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ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

Salon Concert in Bloomfield

2009年08月12日 | 音楽とわたし
ヨーロッパ、特にフランスで、上流階級の婦人が、その邸宅の客間で開いた社交的な集まりをサロンと言うのだそうです。

旦那は常々、うちでサロンコンサートが開けたらいいなあと思っていて、できないまま九年の歳月が経ち、今日、とうとうその夢が叶いました。
Aちゃんのおかげです。
旦那から、ちょこっとでいいし、すごくカジュアルなのでいいから、歌ってくれないかなあと、さり気ない風を装いながらもしつっこく頼まれたAちゃん、
「いいよ~」とめちゃんこ軽く引き受けてくれたのはいいのだけれど、さてさて焦りまくったのはこのわたし。
でも、いっぺんでいいから彼女の伴奏を弾いてみたかったので嬉しかったのでした。

夜の七時半、前の家の大家さん夫婦(リズとジム)、友人デブラの三人が、ワイン片手にやって来ました。
みんなでチーズやグァカモリ、それからムングダールカレーの残りをクラッカーに乗っけて、ワインをグビグビ、楽しくおしゃべりをした後、
いよいよ旦那、そしてもちろんわたしの夢だった『サロンコンサート』の始まり始まり。

演目はドイツ歌曲から『アヴェ・マリア』、『ます』、アメリカンのために『アメージング・グレイス』、『サマータイム』。
サマータイムは、今彼女がハーレムに通ってレッスンを受けているもので、ジャズやゴスペルの発声を取り入れた新しい唱法で歌うもの。
ちっちゃな体から発せられる、豊かで美しい、そして迫力のある歌声に、みんな圧倒されるやら感動するやら。
わたしがもしピアノを弾いてなかったら、ほんでもってもし演目の中に日本歌曲なんかがあったりしたら、どころか号泣してたかも。
ほんとに、彼女の歌は、心の奥にある琴線にビンビン触れてきます。

みんな、そりゃあ幸せそうに、体中からうっとり光線を発しながら、またぜひ聞かせてね、きっと留学を実現させてね、と言いながら帰って行きました。
「これからもっともっとサロンコンサートやってね。パリじゃなくてブルームフィールドだけどさ、ま、そんなことは気にしない気にしない」とリズ。
「またおもしろいお土産が見つかったら持って来るよ」とジム。
実は今、わたし達が暮らしていた一階の大改装が行われていて、台所の棚をずらしたら、なんと四年前の日付のレッスンの謝礼小切手が見つかったのでした!
「ボクだったらもう無かったものとして諦める」と旦那。
「ぬぁ~にを抜かすか、わたしなら親に連絡して絶対に現金化!」とリズ。
もちろんわたしはリズ派。彼らが夏のバケーションから戻ったら、早速連絡を取って了承をもらい、現金化したいと思いまぁ~す。

さて、みんなを見送った後、楽しかったね~などと言いながらふと玄関口を見ると、ん?なんでこんなとこにデブラのサンダルがあるん?



わたしの長年の夢だったスリッパ生活
前の家では頑として靴を脱いでくれなかった旦那が、この家は床をきれいにしたところだからか、とうとう履き替えに応じてくれました。
Aちゃんから「新居のお祝いは何がいい?」と聞かれ、厚かましくも「スリッパ!しかも和風丸出しの!」と即答したわたし。
青畳の香りと感触が嬉しい、日本情緒たっぷりのスリッパを、ユニクロの箱に入れて?運んできてくれたのでした。
昨日は早速それを皆さんにも履いてもらい、デブラは花柄の、わたしも愛用しているスリッパを履いて……そしてそのまま……。
旦那が慌てて携帯で彼女に電話しました。彼女はまだ運転中なのでした。
「ねえデブラ、ちょっとさあ、足元見てくれる?」
「うひゃ~!」
よっぽど履き心地が良かったのでしょう。よかったよかった。
でもデブラ、それ、わたしの大のお気に入りだから、自分のと交換しに来てね


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ちょいと一杯のつもりで飲んで

2009年08月12日 | 音楽とわたし
いつの間にやらはしご酒。
気がつきゃホームのベンチでごろ寝、
これじゃ体にいいわきゃないよ。
わかっちゃいるけどやめられね。
アホ~レ、ス~イス~イス~ダラダッラスラスラスイスイスィ~♪

さっきから、二階の旦那の仕事部屋からずぅ~っと流れてます。
植木等さんの軽快で軽卒で、どこか物悲しい(どこが?)声……懐かしいぃ~!

昨日、いったいなんの話からこの歌のことが出たのかさっぱり覚えてないのだけれど、ユーチューブで植木さんの歌うスーダラ節を検索して見せたら、

……旦那、思いっっっっっきりハマっちゃいました。
あのステテコに腹巻き、そしてチョビ髭とあの帽子。


植木さんがお亡くなりになった時の記事にも少し書きましたが、もう一度。

植木さん、『スーダラ節』の楽譜を渡された時には、「この曲を歌うと自分の人生が変わってしまうのでは」と悩みました。
父親に相談すると「人類が生きているかぎり、このわかっちゃいるけどやめられないという生活はなくならない。これは親鸞上人の教えに通じている。そういうものを真理というんだ。上出来だ。がんばってこい」と諭され、彼は歌うことを決意したそうです。
その父親徹誠(てつじょう)は、かつて徹之助と名乗っており、若い頃はキリスト教徒で、後に浄土真宗の一つである真宗大谷派常念寺の住職となります。
被差別出身ではないが「自分は民ではないと思う事が、すでに相手を差別していることだ」と述べて、水平運動に参加しました。
治安維持法違反の罪にとわれて投獄をされても積極的に反差別と反戦を貫いて運動をし、また、60年安保のデモ隊にも参加したそうです。

ただし、謹厳実直なだけの人物ではなく、息子・等から見ると支離滅裂で、義太夫語りになろうとしたこともあり、いわば蕩児でもあったのだそうです、

少年時代には、ステテコ一丁の徹誠が等を、寺の仏様の前につれていき、物差しで頭を叩きながら「この音を聞いてみろ。金ピカだけれども中は木だ。こんなものを拝んでも、どうにかなると思ったら大間違いだそ」と諭されたそうな。

あの歌を歌う時の植木さんのステテコ姿に、もしかしたら彼の父を慕う思いがこもっていたのかもしれません。


旦那よ、あの歌に、こんな深い意味合いがあるのを知る由もないのだろうけど(無いかもしれないけど)、
植木さんにちょっぴり似ていたわたしの父が、十八番でよく歌っていた歌を、それほど気に入ってくれるのは嬉しいよ。
アホ~レ、ス~イス~イス~ダラダッラスラスラスイスイスィ~♪
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