風そよぐ部屋

ウォーキングと映画の無味感想ノート

第100回ピースボート船旅①/出港

2019年04月09日 | 第100回ピースボート南半球クルーズ

横浜港出港2018年12月26日
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12月26日
10:30乗船受け付け開始というので6時起床、ゆっくり朝食を作りいただき、8時過ぎに家を出ました。
電車混んでいて秋葉原まで座れませんでした。関内で降りて、タクシーで佐川急便関内営業所に向かいました。
船内のジムは狭いのでエアロバイクとウォーキングマシンを持ち込むことにしました。
ピースボートで送ることのできる宅急便は160cmまでなので特別便(3600円ほど)で営業所止めで送り、
そこから後は自分で運ばなければならないからです。ところがタクシーの運転手場所が分からずウロウロ、
10時頃横浜大桟橋に着くと佐川急便スタッフが受付まで運んでくれました。受付、出国審査は簡単でした。
すると今度はピースボートスタッフが部屋まで運んでくれました。私の部屋はシングルで5階でした。
南半球なので日当たりを考えて右舷を希望しました。他の荷物はキャビンに届いていたので、荷物整理をしました。
洗濯物干し様に突っ張り棒を持って来ました。窓に作りました。一人部屋なのでロッカーも一人締めですので余裕です。
運動不足解消のために持ち込んだウォーキングマシンはほとんど使いものになりませんでした。
 
 
日本丸                      飛鳥2
 
キャビンの様子
 
ロッカー
 
洗面室
 
左・洗面室、右・ロッカー



今回の特徴は、南半球の西回りで、ウリは南極です。しかし、私は南極訪れは興味が無い上に、料金がべらぼうに
高い上に、船酔い必至の荒れた海を通らなければなりませんので、私は南極クルーズは選びませんでした。
その他ヨーロッパなどの都会では無くアフリカのビクトリアの滝や南米のイグアスの滝、ウユニ塩湖など、
個人ではちょっと訪れるのが易しくない自然豊かなところを訪れます。
それらは、寄港地から離れているので一日ツアーでは行えないので、オーバーランドツアーと言って、
一度船を離れて観光し、次の寄港地へは飛行機を使って合流します。かなりのコスト高ですが仕方ありません。
また、やはり治安の問題があるところが多いので、自由行動では無く、ツアーを申し込みました。
団塊世代が増え、また100回記念と言うことも相まってクルーズはほぼ満席とのことです。
しかし、実態は少し違っていたようで、今回クルーズの参加者は約1000人ですが、そのうち40%はリピーター、
20%が外国人で台湾人が一番多いそうですが、日本人の新規参加者が少ないようです。
後で分かったことですが、外国人は料金を半額にしたそうです。彼らの口コミの宣伝効果に期待し、頭打ちの日本人から、
外国人の富裕層にシフトを変えたと私は思うのです。
艦内言語は日本語、英語、中国語です。夕食は、早い組(17時から)と遅い組(19時から)があり、私は19時からです。
レセプションは、中国語スタッフが多いのですが、如何せん訓練・教育がまだまだというのが実情でした。
クルーズの良いところは、時差が無いこと、荷物の持ち運びをしないこと、時にはひねもすぼぉーと海を眺め、
トビウオ、イルカやウミガメを時に見ることもできますし、夕焼けや星空を眺めたりすることです。
3食の準備や掃除などの家事をしないこともゆっくりできて、時には良いです。
スマホの普及で艦内はWifiが利用できるようになったようです。しかし、インターネット利用は安くない有料ですし、
そもそも私はスマホを持っていません。洋上は、衛星回線のため通信速度が極めて遅い上に、電波事情が悪いので
途中で遮断されることも多々です。オーバーランドツアーの時は陸上のホテルに泊まるので、現地発信が可能な時はしますが、
それ以外はネット発信はしない予定です。
日常的には運動不足がクルーズの難点です。プールはありますが泳ぐほど広くはありませんし、
ジムエリアはありますがランニングマシンは3台だけ。
ダンベルはあるので、上半身のウエイトトレーニングは少しできます。
今回、安いエアロバイクとウォーキングマシンを買いそれを持って行きます。
妻は船酔いするので今回も同行できません。また私は、わがままなので相部屋はイヤなので少し値が
かさみますが、シングル部屋にしました。
有料の英語学習のプログラムは申し込みましたが、その他のダンスや講演やサークル活動などはせず、
その他の行事やアクティビティなどは見るだけでほとんど参加しないつもりです。
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11:15から避難訓練がありましたが、実に加減で甲板に出る訓練もない形だけのものでした。
枕が高いので低い枕を要求しました。12時20分頃から出航準備があり、シャンパンが振る舞われたので2杯飲みました。
甲板で前回クルーズのGET(有料の英会話クラス)で一緒だった蟹江さんに会いました。78才というのに若々しかったです。
出航セレモニーがあり東ちずるさんらが挨拶したようですが、私はタグボートを見ていました。
部屋に戻って、あわてて妻に出航のメールを送りました。
13時過ぎ出航。15時頃から船内案内ツアーがありましたが、内容は貧弱でした。
17:30から船内生活オリエンテーションがありましたが、何とも退屈でした。
ジャパングレース事務局長狭間俊一さんは「私のオフィスのドアはいつも開かれています」と大見得を切りました。
この発言がいかに嘘っぱちかは、このクルーズの最後に露呈されるのでした。

12月27日
毛布一枚で寝て、夜中、少し寒くて目が覚めました。温度は18度でした。
後で知ったのですが、艦内のエアコンは海水を使って調節しているため大気の温度にかなり左右される、そうです。
夜中、外は雨が降ったようで窓ガラスが濡れていました。15分ほど持ち込んだエアロバイクの後、ジムに行きましたが、
3台のランニングマシンと4台のウエイトトレーニングマシンとダンベルがあるだけです。
100回記念イベント「ICANとピースボートの歩み」、ピースボート35周年記念トーク、「交流会」などは参加しませんでした。
私は、今回のクルーズでは、こうした催し物などは最低限しか出ないことに決めてきました。
ほとんど入門ガイダンス程度の内容ですし、大勢の人が集まる狭い空間は風邪などの感染症が怖いからです。
午後は、少し本を読みました。浜矩子・「自国第一主義という病」、岩下博美・「マンガ資本論」
13:15神戸港入港 17:30神戸出港式、シャンペンが出ると言うので参加したのですが出ませんでした。
 
 
 
 

18時出向予定が1時間遅れました。甲板は冷たい強い風が吹いていたので、
神戸港の夜景の写真を数枚とって早々に部屋に戻りました。
キャビン内では、パソコンのスピーカーは音がよくないので買い求めてきた安いスピーカーをつけて
バックグランド音楽をずっと聴いています。
この日誌を書いているとき、突然ハグして焦りました。また、キィボードの調子が悪くとても不便です。
天候の関係で、今晩は波が荒く揺れるそうです。

28日 
夜半から朝までは曇天で波荒く、船は大きく揺れていました。
11:20GETプログラム紹介、150人ほど参加していたのではないでしょうか。
私はグループプログラムとプライベートプラグラムの二つを受講するのですが、その説明会は年明けです。
私は頑張らずにのんびりマイペースつまり頑張らない主義で臨みます。
浜矩子さんの『みんなで行こうアホノミクスの向こう側』を読みました。、 
ハウスキーパーはマックスと言う若いインドネシア男性、38才というのですが、禿です。
結婚していて子どももいるそうです。彼は、シンガポールで下船しほかのハウスキーパーと交代となりました。
17:30からウェルカムセレモニーがありました。お洒落してと案内にありましたが私は平服でした。
シャンペンが1杯振る舞われましたが、幹部の紹介が長々行われ、その後ハワイアンダンス、ピアノ演奏、専属バンド演奏の後、
なんとYMCAの歌を皆で踊るのです。なんてこったです。予想通りのつまらない集いでした。
夕食は豪華でした。船は相変わらずかなり揺れています。確実に軽い船酔いでお腹がムカムカです。
クルーズスタッフ対象の避難訓練
 

29日 
相変わらず悪天候ため船は大きく揺れます。朝食時台湾人と同席しました。78才というのに若々しく、
中国語、日本語、英語が話せます。
少しお話ししました。黄さんと言うこのご夫婦とは以降もお話ししました。
年輩の台湾・中国人とは漢字を使っても少しコミュニケート出来るのでおもしろいです。
15:00からリピーターの集いがありました。シャンペン、クッキィ、コーヒーなどが振舞われました。
私は、シャンペンをおかわりしました。集いそのものは全くつまらない退屈なものでした。
特に、ピースボートの歴代のクルーズディレクターたちのはしゃぎ過ぎの空元気と話のつまらなさは辟易ものです。
10回以上乗船した人が4人もいて、10万円のクーポンをもらっていました。
私の尊敬する鎌田慧さんは水先案内人として30回も乗船しているというから驚きです。
私は、11年前に乗った第63回ピースボートは難破船状態のクリッパー号と言い、
その船には200名近い被爆者を招待されていました。
この船は予備バッテリー・非常時誘導灯などのない欠陥船で出航が遅れた上に1か月も到着が遅れ、
しかも途中のギリシャでモナリザ号に引っ越しするという驚きのクルーズだったことなどを思い出しました。
18:15からGET説明会がありました。準備・段取りが良くありません。
クラス分けの面談時間が小さい紙に書いてあるだけ、その前に人が集まりとても読めません。
面白いことに私の同姓同名の人がいましたが、その二人を区別することすら考えていないのです。
後で分かったことですが、私がグループとプライベートを受けるから私の名前が二つ載っているのでした。
クラス学習は、オーバーランドツアーで欠席すると1回に付き15分の補講があります。
私は、10回欠席するので150分の補講となります。今晩から1時間の時差が発生し、1時間戻ります。
白川真澄さんの「左翼は再生できるか」を読みました。

30日
今日も一日悪天候で、船が揺れています。時差で1時間戻ったので、6時過ぎに頃目が覚めました。
汗びっしょりになったので、服を洗濯しました。今日初めて、クリーニングに出しました。
一日中はいているジャージのズボンとワイシャツ、上着、下着などです。
袋の半分ほどしか入っていませんが、1週間分もまとめてと言うわけにはいきません。1袋350円です。
午後1時半から鎌田慧さんの講演会がありました。正直、目新しいことはなくちょっと退屈でした。
1時間ちょっとで、戦後史と原発、沖縄を語るのですから無理な話です。
鎌田さん、昔はちょっと早口で吃音気味でしたが現在はゆっくりよどみなく言葉を紡いでいました。
過激な言葉はないのですが、なかなか含蓄のある言葉を語ります。
3時過ぎから、明日の中国・厦門の下船のために、パスポートの返還がありました。
山田朗・「明治150年」徹底批判-なぜ歴史を歪曲するのか
前田朗・表現の自由を守るためヘイト・スピーチ処罰を を読みました。
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明日は、最初の寄港地・中国のアモイ・土楼です。項を改めます。 【終わり】

原勲さん追悼横堀花見、2019.4.7

2019年04月08日 | ウォーキング

4月7日、原勲さん追悼横堀花見に行ってきました。
原さんは、1978年(昭和53年)3月26日の管制塔占拠運動で逮捕され、
1982年(昭和57年)保釈後裁判に出廷するため上京中自死しました。
原勲さんは横堀鉄塔下(案山子亭裏)で眠っています。37年の時が流れました。
時の流れを痛感しました。              桜の木も大きくなりました。
 
                        案山子亭
 
 
 
この地には、他に江口さん、上坂さんらも眠っています。
江口さんは、団結小屋活動の後、多古で生活していましたが6年ほど前に病死しました。
江口さんのお墓                  上坂さんのお墓
 
周囲の様子
 
 
 
三里塚物産の大森武徳さん

石井紀子さんから手作りのちらし寿司と野菜の和え物をいただきました。
この日は、周辺を散策する時間の余裕がありませんでした。  【終わり】
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横堀花見の私ブログは、『2016年・三里塚空港反対運動の思い出の地を巡るツアー』
『三里塚現地調査ツアー(2018年)、原勲さん墓参り』 です。

ピースボート番外編3・神戸大仏、4・大震災慰霊と復興

2019年04月06日 | 第100回ピースボート南半球クルーズ

兵庫大仏・能福寺・天台宗
花隈駅から三宮駅に戻り、地下鉄海岸線で中央市場前駅に向かいました。

中央市場                      築島水門
 
来迎寺・浄土宗
  
                         兵庫城城壁跡 
 
清盛くん                      法蓮寺・日蓮宗
 
能福寺・天台宗(兵庫大仏寺)本堂
 
清盛廟
 
兵庫大仏
 
滝善三郎碑(神戸事件)
 
津の道大壁画                   清盛塚十三重塔・平清盛像
 
真光寺・時宗、一遍上人没地
 
 
遊行柳                      一遍上人廟入り口
 
一遍上人廟
 
薬仙寺・時宗、後醍醐天皇の病気がこの地の井戸で治ったという。
 
その井戸跡                    神戸空襲慰霊碑
 
踊り念仏碑
 
萬福寺・時宗                    福海寺・禅宗
 
福海寺本堂                    遍照光院・真言宗
 
福巌寺・臨済宗
 
蛭子神社                     JR兵庫駅
 
もう少し付近を散策したかったのですが、五時近くになってしまったので残念ですが帰りました。
このあたりは、平清盛や豪商高田屋嘉兵衛などの縁の歴史的地のようで、和田岬砲台などもあります。
また、寺町もあるようです。
JRはとても混んでいました。
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4月3日
午前中、震災のモニュメントがある地・東遊園地を訪れた後メリケン・パーク、ハーバーランドなどベイエリアを
訪れる予定を立てていたのですが、とても回りきれないと思ったので、東遊園地だけにしました。

ポートライナー線で貿易センター駅に向かいました。ラッシュ時といえすごい混雑でした。


 
                         地下に、震災で亡くなった人々の名前がありました。
  
                         希望の灯り
 
ふれあいの滝
  
 
スペースアイ
  
Mozart像                      命の灯台(LED発光体タイル)
 
 
                         阪神大震災の記憶
 
日本近代洋服発祥の地碑
 
ACシム記念碑                   震災の記憶
 


 
神戸市役所展望台
 
 
24階展望台からの景色、私一人でした。
 
 
 
係留中のピースボートが見えました。
 
 
10:26発ののぞみで帰京しました。入社関連があるので自由席は混んでいるので指定席(15300円)にしました。
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神戸は思っていたより広かったです。
ベイエリア、寺町などの寺社、六甲山エリア、そして友人から勧められた淡路島の野島断層などを見るには、
あと3~4日は必要かもしれません。
阪神大震災の断層をそのまま保存した野島断層保存館を訪れる予定でしたが、アクセスが余りにも悪いので
とても残念ですがあきらめました。
 引用です。
ピースボートの思わぬアクシデントで、予想外の神戸訪問となりました。
ジャパングレイス、ピースボート事務局の無責任さは言語道断、決して許されるものではありませんが、
私は、このアクシデントを充分に楽しみました。
南回りの100回クルーズは、雄大な自然が大きな魅力ですが、いかんせん治安的に不安があると同時に、
公共交通機関のインフラがまだまだ未成熟です。
従って、私は今回全ての寄港地でツアーを選びました。
久し振りに日本の町を歩きました。一日目の「北野エリア」は、よく言えば外国風、有り体に言えば、
ちゃちな西洋ミニチュアそのものでした。
二日目の「須磨エリア」、「兵庫津の道エリア」は、私好みで興奮し、次々とシャッターを押しました。
落ち着いていてどことなく凜とした空気が流れる寺々と安全に私は、強烈に日本・帰国を感じました。
神戸は、横浜と同じような地名、元町なども多く、同じような町の雰囲気でした。
グルメ派でない私は、神戸牛やローカルフードには全く関心がなく、普通の食事でした。
しかし、うどんや日本そばはとても美味でした。船のそれはお世辞ににもおいしいとは言えませんでしたから。
壊れていたパソコン内のデータ復帰を業者に依頼していました。
わずか一日で、初めの頃のデータが復元されて来ました。18360円でした。
次回からは、写真が復元されたので、100回クルーズのブログを開始こととします。  【番外編終わり】
                       

ピースボート番外編2・須磨寺、モダン寺

2019年04月05日 | 第100回ピースボート南半球クルーズ

須磨寺本堂
4月2日



三宮が初めての私にとって、しかもスマホ無し・PC無し、交通機関がよくわからず難儀しました。
JR、阪急、阪神、地下鉄などが入り組んでいるのですが相互が1つにまとまっていないのであっちうろうろでした。
神戸高速鉄道→山陽電鉄本線・須磨寺駅を利用しましたが、須磨寺は各駅しか止まらないので行き過ぎ戻りました。
須磨寺駅                      弘天さん
 
現光寺・浄土真宗
  


須磨寺・真言宗須磨寺派大本山
亜細亜万神殿・ネパール大地震物故者追悼の施設
  
 
 
 
正覚院・愛染明王殿                      
 
須磨寺

仁王門
 
 
山本周五郎碑                   子規句碑
 
五鈷(弘法光)                      
 
桜寿院                      源平の庭
 
蓮生院                      寺務所・納経所
 
宝物館
 
 
 
唐門                       本堂                      
  
                         護摩堂
 
奥の院参道                    弁慶の鐘
 
写経輪堂                     大師堂
 
大数珠
 
 
義経腰掛けの松                  八角堂  
  

出世稲荷                     三重塔
 
五猿(怒らざる、聞かざる、見てござる、言わざる、見ざる)
 
親子地蔵                     一畑薬師
 
シベリア慰霊碑                  敦盛塚
 
奥の院参道                    奥の院
 
 
                         穴の先には
 
青葉殿
 
萬霊堂                      書院
 
本坊                       庫裏
 
正い覚院、塔頭、道場
 
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阪急電鉄神戸線で花隈駅に向かいました。

モダン寺、本願寺神戸別院 築地本願寺を想起させます。
 
 
走水神社                     旧第一銀行神戸支店外壁
 
本寿寺・日蓮宗                      
 
関帝廟
  
                         日本キリスト教団神戸教会
 
福徳寺・浄土宗
  
みなと元町「シティー・ループ」(観光スポットを1周65d分で回るバス)に乗り、市内を一周(260円)しました。
その後、兵庫大仏を参拝しましたが、項を変えます。                    

ピースボート番外編1・神戸北野

2019年04月04日 | 第100回ピースボート南半球クルーズ

ピースボート100回クルーズ私の場合は、昨年12月26日発→今年3月31日横浜着でした。
ところが、最後の寄港地サモアのアピアを3月19日発った後、急病人が出たため2度アピアに戻りました。
そのため、当初予定していた硫黄島を寄らずに横浜に直線的に戻ることになりました。
ところが、新たに急病人が出たためグアムに向かうことになりました。
グアムから横浜に向かうと、予定より大幅に遅れるので、横浜に立ち寄らずに神戸に4月1日直帰することとなりました。
皆、エイプリルフールかという冗談も出ないほどでした。
横浜には高速バスで8時間かけて輸送するというのです。
私は、そんな疲れ楽しくない旅はごめんだと思い、神戸に2泊ほどして神戸の町歩きをすることにしました。
この間の事情は、最後に記すことにし、『ピースボート番外編』を記すことにしました。
 
 
                         神戸ポートターミナル
 



一宮神社
 
桜は満開ですが、寒波が訪れ真冬並みの寒さでした。冬服は宅急便で送っていたため何枚も重ね着です。 街角で
 
神戸ハリストス正教会               神戸バプテスト教会
 
英国館                      洋服長屋(仏蘭西館)
 
ベンの家                     神戸北野美術館
 
神戸北野美術館                  ラインの家
  
プラトン装飾美術館(イタリア館)          坂の上の異人館
                          
                         メモをなくしたため場所名不明・神社
 
神戸トリックアート・不思議な領事館         パラスティン邸(喫茶店)
  
                          神戸北野ハンター迎賓館
 
北野天満神社
 
ガラス館                     北野町広場
 
風見鶏の館
 
カトリック神戸中央教会              北野町交番
 
ジャイナ教寺院
 
浄福寺・浄土宗                   関西ユダヤ教会
 
旧ビショップ家住宅(現中華料理店)         神戸ムスリムモスク
 
北野工房のまち                   生田神社楼門
 
生田神社拝殿                   生田の森
 
神戸空襲で焼け残った木の幹
 
時折冷たい雨に降られました。各施設は、いずれも500円ほどの有料で驚きました。私はいずれも入りませんでした。
空襲や地震の被害を受けなかったのでしょうか、細い路地が入り組み、地図がとてもわかりづらかったです。
それ以上に、高級住宅地なのでしょう、広い敷地に豪華で瀟洒な豪邸も沢山ありました。
私は、スマホを持っていませんし、携帯もウエブを見ることができない上に、パソコンも壊れてしまいました。
地図やホテルを探すのも一苦労でした。初入社の時節、ビジネスホテルの空きも少なかったです。
空いているアパホテルを仕方なく選びました。朝食無しで9000円、8000円でした。
三宮駅前の「神戸市総合インフォメーションセンター」は細かい問いにも親切丁寧に教えてくれとても助かりました。