まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

芸備線「呑み鉄鈍行ちどり足号」に乗車

2023年09月25日 | 旅行記F・中国

このところ存続についていろいろと取り沙汰されている芸備線。何とか路線の存続と活性化を願うクラウドファンディングが行われ、その返礼品の目玉として三次~備後落合間に「呑み鉄」列車を走らせるというのがあった。一口1万円。クラウドファンディングというのに参加するのは生涯で初めてなのだが、一口乗ってみた。

こういう運動はネットニュースやSNSで広がり、当初の目標金額だった200万円は早くもクリアした。列車は「呑み鉄鈍行ちどり足号」と命名され、9月24日に運転となった(画像はクラウドファンディングからお借りした)。

その後、当日が近づくにつれて事前の弁当の予約案内や、当日の行程の案内などが配信された。また、前日の23日に庄原市内で行われたシンポジウムへの参加権もついていたのだが、この日は彼岸の中日ということで大阪に日帰りで帰省しており、残念ながらライブ配信も含めて参加できなかった。「呑み鉄」で知られる俳優の六角精児さんや、「書く鉄」の鉄道ジャーナリストの杉山淳一さんらが参加するというので楽しみだったが、ネット記事を見る中では、「廃線になると大変なことになる」「何とか沿線の活性化ができないか」ということでさまざまな意見、提言も出たようだが、いかんせん地域人口も少なく、完全にクルマ社会ということで・・。

さて24日当日。広島9時ちょうど発の快速「みよしライナー」に乗る。この列車が10時25分に三次に着き、そのまま10時45分発団体列車「呑み鉄鈍行ちどり足号」として備後落合に向かう。この時刻の「みよしライナー」、この夏に備後庄原まで延長された「庄原ライナー」と同じ列車である。広島から備北方面に出かけるのにちょうどよい時間設定なのだろう。

「呑み鉄鈍行ちどり足号」は約70人の定員が満員御礼となっており、さぞかしこの「みよしライナー」にもその筋の人たちがたくさん乗っているのだろうな・・と思いつつ乗り込む。下深川あたりまでは一般の利用客も見られたが、その先の区間はガラガラで、見たところ「呑み鉄」目的とおぼしき客ばかりが残ったようにも思う。中には、これもクラウドファンディングの返礼品の一つである芸備線応援の紫のTシャツ姿の人もいる。

10時25分、三次到着。するとホームはこの列車を待つ多くの人であふれかえっていた。イベントの関係者や酒蔵の皆さんも準備中。ホームの待合室で受付するというので全員いったん列車から出る。受付では参加記念の乗車証、庄原の観光パンフレット、そして「呑み鉄鈍行ちどり足号」車内で楽しむためのプラスチックのお猪口と、つまみなどをのせるプレートが配られる。

三次から乗車という人が多いのは、前日のシンポジウムから参加してそのまま三次まで来て宿泊したか、広島から芸備線の1本早い列車で来たか、ひょっとしたら福塩線で・・?

三次から乗車の人は先頭の1号車、広島から「みよしライナー」でやって来た人は後ろの2号車という割り当てはあるものの、座席は決まっていないとのこと。2号車はボックス席が4つしかなくその他はロングシートという造り。ボックス席は先客で埋まっていたので、ロングシートに陣取る。ロングシートで「呑み鉄」とは普段の乗り鉄ではできないことだ。こちらもほどよく埋まり、発車。

まずは「やわらぎ水」として水のペットボトルが配布される。今回は芸備線沿線の4つの酒蔵が自慢の利き酒を携えてのおもてなしだが、それは発車してからのお楽しみである。

列車名は「呑み鉄『鈍行』ちどり足号」だが、備後落合まではノンストップで1時間ほどかけて走る。なお「ちどり」とはかつて芸備線~木次線を走っていた急行の愛称である。

本日の司会として、鉄道ライターのやまもとのりこさんがマイクを握る。その横には鉄道ジャーナリストの杉山淳一さんも手を振って皆さんをお出迎え。

また杜氏の皆さんからも一言ずつ挨拶があり、その間にスタッフの方が4合瓶をもって利き酒用の酒を注いで回る。あちこちで乾杯が始まる。ほとんどが1名、あるいは2名での参加のようだが、酒がそれぞれの壁を取り払うのか、お互い初対面同士でもあちらこちらで会話が始まる。

また新聞社やテレビ局のカメラマン、汽車もとい記者の姿も見え、カメラを回したり乗客へのインタビューなども始まった。演出で「乾杯してください」とリクエストを受ける人も(ちなみに、私にはインタビューなどは来なかったが、一献やっているところがローカルニュースでちらりと映っていた)。

この車内もいろいろなところからその筋の人が集まっているようで、むしろ広島市内の私などかわいいもので、関西、東海、関東、はては司会のやまもとさんからは「北海道から沖縄」までというアナウンスもあった。おそるべし「鉄」の執念。

今回出てきたのは、「向井櫻」(向原酒造=向原)、「どぶろく 油木のしずく」(高原酒造=油木)、「比婆美人 大吟醸」(比婆美人酒造=庄原)、「菊文明」(北村醸造場=東城)。また、今回特別に「芸備線応援特別記念酒」というのがふるまわれた。それぞれ、かつて芸備線を走っていた急行列車の愛称がついたラベルがあしらわれていて、「ひば」(比婆美人酒造=庄原)、「ちどり」(花酔酒造=総領)、「たいしゃく」(北村醸造場=東城)、「やまのゆ」(生熊酒造=東城)のセット。クラウドファンディングでは、「呑み鉄」には参加できずとも、この4合瓶のセットも返礼品となっていた(お値段も結構高かったが・・)。

つまみセットが車内で売られていて、先日もいただいたイザナミ茶屋の「かき餅揚げ」や、三次の「わにジャーキー」、総領の「こんにゃくジャーキー」のセットである。ご存知の方も多いだろうが、「わに」とは備北地区でいうところのサメである。また、「こんにゃくジャーキー」が意外にも牛肉に近い味付けがされていて味わい深かった。

さて、酒は先ほど紹介した順番で出て来たのか、ただ数分おきにスタッフが次々に瓶を片手に「どうぞ」と回って来るし、この一角は呑兵衛が揃っているのかペースが速い。私もその都度お猪口を出していたものだから、1杯は少量とはいえ何杯飲んだことやら(いつの間にかどぶろくも入っているし)。スタッフも、酒が中途半端に残っても仕方ないので最後の一滴までついでくれる。そのうち、ロングシートで向かい合わせに座っていたおっさん連中同士で盛り上がるようになる・・。

さて車窓だが、走りのほうは「呑み鉄『鈍行』」ならぬ「呑み鉄『急行』」で、沿線最大の備後庄原ですら全速で通過する。ホームで誰か見送りに出ていたと思うが、あっという間である。やまもとさんが「備後庄原駅を通過したみたいです・・」というが、いや、もうとっくの昔に・・。まあ、ここは急行「ちどり」を復刻させたと思えば悪くない・・。

ガイドの後半は、備後落合駅でボランティアガイドを務める国鉄OBの永橋則夫さんが登場。先ほどから2号車のロングシート部分がステージになっており、ちょうど間近でガイドを聴くことができた(1号車の人たちは音声だけだったのかな)。これまで備後落合駅で何度かお目にかかっているが、車内でガイドを聴くのは初めて。やはり動く列車の中だとかつての機関士時代が思い起こされるのか、話しぶりも活き活きして見える。

ちょうど列車は西城の町に差し掛かったところ。

しかし備後西城も容赦なく通過。次の比婆山も通過だが、窓の向こうに国道から熊野神社に続く参道の入口の鳥居をちらりと見ることができた。

このまま「呑み鉄『急行』ちどり足」号で備後落合に向かうかと思ったが、最後はそう、西城川沿いの時速25キロ区間である。ここは往年の「鈍行」よりも遅いスピードで走る。それでも永橋さんのガイドは続くし、沿道にはクルマで追いかけてカメラを構える人の姿も増えて来た。国鉄型気動車が備後落合に入るだけでも大きなイベントで、そりゃ「撮り鉄」も黙っていないだろう。

左から木次線の線路が近づき、備後落合に到着。

普段はキハ120の単行が1日数回、3方向の列車が揃うのは1日1回だけ。そしてシーズンに「奥出雲おろち号」が乗り換え相手もなく姿を見せるだけの駅だが、キハ47が入って来るのは珍しい光景である。そして、この日は「奥出雲おろち号」の運転日に当たっており、「呑み鉄」の折り返しの時間に備後落合に入って来るという。もっともお互いの乗り継ぎはできないのだが・・。

永橋さんによる構内に残る転車台跡の解説があるというので、ホームの端に多くの人が集まる。

この山間の景色、昔ながらの汽車旅風情を感じさせていいですなあ・・。支社がまたがるので現実的に無理だろうが、もし津山線を走る旧国鉄急行型塗装の「ノスタルジー号」が備後落合に姿を現すと、もう大変なことになるだろう。そこにかつての急行のヘッドマークを掲げようものなら、もうその場で卒倒する人も出るだろうな・・。

駅前にはテントやテーブルが出ており、沿線の地酒や木次線グッズの販売もある。東城の「菊文明」に「超群」、そして木次線コーナーでは奥出雲の「七冠馬」を買い求める。「七冠馬」とは昭和の名馬・シンボリルドルフからつけられた名前で、シンボリルドルフの牧場のオーナーのルーツが島根県で、簸上酒造の蔵元と知人関係にあるということで新たな酒の名前になったのだとか。

そして、備後落合駅のジオラマもテントに展示され、先ほど転車台のガイドを終えた永橋さんが今度はジオラマの説明。普段よりギャラリーが多い分、話にも熱が入る。「このジオラマが(駅の)外に出るのも貴重ですよ」と私の横で声がしたので振り向くと、杉山淳一さんの姿があった。

さて食事だが、予約済の「ドライブインおちあい」の弁当と、おでんセットをいただく。備後落合といえばかつて「おでんうどん」が有名で、現在も季節限定で「ドライブインおちあい」のメニューとしていただくことができる。ホームのベンチや待合室は先客で埋まっていたので、先ほどのロングシートにていただく。

おでんは3品入りだが、つゆが全く入っていなかったのにびっくり。おそらく、その辺りにこぼさないようにとの配慮だったのだろうが・・。まあ、幕の内弁当に煮物のおかずが一品増えた感じかな。

その間にも、「よかったら」ということでロングシートの相客から、「七冠馬」の4合瓶をついでもらったりする。こうしたロングシートでの呑み鉄、居酒屋のカウンターのノリに近いものがある。

「奥出雲おろち号」が入ってきますよ、というので行ってみる。この11月で運行を終える「奥出雲おろち号」。

後継として「あめつち」が運行されるとはいえ、木次線内は宍道~出雲横田までである。この後乗る予定もなく、この列車も見納めだろう。「あめつち」のキハ47が円陣の出力不足で出雲坂根の三段スイッチバックを上ることができないというのであれば、あの機関車だけでも残して気動車を引っ張る・・ということはどうかなとも思う。

それ以上に、備後落合で「奥出雲おろち号」とキハ47、青+白と朱色が顔を合わせるのは、おそらく最初で最後ではないかと思う。私にとっておそらく「奥出雲おろち号」はこれで見納めになるだろうが、それが山間のターミナルでのキハ47との出会いということでもう十分だと思った(「葬式鉄」に来ることもないだろう、という意味で)。

もし、備後落合から「奥出雲おろち号」の指定席を持っていれば、「呑み鉄鈍行ちどり足号」のツアーを途中離脱してでも「おろち号」に乗り換える人がいてもおかしくないと思う。

その「奥出雲おろち号」の備後落合発は12時57分。こちら「呑み鉄鈍行ちどり足号」は13時00分発だが、こちらの車内での人数確認などもしなければならないので12時55分には車内に戻るようにとあらかじめ案内があった。そのため「おろち号」のホームでの見送りは不可。せめて窓からのぞき、客車の最後尾をちらりと見た。

それに続いて「ちどり足号」も発車。ホームにいた「おろち号」の下車客、外からの見物客、そして永橋さんのお見送りを受ける。運行の関係で難しいのだろうが、「同時出発」でほんの一瞬だけでも両者が並走するシーンがあればなお盛り上がったことだろう・・・。

行程では地酒の利き酒は往路のみで、復路は地元の土産物などとともに販売が行われるとあった。しかしながら、往路の利き酒がまだまだ残っていて、余らせるわけにもいかないのでまだまだ先ほどと同じようにスタッフが回って来る。「呑み鉄」も後半戦だ。また、飲んだ後のデザートというわけでもないが、土産として東城の「竹屋饅頭」や西城の「ヒバゴンのたまご」などが人気である。

帰りも見頃のソバの花や、西城川の景色などを楽しむが、またも備後庄原は全速で通過。一応ホームには「ちどり足号」の撮影に出ていた人もいたが、せめて1分くらい停車して、ホームに並ぶカープ選手たちのフィギュアや、何なら庄原の名物ガイド「熊本隊長」のお出迎えでもあれば・・と思った。まあ、広島~三次間の列車運行の都合というのはわかるが・・。

往復の時間は濃密だったが、そろそろ列車は終点の三次に入る。あっという間に終わったように感じる。この車両は三次到着後、14時14分発の広島行きとしてそのまま運転される。そのため広島方面に戻る客はそのまま乗ったままでよく、三次から先の乗車券がない人は車内で団体列車の乗車証明を渡すという。一応、これあるを見越して今朝方西広島~三次の往復乗車券を買っていた。

三次到着前に、この企画を立ち上げた「芸備線魅力創造プロジェクト」の代表である横山修さんから挨拶があった。これからも地域を走るローカル線を活かす道を考えたいということで、車内からも大きな拍手が起こる。決して道のりは楽ではないし、こうした取り組みがローカル線問題を根本的に解決するとまではいかないと思うが、これからも広島県民の一人として何らか応援していきたいものである。

三次に到着。ここで下車する人、このまま広島に戻る人それぞれだ。またどこかで会えるかな。この後定期列車で広島に向かう時には(車内、酒臭さが残っていなかったか?)お見送りがあった。

帰りの車内は、ボックス席の相客同士で会話の続きもあったが、さすがにまったりしたもの。また広島が近づくにつれて、白木山登山の帰り客や、これから市内に出る人、はてはこの夜マツダスタジアムで試合があるカープとスワローズのユニフォーム姿の人で乗客も増え、2両編成だと満員だった。

あ、後で時刻表を見て気づいたが、三次からそのまま芸備線で広島に戻るのではなく、14時40分発で福塩線尾府中行きに乗るのもありかなと思った。これなら福山まで出ても、少し遅い時間に広島に戻ることができ、同様に存続が取り沙汰される福塩線の非電化区間も回ることができたなあ・・。

コメント