ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

イライラな夜

2010年08月12日 | 家族とわたし
たった4日といえど、家を離れるとなると、あれやこれやと気忙しい。

そこへもってきて、離れる前に一通り家の中を片付けたかったり、あれやこれやの細かい用事を済ませておきたかったりする性分なので、これまた難儀。

今朝は早くから普段洗濯しないものまで洗い、床を掃いたり拭いたり、植物に水をやり、猫のトイレの大掃除をし、あちこちの隙間埋めまでしてしまった。

そこに、6人の生徒が来て、レッスンもし、自分の練習もいつもより余分にした。(丸4日のブランクはかなり恐い。特に暗譜をし始めているので、今までの記憶が跡形も無く消えてしまいそうで残念!)

で、これでなんとか行けそうだと思いきや、A子から電話がかかってきて、「まうみ、カーネギーのプログラムの自己紹介とかの原稿、もう出した?」と聞かれ、
え……
思いっきり忘れてたではないか!というより、〆切のお知らせメールをちゃんと読んでなかった……最悪……

『今年は各自50単語でまとめてください。それを13日の金曜日(いや~な感じの日だ)〆切で送ってください』

焦りまくって書いた。英語なので、旦那に添削してもらわにゃいけんし、ただでさえ急に頼み事をしたら機嫌が悪くなるのに、こんな旅行の直前にゴチャゴチャ言うと、かなり高い確率で嫌がられそう。
しかも、A子だってきっと直接送れないだろうから、彼女の文章と、プログラムの曲の説明(これは136単語までオッケー)と歌詞の翻訳もまとめて、ドッカ~ンとお願いしなければならない。

ということで、案の定、時間がどんどん押してきて、とうとう旦那のお眠の時間が来てしまって、おまけにMacからは送られないということで、使い慣れない旦那のWindowsから送らなければならなくて、わたしは何度となく、パソコンの画面に向かって呪の言葉を吐いてしまった。嗚呼~!!

さてと、タオルも水着も着替えも詰めた。あとは本と虫除けクリームと、それと、ええとええと、グリーンカードとパスポート!
税関で、怪しまれずにスルスルッと通してもらえますように(←なんでこんなことを願わにゃいけんのだろうか、わたしは……)

それでは行ってきま~す!(まあ、今からは寝るんだけど……)
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しばし休刊

2010年08月12日 | ひとりごと
といっても、たったの4日間。
普段から「書き過ぎ!」とのご指摘をいただいているので、こういう間はもしかしたら、読んでくださっている皆さんにとっては良いのかもしれません。

明日の早朝から、カナダに行ってまいります。
滞在するのは、モントリオールのちょいと上の方の、湖の畔にあるサマーハウスです。
旦那の両親と、両親ともに共通の友人夫婦とが共有している家で、毎年夏になると、ふたつの家族がタイミングを計りながらその家で過ごします。

そこには電話もテレビもラジオも無く、ただただカナダの涼しい夏があるだけ。
湖の主の水鳥の鳴き声が、たまに遠くから聞こえてきますが、あとはほんとに静かな湖畔です。

湖の水温はかなり低くて、毎回わたしはひぇ~ひぇ~と言いながら足をつけるかあきらめるかのどちらか。
旦那は朝早く、まだ日も上がったばかりの冷えきっている時でも、走りながら服を脱ぎ、真っ裸で湖に飛び込みます。

でも今回ばかりはヌードは無理かも。A子も同行しますから。

これから着替えと細々とした物を詰め込み、本を数冊選びます。

散歩と泳ぎと昼寝と読書。それからご飯作り。土曜日と日曜日の二日間はゆったり流れる湖時間を堪能したいと思っています。

休憩時間も含めて8時間はかかるドライブ。なので行きの金曜日と帰りの月曜日はカウントに入れていません。
今回は旦那とわたしだけじゃなくて、A子というクッションがあるので、いつもの『ドライビングファイト』が少なくなるのを期待しつつ。
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大きくなり過ぎることの恐ろしさ

2010年08月12日 | ひとりごと
もう25年も経っただなんて信じられない。
けれども、次の年に生まれた息子がもう24才になるのだから、それだけの年月が経ったのは事実なんだ。

くり返し観続けたテレビのニュース。ワイドショーで紹介される遺書の数々。最後の30分の、死と直面した人々の思いや叫びが明らかになり、もし自分がその場に居合わせたらどうだったろうと、思いに沈み込んだ毎日。

いろんな本を読んだ。ノンフィクションも小説も。
そこにいつも、その現場の足場の厳しさが書かれていた。
何十年もかけて、日航の職員や専門家の手で整備され、格段に登山がしやすいようになったとはいえ、それでもまだ登るには相当の覚悟がいる。



でもそれはまた、そこで眠らざるを得ない運命を背負わされた520の魂を、ただの興味本位や遊びでやってくる人々を山が遠ざけてくれているように思える。

近くの小学生が、登山の時の助けにと、杖を用意してくれている。
杖の一本一本には、子供達からの励ましや、優しい言葉が刻まれている。



悲惨な事件や天災が起こった地域の周りには、そうやって命の儚さ、尊さを学び、自分を大切に思うように他人のことも大切に思える子供が育つ。
人が命をかけて教えてくれたことだもの、それを受け取る側は、足の裏をしっかりと地に着け、腹に力を入れて、がっしりと受け止めなきゃ。

けれども残念なことに、そうやって受け止めるのはたいてい、市井の市民で、大きくなり過ぎた国の政治家や軍の幹部や会社の役員は、わかったような顔をして頭を下げるだけで、その下げた頭の中ではもうすでに、どうやってこの損害を補えばいいか、カチャカチャと計算機を叩いている。

だからまた、あちらこちらで悲劇が起きて、その被害を被るのは政治家でもなく、軍の幹部でもなく、会社の役員でもない。

それがものすごく腹立たしい。



『慰霊の園』
 
日航機が墜落したのは、群馬県の上野村。
1985年8月12日の夕闇迫る長野県に近い山の中。
慰霊の園は8km彼方の事故現場である御巣鷹の尾根を拝する形で、村の中心地に設けられた。
合掌を形どった慰霊塔、その奥の納骨堂には、身元不明の遺骨が123の壷に納められている。
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