愛知県知多半島にある常滑市は、古くから常滑焼陶器の産地で、平安時代より須恵器を焼いています。
現在常滑で、急須一筋に作っているのが山田家で、特に三代常山は人間国宝に認定されています。
1) 三代山田常山(やまだ じょうざん) 本名は稔: 1924年(大正13) ~ 2005年(平成17)
① 経歴
) 愛知県常滑市に、二代山田常山の子として生まれます。
初代の祖父、二代の父も常滑焼の急須作りの名匠と言われた方達です。
) 1941年 愛知県立常滑工業学校窯業科卒業します。在学中より初代山田常山や二代に師事し、
急須造りを中心に陶芸全般を習います。
) 1958年 第5回日本伝統工芸展で初入選を果たします。以後毎年の様に出品を繰り返します。
同時に、ブリュッセル万国博覧会にてグランプリを受賞しています。
1959年 第7回生活工芸展 第一席 朝日賞受賞。
1961年 三代 山田常山を襲名します。
1963年 日本工芸会正会員になります。
) 1973年 フランス 第3回ビエンナーレ国際陶芸展名誉最高大賞を受賞。
1975年 常滑「手造り急須」の会、会長に就任しています。
1993年 日本陶磁協会賞受賞。
1994年 愛知県指定「朱泥急須」で無形文化財保持者に認定されます。
1998年 常滑焼(急須)で重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定されます。
② 常滑焼の急須について
) 急須の基本形は茶銚(ちゃちょう)、茶注(ちゃちゅう)、絞り出し茶注(宝瓶)の
3種類があります。
a) 茶銚は、中国以来の伝統的な形で、注ぎ口と把っ手(とって)が一直線になっています。
即ち、持ち手が後ろに付く後手の急須です。
b) 茶注は、把っ手を横に付く横手や、上に付く形の物で土瓶型や薬缶風の形をしています。
和風の感じになります。
c) 絞り出し茶注(宝瓶=ほうびん)は、把手と茶漉しを省略した、玉露用の急須です。
d) その他お湯を冷ます「湯冷まし」も造られています。形は玉露用の急須に似ています。
) 煎茶の習慣は、江戸前期に来日した、隠元禅師によってもたらされたと言われています。
煎茶用の朱泥の茶器や急須は、明代の中国江蘇省の宜興窯(ぎこうよう)で盛んに
作られました。作品は、茶壷、茶注、火鉢、植木鉢などが焼かれていた様です。
土は、赤い色の朱泥(しゅでい)の他、紫泥(しでい)、烏泥(うでい)、梨皮泥(りひでい)
白泥など、色や器肌が異なる物があります。
a) 紫泥は金属成分を加えて、茶色に発色させた物で、烏泥はその量を多くして、黒い色を
出しています。
b) 梨皮は朱泥に砂礫や、異なる色の土を練り込み、梨の皮の様にザラザラした手触りに
成ります。
) 我が国で朱泥が完成したのは、安政元年(1854年)に常滑の杉江寿門によります。
初期の朱泥は、田土を使い鉄分の多い山土を25%混ぜ、水簸(すいひ)して使った様です。
焼き肌が滑らかに成る様に、水漉しを繰り返し、粘りを出す為に甕に入れて寝かせてから
使用します。 1950年頃からは、木節粘土に弁柄を加え、更に細かくした長石を混ぜ合わせて
土を作っています。
) 明治11年に「宜興窯」から招かれた、中国の文人の金子恆氏が、常滑に数ヶ月滞在し、
朱泥茶注の製法と印刻文の装飾技術を、杉江寿門らに教えます。
初代、二代常山は、杉江寿門の流れを汲み、この宜興窯に倣った作品を作っています。
③ 三代常山の陶芸
初代と二代常山の元で轆轤挽きによる、朱泥急須を中心とした伝統技法を修行します。
その後、朱泥、烏泥、梨皮泥等の多彩な素地の用法に応じ、水簸(すいひ)による坯土の
調整から轆轤による繊細な成形工程を経て、焼成、仕上げに至る一貫制作の全ての工程に
精通していきます。
彼は伝統に基きながら、土の色、形など様々な工夫を凝らし、新しい作品を制作しています。
) 轆轤による成形(一般家庭で使われている、常滑の急須は鋳込みによる型成形です。)
作品は薄造りで轆轤成形して作られています。胴、蓋、注ぎ口、把手を別々に造り、
バランス良く組み立てます。尚、轆轤や鋳込み方法以外に、手捻りでも作られています。
) 道具はほとんど使わず、親指の爪を使って「蓋受けを」作っています。
「絶対尻漏れしない急須」の造り方は、山田家に代々伝わる秘伝との事です。
) 常山氏は急須を中心に制作を続けます。
作成年代は「昭和50〜60年」が多く、「常滑の茶注」「朱泥急須」「梨皮朱泥茶注」
「梨皮彩泥水注」「常滑自然釉茶注」「梨皮白泥 茶注」「朱泥燻し焼絞り出し茶注」
「窯変藻がけ茶注」「紫泥茶注」 「梨皮泥緋襷茶注」「 常滑土瓶」など100種類以上の形や
色があると言われています。
次回(山田常山2)へ続きます。
現在常滑で、急須一筋に作っているのが山田家で、特に三代常山は人間国宝に認定されています。
1) 三代山田常山(やまだ じょうざん) 本名は稔: 1924年(大正13) ~ 2005年(平成17)
① 経歴
) 愛知県常滑市に、二代山田常山の子として生まれます。
初代の祖父、二代の父も常滑焼の急須作りの名匠と言われた方達です。
) 1941年 愛知県立常滑工業学校窯業科卒業します。在学中より初代山田常山や二代に師事し、
急須造りを中心に陶芸全般を習います。
) 1958年 第5回日本伝統工芸展で初入選を果たします。以後毎年の様に出品を繰り返します。
同時に、ブリュッセル万国博覧会にてグランプリを受賞しています。
1959年 第7回生活工芸展 第一席 朝日賞受賞。
1961年 三代 山田常山を襲名します。
1963年 日本工芸会正会員になります。
) 1973年 フランス 第3回ビエンナーレ国際陶芸展名誉最高大賞を受賞。
1975年 常滑「手造り急須」の会、会長に就任しています。
1993年 日本陶磁協会賞受賞。
1994年 愛知県指定「朱泥急須」で無形文化財保持者に認定されます。
1998年 常滑焼(急須)で重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定されます。
② 常滑焼の急須について
) 急須の基本形は茶銚(ちゃちょう)、茶注(ちゃちゅう)、絞り出し茶注(宝瓶)の
3種類があります。
a) 茶銚は、中国以来の伝統的な形で、注ぎ口と把っ手(とって)が一直線になっています。
即ち、持ち手が後ろに付く後手の急須です。
b) 茶注は、把っ手を横に付く横手や、上に付く形の物で土瓶型や薬缶風の形をしています。
和風の感じになります。
c) 絞り出し茶注(宝瓶=ほうびん)は、把手と茶漉しを省略した、玉露用の急須です。
d) その他お湯を冷ます「湯冷まし」も造られています。形は玉露用の急須に似ています。
) 煎茶の習慣は、江戸前期に来日した、隠元禅師によってもたらされたと言われています。
煎茶用の朱泥の茶器や急須は、明代の中国江蘇省の宜興窯(ぎこうよう)で盛んに
作られました。作品は、茶壷、茶注、火鉢、植木鉢などが焼かれていた様です。
土は、赤い色の朱泥(しゅでい)の他、紫泥(しでい)、烏泥(うでい)、梨皮泥(りひでい)
白泥など、色や器肌が異なる物があります。
a) 紫泥は金属成分を加えて、茶色に発色させた物で、烏泥はその量を多くして、黒い色を
出しています。
b) 梨皮は朱泥に砂礫や、異なる色の土を練り込み、梨の皮の様にザラザラした手触りに
成ります。
) 我が国で朱泥が完成したのは、安政元年(1854年)に常滑の杉江寿門によります。
初期の朱泥は、田土を使い鉄分の多い山土を25%混ぜ、水簸(すいひ)して使った様です。
焼き肌が滑らかに成る様に、水漉しを繰り返し、粘りを出す為に甕に入れて寝かせてから
使用します。 1950年頃からは、木節粘土に弁柄を加え、更に細かくした長石を混ぜ合わせて
土を作っています。
) 明治11年に「宜興窯」から招かれた、中国の文人の金子恆氏が、常滑に数ヶ月滞在し、
朱泥茶注の製法と印刻文の装飾技術を、杉江寿門らに教えます。
初代、二代常山は、杉江寿門の流れを汲み、この宜興窯に倣った作品を作っています。
③ 三代常山の陶芸
初代と二代常山の元で轆轤挽きによる、朱泥急須を中心とした伝統技法を修行します。
その後、朱泥、烏泥、梨皮泥等の多彩な素地の用法に応じ、水簸(すいひ)による坯土の
調整から轆轤による繊細な成形工程を経て、焼成、仕上げに至る一貫制作の全ての工程に
精通していきます。
彼は伝統に基きながら、土の色、形など様々な工夫を凝らし、新しい作品を制作しています。
) 轆轤による成形(一般家庭で使われている、常滑の急須は鋳込みによる型成形です。)
作品は薄造りで轆轤成形して作られています。胴、蓋、注ぎ口、把手を別々に造り、
バランス良く組み立てます。尚、轆轤や鋳込み方法以外に、手捻りでも作られています。
) 道具はほとんど使わず、親指の爪を使って「蓋受けを」作っています。
「絶対尻漏れしない急須」の造り方は、山田家に代々伝わる秘伝との事です。
) 常山氏は急須を中心に制作を続けます。
作成年代は「昭和50〜60年」が多く、「常滑の茶注」「朱泥急須」「梨皮朱泥茶注」
「梨皮彩泥水注」「常滑自然釉茶注」「梨皮白泥 茶注」「朱泥燻し焼絞り出し茶注」
「窯変藻がけ茶注」「紫泥茶注」 「梨皮泥緋襷茶注」「 常滑土瓶」など100種類以上の形や
色があると言われています。
次回(山田常山2)へ続きます。