昨日の窓拭きから始まったちょこちょこ掃除に拍車がかかり、あれもこれも、あそこもここも、なんだか止まらなくなってしまった。
今日は朝からひとり、生徒を教え、電車に飛び乗り、お昼の12時前に、マンハッタンのミドルタウンに行った。
木下航志(『きした こうし、1989年5月8日生まれ』は全盲の日本のミュージシャン。鹿児島県薩摩川内市出身。幼い頃に未熟児網膜症で視力を失った。“和製スティーヴィー・ワンダー”とも呼ばれる)くんのバックコーラスでゴスペルを歌う、という企画に参加する機会を得た。
http://kishitakohshi.laff.jp/blog/ ←航志くんのオフィシャルブログです。
航志くんはとても小柄な21才の青年。手だって小学生みたいにちっちゃい。
でも、彼の奏でるピアノの音には、人の魂をグッと掴んで離さない、力強さと繊細さと悲しさと強さと絶望と希望が入り交じっている。
彼は今回、ここ東海岸のゴスペルの祭典に招待されて、鹿児島からやってきた。
ダニエル・イーソンは、とても才能豊かなゴスペルの指導者。彼が関わったゴスペルの合唱団は、のきなみコンテストで優勝している。
今回、航志くんが歌う曲は、ダニエルが作詞作曲をしたもので、詳しいことは知らないけれど、わたしはきっとこの曲は航志くんのために書かれたものだと思う。
航志くんの左横に座っているのはNAOちゃん。彼女もすごい。京都から来てる子で、何千人もの中から日本人として初めてソロ部門のファイナルに残った子。
彼女と航志くんの取材のために、読売テレビ関西から来ているカメラクルーさん達が端っこに写っています。
自分の歌うパートを家で練習していた時、Don't give up! という歌詞を、ちょっとなんかキャッチーだな、などと思っていた自分を恥じた。
航志くんは、わたしの想像も及ばないほどの数の辛い運命を受け止め、受け入れ、それらと共に折り合いをつけて生きていかなくてはならなかった。
苦しいこと、辛いこと、どうしようもないほどの怒りを感じること。
『僕にはいろんなことがあった。運命は時に、僕を絶望の淵に押しやった。でも僕はあきらめない。やけにならない』
彼のピアノの音に乗せて、その言葉がメロディに乗ってわたしの耳に流れ込んできた時、わたしは心の底から彼に詫びた。
そして心の底の底から感動して、なんとか彼のステージを盛り上げようと、そこに居るすべてのコーラスメンバーが胸に誓ったに違いない。
コーラスメンバー25人のうちの15人が日本から組、10人がニューヨーク組。全員揃っての練習はこの日が最初で最後。
リハーサルはどんどん熱気がこもり、歌っている間に打つ手拍子で手はこんなに真っ赤っか。これは師匠の手。左上の方に打ち身でできるような青あざが見える。
明日の最終選考を前に、ダニエルと航志くんとともに最後の調整をするNAOちゃん。
ビルの外に出ると、それはそれは爽やかな夏日だった。
A子はこの夏最後のレッスンを受けに、わたしと師匠は、A子のアパートの近くにある、めっちゃ美味しいパンやスウィーツを売っている店でお昼ご飯を食べることにした。
師匠は中近東の前菜三種と超美味しそうな5種類の違うパンのスライス、わたしはレンズ豆のスープとカレーチキンサラダ。どれもこれも、期待を裏切らない嬉しいお店だった。
A子のアパートに彼女より先に戻り、少し休憩。そこにA子が戻り、そしてイーストヴィレッジのスポーツバーにイングランド出身の友人とサッカー観戦をしにやってきている旦那が合流し、これまた近くにある、とんでもなく美味しいベトナム料理を食べに行った。
そして今日の二個目の大きなイベントである、ニューヨークジャズフェスティバルにゴ~!
ジャズにはちょいとうるさい旦那も、今日のメンバーはみな凄かったと言った。
彼が今夜のバンドマスター的存在のトランぺッター、Roy Hargrove。すごい存在感。けれども、演奏中以外は、なんだか雲の上をふわふわ歩いているような雰囲気がある。
彼女の歌ったチリのフォークソングが、ソウル・フラワー・ユニオンのある歌のメロディにそっくり?!
コンガのソロではじける!
このそうそうたるメンバーで、アンコールも入れてたっぷり聞かせてもらった。それで$15。VIVA!New York Jazz Festival!
コンサートが終わり、A子のアパートに寄り、泊まりの荷造りをする二人を待って、ニュージャージーへ。
途中、変な渋滞があって、回り道をすると、余計に迷ってしまった旦那。後部座席には、意識不明っぽく眠るA子と師匠。
明日はゴスペルの本番。うまくいくといいなあ。
今日は朝からひとり、生徒を教え、電車に飛び乗り、お昼の12時前に、マンハッタンのミドルタウンに行った。
木下航志(『きした こうし、1989年5月8日生まれ』は全盲の日本のミュージシャン。鹿児島県薩摩川内市出身。幼い頃に未熟児網膜症で視力を失った。“和製スティーヴィー・ワンダー”とも呼ばれる)くんのバックコーラスでゴスペルを歌う、という企画に参加する機会を得た。
http://kishitakohshi.laff.jp/blog/ ←航志くんのオフィシャルブログです。
航志くんはとても小柄な21才の青年。手だって小学生みたいにちっちゃい。
でも、彼の奏でるピアノの音には、人の魂をグッと掴んで離さない、力強さと繊細さと悲しさと強さと絶望と希望が入り交じっている。
彼は今回、ここ東海岸のゴスペルの祭典に招待されて、鹿児島からやってきた。
ダニエル・イーソンは、とても才能豊かなゴスペルの指導者。彼が関わったゴスペルの合唱団は、のきなみコンテストで優勝している。
今回、航志くんが歌う曲は、ダニエルが作詞作曲をしたもので、詳しいことは知らないけれど、わたしはきっとこの曲は航志くんのために書かれたものだと思う。
航志くんの左横に座っているのはNAOちゃん。彼女もすごい。京都から来てる子で、何千人もの中から日本人として初めてソロ部門のファイナルに残った子。
彼女と航志くんの取材のために、読売テレビ関西から来ているカメラクルーさん達が端っこに写っています。
自分の歌うパートを家で練習していた時、Don't give up! という歌詞を、ちょっとなんかキャッチーだな、などと思っていた自分を恥じた。
航志くんは、わたしの想像も及ばないほどの数の辛い運命を受け止め、受け入れ、それらと共に折り合いをつけて生きていかなくてはならなかった。
苦しいこと、辛いこと、どうしようもないほどの怒りを感じること。
『僕にはいろんなことがあった。運命は時に、僕を絶望の淵に押しやった。でも僕はあきらめない。やけにならない』
彼のピアノの音に乗せて、その言葉がメロディに乗ってわたしの耳に流れ込んできた時、わたしは心の底から彼に詫びた。
そして心の底の底から感動して、なんとか彼のステージを盛り上げようと、そこに居るすべてのコーラスメンバーが胸に誓ったに違いない。
コーラスメンバー25人のうちの15人が日本から組、10人がニューヨーク組。全員揃っての練習はこの日が最初で最後。
リハーサルはどんどん熱気がこもり、歌っている間に打つ手拍子で手はこんなに真っ赤っか。これは師匠の手。左上の方に打ち身でできるような青あざが見える。
明日の最終選考を前に、ダニエルと航志くんとともに最後の調整をするNAOちゃん。
ビルの外に出ると、それはそれは爽やかな夏日だった。
A子はこの夏最後のレッスンを受けに、わたしと師匠は、A子のアパートの近くにある、めっちゃ美味しいパンやスウィーツを売っている店でお昼ご飯を食べることにした。
師匠は中近東の前菜三種と超美味しそうな5種類の違うパンのスライス、わたしはレンズ豆のスープとカレーチキンサラダ。どれもこれも、期待を裏切らない嬉しいお店だった。
A子のアパートに彼女より先に戻り、少し休憩。そこにA子が戻り、そしてイーストヴィレッジのスポーツバーにイングランド出身の友人とサッカー観戦をしにやってきている旦那が合流し、これまた近くにある、とんでもなく美味しいベトナム料理を食べに行った。
そして今日の二個目の大きなイベントである、ニューヨークジャズフェスティバルにゴ~!
ジャズにはちょいとうるさい旦那も、今日のメンバーはみな凄かったと言った。
彼が今夜のバンドマスター的存在のトランぺッター、Roy Hargrove。すごい存在感。けれども、演奏中以外は、なんだか雲の上をふわふわ歩いているような雰囲気がある。
彼女の歌ったチリのフォークソングが、ソウル・フラワー・ユニオンのある歌のメロディにそっくり?!
コンガのソロではじける!
このそうそうたるメンバーで、アンコールも入れてたっぷり聞かせてもらった。それで$15。VIVA!New York Jazz Festival!
コンサートが終わり、A子のアパートに寄り、泊まりの荷造りをする二人を待って、ニュージャージーへ。
途中、変な渋滞があって、回り道をすると、余計に迷ってしまった旦那。後部座席には、意識不明っぽく眠るA子と師匠。
明日はゴスペルの本番。うまくいくといいなあ。