八代から熊本に戻ってきた混戦BB会の鈍な支障さんに私。時間としては少し遅くなったのだが、八代で食べ損ねた昼食を熊本駅内のラーメン屋でいただく。
新幹線開業を機に新しくなった熊本駅。駅前も整備されていて、市電乗り場もおしゃれな感じである。私と同じく熊本が久しぶりという鈍な支障さんも感心しきりである。
やってきたのは最近の路面電車のはやりでもある超低床型車両。LRTとしても使えるこの手の車両は、あちこちの公共交通で使えるのではないかと思う。先日、廃止が取り沙汰されている四日市の近鉄内部・八王子線を訪れたが、そういう路線であれば低コストで済むLRT型への移行というのが考えられないかと思うのである。
その車両に乗って、繁華街手前の河原町電停で下車。この日の宿は市電沿いにあるスーパーホテル。ひとまずこちらにチェックインして、しばらく休憩時間とする。日中が結構暑かったからシャワーも浴びて。
夕方近くなり、テクテクと歩いて熊本城に向かう。今回の旅では必ず訪れたかったスポットである。途中で辛島町を過ぎ、熊本のバスセンターの中を過ぎる。すると、案内表示で「県民百貨店」という文字を見かける。街の中心部だから百貨店があるのは別に不思議ではないが、その名前が「県民」というのがちょっとハマる。何だか中国の「人民公社」という言葉に通じるものが感じられる。街の中心部なら、最近は店舗統合が激しいが三越とか高島屋とか、そういうメジャーな百貨店があってもいいのだが、周りにそういうのがなく一等地に「県民」が店を構える熊本。そのネーミングもさることながら、いったいこの百貨店はどういうものかということにすごく興味を覚えた。
それはそれとして、熊本城である。もともとの城主は戦国武将としても名高い加藤清正であるが、まずはこの銅像がお出迎え。その凛々しい表情と躍動感、甲府駅前にある武田信玄の像といい勝負である。熊本といえば江戸時代は細川家の治政下にあったところで、その家祖の細川藤孝やその子忠興、熊本にやってきた忠利をはじめとした名君も多いのだが(平成の世には総理大臣も輩出した)、一般の人たちの人気という点では加藤清正のほうが名高いのだろう。戦国時代か、江戸時代か、その土地によってどちらが一番のヒーローであるかは結構違ってくるものである。
まずは石垣を見る。石の積み方というのも綿密に計算されたもので、初めはゆるい角度だが、いつしかそれが垂直の壁となる「武者返し」という、防御に徹した造り。それが城内のあちこちに見えるが、「熊本城って、ここまで石垣が多かったでしたっけ?」と鈍な支障さんも感じるくらいである。それらには「石垣には上らないでください」という看板が見える。初めがゆるい角度だからということで上ってみようという人たちが結構いるのだろう。
そしてやってきた天守閣。再建されたものというのは知ってのうえであるが、黒壁が見事に周囲の緑と調和しており、天守閣の様式美というのを感じる。全国各地の名城の中でも、外観の美しさは屈指と言ってもいいだろう。
せっかくなので入城する。加藤清正、細川家時代の歴史やら、西南戦争の激戦地となった時の熊本城の様子がいろいろな史料で紹介されている。肥後の国・熊本といえば九州の中間にあって、薩摩の島津をはじめとした各藩への睨みをきかせるのに適した土地ということだろう。その時に築いた強固な城というのが西南戦争でも天守閣は焼失したものの薩摩軍の猛攻をしのいだということで、日本の歴史にとって大きな役割を果たしているといっていいだろう。
この熊本城には、さまざまな復元の資金集めということで「一口城主制度」というのが行われている。「混戦BB会でも一口やりましょうか?」「大和人さんが生きていたら、そういうことを言い出したかもしれませんね」というやり取りをしながら、各階に飾られた「一口城主」の名前が刻まれた銘板も眺める。
「熊本あたりだとこの名字の人が多いですね」という、鈍な支障さんの解説を聴く中で目にしたのが、その名も何と「加藤清正」というもの。うーん、これは本名かウケ狙いか。でも、名字が加藤なら、「我が息子には『清正』と名付けたい」と思う親は結構いることだろう。少なくとも最近のキラキラネームと比べれば断然よい。まあ、この銘板がウケ狙いでないことを祈りたいと思う。
もう一つ、これは外国在住の方か、それとも日本に移って長い方か。ミドルネームに「清正」と入れている人も。これらのことを見ても、熊本における加藤清正人気というのは想像以上のものがあったのではないかと思う。
そんな史料やら銘板を眺めたうちに上がったのが最上階の展望台。さすがに阿蘇までは見えなかったが、熊本の市街地の景色をばっちりと眺めることができる。
その中で西に目を転ずれば、藤崎台球場が見える。この球場も言うなれば熊本の城内にあるもので、この日は社会人野球日本選手権の予選が行われたようだ。この時間も何か行われているようだが、カメラをズームにして覗いてみると、「オール○○」対「オール××」という試合になっていた。草野球か何かだろうか。
天守閣を後にして、これも平成の復元事業で蘇った本丸御殿を見る。釘を使用しない屋根裏の梁の組み立てやふすま絵など、史料にもとづき復元されており、建造当時の風情が伝わってくる。本丸御殿だけではなく他の建物も復元が計画されており、その援助の一部としての「一口城主」である。今回は加わることはなかったが、こういうのに一口乗ってみるのも、「歴史の中に生きる」という感じがしていいかもしれない。