ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

『広域処理差し止め戦略会議』in 大阪!ど~ん!

2013年01月15日 | 日本とわたし
◆ 1月17日 「広域処理差し止め戦略会議」in大阪 19:00~21:00 (開場18:30)

講 師: 青木泰氏 (環境ジャーナリスト)

挨 拶: 下地真樹氏 (住民監査請求原告代表・阪南大学準教授)

司 会: 小山潔氏 (差し止め裁判原告団長)

場 所: 難波学習センター 講堂
     大阪市浪速区湊町1丁目4番1号 OCATビル4階
     【TEL】06-6643-7010
     【地下鉄】御堂筋線・四つ橋線・千日前線「なんば」駅下車
     【JR】「JR難波」駅上
     【私鉄】近鉄・阪神「大阪難波」駅、南海「難波」駅
         
参加費: 500円  印鑑持参(請求人希望者)

中 継: IWJ大阪 / エンパワメントTV
    
※会議終了後に、住民監査請求人の受け付けをします。  
翌日に住民監査請求書を提出するため、大阪府・大阪市民の方は、印鑑をご持参ください。

≪ チラシ ≫ ⇐ 拡散をお願いします。


1月18日 監査請求書を大阪府・大阪市に提出 (午前中)
        
15:00より 記者会見 
         
場 所: 淀屋橋カルチャーセンター

出席者: 環境ジャーナリスト・青木泰氏 ・ 阪南大学准教授・下地真樹氏

中 継: IWJ大阪 / エンパワメントTV

≪プレスリリースpdf ≫ ⇐ メディアへの拡散(FAX)をお願いします。
≪プレスリリースword≫ ⇐ メディアへの拡散(メール)をお願いします。
※用紙右上の日時は、送付する日時を記入してください。
 
会場のキャパの都合で、最前列で喋る方以外は、会場への参加は申し訳ありませんが、ご遠慮して頂くこととなりました。
当日の模様は、IWJ大阪とエンパワメントTVが中継してくれますので、中継映像をご覧ください。

※プレスリリース拡散のお願い⇒http://savechildosaka.blog.fc2.com/blog-entry-17.html


↓上記にあるチラシの内容

広域処理差し止め戦略会議
~ 震災がれきの受け入れを阻止する方法 ~ in 難波

震災がれきの広域処理と自治体の責任
― 広域処理の妥当性と住民監査請求 ー

環境ジャーナリスト・青木泰さんを講師に迎え、2月から大阪で始まる震災がれきの受け入れを阻止すべく、戦略会議を開催します。
宮城県が、北九州への広域処理の打ち切りを決定したのは、 青木さんを中心とした、住民運動の成果だと思います。
大阪は、受け入れ前に断念させましょう!

監査請求書は、環境ジャーナリスト・青木泰氏が作成されます。

各省庁がこれまで、一般財源から予算確保をしてきた自衛隊機の購入や、原発売り込み予算、被災地外の税務署の耐震化などにまで、復興予算を流用していたことが、報道で明らかになっています。
がれきの全国広域化も、地元での処理による雇用と復興支援という、復興基本計画にもそむき、被災者の不幸にたかる悪質な政策です。

岩手県のがれきも、何度も大幅に減少され、県内処理で可能なレベルにきています。
しかしこの問、静岡県、埼玉県、秋田県で受け入れが始まり、大阪市や富山県に運ばれようとしています。

国の無駄遣いを批判する橋下徹大阪市長も、がれきの広域化になぜ大阪市が賛成なのか、釈明する必要があるのではないでしょうか。

私たちは、大阪府と大阪市が、必要性の判断や、広域化そのものの実態を把握せず、がれきの受け入れを進めることに対して、住民監査請求を行います。

原告代表・下地さんの挨拶にはじまり、青木さんの講演、そして質疑応答後に、賛同者には、監査請求書にサインと押印をいただきたいと思いますので、印鑑をお持ちください。


<講師・青木 泰さんのプロフィール>
和歌山県出身、東京都在住。
民間企業研究所に勤務しながら、長年、ごみ問題について住民運動に関わる。
早期退職後、ごみ処理に関する技術顧問として活躍するとともに、環境ジャーナリストとして一般誌、専門誌に執
筆。
3.11以降は、放射性廃棄物の危険性について雑誌・新聞・講演等で情報発信している。
著書に『空気と食べ物の放射能汚染―ナウシカの世界がやってくる』ほか (リサイクル文化社)


主 催:住民監査請求原告 代表 下地真樹
連絡先:震災復興プロジェクト・チーム大阪 (松下)
    090-9118-6998 1219nori@gmail.com
ブログ:http://savechildosaka.blog.fc2.com/


会場:難波学習センター
日時:1月17日 19:00 ~ 21:00

大阪市浪速区湊町1丁目4番1号 OCATビル4階
【TEL】06-6643-7010
【地下鉄】御堂筋線・四つ橋線・千日前線「なんば」駅下車
【JR】「JR難波」駅上
【私鉄】近鉄・阪神「大阪難波」駅、南海「難波」駅

【参加費】500円 印鑑持参(請求人希望者)
【中 継】 IWJ大阪 / エンパワメントTV
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「みなさんの考えとはたらきで、国が治まってゆくのです。これが民主主義というものです」

2013年01月15日 | 日本とわたし
死の直前まで、国民が本当の主権者になるためにはどないしたらええかを考え、絶え間なく襲いかかる激痛に耐え、他者への共感と行動力を失わんかった人、日隅一雄さん。
わたしは、生前の彼の声を、いろんな媒体を通して聞いた。
最後の方では、とうとう声が弱ってしもたりしてたけど、それでも彼の瞳には、強い意志が宿ってた。

生きててほしかった。
もっともっと、元気で長生きしてほしかった。

去年の夏に、図書新聞に掲載された、日隅氏をよく知る、梓澤和幸さんのお話。
これを読むとさらに、本当に惜しい人を失ったことを痛感させられるとともに、われわれが彼の意志を継がなあかんと、強く考えさせられる。

↓以下、転載はじめ

http://www.azusawa.jp/topics/topics-1028-hizumi.html
「ヤメ蚊」 よ永遠に──人間の可能性を信じ、
真の国民主権を求めた弁護士・ジャーナリスト日隅一雄

NPJ代表 梓澤和幸

図書新聞は、日本読書新聞とならんで、硬質の書評紙として知られています。
読書案内というにとどまらず、思想、哲学に関心のある読者に歓迎される、週刊新聞でもあります。
日隅一雄君のことは重視してくださり、生前インタビューも紹介してくださいました。
 
このたび、梓澤インタビューにより、 『国民が本当の主権者になるための5つの方法』 という、現代書館の本を紹介してくださいました。
梓澤和幸HPとNPJに、掲載させていただきます。
梓澤和幸

-------------------------------

去る6月12日に亡くなった、弁護士でジャーナリスト、日隅一雄さんの遺著 『国民が本当の主権者になるための5つの方法』 (現代書館)が刊行された。
3・11以後、政府・東電の数々の情報隠しを追及し、民主主義のための情報公開の促進と、真の国民主権の実現のために命を燃やした日隅氏の、 私たちへのラスト・メッセージである。
 
本書をめぐって、日隅氏とともに活動した弁護士で、インターネット市民メディア 「News for People in Japan」(NPJ) 代表の、梓澤和幸氏に話をうかがった。
(7月27日、東京・国分寺にて。聞き手・米田綱路 〔図書新聞編集〕)


◎自分たちのメディアを創る

―― 日隅さんと知り合われたきっかけは?

梓澤 日隅君は、産経新聞記者をつとめたあと、1998年に弁護士になり、 2001年に日本弁護士連合会の、人権と報道に関する委員会の委員になりました。
私も委員でしたから、そこで知り合いました。
同じ年、ともに報道被害救済弁護士ネットワーク(LAMVIC)を設立し、日隅君は中心メンバーとして活動しました。

―― 2008年にNPJが設立されたとき、梓澤さんが代表、日隅さんが編集長になられました。

梓澤 NPJを設立したのは、2004年に起きた、イラクでの日本人3人の人質事件の経験が大きかったんです。
あの事件をよく考えてみると、大事なのは、イラクで戦っている人たちが、日本人のことを、友人と思っていることだった。
いわば、日本の友人へのメッセージとして、人質を釈放し、3人が帰ってきたわけすね。
実際、人質だった1人からは、アメリカ軍がファルージャという町を取り囲んで、曳光弾を打ち込んだ話を聞きました。
アメリカ軍は、大量虐殺を行ったんですね。
3人が帰って来たとき、そのことに耳を傾けるべきであるのに、首相官邸の差配で一挙に世論が覆され、逆に、自己責任論が一夜にして沸き起こった。
マスメディアは3人に対して、とにかく記者会見をやれ、と要求した。
その記者会見は、責任追及の場みたいなものとして想定されたんです。
記者からは、人質だった女性を出すのか出さないのかはっきりしろ、と言われました。
私は、胸ぐらを掴まれたような感じがしました。
 
そこで私たちは、医師にお願いして、高遠さんはいま出られないと状況を説明して、記者たちを納得させ、羽田空港近くで会議場を借りて、記者会見を行った。
200人ぐらいの記者が集まりました。
 
その時、日本のマスメディアでは、真実というのは完全にひっくり返されるんだな、このままではだめだ、と思いました。
そして、自分たちが、自分のメディアを持たないとだめだと、彼らの救出運動の中心にいた弁護士たちが考えたんですね。
その中に私もいたし、日隅君もいた。
いま、NPJ事務局長の田場暁生君も、井堀哲君もいました。
 
自分たちのメディアを作るためにどうしたらいいのか、手がかりを得ようと、私たちは韓国へ行き、 「オーマイニュース」 や、その他の市民メディアを視察してきました。
そうして帰国後、2008年にNPJを設立しました。

―― 既存のマスメディアとは違う、インディペンデントな市民メディアを作られたわけですね。
日隅さんは早くから、マスメディアに対する問題意識を持っていたのでしょうか。

梓澤 そうですね。
彼がブログ 「情報流通促進計画」(ヤメ蚊ブログ)を立ち上げたのが、2005年3月です。
ネットで活発に発信する一方で、表現の自由をめざす人たちのネットワーク 「ComRights (コムライツ)」などでも活躍しました。
『マスコミはなぜ 「マスゴミ」 と呼ばれるようになったか』 (現代人文社刊)は2008年です。
 
2005年にはもう一つ、忘れられない事件がありました。
2005年に、NHK番組改編事件について、 自民党政治家による干渉があったと朝日新聞が報道し、
自民党やNHKの対応、朝日新聞のその後の報道姿勢などに、危機感を抱いた私たち弁護士が、 「報道・表現の危機を考える弁護士の会(LLFP)」 を創りました。
私も日隅くんも、この事件を取材した本田雅和・朝日新聞記者をよく知っていたので、朝日側の対応も変だ、おかしいと感じていた。
LLFPを創った動機には、そんな危機感がありました。


◎情報隠しを追及し続けたエネルギーの源とは

―― 日隅さんは、NHK番組改変事件や、沖縄密約情報公開事件などの訴訟で、代理人を務めましたが、
表現の自由と情報公開や、報道問題に取り組んだモチーフには、彼自身の記者経験があったのでしょうか。

梓澤 それはあったと思います。
ただ、日隅君は、自分のことを語らない。
ある弁護士に言わせれば、弁護士には珍しく、謙虚にして語らない人だ、と。
 
末期がんで、余命半年と宣告された後、亡くなるまでの約1年間に、もうマンションから飛び降りたいくらいだ、とブログに書いていたくらい疼痛が厳しい中で、 原稿を書き、死の直前に、何冊か本を仕上げていますね。
そのエネルギーや情熱の源はなんだったのか。
何が、彼のような人間を可能にしたのか
それは、人間論として、非常に大事なテーマだと私は思います。
その謎の根源を、ぜひ突き止めたいです。
 
何が、ある一人の人間をして、ここまで痛みや苦しみを乗り越える力を与えたのか、ということについては、
あまり簡単に答えを出さずに、 彼の生前のことばを集めながら、そして、幼いときの彼のことを聞きながら、考えてみたいですね。
なぜかというと、それは、私たちにとっても同じことであって、 自分の情熱が弱くなりそうなとき、私たちは何に力を得て、日隅君のような人に近づけるのか、というテーマがあるからです。

―― 「日隅君を送る」 というエッセイ(NPJ掲載)の中で梓澤さんは、 「日隅一雄の人生」 というような文章を書くために取材をしてみたい、と書かれています。
これはあくまで私の推測ですが、日隅さんが言論表現の自由を追求したモチーフの一つに、 1987年5月3日に起きた、朝日新聞阪神支局襲撃事件の経験があったのではないか。
事件前後に、日隅さんは、産経新聞の新人記者として、阪神支局に赴任した。
事件は、とても身近だったはずです。
亡くなる前、日隅さんに、そのことを訊いてみたのですが、明確な答えはありませんでした。
ですが私は、何かの因縁を感じています。

梓澤 確かに、衝撃的な事件でした。
小尻記者が搬送されるとき、〝くそ〟と自らを励ますようにうめいた、という記事を思い出します。
日隅さんにも、大きなインパクトを残したとは思いますが、そのことを聞いたことはありません。
一つ、日隅さんに驚かされたことがあって、自分が闘病中にもかかわらず、他の弁護士が心臓に問題を抱えているのを気遣って、 ○○さん大丈夫ですか、と言ったんです。
私は 「えっ」 と絶句しましたよ。
そして病身を抱えながら、福島のことを思い続けた。
福島原発事故の警戒区域の中で、いま、牧場主が、300頭の牛を飼っていて、全国からエサ代を集めて生かしているんです。
ところが、浪江町が、記者の取材目的の立ち入りに条件をつけた。
日隅君は、すぐに現地へ飛んで行って、記者会見までやっている。
亡くなる20日ぐらい前のことです。

 
そのぐらい他者を思う彼の思いや共感は、すごいですね。
痛みで、もう元気が無くなっても、それでも他者を思い続ける
その源が何なのかは、本当に不思議なところです。

―― 他者への共感や行動力は、本来、ジャーナリストの条件だったのはないでしょうか。
あえてジャーナリズムといわなくても、 社会と公共性を支える根底に必要なもの。
ところが、今日のマスメディアの現状を見ると、必須のはずの条件が、あまりにも欠如している。
だから日隅さんは、いのちを削って、実践で、その条件を示して見せた。
ここに一つ、彼のラスト・メッセージがあるように思います。

梓澤 東電の記者会見で、海に汚染水を放出する発表をした場面がありました。
責任者は誰だと追及しても、東電は言い逃れをする。
日隅君は追及し続け、ついに午前一時になった。
でも、記者は誰も立ち上がらず、パソコンの画面に目を落としているだけだった。

あれは象徴的な場面です。
あの時、日隅君はすごく傷ついたと思うし、まだ告知前だったけれども、病が進んだかもしれない。
いま思い出しても、あれはむごい場面だ。

―― 以前にインタビューした時も、日隅さんは 「この場面で、マスメディアが何も言わなかったというのは、非常にショックで、辛かった」 と言っていました。

梓澤 日隅君は、この本の中で、職業としてしかやってない新聞記者たちに対して、失望した瞬間でした、と書いています。
午前一時までに、原稿を書いて送らなくちゃいけないからと、ここで原稿を送るのと、真実を追及するのとは、どっちが優先的な価値かと。
これは、ものすごい告発ですよ。
 
上の階に、東電の幹部がいるわけだから、みんなが立ち上がって、早く責任者を出せ、出てこい、と追及しなければいけない。
だって、メガフロートとタンクを持ってくれば、汚染水の放出は止められたかもしれない。
なぜ、保安院も東電も、汚染水を垂れ流したのかも分からない。
世界中の海を汚しても、このまま通り過ぎることができると考えたのか。
だけども、記者は追及しきれなかった。
そして、汚染水を放出するという、取り返しのつかないことをしてしまった。
 
日隅君に訊いたら、メガフロートを次々と積み上げていくのは金がかかるから、汚染水を海に捨てたのではないか、と言っていました。
確かに金はかかるでしょう。
でも、金とひきかえに、漁業者の生活を破壊し、人々の健康をおかす、取り返しのつかない環境汚染を引き起こしてしまったんです。
ここで放出を止められなかったことに、忸怩たるものがあると、日隅君は書いています。


◎俺にしかやれない仕事がある

―― 『国民が本当の主権者になるための5つの方法』 には、日隅さんが亡くなる前に書いた 「大きな木の上の大きな目」 (日隅一雄・文/ふなびきかずこ・絵)が収められています。
これを読んだとき、まるで宮澤賢治の童話のようだ、と思いました。
ここには、ジャーナリズムの使命である、権力を監視し、市民の安全と平和を守る、というテーマがあるように思います。
そして、弁護士法第一条にもうたわれた、基本的人権の擁護と、社会正義の追求という使命を、 日隅さんが、どのように考えていたのかを窺わせるテーマがあるように思います。

梓澤 日隅君は、金銭に、不思議なぐらい頓着しない人でした。
人権問題に関わると同時に、企業の利益が関わる事件を、 私と日隅君が駆けつけて支援し、弁護団を組んで取り組んだことがありましたけれども、彼はついに、報酬を請求しなかった。
NPJに複数回、何十万円単位で、カンパをしたりもしました。
 
たしかに、金銭を惜しまない人はいるけれども、それは、一生懸命努力してそうするわけです。
でも、彼の場合、そういう抵抗感はない。
欲望が、スパッと離れていた。
 
名誉の点に対する欲望も、本当になかった。
ずっと事務局的な仕事をして、いわゆる、黒子であることが喜びだった。
 
偲ぶ会の時、私は弔辞で、少し婉曲して言ったのですが、専門家集団というのは、人間と人間の障壁がある。
法律家集団やジャーナリストは、エリート意識が強く、互いに競争意識があって、隣に並んでいる人間と、無条件に結びつかないきらいがある。
 
ところが、日隅君のこの半年、一年の行動を見ると、もうそういうこと言っていられないと、とにかく誰か、窮状にたつ人のところへ行って何かをしようと、 人間を結びつける役割をはたした。
それはすごいことで、彼が遺した大きな財産ですね。

―― ジャーナリストと弁護士は、職業的に違いますけれども、日隅さんはその両方であるという、稀有な人でした。
彼のなかで、弁護士とジャーナリストはどのようにつながり、重なり合っていたのかは、興味深い点です。

梓澤 それは、非常に大事なところですね。
ジャーナリストも弁護士も、職業的に、反対尋問的能力が非常に鍛えられます。
あいまいなことを言うと、ジャーナリストはすぐに切り返して、事実を確かめる。
弁護士もまた同じで、ジャーナリストの質問の仕方よりも、 もっとしつこく、徹底的に反対尋問をする。
 
だから、東京電力の記者会見では、おかしいと気づいた時、ジャーナリストと弁護士の反対尋問的能力が、両方発揮されたんだと思いますね。
マスメディアの職業ジャーナリストには、時間の制限があるけれども、日隅君にはそういうものはないし、気がついてしまった以上は、 徹底的にやらざるをえなかった。
 
私も何回か、記者会見場で質問しましたけれども、200人ぐらいの記者がいて、もう聞きたくない、次の話題というときに、 いや違う、と質問するのはすごく嫌なんですよ。
無言の圧力があるわけです。
事実を確かめてはいませんが、あるとき、罵声が飛んだともいわれています。
 
毎日来ている記者は、明日も来るから、そうそうガンガン追及できない。
それでも日隅君は立ち上がって、明らかにおかしいということを、追及し続けた。
 
きっと彼は、東京電力の記者会見で、俺がやらなきゃいけない、俺にしかやれない仕事がここにある、と自負したんでしょう。
だから、あれだけのことを成し遂げたんじゃないか。

―― 先ほどの、日隅さんのモチーフと関わりますが、梓澤さんはNPJのインタビューで、病苦をおして会見場に通った日隅さんに、なぜそこまでするのか、 と訊かれています。

梓澤 先にも言ったように、私が知りたいのは、彼のモチベーションは何によって作られているのか、ということでした。
これは、単なる友人関係では聞けないので、NPJという公を背負いながら、彼に迫ったわけです。
なかなかこの質問に答えてくれなかったんですが、彼はこう言いました。
 
「私一人でどうにかできたわけではないのですが、原発への関心が弱く、そのため福島の人たちを、こんな目に遭わせてしまった」
「福島の人たちの苦しみに比べれば、私のがんの痛みや苦しみなど、小さいものだと思っていますから……」

 
これを聞いた時は、深い衝撃を受けました。
なかなか言わなかったけど、食い下がって、ようやく引き出すことができた。
私たちの他には、誰も聞いていない言葉です。


◎国民主権を肉声化したラスト・メッセージ

―― 日隅さんは、私たちが真の主権者になるための五つの方法、を示して逝かれました。
梓澤さんも、この本のまえがきで、「主人公となる幸せ」 のために、最後の一晩まで生きた、と書かれています。

梓澤 日隅君のすごいところは、原発とメディアという論点を越えて、国民主権論へと、大きく一歩を進めたことです。
メディア問題だけに論点を絞ることはよくない、と彼は言っていた。
したがって、この本でも、五つの方法のなかにメディア論も出ているけれども、 選挙と行政の監視、教育、情報公開などのシステム論について、彼は書いています。
 
システム論で思い出したんですが、『検証 福島原発事故・記者会見――東電・政府は何を隠したのか』 (木野龍逸氏との共著、岩波書店、 2012年)を読んで、気づいたことがあります。
これも、日隅君の思想というか、ものの発想でおもしろいところなんです。
 
ノーマ・フィールドの 『小林多喜二――21世紀にどう読むか』(岩波書店、2009年)の中に、たとえば 『蟹工船』 の中で、小林多喜二は、 すごい拷問みたいなことをする親方にも役割を与えている、という叙述があるんです。
ただ糾弾するだけではなくて、役割を与えていると。
 
日隅君もそうで、原子力保安院の役人の中に、最初にメルトダウンを認めた人間が2人いて、そのあとに、西山英彦審議官が出てきたというふうに、 保安院の人間のことを、ちゃんと分析しているんです。
さらに注目すべきは、東電のスポークスマンである松本純一原子力・立地本部長代理、 いってみればカタキ役なんだけど、その人物についても一行書いている。
責任をもって情報を発言し続けた、というくだりが、記者会見の中にあるんですよ。
 
日隅君にあったのは、人間の可能性を信ずる性善説です。
その性善説に立ちながら、人間がヒューマンでなくなるのは、 そういうシステムがあるからだと考えた。
だからこそ、人間をひどくさせない、 一人の人間が非人間的になっても、社会が悪くならないシステムを考えておかなければならないと、五つの方法を問題提起したわけですね。
 
特に、その五つの中で感心するのは、選挙についての記述です。

―― 亡くなる2週間ほど前、日隅さん自身が、次の衆議院議員選挙に出馬したいと言ったと、海渡雄一弁護士が、本書のあとがきで書かれています。
市民が真の主権者となるために、選挙制度の改革や選挙運動の制限撤廃を、政治で行おうと、日隅さんは考えたようですね。

梓澤 戸別訪問の禁止が、どんなに選挙を歪めているか。
インターネット規制はどうだろうか。
立候補に必要な300万円の供託金制度を取っ払えばどうか。
すなわち、これらの制限は、新しい勢力がこの世の中に出て来ようとするときに、 それを阻むシステムになっているんです。
新しい勢力、若い人たちの台頭を確保できれば、すいぶん違ってくるということを、日隅君は言っていた。
 
そして、私が強調したいのは、日隅君が最後に、 『あたらしい憲法のはなし』 を、くりかえし引いていたことです。
戦後直後、中学一年生用の教科書に使われたものですが、これは、彼の肉声といってもいい言葉ですね。
 
この言葉がなぜ出てきたかというと、第二次世界大戦中に、アジアでたくさんの人たちが死に、日本でも、何百万人という人たちが死んだ。
そういう歴史がすぐ直前にあって、この言葉が可能になったと思うんです。
非常に格調が高く、浸透する言葉です。
自分のがんの痛みと、福島の原発震災のことがあって、戦後直後の 『あたらしい憲法のはなし』 の言葉が、彼の言葉になった。
肉声になったんです。
 
「いまのうちに、よく勉強して、国を治めることや、憲法のことなどを、よく知っておいてください。
もうすぐみなさんも、おにいさんやおねえさんといっしょに、国のことを、じぶんできめてゆくことができるのです。
みなさんの考えとはたらきで、国が治まってゆくのです。
みんながなかよく、じぶんで、じぶんの国のことをやってゆくくらい、たのしいことはありません。
これが、民主主義というものです」

 
読んでいると、涙が出てきますね。
日隅君が、肉声で言っているような気がして。

―― 梓澤さんが 「主人公となる幸せ」 と言われるのも、このことですね。

梓澤 ええ。現在の日本では、もう国内難民は起きているわけだし、この次、また原発事故が起きる可能性を否定できない。
そうなると、日本からの難民もありえます。
そういう惨憺たる国で、誰か偉いやつが、上から俺について来い、と言う。
あるいは、俺は逃げるからな、と言う。
そういう国ではなくて、みんなが苦しみもいいことも、分け合っていくような国にしていく。
そこに希望があるんじゃないか。
本気で、自分の希望というものを思想にしていなかったら、『あたらしい憲法のはなし』 の言葉を、肉声になどできないですよ。
 
日隅君は、それを肉声化しえたんじゃないかな。
そのことによって、彼は最後の一年間、福島の苦しみに自分の苦しみをなぞらえながら、 あれほどの活動をし、志を示すことができたのではないでしょうか。
 
↑以上、転載おわり
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「憲法改正と言って、また日本を戦争にひきずりこもうとしている。そんな彼らこそ非国民です!」

2013年01月15日 | 日本とわたし


解説
アフガニスタンの最前線、アルマジロ基地に派遣された若きデンマーク兵たちの7カ月に密着し、若者たちが体験する、恐ろしい戦争の現実を映し出していくドキュメンタリー。
2009年、アフガニスタン南部ヘルマンド州のアルマジロ基地に、デンマーク人の青年メス、ダニエル、ラスムス、キムらが派兵される。
アフガニスタン駐留の、国際治安支援部隊支援国として、デンマークは、イギリスとともに、最も危険なエリアを担当。
タリバンの拠点までわずか1キロという、死と隣り合わせの戦場で、若者たちは、数回の戦闘で、極度の興奮状態を経験し、敵味方の区別もつきにくい戦争中毒に陥っていく。
2010年・第62回カンヌ国際映画祭批評家週間グランプリ受賞。



戦争中毒……。
なんちゅう怖い言葉やろう。
しかも、この若者たちは、国際治安支援部隊という名目で、アルマジロ基地に行くことになった。
国際治安支援って、言葉上、ええ感じやんか。
全然戦争っぽくないやんか。
それやのになによ、この現実は?

日本に、平和を死守せよという憲法がある。
平和を追求し、平和を固持することは、戦争より大変なこと。
それよりもまず、わたしらは、戦争の正体を知らなさすぎる。
いや、わたしなんかより、今の政界を牛耳ってる人間に、知らなさすぎる人間が多すぎる。

美輪明宏さんが、憲法改悪についての思いを語ってくれてはったので、ここにその一部を転載させてもらいます。

↓以下、転載はじめ

「前略 
しかも、アメリカが作ったというのはありがたいことです。
アメリカは、自分達が作った憲法だから、日本に戦争をけしかけてくるわけにはいかない。
彼らは手も足も出せない、自縄自縛なのです。

それを知っているから、今、アメリカは、憲法9条を解きたくてしようがない。
幽霊が、『そこのお札はがしてくれー、はがしてくれー』という話と同じです。
憲法9条を変えようとしている政治家たちは、それに気がついていないのです。

9条を改悪する必要なんてありません。

ヨーロッパでは、政治家や評論家というものは、[中略] 落ち着いていて知性的。
勇気と胆力、やさしさと思いやりがある。
ところが、日本はまるで逆です。
今の政治家は、戦時中の軍人と同じです。
そういう連中が、憲法改正、改正と言って、また日本を戦争にひきずりこもうとしている。
彼らこそ非国民です。
鎖国の時代でもないのに、こんなに日本が、戦争にひきずりこまれることなくこられたのは、[中略] それは憲法に守られてきたからです。

中略
いいじゃありませんか。
自分の夫が、ボーイフレンドが、わが子が、孫が、家に帰ったら赤紙一枚で出征させられて、それは。死を約束されているわけですからね。
また戦時中と同じように、日本中が。老人と女子供だけになればいいんです。
自分の恋人を殺して、子供を殺して、孫を殺して、さぞかし満足でしょうよ。
みんな、全部。他人のことだと思っているから。平気でいられるのです。
与党や野党の一部を支持している人たちはみんな、男たちのいない世界を作りたいのね。
私がどれだけ悲劇を見てきたか…。

中略
みんな戦争の正体を知らなさすぎます」

↑以上、転載おわり
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親子でタイ!

2013年01月14日 | 家族とわたし
去年の暮れに、母が突然、今生の最後の旅行として、弟とわたしとの3人だけで、どこかあったかいとこに旅行に行きたいと言い出した。
去年の夏に、たったひとりでここに来て、ちょっと自信がついたらしい。
持病の膠原病や、メニエールからくるふらつきなどがずっと続いてたから、近所の店や病院に行くにも、必ず誰かの付き添いが必要やったのに、
いきなり行くと決めて、ほんまにひとりでやって来て、空港のゲートから出てきた母を見た時に、胸がじーんとしたことを覚えてる。

「もうこれが、最初で最後やから」と言う78才の母。

12年前、母は、生き別れたっきりの息子と35年ぶりに再会し、一緒に、ここアメリカにやって来た。
行き帰りの飛行機の中では、ほとんどしゃべらなんだと言うてたけど、わたしの運転でナイアガラの滝まで行って、泊まったホテルの部屋で写真撮ったら、
怪しい心霊写真みたいなんが撮れて、その心霊が、どう見ても父そっくりやったから、うわっ!ついて(憑いて)きよった!などと言うて大笑いした。
父と母は、別れる前の数年間は、それはそれは憎み合うて、毎晩喧嘩をしてた。
いつなんどき、最後の線を超えてしまうかもしれんと、びくびくしながら、弟とわたしは、廊下の隅っこで、彼らの詰り合う声を聞いてた。
そんなわけで、父は最後の最後まで、母に会いとうないと言い切って死んでしもたし、母もまた、父の死を悲しまなんだ。

父と母が、いよいよ離婚すると決めた時、わたしだけ居間に呼び出され、出て行く母についていくか、父と家に残るかを決めさせられた。
父には多分、勝算があったのやと思う。
わたしは当時、ピアノの英才教育を受けてた。
そもそもピアノは、やめるわけにはいかんもんやった。
7才の誕生日の前日、五つの習い事からピアノを選んだのは、それで成功して生計を立て、投資してくれた両親に返金するという約束が、それやと果たせると考えたからやった。
そやから、そんなわたしが、無一文で追い出されるであろう母について行くわけがない。
しかも、大の仲良しの弟は、姉から離れるわけがないことを知ってるわたしが、母の重荷になることを選ぶはずがない。
おまけに父は弱虫で、ひとりで残されたりした日にゃ、次の日まで生きてるかどうかも怪しかった。

そんなこんなで、わたしははっきりと、「父と家に残る」と答え、母は黙って頷いた。

わたしが選んだことで、結局弟には、えらい思いをさせてしもた。
もちろんわたしもえらい目に遭うたけど、弟のそれと比べると、まだマシやったと思う。
ふたりともに、ティーンエイジャーの6年間は、えげつないことがいっぱいふりかかった。
もしグレてても、行方不明になってても(わたしは実際に数年なったけど)、死んでても、誰も不思議に思わんかったやろ。

そんな時、一緒に暮らしてた父は、ほとんど家から逃げてたし、母は離ればなれに生きてたから、
自分らの娘と息子が、当時どんなふうに生きてたか、どちらもほとんど知らんままにいる。
どちらともなく、別にそうしようと言い合わせたわけでもなく、弟もわたしも、昔のことをひっぱり出してきて、恨みつらみを言う気も無い。

母と弟とわたしだけの、お局様に付き添う弥次喜多旅行。
行き先は、はじめ西海岸がハワイになり、ハワイからタイに行き着いた。
母は母で、いろいろと調べてくれるのはええのやけど、わたしが思てる旅行とどんどんかけ離れていく。
日本の旅行会社とこちらの旅行会社では、進め方も旅行の内容もかなり違う。
そのうち、日程にもあれこれ問題が出てきて頓挫に次ぐ頓挫。
冬時間の14時間時差も痛い。
ずれたまんま、気がつくと数日が経ってしもて、そのストレスというたらなかった。

楽しいことのためにやってるのに、なんじゃこの完璧なカオスは?!

母と弟は、名古屋から台湾経由でタイへ。
そのチケットを、こちら時間の夜中の0時から4時半までの三者スカイプで、文字通り四苦八苦しながら、ネット購入を完結した。
パソコン画面への情報打ち込みに何回も失敗して、疲れ果てた母が「もうこんなん無理や、やめよかな~」と言い出した時、すでに3時間が経過してた。
「そんな……こんな夜中に起きて、画面の前で付き合うてるわたしの3時間を返してくれ!」と、思わず言いそうになったりした。

とにかく、これでやっと、ふたりのタイミングに合う自分のチケットを買えると、意気込んで調べてみたら……あかん……あらへん。
これまた4時間半かかって、最安値というのをあきらめて、とりあえずまず日本まで飛び、そこからふたりと同じ飛行機に乗り、台湾経由でタイに行くことにした。
そやからその日は、というか、その三日間は、ニューヨークからシカゴ、シカゴから成田、成田から名古屋、名古屋から台湾、台湾からタイ、ということになる。
わたしは今月の26日の早朝にここを出発し、27日の晩にふたりと合流し、28日の早朝にタイに向かう。
そしてタイで9日間過ごし、2月6日に日本に戻り、7日の朝にこちらに戻る。
体力をつけとかなあかん。

タイでの日程は、友人の、アジア地域専門のエージェントさんにお願いした。

亡くなった父の最後の旅行もタイやった。
ただし、父は多分、それが最後の旅行になるやなんて、全く思てなかったと思う。
自分とおんなじような頭してる象さんの隣に立ち、その長~い鼻をつかんで笑てる父。
ちっちゃい子どもみたいな、ちょっと照れくさそうな、可愛らしい笑顔の66才の父。

またついてくるかなあ……。
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寂しくてやりきれない

2013年01月12日 | ひとりごと
まったく自分でも、中学生やないんやから、なに寂しがってるねん?と思う。
けど、けど、いきなりやってくるこの寂しさはなんやろう。
寂しいったら寂しい。
息をしても寂しい。
なんか見ても寂しい。
聞こえてくる音すべてが寂しい。

空気が寂しいから、だんだん息苦しくなってくる。
吸うたら吸うほど、肺の中が寂しなる。
肺が寂しなったら胸が苦しなる。
そんなふうに、すっかり寂しい繭の中に閉じこもって、体をよじっているところに、旦那とわたしの共通の友人がやって来た。

彼はアメリカ人で、日本人の女性と結婚し、娘がひとりいる。
いろいろ話してる間に、旅行の話になって、彼らの旅行予定を聞いたりした。

日本人の女性とアメリカ人の男性が結婚してるカップル。
そんな何組ものカップルを知ってる。
仲の良い友だちもいる。
みんなそれぞれに、ええ味出しながら暮らしてる。
事情も環境も年令も違う。

けど、その人たちに共通してることがある。
夏休みの、最低6週間、長くて2ヵ月は、子どもと一緒に日本に帰る。
それが当たり前という感覚。
それが当たり前にできる経済力。
そして、妻と子ども(子どもたち)が帰省してる間、こちらに残って働く会社員の夫。
旦那は必ず、ひとりで残ってる友人たちのことを心配して、一緒にどっかに行ったり飲みに誘ったりする。

息子たちがまだ中学生やった頃、自分には、何週間も日本に滞在できると思えんかった。
それだけの経済力もなかった。
夏には必ず減るレッスンやけど、それでもコツコツ教え続け、足らん分はバイトに行ったりした。
そうせんと、たちまち家賃が払えんようになった。
それになによりも、わたしには、気軽に帰れる実家というものが無い。
故郷というものが無い。
逢いたい人はおっても、甘えられるかというとそうでもない。
親が離婚したり、一家離散したりした子の行く末には、どうしようもない寂しさがつきまとう。
それを知ってて自分も離婚した。
そやから、息子らにも多分、大なり小なり、この種類の寂しさがつきまとう。

そんなことをうだうだ考えては寂しがってる日に、旦那の大学時代からの友人カップルからのお誘いで、プリンストン大学とペンシルバニア大学のバスケットチームの試合を観に行った。
行きの道中、車の中で黙ったまんまのわたしを、持て余してる旦那に申し訳なく思うのやけど、口から出てくるのはため息とあくびばっかり。
待ち合わせの時間ギリギリに、プリンストンにある彼らの家に着き、そこから彼らの車に乗っけてもらい、プリンストン大学へ。

友人カップルと旦那は、アイビー大学のひとつ、ペンシルバニア大学出身。
友人は、ベルギーで電話会社を設立し、そこで大成した後こちらに戻り、ここでもまた、巨大企業の長となった成功者。
プリンストンが故郷で、ふたりともに、親兄弟姉妹が近くに住んでいる。
絵に描いたようなハッピー家族やけれども、友人は数年前に、とても厄介な癌が耳の後ろにでき、そのために危うく命を奪われてしまうとこやった。
けれども、財力を惜しみなく使い、最高の医療を受け、右側の頬をえぐり取るという過酷な選択はあったものの、治療は成功した。

ふたりとも、ほんまにええ人たち。
そやけど、3人が一緒になるとやっぱり、懐かしい話でもちきりになる。
大学時代の話、幼馴染みの話、家族の話、その当時のアメリカの話……それらのことが、あって当たり前、覚えてて当たり前の人たち。
他事を考えてるわたしに気がついて、気を遣わせてしまうのがいや。
その瞬間に、空気の質が変わるのがいや。
そやから笑う。
いろんなことを話す。
わたしでも知ってるようなこと、知りたいと思うことを、できるだけ間をあけんようにしてしゃべる。


プリンストン大学の体育館。


中ではおなじみのグッズ販売。


プリンストン大学のチアガールさんたち。


オレンジがプリンストンカラー。試合はもう始まってた。


天井。


ベンチは古き良き時代の木製。


ベンチの後ろでは、室内陸上競技もできる。


一等席に陣取ってノリノリの、プリンストン大学マーチングバンド♪


学生の応援もノリノリ♪


チアガールズもノリノリ♪


それに比べて、二階の、それもえらい隅っこの暗がりに追いやられて演奏する、ペンシルバニア大学のマーチングバンド……ちょっとあからさま過ぎません?


ペンシルバニア大学のチアガールズさんも頑張る!


ペンシルバニア危うし!


作戦タイム!


ハーフタイムに、いきなり出てきたバーガーさん。スポンサーに、町のバーガー屋さんがいるらしい。


フリースローもあり、


最初のうちは、ちょいと固かった選手達も、だいぶ動きが出てきた。
みんな、近くで見たらデカイ。


ハーフタイムには、バンジージャンプがあるという情報があり、いったいどこからジャンプするんかいな?と訝ってたら、なんとチビッコたちによる縄跳びの演技披露。


これがまたすごかった。
日本では当たり前の縄跳びやけど、こちらの小学校では、縄跳びの練習など一切無し。
そやから、跳び方を知らんまんま大人になった人が多い。
だからこの子たちは、町の縄跳びクラブに入り、いろんな跳び方を習ってる。
ビデオに撮れんかったのがめちゃくちゃ残念!
なんでそんなことできるん?という、スーパー縄跳びが続出した。

試合は、残念ながら、ペンシルバニア大学の負け。会場は大いに盛り上がる。


お、ペンシルバニアも踏ん張ってる。


などと、写真を撮って気を紛らわしてるわたしを、心配そうにチラチラと観察する旦那。

かんにんね。
悪いなあと思てるのやけど、寂し病にかかったら、しばらくは放っといて。
これはわたしの心の問題やから。
気が済むだけ寂しがったら、ごめんなって言うから。
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「自分を護る」⇒「迷惑かける」⇒「だからできない」⇒「違う」⇒「自分を護れた人は未来の守り神」!

2013年01月12日 | 日本とわたし

東京・永田町で、毎週金曜夜に続けられている脱原発の抗議活動が11日夜、今年初めて行われ、約1万3千人(主催者発表)が集まった。
自民政権下での原発推進に懸念を抱く人々が、あらためて脱原発を訴えた=淡路久喜撮影

脱原発デモ 参加者増の兆し 自民政権に危機感
【東京新聞】2013年1月12日 朝刊

東京・永田町で、毎週金曜夜に続けられている脱原発の抗議活動が11日夜、今年初めて行われた。
主催者発表で、夏場は10万~20万人に上った「官邸前デモ」は、秋以降縮小したが、原発再稼働に積極的な自民党への政権交代を機に、再び人波が増えているという。 
 
主催する首都圏反原発連合によると、11月末~12月初めは最も参加者が少なく5千人ほど。
増加傾向に転じたことに、スタッフの戸原貴子さん(35)は「政権交代に危機感があるのでは」と推測する。
「全員が毎回来るのではなく、ライフスタイルにあわせて入れ代わりに参加する形になってきた。初めて来たという人もまだおり、これまで届いていない層を開拓する方法を考えたい」と話す。
 
8月以降、夫とともにほぼ毎回参加している東京都目黒区の渥美澄子さん(73)は、
「二人で来れば月数千円かかるし、日々の暮らしで精いっぱいの人は来られないでしょう。どんな思いで来ているのか、首相や議員に想像してほしい」と訴えた。
 
主催者発表で、この日の参加者は約1万3千人。
警察関係者は800人ほどとみている。



東京に在住してた友人一家が、先日こちらに戻ってきた。
自主的に、被ばくが心配で移住した、というのじゃない。
たまたま、こちらにある本社に栄転する、という事態に合わせての引っ越し。

けど、わたしは心からホッとした。
彼らには、まだ4才の息子がいる。
彼らだって、これから40代を迎えるばかりの、わたしからしたら若者で、子育てや仕事にまだまだ励まんとあかん。

昨日の日曜日、家族でうちに遊びに来てくれた。
水の話が出た。
彼らは、息子の飲み水を心配し、とんでもなく高価なフィルターを取り付けたのやそうな。
そのフィルターは、4つの、各々に優れた濾過高価のあるものを内蔵していて、どんなフィルターにもできない放射性物質が取りつきやすい粒子を除去するのやそうな。
それで、取り付け後に、フィルターで漉された水、普通の水を、ガイガーカウンターで測ってみたら、
フィルターの方はしーん……普通の方はピッピッピッとうるさく鳴り続けていたそうな。

そんな高価なフィルターをつける決心ができた人は、せめて飲み水だけでも、内部被ばくから逃れられる。
できひん人は、ピッピッピッの水を飲み続ける。
お風呂はどない?
ピッピッピッの水に数分、数十分、自分の肌をつけるの?
シャンプーしてリンスして、そのリンス剤は放射性物質を取り込みやすい性質があるから、リンスはやめるか、やっても即、しっかり洗い流さなあかんって前に聞いたことがあるのやけど、
頭皮って、がっちりしてるようでも脳に近い。
そやから、パーマや毛染めも、ほんまはめちゃくちゃ危険やと、これも前にどっかで聞いて、それから一切やらんと決めたわたしのような恐がりには、
この水のピッピッピッと、毎日朝から晩まで付き合うて暮らす勇気なんて全くわいてけえへん。

東京と、ひと言で言うことはできひんとは思う。
福島も宮城も茨城も栃木も岩手も群馬も千葉も埼玉も、いや、もっと他の県でも、汚染量の高低は地域によって違うし、雨風の動きや山や川からの戻りやなんかで、汚染は移動し続ける。
汚染があるとわかってて、そこに留まり続ける人たちには、それぞれに違う思いが存在してると思う。
避難に対する考え方も、人の数だけ違うのやろう。
人生がかかってるのやから当たり前やと思う。

避難という漢字があかん。
難を避ける。難から我が身を守る。これが我がままやという印象を持つ人が多過ぎる。
どこが我がままか。
どこが身勝手か。
自分のことも守れんような、無責任で、人任せで、弱ったらしい大人が多い国は、そら弱って当たり前で、先は知れてる。
自衛は一番の攻め手。
国なんて、少数の、極めて歪んだ思想を持つ、権力と金を自在に操れる人間らが操ってるただの幻想。
その国に存在する制度や憲法や法律によって、世界の他の国と比較すると、幸運やったり不運やったりする。
けどその運も、その人の考え方によって変わるのやから、なにが良くてなにが悪いのかも、誰もが納得するような回答はない。
たまたまその国の土の上に生まれたから、◯◯人として生きてはいるけど、なんで生きてるかっていうと、親や自分自身に守られてるから。
国のおかげなんかとちゃう。
それを、おかげやと思い込ませ、従うように洗脳し、従わんもんは非国民やというレッテルを貼るのがマスコミの仕事。
領土や権利や資源を奪い合うこと。他の誰よりも、どこよりも肥えること。
そんな意味のない、限りのない欲に駆られた人間らは、暴力ともいえる愚行のために、国という名刺を使う。
 
難を避け、我が身を守る。

東京の中にも、高い線量の地域がある。
そんなとこに人が住んでたらあかんと、すでに何十年も前に重大事故を起こした国の人間は警告を発してる。
過去に学ぶよりも、これまでの人生が続くことを選ぶ。
選んだ事情も理由も、生きてきた分だけてんこ盛りにある。
そやからわたしには、どの人にもお願いすることはできひん。
そやからわたしは、お願いやのうて、わたし自身の思いとして、日本の人たちのひとりでも多くが、誰のためでもない、自分のために闘う気持ちに目覚めて欲しいと思う。
もし自分の周りが危ないと知ってるのなら、まずはそこから脱出して、週に一回、デモにだけ参加しに行く。
デモに参加する余裕なんかなかったら、デモを応援する情報を流す。

どんなやり方でもええと思う。
自分を大切にできる人は、自分以外の人も大切にできる。
そんな大人が、日本にたくさん増えてくることを、毎日祈ってる。
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『核燃料サイクル』という、箸にも棒にもかからんもんにしがみつく亡者たち

2013年01月11日 | 日本とわたし
東アジア核のごみ 六ケ所村で再処理受託 政府、核燃の延命構想
http://www.tokyo-np.co.jp/article/kakushin/list/CK2013010602000090.html
【東京新聞】2013年1月6日

昨年末の発足後、脱原発路線の見直し発言が相次ぐ安倍晋三政権。
内閣や官邸の顔ぶれを見ても、原発維持派がずらりと並んだ。
最大の焦点は、日本の原子力政策の中核を占めた、核燃料サイクル事業の位置づけ。
福島の原発事故で、原子力施設の安全性が疑問視される中、韓国など、東アジアの原発から出る使用済み核燃料を、青森県六ケ所村の再処理施設で再処理することで、延命を図る構想が浮上している。(北島忠輔、谷悠己)


◆同盟を御旗に

「放棄する選択肢はない」。
茂木敏充経済産業相は、就任直後の会見で、使用済み核燃料からプルトニウムを取り出し再利用する、核燃サイクル政策についてこう述べ、事業継続に意欲を示した。

核燃サイクルは、「原発ゼロ」を揚げる民主党政権でも、継続する方針を示していた。
ところが、安倍政権の下でなら、ニュアンスは微妙に違ってくる。
キーワードは、「東アジアの安全保障」と「日米同盟の強化」だ。

実は、民主党政権時代の昨年5月、当時の細野豪志・原発事故担当相の私的諮問機関が、「核燃料サイクルの検証と改革」と題する報告書をまとめていた。
そこにはこう提言してある。

廃棄物処理の期待に応えることは、東アジアでのわが国の外交、安全保障、経済にまたがる国際戦略基盤の強化と核不拡散、原子力の平和利用の取り組みに貢献する

つまり、六ケ所村の再処理施設に、韓国やベトナムなど、アジアの原発保有国から使用済み核燃料を受け入れ、プルトニウムにして返還するという、「アジア再処理構想」だ。


◆16年に韓国満杯

核燃サイクルに投じた費用は、既に少なくとも3兆円
ところが、主要施設の高速増殖原型炉もんじゅ(福井県敦賀市)も、六ケ所の再処理施設も、トラブル続きで、計画から半世紀以上たっても実現していない。

「金食い虫」に加え、福島事故で安全性が疑問視されるなど、世論の風当たりは厳しい。
ところが、「東アジアの安全保障を名目にすれば、六ケ所の存在意義が出てくる」(民主党の閣僚経験者)。

報告書を取りまとめた元外務官僚の遠藤哲也氏も、
「核兵器の原料となるプルトニウムを持て余している日本が、サイクル政策を続けるには、国際的な意義付けが必要。安倍政権も、再処理施設の国際利用を検討すべきだ」と期待を寄せる。

その試金石になりそうなのが、来年期限切れを迎える、米韓原子力協定(1973年発効)の改定交渉だ。

23基の原発が稼働するお隣、韓国は、使用済み核燃料が、3年後の2016年までに、備蓄許容量の限界に達すると予測されている。
このため韓国側は、再処理施設やウラン濃縮工場の建設などを要求。
ところが、米国側は、北朝鮮を刺激することや、「国際的な核不拡散政策に影響を及ぼしかねない」として難色を示し、議論が平行線をたどり続けている。

そこで浮上するのが、核保有国以外で唯一、再処理妹施設を持つ日本への再処理委託
仮に米国が、朝鮮半島の安全保障を理由に、その実現を強く求めてくれば「日米同盟強化」を掲げる安倍政権にとって、難しい対応を迫られる可能性が出てくる。


◆官邸推進シフト

ただ、安倍首相を支える官邸の顔ぶれを見れば、推進姿勢は明らか。
首相秘書官には、原発などエネルギーを所管する経産省から、異例の2人が起用された。

柳瀬唯夫前審議官は、資源エネルギー庁原子力政策課長だった06年に、「原子力立国計画」を策定。
将来の原発比率を、40%以上に高める計画を取りまとめた。
もう1人の今井尚哉・前資源エネルギー庁次長は、海外への原発輸出を推進した。

原子力資料情報室の伴英幸共同代表は、「核燃サイクルは、自民と経産省が練り上げた事業。このタッグが復活したことで、事業は再び動きだすのは間違いない」と警戒している。



「不適切」批判も財務省反省なし 復興予算 目的外13億円
【東京新聞・政治】2013年1月9日 朝刊

2012年度予算などで、東日本大震災の復興予算として不適切だと批判された、被災地以外の税務署耐震化工事について、
財務省が、13年度の復興特別会計の概算要求にも、事業費を盛り込んでいることが、自民党の河野太郎衆院議員の指摘で明らかになった。
事業名は、「仙台港の大型エックス線検査装置の復旧等」なのに、税務署耐震化が含まれていた。
各府省庁の概算要求は、11日が締め切りだが、ほかにも不適切な事業が潜り込んでいる可能性がある。(城島建治、金杉貴雄、中根政人)
 
事業の総額は約25億円で、エックス線の復旧費は12億円だけ。
残る13億円は、大阪府と兵庫県内計2カ所の、税務署耐震化事業に3億2千万円、復興増税導入に伴う国税庁のシステム改修費に8億円、などを支出することになっている。
 
財務省が、7日の自民党財務金融部会に示した資料にも、「仙台港の大型エックス線検査装置の復旧」としか書かれてなく、
河野氏が内訳をただすと、「等」の中に、耐震化事業が含まれていることが判明した。
 
河野氏は部会で、「25億円のうち13億円は、復興に直接関係ない」と財務省に見直しを要求。
財務省側が明確な回答を避けたため、部会長の竹本直一衆院議員が、「きちんと説明できないなら、予算を見直すべきだ」と求めた。
 
河野氏は本紙の取材に、「13億円もの税金を、『等』という言葉で復興予算に入れるのを、認めることはできない」と財務省を批判。
財務省は本紙の取材に、概算要求締め切りの11日までに、見直しを含めて結論を出す、としている。
 
財務省は、「巨大地震に備える必要がある」との理由で、全国の税務署の耐震化工事費として、復興予算で、11年度第三次補正に約12億円、12年度に約5億6千万円を計上
民主党政権時代の昨年9月の13年度概算で、今回と全く同じ、「エックス線等」事業を要求した。
 
どの予算も、大半が、被災地以外の税務署が対象で、当時の与野党から、不適切との批判を受けた。
民主党政権は昨年11月、税務署の耐震化に、復興予算を使うことを認めない方針を決めていた



この2件の、東京新聞が報じてくれた記事。
何回読み直しても、どうにもこうにも納得できひん内容です。

いったい、核燃料サイクルってなんなんやろ。
そもそも、原子力政策ってなんなんやろ。
半世紀以上もの間、世界中の優れた科学者や学者が、よってたかって研究し続けてもあかんかって、
それで、とうの昔にあきらめたり、放り出したりしてる国がほとんどやというのに、なにが嬉して日本は、いつまでもしがみついてるのやろ。
いや、親方のアメリカに、しがみつかされてるのか?

ここにもういっぺん、今から1年半も前に書かれた記事を紹介させてもらいます。
核燃料サイクルというもんが、いかに無謀で、無意味で、続けたら続けるほどもっと事態は悪化するもんであるか、きっとわかってもらえると思います。


高速増殖炉 2兆円かけた「危険な超・粗大ごみ」の行方 2011.6.25
         
日本の原子力施設の中で、今までに脚光を浴びたものの一つに、高速増殖炉「もんじゅ」がある。

高速増殖炉とは、単純化していえば、消費した以上の燃料(プルトニウム)を生み出すことができる原子炉のこと。
かつては、「夢の原子炉」と期待されていた。
最近では昨年(2010年)、中国が臨界実験に成功したが、運転中の実証炉は、現在では皆無である。

高速増殖炉は、福島第1原発のような「軽水炉」ではない。
後者(福島第1)が、冷却材に軽水(普通の純水)を利用するのに対し、前者(もんじゅ)は、液体ナトリウムなどの溶融金属を利用する。

弱点は、この液体ナトリウムの制御が難しいことだ。
1995年12月、もんじゅは、ナトリウム漏洩火災事故が発生して、運転を休止。
その後、2011年春の発電を目指し、10年5月に運転を再開したものの、同8月には、炉内中継装置が原子炉容器内に落下するという事故を起こした。
落下した中継装置とは、燃料棒を交換するために必要なもので、中継装置がなければ発電できないだけでなく、運転を休止することもできない。
引き揚げ作業は、これまですべて失敗。
今後は、数十億の保全費と別に、装置回収に使う器具等の製造に伴い、さらに約17億円かかるという。
総額2兆円以上をつぎ込んだ「夢の原子炉」は、「危険な超・粗大ごみ」と化す可能性も出てきた。



*ちなみに、この引き揚げ作業は、6月の24日に行われ成功。
もちろん、莫大なお金がかかってる。記憶では、17億円以上。ほんまに虚しい。
ほんで、なにをトチ狂ったか、40%出力運転をしたいとか言い出して、それが実際に行われてしもたかどうかは不明。
もしかしたら、コソコソが得意な連中やから、やってしもてるのかもしれん……。


震災により制御不能に陥った原発のほかに、国内には、もっと危険な施設が存在する。
原発だけでなく、こうした他の原子力関連施設の再点検も、不可欠である。

http://president.jp.reuters.com/article/2011/04/25/24D55214-6CA6-11E0-A398-37F03E99CD51.php


高速増殖炉「もんじゅ」課長が自殺 トラブル復旧を担当、今月(2011年6月)中旬から不明

日本原子力研究開発機構の高速増殖炉「もんじゅ」(福井県敦賀市)で、昨年8月に、原子炉容器内に炉内中継装置が落下し、抜けなくなっている問題で、
復旧作業にあたっていた、燃料環境課の男性課長(57)が、自殺していたことが、22日分かった。

関係者によると、課長は今月14日、同市内の山中で、遺体となって発見された。
現場付近から遺書なども見つかったことから、自殺とみられるという。
今月中旬に行方不明になり、家族から福井県警敦賀署に、捜索願が出されていた。

燃料環境課は、燃料交換などを扱う部署。
40%出力試験に向けた、昨年夏の炉心確認試験前後から、トラブルが多発している。
関係者によると、同課は、国のヒアリングなどを受ける機会も多く、最も忙しい部署。
課長も、同部署の勤務が長かったという。

2011.2.22 11:26産経ニュース
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110222/crm11022211260009-n1.htm


日本原子力研究開発機構(JAEA)の高速増殖原型炉「もんじゅ」。
その燃料環境課長が死亡したのは今年2月中旬のことである。 57歳、自殺だった。

もんじゅは、日本の核燃料サイクル事業の要に位置する。
課長はその、「将来」のカギを握る、第一線の責任者だった。

1985年に着工、94年に稼働したもんじゅは、翌95年12月8日に、冷却材のナトリウム漏れ火災事故を起こして、運転を停止した。
昨年5月6日に、約14年半ぶりに運転を再開したが、わずか112日後の8月26日、再び大きなトラブルを引き起こし、運転を停止した。
燃料交換に使う重さ3.3トン、長さ12メートルもの「炉内中継装置」を、原子炉容器内に落下させてしまったのだ。
専用のクレーンで吊り上げる作業の最中の事故だった。
課長は、この復旧作業に悪戦苦闘していた。


■ 発表前日に家を出て...…。

自殺の原因については、「仕事に関係あるともないとも言えない」(JAEA敦賀本部広報担当者)、「公表していない」(福井県警捜査一課)。 だが、周辺に聞いてみると――。

「とてもまじめな人で、落下した装置を引き上げて回収する作業を、すべて任されていたそうです。
一方で、作業の進め方に疑問を持つ職員もいたようで、組織の中で板ばさみになっていて、苦悩していたそうです」(関係者)

復旧作業は困難を極めた。 
昨年10月13日には、6時間余りを費やして、クレーンでの引き上を試みたが、そのつど「荷重超過」の警報が鳴り響いた。 
警報の設定値を、100キロずつ増やして試みること24回。 
最後まで、引き上げることはできなかった。

もんじゅの原子炉にある冷却材は、水を使う通常の原発の軽水炉とちがって、不透明なナトリウム。 
おまけに、空気に触れると燃えてしまうため、内部を直接目で見ることができない。

このため、特殊な鏡を入れて確認したところ、落下した装置が衝撃で変形しており、炉を覆うふたの一部ごと引き上げなければならないことが判明した。

大変な作業である。 
今年2月14日、JAEAは、復旧作業に、17億5千万円の費用がかかると発表した。 
燃料霊境課長が、敦賀市内の山中で、遺体で発見されたのはまさにその日だった。 
新聞報道によると、前日の日曜日、家族に、「ちょっと出てくる」と伝えて、外出したまま戻らなかった。

「私は、高速増殖実験炉『常陽』の時から20年、核燃料サイクルの仕事をやっていますが、彼もずっと一緒でした。本当にまじめな人で、実に残念です」

同僚であり、長年の友人だったという、JAEA敦賀本部高速増殖炉研究開発センター副所長の小林孝良氏は、そう語る。

復旧作業全体をみている立場の小林副所長によると、事故の原因は、装置をぶら下げていたネジの緩み。 
本来はネジが緩まないよう、特殊な接着剤を使用しなければならないが、それを使っていなかった。

文部科学省の笹木竜三副大臣は、装置を設計した東芝に対して、損害賠償請求を検討する考えを明らかにしたが、それにしても、あまりに初歩的なミスだった。

最初のナトリウム漏れ事故の原因も、単純な設計ミスだった。 
長年もんじゅを観察し続けてきた、京都大学原子炉実験所元講師の小林圭二氏は、初歩的なミスが続くことに、危機感を持っている。 
本来のチェック機能が、働いていないことを意味するからだ。 
「今回の事故も、お金をかければ、落下した装置は抜けるかもしれないが、原子炉が傷ついていないかどうか、調べなければならないはずだ。 
炉の何かに当たっていないかどうか、目で見て確認しないといけない」

しかし、JAEAは、計算上安全は保たれているとして、目視による確認はしない方針だ。 
目視には、いったんナトリウムを抜くという、さらに大変な作業が必要になるからだ。 
基本的な作業を省く裏には、もんじゅ事業が、いよいよ追い詰められてきた「焦り」がある、と小林氏は見る。

政権交代後、もんじゅは、2年連続で、行政刷新会議の事業仕分けのまな板に載せられてきた。 
2009年11月の仕分けでは、財務省の説明者から、
「14年間運転停止しており、何らの研究成果が上がっていないにもかかわらず、毎年莫大な経費を要している」という、酷評に近い紹介のされかたをした。 
09年までに、9千億円の国費が投入され、停止中の維持管理費だけでも、「一日当たり、5500万円の税金が投入されている」と指摘された。

それでも何とか事業の継続は認められ、14年半ぶりの運転再開にこぎつけたが、その直後の落下事故。


■ 似ても似つかぬものに

高速増殖炉という新型原発の開発は、臨界実験装置から始まり、5段階を踏んで、最終的な商業炉にいたる。 
もんじゅは、3段階目の原型炉で、発電できる試験用プラントだ。 
しかし、建設費だけで5900億円もかかっており、とても商業炉のモデルとは言えない。

このため、現在経済産業省で進んでいる、原型炉の次の実証炉(低出力だが商用炉と同じ構造)の設計は、
「配管や蒸気発生器の構造など、もんじゅとは似ても似つかないものになっている」(小林氏)。 
とすれば、実証炉に結びつかないもんじゅになぜ、一日5500万円もの税金を、投入しなければならないのか、というわけだ。

もんじゅを所管する文科省は、「運転経験」と、「革新的技術の実証」の2点を挙げている。 
だが本音のところは、もんじゅがストップすれば、高速増殖炉を最終ゴールとする、核燃料サイクル事業全体が止まってしまう、という危機感だ。

使用済みのウラン燃料からプルトニウムを増殖し、それを使って、消費した燃料以上の燃料を生み出す高速増殖炉。 
運転すればするほどエネルギー源を増やせる、というこの核燃料サイクルは、「夢のエネルギー」と呼ばれてきた。 
しかし、技術的なむずかしさから、米、英、独、仏と、次々に撤退していった。 
日本でも、実用化目標が次々に延期され、現在は、2050年という、はるか先が目標年次になっている。

仕分け人の民主党議員に、改めて聞いてみても、50年にはだれも生きていない。 
電力会社も本気ではない。 
「そんな事業に、予算をつけていいのか」(玉木雄一郎衆院議員)、
「もう、もんじゅは要らないでしょう」(福島伸享衆院議員)と、散々の評価だ。


■核燃料サイクル凍結不可避

おまけに、高速増殖炉と並んで、核燃料サイクル事業の柱の施設である、青森県六ケ所村の再処理工場が、うまくいっていない。 
「もんじゅはやめた方がいい。実証炉も無理でしょう。再処理も含めて、核燃料サイクル事業は、凍結の議論になると思う」(網屋信介衆院議員)というように、核燃料サイクル事業は、いまや中止の瀬戸際にある。

そして、福島第一原子力発電所の、破局的な事故を迎えてしまった。 
事故処理、賠償に、いくらかかるか見当もつかない。
原子力関係に、これ以上、余分な財源を使うわけにはいかない。

東京電力をはじめとする電力会社は、実は、再処理や最終処分事業のために、積立金を持っている。 
その額は、合計3兆円を超える。 
核燃料サイクル事業をやめれば、この「電力埋蔵金」を、事故処理費用の足しにすることができる。 
政治的なターゲットになるのは、当然の成り行きだ。

核燃料サイクル事業の凍結は、日本の原子力推進体制に、相当のブレーキをかけることになる。

福島第一原発で危機を迎えた、3、4号機の使用済み核燃料プールをはじめ、全国どこの原発も例外なく、使用済み核燃料プールを抱えている。 
電気事業連合会によれば、昨年(2010年)9月末現在で、その量は、全国の原発合計で1万3530トン。 
管理可能な容量の、すでに66%に達している。

核燃料サイクル事業が凍結されれば、六ケ所村の再処理工場がなくなり、これらの使用済み核燃料は行き場を失う。 
再処理のためのエネルギー源ではなく、ただの危険なゴミと化すわけだ。 
日本は、使用済み核燃料について、その処分方針をきちんと検討してこなかった。 
再処理工場がなくなり、たまる一方の危険な核のゴミ。 
プールはやがて満杯になり、原発を動かすことが不可能になる。


■ 核武装論も牽制

通常の原子炉で、MOX燃料(プルトニウム・ウラン混合燃料)を使うプルサーマルは、高速増殖炉実用化までのつなぎに過ぎない。 
そのプルサーマル発電の一つ、福島第一の3号機も、いまや廃炉となる運命だ。

核燃料サイクルの凍結によって、もうひとつ牽制されるものがある。 
核武装の論議である。

インドが74年に、核実験に成功したのは、原子炉で取り出したプルトニウムからだった。 
現在、核兵器の保有国以外で、プルトニウムを取り出せる再処理施設を持っているのは、日本だけだ。

「1969年9月25日」の日付がある「わが国の外交政策大綱」という文書がある。 
94年8月に明らかになった、外務省の外交政策企画委員会の極秘文書だ。 
そこにはこう書かれている。

当面、核兵器は保有しない政策をとるが、核兵器製造の経済的・技術的ポテンシャルは、常に保持するとともに、これに対する撃肘をうけないよう配慮する

「核兵器製造の経済的・技術的ポテンシャル」というのは、核兵器用の純度の高いプルトニウムが抽出できる、再処理工場のことだ。 
日本の核武装については、日本政府は、岸信介内閣以来、憲法9条に違反しないという解釈を取っている。 
ただ、米国が容認しないだけだ。

核燃料サイクル事業の凍結や電力の自由化は、実は1998年と2004年の2回、経産省(通産省)や電力会社内部で、動き始めたことがあった。
その動きの中心には双方ともに、くしくも、現在の東電会長冶勝俣恒久氏がいた
。 
規制された「国策企業」から、「自由企業」への願望があったと見られる。

しかし、いずれも、東電や経産省内部の、「原子力村」の反撃にあって、失敗に終わった。 
未曽有の危機を迎えた現在、勝俣氏にとっては皮肉なことだが、核燃料サイクル事業は、いよいよ本当の終焉を迎えそうである。

その過程で、自ら命を絶ったもんじゅの一課長。 
ひっそりと枯れつつあった献花とおぼしき花束は、終罵を迎えつつある巨大国家事金木に、最後の別れを告げているようにも見えた。


↑以上転載おわり


高速増殖炉は、普通の原発とちゃうで。
万が一なんかあって、燃料が溶融したり、冷却材ナトリウムが沸騰したりしてしもたら……もう言うまでもないやんな。
核爆弾を、福井・敦賀に置いてあるようなもんや。
現在のもんじゅは運転してへんはずやから、崩壊熱は極めて小さいまま。
けど、連中が企んでるように、40%であっても出力運転を始めてしもたらもう、崩壊熱は一気に上がってまう。
その状態でもし、過酷事故に遭遇、なんてことになったら、実証もなんもされてない方法で冷やさなあかんことになり……ということは……、

もう今度こそ、日本は終ってまう。

今生きてる人も、これから長いこと生きる人も、そんな、いつ爆発するかわからん核爆弾を心のどっかに抱えたまんま、暮らしとうないやん。
やめさせような。
みんなで気持ちを合わせてやめさせような。
1日5500万円の税金の浪費。
このアホらしさぐらい、怒ってもええんちゃうのん。
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珍しいお客さん♪

2013年01月10日 | ひとりごと
2階のトイレから、「うわっ!えぇ~っ!いやほんま!ちょっとちょっと!まじかっ!」みたいな感じの英語を連発する旦那。
その時わたしは、1階のトイレで、静かに、1日の一番大事な局面を迎えてた。
騒がしいなあ~もう~、精神統一ができひんやん……出てくるもんも出てけえへんやん……。

ドタドタと降りてきて、犬かキツネか、とか言いながら、カメラをむんずと掴み、台所の裏庭側の窓に突進する旦那。

ぎょへ~!!


このとんがり具合はまさしく!!


こっち向いてニヤリ……ニヒルや……。


どうでもええけど、なんやあのふたり、うっとうしいなあ……みたいな感じで、顔をそむけられてしもた。


この高貴さはなんや……。


めちゃくちゃリラックス中……。


尻尾がもうふさふさで、先っちょが真っ白で、うつくしかぁ~!!



いやもう、うちの裏庭っちゅうたら、野生の鳥やら小動物が、思いっきりくつろぎに来る。
なんでそこまでくつろげるん?っちゅうほど、ゆっくりぼんやり、空を見上げたり雑草に埋もれたり。
まあ、家主がまったく世話せえへんから、自然そのまんま。野生風味満点!
自慢にもなんにもならへんのやけど……。

さて、キツネといえばお稲荷さん♪

旦那もわたしも、お人さんが集まってきてくれな始まらへん稼業。

こぎつねゴンちゃんは、商売繁盛を招いてくれるんやろか。

また遊びに来てや。
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「瓦礫は、失われた街の肖像であり、家族の形見であり、死者たちの生きた証しでもある」

2013年01月10日 | 日本とわたし
東京新聞・中日新聞特別報道部記者の佐藤圭が、大阪市のがれき試験焼却問題について、ものすごくわかりやすくまとめてくれてはりました。

それを、昨年の12月2日、朝の10時半から12時半の、2時間を費やして、13回のツィートでつぶやいてはるのを、ここにまとめて載せさせてもらいます。

↓以下、転載はじめ

12月2日付の東京新聞特報面に、大阪市の震災がれき試験焼却の記事を書きました。
見出しは、
「がれき焼却見切り発車 橋下大阪市長が衆院選で多忙の中 反対派『本格受け入れ 絶対阻止』」

記事のリードは、
「大阪市が11月29、30両日、東日本大震災で発生した岩手県のがれきを試験焼却した。
日本維新の会代表代行の橋下徹大阪市長が、衆院選の応援で東奔西走する中、市議会や市民団体の反対論を押し切った格好だ」

大阪市のがれき問題で特徴的なのは、市議会に、反対・慎重論が多いことです。
推進派は、橋下市長率いる大阪維新の会だが、維新だけでは過半数に届かない。
公明は中立的ですが、維新と一緒に市長与党を形成、過半数を確保している。
自民、共産、民主は反対・慎重です。

がれき受け入れ関連予算を盛り込んだ補正予算は、維新、公明の賛成多数で可決、成立した。
公明は、反対市民向けに、「安全性が確認されるまでは、試験焼却及び本格受け入れは行わない」との付帯決議を付けた。
自民などは、今回の試験焼却は、付帯決議に反すると批判的です。

橋下市長が衆院選で大忙しの中、がれきの試験焼却が断行されたことも特徴的
11月16日に衆院が解散されると、会期を繰り上げて、11月20日に閉会した。
記事では触れる余裕がなかったが、自民は、市の責任を明確化する条例案を提出したが、棚上げになった

行政側が、反対運動を力ずくでねじ伏せようとするのは、どこも一緒ですね。
大阪市でも、市民説明会会場で、建造物侵入などの疑いで、4人が現行犯逮捕されている。
「ごみ焼却工場の近くに立っているだけで、逮捕されかねない」との声も聞いた。

市民団体は、ルールを守って、自制的に行動しているようですが、少しでも隙を見せれば、行政は一転突破で攻めてくる。
行政や一部マスコミは、がれきに反対している住民は、「一部の過激派」との印象操作をしたがります。

そもそも、広域処理の必要性がなくなっている
大阪市が受け入れを決定した6月の時点で、当初想定した401万トンから、4割減の247万トンに激減。
現在は、さらに減って136万トン。
これは、震災前の宮城、岩手両県の年間ごみ量よりも、若干少ない程度です。

国は当初、岩手は通常の11年分、宮城は19年分の震災がれき全部を、広域処理しなければならないかのような説明をしていた。
それが、現在は1年分に満たない136万トン。
放射能の問題を持ち出すまでもなく、必要性、経済性の観点から、広域処理が「失敗」なのは明らか

大阪市のスケジュール通りに進めば、来年2月には、本格焼却に入る。
2014年3月までに、3万6千トンを処理する計画だ。
放射性物質の問題にとどまらず、アスベストなどの有害物質も検出されているようだが、市の対応は、「焼却ありき」「安全ありき」に見える。

「被災地復興」「絆」の美名のもと、全国各地で、とにかくがれきを燃やしたい人たちがいる。
復興予算の流用と同じ
だ。
ダシに使われた被災地は、いい迷惑ではないか。
愚策中の愚策である広域処理は、被災地と被災地以外で「対立構図」をつくっただけだ。

それにしても、自民党大阪市議団が、がれき受け入れに反対とは意外でした(失礼)。
維新と自民の対立が背景にあるのでしょうが、記事にも登場していただいた、北野妙子・自民党市議の力が大きかったようです。
女性の力ですね。

私が、広域処理について取材を始めた今年1月ごろ、国・地方を問わず、批判的な立場で発言する議員はなかなかいなかった。
そんな中で出会ったのが、奈須りえ大田区議でした。
そして今回の北野妙子大阪市議。
311以降、あらゆる場面で、女性の活躍が目立ちます


↑以上、転載おわり

そしてこれは、半年以上も前のニュースやけれども、『鎮魂の森公園』について書かれたもの。
 
↓以下、転載はじめ

がれき」という発想からの転換を 処理方法で全国初の取り組み【岩手・大槌発】
2012/6/ 5

『「現場から法律を変えるという意気込みで取り組みたい
3日、大槌町中央公民館で開かれたシンポジウム「大槌町の復興を考える」(岩手まちづくりネットワーク主催)で、
碇川豊町長が、約250人の参加者を前に、「鎮魂の森公園」事業の実現に向けての決意を表明した。
木材や土砂などの瓦礫(がれき)で盛土した土地に、防潮林を整備するもので、瓦礫処理の方法としては、全国で初めての取り組みになる。

同町が共催し、岩手日報社、遠野まごころネット、いわてゆいっこ花巻などが後援したシンポジウムには、
発題者として、室崎益輝・日本災害復興学会長(関西学院大教授)、山形孝夫・元宮城学院女子大学長(宗教人類学)、碇川町長の3人が出席。
竹沢尚一郎・国立民族学博物館教授が、コーディネーターを務めた。
また、花巻に避難している、被災者約15人も参加、故郷の復興の行く末に耳を傾けた。

この中で室崎さんは、
巨大災害は、その時代や社会が持つ矛盾を、前倒しする形で顕在化させる。真の復興は、世直しなどを伴う『改革復興』でなければならない」と話し、
山形さんは、
瓦礫という発想を転換しなければならない。それは失われた街の肖像であり、家族の形見であり、死者たちの生きた証しでもある」とし、
大槌町が進めようとしている「鎮魂の森公園」事業の意義を強調した。

これを受けて、碇川町長は、8日に開会する町議会に、「基金設置条例」を提案し、全国的に寄付金を募って、事業を進める考えを明らかにした。
目標額は約10億円で、用地交渉が合意に達すれば、平成25年秋にも着工したい、という意向を示した。
この構想は、震災の記憶と教訓を、後世に伝え残すだけではなく、防潮林を整備することによって、津波の力を軽減させることも期待される

しかし、その一方で、瓦礫の中に含まれている可能性のある有害物質の処理など、法的にクリアしなければならない問題も立ちはだかる。
全国の賛同者が復興に関わる形で、東日本大震災の記憶の風化を防ぎたい。
法律が妨害するなら、その法律を変えれば良い。
鎮魂の森公園を、死者と生者がともに生きる場として、永遠に残したい
」と、碇川町長は不退転の決意を示した。


↑以上、転載おわり


おなじ物事やのに、人の質が違うと、考えることもやることも、ここまで違てくる。

ほんで、その人間が、自治体の長なんかしてたら、その質の良し悪しによって、住民がえらい被害を受けなあかんかったりする。

しゃあないがな、もう選んでしもてんから。

こんなこと言うてるだけでええのやろか。

あかんと思う。

質が極めて悪い人間を長にしてしもた地域の住民は、ご苦労なこっちゃけど、そいつを引きずり下ろすか、さもなくば闘うかせな、

自分の人生の質を著しく低下させてまう可能性がおっきい。

のんきに他人事やと思てたら、後で痛い目に遭うのとちゃうかなあ。
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「東京オリンピック?それってブラックジョーク?」by 某米国人

2013年01月10日 | 日本とわたし


日本人のほとんどは、常識と倫理と責任を持ち合わせてる人たちは、

今だ、重大な原発事故の収束も、状況判断もつきかねてるような状態で、

どないしたら処理ができるのかも、いったいどれだけの年月がかかるのかも、どれほどの人たちがそれに関わるのかもわからんままで、

地震が活性化してるという事実が歴然と存在してる地面の上に、びっくりするぐらいぎょうさん核爆発を起こす可能性のある施設が建てられてて、

そんなおどろおどろしい施設には、万が一の事故に対する防災や、避難や、事故処理や、その他もろもろの対処について、ろくな訓練も受けてない、能無しの人間がうろついてるだけで、

日本に数週間旅行するっちゅうと、「まずはヨウ素剤を持参して、現地の水は飲まんようにしなさい、道路脇にもし黒い粉を見つけたら絶対に踏みつけんように」と言われたりする外国人がいて、

ヨーロッパではそろそろ、旅行会社が、後々に訴えられる可能性があるからと、日本のパック旅行の企画を中止し始めてて、

そもそも、今回のこの重大事故について、事故元の会社も国も政党も、誰ひとり責任を問われんと、のうのうと今まで通りの暮らしを続けてられるけったいな国に、

オリンピックしなはれって言う人間がどこにおるねん?!

……と思てると思う。

そんな見当違いのことに、使える金があるんやったら、今困り果ててる人に使て。

国をひとりの人間に例えたら、今の日本は、左の脇に、著しく深刻な問題を抱えてる病人やんか。

先にその問題を解決するために、万全を尽くして、必死になって、治療するのが当然のこととちゃうの。

まずはそこに、全精力とお金と思いを注ぎ込まなあかんのとちゃうの。

日本がオリンピックやて?

世界の人が呆れて苦笑いや。

「どこの国も、政府や軍はアホぞろいやけど、今の日本はその中でも際立ってるな。気の毒に……」

気の毒がられてんねんで、日本人!

特に、今まで通りの暮らしを続けられてる幸運に恵まれた人、

しっかりしなはれ!
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