメーションがあり、帰りのバスと電車の時刻を訪ねると時刻表と地図をくれた。とても親切であった。
Barでサンドイッチとカプチーノを取り、国立タルクィニア博物館(ヴィテッレス宮)[7ユーロ]に入る。
 
左奥の機械は、どこのBarにもある、コーヒーメーカー。
国立タルクィニア博物館(ヴィテッレス宮)[7ユーロ]         
 
中庭                                   展望室から、彼方に駅と海が見えます
 
エトルリア芸術の頂点と言われる"有翼の2頭の馬の浮き彫り"、内部の写真を撮ることはできない[写真は引用]。 右は民家の玄関先から。
    
受付の女性も親切で、共通券で入れる次の博物館[ネクロポリ]への道も教えてくれ、そこに向かった。
城壁の門
 
サン・フランチェスコ教会
  
ネクロポリがわからずウロウロしていると、住宅の2階の窓から女性が声をかけ教えてくれた。
 
ここは、お墓群である。
 
お墓は、開放されおり、階段を下りると、スイッチがあり、押すと点灯する。鮮やかな色彩であった。
 
 
 
 
広大な敷地の中に墓が点在し、のんびり過ごした。

バス停まで戻り、妻はBarで休憩。バスの時間がかなりあったので、私は一人で市内を散策した。
  
                                     Annunziata教会
 
San Salvatore教会                             San Giacomo教会
 
                                     Castello門
 
Margherita Duomo

 
妻とBarで合流し、15:50のバスで駅に着いたのまではよかったのだが、タルクィニア駅は無人駅だった。
切符の自動販売機があるのだが、使い方が全くわからない。人影もなく途方に暮れていると、ホームに30代位の青年がいた。
私は、彼に切符が買えないので買ってもらえないかと頼んだ。彼は怪訝な顔をしていた。おそらく彼はのお金を恵んでくれと思ったのだろう。
私が手に20ユーロ札を持っているの見て、事態を察した様で、自動販売機を操作して切符を買ってくれた。
しかし、切符代は12.6ユーロで、20ユーロ札を入れたのに、おつりが出ないのだ。
どうやら機械の中におつりがなかった様だ。彼もそれを十分に説明できないし、我々も事態がよくつかめないでいた。
切符らしき物が3枚が出ていて、よく見ると一枚はどうも切符ではなくようで、そこには7.6ユーロと書いてあった。  ホームと発車を知らせるベル、初めて見ました。
  
彼は、機械にはおつりがないので、大きい駅に行って払い戻す、と説明していたのだ。我々も彼もホッとしたのであった。
おそらくこれを"地獄で仏"と言うのだ、と思った。
この町は、私たちが訪れたイタリアの町で通りが一番きれいで、通りにゴミはほとんど落ちていなかった。
また、出会う人出会う人がとても親切で、私は少し嫌いになりかけていたイタリアであったが、持ちこたえたのであった。
観光客があふれていない地方のイタリアの人達の日常は、おそらくこのようなのだろうと、私たちは思った。
ローマ駅でおつりの払い戻しと明日の空港までの切符を買うために、35分も窓口に並んだのであった。
たった7.6ユーロの払い戻しなのだが、駅職員はパソコンを打ち、書類を2枚作成・印刷し、ホッチキスで留め、封筒に入れるのであった。

夕食は、昨夜と同じレストランで、野菜スープ、シーフードリゾット、サラダ、豚肉とジャガイモの煮物、イカの天ぷら、750ccの赤ワイン、40ユーロ。
     
隣の席がオランダ人夫婦で、彼らから話しかけて、また写真も撮ろうと言ってくれた。楽しいご夫婦であった。
オランダがワークシェアリングなどで成功していること、柔道のアントン・ヘーシンクのことなどを私が話すと、
彼らはヘーシンクが2ヶ月前に死に、昨日はオランダの選手が柔道でチャンピオンになったこと、
今は、リタイアして、1週間イタリアを旅していること、などを話した。
日本からイタリアへは何時間がかかるかなどを聞いてきた。
私は、江戸時代、日本とオランダは友好的だったことを話したが、日本についてはよく知らなかった。
それはもっともなことで、ヨーロッパからすれば、日本は遙か彼方の異境の地なのだから。
イタリアの最後の日に、イタリアの人々の優しさに触れ、オランダ人と初めて話し、食事が出来てとても良かった。

10月21日
日本への帰国である。チェックイン・出国審査はきわめて簡単で、パスポートに出国の判子すら押さない。
香港の空港は、乗り継ぎだけだったのに検査が慎重で、鞄の中から手荷物を全て出させて調べていました。
キャセイ航空は48時間前にインターネットで座席予約=チェックインができるのだが、時間がなくそれはできなかった。
だが、良い具合に通路側の席を頼むことが出来、香港からの席も最後尾から3列目の通路側で最高でした。 機内食はもう1食あった。
 
10/21、12:40ローマ発、10/22、6:50香港着[時差7時間]。 10/22、9:30香港発、10/22、14:55成田着[1時間]。
直行便の最短は12時間位からあるようですが、乗り継ぎだと一日がかりだと言えそうです。
まだ、体力的にエコノミーでも大丈夫のようですが、それもいつまででしょうか。
エコノミーの座席は本当に狭いです。外人は、かなりデリカシーがないのか、寝てる時平気で体をぶつけて来る人が多い。
私は、行く前にスポーツジムで覚えたヨガ系ストレッチ体操を飛行機の座席で時々しました。歩き回るのが一番良いのですが。
長時間ですので、全て寝るより、体操したり、音楽を聴いたりが良いようです。
ヨガ系ストレッチ体操は、毎朝食後30分以上しました。これはとても生活のリズムと体には良かったと思っています。
時差は、往きの時は便通だけが問題で、夜中でした。帰国してから、睡眠のリズムが戻るのに1週間以上かかりました。
日本から、ウイスキーを持って行きましたが、飲んだのは寝酒程度で、半分ほど余りました。

ヨーロッパは昼からお酒を飲むのも問題ない様なので、酒好きの私にはとても良かったです。
ビールを飲んだのは2回だけ、後はワインでしたが、私はワインについてはよく知りません。
750ccのボトルで、7~10ユーロ位の、店独自の安いワイン"ハウスワイン"があり、それを頼めば安心です。
スーパでは、水の値段程度の安いワインがたくさん。今回の失敗は、ワインオープナーを持って行かなかったことです。
それが必要ない紙パック入りワインは、いかにも貧弱でした。

水道水は硬水と言われますが飲んでも大丈夫の様でしたが、私たちはスーパーで買いました。1.5~2リットルル0.6~1ユーロです。
ただ、ガス入りノンガスの二種類あって、ガス入りは私にはまずくてとうてい飲めませんでした。
その見分けが大変で店員に何度も聞きました。それでも2回も間違えて買ってしまい、捨てました。

小さい新しいパソコンを買って持って行ったのですが、私のミスなのでしょう無線ランが上手く行かずインターネットなどは出来ませんでした。
でも、ネットをしない方が結果的には時間に余裕が出来、良かったかもしれないと思っています。
撮影場所などの簡単なメモをワープロでしました。

今回の旅では、時々夫婦で別行動もとったので携帯電話は必要でした。料金もけっして高くありません。
ただ、ソフトバンクからの"パケットし放題に注意"のメールが1日3度、しかも夜もあって、それはまるで「スパム」でした。
日本では、電車の中ではほとんどの人が携帯を見ていますが、イタリアでは辺り構わず大きな声で電話しています。
でもそれはほんのわずかです。

天候と気象
雨は何度か降られました。特にアマルフィは嵐でした。
フィレンツェでは、よく雨に降られましたが、早朝に降って日中は止み、快晴のことが多かったです。
気温は、朝晩は少し涼しく、カーデガンかウインドブレーカーが必要でした。日中は、上着は要らないがTシャツとワイシャツ。
日射しはちょっと強いので、帽子は必要です。
とまれ、簡単に脱いだり・羽織ったり出来る服装が良いだろう。
だが、外人は両極端で、コート・セーター・ブーツの人もいれば、Tシャツ一枚の人もいます。
寝る時は、ナポリまでは毛布一枚、ローマでは毛布2枚でした。

食事にはほとんど困らず、日本食を食べたいとは全く思いませんでした。
スパゲッティやリゾットはイタリアでは前菜の様な第一皿ですが、私たちは二人で一人前としました。
私は日本では、ピザは食べませんが、イタリアのピザのボリュームの大きさには度肝を抜かれました。
私たちは、サラダはオリーブオイルも塩胡椒もドレッシングも不要で、そのままで良いです。バルサミコ酢は甘酢で独特でした。
ボイルドベジタブルの概念はどうもないようで、ベジタブルスープが野菜の煮物という感じで、豊富でした。
メニューは、初めはわからず苦労しましたが、慌てずに「グリルド・チキンとかフィッシュ?」と聞くと親切に教えてくれました。
チキンは美味しかったですが、ポークはパサパサでボリュームもなく美味しくなかったです。
シンプルな焼き魚だけは私は、食べたくなりました。
日本から、煎餅を持って行ったが食べなかった。
ドロミーティのツアーの時、カナダ人の一人がカナダのバッジを記念にとくれたので、"柿の種"を上げたら、美味しいと食べた。
昼食は、ほとんどサンドイッチでした。色々種類があり、トーストしてくれるBarもあり美味しいです。
デザートはほとんど食べず、スーパーで買ったりんごやオレンジなどをホテルで食べました。
食事の時、私たちはお金を払って水を飲むのは何故か抵抗があるのか注文しないのですが、外人は頼んでいました。
私は、食べ物については、断然トルコの方が豊富で美味しいと思いました。私には、イタリアは大雑把な感じでした。

全く個人的なことなのだが、私の好きな作家・佐野洋子さんの訃報が、11月6日新聞報道された。
"100万回生きたねこ"の絵本作家だが、私は彼女のエッセイが好きであった。
闘病中とは報じられていたが、72歳であった。
私とわずか9歳しか違わない。さて、残された私の月日はどの位なのだろう。

今回の旅行費用やその他のイタリアの感想などは次号【蛇足・点睛】と言うことにしましょう。


イタリア[ヴェネツィア、フィレンツェ、ナポリ、ローマ 21日間の旅]~感想

2010年11月08日 | イタリアの旅
最後に、イタリアの雑感である。

イタリアに出かける前に、"SPQR"のことを紹介しました。
ラテン語"Senatus Populusque Romanus"(元老院とローマの市民)の略称で、あらゆる地域で公共物に刻まれたと言います。
それは現代のローマ市内を走るバスやタクシー、マンホールの蓋にも入れられていると言います。
初め少し探したのだが、とても多いので、途中からは写真を撮るのをやめた。
  
  
  

ローマ・フィウミチーノ空港からローマ・テルミニ駅まで、私たちはレオナルドエクスプレスを使った。
日本の京成電車のスカイライナーのようなもので、全線一等なのだが指定席ではない。
テルミニ駅でヴェネツァ往きの急行に乗るのだが、私は日本で買った電車パスにスタンプを押してもらうのを忘れていた。
電車パスは乗り始めの時に駅で使用開始のスタンプを押してもらい、乗車日毎にその日付を自分で記入しなければならないのだ。
私は、ホームに乗る電車の車掌がいたのでこの電車かと聞くと、スタンプが押していないと50ユーロの罰金だという。
慌てて駅の窓口に向かったのだが、長蛇の列で列車の出発にはとうてい間に合わない。
駅のインフォメーション事務所があったので発車まで5分しかないと泣きついて、やっとスタンプを押してもらい、
やっとの事で乗車したら、もう一人の車掌はそんな事情なら私が押して上げたのに、である。
間に合い一安心してスーツケースを荷物置き場に置き、座席を探している時、「荷物を網棚に上げた方が良い」と言う女がいた。
妻は、どことなくおかしいと思ったらしいのだが、私が荷物を網棚に上げているわずかなスキに彼女は私の財布から現金だけを盗んだのであった。
私の財布は二つに折り曲げてボタンで止めるタイプのもので、鎖でズボンのバンドに止めていたので、財布ごと盗むことは出来なかったのだ。
一番の失敗は、財布をズボンのポケットに入れて置いたことであった。
入国早々スリにあったのは大ショックたったが、パスポートやキャッシュカードを盗まれた訳ではないので、高い授業料と思うことにした。
その後は、トイレに入るのに1~2ユーロを使ったり、有料トイレに入るのもたいした金額ではないと抵抗はなくなった。
また、地下鉄やバスなどの乗り違えや乗り過ごしも気楽に思えたし、また疲れた時は気楽にBarに入って休憩すればいいと思えるようになった。
ただ、イタリアの警察・公共サービスのいい加減さというのは気になった。
というのはスリなどは彼らの目からすればすぐわかるのだから、巡回・取り締まりは決して難しいことではないと思うから。
男女ペアの警察官は人通りの多い駅構内をただ歩いているだけという感じであった。

私はまた、鉄道のチケット購入のシステムはまことに非効率的だと思う。
  
というのは、自動販売機はあるのだが、それがキャッシュカード専用機であったり、スイカのようなカード専用機であったり、
また故障している機械も多く、私たちにはとてもわかりづらく、使いにくかった。
もっとも日本の自販機が外人に使いやすくはないことも同様ではあるが。
従って、多くの外国人旅行客は窓口を使うのだが、この窓口への職員の配置がとても少なく、いつも長蛇の列であった。
これらのことは所詮外国人だけの問題であって、地元イタリア人とは無関係と言うことで放置されているのだとさえ思える。
幹線駅のホームは熊手状になっている。     地下鉄のホームはとても深い(浅いと遺跡にぶつかるからだろうか)
  
つまり、駅は通過点ではなく、始発・終点駅のような構造になっている。
電車は、終点駅に着いて、Uターンして再出発するのである。
このためポイント・線路が混んで、発車10~15分前になってやっと列車が何番線に入るのかがわかるのは、このためだと思われる。
20以上のプラットホームが横一列に並んでいるので、駅の幅はものすごい長さになってしまう。
日本の車内放送は携帯電話の使用禁止や駆け足乗車をしないでなど極端にうるさいが、ヨーロッパ圏ではユーロスターを除いて、
次の停車駅がどこかの放送・掲示などは皆無でわからないのが一番困った。
プラットホームには駅名だけが表示され、次の駅名が表示されていないので、乗り過ごすまいと気が気ではない。
バスも地下鉄も同様である。こうした事情は、イタリアだけではないようだが。
交通料金はきわめて驚くほど安い。
ローマの地下鉄の駅だけが日本のような械式的改札機で、他は改札機はない。

乗る直前に打刻機に切符を入れて出発時間を打刻するのだが、車内での検札は特急のユーロスター以外はほとんどない。
ローマ空港とローマ・テルミニ駅を結ぶレオナルドダビンチエクスプレスは、全て一等車(14ユーロ)だが検札はない。
もちろん、ほとんどの旅行者だけがきまじめに、律儀に行列し、チケットを買い求め、打刻する。

私は、イタリアのサービスの悪さが極めて気になった。おつりや切符などは放り投げて渡す感じである。
特に、公務員というか公共サービスに携わる人々の不公正・恣意主義・不平等が気になった。
車内検札は一見して外国人・観光客とわかる人だけに行うのである。
検札をするなら、全ての人に平等に等しく行うべきである。
私は、特にアマルフィのバス運転手の理不尽さは許し難い。
豪雨が降っている中、高齢者の観光客がバスに向かって走って来ているのに、わずか2メートル前で発車したのであった。
アッピア街道では、妻がバスの出口が混んでいて出られないでいるのに発車してしまったのである。
そのくせ、顔見知りの乗客が乗ってくるとにこやかに挨拶し、後ろから来る自家用車には道を譲るのである。
私は、こうした風土は決して個人主義の社会だからとか、それは個人の責任だというのではない精神的風土があるようにを感じた。
それは偉大な古代ローマの遺産にあぐらをかいて、それに安住する安易さでは無いかと思った。
観光客に無愛想でサービスがどんなに悪かろうが、イタリアには世界中から観光客が集まり、多額のお金を落とす。
自分たちの努力がなくとも、観光収入があぶく銭のように入ってくるということに彼らは満足しきっているのではないだろうか。

私は、フランスのことを考えている。
かつて、フランスは尊大で、イタリア以上に外国人に無愛想だと言われた。
最近は外国人、特に観光客には優しくをモットーとしていると聞く。
昨年、私が旅した時経験したことだが、駅の窓口で英語で聞くと、英語のわからない職員は英語のわかる職員をわざわざ呼んで対応してくれた。
地下鉄労働者がストをやっていたリヨンでは、私が地下鉄の代替え輸送のバスチケットの購入や乗り方がわからず困って、
職員に尋ねると、英語の出来ない彼は英語のわかる職員を呼んでくれたのである。
その彼は、バスのチケットを買ってさえくれた。
バスがなかなか来ないので私はバスを諦め、タクシー乗り場に並んだのだが、行き先を告げると乗車拒否をされ、乗れなかった。
すると彼が寄ってきて、「10ユーロ位でと言えばいい」とアドバイスしてくれ、私たちはタクシーに乗ることが出来た。
また、イタリアでは多くの美術館・博物館にパンフレットさえ用意されていない。
他方、フランスのルーブル博物館では「日本語のパンフレット」が用意されていた。
フランスでは、地下鉄で切符の買い方がわからずウロウロしていると後ろに並んでいる人が操作を教えてくれ、
街角で、地図を片手に迷っていると、「どうしました」と声をかけてくれた。
イタリアには、そう「出来ない事情もある」ことも少しはわかるような気がするのだが。
例えば、駅のチケットの自動販売機。
操作が、わからず困っている時、親切に教えてくれる人も当然いるが、同時に、"隙あらばだまそう"と虎視眈々の人もいるのである。
「切符を持っているが使わなくなったので譲る」と言って、使用済み切符を渡して金をだまし取るのだ。
イタリアでは打刻してもその切符は回収されないので、使用済み切符を渡され、お金をだまし取られるというわけだ。
私も実際、レオナルドエキスプレスの切符を買おうとしている時にそう声をかけられた。
高額紙幣は使えない等と言って、入れた紙幣をかすめ取ったり、釣り銭などをごまかしす手口などもあるという。
観光客に親切にすると、この種の怪しい人と間違われることを恐れて、イタリア人の多くは親切にしないのかもしれない。

もう一つは、戦後イタリアに深く関わる社会的風土が関係しているのかもしれないと思う。
1960年代後半のイタリアは、ベトナムと同様、世界の希望の星であった。
グラムシ、トリアッチというイタリア共産党指導者が築いた新しい社会主義の運動は、ソビエトや中国とは異なる新たな希望を与えていた。
イタリアでは、先進国では暴力的革命を経ないでも選挙・議会を通して多数派を形成し、社会構造を変革し、
社会主義を実現できるかもしれないという道を切り開き、社会主義は目の前、と思われていた。
その後、ベルリンの壁の崩壊・ソビエトの崩壊によってイタリアの政治・社会は大きく変わり、
左翼の力は急速に衰え、その路線も、イタリア共産党も無くなってしまった。
私は、現在のイタリアの人々は、古代ローマとグラムシらの築いた歴史的遺産・既得権に安住し、それを食いつぶしている、のではと思ってしまった。
もちろん色んな事情が、重なっているのだろうが、イタリアは観光立国の国だと思う。
そうだとするなら、もっと観光客を大事する方が絶対良いに決まっている。
・スリ対策
・鉄道など交通機関における検札の公正、自販機・窓口の充実、行き先・次の駅・列車の止まる位置等の表示や放送
・博物館のトイレ、リーフレットと案内板・説明板の充実
・レストランの英語メニューの充実
これらでイタリアの印象はグンと良くなって、リピーターも増えること疑いなし、と私は思う。
大好きなイタリアだけに私はそう願う。

もちろん、個々に接するイタリア人には素敵な人は沢山いる。
特に、バチカン博物館で会ったエレベータ係の人、エトルリアの駅で切符を買ってくれた男性、フィレンツェ・ナポリのホテルの男性は最高でした。
フィレンツェのイタリア女性ガイドも素敵でした。
とりわけ地方に行くほど、そこで出会ったイタリア人はどの人も人なつっこく、とても親切でした。
イタリア最後の訪問地・エトルリアでは、インフォメーション職員・博物館職員・バスの運転手いずれの人もとても親切でした。
博物館がわからずうろうろしていると、民家の2階の窓から女性が声をかけ、まっすぐ行って右とジェスチャーで教えてくれました。
ローマのホテルの受付の女性は、私が「ローマでまたお会いしましょう」と言うと、「また来ますか?」。
「トレビの泉でコインを投げ入れましたから」と言うと涙ぐんでいました。

私たちが訪れたイタリアの都市=ヴェネツィア・フィレンツェ・ナポリ・ローマは、いずれも大きい都市ではありませんでした。
ヴェネツィアはヴァポレット(=舟)は使わざるを得ませんが後は歩き、フィレンツェはバスが利用できればいいが歩き、
ナポリは港に行くにはバスが必要ですが、やはり歩き、ローマはさすがに少し広く地下鉄を使いますが、やはり基本は歩きです。
しかし、道路は石畳なので足腰には良くなく、犬の糞があちこちに落ちているので、上を見たり足元を見たり左右を見たり、キョロキョロです。
 

交通信号・横断歩道はあるが、人々はそれらを完全に無視して、赤信号・道路を渡り、横断する。
ほとんどの車は、クラクションも鳴らさず止まる。
道路は石畳でスピードは出せないし、渋滞しているので多くはスピードは出ていないので危険は感じない。
だが、私は人が先に渡るのを見てから横断する様には試みた。

"物乞い"の多さも私は気になりました。身体障害者も多いのですが、一見健康そのものの人も沢山います。
困るのは杖を持った老婆で、立ち止まっていたりすると、杖で足をつついての物乞いです。
電車・メトロでは、座席や窓枠に名刺を置いていって、後ほどそれを回収する時お金を要求します。
少し不謹慎ですが、一日中同じ姿勢で物乞いする姿はまるでヨガ修行僧のようです。
おもしろいのは、地下鉄の自動販売機の前の人で、まごついている人がいるとあれこれアドバイスして謝礼をもらおうという人です。
物乞いの彼らは、物乞いで生活できている、と言うことだと私は思います。
つまり、彼らは政府の援助や日本の生活保護などは不要で、人々の「喜捨」で生活出来ているのではないかと思うのです。
そう思うと、こうした風景は不思議に思えます。
私には、イタリアの国民は他人には無関心にみえるのですが、意外に社会には潤いがあるのかもしれないとさえ思うのです。
恵みを与えているのは観光客より彼らイタリア市民のようで、お互い話したり、煙草も要求。
こう思うと、スリ達も同様なのではと思いました。つまり一部裕福な外人観光客が犠牲になれば良いだけの話なのですから。
スリ達もおそらくイタリア人には手を出さないのだと思います。
彼らを取り締まったり、社会保障するより、放置・容認しておく方が遙かに社会的費用も安く、社会も安定する、とさえ感じます。
かつては集団で取り囲んでスルとか脅迫もあったようですが、現在はそうした暴力的なものは少なくなって来ているそうです。

車椅子へのサービスは空港だけです。石畳の上を車椅子で移動するのはかなりの困難です。
駅のプラットホームには一部点字ブロックがありましたが、街中は皆無でした。
エスカレーター・エレベーターもほとんどありませんでした。
バリアフリーは日本よりはるかに遅れていると思います。

洗濯
コインランドリーもある様であったが、数も少なく場所も良くわからなかったので使わなかった。
ワイシャツなどは3、4日着、速乾性の下着は毎日自分たちで洗い、困ることは無かった。
私たちは服装についてはとても質素で、荷物もそれほど多くはなかった。

言葉の問題
イタリアでは、英語がわかる人もいればそうでない人もいます。多くは片言です。私もそうですので、かえって都合が良いものです。
私は、バスや電車に乗る時は、駅名などをメモにしておきました。
例えば、"Per Termini?"(テルミニに行きますか)とか、"Qual eil pullma ~?"(このバスは~に行きますか?)、
"Station No?"、等と書いたメモを見せるのです。
バスの番号などは、聞き取れないので"No ?"と見せて、数字を書いてもらうのです。
地図を教えるのは、相手も難しいし聞き取れないので、"Mussei?"と見せ、手で→↑と指さしし、だいたいの方角を聞きました。

トイレ事情
町中・通りには無料トイレはありません。モンテリジョーニの駐車場だけにきれいな無料トイレがありました。
鉄道・地下鉄の駅にも無料トイレはなく、有料です。長距離電車やフェリーにはトイレはありますがきれいでなく、水が出ないこともあります。
大きい駅には、有料のトイレ(0.8~1.2ユーロ)がありますが、数も少なくきれいではありません。
ですが、Barやレストランにトイレがあるので、問題はありません。エスプレッソを頼めば(1~2ユーロ)、トイレを使えます。
多くはきれいではなく、混んでいます。特に男性便器には便座がありません。
博物館や美術館にトイレはありますが概ね数が少なく、わかりにくい所にあり、余りきれいではなく混んでいます。
バチカンのトイレはきれいでした。
   

救急車には良く遭遇しました。
   

これは楽しい落書き                                                 これは立ち続けてお金をもらう人
   

Barは街のあちこちにあって、人々が気軽に立ち寄る。ワイン・カプチーノ・軽食(と言うが、これが一人前)
  

イタリアにはあちこちに、広場と水飲み場と噴水が
       

駐車場がないので路上駐車、ここに居住しているとの証書(左)があればOKとか。  ベンツのスマートはわずかなスペース=例えばバイク置き場にも
                                                 駐車出来(違法らしいですが)、人気でした。
  

清掃車もたくさん見ました。
  
そして
  

お金の話 (二人分、円)。
飛行機代:232,000(HIS)~飛行機代は実に色々で、直前だともっと安くなるようです。私は半年も先に求めました。
・ホテル代:232,900
ヴェネツィア50,500、
フィレンツェ 58,400、
ナポリ 38,000、
ローマ 86,000(ローマのみ地球の歩き方、他は楽天トラベル)
・現地ツアー代(バチカンは含まず):152,000(Alan1.net)
・電車[Rail Europe]:49,400
4日間パス(乗車券代) 33,400、
特急券 @2,500×4=10,000、
手数料 6,000(@1,500×2、郵送料@,1500×2)
・現金:約185,000(盗まれたお金を引き、カードも含む。私たちは土産はほとんど買いませんでした。)
・保険料:12,300 
計: 約863,600 と言った所か。
現代はインターネットの時代。飛行機・ホテル・電車・現地ツアー等の予約は、全て日本で、日本語のサイトで出来るのです。
決して難しいことではありません。
オールパッケージツアーの旅行も良いですし、個人のオリジナル旅行もまた良いものです。

最後に私の今回のお気に入り
サン・ジミニャーノの町で        アヴェンティーノの丘の教会で結婚式を上げた夫婦が散歩していました。
   【終わり】