風そよぐ部屋

ウォーキングと映画の無味感想ノート

スペインの旅、グラナダ市内

2011年05月16日 | 海外旅行
グラナダ市内を散策した。
まず、バスでアルハンブラ宮殿が一望できる高台=サン・ニコラス展望台に行った。

グラナダの町

そこから、坂を下って市内に向かった。
ヘロニモ修道院


グラナダの中心街は思ったより狭いようだった。
旅の疲れも出て来たので、昼食はサンドイッチを買ってホテルで食べ、その後30分ほど昼寝をし、
アルハンブラ宮殿の下見に出かけた。
バスとチケットの購入方法などを確認し、宮殿を下った。
今度のホテルはバスタブがあるので、早めにホテルに戻り、ズボンなどを洗濯をした。

さて、バルセロナ・グラナダの気候。
朝晩は、とても涼しい。Tシャツの上に、ワイシャツそしてカーデガンが必要、
日中の日射しは、かなり強いのだが、木陰に入るとひんやりするほど。
汗をかくという感じはしない。
だから、羽織るものを持つので荷物が多くなる。

スペインの旅、バルセロナからグラナダへ

2011年05月15日 | 海外旅行
バルセロナ・サンツ駅発グラナダ行きは、朝8時発と寝台の二本しかない。
私は、8時発の電車に乗った。到着はなんと19時半の予定である。
一両に6人しか乗っていなかった。
大きな岐路駅で、列車を次々と切り離し、それぞれの目的地に別れていくのである。
切り離しには、20~30分かかるので、時間がかかるのである。
最終的に、グラナダに向かう列車は1両になっていた。






車窓からは、家、車、林などはほとんど見られない。
オリーブ、ブドウ、牧草、時々畑が延々と続く風景であった。
グラナダ駅近くになってスコールのような雨が降ったが、すぐやんだ。
30分遅れでグラナダ駅に着いた。
駅と中心地は離れているので、タクシーで行った。
今度のホテルは、バスタブ・テレビ・金庫・冷蔵庫が付いている。

スペインの旅、バルセロナ7日目・モンジェイク地区

2011年05月14日 | 海外旅行
今日は、早くもバルセロナ7日目、最終日になった。
モンジェイク地区は、バルセロナ市内と港が一望できる小高い丘の上にあり、
昔は、モンジェイク城が港に睨みを利かせていた。
フニクラとロープウェイで上ることができる。
 
1929年のバルセロナ万国博とオリンピックで一帯が開発された。
その際のテーマパーク"スペイン村"は期待はずれだった。
いろいろな施設が建ち並ぶが、スペイン語表示で地図がよく分からなかった。
カタルーニャ美術館が壮大にそびえ立つ。[入らなかった]

明日は、グラナダへの移動日。朝8時の電車なので早めにホテルに戻った。
このホテルで知り合った、アメリカ人の若い夫婦とロビーでビールを飲みながら少しお話した。

スペインの旅、グルメウォーキングツアー/市内観光

2011年05月13日 | 海外旅行
午前中、バルセロナの中心・カタルーニャ広場周辺のグルメスポットを歩いて巡るツアーに参加した。
サン・ジュセップ市場のイベリコ豚の生ハム屋

そのほか、お菓子屋、珈琲豆屋など12のお店を歩いて巡った。
話好きのガイド(英語)で2時間の予定なのに、30分近くもオーバーした。

その後は、サン・パウロ病院、モヌメンタル闘牛場、グエル別邸、サンタ・テレサ学院などを巡った。
モヌメンタル闘牛場

サンタ・テレサ学院

途中、サンツ駅で下車し、二日後グラナダへの列車乗り場を確かめた。
サンツ駅は、とても大きい上に、イタリアやフランスの鉄道の駅とは全く構造が違っていた。
これまでのヨーロッパの駅は、自由にプラットホームに入れる構造なのだが、サンツ駅は改札口が日本のようにあった。


スペインの旅、モンセラット・シッチェス

2011年05月12日 | 海外旅行
本日も、現地ツアー"聖地モンセラットとシッチェス1日観光"に参加した。
モンセラットはカタルーニャのキリスト教の聖地と言われる。
奇岩地帯にある。トルコのカッパドキアほどの広さ・規模・特異性はない。

バジリカ[すごい混みようで身動きできないほど、仕方なくすぐ退出しました]

「フニクラ」(ケーブルカー)の乗って、更に少し上まで上りました。
また、登山鉄道にも乗りました。

シッチェスは、海岸のリゾート地。

小さな町で、特別の観光スポットがあるわけではない。

スペインの旅、ジローナ・フィゲラス

2011年05月11日 | 海外旅行
今日は、地元ツアー“ジローナとフィゲラス一日観光”に参加した。
ジローナは、古くから交通の要衝にあり、小さな町だが様々な文化が混在している。
オニャー川とキャシードル(大聖堂)

折しも、この一週間フラワーフェスティバルが行われていて、大変な混雑であった。

フィゲラスは、ダリの町[生誕し、終焉した]である。
ダリ美術館

ダリ美術館はおもしろく、楽しい。
写真撮影自由もいい。
展示説明も小さくて読めないので、無いに等しいもいい。
昨夜ホテル従業員の青年と話をしたら、彼がこの地で生まれ、育ったと聞いたので、市内も少し散策した。
ホテルに戻ると、レセプションに彼がいて、少し話をした。

スペインの旅、バルセロナ2日、ガウディ

2011年05月09日 | 海外旅行
5月9日、スペイン2日目はガウディの建築物を訪れました。
グエル公園、ガウディ博物館、カサ・ビセンス、カサ・ミラ、カサ・バトリョ、カサ・カルベ、サグラダ・ファミリアなどを訪れました。
サグラダ・ファミリア

サグラダ・ファミリアでのエレベーターは、2時半入場時に、4時の予約でした。
4時にエレベーター前に行きましたが、エレベーターに乗れたのは45分後でした。
ピースボートで訪れたときは、内部は工事中でほとんど見るべきものがありませんでしたが、
今回は、かなり仕上がっていてとてもきれいでした。

また、時間もたっぷりあったので、ゆっくり見ることができました。
特に、敷地外の公園にも行って、全景を楽しむことができました。

スペインの旅、バルセロナ1日目

2011年05月08日 | 海外旅行
無事スペインに着きました。
5月8日0時30分羽田発の予定が、エンターテイメント関係の故障ということで、
出発は、2時10分頃になった。
パリに着いたのは、8日の朝7時、パリ発の飛行機は7時40分、大急ぎの乗り継ぎで何とか間に合った。
その詳しい様子は、後日にゆっくりします。
後は順調、スムースにホテルに到着し、早速観光しました。

これは、カテドラル前の広場で、カタルーニャのダンスを踊る人々。
写真のメモをなくしてしまい、整理が大変になりそうです。
インターネットの事情はまずまずですので、簡単なブログを出したいです。
食事もBARでゆっくりたっぷりいただきました。
ホテルに冷蔵庫がないのが唯一困ったことです。
シエスタを取ったのですが眠くなりましたので、本日はここまで。
【時間ハ、現地時間】

スペインを旅してきます。

2011年05月06日 | 海外旅行
5月8日から1ヶ月間、スペインに行って来ます。
5月8日、深夜0時35分羽田を出発し、6:20パリ;シャルルドゴール国際空港着、7:40パリ出発、
 5月8日 9:20バルセロナ;バルセロナ空港着、
6月6日、11:05バルセロナ出発、13:20アムステルダム;スキポール空港着、14:55アムステルダム出発、
 6月7日、8:55成田国際空港着 の予定です。

日程。
現地でいくつかのツアーに参加しますが、後は地下鉄利用の歩きがおもな個人オリジナルツアーです。


スペイン国内の移動は鉄道とバス、市内はメトロと歩きです。
今回、ちょっとアニマックですが、スペインとフランスの国境にあるアンドラ公国も訪れます。
広さは金沢市と同じ位、人口は7万人、関税のない小さな観光立国の国で、
政治体制は、帝政以前の古代ローマの共和制とよく似ていると言われます。
バルセロナから、バスで片道3時間、滞在約3時間、つまりただ行くだけ、ですが。
ピースボートでは、バルセロナとカナリア諸島に行きましたが、それぞれ半日だけの滞在でした。
今回は、ロンダ・コルドバ・セビーリャ・トレドなどの地方都市も訪れ、のんびり旅をしたいです。
ピースボートでは、ジブラルタル海峡を海から通りましたが、今回は陸からジブラルタル海峡を見る予定です。
ジブラルタルは、現代でもイギリスの海外領土で、イギリスが領有しているのです。
他方、アフリカ・モロッコの先端のセウタは、スペインの飛地領でスペインが領有しているのです。
中世・大航海時代・帝国主義時代から、今日に至るまで「先進国・大国」がずぅーっとここを領有し、引き継いでいるなんて、
不思議を通り越して私には"変"というか"異常"としか思えません。
ジブラルタル海峡の一番狭い所は、アフリカとはわずか14kmしか離れてなく、晴れるとモロッコが見えるそうです。
そんなわけで、細かく言うと3ヵ国を訪れることになります。

スペインは、古代ローマ・キリスト教・イスラームの三つの文化が類いまれに解け合っていると言われています。
イスラームのオスマントルコは難攻不落と言われた東ローマ帝国の首都コンスタンチノープルを陥落させ、
スペインを支配下に置き、古代ローマと匹敵する帝国を築きました。
彼らは、都の名をイスタンブールに変えはしたが、キリスト教文明を破壊することなく、それらを融合・温存させ、
こうしてスペインには三つの文化、そしてアジアとヨーロッパが融合したトルコの文化も残されたと言われます。
また、バルセロナを中心としたカタルーニャ地方は自分たちの独自の言語・カタルーニャ語と文化を持ち、
誇り高い自主・独立心の強い地域で、長年の戦いの末、今日ではカタルーニャ自治州を勝ち取っています。
ピカソやダリもこうしたカタルーニャの歴史の血・精神を引いていると言われます。
ヒトラーが台頭した同時期、スペインではフランコファシズムの嵐が吹き荒れました。
カタルーニャを中心としたスペイン人民線戦線は激しく抵抗しましたが、欧米列強はそれが容共だと支援しませんでした。
ヒトラーに支援されたフランコに人民戦線は破れ、以降スペインは、冷戦下、複雑な歴史を歩むことを余儀なくされました。
とまれ、私には相棒のロシナンテはいないのですから、ドンキホーテのように風に抗うことなく、スペインの風をたっぷり吸って来たいです。

パソコンは持って行きます。簡単なブログを発信したいのですが、おそらくその余裕はないと思います。 では。

映画/レオニ・ルイーサ

2011年05月04日 | 映画

松井久子脚本・監督、イサム・ノグチの母の物語。
イサム・ノグチは、日本人の父とアメリカ人の母を持つ日系アメリカ人で、彫刻家・マルチアーティスト。
レオニー・ギルモアは、アメリカで詩作していたイサムの父・野口米次郎(詩人)の出版・編集の仕事に携わり、
彼と恋愛関係になり、イサムを身ごもる。
日露戦争が勃発し、米次郎はイサムの誕生を待つことなく、単身日本に帰国する。
レオニーは一人でイサムを産み、育てる。
その後、彼女は日本で生活するようになる。
イサムが14歳の時、彼にアメリカに留学勧め、イサムは単身アメリカに渡る。
レオニーは、帰米しイサムと一緒に生活する。1933年60歳で病死。
松井は、米次郎や他の男に依存しない女性、自立・独立心の強いレオニーの生涯を描いたのだが、
彼女の魅力と内面を描くことに十分に成功しているとは私には思えない。
また、時代が古いと言うことなのかもしれないが、映像はきれいでなかった。
日本人俳優の英語の台詞がゆっくりで、私にもかなり聞き取ることが出来た。
イサムの生涯を描くことは、この映画のテーマではないが、彼の描き方も平面的に感じた。
太平洋戦争中、イサムは自ら日系人強制収容所に志願拘留された。
しかし、彼はそこで日本人からアメリカのスパイと疑われ、自ら収容所からの出所を希望するが、
今度は、アメリカ側から日本人であるとして出所はできなかった。
私は、彼の芸術活動を詳しくは知らない。
晩年、札幌市のモエレ沼公園の計画に取り組み、その完成を見ることなく、ニューヨークで1988年84歳でなくなった。
モエレ沼公園の写真[引用]  イサムデザインの子どもの遊具







~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


アルゼンチンのブエノスアイレスで暮らすルイーサは60歳、ある日、寄り添って生きて来た猫が死んだ。
同じ日、彼女は掛け持ちしていた二つの仕事を首になってしまう。
彼女は30年間勤めてきた、"やすらぎ霊園"の受付の仕事を退職金も払われることなく突然解雇され、
有名芸能人の部屋の掃除の仕事も首になってしまう。
彼女には娘と夫がいたがその二人ともすでに失っていた(映画ではその事情は描かれないが)。
猫の火葬代の余裕もない彼女は、冷凍庫に猫の死骸をしまって、これからの行く末を模索する。
人混みが嫌いで、地下鉄に乗ったこともなかったが、銀行に行かなければならず地下鉄に乗ることになった。
そこで彼女が見た物は、実にたくさんの「物乞い」だった。
彼女は、勇気を絞り出して、新しい「商売」に挑戦するのであった。
深刻に成りそうなテーマとエピソードをユーモアと皮肉たっぷりにコメディタッチで描いている。
地下鉄内での、"中国の幸運カード販売"、"松葉杖をつく老女"、"目の見えない老女"など。
「目の見えない彼女」が、スリを目撃して、乗客に「身の回りにご注意を」なんて傑作でしょ。
初めは、地下鉄の乗り方も知らなかった彼女が、どんどん陽気になり、大声を出すことが出来るようになり、
果ては、口げんかさえ出来るようになったり、彼女を首にした女優のポスターに落書きしたり、
最初は、「こんな暗い映画かよ」だったのが、次第に彼女を応援し、最後には彼女に励まされているような感じです。
アルゼンチンの映画を見るのは初めて、私はこの映画を十分堪能した。
彼女の階下に住むアパートの管理人がこの映画に「"節"とアルゼンチン人の優しさ」を感じた。
彼には美人の妻がいるのだが、いかにも風采が上がらない男なのだが、面倒見の良いやさしい男なのである。
館内で笑い声が起きたのも良かった。
映画を見たのは、5月2日。10時50分開始の時、70%の入り、1時20分には通路に座って見る人もいるほどでした。【5/2】

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
さて、以下脱線気味だが、
アルゼンチンの事情は知らないが、ソウル、ローマ、パリ、トルコ、アジア、中南米など、
日本の昨今ではこのような情景を見ることはほとんどないが、
私が旅した少なくない国々で、"物乞い商法"と"物乞い"はよく見かける日常的風景でした。
鉄道、繁華街、教会の前、特に多いのが地下鉄の通路と車内です。
私は、彼らが居ると言うことは、それで彼らの生活が成り立っていると言うことだと私は思うのです。
つまり、彼らにお金を払う人々が少なからずいるということであって、
人々が何かしら助け合って生活しているというか相互扶助のような感情が社会にあるのではないかとさえ思うのです。
私には、彼らの紙コップにコインを入れるのは、旅行者よりそこに住む人々の方がはるかに多いと思いました。
電車と地下鉄車内の販売にはユニークで面白い物があります。
ソウルの地下鉄は、特にユニークで明るかった。
CDデッキの大音量を流してCDを売る人、帽子のキャップなどに止めることの出来る懐中電灯を売る人、
これはかつてソウルの地下鉄で大火災があって多くの人が亡くなったためと聞く。
それ以来、ソウルの地下鉄の座席は、布製から金属製になったという。
雨が降ると、黄色の合羽を着て、合羽を売りに来ます。
雨と言えば、イタリアでは雨が降ると、乳母車に傘を乗せた傘売りがたちまち増えました。
欧米人は傘をささないなどと言われるが、フィレンチェ・ナポリではやたら大きな傘を多くの人が持っていました。
鉄道では、女の人が子どもと一緒の写真のコピーを座席に置いて行き、暫くして回収に来ます。
彼女は何の説明もしなかったが、「このコピーを買って」と言うことなのだろう。
どこの国かは忘れたが、メトロの中にバイオリンやアコーディオンを演奏して、チップをもらう人、
そして、ヨーロッパでは、メトロの通路や街頭や公園で楽器を演奏している人がやたら多く、
彼らはもちろん趣味でやっているのではなく、仕事としてやっているのであって、チップを求めてです。
また、街頭で動かないマネキンのパフォーマーも多い。
イタリアのコロッセオの前では、ローマ兵のコスチュームを来たたくさんの男達が居て、
彼らは観光客の記念撮影に応じてチップをもらうのです。
ピラミッドの前では警察官さえもが、観光客のカメラでピラミッドをバックに観光客の写真を撮ってチップをもらう。
交差点で車が止まると、車のフロントガラスをきれいにしてチップをもらう人は、確か中南米の国であったと思います。
署名活動をして、カンパを求める人もいました。
驚いたのは、カンボジアで遺跡から出てくると私の顔写真がプリントされた皿を見せられたことです。
ベトナムでもカンボジアでも"ワンダラー"と子ども達がお土産を売りに来るし、
インドやエジプトでは、売り子が子どもではなく大人でした。
またアジアや中南米やイースター島などではトイレの入り口に係りの人がいて、チップが必要だし、
あるいは、ティッシュを渡したり、お手ふきを渡してチップをもらう人もいます。
ヨーロッパの国々では、鉄道や公園のトイレの多くは有料でした。
私は、トルコで電子辞書、ローマでお金をすられたし、
ローマのメトロの切符の自動販売機の脇では買い方をガイダンスする人がいます、
彼らは、ボランティアでそこにいるのではなく、仕事として居るのであって、チップを要求するのです。
その他、紙コップを手にして、路上や公園や駅なでただ座って物乞いする人もいます。
私は、初めは違和感というか、煩わしさというか、イヤな感情が強かったのですが、徐々に思いが変化していきました。
私には、彼らはいずれも「仕事」としてそれをしているのだとつくづく思いました。
もちろんスリだけはヤですが。
私は、以上のことを「嫌悪感」をもって書いて居るのではありません。
それは日本の常識ではないかもしれませんが、「そこにはそこの文化がある」と言うことではないかと思うのです。
そんなことを感じるのも外国旅行の魅力一つではないかとも思いますが、いかがでしょうか。
『ルイーサ』を見て、こんなことをかなり懐かしく思いだした、という次第です。

東武線・新田駅~JR武蔵野線・越谷レイクタウンを歩く

2011年05月01日 | ウォーキング
4月29日、東武伊勢崎線・新田駅から、JR武蔵野線・越谷レイクタウン駅間を歩いた。
天気予報では4月の気温で涼しいというので出かけた。予報通り、少し風が冷たく心地よかった。
過日、この近辺を歩いた時、雨模様になって回れなかった、越谷レイクタウン駅南側の三つのお寺を訪れた。


宝積寺
  

久伊豆神社                                本殿
 
この一帯の神社はほとんど、久伊豆神社である。
久伊豆神社は少しなじみがない名前だが、平安時代末期、元荒川流域の武士団の鎮守神社であったようだ。

綾瀬川                                久伊豆神社
  

次に訪れる地蔵院と少し離れているが、その寺の涅槃堂
  

地蔵院
  
地蔵堂[六地蔵が円に配置されている]
  

清蔵院                            山門[軒下に左甚五郎作と伝えられる龍の彫り物が。金網で覆うと龍がでなくなったと言う]
  
不動堂
  
本堂
  

光明院
 
弁天堂               大師堂
 

成就院
  
    

智泉院
 
女体神社[智泉院に隣接]      越谷ショッピングモール方向
 

白蓮寺
  

東漸院
  
左;万治二年(17世紀中頃)の六地蔵板碑               合同卒塔婆
 

草加東高辺りから越谷レイクタウン駅方向
  

能持寺
 

用水路に沿って、越谷レイクタウン駅に向かって歩くと、ポツリと雨粒が落ちて来たが、すぐ止んだ。
過日、マルエツ・イオンレイクタウンショッピングモールを訪れた時は寄らないだろうと書いたのだが、
物は試し、どうなっているんだろうかと立ち寄った。

21万8,483平方メートルの面積、565の店舗、8,200台の駐車場を備えた日本最大のショッピング街という。
せっかく来たのだから、私はスペイン旅行で使う「3Cプラグ」を買おうと思った。
案内パンフレットはエリアごとに3~4種類もあり、見ても分からないので、インフォメーションで聞くと、
電気店はノジマデンキで一番端っこにあり、駅からだとおそらく1km以上はあるだろう。
1個200円ほどで、2個買った。
ネットショップのアマゾンでは郵送料込みで2個609円で買えるしろものだが、
たった200円儲けるために私は、往復2km以上も歩いたのであった。
ショッピングモールは、休みの日の渋谷駅や新宿駅のようで、ものすごい混みようだった。
通路はかなり広いのだが、ちょっとよそ見していると人とぶつかりそうであった。
床はクロスが敷いてあるので足には良いのだが、ベンチなどは多くはなかった。
大型スーパーの広いワンフロアーのようではなく、テナントのお店が3階建てで両サイドに延々と続くのであった。
それぞれの店舗はかなり広いのだが、私はテナント料はどの位なのだろうか、などと思ってしまった。
目的というかお目当ての店を探すのも大変で、ぶらぶら歩いて、気に入った店があったらそこに入るという感じだろう。
私は、再びは来ないだろう。

越谷レイクタウン駅南側は、現在はほとんど田んぼであった。
智泉院の先は草加市で、南北に走る"東埼玉道路"は現在では片道1車線だが、中央分離帯は3車線位ある感じ、
一度の信号では渡り切れない。
田んぼのど真ん中を大道路が一直線に突っ切っている。
この道路、外環道とイオンモールを結ぶバイパスのようで、今のところ5~6kmだけのようである。
光明院辺りで私は位置と方向がわかりにくくなったので道を聞こうと思ったのだが、人がいないのであった。
車はたくさん走っているのだが、道を歩いている人はほとんどいない。