わ! かった陶芸 (明窓窯)

 作陶や技術的方法、疑問、質問など陶芸全般 
 特に電動轆轤技法、各種装飾方法、釉薬などについてお話します。

現代陶芸62(原 清)

2012-03-02 22:16:07 | 現代陶芸と工芸家達
1) 原 清(はら きよし) :  1936年(昭和11年) ~

 ① 経歴

  )  島根県斐川町(現在の出雲市)で、農家の四男として生まれます。

  ) 1954年 石黒宗麿の内弟子となり一年後、清水卯一に師事し陶芸を学び、京都で作陶の修行に

     入ります。石黒宗麿との出会いは、原氏が京都の陶芸関係の職場で働いていた時、たまたま

     立ち寄った石黒氏に認められ、内弟子に成ったとの事です。

     注: 石黒 宗麿( むねまろ、1893年~1968年)は、富山県射水市 の出身で1955年に

     「鉄釉陶器」で人間国宝に成った陶芸家です。

  ) 1958年 第五回日本伝統工芸展に初入選を果たし、以後同展に出品を続けます。

     1961年 日本工芸会正会員に成ります。

  ) 1965年 東京都世田谷に工房を構え独立します。後(1976年)に埼玉県大里郡寄居町に移します。

     1969年 「鈞窯の鉢」が日本工芸会賞を受賞し、文化庁買上に成ります。

     1972年 東京青山と東京三越本店で個展を開催します。その後も、東京銀座、松江市などで

     個展を開いています。

  ) 1982年 中華民国国立歴史博物館の「日華現代陶芸展」の招待出品を始め、香港芸術館、

     米国スミソニアン国立博物館の「日本現代陶芸展」などに出品を重ねます。

  ) 2005年 「鉄釉陶器」で重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定されます。

 ②  原 清氏の陶芸

    師匠の石黒氏と清水氏の影響を強く受け、鉄釉と鈞窯(きんよう)釉が特徴です。

  ) 鉄釉: 鉄を呈色剤に使う釉を鉄釉と呼びます。黒味を持つ黒釉を天目釉と言い、褐色の釉を

     柿釉とか褐釉といいます。鉄釉は添加物によって、大きく変化し易いです。

     一般に鉄釉は、酸化焼成で行います。

    a) 基礎釉として、長石、珪石、石灰を混ぜます。黒色釉では、鉄8%位を混ぜます。

    b) 褐釉では、鉄を2%を混ぜ、更に発色(彩度)を良くする為に、骨灰や酸化チタンを混入

     させています。

    c) 原氏の作品では、「鉄釉馬文壷」(1979年)の様に、褐色釉に黒色釉で馬や大地の文様が

       浮き出ています。この技法は、文様に合わせてラッテクウス(陶画のり、ゴム抜き)を

       塗っ他後、全体に褐色釉を塗り、その後ラッテクウスを剥がし、黒釉を塗って褐色と

       黒色を対比させています。

       この様な作品に、「鉄釉鳥文鉢」や「鉄釉樹文鉢」(1981年)があります。

       黒色と褐色の二種類の釉薬を駆使し、大柄な色面で文様を描いています。

  ) 鈞窯釉(きんようゆ): 大正~昭和に掛けて、中国よりもたらされた物で、石黒宗麿氏が

     鉄による呈色で、完成させます。 

   a) 原氏の鈞窯釉は、青味掛かった白濁釉に、銅を呈色剤とした赤紫色の斑文のあるのが特徴に

     成っています。白濁釉は藁灰を基礎釉にし、珪酸鉄や素地中の鉄分によって青味を強くだして

     います。

   b) 銅釉で文様や、斑点をつけて、還元焔で焼成しています。文様や斑点は赤紫色に発色します。

   c) 作品は「鈞窯八角鉢」(1974年)「鈞窯鉢」(1981年)、「鈞窯紅彩壷」(1982、83年)などが

     あります。


次回(玉置保夫氏)に続きます。
コメント
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