わ! かった陶芸 (明窓窯)

 作陶や技術的方法、疑問、質問など陶芸全般 
 特に電動轆轤技法、各種装飾方法、釉薬などについてお話します。

現代陶芸73(梶原 藤徳)

2012-03-17 17:23:58 | 現代陶芸と工芸家達
九州の小石原に在って、太田熊雄氏の後継者として新しい展開を開いた陶芸家に梶原 藤徳氏がいます

1) 梶原 藤徳(かじわら ふじのり): 1937年(昭和12) ~

  ①  経歴

   )  福岡県朝倉郡小石原村皿山の窯元 梶原藤助の長男として生まれます。

   ) 1955年 太田熊雄 氏に師事して、轆轤技術を学び、家業を受け継ぎます。

   ) 1957年 福岡県美術展で、朝日新聞社賞を受賞します。

      1959年 共同窯の経営分裂により、五袋の個人用の登窯を築きます。

      1969年 陶芸技術伝承者養成会(九州ブロック)で、小山富士夫氏と濱田庄司氏の講演を聞き

      更に同年、第十一回日本民藝展に出品し、通産大臣特別賞を受賞します。

   ) 1970年 日本民藝館に出品し、民藝館奨励賞を受賞します。

      同年 日本伝統工芸展で「水鉢」が入選します。

      以後、日本民藝展、日本工芸展、日本伝統工芸展などに出品し、数々の賞を受賞します。

   ) 1977年 自宅工房の脇に資料館を建設し、小石原や小鹿田の古陶を陳列公開します。

      1965年以来、福岡岩田屋を中心に多数の個展を開催しています。

  ②) 梶原氏の陶芸

    大物造りの先輩の太田熊雄氏と同様に、蹴轆轤を使い紐作り(練付け)の方法で、大皿や大壺を

    好んで製作しています。

   ) 彼の作品は、男性的な豪快な造りで、量感溢れる作品になっています。

   ) 飛鉋(とびかんな)は中国宋代の磁州窯に始まる技法で、大正末頃、隣の小鹿田窯から

      もたらされたもので、器の表面に白化粧土を掛け、半乾きの状態で、弾力のある薄い鋼の

      刃を持つ「鉋」と呼ぶ道具を用いて、轆轤の回転に合わせ削り作業を行うと、点々と

      細かい連続文様が現れます。胎土の黒い小石原や小鹿田焼には効果的な装飾方法です。

      作品に「飛鉋打掛蓋付大壺」(1978)「飛鉋打掛大鉢」(1982)等があります。

   ) 飛鉋や櫛目の技法に、象嵌技法を取り入れます。

      上記の飛鉋では、白地に黒い斑点を出しますが、象嵌技法では、黒地に白い櫛目や飛鉋痕を

      残す方法です。即ち作品に飛鉋や櫛目を付けた後、白化粧土を全面に塗り、半乾燥後に

      表面を削り取る事により、飛鉋痕や櫛目文様に白化粧土が入り、白黒が逆転します。

      作品に「櫛目象嵌焼締壺」(1961))「灰釉櫛目象嵌深鉢」(1971)「櫛目象嵌大鉢」(1974)等が

      あります。

   ) 小石原焼は大皿造りの技法が無く、島根県の石見の陶工たちによって昭和の頃に、

      技術が伝わったと言われています。

      小石原の大皿の特徴は高台が広い点です。高台を狭くすると、分厚く挽いた土が縁から

      重さで下に落ちます(「へたる」と言う)。それ故、高台を広く取りますが、余り広く

      取り過ぎると、皿の真ん中に力が加わり落ます。その為、高台を幅広に取り縁が落ちない様に

      しています。この製法ができれば1尺8寸(約55cm)の大きな皿も挽けるそうです

      即ち、削り出しの製法で作品を作ります。先ず全体を厚く挽き、乾燥ご裏返して鉋で

      削り落として整え、高台の幅を広く取ります。

     a)  大皿を作るに当たって、多くの陶芸家は、高台中央の落込みや、口縁の「へたり」に

       苦労しているはずです。(鉢の場合はさほど問題に成りません)

       基本的には轆轤挽き時に、底を広くする事で、口縁の「へたり」を防ぎます。

       そして十分乾燥後に、削り作業で高台径を狭くします。

     b)  焼成時に皿の中央が落ち易くなりので、色々工夫しています。

        (勿論、土の耐火度や焼成温度などを選ぶ事により、解決している方も多いです。)

       例えば、中心付近に高台を作り、二重にしする方法や、焼成時に中央部を何かで支える

       事です。それ故、高台裏を見れば、どの様な細工がなされているかが、見えてきます。

次回(江崎一生)に続きます。
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