ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

ビーツとまな板

2008年08月11日 | 家族とわたし
今日はLAに住んでいる、旦那の日本時代からの友人リーダが突如遊びに来てくれた。
一昨日だかのニューヨークタイムズの記事から仕入れたレシピで、旦那がビーツサラダを作ってくれた。
料理してると指先が真っ赤になるこの根野菜、ボルシチで出会い、好きになって、
旦那になんでもええからビーツ使た料理作ってぇ~とせがんでいる。
カブの上にはでっかい葉っぱ。茎の赤と緑がダイナミック。
旦那は、捨てるのなんかできんとばかりに、ニンニクとビネガー、それと醤油少々を足してジャンジャン炒める。これがまた美味。

いろんな新しいご馳走記事を読んでは、張り切ってチャレンジしてくれる旦那。
料理後の、あの凄まじいばかりの切りかすや、辺り一面に飛び散った油や汁、料理に使たすべての器具や道具に目をつぶれば、
わたしはなんて幸せな妻であることか

ビーツを切ったまな板は真っ赤になり、数日ぐらいかかってだんだん色が消えていく。

16年前の、旦那と暮らし始めた頃、うちのまな板は段ボールの切れ端だった。
安くてそこそこの借家を求めて、実に30近くの不動産屋に出向いたけど、
外国人の若者と、幼児だった息子2人を連れた女には、どこもまともな所を紹介してくれないばかりか、店の中に入れてもくれない不動産屋もいた。
でも、ここが最後と覚悟して入った、古くて狭い、かなり風変わりなおじさんがちまちまと商売してた店で、
資料にしたいからここに記入して、と渡された用紙に書き込んでいると、
「この字、よろしい、あんたを信用しましょ。外国人オッケー、ついてきなはれ」と言って、その昔置屋だった、袋小路の長屋を紹介してくれた。

狭いながらも楽しい我が家。
大型ゴミの日の前夜、せっせと近所を回って包丁をゲット。
まな板も捨てられてあったけど、どれもかなり年期が入っていて、さすがに拾えなかった。
当時の貧乏度はかなりのものだった。
わたしがティーンの頃も、父が保証人問題をこじらせて倒産したりして、半膳のご飯に塩やマヨネーズをかけて食べたりしたことがあったけど、
食べ盛りの息子2人にひもじい思いはさせまいと、近所の八百屋のおじさんに、その日の野菜クズをもらいに通った。
おじさんは、家に戻るまでの道中、格好悪いやろからと、段ボールに上手に詰めて渡してくれた。
その段ボールの1辺を切り取って、まな板代わりに使い、刃の痕だらけになると捨てた。
「洗わんでもええから洗剤と水まで節約できる。こういうのを一石二鳥っていうねんで」と嬉しそうに話す母を、
「いっせきにちょー、いっせきにちょー」と真似してニコニコ見上げてた幼い息子達あ~あ、ヤツらもあの頃は可愛かったなあ。

まな板をゴシゴシしながら、ふと思い出したこと

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ミツバチが消えた。

2008年08月10日 | ひとりごと
米農務省によれば、わたしたちが食べている食物(植物)の3分の1はミツバチによって受粉しているものだそうで、
そのミツバチが、このまま被害拡大が続き、壊滅状態に陥ってしまえば、
農産業に赤信号が点り、食料危機さえ招きかねないことになってしまう……なんて記事を読んだのは去年の3月。

アメリカの西海岸で60%、東海岸で70%のミツバチが、突然なんの予兆も無くいなくなってしまったり死んだりしました。

そんな記事を読んでも、まだフ~ンやった呑気なわたし。

近所の、我々の朝食用のパンを焼いてくれる職人ウィルが、実はハチミツおじさんもやっていて、
季節ごとに作ったハチミツを店頭に並べて売ってくれます。
地元の、その季節に作られたフレッシュなハチミツは、アレルギーの緩和にいいってんで、旦那とわたしと、それぞれに1瓶ずつ。
最初は1瓶を分けんこしてたのやけど、
ペロッと舐めたスプーンを突っ込む、アレルギーの症状がボクの方がキツいからとわたしの倍は食べる、
などなど、しょーもないことで朝からもめるもめる。
考えた末に(もっと他に考えることいっぱいあるっしょ!)、それぞれに1瓶ずつということに落ち着いたのでありました。
トーストにバターを塗って、Myハチミツをたら~り。小さな幸せ

ところが、春ハチミツがすぐに品切れになり、待つこと2ヶ月、夏ハチミツまでとうとうお目見え無し。

今日は夏ハチミツの発売開始。ハチの生態と抱えている問題なんかの話を聞きながら、しっかり2瓶買って帰りました。

写真もいっぱい撮ったけど、ここに載せる方法が分からへんのがトホホやわ~
ま、ピンぼけが多かったので、もうちょっと修行してからってことで。

あ、部屋のすぐ外で、スカンクがスプレーした模様
うちの周りのどこかに、スカンク一家の寝床があるようで、時々モワ~ッと漂ってくるのであります。
とうちゃんスカンク、かなりデカいです。
1度、旦那姉のワンちゃん(長毛の黒犬2匹)を預かってた時、思いっきりスプレーされてしもて、
慌ててスーパーに駆け込んでトマトジュースのデカ缶(徳用ペンキぐらいある)を5缶買い、
ワン仔達をトマト風呂にぶち込んでゴシゴシ洗たことありました。
濃厚なトマトジュースをぶっかけられたワンちゃん、そらイヤやったんやろけど、
思いっきりブルブル~ッて……
風呂場が殺人事件の現場と化し、ほんでもって旦那とわたしは、返り血を浴びた犯人……、
浴槽には、トマトのまだら柄もお洒落な黒犬が忙しく動き回り、
ヘトヘトに疲れてるのに、二人でヘラヘラ、弱々しく笑たのでした

ありゃ?マジなミツバチの話がなんでスカンクに……。

まあこれもモントクレアならではってことで。
今夜も冷やっこいです。日本でいうと、う~ん……秋本番っていう感じ。
でっかい扇風機で、東にブォ~ンと送れたらなあ。





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記事編集中に

2008年08月09日 | アホな小話
別の画面にジャンプすると記事の内容が失われます。ご注意ください。

赤字の注意書きがうらめしい……
もうこれで何回目?うっかりキーを押し間違えただけやのに、幻の迷作がもう何個消えたやら……学習せえよ~自分

昨日も2回やって、歯を食いしばりながら、何気ないふりして書き直したけど、今日はちょっと気分が萎えました、さすがに。

なので、今日の昼頃、旦那とわたしが偶然思い出したしょーもない話をちょいとご披露。

旦那の職業は鍼灸師。それに、日本滞在10年間に培った日本語力を生かして、こちらの高校生や小学生に日本語を教えている。
その日彼は、女子高生のジェリーを教えていた。彼女はモントクレア高校の3年生で、姉妹校の四国の女子高に1年間在籍して、大の日本びいきになった女の子。
レッスンのレベルも高く、漢字がとても好きな彼女のために、旦那は漢字カードを使って教えていた。
そのカードは、表側に漢字が1字書かれてあり、その漢字を使った物の名前が4つ載っていて、
裏側に読み方と意味がアルファベットで記載されている、なかなかの優れもの。

『玉』5 strokes(5画)
1.玉子 2.目玉 3.宝玉 そして、それはなんの予告も警告もなく、そこにさり気なく、格調高く書かれていた。
4.金玉
彼女のために声も高らかに読んでしもてから、旦那は愕然としたそうな。
え?え?え?今ボク、なに言いました?
彼女の可愛らしい声できっちり復唱されたその言葉を聞いて、さらに深みでうろたえる日本語教師……
きっとなにかの間違いやとばかりに、こっそり裏を覗いてみたら、
4. kintama gold ball, testicles と書かれてあって、さすがの旦那も観念したそうな。
またすぐにでも日本に行って、いろんな人と交流を持ちたいと、クルクル目玉をキラキラ輝かせて言う彼女に、旦那はこう言った。

今のは忘れてね。

あかんがな~!そう言われたら余計に覚えてしまう言葉の不思議。

ふとしたきっかけで思い出して、元気に言うてしまいませんように。

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オリンピック、始まりましたね。

2008年08月08日 | 世界とわたし
ほんのひと昔前、わたしはコンピューターが恐かった。
きっとこれから先も縁のないブツやろうと思っていた。
アメリカに引っ越して、日本語がどこにも無くて(当たり前やがな)、運んできた古本だけがわたしの『ちゃんとした日本』になってしまった。
「パソコンで日本の新聞読んだらええやん」
旦那のその一言が、今のわたしの生みの親になった。

朝7時半、旦那とわたしはキッチンテーブルに向かい合わせに座り、
6年前に2階の屋根から飛び降りるぐらいの覚悟で買ったMacBookと、信じ難い太っ腹の友人からもらったMacBook、
その2台でネットニュースを読みながら、朝のひとときを過ごす。

今朝は、フレンチトースト3枚を2人で半分っこした。最後のピースを口に運ぼうとした時、急に、わたしの脳裏に灰色の疑惑の雲が漂った。
あれ?わたしって1枚半食べたっけ?もしかして旦那の奴、ズルして2枚食べたんちゃうか?
食い物にまつわる疑惑だけには、ものすごく鋭い察知力を発揮する旦那は、即、
「そ、そんなめっそうもない、3枚目を半分に分けてあんたの皿に置いたで」と断言した。

まったく……10年前のあの日、パソコンの画面に惚けて、自分が何をどれだけ食べたか分からんようになるなんてこと、想像もしてなんだよなあ。

あ、でも、普段はこんなことしてませんです、はい。
差し障りの無い話なんかをしながら(旦那はプラクティカルな話を食事時にするのを断固拒否する)、ふつーに食べてます。

オリンピックの開会式。そのことが頭にあったので、今日はその記事を見つけるべく、画面に見入っていたのだ。

この国は、オリンピックであろうがワールドカップであろうが、テレビ局がそのために番組のメニューを変更したりしない。
なので、うっかりしてると、まるでなんにも無かったかのように日が過ぎて、なにもかもが終わってしもてる、なんてことが簡単に起こる。
わたしは別にスポーツファンでもないし、ニッポンチャチャチャ派でもないけれど、
人の何倍も頑張ってしっかり鍛え上げた体と心を持つ選手達が、その一瞬にすべてをかける姿を観るのは好き
どこの国の人も、みんなそれぞれに、これでいいのだと思える競技や演技ができますように。



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母の愛

2008年08月07日 | アホな小話
依然として交渉は中断したまんま。わたし達の弁護士は今頃どこかの島だか海だかで、優雅にバカンスしてるんやろなあ

昨日はちょっと感傷的になったわたし。ここらへんで気分を変えるためにも、ちょっと小話をひとつ。

上の息子は工科大の4回生。
ここから遠く離れた(休み無しで車をぶっ飛ばしても7時間半かかる)ヴァージニア州に暮らしている。
彼が3才の夏、睾丸袋の後ろ側が痒いと訴えてから丸10年、彼は傷だらけ血だらけになりながらアトピーの痒さに耐え続けた。
5才になって母親の駆け落ちに付き合い、幼児の扱いが苦手な若者アメリカン義父に気を遣い、
極貧からなかなか抜け出せない親のもと、いっぱい我慢しながら大きくなった。
13才でいきなりアメリカに連れて来られ、
現地人やのに教えてくれない義父と、移民やから無理!と堂々と居直ってる実母に見切りをつけ、独り学校で学んだ彼。
大学生になって3年間、家の経済を思ってか安い寮で暮らしてたけど、
最後の1年だけはアパートに住まわせてくれへんかなあと、初めてのお願いがあった。
「彼には辛抱させっ放しやったから、アパートはともかく、彼の5才の時からの夢やったフェアレディも貸してやりたい」
ええぇ~マジィびっくりしつつもちょっぴり嬉しいわたし。
フェアレディは旦那パパからのお下がり。今年で20才の大御所。
初めてアメリカに遊びに行ったクリスマスイブに、下の息子が川崎病を発病し緊急入院した時、
5才やった上の息子を元気づけようと、旦那パパが彼を助手席に乗せて、160キロでぶっ飛ばしてくれたそうな。
その時以来、いつかフェアレディを運転するのが息子の夢になった。
それを覚えていた旦那。そして、ずっと我慢させてきたと思てたのはわたしだけじゃなかった。
それがなんだか嬉しかった。

そんなこんなで、サマーコースを取るために早めに大学に戻る息子に付いて、
荷物運びの手伝いがてら、旦那とわたしがもう1台の車で一緒に行くことになった。
なにしろ息子は免許取りたて1週間のホヤホヤ、大御所は20才のお年寄り、
休みも入れて9時間のドライブに耐えられるかどうか……、
3人ともそれぞれのやり方で隠しはしてたけど、かなり緊張しながらの道中、
その伝説的小話は生まれた……。

大御所をかなりの時間続けて運転したわたし。
エアコンなんざとっくの昔にぶっ壊れてるその車内の気温104°F、摂氏に直すと40℃
熱中症手前でフラフラと、息子の運転するスバルの助手席に移った。
文明の利器エアコン、あ~いい気持ち
すっかり汗もひき、気分上々でデュランのCDを聞いてたら、
「しりかいて」
えっ……?しりかいてって……。
依然として前を向いたままの息子と、それを横目で盗み見するわたし。
わたしはその昔、トイレで用を済ませた息子のお尻を、かなり大きくなるまでいそいそと拭いてあげてた母親として有名だった。
「拭いてぇ~」と呼ぶ息子達のかわいい声が今も耳に残っている。
その様子を横で見ながら呆れてた旦那の耳にも残ってるらしい。
そういう過去があるだけに、21才になったとはいえ、「尻掻いて」と頼まれるのもしゃあないか……。
けどなあ、いくら産みの母ちゃんといえど、青年の尻を掻いてええのかどうか……。
まさかセクハラとか虐待とかにはならんべな……。
迷いは次から次へと怒濤の嵐のごとく押し寄せる。
でも、ちっちゃい頃から痒さで苦労してきたこの子の頼み、ええ~い、聞いたらいでかぁ~

それでもやっぱり薄ら恥ずかしい母は、前を向いたまま、16才の乙女のごとくそろ~りそろりと息子の尻とシートの間に手を差し込んだ。
あ、それはそうとどこら辺が痒いんやろ?
え~い、ここら辺でど~じゃ。
決死の思いで人差し指から小指までの4本をクイッと曲げた(ピアノ弾きは指力が強い)途端、
「おわっ!なにする、このド変態っ!」
ハンドルを握りながらも10センチは飛び上がった息子。
ド変態?!
びっくりしたのはわたし。呆然として固まってると、いきなり息子が爆笑し始めた。
ひぃひぃ泣き笑いしながら息子がふり絞るようにこう言った。
「アホか、CD替えてって言うたんやがな~」「へ?」

「またひとつ、伝説が生まれたな」……親思いの息子がボソリとつぶやいた。
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嗚呼モントクレア

2008年08月06日 | お家狂想曲
8年前の春、マンハッタンで初めてサラリーマンになる旦那と、初めて英語でピアノを教えることになりそうなわたし、
そしてティーンエイジ直前の不穏な息子達2人と2才の三毛猫は、ここモントクレアに引っ越してきた。

築170年のお屋敷の、堂々としながらもどこかチャーミングな風貌と、屋敷をぐるりと取り囲むように植えられた日本紅葉の老木に一目惚れ。
わたし達の呑気な店子生活が始まった。

美しい山並みという意味合いが込められたモントクレアは、その名の通り、緑豊かな美しい町。
教育と芸術にガンガン力を注ぎ、パトロールを強化して安全宣言を高らかにやり遂げ、
充実したレストランには、よそから大勢の人達が集まってくる。
そしてマンハッタンへのアクセスの良さ。調子がいい時だと、家の玄関からマンハッタンのど真ん中までものの20分もかからない。
直通電車やバスも充実している。

そんな町はどんどん評判を呼び、地価も物価も評判とともに上がり続け、お金持ちが寄り集まってきた。

わたしの生徒の親にもお金持ちの人が多く、家には家事専門、子守り専門のお手伝いさんが数人いて、
子供達は毎日複数の習い事やスポーツに通ってクタクタ、送り迎えをする母親もクタクタ、
なので出張レッスンをするわたしは、親同士の口コミで歓迎してもらえた。

屋敷の1階の住み心地は快適。2階に住む大家さん夫婦との関係もすこぶる良好。
日本での借家生活では大家に恵まれず、散々イヤな目に遭ってきただけに、親切で陽気な2人には感謝しっ放し。
向こうは向こうで『あんたらみたいな良い人達が店子になってくれて最高!』と、
昔遭った店子災難を百物語っぽく話してくれる。
彼らは、部屋付きの電気器具が故障したら、即修理を手配し代金を支払ってくれる。
ドアや窓の修理、ゴミ出し、落ち葉掃き(これが半端な量じゃないのだ)、雪掻き、みんな任せなはれ~とばかりにやってくれる。
旦那の失業&鍼灸学校期間の3年半の間、家賃の支払いは辛かったけど、
8年前に決められた額は据え置きのまま、1セントだって値上がりしていない。

ティーン時代を無事に終え、息子達は、ありがたくもクソ高い学費をふんだくる大学に在籍し、
旦那は3年間の修行と勉強を終え、鍼灸師として3年目を迎えた。
わたしも、時々生徒に英語を直してもらいながら、30人近い生徒を教える毎日。ピアニストとしてこの町でデビューも果たした。
それもこれも、店子であったからこそできたことやったと、家を買うことになって初めて分かった。

この町の家と税金は高い。ものすご~高い。
モントクレアはお金持ちが住み着ける町。
彼らは、毎年新車が1台買えるぐらい(2万ドル~3万ドル、それ以上も)の税金を、
ほんまは払いとうないけど払たるんやで~と、
渋滞でノロノロ運転が続いた挙げ句、しっかり高速料金を払わされるドライバーみたいに、眉間に少しシワ寄せながらも支払う。
彼らももちろん嬉しくないやろうけれどね。
でもそれは、わたし達にとっては、嬉しいとか嬉しくないとかいうレベルの問題じゃなくて、それでは生きていかれへんねんっ!という問題なのだ。

大好きな町モントクレア、
君は近くて遠い、愛すべき町


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家買うてまんねん!

2008年08月05日 | お家狂想曲
50才を過ぎて生まれて初めて、しかも唐突に、家買うてまんねん。

プロフィール写真の家が、1階だけを使わせてもろてる借家。築180年。家賃は少々高いけど、大満足で8年間過ごしてきた。
旦那とわたし、新米鍼灸師とベテランピアノ講師は、二人の大学生の息子を抱える親として、貯金どころの話やなかった。
カードの借金がやっとこさ5千ドルを切り、それをしみじみ祝てたとこに、お金持ちの旦那パパから突然のオファーがきた。
『まとまったお金を融通したるから、それを頭金にして、せっかくの今のこの情勢が変わらんうちに家を買うたらどうや?』
びっくりしつつもウッヒョ~とばかりに大興奮!さっそく家探しを始めたわたし。
けど、そこには哀しくも大きな誤解が!
融通してもらえるお金には高めの金利がつき、毎月それを旦那パパに支払わなあかんのだって……。
ってことは、貯金の無いわたし達は結局、旦那パパからのお金も含めて丸々借金するってことで(ただでもらえると誤解する方が甘い?)、
そこに、ここらへん特有のジョークのような固定資産税(年1万ドル以上なんて全然珍しくない)の月割りも加わると、あかん……払えん…… 。
かなり盛り上がった後だけに、ものすごぉ~落ち込んだし、もうこんな状態でやっぱり家なんか買わん方がええやんと拗ねたりもしたけど、
それでもやっぱり今の金利の安さは見逃さん方がええで、という意見が多くて、
自分で自分を励ましつつ、ピアノ弾き特有の集中力&根気で検索を続行。

5万ドル単位で家の内容がはっきり違てくる。
検索する家の値段を下げていくにつれ、まざまざと見せつけられた現実……。
わたし達にはいろいろと条件(ピアノの部屋、旦那の診察室、息子のゲーム部屋←夜中にオタクボーイがかなりの人数集まる)があるから余計に難しい。

わたし達が賄える価格の家は、コンディションが悪いか、近所がヤバいかのどちらかになってしもて、それにめげずに検索するのはかなりの根性が必要。
広い砂地でなくした指輪を探すみたいに、モニター画面の家の査定価格付き航空写真を睨み、住所と雰囲気を確かめ、車で実際にそこまで行ってみる。
あれって意外と時間と体力がいる。やってみて初めて分かった。

それで、ようやくやっとの思いで見つけたステートセール(遺産として受け継がれた家のセール)の家。
100年前に建てられたまんまの、古き良き時代のアメリカがいっぱい残ってる、アンティークそのものの家。
物件はオークションにかけられていて、わたし達の出した金額は最高額では無かったけれど、持ち家を持たずに買う初心者ってのが良かったのか、売ってくれることになった。
やっぱり古いままの家だけあって、インスペクターに調べてもろたら、出てきた出てきた、めっちゃぎょうさん問題が……。
アスベスト(地下室)の完全撤去、地下に埋もれてるオイルタンクと、地面にデンと横たわってるもう1つのオイルタンクの撤去と土壌の浄化、許容電力の大幅な変更、ボイラーのクリーニングにガレージの建て替えetc。
なんぼなんでも、そういうのって売り手側の仕事ちゃう?ってんで、こちらの弁護士がインスペクターからの書類をもとに、向こうの弁護士に交渉してるのやけど、さてさてどうなることでしょうか。
こんな交渉の真っ最中でも、双方の弁護士さん達、しっかりバカンスに出かけちゃうねんからスゴいわ。もちろんその間交渉は中断
いやはや、すべてがはっきりして、家買いましてん!と過去形で言えるのは、いったいいつになるのやら……。




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