ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

種をまくということ

2010年08月31日 | 音楽とわたし
「まうみ~、ヘレンよ、久しぶり。うちの息子、ウィル、覚えてる?彼からSOSなの。助けてやってもらえないかしら?」
 
ウィルは2年前に完全にピアノをやめた男の子。うちに来始めた頃は、金髪のクリクリヘアも可愛い、ハンサムな小学生だった。
彼はもともと、来たり来なかったり、続けたり続けなかったり、なかなか決められない子で、けれども母親の強い望みに引っ張られて通っていた。
中学生になってとうとう、自我が表にはっきりと出たのか、母親がついに諦めて休憩を申し出てきた。

「まうみぃ~!どこに住んでるのぉ~!」

彼らはわたし達が以前住んでいたモントクレアの家に行ってしまったらしい。
そういやわたし、引っ越したこと話してなかった。慌てて家までの道順を説明した。

部屋に入ってきたウィルを見て仰天!
見上げんばかりの背ぃ高のっぽ君になっていた。
顔もすっかり大人顔。そしてクリクリヘアはチョンチョンに短く刈り揃えられていて精悍な雰囲気。もう立派な青年じゃん。

「かなり厳しいジャズバンドのピアノ担当を狙ってるんだ。オーディションを受けるのはボクとあとひとり。絶対に負けたくない」

ふむふむ。じゃ、オーディションで弾く曲を聞かせてもらおうじゃないの。

びっくりした!
なんて力強い音。正確で切れ味のいいリズム。ウィル君、成長したね~、わたしのレッスンやめてから……(ちょいと複雑だったりして……)

「まうみ、もういっぺん、オーディション前に来てもいい?」
「もっちろ~ん!」

階段を下りながら振り返り、「もしかしたら、あと一回だけじゃなくて、ちょくちょく来るかも」とにっこりするウィル。
よかよ~、いつでも来んしゃい、待っとるけんね~





昨夜、夕飯を作っている横で、かなり暇そうにしていたKとガールフレンドのRちゃんに、余っているクリームチーズを使ってなんかケーキを作ってとリクエストしたら、こんなのを作ってくれた。ホワイトチョコチップクッキー……なんでやねん……クリームチーズ、まるまる残ったままやし……美味しかったけどさ……。
コメント (10)
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かっこ悪いわたし

2010年08月31日 | 音楽とわたし
わたしの心の中で、カーネギーで演奏できるということの意味はとても大きくて、だからつい、本当はほんの小さな出来事が妙に大きな事件に膨れ上がる。

タイソンの引っ越しが急に決まり、彼と一緒にフランクのソナタが演奏できないとわかった時、
かわりの演奏者を探しても探しても見つからず、いよいよフランクは演奏できないとわかった時、

何日も、真夜中までかかって、ネイティヴからすると不可解なメールを送り続けた。かなり落ち込みながら。

ほとんど諦めていた時、A子が、会の規定からすると違反ギリギリの、留学中だから一応生徒として見なしてもいい、というわたしのごり押しに応えてくれて、一緒にやろうと言ってくれた。
居心地の悪さが否めないまま会員になってくれたA子と組んで、なんとかオーディションを受ける資格を得た。
A子が歌いたい歌、わたしが演奏したい曲、というよりも、会の方からのリクエストに応じた形で曲が決まった。
A子は、自分はゲストで、立場的にもズルいっちゃあズルいということで、会に要望に従いつつも、わたしの演奏のことも考えて曲を選んでくれた。

練習が始まり、わたしはとても勘違いで筋違いな練習を重ねていた。
合同リハーサルの4日前に、A子とH師匠に目を覚ましてもらい、ようやくまともな練習ができるようになった。
そしてリハーサルが終わり、会の役員からの講評をもらい、録音された演奏を聞いた。

ひとグループ10分以内、というのが厳然たるルール。
わたし達の演奏は11分強かかった。
前々から、曲を減らしてはどうかとわたし達に言いたかったのだろう。アルベルトから送られてくるプログラムの原案には必ず、我々の曲の4曲中、2曲しか書かれていなかった。
どうしても歌って欲しいと懇願された日本歌曲。そしてドヴォルザークの『ジプシーの歌』からまとまりのよい3つの曲。
その日本歌曲は残して、『ジプシーの歌』から1曲(最後の曲)を削って欲しいとメールが送られてきた。
その直後に送られてきた新しいプログラム案には、すでにその曲はカットされていた。
そしてそのプログラムに初めて、アンコール曲が2曲載っていて、そのために10分の時間を使うことがわかった。

我々の会のアンコールは、その日、決して安くはないチケット代を払い、会場まで足を運んでくださったすべてのお客さまに感謝の意を示す為のもの。
それは理解している。いいことだと思う。
けど、わたしもA子も、最後の曲をカットしてもいいか、他の曲の可能性はあるか、わたし達が話し合えていなかったので返事をしていなかった。
なのにすっかり変更されてしまっているのに怒りを覚え、下に目を移すと、のほほん顔のアンコール曲……憎たらしくて仕方がなかった。

当の演奏者からの返事も待たずに、さっさとカットされていたことに無性に腹が立ち、旦那の助けを借りてメールを書いたのだけど、立った腹はなかなか横になってくれない。昨日はとても寝苦しかった。
わたしからチケットを買ってくれた60人あまりの人達に、なんだか中途半端な構成(これは単にわたしがそう感じているだけなのかもしれない)の音楽を聞いてもらうのはなんとも哀しいではないか……などと、やっぱりグズグズ思ってしまう、なんともあきらめ下手な自分が情けない。

アルベルトから、メールでは意思がちゃんと伝わらないから、直接話そうと電話がかかってきた。
彼が心配してくれているのは充分わかっている。役員のひとりとして、彼の大変さを重々知っているので、こんなふうにごねたくないと思っている。
いい年してかっこわるいし、そこにはなんの進歩も発展も調和も幸福も無い。

だから、『ごめん、曲のカットは了解したけど、どんなふうな気持ちで了解したかをただ話したかっただけやねん』というメールを送った。

ふたたび、いや、三たび、いや、四たびか?の、かっちょ悪いおばさんなのであった……。



そんなおばさんの気持ちを、ゆるりんこ~としてくれる家猫。気ぃ使ってくれてるのか、ただのふて寝なのか、それは本ニャンしか知らない。






コメント (4)
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