風そよぐ部屋

ウォーキングと映画の無味感想ノート

第100回ピースボート船旅⑱/ペリト・モレノ氷河とパタゴニアの大自然6日間・5、世界の果ての町・ウシュアイア

2019年05月02日 | 第100回ピースボート南半球クルーズ

ウシュアイアの町

世界の果ての郵便局(左)



2月18日 月 カラファテからウシュアイアのホテルに着いて少し時間があったので、ホテルの近くを歩きました。
 
 
 
 
 
 
 

2月19日 火
朝8:30、ホテルを出て、テイエラ・デル・フエゴ国立公園に向かいました。今日も雨です。『世界の果て駅』
この先は、囚人たちの監獄があり、彼らは木材を伐採し(主に薪)、この鉄道で運んだそうです。今は、観光列車です。



 
 
                         夏なのにストーブです。
 
 
 
 
彼らは、荷物運びを手伝って、有料の写真を撮り、売ります。
 
 
 
往復約2時間です。途中いくつかの駅で降りて写真撮影タイム
世界の果ての郵便局
 
 
 
真ん中の男性職員が突然、「日本人は帰れ!」と激怒、理由は不明。 公園内にトイレはないと言われましたがありました。
 
彼のおかげで、これ以降の人はここから手紙を出すことが出来ませんでした。
ビーグル海峡、向かいはチリ、右はアルゼンチンです。 
 
国道3号線、この道路はアメリカ大陸の北端アラスカまで連なるそうです。
 
 

 
 
レストランでランチ、いろんな肉(ビーフ、チキンなど)が無造作に積まれ、表面がカリカリの部位は美味でした。
 
 
                         レストランにミニ博物館がありました。
 
バスで、ウシュアイアの町に戻りました。 ミニ飛行場
 
ここは、高台になっていて市内が見えます。
 
 
 
 
アルゼンチンは、ラグビーの強国でもあります。    アルゼンチン海軍でしょうか。 
 
冒頭の地図にある「フォークランド」の領有をめぐって1982年アルゼンチンとイギリスの間で戦争が起きました。
どうみたって、イギリスがこの地を占領するのはおかしいです。地中海のジブラルタルもイギリスが領有しています。
アメリカ、イギリス、フランスは今なお、帝国主義時代のように、世界の交通の要衝を軍事的に占有しています。
どう考えても、許されないおかしなことだと私は思います。
ピースボートも見えました。             地球の果て博物館
 
 
 
                         博物館の壁
 
パタゴニアの先住民・ヤマノ族も絶滅したと言われます。彼らも文字を持たなかったので彼らの実際の生活・文化、
そして絶滅の理由などは依然謎です。展示の説明では、やはりヨーロッパ人が持ち込んだ病・感染症、食文化、
自然災害が挙げられていました。胸が痛みます。
監獄博物館
 
 
 
 
看板の右に、ピースボートがありました。時間が余りありませんでした。文房具屋に立ち寄り孫たちの文房具の
安いお土産を買いました。夕方5時が集合時間でした。バスで船に戻り、合流しました。
夕食は、船で食べたと思うのですが、写真もメモも記憶もありません。
船からウシュアイアを
 
『ペリト・モレノ氷河とパタゴニアの大自然6日間』ツアーは、この日で終わり、明日からは休みなしで、『ウユニ塩湖と
ラパス&チリの首都サンティアゴ7日間』の長いオーバーランドツアーの強行スケジュールです。  【終わり】


第100回ピースボート船旅⑰/ペリト・モレノ氷河とパタゴニアの大自然6日間・4、カラファテの町

2019年05月01日 | 第100回ピースボート南半球クルーズ

カラファテ・ニメス湖畔

パタゴニア先住民の写真
2月18日 月 午後、ウシュアイアに移動です。午前中は自由時間、狭いカラファテの町を散策しました。
私は、小さなカラファテ歴史博物館がとても気に入りました。先住民の歴史を知りたかったからです。
晴れていましたが、少し冷たい風が吹く中、蟹江さんと二人の弥次喜多道中でした。
カラファテの町

サンタテレジア教会                カラファテ地域博物館と思って行くと旅行代理店でした。
 
カラファテ地域博物館               警察署
 
フランシスコ・モレノ(アルゼンチンの学者、ペリト・モレノ氷河の名の由来)像二つ
 
教会
 
観光案内所、公園
 
 
 
                         別の観光案内所
 
音楽フェスティバルが行われていました。そのメイン会場
  
カラファテ歴史博物館、260アルゼンチンペソ(780円)
 

 
 
 
 
 
 
 
小さな掘立小屋のようですが、パタゴニアの先住民の歴史を少し知ることができました。冒頭の写真がとても好きです。
受付の若い女性が、「今読んでいるの」と茂木健一郎さんの本を見せてくれました。彼女に、生甲斐の意味を聞かれ、

「人生を楽しむこと」と説明しました。日本に行きたい、と言っていました。
パタゴニアの先住民は、現在ほとんどと絶滅してしまったと言われています。人類のグレートジャーニーの
最後の行き先の一つがこの地だったとも言われているパタゴニアに、私は何か特別の思いを感じます。当時、
マゼランが読んでいた「巨人伝説の本」からパタゴニアと名づけられたも言われれます。ことの真実は、不明です。
パタゴニアは強風が吹く寒冷地のため、ヨーロッパ植民地主義の侵略は遅れましたが、18世紀にヨーロッパ人が
次々入植し始めます。彼らがもたらした梅毒、チフス、天然痘などの感染症と洪水などの自然災害が重なって
滅んだと言われています。インカなどと同様書き文字を持たなかったため、彼らの歴史、文化、滅びなどは
今日なおなぞに包まれ、良く分かっていません。
この後、ニメス湖畔に行きましたが、時間が迫ってきたので、湖畔の散策はできず、引きかえしました。
ニメス湖畔自然公園事務所 渡り鳥の中継地だそうです。
 
 
 
飛行機の機内食はスナック程度と言われたので、スーパーマーケットを探し、行ったのですが、サンドイッチ等は
売り切れてしまっていましたので、パンやミルクなどを買い、ホテル前のベンチで食べました。
カラファテ空港発15:45~ウシュアイア着17:05 ウシュアイア空港
 
ウシュアイア、アルバトロスホテル
 
ホテルで夕食
  
明日は、ティエラ・デル・フエゴ国立公園、ウシュアイアの町観光です。項を改めます。  【終わり】