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ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

新政府初代内閣総理大臣・坂口恭平というひと

2013年03月21日 | 日本とわたし
坂口恭平、新政府初代内閣総理大臣。
けったいな人やなあと、気になりながら、チラチラと動向を調べたりしながら、ずっとこの人のことを考えてた。
モバイルハウスの建て方も観た。


めっちゃ新鮮で無邪気で大胆で、けどもよう考えたら、実現するには相当の決心が必要な、新しい生き方への門。

わたしの旦那弟の奥さんの両親が、子供が巣立った後に、いわゆるトレーラーハウスの住人になった。
モバイルハウスの先祖みたいなもん。

最初、彼の考えを聞いた時、わたしには無理や、だって、ピアノ置けへんし……と即考えた。
後でそのことを思い出して、それこそが、わたしの、生きることに対する思い込みであることに気がついた。
なんで、ピアノを持ってなあかんと思たのか。
教えていかな暮らせんからか。
なんで教えな暮らせんのか。
そうやって、毎日毎日働いて日銭を稼がなあかん物を所有してるから。
ほんで、その物は、自分が好き好んで手に入れたもんで、けども手に入れたが最後、その物にしがみつかれて往生してる。
わたしらのために働け~、もっと働け~と、呪いをかけられてる。

いや、でも、子供にピアノという楽器を楽しんでもらいたい、という願いは、お金とはまた別のところで存在する。
けれどももし、そのことに集中して考えたら、なんぼでも方法や場所は見つけられるやろう。

いや、でも、自分がピアノと一緒に暮らせんというのはどうやろう。
かなんなあ……。
一時期、親の借金のカタに取られて、やくざが6人がかりで、ピアノを家から運び出してったことがあった。
ピアノが家から姿を消した。
結局は、その時教えてもろてた教授の、大学のレッスン部屋のピアノを、朝から晩まで弾かせてもろた。
ピアノは相棒。
けども、やっぱりこれも、わたしの勝手な思い込みなんやろか。

などなど、この人の言うことを聞いてると、実にいろんなことを考えさせられる。
このビデオは、もうかなり前のもので、一番規模が大きかった首相官邸前の抗議集会の後に設けられた、山本太郎さんとの会談の収録。

今はまたきっと、新しいアイディアを続々と出してはるのやろうけども、とりあえずここに、初の紹介として、文字起こしをしてみた。

ただし、言わはったことを一字も逃さず、というのではなく、わたしの責任でまとめながら書いたこと、山本さんの言葉は省略したことを、ここにお知らせしておきます。





無政府状態なので新政府を作ろうと決心した。
ベルギーに住んでいる友人も、一時ベルギーが同じような情勢になった時、新政府を作った。

皆の不安はまず原発。
自分も脱原発のデモなどに行ったりしたが、脱原発の前に、今もう出てしまっている放射性物質について対処しなければならないと思った。
新政府としては、まずそこを見る。
もう傷が出ているので、そこはちゃんと手当てをしなければならない。
そこに住んでいる人がまだいる。
それこそ東京都だって、荒川の河口が、半径20キロに渡ってなどと、NHKがもう言ってしまってるわけで、
3年後にはもう、江戸前寿司なんて誰も食えない。
実際に、築地に取材に行ったが、誰も買わない。

そういうのを見て、まずいと思い、チェルノブイリの例を鑑みて、とりあえず半径300キロ圏内に暮らしている人は逃げなさいと言われてたので、
鎌仲さんや飯田さんらと、3月3日にたまたま番組をやっていて、福島第一原発が危ないなどと話していたりしたのだが、
とりあえず、300キロ圏内の人は、わたしの家に逃げてきていいですよと、まあ、首相官邸ということ。
それで丁度いい200平米の物件が見つかり(横井小楠の家の前に夏目漱石の家があり、そのクロスポイントの所)、総理になっちゃったんだったらっていうことで、3万円で大家さんから買った。
逃げたい人は来なさい。お金はかかりません。
ただ逃げてくるんじゃなくて、まずうちに来て、ここで住んでもいいということなら物件を紹介するということで、
雇用促進住宅の物件が余っていることを確認し、福島の原発を恐れている人は、移ってきなさいと。
3DKで家賃が800円。
福島からだけではなくて、東京からでも可能と言った。
ということで、希望する人達が行ったら、三日後に、住めなくなったと連絡があり、雇用促進住宅の方に問い合わせた。
すると、厚労省から通達があったと。
「関東圏の人達は引っ越しできなくなりました」と。
すでに、そんなふうにして、新政府の動きを政府は見ている。
あきらめるわけにはいかないので、熊本県が無料の物件を持っていることを知ってお願いしてみたが、渋られた。
自分が行ってももうだめだと思い、女性大作戦と銘打って、女性自身でお願いすることにした。
借りられた人はたくさんいて、5LDKで0円もあるし、家賃がタダという例はいっぱいある。
要するに、国から金が流れている所はダメで、県からだとオッケーということ。

つまり、家っていうのはすごく余っている。
800万戸余っている。
ほんとにバカだから。
俺もバカかもしれないけれど、日本はバカだから、ほんとに。

官邸前のデモ(←これは去年の6月29日のこと)に参加した。
いろんな人達が参加していて、知り合いも大勢いた。
警察がやっきになって、人々の流れを規制しようとしているそのすぐ横を、自転車のデモ隊がスイスイと通り過ぎていくのがおかしかった。
デモというと、難しい顔をして真剣にやらないといけない、みたいな感覚を持っている人がいるが、
海外で行われているデモのように、気軽に、楽しんでやり、まだ参加したことが無い人に、足を運びたいと思わせるようなものもいいと思う。
けれども、ひとつ言えることとして、
ペットとしての犬でも、ひとたび本気で噛めば、飼い主を傷つけたり殺したりすることができる。大きな犬であれば。
けれども、それをしないのは、飼い主と犬の間に、何か約束がある。
僕たちもまあ、毎回税金を取られているので、いわば政府の犬のようなものだと自分は思っている。
なので、本気で噛むぞ、という意思を見せればいい。
そのための集合だと思う。
東京というのは、本当に人が集まりにくい。
電車を断ち切られたら集まれない。
だから、自転車デモというのはいいアイディアかもしれない。
普通に走るものなのだから、デモ申請もしなくてもいい。

首相官邸に集まる、ということには意味があるとは思うけれども、警察がロープを張ったりしていて、それなら申請した意味が無いではないか。
それならば、もう少し離れた長野木?(長野県?)あたりで、みんながんばって200万人ぐらい集まってやればいいではないか。
リトアニアは、ソ連から独立する時に、30万人ぐらい集まって、リトアニアの歌なんかを歌ってた。
警察官の管理の仕方と今の動きを見てると、報道はこれからもされないだろうと思う。
とにかく、人数にこだわらないで、何人でもいいから、集まり続けること。
報道されないことに腹を立てても仕方がない。
報道機関自体をもう信じてないのに、報道させようとなどと躍起にならなくてもよい。

投票には行ったことがない。
多数決を信じていない。
誰を選ぶ、ということではなく、自然淘汰によって落とされなかった者が自然に浮き上がってくる。
物事も決めない。
動いて、その都度判断してやっていく。
そんなにたくさんの、1億2千万人全部決めるっていうルールではなく、ある程度の小さな集合体の中でのことで、
もしその中で自殺者がひとりでも出たら、一気にやめる、と思う。
現実では、毎年3万人の自殺者がいて、変死者が15万人出ていても、さらにWHO(僕は全く信じていないが)の見解では、その半分は自殺者であろうと言われていて、
そうすると10万人、原爆が毎年落とされているに相当する数の人間が死んでいて、それでも選挙を信じられるのか、と思っている。
それならば、江戸時代や明治政府なんてあり得ない。

どうやって変えるか。
変えるというのではダメ。
市民の意見を反映して、原発が無くなるとする。
原発というのは、ゼネコンが一番高い見積もりを出しても、借りてくれるし建ててくれる。
原発には、さまざまな企業、銀行がつながっていて、そこから脱するということはまず、企業がつぶれるということ。
社会すべての物につながっているとは言わないが、その影響はかなり膨大な範囲に広がる。
電気は100ボルトと我々は思い込まされているが、それは、長い長い送電線を使っているからであって、本来ならば、12ボルトで電気は使える。
車のシステムと同じものを使って生活ができるはずなのに、100ボルトに飼い馴らされてしまっていて、変えることは考えない。
なのに原発を止めようとしている。
だから、全部が合体しなければいけないのだけれど、ほとんど思考がそういうことにしか向かっていない。

僕はだからまず、福島の人達には逃げろと言う。
作業員の人達も、そんな所で作業していないで逃げろと言う。
福島をまず空っぽにして、事故処理に対応するのは、政府が兵隊でもぶち込んでやるしかない。
プロがやらなければダメ。
プロもいないのにこんな状態で、ただただ人が傷ついている。
僕ならまず、そっちが先。まず西に逃げろと言う。
企業も銀行も電力会社も残したまんま、原発が止められるとは思わない。
なので、まず、個々の人間が、本当に自立できるような社会を作る、ということに重点を置きたい。
本当に、命のことの方が心配だから。

デモ行動は、今の政府に、自分達の意思を示すこと。
同時に考えないといけないのは、もう危険に晒されている人がいることと、逃げなければいけないということ。
同時進行で必要。
どっちかというと、デモより先にやらなければいけない。
脱原発をするのはちょっと後の話で、今やらなければいけないのは、緊急に一回逃げる。
まずは、火事場からまず逃げる。
そして次に、火事場になる理由を削除する。
そして、その元を作った政府自体をつぶす。
その三段階。

けれども僕はまだ、第一段階の火事場から逃げるところで留まっている。
まだ命が気になる。
僕個人の力だけだけど、福島の子供を50人、毎年無料で招待している。
昨年は150万。それぐらいでできる。
他の方だったらもっとできると思う。
今年からは、春夏二期にした。
人はよく、そんなことはできないと言う。
助成金も下りないと。
人の金なんてあてにしてる場合ではない。
自分がそのために働けばいいじゃないか。
無ければ、ある人に、興味を示してもらえるような説明をして、もらえばいいじゃないか。
チェルノブイリでも、3週間から1ヵ月の間だけでも保養をすれば、体内の汚染が軽減されると言われている。
でも、本質的には、僕は、疎開学校を作りたい。
熊本では、学校が本当に余っている。
とりあえず、お子さんだけの、寄宿舎つきの学校を作る。
もちろん、おとうさんおかあさんには来てもらいたい。心配だろうから。
なので今、熊本の企業で、飛行機4機持ってる所があって、そこに声かけ(営業)しに行こうと思っている。
福島と熊本を結ぶ、エアフクシマというラインを作ったらどうかと。
昔なら、なにを戯けたことを言っているのかと言われたかもしれないけれど、今は以外とみんな、周りのおっちゃんらも、それちょっとやらなきゃいけないかもね、と言ってくれる。

新政府の政策◯◯に行くんだが、その方が、熊本県の副知事に昇格して、彼と一緒にいろいろと話をしている。
バンクーバーの、僕が描いた絵を買ってくれた人がいて、その人は一番上のパトロンなのだが、
「恭平が総理になったんなら、僕だってこのままじゃいられないよ」と言って、バンクーバーの隣のボーエンアイランドという島の市長になった。
で、僕も、2014年に、熊本市長に立候補することに決めた。
今の副知事も、4年頑張って知事になるはずなので、二人で徹底してやろうと。
福島はもう、何万年向こう無理だと思っていて、2回ほど行ったけれども、やはり命に対して無責任になれないと思った。
僕自身としては、そう思っていてもいいと思っていて、その代わり、みんなを受け入れるような場所を作る。

出にくいという思い。それは意外とお金だったりする。
熊本にむちゃくちゃ余っている土地があり、そこでゼロ円生活圏という、車輪がついたモバイルハウスを建てて暮らすことを提案している。
車輪がついている家は、不動産ではなく可動産なので、免許もいらない、農地に置ける。
総工費は3万円。
3万円ぐらいならあるでしょ。土地は用意しておくから。
廃油が使える発電機で、12ボルトの電気を使えばいい。
今の政権の政治家や総理は、結局は後ろから銃を突きつけられていて、脅され続けている状態。
そんなんで、2000万人を逃がせるわけがない。
市民は、違う世界、ねじれの世界に行かなければならない。

そもそも、そういうモバイルハウスを建てなくても、今すでに実在している800万戸の空家に移動できる。
もし政府が決断し、そういう策を立てて実行していれば。
でもできていない。
なんでできないのか。
あ、そうか、今の政府だからか。
じゃあ、私が作ろうってなるしかなくて、なんでできないんですかって、ドアをどんどんと叩いても、出てくるわけがない。
理由があるんだから。
800万戸やった瞬間に、東京地区が絶対暴落するから。
その瞬間に、今まで不動産で食ってた人達は、全部お金が無くなる。
そんなの絶対に言わないから。
東京が汚染されてるなんて、絶対に言わないから。
でも、僕の友人の東京の渋谷のオーナーは、もうもちろんハワイにいますよ今。
それが事実ですよやっぱり。
ちゃんと、金持ちは逃げれるようなシステムになってて、金の無い人達は、その周辺になんとなく、東京幻想みたいな形で居させられてて、それじゃまずいと思っている。
東京でも、98万戸分の東京ドーム分が空き地として余っている。

意識があることを示す、変化にスピードを加えるためにも、デモを続けていくことは大切。
けれども、さらにこれから、もっと実をもったもの、つまり、どういうことを要求しようとしているのか、
例えば、今の経済を変えないでできるのか、変えなきゃいけないのか、そういうところまで、
もうちょっと頭のある人間が、何人か頭(かしら)を作って、それなりの政策をちゃんとデモと一緒に出さないといけない。

今僕は、内閣総理大臣の練習をしたい。
正直に言えば、別に日本でなくてもよいと思っている。
なぜかというと、世界中、同じ問題を抱えているから。
けれども、今の日本は、ある程度脆弱さが出てきている。
つまり、システムが破綻し始めてきているので、一応そういう意味では、この国の状態を見たい。
もしかしたら、何かの◯◯を示せるかもしれない。
やっぱりそこからこう、何かを越えられるかもしれない。
でもそれこそ同時に、中国でも問題になっているし、ヨーロッパなんかもう破綻している。
アイスランドはもうデファンドして、中央銀行を国有化した瞬間に、住宅ローンが免除されている。
つまり、借金が幻だったことに気づけば、みんな(後聞き取れず)。

千葉県在住20代男性からの質問:
自分のやりたい事を、自分の意思を持って貫かれているように思われるが、その原動力になっているのは何か?
どうやって、お仲間がそんなに増えているのかについて教えてほしい。

僕は、やりたい事は全然別で、むしろ、やりたい事をやっているという認識が無い。
本当にやりたい事は言えない。
皆に、坂口さんって自由でいいねって言われるけれど、自由とかではないと思う。
やらねばならないことだけをやっている。
そういう意味では使命。使命としてだけやってるんで、僕はほんとはただのエロい、ただのキチガイです。
けれども、誰もやってくれないからやっているだけ。
人が自分の周りに集まっているかどうかはわからない。
僕は、人っていうのはいつか裏切ると思っている。
基本的に、僕は絶対に人を信じない。
人間不信の塊なんで、一切人を信じない。
褒められようがなんだろうが。
そのかわり、けなされてもへこまない。
僕はただただやっていくだけなので、僕はひとりで新政府活動をやっていくので、協力したい方には「ありがとうございます」と言うが、
別に「さよなら」って言われても、「あ、ちょっとだけ声かけさせてもらってもいいですか」って言うぐらいで、別に後はもう去る者追わず、どうでもいい。
僕はひとりでやっていく。
だから、ただのオタク。総理オタク。新政府オタク、ほんとに。
そういう意味では好きなのかもしれない。こういう、やらなくてはならないことをやっていくのが。
ひとりで全部自腹でやるから、スポンサーもなにもついてないから。
助成金も一円ももらっていない。
けれども、今回の福島での企画には、行政がお金を出させてくださいと。自分たちの名前が載ると結構あつい(?)んでと言われて。
それで、いくら出せるのかと聞くと「60万」と。
僕は120万出している。行政がそれだけかと。
つまり、行政が自由に使えるのは、僕の2分の1、という認識。
後は全部、役人に決められている。
それぐらいひどいもの、この世の中は。
変えていこう。

政党が変わるのは、仮面的に変わっているだけで、元はみな同じ。
世間では、(次の)地震が来たら、と言っているが、僕からしたら、頼むから、もう地震は来た。すでに一回起こったこと。
もうこれで動かなくてはダメなんで、原発にしても、次爆発したら逃げるって……いやもう、爆発はしてるから、
だから、爆発はしてて地震は起きてて、という状態から、なんで次に向かっちゃってんだと。
もう起きちゃったでしょと。
だからもうここで変えないと、もう2万年3万年変わらないんだから、じゃあそれに対応するしかないんだから。
今までの政府じゃだめなのはもう分かってきただろうと。
だって、なにもしないんだから。
だからもう、ある程度逃げていただいて、もうここ(今の政府)は無視した状態で、独自の経済圏を作るしかなくて、
その前には、日本銀行圏とほんとはちゃんと断ち切らないといけないけれども、そう簡単にはできることではないので、
でも、それこそ、アイスランドはできているわけだから、そういうできている例を見て、むしろ実現した方を見ようよと。
原発のどこが無くなったかと。
どこも無くなっていないんだから、だからそこじゃなくて、もうちょっと現実的に、何が起きたかっていうのを、つまり、今の政府の中で、できたことを見て欲しい。
例えば、アイスランドのように、中央銀行として国有化できたというのはひとつ、可能性としてあるとか、
そういうものを見た方が、逆に現実的であると、僕としては思っている。
夢は夢として大事なんだが。

政治や選挙には、皆、超シロウトで、だからほとんど、してない人が多い。
で、だから多分、闘えないんじゃないかと思う。
僕は好き勝手をやっているので、ほとんどなんの問題もない。ああ、できなかった……というのも全くない。
なんでも、あ、できた、できた、あ、すごいってだけなんだけども。
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自然を汚し人を殺し、責任も取らず反省もせず、罪にも問われん悪党天国ニッポンちゃちゃちゃ!

2013年03月20日 | 日本とわたし
書き起こしをしました。
このドイツのZDFテレビの取材は、簡潔でいて、詳しい事情を分かり易くまとめてくれているので、いつもありがたく観させてもらっています。

今でも立ち入り禁止の警戒区域という地域の、除染を始めると言う政府。
日本は、チェルノブイリの二の舞にはならん、ということらしい。
役人は、
「住民の方々が長いこと生活し、仕事を営んできた場所で、畑や森、川や海と強いつながりを持っていて、重要な意味がある。
仮設の住宅とかに暮らしてる住民を、故郷に帰れるようにしてあげたい」と言う。

そんなこと、原発を無理矢理押し付けた、どの村や町で暮らしてる人にも言えることやと思う。
誘致する時は、そういうことを一切合切無視して、札束をばらまき、不必要で気色悪いほどに立派な箱もんドカドカ建てて、言うこと聞かせてきたんちゃうんか。
それが、いったん事故を起こした途端に、コロッと言うこと変えて、いやちゃうな、言うてることは安全ですよ~安心ですよ~やからおんなじようなもんやな。
ほんで、放射性物質まみれの、中途半端に掻いたり剥いだりしただけの、しかもそれがバンバンあっちこっちに積まれたり埋められたりしたまんまのとこに、
望郷の念に駆られてる、地震や津波ですでに、想像を絶するようなえらい目に遭うた人や、遭うてはせんでも事故で生活を根こそぎぶっ壊された人の弱みにつけ込んで、税金払わすためにとにかく戻す。

どこまで腐ってんねん!人でなし!



最悪事故から2年、除染・甲状腺がん【ドイツZDFテレビ】


時速が最大で1000キロにも及んだスピードで、津波が日本の沿岸に押し寄せたのは、2年前のことである。
ここ富岡町では、波がほぼ30メートルの高さで襲い、断崖を水浸しにした。
私たちは去年、ここを一度訪れているが、今も状況はあまり変わっていない。

がれきを取り除く作業は、ほとんどの市町村で完了しているが、ここではなにも行われていない。
「理由は簡単です」と、原子力エンジニアの名嘉幸照氏が語る。
彼は、かつてここで暮らしながら、仕事をしてきた人だ。


名嘉幸照(原子力エンジニア):
ここは今でも立ち入り禁止の警戒区域なので、津波の被害の後始末ができないのです。
ここを見るのは、非常に辛いです。


富岡町は、立ち入り禁止区域に入っている。
ちょうど、福島第二原発と第一の間に位置している。
いや、というよりは、かつての第一原発の名残というべきだろうか。
通行許可証を手に、防護服で身を固め、中に入ることが許される。
そして、防護服はもちろん、ガイガーカウンターが欠かせない。
これで、警戒区域内での滞在中に、どれだけ被ばくしたかを測定する。
チェックポイントで、身分証明書や許可証がチェックされ、ここからゴーストタウンが始まる。

放射線量が高すぎて、ここには人が住むことはできない。


名嘉幸照(原子力エンジニア):
ここでも除染を始めるそうです。
少なくとも部分的に……。
でも、政府が、町全体、この地方全体を、除染できるとは思えません。


しかし政府は、それこそを目指している。
チェルノブイリのように、事故があってからこれだけ経つのに、今だに立ち入り禁止区域がある、そんなことにならないよう、
日本では、放射線で汚染されたゴーストタウンを、また蘇らせようというのだ。
それを説明するのは、環境省の除染チーム担当の、小沢晴司氏だ。


小沢晴司(環境省の除染チーム):
私たちが行う除染地域は、住民の方々が長いこと生活し、仕事を営んできた場所です。
ここには畑、森、町、川や海があり、どれもが皆、強いつながりをもっています。
この場所は、住民たちには、とても重要な意味があるのです。
ですから、除染作業をする際には、そのことを配慮しなければなりません。
そして、仮設の住宅などに暮らしている住民が、故郷に帰れるようにしてあげたいと思っています。


環境省が開いている、除染情報プラザでは、除染担当員が、除染作業のプロセスを、分かりやすく説明するモデルを見せてくれた。
モデルを見る限り、念入りな庭仕事、という感じだ。


小笠原かつひこ(除染情報プラザ・除染担当員):
どの除染作業でもまず、取り除かれたものが、このフレキシブルコンテナの中に収集され、この中に保管されます。
この、フレキシブルコンテナの紫外線耐久年数を検査しましたが、3年から5年は、使用に耐えます。

質問:
このコンテナは、放射線も遮断するのですか?

小笠原かつひこ(除染情報プラザ・除染担当員):
いいえ、放射線は遮断しません。


土壌を掻き、レーキで掻きならし、ツルハシで掘り返して、放射線で汚染された表土を、15センチメートル削り取る。
潅木を刈り込み、落ち葉を掃き集め、線量を下げる。
まったく、ヘラクレスの大仕事である。(ブログ主による注釈・ヘラクレス⇒ギリシャ神話の登場人物の中でも、力と仕事の象徴として見られていることからの揶揄)
線量が一番高い地域だけでも、ほぼザールラントに匹敵する広さだ。(注釈・ザールラント⇒ドイツ西端の州。面積2567㎢、人口108万4千人"1995年当時")

福島の山奥で、私たちは除染作業に携わっている、作業員の一人と落ち合った。
政府とやくざが怖いので、顔も名前も隠しておきたい」と言う。
彼が言うには、やくざがこの除染という、利得の多い仕事のほとんどを取り仕切っているのだそうだ。
公には、政府は作業員に、危険手当てを含め、一日当たり、約27000円払っている。
作業員は、線量の高い地域で働かなければいけないからである。
しかし、そのうち、実際に作業員の手に渡るのは、ごく一部だ。
彼はたとえば、約1万円しか受け取らなかったと言う。
残りはすべて、やくざにピンハネされるのだ。
作業員はウソをつかれ、だまされていると言う。


除染作業員:
作業のはじめに、仕事の説明会があったのですが、そこでは、20km以内の警戒区域で働く、などということは、一切言われませんでした。
したがって、危険手当てをもらう権利がある、ということも知りませんでした


彼は、だまされたことを知ってその会社を辞め、2日後に、他の会社で働き始めた。
支払いは、40ユーロ(5千円ほど)多くなったが、この会社は、除染作業をあまり真剣に考えていないと言う。


除染作業員:
集めたものを、除染区域と指定されている区域の、反対側に持って行って捨てろ、という指示を受けました。
それで、指示に従い、とにかく全部、反対側に持って行って捨てたんですね。
どうして反対側に持って行って捨てるのか、という理由に対しては、
そこは除染区域に指定されていないので、そこに、少しばかり汚染された枝が落ちていても問題ない、ということでした。


しかし、こうして放射能物質が、森のもっと奥深くに投げ込まれていいわけはない。


除染作業員:
ずっと急な斜面で働いているので、集めたものを上まで運ぶのはかなりしんどいのですが、上で監督が見張っていて
とにかく、何でも下の川に投げ込め、と指示しました。
最初は信じられなかったんですが、2度も3度もそう言われ、その指示がだんだん命令調になっていき、
いいからさっさと早く川に投げ込め!と怒鳴られました
それで私も、他の作業員と一緒に、その指示に従わざるを得ませんでした。


彼の話が正しいことを証明する情景があったが、ここでは法的理由から、お見せすることができない。
放射能のゴミを川に放棄?
そんなことがあっていいのだろうか?
このことを、環境省の除染担当官に聞いてみたが、まさに役人の答、としか言いようのないものが返ってきた。


小沢晴司(環境省の除染チーム):
そのようなことがあったことに関しては、本当に残念です。
そのようなことが二度と起こらないように、これから厳重にチェックし、その旨、各会社にも申し伝えました。


しかしたとえ、誰もがその指示に従ったところで、原子力のゴミのきちんとした処理は、何世代にも渡る問題となるだろう。
福島だけでなく、周辺の警戒区域外でも、プラスチックの袋に、一時的に土壌や潅木が詰め込まれ、ただ外に放置されているだけだ。
これらの袋は、放射線を遮断することはできないが、風や雨で散乱するのを防ぐためだと言う。

警戒区域外で、除染の状態を測定している、環境保護団体グリーンピースのメンバーに会った。
彼の判断は明快だった。


Heinz Smital(環境保護団体グリーンピース):
これは、即席の、原子力廃棄物の保管所です。
落ち葉、枝、土など、森や野原から集めたものを、道路に並べている。
これを見るだけで、こんなに大きい地域を除染しようなどという目論見が、いかに不可能かということを示しています
こんなことは、希望のない企てに過ぎません


しかも、これらのプラスチックの袋は、3年から5年しか耐久性が無い。
それまでには、これらの汚染物質は、ちゃんと処分されなければいけないのだ。

もっとひどいのが、ここ福島市のような、住宅地域での除染である。
一時的な保管場所さえつくるのが困難なため、ずっと、恐ろしい安易な解決策がとられている。
それを証明するのが、ここにお見せする写真だ。
まず、放射性物質で汚染された表土を剥ぎ取り、それを袋に詰め、穴を掘り、そこに袋を並べ、新しく土をかけて、はい、除染完了、というわけだ。
こうして、公園の地面の下に、原子力廃棄物の保管場所がある
これらの写真は、ある匿名希望の学校の教師が撮ったもので、どんなに無責任に、除染作業が行われているか見せてくれた。

福島市住民:
本来なら、剥ぎ取った表土は、深く穴を掘って埋めるべきなのですが、しかし、水道管や電気が通っているため、それができないので、
それを家の前に積み上げて、ただ、プラスチックシートをかけて終わりなのです。


放射線を出すゴミが、居間の窓の向こうや、子供たちが遊ぶ公園の真下にある。
大量の袋が外に並べられ、野放しにされている。
官庁は「問題ありません」
、である。


小沢晴司(環境省の除染チーム):
大量に保管している場所に関しては、3年間ということで、住民の了解を得ています
3年以内に、これらを、中間保管施設に運び出すことになっています。


ここでの難点はしかし、これだけ大量の放射性物質を保管できる、中間保管施設も無いし、ましてや、最終処分地も無いことだ。
最終処分地は、日本だけでなく、世界のどこにもまだ無いのである。

ここは、福島県郡山市。
このカフェで、近辺に住む、子供を持ち、不安を抱えている母親たちが集まる。
放射線の影響を案じながらの生活は、心理的な負担が増すばかりだ。
子供たちの将来を考えると、皆心配でならない。


わたなべ ともみ(郡山市在住の母親):
子供が健康に成長してくれるだろうか、それを考えると不安でなりません。
彼らも、普通に子供を生んでいけるようになるのか、私たち大人はもう、歳をとるだけですが、これから人生の始まる子供たちが、気になります。


このカフェでは、心配している母親たちが、放射能汚染のない(少ない)、遠い地方で穫れた野菜や果物を購入できる。
それだけではなく、スーパーで買った野菜などを、ここで測定することもできる。


のぐち ときこ(郡山市在住の母親):
これは、食品用の、放射線測定器です。
自分たちが口にする食べ物が、放射線に汚染されているかどうか検査します。
この容器に、食品を入れます。
そしてこれごと(この容器ごと)、測定器の中に入れます。
測定が終わるまで、約30分かかります。


測定結果は、このように、コンピューターで表示される。
これまでに測定した中での最高値は、ある母親の庭で取れた葉っぱで、8000ベクレルあったそうだ。


質問:
このグラフは、私たちには、かなり複雑に見えますが……。

彼女は、原子力物理学専攻なのか、訊いてみた。

のぐち ときこ(郡山市在住の母親):
いいえ、私はただの主婦です。
ここには、専門家は誰もいません。
ですから、測定しても、その値が普通なのかどうか、という返事はできません。
これ、食べられますか?と聞く人が多いのですが、私にはそれは分かりません。
専門家ではないので、私たちには、測定結果を伝えることしかできないのです。


しかし、こうした測定を行わずにはいられない、ということが、すでに、政府や県に対して、深く抱いている懐疑の念の現れだ。
彼らは、事ある毎にくり返してきた。
「心配ありません、大丈夫です」と。


のぐち ときこ(郡山市在住の母親):
黙ってると、政府は何にもしてくれません。
安全です、大丈夫です、という答が返ってくるだけです。
そんな答じゃ、安心なんてできません。

そえだ いちよ(郡山市在住の母親):
私は、県は何か、重大なことを隠しているんじゃないかと思っています。
それだけじゃなくて、何に関しても、問題無い、と答えるのも、きっと計画の一部なんです。
私たちが、それを誰かに伝えないように。

わたなべ ともみ(郡山市在住の母親):
事故があった後も、マスコミ、政府や県からは、信頼できる情報は、一切入りませんでした。
それで今、急に信じろと言われたって、できません。


若い母親たちを、特に不安にしているのは、甲状腺がんの危険だ。
チェルノブイリ事故の後、甲状腺がんが、かなり頻繁に発生したからだ。
それで、福島県では、これまでに、36万人の18才未満の児童を対象に、甲状腺検査を行った。

これまでに、3人の児童に、甲状腺がんが見つかり、7人に、甲状腺がんの疑いがあるとされている。
この検査を担当している医師は、「心配する理由は無い」と言う。


やすむら せいじ(福島県衛生管理課):
チェルノブイリでの調査を見ますと、事故後4,5年経ってからやっと、甲状腺がんの発生が増加しています。
それで、今回、甲状腺がんが3人に、その疑いが7人にある、という結果は、被ばくとは関係がないと考えています。


そのような発言は非科学的だ、と語るのは、北海道の国立がんセンターの、ガン専門医、西尾正道氏だ。


西尾正道(北海道の国立がんセンター医師):
チェルノブイリでは、事故後4,5年は、そのような調査がまったく行われなかったのです。
ですから、事故後2年で、兆候が現れていた人がいたかもしれないが、それはただ、調査されなかったから、わからないだけなのです。


西尾氏は、講演の中で、事故が原因で起こる結果が、政治的意図でもって、操られていることを非難する。
彼は、子供が、1年で被ばくする際の最大許容線量を、簡単に20倍にしたことを、まともな理性ではない、と批判し、
食品に含まれる放射性物質の、許容量引き上げに関しては、グロテスクだ、と語る。
例としてあげるのは、飲料水の200ベクレルだ。


西尾正道(北海道の国立がんセンター医師):
国際的な指針では、原発施設からの排水ですら、90ベクレル以上ではいけないことになっているのです。
200ベクレルといえば、それの2倍以上なのですから、大変な量です。

質問:
それじゃあ、原発施設から排出される水を飲む方が、安全なんですか?

西尾正道(北海道の国立がんセンター医師):
そうですね、そういうことになります。


今までに検査された児童の40%で、異常が発見された。
そのほとんどは、結節やのう胞だ。
それがすべて、がんに発展するわけではない。
しかし、高い数字は気になる。
まったく問題ありませんと、担当の医者は軽く聞き流す。


やすむら せいじ(福島県衛生管理課):
これだけ大多数の児童を検査したことは、今までに無かったので、この40%という数字が、高いのか低いのかということは分かりません。
そして、比較するデータが他に無いので、今のところ、これが通常の数値なのだと見なしています


何もわからない限り、すべて大丈夫というのは、専門家の言葉にしては、不思議な倫理だ。

そう、そしてこの、原発の廃墟もまだある。
ここでの今の最大の問題は、行き場の無い、高度の汚染水を、どこに持っていくか、である。
この水は、事故を起こした原子炉を冷やすために使われ、溜まる一方だ。
原発施設とその周辺はもう、タンクでいっぱいで置き場が無い。
こうして原発事故は、まだまだ収束などしていない

報告:ヨハネス・ハーノ
字幕翻訳:無限遠点
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君の行く道は 果てしなく遠い だのになぜ歯をくいしばり 君は行くのか そんなにしてまで

2013年03月20日 | ひとりごと
ここ東海岸の真ん中から上の地域はみな、暖房はセントラルヒーティングなんである。
秋の終わりから春がどっしりと腰を据えるまでの間、気温が零下になる日がてんこ盛りやからという事情もあるけど、
この国の贅沢さというのは、あっちゃこっちゃの空から爆弾降らせてぶんどってきた、石油やらなんやらのおかげでもある。
そんな血なまぐさい、海賊みたいなことをしてまで、自分とこだけは豊かでいたい国を、外から眺めてた時は顔をしかめてたくせに、
いざ自分が中に入ってしまうと、ものの3日もせんうちに、その贅沢さ加減にすっぽり馴染んでしもてるんやから情けない。

夏は、冬の寒さが厳しいかわりに、クーラーがどうしても必要やと思える日は数日ぐらいしかない。
そやのに、なんもこんな涼しいのにクーラーなんかつけんでも……という日でも、窓に取り付けたクーラーが、ゴーゴー音たてて動いてたりする。

日本と比べたら、電気もガスもオイルもかなり安い。
オイルに限っては、ここニュージャージーが、全米でいっちゃん安い。
それでもそれでも、うちの地下にある、ゾウさんみたいなでっかいオイルタンクは、残り少のうなってきたら勝手に補填されてまう契約を結んでしもてるので、
そやから補填するとなったら、その時が春の手前で、もうそろそろ使うことも減ってくるやろうという時期であっても、情け容赦なく、満タ~ン!にされてまうのである。
満タ~ンにされてまうと、その支払いは、なんぼ安いというてもごっつい金額になってまう。

築100年を越えてるこの家の、冬の守り神。そやしこの神さんも100才以上。




ところで、我が家の次男恭平くん、今日が初の給料日!
いやもう、働く働く。もうちょっとゆっくりしたらと、旦那やわたしがオロオロするぐらい。



クライアントさんに頼まれたからと、日曜出勤、日曜出張、残業、なんでもござれ。
まあ、それだけ頼ってもらえるっちゅうのはええことやけどね。



ついこないだまで、ドラキュラ暮らしをしとった若者が、朝も早うからシャワー浴びて、昼ご飯の心配しながら出かけて行く。
ほんま、教えなあかんことは山ほどあるけど、教えてくれる人も山ほどいる。



最近、なんかっちゅうと思い出す歌がある。

君の行く道は 果てしなく遠い
だのになぜ 歯をくいしばり
君は行くのか
そんなにしてまで

君のあの人は 今はもういない
だのになぜ なにを探して
君は行くのか
あてもないのに

君の行く道は 希望へと続く
空にまた 陽がのぼるとき
若者はまた
歩きはじめる
空にまた 陽がのぼるとき
若者はまた
歩きはじめる



知らんかったけど、この歌は、ザ・ブロードサイド・フォーというグループが歌てはった歌らしい。
合唱コンクールでは大人気やった。

わたしはもう、全然若者ではないのやけど、この歌の最初の歌詞が、なんや知らんけどしみじみと思い出されてくる。

君の行く道は 果てしなく遠い
だのになぜ 歯をくいしばり
君は行くのか
そんなにしてまで

自分が今まさに、果てしなく遠い道を歩き始めてるからやと思う。
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国の農業をボロボロにした自民党の首相が「日本の美しい田園を守って参ります」とは恥知らずも甚だしい

2013年03月19日 | 日本とわたし
昨日、堀アナウンサーのことを書いてる時、思い出した人がいる。
山川建夫さん。建夫と書いてゆきおと読む。
彼がフジテレビで、売れっ子アナウンサーをしてはった時、わたしは田舎の嫁をしてたので、「3時のあなた」とかで、ちょこちょこ観てたような覚えがある。
穏やかな、人当たりの良さそうな彼の胸の内に、そして身体に、深く刻み込まれた戦争体験と、戦争を憎む強い意思があったことなんか、全然知らんかったのやけど。

原発事故以降、わたしはツィッターで、今まで気づかんふりしてた社会の問題についての自分の思いを、140文字以内の言葉にして伝えるようになった。
それと同時に、それはもう大勢の、思いを同じくする、もちろん環境も、性格も、年令も、文化も、それから多分、他の事に対する考え方も違う人たちと知り合い、支え合うようにもなった。
その中のひとりに、この山川氏がいる。





↓以下はウィキペディアより

東京・千駄ヶ谷生まれ。
慶應義塾大学卒業。
フジテレビアナウンサーとして、およそ17年間務めた後に退社、その後は、憲法改正に反対する主張、環境保護や、自然と親しむ暮らしについての講演などを行っている。
大学を卒業した1968年に、アナウンサーとしてフジテレビに入社、同期入社のアナウンサーには逸見政孝、松倉悦郎、竹下典子(野間脩平夫人)ら。
ベ平連に係わって、ベトナム戦争反対運動を行っていたこともある山川は、ワイドショー番組「3時のあなた」で、ベトナム視察報告をした、当時参議院議員でもあった山口淑子(李香蘭)を、
「2週間程度の取材で、戦争の実態がわかるのか」などと批判、それが問題となって、同番組を降板した。
また、社内では、労働組合を結成して、同社の経営(当時の鹿内信隆社長による準同族経営)を糾弾するなどしており、1985年には、同社を退社することとなった。
北海道小樽市の1年半を含む2年半、ワンボックスカーの改造車で、家族と全国を旅し、1987年に辿り着いた千葉県・市原市の農村に定住した。
田畑を耕し、野山を歩く日々を送りながら、フリーアナウンサーとしての活動も行っている。
芸能事務所は、1989年から、東京俳優生活協同組合に所属している。
私生活では、フジテレビの同僚アナウンサーだった宮崎総子と結婚、一女をもうけた。
後に、宮崎とは離婚、女児は、宮崎の義兄である俳優・仲代達矢夫婦の養女となり、後に、仲代奈緒として芸能界デビューしている。
フジテレビ退職後の放浪と田舎暮らしは、再婚した妻と娘と共に行っている。



↓そして以下(今から8年前の6月に、千葉県市原市で行われた講演会での紹介プロフィール)には、もうちょっと詳しい話が紹介されてる。

山川建夫(ゆきお)さんは、憲法連絡会の講演会に「呼びかけ人」として参加されている。
講演の前後のトークなどで、所信の一端をうかがってはきた。
そこからだけでも、波瀾万丈の人生を送って来られたことがわかる。

●戦争体験
山川さんは、東京は千駄ヶ谷の生まれ。
1945年6月の、山の手空襲のときは1歳半。
母におぶわれ、近所の防空壕のすき間に入りこむが、山川さんが激しく泣いたため、みんなに遠慮した母は防空壕を出て、火の海のただ中へ。
火勢に追われてお寺に逃げ込み、防火水槽の水を体にかけながら助かる。
後に防空壕を見に行くと、蒸し焼き状態で、みな死んでいた。
「オマエのお陰で助かった」と、母に言われ続けた。
 
後日、栃木へ疎開する列車が、艦載機に襲撃される。
山川さんの耳からは血が流れていた。
銃弾がかすめたらしい!! 
後に、その地に講演に行きその話をすると、主催者から、「そのときの列車の台車が駅に保存されている」と知らされ、対面したという。


●局アナ時代
そんな原体験のせいか、戦争の話題となると独特の感慨がわき、物議を醸すこともあったらしい。

その一。
1970年、ときは大阪万博。
フジテレビ『小川宏ショー』の列島リレー中継。 
万博正面ゲートから、山川さんは「このようなときでも戦乱のベトナムでは……」としゃべりだし……。

その二。
参議院議員山口淑子(李香蘭)が、米軍の護衛を受けて南ベトナムを取材。
それを、ワイドショーで、得意気に報告したのだそうな。
山川さんはその時、「2週間程度の取材で、戦争の実態がわかるものでしょうか?」と、疑問をはさんだという。
彼は、ベ平連に関わり、脱走米兵にも会い、話を聞き、戦況を把握していたそうだ。
山口女史は、本番中は、額に青筋を立てながらも黙っていたが、終わるやいなや、局幹部に直訴したそうな。

極めつけ。
「鹿内体制(当時の鹿内信隆社長による準同族経営)糾弾」のために労組を結成、活動したともいう。
そんなこんなで、『小川宏ショー』を降板させられることになる。
その日、後日判明したことだが、義憤に駆られたタイムキーパーが、1分を捻出。
小川キャスターが、「山川さんはきょうが最後です。最後に一言、どうぞ」と、山川さんにマイクを渡した。
山川さんは、黙って去るつもりだったが、「わたしは、自分の意思で降板するのではない。降板させられるのだ」と、思いを語る。
スタジオは大混乱。
エンディングがどうなったか、覚えていない。
役員室に連れ込まれ、査問を受ける。

しばらくして、フジテレビを退社。
全国放浪の旅に。


●市原に定住
改造車に寝泊まりしながら、全国を訪ね走る。
そんなある日、4歳の娘さんが、「もう、車で寝るのはイヤ!」と叫び、奥さんも同調したそうな。
気に入った市原に住むことに。
その娘さんも、来春は、大学卒業だという。
 
築60年の家を借り、畑を耕したが、3年くらい経ったとき、古老から「男は田んぼをやって一人前だよ」と言われ、稲作もすることに。
村人から認められたようで嬉しかった、という。
 
爾来、無農薬栽培をモットーとし、除草剤は使わない。
村人からは、「なぜ薬を使わないのか」と、非難の口調で糾問されることがあるという。
ベトナム戦争の「枯れ葉剤」から生まれた除草剤は、使いたくない。

田に入り、田の草を取っていると、「無我の境地」になれる。
一陣の涼風を感じてわれに返るとき、「自然と共に生きている」ことを実感でき、何ごとにも代えられない「至福のときだ」という。
 
自然と生きているからこそ、環境破壊のすさまじさを感じるという。
人類の住処である地球が、存亡の危機に瀕しているとき、最大の環境破壊である戦争に、うつつを抜かしている場合ではない。
 
「戦争を出来るように憲法を改正するなんて、もってのほかだ」

山川さんは、アナウンス学院講師として、後進の養成にあたるかたわら、司会業もこなし、豊富な体験に基づく講演活動も行っている。
全国を駆け回る日々である。


そして以下↓が、山川さんご自身による140文字に要約された思いの数々から抜粋させていただいたもの。

■民主党を離党した平智之議員を知るにつけ、こんな素晴らしい国会議員が存在していた事が、まるで奇跡のように思える。
官僚主導への危機感は深い。
特に、原子力産業の存続が、この国を滅ぼすと訴える。
その為にも、大飯3・4号機の再稼働を許した事の自己の責任を、痛感しておられる。
大いなる感銘を受けた。

■三宅雪子さんが、千葉4区で野田首相に挑戦は、話題としては面白いかもしれないが、民主党叩きは注意してやらないと、結果的に自民党を利する事になる。
前2回の、総選挙の政権党総崩れ現象が起きると、自民党が大勝するかもしれず、今度ばかりは極めて危険だ。
真の敵は自民党だという事を、胆に銘じておかねば

■国家とは非情なものだ。
国民の生命を守るどころか、逆に見殺しにし、使い捨てる。
例えば水俣で、チッソの側に立ち、「薬害エイズ」で、製薬会社の側に立った。
そして今、福島で、住民を見殺しにしようとしている。
国が救済の手を差し伸べなくとも、私達は生き延びなくてはならない。
国家幻想をキッパリ捨てて。

■中国からのPМ2.5、北朝鮮の核実験の放射性物質、どちらに対しても迅速に対応した、この国の観測体制。
その真逆の、福島第一原発からの放射性物質への対応。
この国の「正体」がモロ見えだ。
もうそんな、小手先の「パフォーマンス」を止めて、この国の住人の生命を、本気で護ってもらいたい。

■この国の農業をボロボロにした自民党の首相が、「日本の美しい田園を守って参ります」とは、恥知らずも甚だしい。
加えて、日本農業を攻めの産業にして、外貨を稼ごうとは。
確かに、この国の農産物の品質は高いと思うが、その上に大量の放射性物質がばら撒かれたのを、首相は、無かった事だとでも言うのか。

■福島事故由来の放射能から、少しでも安全な所に住みたいという願いを実現する為の、この度の岡山、広島への娘の旅に同行して感じたのは、
受け入れ活動のほぼ全てが、個人の「善意」でなされている、という事でした。
管理・運営者の、頭の下がるような献身的活動。
移住者同士の支え合い。
無いのは、国の姿だけだ。

■天皇が、「放射能という、困難な問題を克服して行こう!」と呼びかけたのに対し、首相が、再稼働の先頭に立つ!と、記者会見で表明したというこの「ギャップ」も凄いが、
もっと問題なのは、天皇の、放射能のくだりの発言を、テレビ各局のニュースでカットした事だ。
こんな事が許されていいのか!
メディアは追及しろ。

■TVにいた者として、その影響力の底知れなさは、骨身に沁みている。
だから権力側は、それを絶対に手放さない。
今日の動きを中継すれば、「情勢」は一気に変わって行くに違い無い。
東京新聞の如きテレビがいつ現れるか?
それがまだまだ先の事だとしても、再稼働でもすれば、権力への不信感の火に油となる。

■山本太郎から「カツ」が入れられた。
「3・11以降、この国では、緩慢な殺人が行われている。
悠長な事は言ってられない。
反原発のもとに、一つにならなければ。
一票たりとも、死に票を出してはならない」
その通り!
あの地震と共に起きた福島原発事故を、二度と起こしてはならぬ!
地震はいつ起きるか分らない。

■原発再稼働に向けて、野田首相が、いよいよ立地自治体の説得に乗り出すことを表明したようだ。
今、原発を再稼働する理由は、どこを探してもこれっぽちも無い。
国会事故調の事故原因の究明すら済んでないのに、動かせる訳がない。
それでも動かすというなら、それ相当の覚悟をした方がよい。
国民を舐めるな!

■「いのちの党」をつくった菅原文太さんが、川田龍平さんへの挨拶の中で、
「80近くになって、東京を離れ、農業を始めてみたら、人間以外の生き物が、如何に危機的な状況なのかが分かった。
そんな事も知らずに、東京で呑んだくれていたのが、本当に申し訳ないと思う」と仰っていた。
その事に、今こそ皆が気付く時なのだ

■テレビの中に、山本太郎さんのような人が出演すると、いっぺんに、テレビが嘘である事がバレテしまう。
かれが、全存在をかけて、真実を語る事によって、他の出演者のリアリティーの無さが、透けて見えるからだ。
だからテレビ局は、真実を語る人間を排除してきたし、国民を欺く道具として、国に支配され続けて来たのだ

■ぼくの知り合いで、プロの有機農家が何人もいるが、皆この事故で、生活が根本から壊された。
一生懸命、良い作物を届けたいと努力していた人ほど、打撃を受けた。
福島で自殺した有機農家の方は、本当に無念だったと思う。
なのに、大震災を口実に、利権を貪る連中が存在するとは!
一撃の元に粉砕したい衝動に駆られる。

■「天皇制」に疑問を持ち続けて来たとは言え、現天皇の、追悼式典での振る舞いに、ぼくは感動を覚えさえしました。
天皇を取り巻く人々の醜悪さの中で、彼の真摯さに胸を打たれたのです。
その、「放射能という、困難な問題を克服しよう!」という天皇の決意を、テレビ各局は、「何処か」からの指示で放送しなかった!

■最近、とても気になる風潮がある。
「私達も、原発の電気を享受してたのだから、事故の責任を追及する資格が無いのでは」というものだ。
それが、「文化人」から発せられると、極めて危険。
先の大戦で、反対しなかった自分達にも責任が、という、「一億総懺悔」で、戦争責任を不問にした。
同じ徹を踏んではならない!

■おカネより食べ物が大事、と言ったら「おカネが無かったら食べ物が買えない」と言われた。
ぼくは古い人間なので、食べ物は作るものと思っているが、今では殆どの人が、買うものだと思っているんだと気付かされました。
でも、その認識を変えないと、いつ酷い目に遭うか判らない状況が、目の前に迫っています。

■追悼式典での天皇の、「放射能の問題を克服しなければ」の部分が、NHKほかでカットされていたという。
誰の指示で?
何の為に?
自分に都合の悪い事なら、天皇のお言葉だってカットしてしまう。
一方で、情報の隠蔽、歪曲。
漏らせば厳罰。
国民に番号を割り振り、徹底的に管理。
やり放題の暴走を止めなくては!

■自分を「偉い」と思っている人間ほど、始末の悪いものは無い。
他人の忠告に耳を貸さないから、人間としての器は、いつも空っぽ。
代わりに、思い上がりと傲慢さで、びっしり満たされている。
弱者に寄り添うどころか、これでもかと差別し、排除する。
こうした存在が、原発事故を起こしたとも。
石原さん、あなたの事です。

■3・11後、我が家、我が身に起きた事。
事故の起きた年末、一緒に山を駆け回っていた犬が、突然死んだ。
その頃から、ぼくはタンが切れなくなり、膝から下の皮膚が、所々黒ずみ始め、軽くぶつけただけで皮下出血し易くなった。
2匹の猫は、喉に腫瘍が出来ているようで、嚥下しずらそう。
益々酷くなるばかりだ。

■広島に疎開した娘に、「お父さんも原発に関して何か言え」と促されて始めたツイッターだが、いつも言い放しで申し訳なく思っています。
3・11以降のこの国は、益々酷くなるばかりです。
ぼくの子や孫の世代が、安心して生きて行ける兆しが見えたら、ツイッターを止めたいと思っているのですが……。

■安倍首相始め、日本の支配者達は、この国が自分の物だと錯覚して、私物化している。
だから、国民も自分のものであり、総選挙の公約が嘘だったと分っても、平然としていられる。
私達は、舐め切られているのだ。
日本が、米国の奴隷状態であるように、この国の民も、国家の奴隷なのだ。
もういい加減に奴隷を止めよう!

■TPPへの参加は、最早時代遅れだ。
その方向は、もうとっくに終わっている。
湾岸戦争時、自衛隊の派遣を免れる為、日本は、140兆円とかのカネを出し、世界の「不評」を買った。
その時思ったが、それを環境対策、特に、経済成長に突き進む中国の大気汚染防止の為に使っていれば、人類に貢献出来、感謝された。

■TPPは時代遅れと言ったが、ではこれからの時代とは。
間違い無く、自然を敬い、大地そのものと繋がって食べ物を産み出し、「地域」の人々が支え合ってサバイバルして行く事です。
その地域が、更に周りの地域と繋がって支え合い、足りないもの、余った物をやり取りする。
投機マネーと無縁の世界です。

■新聞各紙で、TPP参加と安倍内閣の支持が急上昇。
そりゃそうだ。
各紙一斉に、TPP交渉参加を持ちあげているもの。
ぼくは27年前から、房総の真ん中で、田畑、山林の荒廃の進行に心を痛めて来た。
何とかしたいと思っても、個人の力では歯が立たなかった。
それを放置、いや進行させたのは、他ならぬ自民党だ!

■この国が壊れて行く。
この国の人々も、一緒に壊れて行くのか。
それともハッと気付いて、「再生」に向かうのか。
その重大な岐路に、私達は立っている。
TPPや、安倍内閣の支持率を見ると絶望的だが、この国の「真実」に気付き始めた人も、潜在的に増えている筈だ。
それが、いつ、どんな形で顕在化するか、楽しみだ

■今、とても気になる二人。
文化放送「ソコトコ」パーソナリティー吉田照美と、「新政府初代内閣総理大臣」坂口恭平。
前者の番組は、今月末で終了しようとしている。
後者は、機能不全に陥ったこの国の、政治システムに代わる、個々の人間が主役の新たなシステム、を創造しようとしている。
終わりと始まり。
何かが産まれる。

■吉田照美さんは、3・11以降のメディア界の中で、突出して、「事実」をリスナーに提供して来た。
3号機建屋爆発後の、アーサー・ビナードさんの、プルトニウム飛散のコメントは非常に貴重だった。
この国の「原発体制」に隠された情報に、光を当て続けて来た彼の存在を賭けたコメントは、ぼくらに勇気を与えた。

■照美さんの番組終了は、年初めから公表されていたが、43年前出演していた、朝のワイドショーでのぼくの降番については、視聴者に、最後の日まで知らされなかった。
そのまま行けば、ぼくは突然、番組から消える事になっていた。
レギュラー出演者が、或る日急に消えるという「異常事態」が、何故起きようとしたか。

■70年当時、ベトナム戦争は、末期的な状況だった。
メディアは、ベトナムでの米国の戦争を、支持していた。
だから、番組内での反戦的発言は、許されなかった。
その一方、ゲスト出演者の中で、米国を支持する者は沢山いた。
その一人の発言に堪りかねて、思わずぼくは、言葉を挟んでしまった。

■ベトナムでの取材を終えて出演したゲストは、それが命がけだったと言い、日本に帰って来て、この国が平和で素晴らしいと言った。
ぼくは反射的に、「あなたが平和だと言う日本の基地から、ベトナム人を殺しに米軍が出撃している事を、どう思っているのか?」と、強い口調で問いただした。

■更に、「数日の取材で、ベトナム戦争が分ったような口は利かないでくれ」といった為、ゲストを怒らせた。
この「事件」後、ぼくは上層部から、ゲストに謝罪するように言われたが、突っぱねた為、問題が尾を引き、その後の「反戦発言」も重なって、とうとう番組から降ろされる事になった。
その日が近付いて来た。

■ぼくにとっての番組最後の日、その枠内のどこかで、視聴者に別れを告げたかったが、とうとう最後まで来てしまった。
メイン司会者が、「突然ですが、今日で、山川さんが番組を降りる事になりました」と告げた。
そのままCМに入る筈だったのに、何故かまだ、1分近く時間が余っていた。
彼がぼくに、発言を振った。

■ぼくに発言のチャンスが回って来た!
ぼくは、これまでの感謝と、この降番が自分の意志では無い事を、辛うじて告げた。
それでもまだ30秒程、時間があったと思うが、言いたい事は山ほど有ったのに、何も言えなかった。
無言の、石と化したスタジオに、永遠と思える30秒が経過し、CМに入った。

■CМに入った途端、突然スタジオが動いた。
ぼくは、10数人の管理職に手足を抱えられ、そのまま役員室に連れ込まれ、つばが飛んで来るほどの罵声を浴びせられた。
一方、TVを見ていた視聴者は、一体何が起きたのか分らず、一斉に局に電話を掛けた為、回線のヒューズが焼き切れ、不通となった。

■ぼくが引き起こした「事件」は、メディアから、スタジオジャックとか言われたが、それまでのバーチャルな繋がりだった「視聴者」と、直接会える事になり、
ただ受け身の状態での視聴から、TVに主体的に係わり、視聴者の意見を反映させ、TVを変えて行こう、という機運が生まれかけたのだが……。

■TV局の後ろに国が、そのバックに米国が、という構図の中で、一人で立ち向かったとしても、所詮は線香花火。
あっという間につまみ出された、というところ。
局アナ生命の終わり。
たったのワンチャンスでした。
だから、ぼくは、吉田照美さんの果たして来た「役割」に、本当に頭が下がります。

■「ソコトコ」は終わっても、吉田照美は終わらない!
これからも、本当の事を発言し続けて行って下さい。
そして、メディアに係わる人達は、照美さんに続き、更に彼を、次々に乗り越えて行って欲しいと思います。
降ろされても降ろされても、新しい人達が登場し、メディアを生まれ変わらせるまで、前進し続けて下さい。


↑以上、ツィッターからの転載おわり


組織というもんは、大きゅうなったら腐り、投機マネーでブクブク太った権力者らの奴隷となり、社会にどんどん毒をまいて、人や自然を傷つける。
その組織の中に居て、良心を持ち続けようとする者は、とことん疲れ果て、傷つけられ、結局は組織の方から吐き出されてしまう。

腐ったヘドロの中に居てもなお、保ち続けた良心は、人一倍キラキラと輝いてる。
その光は、次に続く人たちの、志のエネルギーとなる。
降ろされても降ろされても、疎ましがられても拒まれても、それでも本当のことを伝えようとする人は登場する。
その人の数が多いか少ないか、支える人の数が多いか少ないか、それがその社会の運命を決める。

腐った組織はもう二度と、元の形には戻れへん。
腐ってるんやから仕方がない。
腐ったものは捨てるしかない。
次の命のための肥にでもしてやればいい。

自らすすんで奴隷になるのはもうやめよう。
良心を持つことを恐がるのはもうやめよう。
コメント (9)
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霙と雪と雷と

2013年03月19日 | ひとりごと
昨日、3月18日に、すごく細かい霙が降った。
シャリシャリという小さな音をたてて、空からどんどんどんどん降ってきた。
あっという間にこんな感じ。


空模様が崩れると聞いてたので、決心して、今までずっと手つかずにいた隅っこの落ち葉も、徹底的に片付けた。
わたしがすっぽり入る大きさの落ち葉専用の厚紙袋に満杯のんが6つ。
どんだけ葉っぱ落ちとんねん!!

でもまあ、なかなか気分のええもんですね。
すっきりした猫のおでこ庭にも、その霙が降ってきて、落ち葉の下の、それは真っ黒くろすけの土を、だんだんと隠してった。

夜になって、霙が粉雪になり、あたり一面雪景色。


窓から見える庭続きの家も。


ドライブウェイの車の屋根にも。



そして翌日の今日、今度はしとしとと雨が降り、お昼頃にゴロゴロと雷が2回、でっかいのんが鳴り、それからまた小雨が降り、ぱぁ~っと晴れてお天気になった。

霙と粉雪の真冬コンビは、その春のお陽さんの光にメロメロになって、いつの間にかほとんど溶けて、また土の奥に隠れてしもた。

まだしっとりと濡れてる木に、わらわらと、キツツキやのブルージェイやのロビンやのがやってきて、
まあ今夜もまたマイナス2℃やけどさ、春はとりあえず、すぐそこまで来てるしなと、ちょっと心配になってたわたしを元気づけてくれた。
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良心が次から次へと、組織というどす黒い腹わたから、ゲロリゲロリと吐き出されていく日本は良くなる!

2013年03月18日 | 日本とわたし
堀潤さんががんばってはる。
どういう事情があって、去年の6月から、アメリカのUCLAに留学しはったんかはわからんのやけど、
留学前から彼は、ツィッターやフェイスブックを通じて、個人の思いをガンガン発信してはったから、そしてその思いの多くは、勤め先のNHKにとっては、あんまり都合の良いもんではなかったから、まあ、そりゃいろいろとあったんやと思う。

その掘さん、留学中に作った、原発事故についての記録映画を、アメリカで上映しようとしはった。
ところが、NHK(東京)から突然、「反原発と言われるものは困る」という通達を受け、上映会は中止に追い込まれた。
当然、アメリカの市民は「これが日本の日常?!」と、目を・にしてびっくり。
こんなことがあった後に、日本に戻り、NHKで働くっちゅうのはなあ……と思てたら……ニュースキャスターとしてではなく、料理番組を担当することになったと聞いた。

ふむ……。
組織の中にとにかく残り、同じ志を持つ数少ない人たちと一緒に内側から、メディアとしての在り方を改善していきたいっちゅうことか……。
掘さん、組織って、そういう良心や良識を、なんぼ積み上げたって、一蹴りされたらしまいやで。

なんてことを思てたら、烏賀陽弘道さんがツィッターで、こんなことを言うてはった。

“もし、堀潤さんが個人として良心に目覚めた姿を見て、「NHKは変わるかもしれない」と思う人がいたら、そんな甘えた寝言はきっぱり捨ててください。
組織はそうした、「改革心がある(ように見える)人材」も、見せ金として置いておくのが常道なのです。
もし、堀潤さんの個人的な良心のめざめによって、NHKの番組内容がガラガラと変わるようなら、NHKは組織としてはダメだ、ということなのです。
組織とは、そうした個人の意思を、集団決定というプロセスで淘汰する安全装置なのです。”


その通りやと思う。
掘さんは、いったいどんなふうに闘うていかはるのやろう。

などと考えてたら、ツィッターでこんな情報が流れた。
“堀潤さんが、NHKに退職届を出して受理された模様” 
国会議員からも圧力がかかった、とかいう内容もツィートされてた。
さもありなん。

良心が次から次へと、組織というどす黒い腹わたから、ゲロリゲロリと吐き出されていく。
組織はだから、いつまでも腹黒い。
そんなものを、我々市民の力で変えられる、やなんていう幻想はさっさとほかして、吐き出されてきた良心を、しっかと抱きとめて支えたろう。



日米原発事故、記録映画に/米留学中のNHK堀アナ/ 坂本龍一 さんが音楽提供

原発事故のドキュメンタリー映画を作り、2月末に試写会を開いた堀潤さん=ロサンゼルス(共同)


【ロサンゼルス共同=本蔵一茂】

昨年6月から、米カリフォルニア大ロサンゼルス校(UCLA)に留学中のNHKアナウンサー、 堀潤 さん(35)が、
東京電力福島第1原発や、過去に米国で起きた原発事故の現状を取材し、被災者の苦しみを忘れず、事故の教訓を共有しようと訴えるドキュメンタリー映画を作った。
 
堀さんは、「被災住民の思いなど、時間に制約があるテレビ報道ではカットされる内容まで伝えたかった」と話す。
近く留学を終えて、NHKに復帰する予定で、「市民の視点や、市民が取材した内容を、NHKの報道に取り込む仕組みをつくりたい」と意気込んでいる。
 
映画のタイトルは「変身」で、約70分。
深刻な事故を起こしたロサンゼルス近郊の核施設跡地や、スリーマイルアイランド原発を訪ね、今も、住民が放射性物質による汚染におびえている様子や、逆に、事故が風化しつつある現状などを取材した。
 
福島では、東京電力の協力企業に雇われ、事故処理に携わる作業員に取材。
未経験者が、原発関連の熟練作業員であるかのように、経歴を偽るよう指導される実態も映像に収め、映画に盛り込んだ。
 
スリーマイルアイランドでは、事故後に、市民団体が、原発周辺の住民にヨウ素剤を配布。
放射線の測定装置も拡充させるなど、対策を講じてきたという。
堀さんは「日本は、こうした教訓を全く学んでいなかった。メディアで働く者として強く反省させられた」と話した。
 
堀さんは、個人の立場で、取材や編集をしてインターネットなどでニュース発信する一般市民を支援。
この活動で知り合った音楽家の坂本龍一さんが、音楽を提供した。
 
タイトルは、カフカの小説から取った。
主人公が、次第に周囲から疎まれるようになる過程が、原発事故への関心が薄れていく現在、被災者が置かれている境遇と重なって見えるといい、
「忘れない」、という思いを込めた。
 
堀さんはUCLAで、ネットを使った次世代メディアや、ドキュメンタリー制作を学んでいる。
(共同通信)

↓以下は、堀潤さんからの、ツィッターでの発信

2013-02-19 19:48:22
8bitNewsへの内部告発投稿から、原発作業員に対するピンハネや、不当労働の実態が明らかになりました。
【実名告発・特ダネ】原発作業員を「嘘の履歴書」で現場に。下請け構造不正の実態 – 8bitNews http://t.co/XF11JgKt

2013-02-28 15:37:15
福島浪江町【希望の牧場】雪の日の被爆牛
8bitNews http://t.co/TdUIEqhK1F 代表の吉沢正巳さんの言葉。
「政府からは、殺処分しろと命令が来ました。しかし、我々牧場は、生かし続ける事を選んだ。原発事故の生き証人として、生かし続ける事にしたんです」

2013-03-03 17:48:06
UCLAで、製作中の映画が完成。
福島、スリーマイル、そして50年もの間、詳細が明らかにされてこなかった、カリフォルニア・サンタスザーナ野外実験所で起きた、メルトダウン事故を追った。
いかされなかったスリーマイルの経験。
日本政府が、避難区域を狭めた本当の理由とは。
原発作業員からの内部告発も。

2013-03-08 04:34:25
まさか、自分が「フライデー」されることになるとは……熱愛報道ではありませんが。http://t.co/mmvys3HK26 

2013-03-08 04:51:48
玄海原発3号機 燃料取り出し作業公開 再稼働に向け原子炉点検 佐賀 - MSN産経ニュース http://t.co/0HGIzD2ahq

2013-03-08 05:32:08
「死の恐怖感じた」68%  福島原発事故で出動の警官 - 47NEWS(よんななニュース) http://t.co/UQC0gG5jN7

2013-03-09 14:24:52
ふうっ。闘うのも本当にしんどいなぁ……。

2013-03-09 14:27:53
国民の知る権利を、制度を楯につぶしにかかるとは。

2013-03-09 14:32:23
不安と闘い、情報を求め、事実を知りたいと願う市民の思いを、メディア側が組織防衛のため踏みにじっていく、というのは許されない行為だ。
「皆様の」、というのであればなぜ、そうした市民の願いを、一方的に封殺するのか。
公共メディアは、一部の人間の保身と組織防衛に腐心する、腐った大人達のためのものではない。

2013-03-09 14:48:27
よく「週刊誌なんて」、という言い方をする大手メディアの人間がいるけれど、
今回「フライデー」に掲載された、UCLAでの僕の活動の様子を取材したフリージャーナリストの方は、丁寧で真摯な取材を続けていて、こちらも頭が下がる思いだった。
今日は、ロス留学中の、若手官僚とも話した。
皆、闘っているんだな。


2013-03-09 14:49:29
こうして皆さんからコメントを頂く事が、本当に励みになります。
本当に、本当に、ありがとうございます。
うう。涙。

2013-03-11 14:29:50
震災から2年。
原発事故発生のあの日、私たちNHKは、SPEEDIの存在を知りながら、「精度の信頼性に欠ける」とした文部科学省の方針に沿って、自らデータを報道することを取りやめた。
国民の生命、財産を守る、公共放送の役割を果たさなかった。
私たちの不作為を、徹底的に反省し、謝罪しなければならない。


2013-03-11 14:36:28
パニックを抑え、社会の均衡を保つための判断であったとしても、統制された情報によって、福島県をはじめとした近隣住民の皆さんへ、
長年に渡る不安を与えた事実を正面から受け止め、償いを続け、それだけに、市民に寄り添った報道を徹底しなければいけない。
僕は頭を下げながら、一生この原発事故の取材を続ける。


2013-03-11 14:49:43
自らあの日ニューススタジオにいながら、そうした事実をきちんと伝えられなかったことに対し、心から謝罪します。
福島の皆さん。
取材でそれまで沢山お世話になっていたにも関わらず、役にたてなくて本当に申し訳ありませんでした。


2013-03-11 14:55:17
反原発だと、思想的にレッテルを貼る人がいますが、僕はそうは思いません。
取材をすればするほど、原発の安全対策が不十分であることがわかります。
事故が起きた時の交通インフラや、避難誘導の仕組みも、今は不十分です。
徹底的にこの問題と向き合い、課題解決に知恵を絞らなければ、世界の何処かでまた犠牲出ます。

2013-03-11 15:04:19
僕がUCLAで作った映画が、局内で大問題になり、ロスで、米国市民の皆さんが企画した上映会も、中止に追い込まれました。
「反原発と言われるものは困る」と指摘を受けましたが、事故が起きたことによる不条理な現状を、描いているに過ぎません。
市民が共有し、未来に活かさなくてはならないものです。

米国市民からは、突然の上映中止の通達に、「日本ではこれが日常なのか?」と、怒りを通り越して驚き、理解ができないという声が上がっています。
僕が学生の時に研究した太平洋戦争下の、状況と本質は変わりません。
公共メディアは誰のものか?
知る権利を有する、市民のものです。
表現の自由を有する、市民のものです。
メディアに関わる一人一人が、それらの権利を常に最優先に掲げ、発信に努めなければなりません。
あの日犠牲になり、そして今も、情報が届かなかったことで、不安と向き合う日々を過ごしている皆さんのことを想い、亡くなった方々への哀悼の意を示し、黙祷を捧げます。

政府見解を軸として報道する姿勢に、問題があると思います。
情報は公開されなければ、市民が判断する材料がなくなります。
政府がデータを公表しなかったのは、パニック回避が理由と、後に明らかにされていますが、メディアも一緒になって足並みを揃えるのは、健全ではないと考えています。

心ある、気概あるNHK職員もおります。
そうした皆の努力を結集させて、変えなくてはいけないものを、まずは内側から変えていかなければと思っています。

UCLAの研究者と共に制作し、大学に納めた研究成果物でしたので、主催者の米国市民に対し、東京から一方的に中止を求めるとは思っていませんでした。
しかも、自分達の連絡先を尋ねられても、絶対に答えないというアンフェアなやり方で。
中止の妥当性以前に、不誠実な対応に怒りを感じました。


↓以下は、ツィッターの質問に返信したもの

2013-03-11 17:31:2
僕らアナウンサーに、「個人では色々思いはあるだろうけど、公の場では意見を言わないように」、と局は求めます。

2013-03-11 18:12:55
言葉足らず、失礼しました。
電波は国民の財産、市民が自由に使えるものであって欲しいと思います。
欧米や韓国では認められている、パブリックアクセスという、権利の導入を訴えつづけていきます。


2013-03-11 18:10:20
僕は、当時の全ての状況を公表して、オープンな場で、具体的な課題の共有と改善策の模索を行うべきだ、と主張しています。

2013-03-11 18:04:34
その通りですね。
日本の原発導入は、戦後、共産化を防ぐため、米国との協調により進められ、原発の危険性を唱えることは、国策に反するアカだとのレッテルで、科学者が追われた経緯があると聞いています。
思想的制限の加わらない、対等な議論が必要だと思っています。

2013-03-11 17:54:55
震災前から、国が相当なコストをかけて、研究と運用がされてきたシステムです。

2013-03-11 17:50:33
メディアが、政府一体の機関であるのは健全ではない、という話をしています。
政府が出さないと決めたから、我々も出さないという判断は、妥当かどうか。

2013-03-11 17:43:14
もちろん、この時間にあわせ黙祷を捧げるために、Tweetの発信を順次行いました。

2013-03-11 17:41:15
健康被害の有無以前に、情報が得られなかったことで自ら行動を判断できず、結果として、放射能が高い方へ避難したり、屋外に長い時間いたりしたことで、
現在、不安を抱えている親御さんや、若者などがいる、という状況について言及しています。

残念ながら今のところ。
こちらの米国での研究成果の一つとして、受信料を頂いている皆さんに還元したいと、今後、交渉を進めるつもりです。

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自分に微笑んであげる、こころから

2013年03月17日 | ひとりごと
イスラエル人のミリアムは、空から降り落ちてくる爆弾に殺されないためのおまじないがあった。
それは、天井のある一点のシミから目を離さんこと。
それさえ守ったら、絶対に爆弾が自分の上に落ちてこんと信じることで、3才のミリアムは、恐いという気持ちから自分を抜け出させてあげた。
そのかわりに、重症の不眠症になった。
ティーンを過ぎ、大人になっても、やっぱり眠れへん夜が続いた。
爆弾をいつも落とす側のアメリカで暮らすようになってからも、うとうととしては目覚めてしまう不眠が続いた。

年がら年中疲れてたから、怒りやすかったし、ちょっとのことで怯えたりした。
周りに、あまりにもぎょうさんの死があったから、生きてるのか死んでるのかわからんような錯覚に陥ることがあった。

そんな自分に疲れ果てて、彼女は決心して、気功を学び始めた。
クラスに通い、中国に行き、本を読み、たくさんの疑問を持ちながら、必死で、人生を賭けて勉強した。

「わたしはまだまだ不十分で足りないものだらけの人間だけど、今やっと、ひとつだけ上手になってきたことがあるの」

自分を守ること。

「脳がイヤなことを感知すると、そのイヤなことが脳細胞にサッとしみ込んでいって、ものすごい早さで気持ちに映ってしまう。
脳は目に見える物体だけど、気持ちは目に見えない。
けれども、気持ちはいろんなところに、これまたものすごい早さで、体のあちこちに形になって表れるのよ。
顔や首、それから肩や腰なんかは特にね。
それからもちろん、五臓六腑や血液にも。
だから、脳には特に気をつけないといけない。
自分を守りたいのなら、脳にイヤなことを見せない、見せても感知しにくい、のみ込まれないようなエネルギーの膜を作ってあげたり、
見たとしても、すぐに切り替えられるコツを覚えさせたり、まあいろいろと方法はあるのよね。
一番の方法は、やっぱり瞑想。
自分をなんにも無い所に居させてあげる。
その瞑想の最初にすることはなに?
そう、微笑むことでしょ?
まゆ毛を三回、おでこ筋で引き上げて、口角をグイッと上げる。
最初は多分、上げることが大変かもしれないけれど、そのうちあまり気にならなくなって、気がついたらずっと上がってるはず。
二番めは、これは多分、人それぞれだと思うけれど、笑顔を自分の心の中に向けてあげる。
そうやって、自分に微笑んであげる時間をたくさん作る」

自分に微笑んでやる。

最近読んだ本の中の一節に、いつもニコニコしてたから、それがそのまんま貼り付いてしまったというようなすてきな笑顔の女の子、というのがあった。
それを読んだ時、いつも百万円でも落としたような顔して、と言われてた、ティーンの頃の自分を思い出した。
今のわたしも、百万円とはいわんでも、5千円ぐらいは落とした顔してる。
年令の影響もあって、顔全体がたれてきた。
鏡の前でちょっと笑顔でも作ろかと思てやってみると、10キロの米袋を持ち上げてるぐらいの抵抗感がある。
こんな顔を朝から見せられてる旦那が気の毒になって、ミリアムの教えを実行してみるつもりで、先週末からニッコリ顔の実験中。


「まうみ、自分を幸せにしてあげられない人は、他の人を幸せになんかしてあげられない。
自分に微笑んであげられない人は、他の人にも微笑んであげられない。
うそだと思って、試しに、てきとうじゃなくて本気で、自分に微笑んだり、幸せにしてあげるからねって約束してあげて」

そう言うてミリアムは、あたたかで、やわらかな微笑みをわたしにくれた。
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St Patrick's Day の週末日記

2013年03月17日 | ひとりごと
金曜日の晩には、レッスンを早めに切り上げて電車に飛び乗り、カーネギーホールまで出かけてった。
生徒のエラが、東海岸の高校で優秀なブラスバンドが集まって開かれたコンサートに出場したから。
彼女はパーカッションを担当してるのやけど、その日の曲目ではずっと、大ホールのコンサートグランドを弾いてた。
うぅ~!!羨ましいぞぉ~!!
どの高校もすごくうまい。最後に出てきた大人バンドのワーグナーの壮大な響きに埋もれて、ブラスバンドの練習に没頭してた高校生の自分を思い出した。

土曜日は、レッスンが終ってすぐに、日本に戻る駐在家族の引っ越しセールで分けてもろた、庭仕事セットを取りに行った。
冷たい雪が降る中、旦那とふたりで思案しながら、おっきなハシゴを車の屋根に取り付けていると、留守してはった家の人が戻ってきはった。
海を越えての引っ越しのしんどさが、いやというほど身にしみてるので、ご夫婦の無事と健康を心から祈らずにはおられんかった。

それから続きで、我らが友人でありアーティストの、ジョナサンのコンサートを聞きに行った。
会場のすぐ近くに住んでる友人ジェフの家で、持ち帰りのタイ料理を皆で食べ、旦那とジェフ、それからわたしの3人で出かけてった。

会場に入ると熱気ムンムン。
ただ、その顔ぶれを見ると……平均年令高過ぎ!わたしが若手に入ってしまうほどなんやから……大丈夫かジョナサン……。
始まってみたらもう、そんな心配は全くいらんことやったことがわかった。
ジョナサンの友だちアーティスト、ケニーとエイミーとの息もぴったり。
3人のオリジナルを1曲ずつ披露しながら、あっという間にコンサートは終ってしもた。
ジョナサンのガールフレンド、クレアも丁度ロンドンから来ていて会えた。
コンサートでひと目、いや、ひと耳惚れしたケニーの曲が入ってるCDを買おうと、ケニーの友だち夫婦の前でその一節を歌うも、題名が分からんと言われ、
こうなったらしゃあないとばかりに、本人の前に行き、「I cry~~」と歌うと、ああ、それは一番新しいCDに入ってるよと教えてもらいゲット♪
それを今日は、大音量で聞いてる。



その今日は、聖パトリックの祝日(St Patrick's Day)。
アイルランドにキリスト教を広めた、聖人聖パトリックの命日。
アイルランド人で、バリバリのキリスト教信者のアブリルから、こんなプレゼントをもろた。


いやもう、三つ葉のクローバーなんて……こんなん売って商売したら、めっちゃ儲かるし。
今夜は、マンハッタンの街中で、酔っぱらいが歩いてるはず。
普段やったら滅多に見られへんから、おもろいっちゃあおもろいけど、街全体が酒臭うなるから、この日はマンハッタンには行かへんようにしてる。

さて、うちの3分の2アイルランド人の旦那。
セイント・パトリックさんを偲んでか、こんな夕飯を作ってくれた。


作ってもろたらなんでも美味い!
ありがと~旦那!

元気が出てきたので、前庭の落ち葉掃きと畑の下準備をした。
3時間もかかった。
ちょいと腰にきた。
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『市民が自分たちの権利・人権を獲得するために運動しようと思うと、同じ手が使われる』by 鎌仲監督

2013年03月14日 | 日本とわたし
今週末はパソコンの前に座る時間が無かった。
その分、いろんな人と会い、いろんな話をし、いろんなことを考えた。
今日は3月17日の日曜日。時間は午後3時ちょっと前。

その間に、『遺体』という、石井光太さんによって書き上げられた本を読み終え、今、田口ランディさんの『サンカーラ』を読み始めてる。
石井さんの本の帯には、
《震災、津波の果てに・生き延びた者は、膨大な数の死者を前に、立ち止まることすら許されなかったーーー遺体安置所をめぐる極限状態に迫る、壮絶なるルポルタージュ!》と書かれてある。
そして田口さんの本の帯には、
《迷いながら 私は問い続ける どう生きたらよいのでしょうか
 福島、広島、水俣……日常を生きながら、重い問いかけを受けとめて行く。出会いに支えられて、歩き続ける》とある。

どう生きたらいいのか。
そのことをいつも、心のどこかで考え続けた週末……。


さて、この記事は、1週間ほど前に行われた『子ども信州ネットキックオフイベント』での、鎌仲ひとみさんの講演の内容を、きーこさんが書き起こしてくださったものです。
最近、2回ほど、それもたった30分とか45分とか、そういうビデオの書き起こしをして、そのために4時間も5時間もかかってしまうわたしはやっぱり、このきーこさんの情熱と根性のすごさに、心の底から感心しています。
それも毎日毎日です。あの事故以来……ありがとう、ほんとうに。


↓以下、こちらに打ち直しさせてもらいました。

<前半>「市民が、自分たちの権利・人権というものを獲得するために運動しようと思うと…同じ手が使われます」鎌仲ひとみ3/9子ども信州ネットキックオフイベント(内容書き出し)

鎌仲ひとみ氏(映画監督)「内部被ばくについて」

キックオフイベント
「子どもたちを放射能から守るために信州でできること」

2013年3月9日    動画はこちら↓
http://www.ustream.tv/recorded/29842796


01:15:41~


マコさん達のようにエンターテーメントでない、ちょっとお勉強になりますが、ちゃんと聞いて下さいね。
よろしくお願いします。
そして今日の、信州ネットワークの発足、本当におめでとうございます。

今日は、私たち日本人の、全員の課題であります、
これから、子どもたちをどうやって守っていくのか?
被ばくから守れるのか?という事を、一緒に考えていければと思っています。

そして、どうやって守っていくのか?のためには、やはり、被ばくについて知らなければいけないんですけれども、
先程も、マコさん達の話にあったようにですね、被ばくについて情報が混乱しているんですよね。

その情報の混乱の根っ子、というのがあるんですよ。
その根というのがどこにあるのか?というと、まず、被ばくを理解するための壁が、理解させないための壁が立ちはだかっておりまして、
その壁はいったい、いつ立ったんだ?といいますと、広島長崎に原爆が落とされた時に、この壁は立てられたみたいなものなんです。

そのおかげで、日本は唯一の被爆国と言われているんですけれども、教育では一切被ばくを教えないですね。

放射線は、人間にどんな影響を与えるのか?
こんなにも日本で、1945年の8月6日と8月9日に、世界中で最も多くの被爆者を一遍に出した国なのに、
「被ばくの中身」というものを、教育の中で、一切日本人に教えてこなかったんですね。

だから、今回、福島原発事故が起きた時も、ほとんどの日本人は「なに?」と。

確かに、原発が爆発したのは恐ろしい事だし、放射能はなんだか危険だし、という事は分かっているんだけれども、
「じゃあどれだけ危険なの?」
「逃げなきゃなんないわけ?」って言う、その危険の程度が分からない

私は東京だったんですけれども、本当に、「こんな時に仕事に行くか!」って思う位に、みんな平気で仕事に行っていました

放射性物質が飛んできている。
そういう予測が私は出来ているので、もちろんいろんな人に、
出来るだけ子どもを連れて遠くに「旅行だと思っていってしまいなさい」というふうに勧めましたけれども、
でも、なに一つ国からは、避難勧告とか、たとえば、家の中に屋内退避して、目張りをして換気扇を回さずに、みだりに外に出ないでしばらく閉じこもっていなさいとか、
本来は、そういう事をすべきだったんですね。
そういうことを一切しませんでした。

その、さっき言った根っ子というのはですね、原爆を落とした後に、アメリカが行った言論統制というのがあって、
原爆を落とした後に、アメリカがGHQで日本にやってきて、そして、そこで生き残った被爆者の人達にですね、
その人達は、すごい悲惨な体験をしたんですけれども、そして体がぼろぼろになったんですね。
それに関して何一つしゃべるな」と。
で、お医者さんが治療すると、これまでに見たこともないような症状がでている。
そういう事もしゃべるな」という、すごい厳しい言論統制を5年間やったんですね。

その5年間の間に、言論統制をするくらいですから、被爆者の救済というものはほとんど無かったんですね。
だからその間に、本当に、弱い人から死んでいったんです。

先程も、花粉症のたとえがありましたけれども、やっぱり被ばくに弱い強い、そして敏感とか鈍感とかあるわけですよ。

やっぱり、被ばくの影響を受けやすいのは子どもですから、
子どもからどんどん、被ばくした子どもから死んでいった

で、その5年経った後にですね、今度はアメリカは、ABCCといいまして、「被ばくの影響を調査する」と言い出したんです、5年後に。
その5年後にですね、何をしたか?って言うと、
今度は、その5年間生き延びた、つまり、被ばくはしたけれども生き延びる事が出来た人たちを、合わせて8万9000人捕まえて、
そして、捕まえて離さないんですよ。本当に失礼なやり方で、人権無視するやり方で、治療しないで検査だけして
いろんな、その人たちの人体的なデータをただただ集積していって、そしてその中身に関しては、ずーっと隠していたんです。
つまり被害を隠蔽したんですね。

もうひとつしたのは被ばくの過小評価をしました。

つまり、いろんな調査をしました。
こんな大規模な調査を、専門家たちでやったんです。
私たちの見解が一番信憑性があるんです」だとかと言いながら、
そういうことをやり続けてきて、その生き証人がいるんですけれども、肥田先生、肥田舜太郎さんという、私に被ばくの事を教えてくれたお医者さんなんですけれども、



この方は、27歳の時に広島にいて、原爆がまさしく落ちた時に、その爆心地、広島の真ん中から6km離れた村にいて、その原爆が落ちるのを見てたんですね。

その後に、その村に、わらわらわらわらと、爆心地から何千人もの被ばく者が、ボロボロになって避難してきて、
本当に、人類史上、医師として初めて、そんなにも多くの被爆者を一遍に見て、一遍に治療しなくちゃいけないという局面に立った人なんですけれども、
弱冠27歳だったんですよね。

しかも、今度はその後にですね、原爆が落ちた時に、そこにいなかった人たちが、わらわらとこの村にやってきたんですね。
つまり、広島がすごい被害を受けたというのを聞いて、日本海側にいたり、九州にいたり、四国にいたり、
原爆が落ちた後に肉親を捜しに来た人たちが、放射能まみれの爆心地を、うろうろとがれきの中をさまよって、
そこで食事もし、水も飲み、埃も吸いこんで、そして、内部被ばくをいっぱいして、で、その肥田先生がいる戸坂村に来た時に、
実際原爆に遭った人たちと、同じ症状を出し始めたんですね。

紫斑が出来る、熱を出す、髪の毛が抜ける、ありとあらゆる粘膜から出血する、下血する、っていう感じで、
肥田先生は何の情報も無いので、「これはうつるんだ」と、「伝染病かもしれない」……何の情報も無いわけですからね。

で、肥田先生がGHQに「情報をくれ」と、
「治療するためには、原爆で引き起こされたこの病気が、何なのか知りたい」という事を聞きに行って、
それで、4回刑務所に叩きこまれているんです


でも、なに一つ教えてもらえなかったんです。

その時から内部被ばくは、ずっと隠蔽され続けてきました

そういうふうに、内部被ばくを隠しつつ、なにが起きたのかというと、
今度は、被ばくした人たちの事を、やっぱり補償しなければいけないと、ある程度認めてやらなければ収まりが付かない、ということになって、
こういうふうに、これは同心円というんですけれども、



これが、原爆が投下された爆心地のグランドゼロなんですけど、この真ん中から線を引いて、2km、4km、6kmとか。
「この円の中にいた人は、同等の被曝をした」というふうに考えて、
「この2km圏内にいた人には補償しましょう」
ところが、一歩でも外に出ると、「補償しません」というやり方をやったんですね。
そうすると、同じ被ばくをした人たちの中で、こう…感情的ないがみ合いが引き起こされて、
なんか市民が、自分たちの権利・人権というものを獲得するために運動しようと思うと、同じ手が使われます。

私たちも今、気をつけなければならないのは、
やはりやり方の違いとか、補償の違いによって、同じ被害者が、被害者同士でいがみ合うっていうか、一緒に手を握れないっていう状態が起きるんですね。

それは、運動全体の弱体化に繋がるんです。

今回こうやって、信州ネットが立ち上がりました。
本当に、いろんな考え方の人達が、ただ一つ
子どもたちを、いかに迅速に効果的に、被ばくから守って、健康で安全で安心な毎日を送る事が出来るか
っていうその事に一点集中して、やり方の違いとか考え方の違いとか、なんかそういういろんな違いを乗り越えていくっていう課題は、私はあると思うんですよ。

でも歴史的にみると、差別
で、原爆が落ちた後にですね、何十万人という軍隊の兵士たちが、全国から集められてきた若者たちがですね、
広島だけでも14万人が即死したわけですから、その14万人の遺体を…こう…処理するっていう作業をさせられました。

たとえば、そこに遺体を重ねて焼くとかですね、そうすると、遺体全体が放射性物質になっているので、そんな、戦後にマスクもある訳んですよ、全部吸いこんじゃう。
で、内部被ばくもしたその人たちの被害を、日本政府はほとんど認めてきていないんです。

やっぱり、その後からいろんな病気が出てきて、入市被ばくの人達が、「自分たちの被害も、原爆のせいだという事を認めてくれ」という事を申し立てたら、
直爆に遭った人も、後から入った人も同じように、
「あれは戦争だったんだから、その被害に関しては受忍しなさい」と、
「受け止めて耐えなさい」「耐え忍びなさい」という返答が国から帰ってきて、
それで、ほとんど数%ぐらいしか、被害を認めて医療支援をしてもらっていないんですね。

そういうことを67年間やってきたので、肥田先生は、その集団訴訟をやっているんですね。
死ぬ前に、やっぱりこの、人生の健康被害の苦しみ、
普通の人生を奪われた苦しみを認めてほしい」という事の裁判をやって、
7回やったんですけれども、7回とも地裁では勝ったんです。
でも、日本政府は控訴して、認めようとしていないんですよ。

先程も、水俣病の裁判の事をご紹介いただいていましたけれども、同じような…。
裁判、裁判というよりも、司法そのものが、やっぱりこう、独立性を失わせるような事があるんじゃないかなと思われます。
でもそうやって、実際、明らかに被ばくしたと、原爆が落とされた、そしてそこに入っていった、そこにいた人たちに関してすら、
日本政府は67年間、その被害をまっとうに評価しようとしてこなかったんですから、
今回、福島で起きた事を進んで、被曝によっておこる被害をですね、救済するような仕組みが果たしてあるのかな?と……。
まぁ、ないんですね、無いんですよ、今。
だから、ここは私たちの頑張りどころなんですね。

で、低線量と呼んでいますけれども、100ミリシーベルト。
1年間に100ミリシーベルト以下の被ばくの事を、低線量と呼んでいるんですけど、
こういう言い方が、まァ、そういう専門家たちは、低線量って言うんですけれど、
私は、高線量だと思うんですね。

でも、それに関しては、「確執」と私は呼んでいるんですけれど、
二つの意見がずーーっと平行に対立していて、決定打というか、一つにまとまっていないんです。
だから、もちろん私たち普通の人は、それに関して混乱するのは当たり前なんですね。

で、無害派と言って
「大したことないんだよ、100ミリ浴びても大丈夫だよ」っていうふうに言っている人たちは、確実にいます。

その人達は、たとえばIAEA国際原子力機関
これは、「世界中に原子力技術を普及させよう」「原発を建てよう」という人たち

WHO、WHOはですね、
本来は、そういう子どもたちの健康被害、放射線による健康被害を、真っ先に防護しなければならない国際機関なんですけれども、
何故だか、手が出せないんですね、今回の問題には。
それは、IAEAと協定を結んでいて、WHOが、どんな、すごく重大な低線量の被ばくに関する健康の事実をつかんだとしても、
この、「IAEAのお許し無しには、発表することはできない」というふうに、もう約束してしまっている
んですね。
つまり、WHOの独立性、というものはここで失われてしまっている訳なんですけど、だから、あんまりいい事をしていないんですよ、被曝問題に関しては。

私が「なんでかなぁ?」とずーっと思っていたのは、
イラクに行った時にですね、イラクの子どもたちが、ものすごい小児癌や小児白血病が増えていて、で……薬が無いんですよ。



その薬を、国連が、安保理ですけれども、安全保障理事会が、
大量破壊兵器を持っているイラクには、経済制裁を課せよう、という事で、経済制裁を課したその中に
「抗がん剤をイラクに輸出してはいけない」
「新しい医療情報をイラクに教えてはいけない」、みたいなのが入っていて、
で、何とか白血病には、そういう抗がん剤なしには子どもたちが治らないので、どんどん、こう、死んでいくっていう現場に、98年に、私は居あわせたんですね。

その時、WHOの事務局が、バグダットの国連の事務所の中にあったんですよ。

「なんか、おかしいじゃないですか」というふうに私が言いに行ったら、
そしたらその、ま、
「サダムフセインが、大量破壊兵器を作るかもしれないから、抗がん剤はイラクには輸出させないんだ」
という話をしたんですけど、
でも、その後に、
「経済制裁を課した。それが原因で、すごく多くのイラクの子どもたちが亡くなっている、ということは承知している」って言うんです。

でもそんなのは、公式的には、WHOからは全く何の発表もないですね。

で、やっぱり国際的に、「低線量の内部被ばくは、あんまり大したことはないんだ」と、私はプロバガンダされてきたと思うんですね。
それは何故かって言うとやっぱり、IAEAとかWHOとかICRPという、さっきアメリカの8万9000人調べた、そのデータを基に、
このICRPというところが、放射線の危険と安全の線引きをしているんですけれども、
こういうところとか、国連科学委員会とか日本財団とかですね、日本原子力委員会っていうのは、
「大したことはない」っていうのをずーーーーっとアピールし続けているんですね。

一方で、「いや、すごく心配だ」と、「これは由々しき事だ」「気をつけなきゃいけないよ」というふうに言っているのが、
アメリカの、ニューヨーク科学アカデミードイツ放射線防護委員会とか、ヨーロッパの放射線防護委員会とか、そういうところはですね、
この人達が評価する安全のレベルよりも、もっともっと
100倍も1000倍も、低線量の被ばくは危険だよ」っていうような発信をしているんですね。

で、私たちは、こういう二つの情報が同時にあるので、混乱している訳なんですけれども、
でも、今こうやって申し上げてきたように、原爆から始まって、「いったいどういうふうに被ばくが評価されてきたのか?」っていう歴史的な経緯を考えると、
やっぱり、「何か意図があって、この人達はやっているんじゃないかな」と思いますよね。
だから、そんなに呑気に「大丈夫」って言われている事をうのみにしてはですね、「子どもたちを守ることはできない」っていうのが、私のずっとこの間やってきた感覚なんですね。


<後半>「どんな病気になっても『それは放射線のせいではありませんよ』って言われる可能性は非常に高い」鎌仲ひとみ3/9子ども信州ネットキックオフイベント(内容書き出し)

それで一つですね、「喪失」って言うのが被ばくに伴って、なにか失ってしまうという、ものすごく大きなものを失ってしまうという感覚が、私にはあるんですよ。



それは、イラクに行ったりですとか、世界中の放射能汚染地帯を取材したりとかして、
そして、今回の福島の事とかを取材していると、本当に感じる事は、
たとえば、
「地域そのものが、もう全部失われてしまう」とか、
「ゆっくりと健康が失われていく」とかですね、
それに、私たちはどうやったらいいのかな?って言う事ですけど、
やっぱりすごく難しさがあるのが、人間が、人間の五感の、においをかいだり、肌で感じたり、目で見たり、そういう五感を超えた出来事なんですよね。

で、どの放射能汚染地帯に行っても、みんな「気がつかなかった」って言うんですよ。

アメリカのハンフォードっていう、核兵器工場の風下に、ものすごく沢山、放射性物質がばら撒かれた時も、
そこに住んでいた農民たちは、「気がつかなかった」。
みんながすごく病気になっている、というのは知っていたし、自分たちの家族も、次々と不思議な病気になったりしていくって。
でも、生活に追われて、それが被ばくのせいだとは思いもしなかった。

こういうのをね、「無自覚な被ばく」って言うんです。

被ばくは、無自覚の進行するんです。
だから、工夫しないといけないんですよね。
でも、先程も言ったように、広島・長崎で起きたあの被ばく、人類で初めての、ものすごく大量の数の人達が、被曝させられ殺されたあの事実が、
「いったいなんだったのか?」っていうのを、一番考えなければいけなかったのは、私たち日本人なんですよね。

でも、たとえば、あの原爆は、ひとりの人間を殺すために必要なエネルギーっていうか、
たとえばウルトラマンが、「ウルトラマンビーム」って、わけのわからない光を出して、相手を倒しますよね。

で、一人の人間を殺してしまうために必要なエネルギーって、いったいどれくらいだろうか?と、
ピストルで撃つとか、ナイフで刺すとか、でも原爆は、ひとりの人間を20万回殺せるようなエネルギーを出して、殺したんです。

ああいうのを、過剰殺戮っていうんですよ。
だから、人間の肉体が消滅してしまった人たちもいたんですよね。

「あれはいったい何だったのか?」っていう事を、私たち日本人は、もっともっと考えたり話し合ったり、教育の中で伝えたり、体験を継承して行ったりっていう、
そういう営みを続けていかなければいけない、そういう民族
なんですよ。

だけど、そういうのをしっかりとやってこなかったんですよね。
だからそこに、人間性が人間として踏みにじられた、という事ももちろんあった。

その中身が、そういう殺され方をしたという事ではなく、目に見えない被ばくをして生涯苦しんだのに、社会的に、「自分は被爆者だ」っていうと、就職差別だとか、結婚差別とかね。

それで身体がだるい、ものすごくだるくて働けない……「怠け者だ」って言われたりね。
そういう理不尽な差別を受けるので、自分から積極的に、「自分が被曝した」という事を、
自分の被害を、被害者として訴える事がかなわない社会
を私たちは作ってきてしまったんですね。

だから今、福島で、まさに今、現在進行形で起きている事は、
「自分たちは汚染された」とか、「自分たちは被曝させられた」というのは、禁句なんです。


そんな事、絶対に言えないんですよ。

でもそれは、ものすごく深い、人間の心理に根ざしているんですよね。
そんなこと言ったら、自分で自分を否定してしまうとか、自分の心が折れてしまうとか、
そういう…でも、そこを掘り下げ救済をするっていう事が、やっぱり十分に、あの体験から日本社会はやってこなかったそのツケが、今出ていると思います。

「被爆者世界の終わりに」っていう映画から、私が被曝問題を取り始めてもう13年経つんですけれども、13年間、この被ばくに関する映画だけを4本とってきたんですが、

えっと、これ、サッカーしている、イラクの子どもたちがサッカーしている。
世界中の子どもたちは、サッカーして遊ぶし、福島でもサッカーしています。
子どもたちは、グラウンドでサッカーをしています。

私が、この1998年に行ってショックだったのは、「子どもたちが外で遊ぶだけで被曝する」ということだった。
「そんな事……あるのか!?」
でも今、日本ではそうなんですよね。

まさしく、私たちが生きている日本で、同じ事が起きるようになってしまった。

でも、どうやって、子どもを被ばくから守るか?っていう事を考えて、前に進んでいかないと、本当に子どもたちが救えないので、
今回、この信州ネットが発足した事は、本当に重要な事です。



どうしたら守れるか?っていう事の具体策、最善の策を考えて、みんなでこうすれば、
「どうしようもないんだ」じゃなくて、「こうすればいいんだ」という、そういう具体策を提案して、
それをみんなで、「あ、こうすればいいんだ」っていう事を共有していくっていう事が、大事だと思います。

まず一つは、先程から言われている保養とかですね、避難したりとかですね、本当に、食品とかが安全かどうかを検査していくっていう事ですよね。
後は、情報を開いていくんですよね。

先程マコさんがおっしゃった、どんだけ放射能が出ているか?
どれだけ、さっきは、あれは毎時でいいんですか?

毎時1000万ベクレル

当然ですよ。
だってね、メルトダウンして放射性物質がこう、ダラダラッと溶けて、そこにむき出しにあるそこに、そこを冷やさないと、また爆発しちゃう。
それを冷やすために、直接おだんごに、放射性物質の熱い熱い熱い熱いおだんごに、水をかけているだけなんです。
かければ、水蒸気が出るんですよね。
で、放射性物質は、ある一定の熱で熱すると、揮発性の物質になるんです。
つまり、放射性物質が気体になっちゃうんですよ。
だから、むき出しの放射性物質に、熱い熱いものに水をかければ、蒸気になるのは当たり前で、そこに何にも蓋をしてないんですよ。
で、2年経ったんですよ。


今度はですね、かけた水はもっと危険なんですね。
かけた水がダラダラ~っと、放射性物質を含みながら汚染水になって溝に入り、溝から深いプールの方にためているんですよね。
それが汚染水です。
それをタンクに入れて原発の裏にずーーーっと溜めているんですけど、ついにタンクが満杯になりました。
もうこれ以上溜められない。
だって、そんなの、これからいったいどれくらい続けるんですか。

で、東京電力は「もうこれは海に捨ててしまうしかしょうがない」と。
「しょうがない」と。
そっちの方が、こっちの方がですね、汚染の度合いは、空中に出るよりも多いんです。
蒸気になって出るよりも、水をかけて直接触れたものから、水の中に放射能を含んだ汚染水の方が、もちろん危険ですよね。
それが海中に出て、気体に出て、1000万ベクレルというのは、相当大変な値です


そしてですね、いま、空間線量はちょっと下がってきています。
だけど、やっぱり私たちは、チェルノブイリに学ばなければならないので、これからは空間線量の高さよりも、土壌汚染、食品の汚染が、内部被ばくのカギになってきます。

だから、これはシュミレーションですごく大雑把な汚染地図なんですよね。



これを、もっと精密な土壌調査をして、汚染マップを作らなければ、具体的な対策を建てる事が出来ないし、
避難するにしても、どこから避難させたらいいのか?という事が分からないんですね。

先ほど、原爆が同心円になりました。
あれは原爆だから、出てきた放射線は確かに、同じ距離にいれば同じだけの放射線を浴びるんですけれど、

原発事故は、放射性物質が放出されて、風向きによって、濃いと薄いが出るんです。

その、放射性物質を含んだ気体が飛んでいった時に、雪が降ったり雨が降ったりした時に、空中にある放射性物質を、雨や雪が叩き落として地表に降りそそいだ。
それが残って、こういう土壌汚染になっているんですね。

でも、気体はあったんですよ。
その気体が大事なんですよ。
えー、で、その気体が、今も出ている訳なんですけど、



ここは、チェルノブイリの原発なんですが、こんな広範囲にわたって汚染が広がったんですが、皆さんここでちょっと、よくよく見て下さい。



この、色の付いているところが汚染なんですけど、でも、これは気体がどうやって拡散したのか?という、この中は全部、放射性物質が含まれています。
だから、ここにいる人達は呼吸によって、これを吸いこんでいました。

雨が降りました。雪が降りました。霧が出ました……っていうところだけが、さっきの赤い色になっているんです。

だけど、この放射性物質を含んだ気体が通過したところにいた人達は、呼吸器を通じて吸いこんじゃった。
呼吸器を通じた被ばくが起きているんですね。
で、ここに行った時に、雪が降ったり雨が降ったり、こういうふうに。
これはですね、非常に精密なシュミレーションなんですね、フランスの原子力研究機関がつくったものなんですけど、
でも、こういうことももちろん、日本で起きたんですね。

それでどうなったか?というと、チェルノブイリの場合は、これはベラルーシなんですけど、こういう、原発の中心から離れた所にも、すごく濃いところが沢山出来たし、
さっき言った、煙がぐるぐると回ったところで土壌汚染が起きたのは、雨が降ってその時に、雨が降ったこういうところなんですよ。

でも、こういう所に住んでいる人だけが被曝したのではない、という証拠があるんですね。

これはベラルーシなんですけど、ここは、ポーランドとの国境なんです。



ここは、600km離れています、600km。
で、ここは薄いんですよ、汚染が。
だから、これまではあんまり大したことはないと思われていたんですけど、去年ここに取材しに行ったら、
26年経っても、甲状腺チェックを毎年やっているんですね。



そうすると、この方は29才なんですけど、86年当時は3歳だった。
その時にあの気体を、吸いこんじゃったんですね。
だから、いますごい問題が出ているんですよ。

1986年事故当時、すでに生まれていた子どもは全て、リスクを持っている、っていうのが、ベラルーシとかウクライナの考え方です。
だから、26年経ってもリスクは存在する、という事で、甲状腺医療検診を毎年やっているんですよ。
すごいGDPの低い国なんですけれども、日本よりももっともっと……だって……確か……福島は、2年に一回しか検査しないって、マコさんが言っているんですよね?
2年ですよね。

でも、こうやってちょっと問題が見つかると、半年に1回とか、すごく丁寧に見守るというか、そういう事をやっているんですね。



で、この工場には、3000人の女たちが働いていて、この人達は本当に甲状腺が心配なので、この医療検診に必ず参加して、
たまたま、その工場にやって来てくれるので、無料でやってくれる検診なんですね。
無料で、全員やるんですよ。
そういう意味では、日本でだってですね、この全域に住んでいる人たちの検診が必要です。
大人も必要かもしれない
、ひょっとしたら。
10代、20代ぐらいまでやった方がいいんじゃないかな、と思います。

そしてですね、地域で食品検査をする事が、日常的に行われています。
タダです



このジャガイモを、このおばさんが測ったら、7ベクレル位ありました。
みんな、自分の家で作って、高いか低いかもわからずに食べるので、すごい放射線量が上がっちゃったんですね。

で、10ベクレル食で、子どもの7割に健康異常が出る、という報告もあります。

10ベクレル食を食べ続ける事によって、体内にずーっと放射性物質があって、出ていかないっていう状態に会って、
一定量がずーっとある、という状態が保たれると、やっぱり健康リスクが高まる、という事になるんですね。

で、この子はですね、ナスチャーちゃんなんですけど、
私の「内部被ばくを生き抜く」っていう映画に出てくる、スモールニコワさんっていうお医者さんの患者さんで、生まれて……2歳位の時に、子宮がんになっちゃったんですよ。



それが転移して、大変だったんです。
今は手術をして、こうやって元気そうに見える。
で、同じ姉妹、同じ学校の友達は、元気なんです。
こういう事が起きるんです。

放射能汚染を受けた場所に行くと、クラスの中で何人かが病気になるんです。
もちろん、全員が全員、すごく重大な病気になるわけではないけれども、何人かはなる。なっています。

そうすると、「じゃあ今、元気そうに見えるしいいんじゃないの?」と思うでしょ?

「甲状腺なんて命に別条ないよ」っていうんですよ、福島県立医大の人達は。
日本の甲状腺の専門家たちも、「いやぁ、そんなに大した手術じゃないんだ」と。
「子ども時代に甲状腺を取ったって、ホルモン剤を飲めばいいんだ」と。
「副作用もないし、大したことない」ってみんな言う
んですけど、

このナスチャーちゃんは、こうやって、写真に写っている時は元気そうに見えますけど、
話をしてみると、「自分の子宮がもうない」「妊娠も出来ない」ということ、自分の将来に対して、ものすごく深く絶望しているんです。

カウンセリングを受けたりとかですね、もうすごい精神的なケアが大変です。
そういう事が起きるんですよ。
本当はならなくてもいい病気なんですよね、本来であればね。

でもそれが、放射線由来であるかどうか?っていうことが、すごく証明するのが難しいんですよね。

これからどんな病気に、今、福島にとどまり続けることで、どんな病気になっても、
「それは放射線のせいではありませんよ」って言われる可能性は非常に高いですね。

だから、なり損です。
だからこそ、病気にならない工夫をしなくちゃならないんですよ。
やっぱり大切なのは、被ばくの●を身につけることだと思います。
なんなのか?
わかってる事はどこまで分かっているのか?
わかっていない事の方が多いんですけど、分かっている事を私たちが理解する。
そして、なにをすれば防げるのか?っていうことも理解する。
これがすごく大事ですし。

えー、今、起きている事態は複雑です。
ものすごく複雑で、単に医療問題でもないし、地域全体の、文化的・社会的・経済的問題なんですね。

だから、先ほども佐藤さんがおっしゃったように、一概に避難できない、一概に除染したから住めるわけでもないし、すごく複雑なんですよね。

それをやっぱり、一つ一つ理解しなければいけないと私は思います。

だけど、その理解が進む前に、日本はそれを忘れようとしているんですよ。

忘却の波が。
なんかこう、「もう済んだ事だ」。
そういう事にしないためにも、私は、お母さんたちの苦悩を理解する必要があると思うんです、真っ先に。
母親革命」というふうに、この映画の中で言っているんですけれども、「移住」か「とどまるか」の二者択一ではない解決が必要なんですね。

そして、チェルノブイリ連帯基金の代表の鎌田さんは、
「もし福島にとどまるなら手打ち続ける必要がある」と。



それは、移住や避難保養がベスト、いろんなセカンドベストがあると思うんですけれども、
でも、確実に、福島にとどまり続ける子どもたちは、存在し続けます。
その子たちを、「避難しないから」ではなく、やっぱり手を打ち続ける
何らかの最善の策を考え続けるっていう事を、外にいる私たちもしなくちゃいけない。

それはやっぱり、子どもを守ろうと苦闘するお母さん達と繋がるっていう事だと思うんですね。



これは私の「内部被ばくを生き抜く」に出てくる佐々木るりさんで、息子の●君ですけれども、本当に苦しんで悩んでいました。
だから、そういう悩みを少しでも軽くするために、そして、子どもたちの健康のために、この信州ネット、出来る事が広がってきました。
皆さん是非、協力をお願いします。


本の宣伝をしてもいいですか?



「ミツバチ革命が始まる」というのは、私の、13年間の映画をつくってきたことで気が付いた事を、本にさせていただきました。


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そしてこれは、福島大学の1年生と授業した本なんですけど、これは信州ネットではないんですけど、印税は全て、福島の子どもたちが、広河さんの沖縄に行く費用に寄付しています。

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そして、「今こそエネルギーシフト」
飯田さんが書いた本なんですけど、この印税も全て、太陽光パネルを被災地に付けるお金に寄付していまして、もう200万円を超えました。

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みなさん、これを買っていただくだけで、小さな貢献になりますので、読んだらみんなで回してみていただくとかですね、

で、「内部被ばくを生き抜く」のビデオは上映権が付いていますので、買っていただいた方は、上映会を開く事が出来ます。
DVDご購入方法はこちら
ありがとうございます。

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どちらがどちらを助けるのではなく、ただただ一緒になって、苦難をシェアし重荷を分け持ち未来を目指す

2013年03月14日 | 日本とわたし
3月の8日に書いた記事『放射能汚染から子供を助けようと、声さえ上げられんのは、溺れた子供を放っとくのと同じや!』で紹介したビデオ『覚醒』の中にも出演しておられた守田さん。
その守田さんのブログ明日に向けて(641)の記事を紹介させていただきます。
福島を忘れないで(齋藤夕香さんの訴え)
2013年03月13日

守田です。

連日、この間の、脱原発行動の様子をお伝えしていますが、
今宵は、3月9日に、東京・明治公園で行われた「つながろうフクシマ!さようなら原発大集会」の動画から、福島から京都に避難している齋藤夕香さんの発言を、ご紹介したいと思います。
齋藤さんは、京都にこられてから、伏見区丹波橋に立ち上がった市民放射能測定所に参加し、中心メンバーとして活躍している方でもあります。
僕も何度もお会いしてお話をしたり、一緒に放射能のことを学んだりしてきました。

今日、この発言をご紹介するのは、ここに私たちの脱原発の大きな原点があるのではないか、と思ったからです。
齋藤さんは発言の中で、福島のおかれた厳しい現実を語り、福島への協力を訴えています。
彼女の家は、放射線管理区域に相当する線量の中。
しかし、そこには、彼女のご両親や高校生の娘さんが、今も住んでいます。
そうした状況におかれ続けている福島の人々、東北・関東の高線量地帯にいる人々を、それ以外の地域の人々は、必ず助け出さなくてはいけない。
少なくとも、何らかの支援をしていかなくてはなりません。

しかしその際に、私たちが忘れてはならないのは、こうした齋藤さんをはじめ、放射能で苦しみを重ねている人々の、心から絞り出すような訴えこそが、
私たちの、全国津々浦々からの脱原発の声の高まり、行動の高まりを、作り出し続けている
のだということです。
その意味で、福島への協力を訴えている彼女たちによって、先に、それ以外の地域の人々は背中を押され、助けられ、支えられてきたのだということです。
それがあってこそ、私たちの国の原発は、今、たった二基しか動いてないのです。
被災地域の外の人々は、先に助けられている!
僕はそう確信しています。

だからこそ、私たちは、被災地域の人々をどうしても助けなくてはならない。
いやもう、どちらがどちらを助けるということではなくして、ただただ一緒になって、苦難をシェアしあい、重荷を分け持って、そして未来を目指さねばならないと思います。
それを通してこそ、私たちは、私たちの世の中を変えることができる。
今は貧困な私たちの関係性を、豊かなものに転換できる
と思います。
そのためにも、齋藤さんの訴え、ここに象徴される、東北・関東の人々の叫びを、みんなで分かち合っていきましょう。

以下、彼女の発言を中心に作られたビデオクリップと、発言の書き起こしをご紹介します!
当日の、東京などのデモの様子を伝えたニュースと、ビデオも紹介します。

*****

「福島を忘れないで」~脱原発集会で避難者が訴え
http://www.youtube.com/watch?v=7licUlQRJCc

「福島から京都に避難した斎藤夕香さん(3:56より)」

私は子どもが4人おりまして、震災当初は、福島市飯野町というところにいました。
原発から約50キロ弱の町です。
今は、強制避難区域になった飯館村が、うちの町に来て、いろいろと、変わらない状況です。
震災が来る前は、本当に平和に暮らしていました。
震災が起こって、原発が爆発して、そのときも、私の中ではよくわからなかったのですけれども、
毎日、新聞を見ていても、だんだん地面の高い線量の方を報道しなくなって、空間線量ばっかり報道するようになって、何かおかしいなと思いました。
その線量もよく分からない人間だったので、それからネットで調べて、もうあそこは放射線管理区域で、人が住んではいけない地域なんだと、
自分で測って、目で見てやっと分かって、それからいろんな周りの生活が、すっかり変わってしまいました。

当時の5月23日、20ミリシーベルト撤回交渉に、文科省に行きました。
そのときから、本当に自分の、普通にしていた仕事も手につかなくなって、周りの家族や友だちの、一番大事だと思う人に、この状況を凄く説明したのですけれども、全然、実感がわかなくて、やはり目に見えないので。
それをどう説明しようかと、学校の先生のところにも、しょっちゅう通っていました。
うちは子どもが多いので、中学校、小学校、保育所の先生に、それぞれに言いにいって、まだ全然、除染もする前に、外に出そうとしている大人がたくさんいたのです。
ぜんぜんもう、本当は子どもをそんなところで遊ばせていけないと、それが分からないのです、みんな。
本当に知らされてなくて。

すごく、報道の人たちがたくさん福島に来て、なんで避難しないの、なんで避難しないのって言われていたのですけれど、
うちは避難区域ではなくて、強制的に避難しろとは言われてない区域で、でも放射線管理区域なのですけど、指示が出ていない地区です。
なので、自主的に避難するほかなくて。
でも、ほとんどの人が動けてないのが現状で、私はもう、なんとかして動かなくちゃいけないと思って、やっと去年の1月に決断して、京都に動いたので、遅い方なのです。
うちは、福島で、高校生の娘が普通に生活しているので、やはり大きい子どもは、なかなか連れて来ることができません。
自主的に、強制的になんて言っても、連れてくることができないので、悔しい思いをしているのですけれど、私が来れているのも、親が元気だからなのです。
介護状態だったりしたら、私は京都にまで来ることなどできないし、地元で踏ん張っていくしかないです。

みんな本当に、顔で笑っているかもしれないけれど、心の中では凄く泣いているのですよ。
そういう状況を、本当にもう、みんな終わったって、収束したって、すごい思っているみたいなのですけれども、
全然そうではないのだということ、むしろ悪化しているのだということを、もっと報道の人たちに取り上げてもらいたいです。

私たちも、本当にもう、忘れ去られるのではないかと、不安でいっぱいなのですけれども、動く人も決まってくるのです。
私も、本当に何度も、やめて帰りたい、と思ってしまうこともあるのですけれども、やはり誰かが言わないと、きっと変わらないし、
これから子どもたちを、どうやって守っていったらいいのか、本当に、自分しか信じる人がいないくらいの状況なのですけれど、
やはり、大人の責任でこういう社会を作り上げた以上は、私も大人なので責任があると思って、ただ単にそういう気持ちだけで、京都に避難をしました。
本当に、みなさんの力が必要なので。
福島の人たちも頑張っているのです。
なのでどうか、みなさんの協力で、なんとかこの世界を変えてもらいたい。
この国がこんな国だったなんて、最初はもう、本当にがっかりしていたのですけれども、
でも今、こっちを向いて聞いてくれている人がこんなにいるということを、私は今、確認できたので、どうぞこれからも協力してください。
どうもありがとうございました。

*****

脱原発を訴えるデモや集会、全国各地で(TBS NEWSi)
http://www.youtube.com/watch?v=09LMrqB2dTc

脱原発訴え、国会周辺に4万人(2013年3月10日)
http://www.youtube.com/watch?v=XVyFU_Dsa0E

↑以上、転載おわり
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