前回に続き、山田常山氏の話を続けます。
③ 三代常山の陶芸
) 常山の急須の形は、「鎌倉形」と言い、鎌倉時代の常滑焼の大壷は、肩が大きく張った
緊張感のある形をしています。その形に倣って作られた常山独特の形と成っています。
又、注ぎ口や把っ手の付け根に、わざと指跡を残し、柔らか味を出していますし、
急須の蓋にも「林檎のへた」を模倣したりして、色々面白い工夫がしてあります。
尚、「常滑燻し茶器」は焼成した茶器を、もう一度窯で焼いて色を出したものです。
) 急須以外にも、抹茶茶碗、水指、花入、大皿、大壷や、鉢、酒盃なども作っています。
酒盃などや茶碗は煎茶の色を楽しめるように、内側に白泥を塗ってあります。
作品としては、「紫泥つる首花入」「梨皮紫泥組鉢」「梨皮鳥泥水柱」などがあります。
) 登窯による真焼(まやけ)について
当初は常滑市前田の共同窯の登窯を使っていましたが、公害問題で廃止になります。
そこで夏敷に自宅兼工房を移し、同時に登窯を築きます。ここで「真焼」と呼ぶ自然釉の
焼き締の作品を作る様になります。
自然釉の作品には、燃料の薪に竹を混ぜる事で、青みがかった金属的な色合いの出ている物も
あります。
) 急須造りの際、各部品を組み立てる際に、注意する事があります。
a) 注ぎ口の取り付け角度と高さに注意する事。
高さが低過ぎると、急須の容積が少なく成ってしまい、高過ぎると、お茶を注ぐ際、
注ぎ口からではなく、本体から流れ出してしまいます。
b) 把っ手が横方向に付く場合、注ぎ口と直角(90度)ではなく、やや鋭角(80度程度)に
すると、使い易いです。又、バランス良く組み立てられているかを確認する方法に
把っ手を垂直に立て、静止できればバランスが取れている事に成ります。
c) 一般に急須は右利き用に造られています。左利きの方には使い難いです。
それ故、左利き用の急須を作る事も一考かと思います。
) 絞り出し茶注「宝瓶(ほうびん)」は、轆轤挽きでなく、手捻りの作品を良く見かけます。
轆轤挽きによる硬さが無く、手捻り特有の温かさがあります。
尚、出光美術館では、常山氏の作品を購入し続けており、そのコレクションを披露しています。
三代没後は四代常山(想)に引き継がれます。
2) 谷川 菁山(たにがわ せいざん):1940年(昭和15)~ 2011年(平成23) 享年72歳
山田常山氏と同様に、常滑で急須を作っている陶芸家に、谷川 菁山氏がいます。
① 経歴
) 愛知県常滑市に生まれ、常滑高校窯業科を卒業します。
祖父は轆轤挽きで、急須を作っていたようです。高校卒業後、一時兄に学んだが、ほとんど
独学で轆轤技術を習得したと言われています。
) 月に千個もの急須を、十年間轆轤挽きし続け、紙の様に薄い肉厚の作品が作れる様に成ります。
但し、谷川氏の二十代半ば頃までは、急須は余り売れなかった様です。
東海道新幹線が開業した昭和39年頃より、需要が増え注文も増えて来たとの事です。
) 1981年 第二十九回日本伝統工芸展で「窯変梨地茶注」が初入選を果たし、以後20回余り
入選しています。1982年の伝統工芸展では、「常滑窯変盤」が奨励賞を受賞します。
日本工芸会 正会員に成っています。
② 谷川 菁山氏の陶芸
) 作品は朱泥、紫泥、梨皮、窯変、藻掛等の急須が多いです。
藻掛は、器の表面に海藻を掛けて焼き締めたものです。これは備前焼の緋襷が藁を使うのに
ヒントを得て、海藻を使って同じ効果をもたらすものです。
) 轆轤挽きでは、底の広い急須は一個挽きで、狭い急須は数挽き(棒挽き)で行っています。
湯の切れを良くする(尻漏れを防ぐ)為には、注ぎ口の口先内側を金ヘラで薄く削り、
更に口先の下部を下に向けると良いそうです。
) 作品は電動轆轤を用い、ガス窯や電気窯で焼成しています。
朱泥や紫泥の急須は1100℃、約24時間で酸化焼成するそうです。
藻掛の急須は、1250℃、約20時間の焼成との事です。尚藻掛用の土は、肌の白い土が効果的に
発色します。
) 1970年代の作品は、緑泥、練り込みの急須等を多く製作しています。
参考文献: 「陶工房」急須を作る(谷川 菁山の急須づくり)No. 11(誠文堂新校光社)
次回(江口 勝美氏)に続きます。
③ 三代常山の陶芸
) 常山の急須の形は、「鎌倉形」と言い、鎌倉時代の常滑焼の大壷は、肩が大きく張った
緊張感のある形をしています。その形に倣って作られた常山独特の形と成っています。
又、注ぎ口や把っ手の付け根に、わざと指跡を残し、柔らか味を出していますし、
急須の蓋にも「林檎のへた」を模倣したりして、色々面白い工夫がしてあります。
尚、「常滑燻し茶器」は焼成した茶器を、もう一度窯で焼いて色を出したものです。
) 急須以外にも、抹茶茶碗、水指、花入、大皿、大壷や、鉢、酒盃なども作っています。
酒盃などや茶碗は煎茶の色を楽しめるように、内側に白泥を塗ってあります。
作品としては、「紫泥つる首花入」「梨皮紫泥組鉢」「梨皮鳥泥水柱」などがあります。
) 登窯による真焼(まやけ)について
当初は常滑市前田の共同窯の登窯を使っていましたが、公害問題で廃止になります。
そこで夏敷に自宅兼工房を移し、同時に登窯を築きます。ここで「真焼」と呼ぶ自然釉の
焼き締の作品を作る様になります。
自然釉の作品には、燃料の薪に竹を混ぜる事で、青みがかった金属的な色合いの出ている物も
あります。
) 急須造りの際、各部品を組み立てる際に、注意する事があります。
a) 注ぎ口の取り付け角度と高さに注意する事。
高さが低過ぎると、急須の容積が少なく成ってしまい、高過ぎると、お茶を注ぐ際、
注ぎ口からではなく、本体から流れ出してしまいます。
b) 把っ手が横方向に付く場合、注ぎ口と直角(90度)ではなく、やや鋭角(80度程度)に
すると、使い易いです。又、バランス良く組み立てられているかを確認する方法に
把っ手を垂直に立て、静止できればバランスが取れている事に成ります。
c) 一般に急須は右利き用に造られています。左利きの方には使い難いです。
それ故、左利き用の急須を作る事も一考かと思います。
) 絞り出し茶注「宝瓶(ほうびん)」は、轆轤挽きでなく、手捻りの作品を良く見かけます。
轆轤挽きによる硬さが無く、手捻り特有の温かさがあります。
尚、出光美術館では、常山氏の作品を購入し続けており、そのコレクションを披露しています。
三代没後は四代常山(想)に引き継がれます。
2) 谷川 菁山(たにがわ せいざん):1940年(昭和15)~ 2011年(平成23) 享年72歳
山田常山氏と同様に、常滑で急須を作っている陶芸家に、谷川 菁山氏がいます。
① 経歴
) 愛知県常滑市に生まれ、常滑高校窯業科を卒業します。
祖父は轆轤挽きで、急須を作っていたようです。高校卒業後、一時兄に学んだが、ほとんど
独学で轆轤技術を習得したと言われています。
) 月に千個もの急須を、十年間轆轤挽きし続け、紙の様に薄い肉厚の作品が作れる様に成ります。
但し、谷川氏の二十代半ば頃までは、急須は余り売れなかった様です。
東海道新幹線が開業した昭和39年頃より、需要が増え注文も増えて来たとの事です。
) 1981年 第二十九回日本伝統工芸展で「窯変梨地茶注」が初入選を果たし、以後20回余り
入選しています。1982年の伝統工芸展では、「常滑窯変盤」が奨励賞を受賞します。
日本工芸会 正会員に成っています。
② 谷川 菁山氏の陶芸
) 作品は朱泥、紫泥、梨皮、窯変、藻掛等の急須が多いです。
藻掛は、器の表面に海藻を掛けて焼き締めたものです。これは備前焼の緋襷が藁を使うのに
ヒントを得て、海藻を使って同じ効果をもたらすものです。
) 轆轤挽きでは、底の広い急須は一個挽きで、狭い急須は数挽き(棒挽き)で行っています。
湯の切れを良くする(尻漏れを防ぐ)為には、注ぎ口の口先内側を金ヘラで薄く削り、
更に口先の下部を下に向けると良いそうです。
) 作品は電動轆轤を用い、ガス窯や電気窯で焼成しています。
朱泥や紫泥の急須は1100℃、約24時間で酸化焼成するそうです。
藻掛の急須は、1250℃、約20時間の焼成との事です。尚藻掛用の土は、肌の白い土が効果的に
発色します。
) 1970年代の作品は、緑泥、練り込みの急須等を多く製作しています。
参考文献: 「陶工房」急須を作る(谷川 菁山の急須づくり)No. 11(誠文堂新校光社)
次回(江口 勝美氏)に続きます。