ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

せっせと窓拭き

2010年06月17日 | お家狂想曲
昨日の未明に、そりゃもうとんでもなく激しい雨が降りました。

わたしは窓拭きがメンドクサイ。とってもとってもメンドクサイ。
なので、特別な何かがある時に、それを理由にして、一気にガガ~ッと拭くようにしています。

今回の特別な何かは……そうです、師匠が遊びに来てくれることです。
実に十年ぶり。前回は同時テロの約半年前でした。まだ暮らして間無しの、頼りないわたしでした。

今回は、自分の家に暮らしている様子を見てもらえることができて、とても嬉しいのです。
そこで、窓から見える風景を思い存分楽しんでもらえるよう、祈るような気持ちで窓をせっせと拭きました。

やり慣れないので、いっぱい失敗して、擦り傷や打ち身を作ったけれど、清々しい爽やかな夏の風を受けながら、なかなか楽しくやれました。

真ん中あたりに、雪だるまの幽霊みたいな白い影があります。どこの窓にも、こういう感じの曇りがついていました。


それをゴシゴシ、あっちもゴシゴシ、こっちもゴシゴシ、前も後ろもゴシゴシ、こんなにきれいになりました。



鳥さん、また思いっきりぶつかって気絶したりしないように気をつけてね。
コメント (4)
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カイロプラクティック初体験!

2010年06月17日 | ひとりごと
旦那の背骨は、ある部分でグニャリと曲がっている。
旦那はガリガリなので、背骨の突起がとても鮮明に見える。
それはまるで、真っすぐに置かれるべき飛び石が誰かのイタズラ心でちょいと線から飛び出したような、それを見るたび心に微かな不安が生じるような、なんとも人騒がせな背骨なのである。
彼は、鼻の奥にあるアレルギーにかれこれ30年以上悩まされている。
最近はとうとう、無呼吸症候群を疑い出した。
なので、毎晩ベッドに入る前に、念入りなストレッチや瞑想、軽い運動、それと一晩中刺してままにしておける小さな鍼を鼻の周りに自分で打ったりしている。
横でそんな様子を見ていると、軽いノイローゼにかかっているようにも思えるけれど、不眠症で半年、地獄のような苦しさを味わったことのあるわたしには、ちゃんと朝まで眠れないことがどんなに辛いかもわかるので、軽い口調でなぐさめたりはしない。

いったい原因はなんなのか?
この答を見つけるために、彼は相当な数のいろんな疑いをかけ、それに対する処方を見つけては試してきた。
カンジダ菌?単なる花粉症?子供の時に上の前歯を二回も強打したこと?ニキビを消すための強い飲み薬を1年もの間飲み続けたこと?
どれも違う。そこで……とうとう、背骨のぐにゃり部分に行き着いた。

カイロプラクティック通いが始まった。
彼の所に患者として来てくれている男性が、とても良いカイロプラクターだとわかり、そこに通うことにした。
鍼灸もカイロプラクティックも、共に代替医療。東洋医学と深く関係している。
そういう共通事項を持つ者同士が、自分の専門の医療を互いに施し合うのは、ある意味面白いのだそうだ。

そして……、

「まうみも行ってみたら?絶対に気持ちええから」と、かなり前から言われ続けていて、ずっと無視してきた。
けれども、時差ボケが長引いて、それから急に早寝早起きに転向中のここ数日、起き掛けに、首の付け根(特に後ろ側)が異様に重苦しくて困っていた。
鍼を頼もうと思っていたけれど、なぜか互いのタイミングがまるで合わなくて、どうしても時間がとれない。
そこで今日、旦那の予約に合わせて、エ~イッ!とばかりに行くことにした。

カイロプラクティックというと骨のアジャスト。
これについては、かなり重症のトラウマがあるわたし。
なので今の今まで、カイロプラクティックにはどうしても足が向かなかった。
初診の問診票に、手術や事故の履歴を書かなくてはならなくて、書くより話す方が手っ取り早いと思い、昔話を聞いてもらった。

「15才の夏に、体育館の中二階から地下室の入り口まで、真っ逆さまに落ちました。
不思議なことに、落ちてしまうまでがとても長かったので、上下逆の周りの景色を見ながら、自分の状況がいかに危険なものであるかを認識しました。
いろんなことを試してみました。例えば、どこか手の届きそうな物を握るとか。
でも、重力は想像以上に凄く、とてもそんなことでその落下を止めることができるとは思えませんでした。
こんな長い距離をこのスピードのまま、アスファルトの床に落下したら、わたしの頭蓋骨はひとたまりもなく砕けてしまう。
なんとか角度を変えようと思うのだけど、どうしてもできません。それに、変に角度をつけて首の骨を折るようなことになったら、もうその時点で命を失います。
なので、最終的に出した結論はこうでした。とにかく、なにかで頭頂部をカバーしよう。
動かせそうなのは手しかありませんでした。
わたしは小さな頃からピアニストになるべく、とても厳しい教育を受けてきました。
なので、『手』しかないのだけれど、一番使いたくないのが『手』でもありました。
でも、どうしようもありません。もう地点はかなり近づいています。覚悟を決めつつ、それでも、どちらの手にしたらいいかを考えました。
しばらく弾けなくなっても我慢できる方……よし、左手にしよう。ごめん!左手!」
大量の卵の殻をいっぺんに割ったような音がして、痛みも何も感じないまま、意識は暗い暗い闇の中に光の速さで向かっていきました。
けれども、わたしのトラウマはそこにはつながっていません。実はその後の治療に、とんでもない痛みが待っていたんです。
左手の手首や指の折れた部分を、学校指定の接骨院で応急処置をしてもらったのですが、その際につなぎ間違いがあったのです。
それで、腫れが引くまで待って、それをある、特別な接骨院(いろんな治療ミスを解決することで有名でした)に行って、治してもらうことになりました。
教えてもらった通りに電車を乗り継ぎ、バスに乗り、山の奥のその医院に着いて待合室で待っていると、名前を呼ばれました。
薄暗い、窓一つない部屋に入っていくと、簡単なベッドがあり、そこに仰向けに寝るように言われました。
言われた通りに横になると、いきなり奥のドアが開いて、そこから4人の屈強な男性達が、無言でぞろぞろと入ってきました。
いったい何事かと思いながらも、それがその場所においてはあまりにも当たり前な風景で、誰にも有無を言わせない重々しい日常のような気がして、わたしはただ黙っていました。
すると、わたしにずっと話しかけていた男性が急に、「この治療は一瞬で終わりますが、ちょっと痛むので、今からあなたの口にタオルを入れます」と言って、とても素早く、いったいいつ、そんなタオルを用意していたのかと驚くほど滑らかな動きでもって、わたしの口の中にタオルをギュッと差し込みました。
それを合図に、4人の男性がわたしの手足を、まさに身動きが取れないほどに押さえつけ、その後すぐに、今でもくっきりと覚えているほどの恐ろしい痛みを感じました。
いえ、痛みを覚えている、というのは現実的観点から言うと正しい表現ではないかもしれません。
実際には痛みはすっかり忘れています。ただ、その痛みに伴った恐怖が、スウェードの靴についた油染みのように、記憶のある部分に残っているのです。
その医師はまず、間違ってつながった部分を思いっきり引っ張って外し、そして正しい位置にはめ戻した。そういうことなのでした。
荒療治を受けてから、骨接ぎや接骨院という文字を見ると、無意識に視線をよそに移してしまうようになりました。
もうあれから30年近くもの年月が経とうというのに、わたしはまだこうやって、あの時どんなに恐かったかを、まるで昨日のことのように話しています」

それから後の、後遺症の悲惨さ、首の手術、医者に見放された後霊気を学び、自己治癒に成功したことなども話した。
彼は本当に親身に話を最後まで聞いてくれた。
「ボクがまうみにとって、新たなトラウマにならないことを誓うよ。君に合った最善の治療をすることを約束する」
彼の治療はとても面白く、柔らかで、背骨のあちこちで小さなポキポキを発生させた。
生まれて初めてのカイロプラクティックは、それはそれは気持ちのいい1時間だった。
これからしばらくの間、彼の治療を受けてみることにした。
丁寧な触診とアジャストで1回40ドル。もしその日、治療するべき所が見つからなかった場合は無料。なかなかに誠実な感じがする。
ほんとはうちのお抱え鍼灸師にもっと頼むべきなんだけどね。

コメント (2)
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