8月6日の広島原爆の日を前に、広島新四国八十八ヶ所めぐりの続きで出かけることにする。7月30日のこと。
今回は広島市の中心部に近い小町に向かう。まず訪ねるのは第66番・禅林寺。名前からして禅宗系の寺と推察され、八十八ヶ所のサイトを見るとはたして臨済宗妙心寺派とある。
自宅最寄りの停留所からバスに乗り、平和大通りに面した放送会館前で下車する。白神社から改めて平和大通りを歩いてみると、街路樹の間に被爆者の慰霊碑が点在するのに出会う。この一帯は原爆の被害が大きかったところである。先般広島のテレビ番組で、戦時下の広島にあって、空襲による延焼を防ぐための「建物疎開」のために動員されていた女学校の生徒たちが被爆した悲しい歴史を取り上げていたのを見たばかりである。
平和大通りの南に出る。店舗やマンションが建ち並ぶ中、所々にコンクリート造りの寺が目につき、一角には比較的新しいとおぼしき観音像もある。広島市役所や国泰寺高校に近いこの辺りは元々海だったが、江戸時代の広島藩による干拓で陸地となり、寺町が形成された歴史がある。これから訪ねる禅林寺も、元々は福島正則の時に尾張から高厳和尚を迎えて開かれた寺だが、当初は現在の旧日本銀行広島支店、頼山陽旧居跡あたりにあったのを、浅野氏の代になってからこの地に移されたという。
地図だと禅林寺に来たようだが。寺が見当たらない。そんな中で表札、案内板を見つけた。山門もなく、奥に本堂らしき建物が見える。隣接するマンションと同じ敷地にあるかのようである。
本堂の扉が閉まっているので外で勤めとする。縁側には、原爆慰霊か、お盆供養に使うのか卒塔婆が並べられ、参詣者がセルフで祈願の文字を入れるようになっている。また、本堂の前には「茶筅塚」があったり、鹿威しもある。隣接する建物も茶道教室でもやってそうな雰囲気だ。
読経していると、礼服姿の人たちが何人かやって来た。どうやら今から法事でもあるようで、住職や寺の方が出迎える。ちょっと込み入りそうだなと思い、今回ここで朱印をいただくのは見合わせることにした。というのも、禅林寺のすぐ裏手に第70番・金龍禅寺があるのだが、広島新四国は札所順で回ることにしているので、訪れるのはこの先第67番~第69番の後である。日を改めてその時に来ればよいと思った。
案内板によると、本堂裏の墓地に「上田宗箇遺髪塚」というのがある。上田宗箇とは初めて目にする名前だが、武将にして茶人、そして現在に続く上田宗箇流を開いた人物とある。元々は丹羽長秀に仕えていた武将で、長秀の死後は豊臣秀吉に取り立てられ、一万石の大名までなった。その後関ヶ原の戦いで西軍についたことで領地を没収されたが、当時紀州藩を治めていた浅野家に取り立てられ、浅野家の広島転封後は国家老として、また茶人として過ごしたという。
体のほうの墓は別にあるそうだが、禅林寺は上田家の菩提寺だったそうで、宗箇以降何代かの墓も残されている。
なるほど、広島ゆかりの茶人ということでの「茶筅塚」だったか。
寺は原爆で焼失してしまったが、爆風や火災に耐えた墓石が今もここに残されているという。
次はすぐのところにある第67番・延命院に向かう・・・。