旦那とお気に入りのドラマ『In Treatment』のDVDを観ました。
ポールという名のセラピストが、月曜から木曜の四日間、毎週通ってくる患者さんを治療する45分間のドラマです。
セラピストと患者だけの会話が音響もなにも無い画面に展開され、その日の話の内容によっては観た後でぐったり、ということもあったりします。
役者さん達がとてもうまい!16才の高校生から問題を抱えたミドルエイジの夫婦まで、表情と仕草と台詞でぐいぐいこちらを惹き込んでいきます。
今日は破局寸前の夫婦エイミーとジェイクでした。
今回まで、取り返しのつかないほどこじれてしまった夫婦としてカップルセラピーを受けてきた二人。今日もまた同じような話が展開されていたのです。
ひょんなことからエイミーが、彼女の父の死について話し始めました。
その日、彼女の母親はとても機嫌が悪く、エイミーはそんな母親にうんざりして、父親の仕事場に避難しました。
父親は娘を元気づけようと、彼女を連れてアイスクリーム屋に行き、そこの駐車場で二人でアイスクリームを食べました。
エイミーはコーンがもうひとつ欲しくなり、店の方に戻った丁度その時、暴走した車が父親を轢き殺してしまいました。
彼女はその一部始終を見てしまい、あまりのショックにお腹が激しく痛み出し、その場で倒れ込んでしまいます。
やって来た救急車から二つの担架が運び出され、ひとつには父親の遺体が、そしてもうひとつにはエイミーが乗せられて病院に運ばれます。
母親は、「父親が死んだのはあなたのせいだ」と言って、生涯許してくれませんでした。
そういう話でした。
突然、わたしは自分の父のことを思い出しました。
父が末期の胃ガンを患い、我々の考えられる範囲の、そして支払える範囲のあらゆる可能性を試してみましたが、どれも結局はうまくいかず、どうしようもない、望みの持てない辛い時期を迎えていた頃、モルヒネの投与が始まった父は、いろんな幻想を見るようになりました。
楽しいものもあり、またとんでもなく恐ろしいものもあり、父が現実の世界から離れていく時間がどんどん増えていきました。
わたしはその頃、ピアノのコンクールに出場する生徒を数人抱えていて、生活を支えるためにも仕事を休むわけにはいかなかったので、
父の看病にかかりっきりになることができず、週末に一日二日、泊まりの看病をしに、大阪の成人病センターまで通うぐらいのことしかできませんでした。
あの晩、父はとても荒れました。「どうしてもこんなとこから出るんや!」と言ってききません。
大声で叫んだり、管を抜いたり、そばにあるコップを壁に投げつけたり、わたしに押さえつけられた彼の顔には、それまで見たことがない、わたしを心底憎んでいるような、ギラギラとした怒りが張り付いていました。
宥めて彼を車椅子に乗せ、病棟の廊下をグルグルグルグル、「さあ帰ろな。帰って上六の近鉄百貨店に行こな」と、嘘を言いながら回りました。
「そうかそうか、帰ろ。ほな、これから近鉄の天婦羅食いに行こ」
薄暗い廊下をグルグルグルグル。病室のあちこちから、別の末期の患者さんの苦しそうに吐く声やうめき声が聞こえてきます。
「静かにしてください」
見回りの看護士さんに再三注意されながら、父を誤摩化しきれるまでとにかく廊下を回ろうと、わたしはその晩決めていました。
何度目かのエレベーターの扉の前で、決まったように「早よこれに乗って帰ろ」と言う父に、「ああ、あかんわ、もう夜遅いから動かへんみたい。明日の朝一番にこれに乗ろな」と言うと、とうとう「わかった」と言った父。
ホッとして、彼と病室まで戻り、ベッドの上に寝かしました。
その途端、また人が変わったように暴れ出した父。
わたしはもうヘトヘトに疲れていたのと、どうしたらいいのか分からない自分が情けなくなって、看護士さんを呼ぶブザーを押しました。
部屋にやって来てくれた看護士さんは、父が一番嫌っている看護士さんでした。
彼女の顔を見た途端、大声を出して怒り出しましたが、彼女は慣れっこのようで、そんな父を無視して、手際よく管やらを元に戻しました。
「ちょっと外に出ましょう」と彼女に誘われて廊下に出ました。
そして「こんなに荒れられると大変ですねえ」と言われたわたしは、何を思ったのか、「モルヒネをもう少し増やしてもらえますか」とお願いしたのです。
「わかりました。担当医に申し付けておきます」と彼女が言ったその時、部屋の中からゴンという、鈍い、そしてとても嫌な感じのする音が聞こえてきました。
彼女と一緒に病室に入ると、入り口に頭を向けて、床に仰向けに倒れている父の姿が目に入りました。
彼の両目は大きく見開かれていて、けれどもとても空っぽで、絶望という絵が天井いっぱいに描かれているのを凝視している鬼のように見えました。
父は、大嫌いな看護士と一緒に部屋から出ていった娘と自分の病気に腹を立て過ぎたあまり、自分でベッドから抜け出そうとしたのに違いありません。
けれども父の足は、そんな怒りの塊となった体を支えるには、あまりにも弱くなり過ぎていました。
その日から二日後に、父は静かに息を引き取りました。
食道楽だった父が、ガリガリの骨と皮だけになって、下あごをカクカクさせながら最後の息に向かってしんどい思いをしていた時、
わたしは彼の首にしがみついて、「パパの娘で良かった。大好きやった。ありがとうね」と叫ぶしかできませんでした。
父が亡くなった直後から、わたしは自分のことを激しく責め始めました。
父が原因でいろんなことが起こり、それでわたし達家族が大変な目に遭って、ついには離散ということにまで追い込まれたり、命を狙われたりしたこと、
それをわたしはちゃんと許せていたつもりだったのに、もしかしたらこれはわたしの、心の奥深いところから現れ出た仕返しだったのかもしれない。
もしそうなんだったら、わたしという人間はなんと非情で、業が深くて、しかもそれをうまく隠し通せていることか……。
人殺し!たった一晩の辛さだけで、モルヒネを増やして欲しいやなんて頼んだ人でなし!誰が許したとしても、わたしだけは絶対に許さへん!
今日のエイミーの話を聞いて、彼女がそんな自分のことを許せなくて、しかも彼女は自分の母親から人殺し呼ばわりされていて、
けれども、そんな彼女を慰めようとする夫のジェイクの手をパンとはね除けてしまう姿を見た時、急にわたしの心に父の死の思い出が蘇ったのでした。
許すということは、なんと難しく、こんがらがった糸のようにすっきりと一本にならない、けれども真剣に臨めばできそうな気もする、
わたしにとっては憧れの、なかなか手に入らないもののようです。
でも、こうやって足掻き続けて生きるのもまた良し。苦しんだら苦しんだ分、まぁるくなったり優しくなったり、いいこともあります。
今夜は突然大泣きしたので、目の周りがボテボテです。
明日、セントラルパークで、10月のコンサートのプログラムに載せる写真を撮ってもらう予定になっているのに、いやぁ~!どうすんのよわたしっ!!
ポールという名のセラピストが、月曜から木曜の四日間、毎週通ってくる患者さんを治療する45分間のドラマです。
セラピストと患者だけの会話が音響もなにも無い画面に展開され、その日の話の内容によっては観た後でぐったり、ということもあったりします。
役者さん達がとてもうまい!16才の高校生から問題を抱えたミドルエイジの夫婦まで、表情と仕草と台詞でぐいぐいこちらを惹き込んでいきます。
今日は破局寸前の夫婦エイミーとジェイクでした。
今回まで、取り返しのつかないほどこじれてしまった夫婦としてカップルセラピーを受けてきた二人。今日もまた同じような話が展開されていたのです。
ひょんなことからエイミーが、彼女の父の死について話し始めました。
その日、彼女の母親はとても機嫌が悪く、エイミーはそんな母親にうんざりして、父親の仕事場に避難しました。
父親は娘を元気づけようと、彼女を連れてアイスクリーム屋に行き、そこの駐車場で二人でアイスクリームを食べました。
エイミーはコーンがもうひとつ欲しくなり、店の方に戻った丁度その時、暴走した車が父親を轢き殺してしまいました。
彼女はその一部始終を見てしまい、あまりのショックにお腹が激しく痛み出し、その場で倒れ込んでしまいます。
やって来た救急車から二つの担架が運び出され、ひとつには父親の遺体が、そしてもうひとつにはエイミーが乗せられて病院に運ばれます。
母親は、「父親が死んだのはあなたのせいだ」と言って、生涯許してくれませんでした。
そういう話でした。
突然、わたしは自分の父のことを思い出しました。
父が末期の胃ガンを患い、我々の考えられる範囲の、そして支払える範囲のあらゆる可能性を試してみましたが、どれも結局はうまくいかず、どうしようもない、望みの持てない辛い時期を迎えていた頃、モルヒネの投与が始まった父は、いろんな幻想を見るようになりました。
楽しいものもあり、またとんでもなく恐ろしいものもあり、父が現実の世界から離れていく時間がどんどん増えていきました。
わたしはその頃、ピアノのコンクールに出場する生徒を数人抱えていて、生活を支えるためにも仕事を休むわけにはいかなかったので、
父の看病にかかりっきりになることができず、週末に一日二日、泊まりの看病をしに、大阪の成人病センターまで通うぐらいのことしかできませんでした。
あの晩、父はとても荒れました。「どうしてもこんなとこから出るんや!」と言ってききません。
大声で叫んだり、管を抜いたり、そばにあるコップを壁に投げつけたり、わたしに押さえつけられた彼の顔には、それまで見たことがない、わたしを心底憎んでいるような、ギラギラとした怒りが張り付いていました。
宥めて彼を車椅子に乗せ、病棟の廊下をグルグルグルグル、「さあ帰ろな。帰って上六の近鉄百貨店に行こな」と、嘘を言いながら回りました。
「そうかそうか、帰ろ。ほな、これから近鉄の天婦羅食いに行こ」
薄暗い廊下をグルグルグルグル。病室のあちこちから、別の末期の患者さんの苦しそうに吐く声やうめき声が聞こえてきます。
「静かにしてください」
見回りの看護士さんに再三注意されながら、父を誤摩化しきれるまでとにかく廊下を回ろうと、わたしはその晩決めていました。
何度目かのエレベーターの扉の前で、決まったように「早よこれに乗って帰ろ」と言う父に、「ああ、あかんわ、もう夜遅いから動かへんみたい。明日の朝一番にこれに乗ろな」と言うと、とうとう「わかった」と言った父。
ホッとして、彼と病室まで戻り、ベッドの上に寝かしました。
その途端、また人が変わったように暴れ出した父。
わたしはもうヘトヘトに疲れていたのと、どうしたらいいのか分からない自分が情けなくなって、看護士さんを呼ぶブザーを押しました。
部屋にやって来てくれた看護士さんは、父が一番嫌っている看護士さんでした。
彼女の顔を見た途端、大声を出して怒り出しましたが、彼女は慣れっこのようで、そんな父を無視して、手際よく管やらを元に戻しました。
「ちょっと外に出ましょう」と彼女に誘われて廊下に出ました。
そして「こんなに荒れられると大変ですねえ」と言われたわたしは、何を思ったのか、「モルヒネをもう少し増やしてもらえますか」とお願いしたのです。
「わかりました。担当医に申し付けておきます」と彼女が言ったその時、部屋の中からゴンという、鈍い、そしてとても嫌な感じのする音が聞こえてきました。
彼女と一緒に病室に入ると、入り口に頭を向けて、床に仰向けに倒れている父の姿が目に入りました。
彼の両目は大きく見開かれていて、けれどもとても空っぽで、絶望という絵が天井いっぱいに描かれているのを凝視している鬼のように見えました。
父は、大嫌いな看護士と一緒に部屋から出ていった娘と自分の病気に腹を立て過ぎたあまり、自分でベッドから抜け出そうとしたのに違いありません。
けれども父の足は、そんな怒りの塊となった体を支えるには、あまりにも弱くなり過ぎていました。
その日から二日後に、父は静かに息を引き取りました。
食道楽だった父が、ガリガリの骨と皮だけになって、下あごをカクカクさせながら最後の息に向かってしんどい思いをしていた時、
わたしは彼の首にしがみついて、「パパの娘で良かった。大好きやった。ありがとうね」と叫ぶしかできませんでした。
父が亡くなった直後から、わたしは自分のことを激しく責め始めました。
父が原因でいろんなことが起こり、それでわたし達家族が大変な目に遭って、ついには離散ということにまで追い込まれたり、命を狙われたりしたこと、
それをわたしはちゃんと許せていたつもりだったのに、もしかしたらこれはわたしの、心の奥深いところから現れ出た仕返しだったのかもしれない。
もしそうなんだったら、わたしという人間はなんと非情で、業が深くて、しかもそれをうまく隠し通せていることか……。
人殺し!たった一晩の辛さだけで、モルヒネを増やして欲しいやなんて頼んだ人でなし!誰が許したとしても、わたしだけは絶対に許さへん!
今日のエイミーの話を聞いて、彼女がそんな自分のことを許せなくて、しかも彼女は自分の母親から人殺し呼ばわりされていて、
けれども、そんな彼女を慰めようとする夫のジェイクの手をパンとはね除けてしまう姿を見た時、急にわたしの心に父の死の思い出が蘇ったのでした。
許すということは、なんと難しく、こんがらがった糸のようにすっきりと一本にならない、けれども真剣に臨めばできそうな気もする、
わたしにとっては憧れの、なかなか手に入らないもののようです。
でも、こうやって足掻き続けて生きるのもまた良し。苦しんだら苦しんだ分、まぁるくなったり優しくなったり、いいこともあります。
今夜は突然大泣きしたので、目の周りがボテボテです。
明日、セントラルパークで、10月のコンサートのプログラムに載せる写真を撮ってもらう予定になっているのに、いやぁ~!どうすんのよわたしっ!!