ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

根性リス

2011年01月24日 | お家狂想曲
玄関横に置いてけぼりになっていた、ハロウィーンの飾りのミニトウモロコシ。


すっかり餌が無くなって(というか、雪の下に埋もれたままで)困っているリスくん達の中の一匹が、とうとうのとうとう、コレを見つけました。
気功から戻り、家の階段を上っていると、前の方から「カリカリ」という小さな音が聞こえてきて、なんだ?と思いながら音のする方を見てみると、わたしを見て必死で石のフリをするリス君発見!
あまりの恐怖からか、はたまた食い意地からか、まったく動こうとしないリス君。
あ~あ、カメラがあったらなあ~、このスーパーショット、惜しいなあ~と思いながら、そおっと玄関ドアに近づいていくと、
とうとう我慢できなくなったのか、リス君、ささっと端っこに移動。けれども、それでも庭や木の方に飛ぼうとはせず、じぃ~っとわたしの動きを観察しています。
はいはい、わかったわかった、家の中に入ったるさかい、食べたいだけ食べや。

それから数分後、旦那が仕事に出かけるので、ドライブウェイに停めてあった車の配置換えをしに外に出ると、ありゃりゃ?
さっきのリス君があんなとこに?!


慌ててカメラを取りに行き、ちょっとズームしてみると。


もう夢中で、雪原に穴を堀り、ほっぺに貯めたコーンの粒を、埋めては辺りを見回し、また埋めては見回し、忙しいったらありません。


ようそんな寒いとこでいられんなあ~とつぶやいたまさにその時、あ~サブッと言わんばかりに、横の木に飛び乗って日光浴。
でも、少なくとも10分以上はやってましたよ。
よっぽど嬉しかったんだろうけどね……。

明日からまた雪です。
リス君、あんた、場所覚えときや。
コメント (7)
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自己治癒について

2011年01月24日 | ひとりごと
またまた気功のクラスを受けてきた。

今日は人数が5人と少なく、それじゃ~とばかりに、エネルギーの入出の練習に焦点を当ててみましょう、ということになった。
苦手じゃ……。

丹田と命門に意識を集中させ、マリアムの真似をしながら、数種類の動きに合わせて、エネルギーを体の中に取り入れては外に出す、という作業(?)をする。
エネルギーを取り入れるのはどこからでもいいのだけど、基本的には手のひらの真ん中より少し指の付け根寄り、そして足の裏の土踏まずより少し指の付け根寄りのところがいいそうな……。
でも、本当のところは、体のどの部分からでもエネルギーは吸収できるし吐き出せる、のだそうで、そこのところがまだ、初心者のわたしにはよくわからない。
「今はまだわからなくてもいいよ。真似っこをして動いているうちにある日、あ、これか?と思える時が来るから」と、マリアムはいつも言ってくれるのだけど。

で、今日もその真似っこをしていたのですが、一通り終わった後、「イメージし易いように、音をつけてみましょう」とマリアムが言った。
「じゃあ、エネルギーを取り入れる時はこう言って。『ぇん~~~ぐっ』そして、出す時は『ぁ~~~』ね」

そして皆がその「へ~~~」と「は~~~」を言いながら動作を始めてから、わたしにとっての地獄が始まったのだった。
だって……マジで変なんやもん。ヘンって言う時。
何が変って、その屁、ちゃう、ヘを言う時、妙にアクセントをつけるし、その直後にンを~~~と伸ばす時は演歌歌手さんみたいに唸るし、最後にぐって付け加えるのもめちゃ変。
まさに変な動作しながら変な声で「変~~~っぐ」と言う、超真剣な大人達の図。これが笑わずにおられよかっ!
しかもわたしはマリアムの真正面、彼女とわたしを遮るものは何も無かったのであった。泣けた……マジで。
なので、この練習に関しては、まるで習得無し!
異様な顔(もう自分がどんなふうに苦しんでたか、想像もつきません)して小刻みに震えていたわたしを、マリアムはいったいなんと思ったのであろうか……。


それはさておき、今日の瞑想は、わたしにとってまさにタイムリーな課題だった。
自己治癒!
今学んでいるエネルギーについての想像を少し具体化し、それによって自分の体や心の中を、誰よりもよく感じ、よく見、よく考えられるようになるための練習。

まず、体のどこにも緊張が残らないよう、非常にリラックスした状態で座る。
そして、軽く目を閉じ、呼吸を無理の無い程度にゆったりとした速さに調整しながら、意識を丹田と命門の部分に集中させていく。
意識が丹田と命門にしっかりと定まったら、その丹田と命門の間に銀色の光をイメージする。
光がイメージできたら、今度はその光の玉が、丹田と命門の間をゆったりと、行ったり来たりするのをイメージする。
「その光から炎が発生します。その炎こそがあなたの作り出した、あなたの弱い部分、あるいは病んでいる部分を癒すエネルギーです。では、あなたのその治癒したい部分と、丹田と命門との間に、その炎が通れるぐらいのトンネルを作ってください。トンネルができたら、丹田と命門の間で漂っている炎を、あなたが問題だと思っている場所に向かって動かしてみましょう」

今回はもちろん、左手の小指、首の後ろの付け根の痛みを軽くしたいと願いながら、炎やトンネルをイメージしてみたのだが、さてさて、うまくいったのだろうか?自分ではあまりよくわからない。


クラスが終わってから、気功は特に、体中の関節に効くとマリアムが言っていたので、小指の問題を相談してみた。
マリアムは元ピアノ教師なので、わたしの問題をよく理解してくれると思った。
旦那は最近、小指の両側にある経絡(けいらく・エネルギーの流れる道筋)のうち、特にわたしが痛みを感じている内側の経絡が、心と強くつながっているので、「まうみはピアノの弾き過ぎだと信じているけれど、もしかしたらこれは、小さい頃から度重なった辛い経験によるものでもあるかもしれない」と言い出した。
なので、「お灸で局部を治療するのはいいけれど、もっと全体的に、総合的に、あらゆる角度からつながっていると思われるものを解決していかないと治らない」とも。
それをマリアムにも伝えると、彼女もやはり、「その部分にこだわるあまり、本当に癒されなければならないことが忘れられていることが多い」と言った。

命に関わるような、もしくは、我慢できる範囲を超えた痛みがあるような場合を除いて、鍼灸や気功の治癒に対する姿勢は、患部ではなく、その人全体の生い立ちや性格、生き癖などをじっくりと見て、全身からだんだんと患部に向かって焦点を合わせていく。
ここ数日は、ピアノを弾いてはお灸、また弾いてはお灸をして、なんとか痛みを堪えているのだけど、少し方法を変えてみた方がいいのかもしれない。
コメント (4)
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