ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

当たり前のことを当たり前にできる社会

2010年08月02日 | ひとりごと
今日は旦那もわたしも、ふたり揃って仕事がオフの月曜日です。
日曜日以外にこういう日があると、なんだかとても得した気分。個人的連休って秘密っぽくて楽しい。

朝から台所のテーブルでゆったりと、というか、かなりノロノロと過ごしていると、いきなり外から大きな声が聞こえてきました。
ちょっと普通ではない調子にドキリ。かなり頭にきている男性の怒鳴り声です。
方角としては、朝の散歩に出かけた旦那が見かけたという、同じ通りにある家の撮影現場辺り。
かなり大掛かりな撮影隊らしく、何台ものトラックと大勢のクルーでごった返しているそうです。

ブロガー(?)のわたしとしては取材をせずにいられないじゃないですか!カメラを手に外に出ました。
せっかくなので、鬱蒼と茂った葉っぱに隠れた我が家をパチリ!


そして、通りを少し上がっていった所にある、わたし達が好きな、ワイルドな煉瓦のお家もパチリ!


通りの半分ほどを、トラックやスタッフの車で塞がれていました。こりゃコマーシャルとかじゃなくて、ドラマか映画の撮影でしょう。


やっぱりもめ事はここであったようです。あっちこっちに人だかりができていて、みんなピリピリしています。トラックの中には食事担当、衣装担当、メイク担当のスタッフさん達がいて、みんなそれぞれヒソヒソ話をしながら外の様子を伺っています。とてもじゃないけど、呑気に取材させてもらえる雰囲気ではありませんでした。残念!
なのでこっそりと一枚。


連隊の最後尾辺りには、警察官と話す責任者らしい人がいました。多分、通りの誰かが通報したのだと思います。

一軒家のオーナーになってから、アメリカにも自治会のようなシステムがあること、二ヶ月に一度会議があることなどを知りました。
会議といっても、ワインやジュースを片手にチーズ&クラッカーや果物をつまみながらという、お隣さんパーティみたいな雰囲気ですが、話し合うことはもちろん真剣な事柄で、そこには必ず、その地域を支えている機関の責任者のような人がゲストに招かれています。
いくら自分達が個人で頑張っても、最終的にその場を解決できるのは、ある特殊な役職(例えば警察や◯◯相談所のような)の人なので、現場からの連絡が生かされるためにはまず、その連絡が無視されないこと、いい加減に取り扱われないことが大事だからです。
交通事情、子供の安全、地域の犯罪など、住民ひとりひとりの自覚とボランティア精神でもって、機関と密接に協力し合いながらいろんなことに向かっていこう、という姿勢がはっきりと見てとれます。

とても単純に、責任者である人と直接話し合い、お互いの立場を語り合い、何時間もかけてどこまでなら譲れるか、どこまでならあきらめがつくか、それを何時間もかけて大勢の人達で話し合います。
そして必ず、◯◯の問題はこの番号の誰々、△△の場合はこの番号の誰々、というところまではっきりさせるのです。
はっきりさせたからといって、すぐに解決につながるのかというと、そこまで簡単ではありません。時間がかかる物もありますが、少なくとも前に進んではいます。


今、日本の新聞では、ふたりの小さな子供の育児を放棄した若い母親のことでもちきりです。
ひとりの母親として、事件の内情を読めば読むほど、堪え様の無い怒りが腹の底の方からフツフツと沸き上がってきます。
あの時~していたら……。あの時~していれば……。
今になって、「~たら」「~れば」の言い方で後悔したり泣いたりしている人が多いようだけど、あの長い間、異様な叫び声や泣き声を聞いている人があれだけ大勢いて、どうしてなにもできなかったのか、それがどうしても理解できません。
そもそも、彼女の育児放棄は長女を生んだすぐ後から始まっていて、そういうことも含めて妻に嫌気が差した夫が離婚を要求した(これは記事を信じればですが)というのに、どうしてその夫とその家族は、そんな彼女に子供を渡したのか……。
結局、彼らをあんな惨い方法で殺したのは、母親だけではなく、父親、そしてその周りの家族みんなじゃないの?、とわたしは思っています。

もし、日本という社会が、システムを単純化させたり、個人の責任を徹底的に啓蒙することに時間がかかるというのなら、極端かもしれないけれど、飲酒運転の時のように、連帯責任という罰則を法律化した方がいいと思います。
まず、虐待の連絡を各町のどの番号にすればいいかを、町の自治体が責任を持ってすべての世帯に通達をする。
こちらではそれが単純に警察なので、911で済むのですが……。
その番号は、どの家においても、わかりやすい場所に掲示されなければならない。
そして、それにも関わらず、
子供の様子がおかしい。という声や物音を聞いているにも関わらずそれを連絡しなかった人、実際に虐待の行為を見ているのにそれを連絡しなかった人に、準虐待の罪がかかり、罰金を課す。

少し過激かもしれないけれど、役所や警察や機関に責任転嫁してる場合ではない世の中になってきているような気がしてならないのです。
今もどこかで、人知れず(いや、知っている人はいるのに)苦しんでいる子供達のためにも、なんとか早急に、前に進んで欲しいと思います。

『Nobody Knows(誰も知らない)』の映画のような子供達を、ひとりでも多く救うために!

コメント (6)
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