話を海の日の連休初日に戻す。
16日夜に大阪を急行「きたぐに」で出発して到着した朝の新潟。この日の午前中はここで過ごすことになる。
今回出かける第一の動機は「きたぐに」に乗ることであった。で、次はどうするかというところであるが、白新線~羽越線で北上し、途中は米坂線か陸羽西線で内陸に行くもよし、そのまま秋田あたりまで行こうか。あるいは進路を逆にとって磐越西線で会津、あるいは長岡まで引き返して上越線あたりに行こうかなどと想像が膨らむ。
その中で結果選んだのは、新潟からフェリーに乗って佐渡に渡るというもの。佐渡には2001年の年末から正月にかけて一度渡ったことがある。あの時は厳しい冬で、大晦日に直江津から小木までフェリーで何とか渡ったものの、新潟からのフェリーが全面欠航となり、その夜泊まった(つまり、年越しをした)尖閣湾のユースホステルは他の客がキャンセルとなって宿泊が私一人だった・・・ということがあった。今回はフェリーに乗ってその時とは違う夏の佐渡を見てみようという気になったわけだ。
新潟港からは朝9時半に出るフェリーがあるのだが、新潟からの時間が慌しいのと、早い段階で指定エリアが満室との表示があったので見送り、12時35分に出航するカーフェリーの指定席を確保。それまでの間、新潟市内で過ごそうというものである。新潟にはこれまで列車の乗り継ぎや、夜の飲みで過ごしたことはあるが街中にはほとんど行ったことがない。半日の間街中に出るのも面白いかと思う。
そんな中ネットで検索していると、新潟市歴史博物館「みなとぴあ」で佐渡に関する企画展をちょうど17日からやっているとの情報。この後佐渡に渡るうえではこれはいい助走になりそうだ。これで、新潟での時間は「みなとぴあ」で過ごすことに決める。
さてその「みなとぴあ」であるが、新潟駅からだとバスで25分という案内。乗り場で待っていると、「次のバスは新潟市観光循環バス『ドカベン号』です」というアナウンス。
これは新潟市内の観光名所を回るもので、バスの車体には新潟出身の漫画家・水島新司氏の代表作「ドカベン」のイラストが施されている。一方、反対回りのバスは同じく新潟出身の高橋留美子氏の「犬夜叉」のキャラクターが描かれた車両が走るという。やってきた「ドカベン号」にはパンフレットを持った観光客が10数人乗り込む。これから目指す「みなとぴあ」も大回りしながら経由するとあり、時間もあるのでこれに乗ってみる。
新潟を代表する万代橋を渡り、白山公園や新津記念館、日本海タワー、水族館など新潟の市街地に点在するスポットを回る。車内の案内板でも各スポットの紹介画像が流れ、観光地としては地味な存在と言える新潟市内のPRに一役買っている。
大回りしたために40分ほどかかって「みなとぴあ」に到着。信濃川の河口に面し、ちょうど川の対岸にはコンベンションホールのある「朱鷺メッセ」や、これから乗車する佐渡汽船のターミナルもある。川の両岸は水上バスでも結ばれているのをここで初めて知った。大きなバッグを新潟駅のロッカーに預けてきたために、ちょっと時間がもったいないかな。
その信濃川に面して建つ櫓の形をした建物。これが旧新潟税関で、建造当時の姿で保存されている。幕末に、横浜や函館などと並んで開港を認めることとなった新潟港。その賑わいを今に伝える建物である。建物内では往時の新潟の町並みの写真が多く展示されていた。
同じ敷地内にある洋風の建物が新潟市歴史博物館。建造は最近であるが、明治から昭和初期まで使用された旧新潟市庁舎をモデルとして建てられたもの。信濃川の運河の風景にもよく溶け込んでいるし、対岸の朱鷺メッセとも調和した感じが漂う。
博物館に入館。この日から始まった企画展は「海峡を越えて~佐渡と新潟~」というもの。新潟と佐渡とは旧国名では別の国であったが、江戸時代から廻船が行き交い、経済のつながりも深かったという歴史がある。近代になって佐渡が観光地として注目されるようになり、その玄関口として大きな役割を果たした新潟。この企画では新潟と佐渡の交流や観光の変遷を紹介し、佐渡の新たな魅力や新潟を含めた広域的な観光について考える機会にしようというもので開かれたそうだ。
初日の開館から間もない時間帯、一般の見学客は私だけのようだったが、館内では学芸員が20人くらいのグループを相手に講釈をしていたり、おそらくローカルニュースで紹介するのだろうかテレビのクルーが展示品の撮影を行っていた。何でもこのグループは博物館のファンクラブの会員さんとのことで、おそらくファンクラブの特典でこういう解説を聞けるというのがあるのだろう。学芸員の声が大きいものだから私の耳にも解説が入ってきて、ちょっとお得な感じがする。
館内の展示は佐渡の歴史を簡単に紹介した後、新潟~佐渡航路の変遷、観光地としての佐渡のPRの変遷が紹介されていた。もともとは日蓮が流されたことで日蓮宗の古刹が多いとか、順徳天皇が流されたりということで明治史観の中で「聖跡」のある島という位置づけがある中で、その次は佐渡金山、佐渡おけさ、さらには自然豊かな地としての魅力というものが前面に出されていった流れがある。最近ではトキのいる島、癒しの島としての自然環境がより強調されているようだ。
当時のパンフレット、佐渡航路の時刻表、埠頭の賑わいの写真などが紹介され、離島のわびしさを感じさせず、それでも日常の喧騒を忘れさせる魅力のある島としての佐渡の魅力をさまざまにうかがわせるものであった。これから佐渡に渡るのにムードは高まりますなあ・・・。
さて企画展示だけではなく、通常展示も見ることにする。こちらは新潟の変遷を紹介しており、元々湿地帯「潟」が多かった新潟平野が穀倉地帯として、また港町として発展する様子を伝えている。明治半ばには日本で最も人口の多かった県であり、現在は日本海側最大の都市として君臨する新潟。
そんな中で最もうなったのが、新潟のコメ作りの歴史を紹介する一角。稲刈りの様子を再現した人形があるのだが、田んぼには舟が浮かび、収穫をする人は下半身を水に浸かりながら稲を刈り取っている。
かつて新潟平野は信濃川、阿賀野川という大河が注ぎ込む中で多くの「潟」があり、排水には悩まされたという。このために水の中での収穫をするという光景が戦後の一時期まで見られたとか。この様子をかつて司馬遼太郎が「街道をゆく」の中で紹介していたのを覚えている。
さてそうこうするうちに早くも時間がなくなってきて、最後は駆け足での見学となった。ここにはまた来てみたいものである。
一度バスで新潟駅に戻り(直線距離ならばさほどでもないのだが、市内を大回りするために25分かかるようだ)、荷物をロッカーから引き出して今度は佐渡汽船ターミナル行きに乗車。外は日本海側の夏らしく太陽がカラリと照らす日差しのためにものすごく暑い。その空の下、バスを待つ長い列ができていた。
満員のバスは20分ほどでターミナル到着。こちらも多くの乗船客でごった返していた。早速予約済みの乗船券を入手し、行列に加わる・・・・。