第66番・禅林寺を参詣後、同じ小町のすぐ近くにある第67番・延命院に向かう。寺の名前としては象王山普賢寺延命院と呼ぶそうだ。
通信制の並木学院に隣接して一応山門がある。町の中の寺院ということで境内もコンパクトである。本堂もコンクリート造りで最近改装したように見受けられるが、表の扉じたい閉まっている。
境内の一角に祠があり、ここに広島新四国の札がかかっているから、札所めぐりの人はこちらでお参りすれば十分というところか。
延命院は江戸時代、空賢上人が紀州から来て開いたとされる。やはり、浅野氏が紀州から広島に転封されたのに合わせてのことで、周囲の寺院と同じように新たに干拓した地に形成された寺町の一つであろう。
城下町の一角を寺院で固めるのは城郭の防御の目的もあったという。広島の場合、広島城を中心に見ると西に今も地名で残る寺町、東の丑寅の方角には二葉の里地区の東照宮をはじめとした寺社、そして南のこの一角という位置づけのようだ。北は、不動院が該当するかな。
さて祠には「あごなし地蔵」をはじめとした地蔵像ほかが何体も並ぶ。広島新四国のサイトでの紹介ページでは「原爆の業火を一身に受けられた延命唯一のみ仏」と記されている。ともかくこちらでお勤めとする。
祠の中には朱印の紙が置かれた例の黒い箱はなく、本堂の扉は閉まっている。つながっているのが庫裏のようなので階段を上がって玄関に向かうと、先に扉が開いて住職らしき方が出迎える。カメラでもあって、境内をうろうろしていたのが目に入ったかな。こちらで紙を受け取る。
外の通りはさまざまな飲食店も並ぶ「じぞう通り」である。由来はここ延命院の地蔵ではないそうだが・・。
さてしばらく中区一帯の札所が続くが、さて第68番は・・というとこの周りにはない。検索すると、第68番は廿日市市にある正覚院別院薬師堂。そして第69番はまた中区に戻って普門寺、第70番が禅林寺、延命院のすぐ近くの金龍禅寺である。この並びからすると、第68番は元々この近くのどこかの寺院だったのが、何らかの事情で札所を返上し、それを廿日市にある第83番の正覚院が引き取り、別院の薬師堂に第68番をつけたと思われる。
この後、じぞう通りから並木通りに入り、そのまま八丁堀近辺に出たので中心部の賑わいを楽しみ、昼食とする。その時に考えたのだが、次の第68番だけ廿日市で離れているが、またそのためだけに出かけるのももったいないので、今回そのまま向かうことにした。広電の廿日市からも近いので、八丁堀からそのまま宮島線に揺られる。暑い中を歩いたので、涼みがてらの移動である・・・。