轆轤作業が男の仕事とされていた時代に、女流陶芸家としての道を切り開いてきたのが辻協さんです。
(名前から、女性と判断されない様に、「協」一文字にしたそうです。)
現在では、電動轆轤が普及し、自分の手足で回転させる事も無くなりましたが、当時は大変な力仕事で
女性で轆轤作業をする人は、ほとんどいなかったそうです。
1) 辻 協(つじ きょう 本名協子=きょうこ): 1930年(昭和5)~ 2008年(平成20年)享年77歳。
① 経歴
) 東京都品川区上大崎長者丸で、和田茂氏の次女として生まれます。
1948年 神奈川県立平塚高校を卒業後、東京女子美術専門学校洋画科に入学し、1952年に
同校を卒業します。
同年新工人会員になり、会の創立者である陶芸家の辻清明氏と知り合います。
) 1953年 清明氏と結婚し、陶芸を始める様になります。又 同年光風会工芸部でガラス絵と
陶板が入選します。
1955年 現代生活工芸協会員になります。同年 東京都多摩市連光寺に登窯を築き、
「辻陶器工房」を設立し、以後この地を拠点として、清明氏と共に作家活動を続けます。
) 1956年 「現代生活展」(朝日新聞社主催)に出品します。
1961年 東京日本橋三越の「国際女流陶芸展」に招待出品します。
招待出品は辻協さんのみで、この事が陶芸家として注目を集める切っ掛けになります。
1962年 女流作家だけの「めだか」会を結成し、銀座の画廊で作陶展を行います。
同年 東京三越で「辻清明・協二人展」を開催しています。
1965年 「現代国際工芸展」(東京国立近代美術館・朝日新聞社共催)に招待出品します。
) その後も銀座松屋、五島美術館(東京)、ボストン美術館(シドニー)、京都近代美術館など
多くの展示会や会場に出品しています。
尚、1969年には「信楽大鉢・月光」が、東京近代美術館の買上となっています。
1970年に女性としては初めての、日本陶磁協会賞を受賞します。
② 辻協さんの陶芸
作品は信楽焼風の、主に手作りによる、料理を盛る食器作りが中心でした。
) 焼締: 信楽の原土の大粒の長石(ハゼ石)を取り除き、一年間以上寝かせた土を使います。
焼成は素焼きをせず、登窯で1300℃程度の高温の酸化焔で焼成しています。薪は松のみ使用
するとの事です。
) 自然釉の作品では、備前焼の牡丹餅や火襷などの手法を取っています。(1956年頃から
備前焼の藤原啓氏の元へ、度々訪問している事も大きく影響していると思われます。)
a) 牡丹餅文様の着け方にも、工夫が見られます。
内側(見込)底に大きな牡丹餅がある、「信楽大鉢・月光」(径49.8cm、東京近代美術館)、
「焼締大鉢・菊菱」(1980)等の作品や、見込みにドーナツ状の環がある「自然釉貝紋大鉢・
炎の華」(1973)等の作品、 花びら風に八個の牡丹餅がある、「輪花大鉢・炎花」
(径46、1975年)、環状の牡丹餅を四個ずつ二段に平行に置いた「陶盤」(1973年)、
更には、割り箸状の平行文様の「焼締板皿・武菱」(1980)などの作品があります。
b) 火襷文様: 藁(わら)を巻き付けて、緋色を出す備前焼の技法も取り入れています。
「盤・蝶」(1973)は、火襷の上に次に述べる白椿釉で、蝶の形を現している様に見えます。
) 白椿釉: 八丈島に自生する椿(つばき)を使った灰釉です。
草木灰を釉に使う場合には、必ず灰汁(あく)抜きをする必要があります。
何度も水を替え、有害なアルカリ塩分を除去します。
(この灰は、特産の黄八丈の染色に使われているものと同じものです。)
この灰に、長石とカオリン(白土)を混ぜ調合します。
色調は、ピンク掛かった半光沢のある白い色と成ります。
作品に、「白椿釉入子・玉椿」(1975)、「白椿釉亀甲入子」(1977)、「椿釉貝紋向付・菊菱」
(1980)などの食器(皿)があります。注:入子(いれこ)とは相似形の作品を、大きな物から
順次小さい物へと、重ね合わせに出来る状態を言います。
(収納場所を取らない工夫に成っています。)
尚、夫の辻清明は2008年4月15日に亡くなり、約3カ月後の7月8日に夫と同じ肝臓がんで死去します。
次回(渡邊朝子氏)に続きます。
(名前から、女性と判断されない様に、「協」一文字にしたそうです。)
現在では、電動轆轤が普及し、自分の手足で回転させる事も無くなりましたが、当時は大変な力仕事で
女性で轆轤作業をする人は、ほとんどいなかったそうです。
1) 辻 協(つじ きょう 本名協子=きょうこ): 1930年(昭和5)~ 2008年(平成20年)享年77歳。
① 経歴
) 東京都品川区上大崎長者丸で、和田茂氏の次女として生まれます。
1948年 神奈川県立平塚高校を卒業後、東京女子美術専門学校洋画科に入学し、1952年に
同校を卒業します。
同年新工人会員になり、会の創立者である陶芸家の辻清明氏と知り合います。
) 1953年 清明氏と結婚し、陶芸を始める様になります。又 同年光風会工芸部でガラス絵と
陶板が入選します。
1955年 現代生活工芸協会員になります。同年 東京都多摩市連光寺に登窯を築き、
「辻陶器工房」を設立し、以後この地を拠点として、清明氏と共に作家活動を続けます。
) 1956年 「現代生活展」(朝日新聞社主催)に出品します。
1961年 東京日本橋三越の「国際女流陶芸展」に招待出品します。
招待出品は辻協さんのみで、この事が陶芸家として注目を集める切っ掛けになります。
1962年 女流作家だけの「めだか」会を結成し、銀座の画廊で作陶展を行います。
同年 東京三越で「辻清明・協二人展」を開催しています。
1965年 「現代国際工芸展」(東京国立近代美術館・朝日新聞社共催)に招待出品します。
) その後も銀座松屋、五島美術館(東京)、ボストン美術館(シドニー)、京都近代美術館など
多くの展示会や会場に出品しています。
尚、1969年には「信楽大鉢・月光」が、東京近代美術館の買上となっています。
1970年に女性としては初めての、日本陶磁協会賞を受賞します。
② 辻協さんの陶芸
作品は信楽焼風の、主に手作りによる、料理を盛る食器作りが中心でした。
) 焼締: 信楽の原土の大粒の長石(ハゼ石)を取り除き、一年間以上寝かせた土を使います。
焼成は素焼きをせず、登窯で1300℃程度の高温の酸化焔で焼成しています。薪は松のみ使用
するとの事です。
) 自然釉の作品では、備前焼の牡丹餅や火襷などの手法を取っています。(1956年頃から
備前焼の藤原啓氏の元へ、度々訪問している事も大きく影響していると思われます。)
a) 牡丹餅文様の着け方にも、工夫が見られます。
内側(見込)底に大きな牡丹餅がある、「信楽大鉢・月光」(径49.8cm、東京近代美術館)、
「焼締大鉢・菊菱」(1980)等の作品や、見込みにドーナツ状の環がある「自然釉貝紋大鉢・
炎の華」(1973)等の作品、 花びら風に八個の牡丹餅がある、「輪花大鉢・炎花」
(径46、1975年)、環状の牡丹餅を四個ずつ二段に平行に置いた「陶盤」(1973年)、
更には、割り箸状の平行文様の「焼締板皿・武菱」(1980)などの作品があります。
b) 火襷文様: 藁(わら)を巻き付けて、緋色を出す備前焼の技法も取り入れています。
「盤・蝶」(1973)は、火襷の上に次に述べる白椿釉で、蝶の形を現している様に見えます。
) 白椿釉: 八丈島に自生する椿(つばき)を使った灰釉です。
草木灰を釉に使う場合には、必ず灰汁(あく)抜きをする必要があります。
何度も水を替え、有害なアルカリ塩分を除去します。
(この灰は、特産の黄八丈の染色に使われているものと同じものです。)
この灰に、長石とカオリン(白土)を混ぜ調合します。
色調は、ピンク掛かった半光沢のある白い色と成ります。
作品に、「白椿釉入子・玉椿」(1975)、「白椿釉亀甲入子」(1977)、「椿釉貝紋向付・菊菱」
(1980)などの食器(皿)があります。注:入子(いれこ)とは相似形の作品を、大きな物から
順次小さい物へと、重ね合わせに出来る状態を言います。
(収納場所を取らない工夫に成っています。)
尚、夫の辻清明は2008年4月15日に亡くなり、約3カ月後の7月8日に夫と同じ肝臓がんで死去します。
次回(渡邊朝子氏)に続きます。