わたしには五人の命の恩人がいます。
ひとりは、あまりに辛いことばかりが続いていた時、ガス管をくわえて気を失っていたわたしの頬を、泣きながら叩いてくださった高校の用務員のおじさん。
ひとりは、担当医から余命1年の宣告を受けた後、その病気(後遺症)の進行を止めてくださった新興宗教の皆さん(だから厳密にはひとりではありません)。
ひとりは、借金のカタに売られたわたしの身柄を、暴力団の連中が引き取りに来る直前に、密告電話をかけてきてくださった父の友人。
ひとりは、追われる身となったわたしを、当たり前のように、やさしく家の中に匿ってくれただけではなく、お金の援助までしてくださった義理の父。
ひとりは、執拗な暴力団の追っ手から身を隠すため、すべてを偽って新しい人間になり、音楽を自分の中から消そうとしていたわたしを見つけ出し、再び音楽の道を歩めるよう導いてくださった短大の教授。
大阪に逃げたふりをして、実は四日市にある、母と母の再婚相手のご主人が住む家に住まわせてもらっていました。
新聞の求人広告を隅から隅まで調べ、ガス会社の臨時採用の試験を受け、名前も年令も学歴もすべてウソをついて働き始めました。
見習いの6ヶ月を無事に終え、ガス会社特有の男社会にも慣れ、たった6人しか居ない女性事務員のお局さまにもそれなりにかわいがってもらっていました。
ガス事故や故障の電話を受け、事故処理班に速やかに伝えたり、お客さまからの苦情を正確に伝えたりもできるようになりました。
こういう風に生きていくこともアリだったんだなと、ウソで固めた自分を見つめるホントの自分にも、それなりの安堵感みたいなものも芽生え始めていました。
そんなある日、仕事中のわたしに電話がかかってきました。
「お~い、まうみちゃん、電話電話、男の人からだよ~」と、事故処理班の男性がニヤニヤしながら伝えてくれました。
わたしは心臓をギュッと掴まれたような気がしました。わたしがここに居ることを知っている男の人は義父しかいません。
その義父は、仕事中に電話をかけるようなことは絶対にしない人だと知っているので、とうとう見つかってしまったのかと目の前が真っ暗になりました。
恐る恐る受話器を取りました。周りに人が居てくれるのが救いでした。
「もしもし」
「もしもし、まうみさん、もしもし」
「……はい」
「ああ、とうとう~見つけた!」
思いもかけない懐かしい声でした。物静かな声の中に、安堵のため息が混じっていました。
H先生は、家の事情でどこにも進学できそうにもなかったわたしを引き受けてくださった人です。
なのに、なんの連絡もせずに突然姿を消したわたしの行方をつきとめ、また学校に戻って学べるよう力を尽くしてくださいました。
あの、暴力団のような、特殊な連絡網を駆使してでさえ見つからなかったわたしを、いったいH先生はどのようにして見つけてくださったのか、それは今も分かりません。でも、あの電話の声が、すべてをわたしに伝えてくれたような気がします。
結局わたしはまた学校に戻り、カサカサに乾いた希望の木に養分を与えるべく、朝から晩までピアノを弾き続けました。
1度は完全に諦めた音楽の道を歩いていることが嬉しくて、もう二度と、踏み外すようなことはしないと心に決めました。
それからも、いろんなことは起こり続けたけれど、音楽はわたしを守り、育て、生活と心の糧になってくれました。
その大恩人の娘N子ちゃんが、新婚旅行でマンハッタンを訪れています。今日、やっとやっと逢うことができました。
旦那さんのA君は、小学5年生の時からサッカー留学のためにイギリスに飛び、16年暮らした強者で、パンクロックのギターリストで音楽大好き男。
父親が一代で築き上げた人気の蕎麦屋さんを絶やしてはなるものかと、蕎麦アレルギーにも負けず受け継ぐことを決めて頑張っている、顔も心も男前の男です。
すっかり大人に、きれいになったN子ちゃんは、某有名ブランドの広報事務担当。いずれはアレルギーで蕎麦打ちのできないA君を支えるため、蕎麦打ち名人になるべく修行を始める予定だとか。二人は留学先のロンドンで出会ったそうです。
逢った瞬間から大好きになり、フィッシュレストランでおしゃべりをし、カフェでまたおしゃべりをし、やっぱりもっと話していたい気持ちがおさまらなくて、とうとうニュージャージーまで誘拐しちゃいました。
肩こりがひどいと言うN子ちゃんに旦那が簡単な鍼治療をサービス。お茶をすすりながら、いろんな話を楽しみました。
二人をマンハッタンのホテルに送り届けてから家に戻ると、旦那がポツリとこう言いました。
「ねえ、フッシュレストランでさ、やっぱり僕らが全部払うべきだったよ。まうみの大恩人の娘さんが、新婚旅行でアメリカにやって来てくれたっていうのに、ご馳走もできないってのはやっぱり情けないよ。まあ、カフェを支払ったのはせめてもの救いだけど……」
それを聞いてわたしも反省しました。わたしってすぐに調子に乗ったり気遣いが無かったり……もうそろそろ52になるんすけどねえ……。
受けた恩を忘れることはないのに、恩返しができていません。
いくらなんでも、そろそろできなきゃな~と、深く反省をしたわたしです。
A君のお蕎麦屋さん。
越後そば 良青(よしせい)
豊中市東豊中町4-11-4
TEL 06-6852-6159
http://gourmet.yahoo.co.jp/0002201901/
お蕎麦はA君のお父さんの手打ち。お蕎麦の汁が絶品だそうです。お近くに行かれることがありましたら、ぜひぜひ。
ひとりは、あまりに辛いことばかりが続いていた時、ガス管をくわえて気を失っていたわたしの頬を、泣きながら叩いてくださった高校の用務員のおじさん。
ひとりは、担当医から余命1年の宣告を受けた後、その病気(後遺症)の進行を止めてくださった新興宗教の皆さん(だから厳密にはひとりではありません)。
ひとりは、借金のカタに売られたわたしの身柄を、暴力団の連中が引き取りに来る直前に、密告電話をかけてきてくださった父の友人。
ひとりは、追われる身となったわたしを、当たり前のように、やさしく家の中に匿ってくれただけではなく、お金の援助までしてくださった義理の父。
ひとりは、執拗な暴力団の追っ手から身を隠すため、すべてを偽って新しい人間になり、音楽を自分の中から消そうとしていたわたしを見つけ出し、再び音楽の道を歩めるよう導いてくださった短大の教授。
大阪に逃げたふりをして、実は四日市にある、母と母の再婚相手のご主人が住む家に住まわせてもらっていました。
新聞の求人広告を隅から隅まで調べ、ガス会社の臨時採用の試験を受け、名前も年令も学歴もすべてウソをついて働き始めました。
見習いの6ヶ月を無事に終え、ガス会社特有の男社会にも慣れ、たった6人しか居ない女性事務員のお局さまにもそれなりにかわいがってもらっていました。
ガス事故や故障の電話を受け、事故処理班に速やかに伝えたり、お客さまからの苦情を正確に伝えたりもできるようになりました。
こういう風に生きていくこともアリだったんだなと、ウソで固めた自分を見つめるホントの自分にも、それなりの安堵感みたいなものも芽生え始めていました。
そんなある日、仕事中のわたしに電話がかかってきました。
「お~い、まうみちゃん、電話電話、男の人からだよ~」と、事故処理班の男性がニヤニヤしながら伝えてくれました。
わたしは心臓をギュッと掴まれたような気がしました。わたしがここに居ることを知っている男の人は義父しかいません。
その義父は、仕事中に電話をかけるようなことは絶対にしない人だと知っているので、とうとう見つかってしまったのかと目の前が真っ暗になりました。
恐る恐る受話器を取りました。周りに人が居てくれるのが救いでした。
「もしもし」
「もしもし、まうみさん、もしもし」
「……はい」
「ああ、とうとう~見つけた!」
思いもかけない懐かしい声でした。物静かな声の中に、安堵のため息が混じっていました。
H先生は、家の事情でどこにも進学できそうにもなかったわたしを引き受けてくださった人です。
なのに、なんの連絡もせずに突然姿を消したわたしの行方をつきとめ、また学校に戻って学べるよう力を尽くしてくださいました。
あの、暴力団のような、特殊な連絡網を駆使してでさえ見つからなかったわたしを、いったいH先生はどのようにして見つけてくださったのか、それは今も分かりません。でも、あの電話の声が、すべてをわたしに伝えてくれたような気がします。
結局わたしはまた学校に戻り、カサカサに乾いた希望の木に養分を与えるべく、朝から晩までピアノを弾き続けました。
1度は完全に諦めた音楽の道を歩いていることが嬉しくて、もう二度と、踏み外すようなことはしないと心に決めました。
それからも、いろんなことは起こり続けたけれど、音楽はわたしを守り、育て、生活と心の糧になってくれました。
その大恩人の娘N子ちゃんが、新婚旅行でマンハッタンを訪れています。今日、やっとやっと逢うことができました。
旦那さんのA君は、小学5年生の時からサッカー留学のためにイギリスに飛び、16年暮らした強者で、パンクロックのギターリストで音楽大好き男。
父親が一代で築き上げた人気の蕎麦屋さんを絶やしてはなるものかと、蕎麦アレルギーにも負けず受け継ぐことを決めて頑張っている、顔も心も男前の男です。
すっかり大人に、きれいになったN子ちゃんは、某有名ブランドの広報事務担当。いずれはアレルギーで蕎麦打ちのできないA君を支えるため、蕎麦打ち名人になるべく修行を始める予定だとか。二人は留学先のロンドンで出会ったそうです。
逢った瞬間から大好きになり、フィッシュレストランでおしゃべりをし、カフェでまたおしゃべりをし、やっぱりもっと話していたい気持ちがおさまらなくて、とうとうニュージャージーまで誘拐しちゃいました。
肩こりがひどいと言うN子ちゃんに旦那が簡単な鍼治療をサービス。お茶をすすりながら、いろんな話を楽しみました。
二人をマンハッタンのホテルに送り届けてから家に戻ると、旦那がポツリとこう言いました。
「ねえ、フッシュレストランでさ、やっぱり僕らが全部払うべきだったよ。まうみの大恩人の娘さんが、新婚旅行でアメリカにやって来てくれたっていうのに、ご馳走もできないってのはやっぱり情けないよ。まあ、カフェを支払ったのはせめてもの救いだけど……」
それを聞いてわたしも反省しました。わたしってすぐに調子に乗ったり気遣いが無かったり……もうそろそろ52になるんすけどねえ……。
受けた恩を忘れることはないのに、恩返しができていません。
いくらなんでも、そろそろできなきゃな~と、深く反省をしたわたしです。
A君のお蕎麦屋さん。
越後そば 良青(よしせい)
豊中市東豊中町4-11-4
TEL 06-6852-6159
http://gourmet.yahoo.co.jp/0002201901/
お蕎麦はA君のお父さんの手打ち。お蕎麦の汁が絶品だそうです。お近くに行かれることがありましたら、ぜひぜひ。